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2009/09/15
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カテゴリ: 東海道五十三次
旧東海道を江戸から下っていくと、酒匂川を越えたところで、東海道9番目の宿場町である小田原宿に入っていきます。
小田原宿浮世絵.jpg
歌川広重「東海道五十三次内 小田原」
当時は酒匂川を渡し舟で渡っていたようです。


旧東海道の小田原宿の入口には、江戸口見付と一里塚が設けられていましたが、現在となっては国道1号線の脇に、その位置を示す碑が建っているだけでした。

小田原宿江戸口見付.JPG
江戸口見付と一里塚の碑。
この辺りは小田原城総構の東の端に当たるため、土塁や空堀の跡を探してみたのですが、住宅地が広がるばかりで発見することはできませんでした。


今回は小田原城二の丸でレンタサイクルを借りて、小田原宿を散策しました。
一里塚のところで再び自転車に乗ろうとすると、地元の人に呼び止められました。
聞くと、「街めぐりをするなら、『北条稲荷』に行くといい」とのことです。



結局は北条稲荷に向かったのですが、北条稲荷は旧東海道のすぐ近く、江戸口見付のすぐ南側にありました。
小田原宿北条八幡.JPG
北条稲荷
北条氏の時代に建立された神社で、勧進の時に小田原城にあった「蛙石」を移したと言われ、「蛙石明神」とも呼ばれています。
この蛙石は小田原に異変があると必ず鳴くという伝説があり、小田原城落城の時は、ずっと鳴き声が止まなかったと言われています。


さらに国道1号線を西に向かうと、東海道はクランクのように大きく鉤型に曲がっています。
ここから小田原本町となり、小田原宿の本陣が置かれていた中心部となります。

小田原城の大手門も東海道に面した位置にありました。
小田原城大手門.JPG
鐘が乗ってしまっていますが、小田原城大手門の跡です。



鉤型に曲がった街道の角には、「なりわい交流館」と名付けられた建物があり、中に入ると無料休憩所となっていました。
小田原宿なりわい交流館.JPG
なりわい交流館
関東大震災で被害を受けた問屋の建物を、昭和7年に復元したものです。


何やら議論が行われていたので聞いていると、「『提灯をぶら下げる』という表現はおかしい」とのことです。
(「おさるのかごや」の話だと思うのですが、正しい提灯の持ち方については、結局わかりませんでした)



小田原宿は城下町と宿場町が一体となった場所であり、当時から相当な賑わいを見せていたことだと思います。
当時の東海道宿場町の繁昌番付では、堂々と東の横綱でした。
小田原宿宿場番付.JPG
東海道宿場町繁昌記(「なりわい交流館」にて)



なりわい交流館から先の東海道は、本陣が置かれていた場所であり、小田原宿の中心となっていました。
小田原宿本町.JPG
現在の小田原本町。

今も旧家屋や老舗が街道沿いに軒を並べていますが、そんな老舗の1つが「ういろう」で、北条早雲の時代から続く老舗中の老舗です。

「ういろう」は元々薬のことを指し、中国から移り住んだ陳外郎(宗敬)に由来するそうです。
その外郎家で出されていたお菓子が、現在の「ういろう」となりました。

北条氏から特別な知遇を得てきた外郎家ですが、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅んだ後も、小田原に残ることを許されて、現在に至っています。
小田原宿ういろう.JPG
まるで天守のような建物ですが、「ういろう」の中に入ると、今もお菓子と薬の両方が売られていました。


東海道五十三次で最も繁栄した小田原宿ですが、その繁栄の礎となったのは何だったのでしょうか。
いよいよ「箱根の坂」も近づいてきました。

関連の記事

小田原城(その1)→ こちら
小田原城(その2)→ こちら
小田原城「総構」→ こちら





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最終更新日  2022/03/09 11:08:32 AM
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