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J-TRECからの新型車両の出庫は、陸送よりも京急逗子線を使った回送の方が多く見られました。JR東日本の車両であれば自走することも多し。陸送と比べても、振り返ってみてバラエティーに富んだ撮影ができていたなとしみじみ。その時の導入の背景とか考えても懐かしく感じます。今回は過去の記事に載せていた分を振り返り~。・E233系横浜線この時はまだ、逗子駅に回送された車両を見に行くのみでした。当時は、205系からの置換えが始まった頃でした。駅スタンプなるものが編成ごとに側面に貼られ、楽しかったのですが今はもうありません。出庫シーンとは関係ありませんが、慣らし運転の折り返しに偶然会えたのが懐かしいです。当時の品川駅は「臨時ホーム」ってありましたが、今は常磐線ホームになっているのかな?上野東京ラインって言われても、自分はやはり東北縦貫線という方がしっくりきます。そんな東北縦貫線関連で、常磐線のE531系や東海道線E233系、さらにはE657系までもが増備されました。大きな経済効果!・E531系¥E657系K17編成こちらは出庫から逗子駅までしっかりと見届けました。続いては、2015年分。↑の東北縦貫線が開業。そして、仙石線と東北本線がミックスする仙石東北ラインも開業。そこに新しく導入された車両の出庫、狙わないわけにはいかない!!・HB-E210系日程が1度延期となっていました。寒い中の撮影!!プレスリリースでイメージ画像が出されることなく姿を現したのは珍しいことですよね。先に車両を一目見ることができるのも醍醐味の1つでした。小牛田までの甲種輸送も、春休み中に陸前山王で撮影しました(^^)同じ年の夏には、アイツが姿を現しました。・E353系E353系。この頃にはまだ珍しかった全車にコンセントと、普通列車グリーン車で見慣れた座席上の空席ランプが付き始めた頃。後付けされたE657とは違い、製造された時から装備されています。初めて見れた、甲種輸送の貼り紙。この日は珍しく土曜日でしたので、人は多かったかな。BOOKOFF前の踏切は誰もいなかったです。とにかく暑い日だったのをよく覚えています。今と違い、夏の食欲が酷く落ち込んでいました。リポビタンを飲みながら頑張って撮影したものだよ。その年の冬は、ちょっと変わった車両が出てきました。・静岡鉄道 A3000形この前、ようやく初めて乗りました。静岡鉄道って知らなかったんですが…。・東急5000 中間車背もたれ付の車両も出ていましたね。6ドア車の置き換えと過去の記事には書いてありました。(東急はいかんせんあまり興味が…)・京成3000形京成3000形が増備され、京急線を経由して宗吾参道までの回送を京急鶴見にて。今はホームドアがあるんでこんな構図では撮れなさそうですね~。この時は3000しか知らない私ですが、今は京成さんにお世話になっています。もっと京成の古い電車も見ておけばよかった。年はまた変わり2016年。北海道新幹線開業の年ですが、それはこちら総合車両製作所とは別の工場です。・京急1000形1800番台幌付きの1800番台が出たのも、もう8年も前の出来事になるのですね。確かに、もう800形がいなくなって久しいとはいえよ。この時は幌が付いていまして、期間限定で快特や特急でも入ったことがあります。(空の車を~ではなく、8両の方)かわいくて素敵だなと思い、京急線内の試運転も精力的に追いかけました。・HB-E300系 リゾートしらかみブナHB-E300系シリーズはもう引退してしまった(転勤した)リゾートあすなろやリゾートしらかみ青池、このリゾートしらかみブナ。そして海里…あとあったかな?いや~リゾートみのりもこれに続いて出てくるのかと思ったら、出てこなかったんですよね。売れているかと思えば、陸羽東線は意外と不遇。・四季島・E721系1000番台ピンクのラインがかわいい!地元の車両を2度も撮れると思わなかったです。まぁ、こちらは順当な719系の置き換え車両という位置付けであります。過去の記事で取り上げていたのはこんなもんですね。他にも・東急2020系・小田急4000系・泉北ライナー・アキュム・京急1000形1200番台は記事に取り上げませんでしたが、撮影しましたね。東急2020系や京急1000形1200番台はPCからも写真は消えました…(泣)特に京急なんかは、ステンレスで全面塗装されるようになりましたが、一部を久里浜工場で塗るためか白いラッピングが施された状態で出ていました。情報に関しては、陸送も含め自分の足で工場の様子を見に行く。これが全てです。甲種輸送がされるものは鉄道ダイヤ情報でチェックできますが、甲種輸送ではなくとも何度か行くうちに「今夜ありそうだな」というのが分かってきました。あの頃は楽しかったですね~。大体暗くなる夕方くらいに見に行って、陸送ならトレーラーに乗っかった状態で並べられている・陸路輸送の場合はDD55と連結されていたら確率が高いです。全部が全部その夜に行われるわけじゃないけどね。ガードマンが2名いたら確定なわけ。このガードマンも毎度同じ方だったなぁ~。そのDD55ですが、車両が変わっていましたね。エコな感じの機関車に変わったようです。私は三脚を使わない人なんで、上手い写真を撮るというよりは○○系だと分かる記録を残すという感覚だったかな。楽しかったです。
2024.03.21
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大学生だった頃に複数回撮影した陸送。(逗子線を使った通常の出庫の振り返りはまた別でするよ。)偶然にも車両を製造する工場が近くにあり、おかげさまで濃い鉄活ができていましたよ。本当に知らなかったよ!!散歩してたらなぜかピッカピカのE233系横浜線がいたんだよ?!て、ことで、数回目撃できた陸送の模様をどうぞ。10年前の金沢八景駅。まだ今の進化を遂げる前で、駅前にはローカルな建物が並んでいました。駅の看板も斜め書体の懐かしいデザイン。初めに撮影できたのは2014年5月のE7系です。当時はまだE2系がメインだったんだから、今となっては驚きだ!深夜の町をゆっくりと走ってゆくE7系。自走じゃないんだけどね(笑)今は敦賀にまで行こうとしているE7系ですが、10年前はまだ登場したてでした。既にF1編成は仙台で試運転してたけどね。昔のシーサイドラインの駅も懐かしいです。帰り道に職務質問とかされないかと、若干のドキドキがありながら帰宅するのもまた楽しみの1つ。先輩とも2度追いかけしたことがあります。もちろん徒歩なので↑のように直線に入ったら追いつけないんですが...にしても狭い道を行きますね。この後、どういう経路でたどり着いたのかが気になります。2度目の撮影は2014年12月のE3系。こまち用が今はL54・L55編成となっているつばさ用に改造する為に入っていたそうですね。でも、色はそのまま。あくまでも塗装は利府ですることになっていたんですかねー。工場なので、新しい車両を撮影できることは当然ですが、旧式車両まで撮れるとは考えてもいませんでした。並ぶ京急も、引退した800形や前面がLEDになる前の1500と、これまた懐かしいのがズラリ。この改造から10年後、とうとう車両そのものが引退となります。E3系が完全終了するという現実を、私はまだ受け入れることができません。続きまして。ここからは都営地下鉄2本になります。まずは2017年6月に撮影した新宿線!!新宿線や三田線ってあまり縁がないのでよく分かりません。。。既に何本か出てたと思うので、撮影していたのは私くらいだったんじゃないかな?目線にこんなものが。そして、同年9~10月には浅草線用の5500形が出てきました。これはかなり人出が多かった記憶です。(記事を読み返すと、30人ほどだったらしい)初めての編成でしたからね。この編成は12月の都営フェスタで早速お披露目の機会があり、2018年春にデビューしてからはだんだんと5300を置き換えるように。先代の5300が顔も音も特徴的だっただけに、↑の新宿線も含め没個性が悲しいですね。LEDがとにかく切れやすいというのは、逆に珍しくていいのか?と、まぁこんなもんですね。陸送はそんなに撮影機会はありませんでしたが、なかなか複数回撮れるものではないという意味では貴重な経験でした。新幹線と比べると在来線車両は踏切通過スピードが速い!ことも分かりました(笑)
2024.02.20
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10周年おめでとう!俺!!てなわけで、この10年を記念して過去の記事を振り返りつつ、あの頃の乗り物とかを懐かしんでみたいと思います。テーマは色々考えていきます…。何かリクエストがあればどぞー。まずは、1番記憶に刻み込まれるダイヤ乱れに遭遇するなどのアクシデント・ハプニングを振り返る。今回3選ノミネートしましたが、旅にトラブルってやっぱり付き物なのか…?【2016年12月 強風で長時間足止めのフルーティアふくしま】郡山と会津若松を結んでいたフルーティアふくしまですが、冬~春にかけては東北本線を走り、仙台行きとなるダイヤが設定されていました。そんな仙台行きに乗れた時の話となります。郡山駅での乗り換えシーンですが…。すっかり忘れていました。この前の東北新幹線も信号トラブルで30分くらい止まっていたようで、危うく乗れなかったという状況での乗り換えでした。ってことでダブルパンチ確定。東北本線は強風でよく止まるんですよねー(笑)仙台デビュー。「ふふふ」が不気味ですね。この乗車証明書は今も大事に取ってあります。もう引退しちゃったんだね。実感がわかない。宮城県に入って来て、越河駅で停車中。元々運転停車の設定駅だったかどうかは分かりません。運転見合わせとなり、閉じ込められることになっちゃいました。こちらは追加のホットコーヒーが出されたり、ドリンクバーがあるのでアイスコーヒー/アイスティー/水だけに限られますが、飲み物が潤沢にあるだけまだ天国です…。(しかも古い719系ですが、リニューアルされているのでお手洗いはキレイ)電車は結局、越河駅に1時間半停車した後に動き出したものの、ちょくちょく止まったり動いたりを繰り返す。打ち切りになることはなく、16時前に仙台駅に到着。実に6時間弱も乗車していたことに!!本来の運転時間は2時間弱ですので、3倍近くの乗車時間が…。折り返しには余裕があるはずが、仙台到着時にも既に上り便の遅れが確定するほどの大幅な乱れとなっておりました。上りの運転はさすがに見ていませんが、どうだったのでしょうか。聞くのも怖くなります(汗)フルーティアふくしまは結局、5回かな?結構乗ってるな~。悔いのないくらいには乗れたと思います。うち1回はこんなエピソード付だし…(笑)【2014年9月 伊丹最終便欠航により、日帰りのハズが急遽泊まりに】ヒコーキに乗りたくて大阪へ飛んだ日。ビギナーの私に洗礼を浴びせられた回です(笑)当時、朝1番の関西行きと夜最終便の羽田行きは767-300ERで、送り込み等も兼ねての運用だったようです。懐かしい。国際線機材が充てられるなんて、今じゃあまり珍しさを感じなくなりましたが、この頃は定期的に行われている便がありましたね。(成田~伊丹便とかも…)なんじゃこのシートマップ。懐かしすぎる。ビジネスクラスの真ん中1人席あったよねぇ~。そして、空港の子の表示。これも復活しないかなぁ。。。モニターが古い!!(笑)これ、機内でベルトサイン点灯中でもカメラが使えるようになったばかりですからね。初めてプレミアムクラスを体験した日はまだ使えなかったですから、そんな時代でしたよ。この日は日帰りとしていて、メインは帰りのプレミアムクラスでした。最終便の40便。出発時刻が20:35へ変更され、この時点で結構ギリギリな雰囲気がしますよね。その後、ラウンジで待機していると欠航のお知らせが飛んで来ました。え…どうしよ。私の頭は真っ白になるわけです。もしかして帰れない??知らない場所でいきなり帰りの手段が断たれるというのは、この時大人になりかけの私(今も大して変わっていないが)には心理的に不安が大きく…。どうしたらいいんだろう、どこに行けばいいんだろうという具合でした。しかも、結構ホテルは埋まっているという。とりあえず新大阪で落ち着いたわけです。いや、お腹痛くてすぐにトイレへ駆け込んだ夜よ。急遽宿泊したのはワシントンホテルプラザでした。今の訪日外国人がかなり増えている状況だったらどうなっていたでしょうか…。部屋の中で、宿泊費用の申請を記入。後日、しっかり振り込んでいただきました。翌日の振り替えた便では何事もなく、帰ることができました。機内では懐石料理の代わりに今はなきプレミアム茶房を味わいました♪【2020年8月 在来線も新幹線も運転見合わせのダブルパンチ!さぁどうする?!】ちょっと時代が最近にはなりますが、これまでで1番のアクシデントだったかも。軽井沢駅でろくもんの発車を待つ私たちですが、ゲリラ豪雨により走行許容範囲の雨量を越えてしまい足止めを食らいました。回送されるギリギリまでろくもんの車内で待たせてもらい、リベンジを誓いつつ降りました。宿泊地は長野駅前ですので、移動としては新幹線に乗り換えりゃ済む話です。ですが、最後の砦の新幹線ですらも運転が止まってしまうという大ピーンチ。赤い電光掲示板のスクロールって、死のメッセージですよね。今こうして見ても怖い。仕方なくタイムズカーで後輩の自宅まで行き車を持って来て、借りた車は返してともう1度長野へ向かうという、日付を跨ぐ大移動となったのでした。以上、特に酷かったり印象に残ったのはこんなもんですかね。他にもまさかの旅先での人身事故に煽られ予約したヒコーキ乗れないかもといったことや、信号トラブルで特急が2時間遅れて初めて払い戻しを受けた…など、大して行程に影響のなかった範囲を含めると結構あるような。また、これは旅中のアクシデントではないんですが、台風で予約していたヒコーキが乗れなかった(事前にキャンセル)っていうのもあったね~。うん、あれは結構辛かった。皆さんはどれが厳しいと思いましたか?(汗)
2024.01.28
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