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2019年6月29日、土曜日。8時34分起床。起きて『藤井七段の買った将棋や大谷の活躍した記事』を読みまくった。1万キロ以上離れた異国の地にいてもルーティンは普段と変わらない。 娘はセゲドで8年間、同じアパートに住んだ。15〜16畳のメインルーム、3畳の台所、3畳のバスタブ付きの洗濯場、それに狭いトイレが付いている。1人で住むには頃合いの広さか。それでも8年間という月日は長い。私から見ると、『要らない物』が散乱している。靴だけでも25〜30足が玄関に所狭しと並んでいる。 旅行鞄3箱目をなんとか片付けた。私たちが持って行った旅行鞄は大が4つに輪行バッグが1つ。娘が持っている物と合わせると6個になる。それぞれが車内持ち込み用の小さな鞄を持っている。『1人が大を2個と小を一つ持って帰国する』・・・考えただけでウンザリしてくる。 娘が一番尊敬しているMさん夫婦と近くの喫茶店でお茶会をした。イメージ通りの女性だった。10年間製薬会社に勤めてから医者になりたくてセゲド大学にやってきた。芯が強くて思いやりに溢れた女性だと感じ取れた。90分程は一緒に楽しんだ。娘は私が喋りすぎるので、ー滅入っていたようだが・・・⁉️
June 29, 2019
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2019年6月28日、金曜日。6時26分起床。ブダペスト3連泊の最終日。のんびりと過ごし、11時半頃アパートメントを出た。ブダペストに来てからは娘に任せっきりなので、地理的には殆ど把握が出来ていない。12時前後に娘の友人家族3人に会った。きっと物理的には『2010年6月16日に成田で娘を見送った時』には顔を合わせている可能性が高い。しかし、お互いに『今日が初めての出会い』だった。母親は物静かだった。父親は雄弁家で、有名な製薬会社で医薬の研究に携わっていたようだ。Aさんは娘よりもしっかりしている雰囲気を醸し出していた。後で聞くと、娘よりも2歳年上だとか。センメルヴァイス大学で8年間学んだ。娘はセゲド大学で8年間学んだ。《息抜きにはブダペスト。勉学はセゲド》が娘には好都合だったようだ。『セゲドでは勉強すること以外、何もすることが無い』と言うようなことを今回の旅行の最中に聞いた。《私、センメルヴァイスにいたら、きっと2、3年で潰れて日本に帰っている》ブダペスト西駅は東駅同様、50年前の田川市後東寺駅を彷彿させるような、鄙びた駅だった。広さは広いのだが。『近代的なウィーン西駅や東駅とは全く違う』大阪駅にしてもそうだ。私が10代の頃は錆びて見えた。今は現代のトップを走っている。車内はコンパートメントだった。8人部屋に私ら家族が3人だけ。電車を1本遅らせたのが功を奏したようだ。2時間半かけてセゲドに着いた。暗がりの中、旅行鞄を転がしながら、アパートに辿り着いた。オレオを食べて、度貧民のパスタを娘に作って貰って食べた。8年ほど前に送った『空気マット』を膨らませた。私が今回の旅行の為に買った変圧器が役立った。《これが一番重宝しているようだ。勿論、スマホやiPad、カメラがあった上でのことだが》
June 28, 2019
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先ずは、英雄広場と市民公園を訪れた。この時点では暑かった。ブダペストの地下鉄はロンドン、イスタンブールに続き、世界で3番目に敷設された。初期のものは地表に近い部分を走っている。この路線はそれに当たる。旧式だと思ってしまう。国会議事堂。英語での案内はすでに締め切られていた。国会議事堂近くのレストランで。ハンガリー動乱のモニュメント。弾痕が当時の生々しさを語っている。 2019年6月27日、6時10分起床。 今日のポイントは次の4点。 1. ブダペスト2日目の観光。 2. グーグルフォト・クラウドの存在、iPadとスマホの同期の仕方を娘から教わった。 3. 娘一押しの店でのディナー 4. 今回の旅行でのヨーロッパで一番だと決定づける観光スポットが決まった。 1. 昨日に続き、兎に角暑かった。ただ、2日目ということもあり、日陰をなるべく選んだこと、休憩のタイミングが良かったこともあり、昨日のような疲れは無かった。 移動は地下鉄やトラム。ウィーンと同じで『72時間券』を活用した。大阪市の移動と違い本当に便利がいい。2、3分待てば次の乗り物がやって来る感じ。だから詰め詰め感が無い。ブダペストは切符の監視官が立っていることが多かったが、ウィーンでは0だった。 英雄広場、市民公園、国会議事堂の順番に行った。これだけだと、ただ暑かったという印象しか残らない。 国会議事堂の側のレストランで休憩。レモネードとスープを注文した。私がカードで支払った。約9500フォリントだった。尚、現在のレートでは『1フォリント≒0.375円』である。 疲れが溜まるので、アパートメント迄引き返した。立地条件が素晴らしい。娘が自ら選んで半年間宿を借りた地区だけのことはある。 『遠い異国の地、自分の宿泊地が一番落ち着く。それに今借りているアパートメントは広くて綺麗。割と大きなショピングセンター迄30秒でいける。ショピングセンターを抜けて行く地下鉄の駅までアパートメントから5分程』 2. スマホで撮った写真を旅先でブログに上げることが出来るようになった。娘の持っている一眼レフはWi-Fiの機能が付いている。60枚の写真を貰った。お陰で何枚かはブログに挙げることが出来た。 3. とても美味しかった。この店には数回友達と来店したことがあるとか。娘一押しの店だった。『まずい、という感情は抱けない』 席は10席に満たない感じだった。確か入り口右には3席しか無かったような・・・・(7月10日に思い出しながら加筆している) 左側はヨーロッパ人で埋まっていた。右の席に行った。間もなく、中国人のカップルがやってきた。暫くたって中国人の4人家族がやってきた。 《娘からいつの間にかディナーをご馳走になる・・・・時の流れを感じた》 4.ワイフにとってハンガリーは2回目。7年ほど前は『ブダ地区には行かなかった』という。それであれば、鎖橋を渡ってブダの王宮を見学することは必要条件だった。 お互い初めて訪れた昨日はとても暑かった。感慨にふける余裕は全くなかった。 『このままだとウィーンに軍配が上がる・・・・』 娘が気に入っているブダペストを応援したいのはやまやまだが、正直にそう思った。 しかし、ディナーを食べた後、ドナウ川東岸を散歩していると、電球の明かりに照らされたブダの王宮を含む対岸を眺めると、 《まるで、夏の日本の風物詩、夜の花火を見るような美しさがそこにはあった》 【ヨーロッパの景色をもう一度見たいとするならば、この景色が一番だ!!!】 胃袋は美味しい料理に満たされ、ほろ酔いの中眼前全体を最高の景色に覆われた、実に満足のいく夜だった。
June 27, 2019
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聖イシュトバーン大聖堂の近くにある店で買った『インスタ映えするアイスクリーム』。聖イシュトバーン大聖堂。ブダの王宮から鎖橋を眺めた。ブダの王宮近くのレストランで。ハンガリーで一番美味しいと思った民族料理。この地でもスタバ。2019年6月26日、水曜日。6時00分起床。昨晩は1時半に寝た。もっと寝たかったが、娘のiPhoneの目覚ましの音で目覚めてしまった。今日は娘の案内でブダペストを見学する日。駅に行って『市内を走る地下鉄、トラム、バスに乗れる』72時間券を買った。4150フォリントだった。約1600円か。《ハンガリーの物価は日本の約4割弱だ。だから金持ちでもない私は娘をハンガリーの医学部に通わせることが出来た》ワイフ曰く、ハンガリーに来たらどうしても見学したい場所が3ヶ所ある。1. 聖イシュトバーン大聖堂2. 鎖橋3. ブダの王宮この3ヶ所を1日で回ることにした。今日のブダペストは兎に角暑かった。暑さに慣れていない身にはとても応えた。『ちょっとした木陰やビルの陰』を見つけては、それを頼りに歩いた。地下鉄に乗り、『聖イシュトバーン大聖堂』に行った。豪奢な建物だった。中は涼しかった。献金は1ユーロ(又は200フォリント)だった。 今流行りの『インスタ映えするアイスクリーム』を食べた。1つ800フォリントだった。 歩いて『鎖橋』まで行った。歩いて渡った。ドナウ川の水は黄土色に濁っていた。グラーツにしろ、スロヴェニアを流れている川にしろ、ヨーロッパで見た川はトリエステを除いては、全て黄土色だったような気がする。 その先に『ブダの王宮』が聳えている。ケーブルカーに乗った。登りだけ注文した。1人1200フォリントもした。 ブダの王宮は兎に角暑かった。建物の中には入っていない。上でビールを飲みながら《グヤーッシュ》を食べた。『ヨーロッパに来て、初めて美味しい‼️』と思える料理に出合った。ハンガリーの民族料理らしい。 下りはバスに乗った。バスから降りると直ぐに地下鉄の駅だった。地下鉄に乗った。地上に出て、トラムに乗った。 下りたらアパートメントの近くだった。アパートメントの近くには大きなスーパーを含んだデパートのような建物がある。『娘はこの近くに半年間住んでいたことがある』ただ娘は次のように言っている。《ここで暮らしていたら、私は途中で逃げ出して日本に帰っている。誘惑には勝てない》 私もそうだ。頑張る意思はあっても誘惑に勝てるだけの気力を維持出来ない。 ワイフと娘が買い物をしている小一時間、私はベンチに座って休憩していた。その後、3人でスーパーで買い物をした。ピザがとても美味しかった。ワイフと2人でまたスーパーに買いに行くことにした。『15分で行って買い物をして帰って来ることが出来た』
June 26, 2019
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リブリャナ城を仰ぎ見る。リュブリャナ市の中央を流れる川。リブリャナからハンガリーへ。リブリャナ郊外。ブダペストまでの間、30分、20分と2回停車した。バラトン湖。ブダペスト2回目の宿泊地。このアパートメント型ホテルで3泊した。娘はカレッジに通っている時、このアパートのすぐそばのアパートを借りていた。バスタブがあるのが嬉しい。アパートから1分以内にあるモールの入り口。2019年6月25日、火曜日。7時18分起床。9時過ぎ、私たちにとっては遅めのブレイクファーストを摂った。その後、ホテルの近くを散策。3本橋近辺は改めて素晴らしいと思った。ホテルスロンは駅からは10分程の距離があり、重い荷物を運ぶのには多少不便だが、旧市街までのアクセスがとても良くて、『リュブリャナの風情』を味わうには地の利を得ている場所だ。 11時40分、チェックアウトをした。地方税だろうか、12ユーロをカードで払った。駅まで行った。FlixBus乗り場『29』に行った。バスは既に停まっていた。聞くと「これではない」と言われた。『本当だろうか?』慣れない海外旅行。一つひとつのことを疑ってしまう。するとバスの窓に貼った紙を指差してくれた。『成る程、バスには車両番号が付けられているんだ』納得した。そのことをワイフに伝えた。次のバスがやってきた。先程教わった通り紙を見て確かめると、私たちが予約したバスだった。バスはほぼ満席だった。ブダペスト迄は6時間半だが、その中に30分と20分の休憩があった。50セントを払い、トイレに行った。コーラとアイスを買った。スロヴェニアを抜けハンガリーに入った。少し期待していた『クロアチアを抜ける』は実現しなかった。バラトン湖もなんとか見ることが出来た。19時15分前後、ブダペストのバスターミナルに着いた。それよりも10分程手前でもバスは停まった。しかし、事前に降りるべきバス停を調べていたので、迷うことは無かった。10分程待ったら娘が現れた。2連繋がりのバスに乗った。娘が考えていた場所まではバスは行かなかった。そこからが大変。重い鞄を転がしながら、半分走った。20〜30分経って、やっと娘が予約した『アパートメント形式のホテル』の近くまでやってきた。それからも大変。11地区にあるらしいが、その場所が娘には分からない。「8時までに行かないといけない‼️」私ら2人を置いて、娘は走り回った。すると、慌てて行動している3人を2階の窓から受付係の人が見ていたようだ。7時40分に娘が電話をかけていたので、上から見ていたらしい。お陰で、ギリギリ間に合った。3人とも汗だく。部屋に荷物を置き、先ずは洗濯をした。小さな鞄の中は『洗濯待ちの衣類』の臭いで臭かった。続いて近くのスーパーまで買い出しに出かけた。今、やっと落ち着いて、このブログを書いている。リビングが26畳ほどあり、寛げる空間だ。
June 25, 2019
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2019年6月24日、月曜日。《トリエステ日帰り旅行》はハードスケジュール。5時50分に目覚ましを掛けた。5時30分頃起床。すぐにシャワーを浴びた。5時55分頃、ワイフを起こした。早めの朝食。ビュッフェ形式。このホテルは朝食込みの料金だった。前回泊まったグラーツのホテルダニエルは朝食が別料金で、2人で2泊78ユーロも取られた。ハムやパンは何種類もあり、好きな人には好都合だが、ドイツの固いパンが余り好きではなく、ハムも適当でいい私にとっては『フルーツの種類が多く、しかも日本の味に似ているホテルスロンの方が、朝食に関してはかなり良かった』バスは7時50分に出発した。高速バスだ。空いていた。1階は2割程しか乗客がいなかった。1時間半でトリエステに着いた。トリエステは暑かった。3日間殆ど雨だったグラーツとは勝手が違った。同じスーパーに2回寄った。トイレを借りる為だ。同じアイスクリーム屋に2回寄った。同じコースを2回通ったから。ヨーロッパ旅行に出る前からワイフが言っていた。「トリエステでは私が奮発するから、海鮮料理の美味しいのをしっかり食べよう」グーグルマップでレストランを探した。海鮮料理と言っても、小さな海老の唐揚げや貝料理しか見当たらなかった。寿司屋を2軒探した。行ってみた。なんとなく不気味。それに寿司は日本の方が美味しいだろう。無駄に金を使うのは勿体無い。海岸近くのレストランで昼食を摂った。何が美味しいのか分からなかった。ワイフが観光客にお勧めの料理を聞いた。安く済ませた。料金は24.5ユーロだった。50ユーロ紙幣を渡した。するとワイフが「何をするのよ‼️ チップと思って、返してくれないわよ‼️」「えっ、そんなもんかな⁉️」3分待った。するとキッチリお釣りを返しに来た。ホッとする2人。私がチップを1ユーロ渡した。ワイフが2ユーロ渡した。合計3ユーロのチップとなった。元々クロアチアに行きたいと思っていた。今、クロアチアは日本のみならず、世界でも有名な旅行先となっているようだ。娘の友達の卒業旅行で、高いクロアチアを避け、安く行けるスロヴェニアを選んだ人がいる。その事を娘から聞かされ、『それだったらスロヴェニアにしよう』スロバキアは知っていても、スロヴェニアの存在をそれまで知らなかった私は、急遽スロヴェニア旅行を計画した。アドリア海を見たいので、イタリアのトリエステという港街があることを知り、日帰り旅行に組み入れたのだった。海は青かった。岸壁近くに小魚が数百匹泳いでいた。大きな旅客船が停泊していた。見張りの軍人?はジープの側で機関銃を肩からぶら下げていた。いよいよ帰る時間になった。予定は『16時45分』発。時間に余裕を持って30分以上前から待機していた。ところがいくら待てども電光掲示板に知らせが映らない。15分遅れてやっとFlixBusがやってきた。乗ろうとすると乗務員が「これは違う。次のバス」と英語で話しかけてきた。訳が分からなくなってきた。すると世話焼きのお客が一人一人に説明しだした。嬉しいことに日本語がある程度分かるオーストリア人の青年が同じバスに乗ることになった。彼が片言の日本語で話しかけてきた。日本の埼玉県に住んだことがあり、日本人にドイツ語を教えていたとか。日本には2回来たことがあるらしい。私は住所を教え、「もし日本の大阪に来ることがあれば大阪や京都を案内するよ」と伝えた。彼の名前と電話番号も聞いた。
June 24, 2019
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リュブリャナ城に行く手前にかかる『竜の橋』ケーブルで頂上へ。グラーツ駅で。リュブリャナの中心地、3本橋の近くで。ヨーロッパ旅行中、初めてマクドで食べた。2泊したホテルスロン。2019年6月23日、日曜日。 今日はグラーツを発ってリュブリャナに着いた。今日の事を書く前に、昨日の事を付け足そうと思う。リュブリャナに入ると、景色は一変した。パッと見はウィーンからグラーツへの移動時に感じた『田舎にきたなア』だったのだが、直ぐにオーストリア・・・蒜山高原のような別荘地スロヴェニア・・・ハイジが住むような場所。山の急斜面に家が散在し、とても普段住むには苦労しそうだが、羊の世話には近くて理にかなっていると言った感じだった。リュブリャナのホテルは一見豪華だった。外観もエントランスも違う。ボーイがエレベーターまで案内してくれた。しかし、部屋に入った途端、微妙に狭くて少しガッカリ。でも、テーブルを移動する事で鞄を開ける場所を確保できた。ワイフに促されて、3種類の乗車券を買いに行った。5分遅ければ『トリエステには行けない』羽目になっていた。受付との間にアクリルの壁があり、小さな穴が開いた状態だった。マイクを通した声が何とも聴きづらい。《グーグルマップで調べた経路図》を日本で印刷して持ってきていて良かった。これがなかったら、とても買えた状態じゃなかった。リュブリャナからトリエステトリエステからリュブリャナリュブリャナからブダペストの3種類のチケットを無事に購入出来た。帰り道、ワイフがリュブリャナ城を発見した。見学した。『1ヶ所でもリュブリャナ観光が出来、またその場所が良かったので充分満足出来た』帰り、ウィーンで失敗した『マクドナルドでの食事』も経験できた。
June 23, 2019
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ホテル ダニエル グラーツ2019年6月22日、土曜日。今日はグラーツに来て2日目。目標は『エッゲンベルク城を見学する』だった。生憎、朝から雨が降り出した。《藤井七段の王将戦一次予選決勝の勝利》を見届けた後、ホテルのビュッフェ形式の朝食を終えてから出かけることにした。 その前に『明日の鉄道を予約』することにした。駅はホテルの前にある。女性の係の人に絵を描きながら質問をした。「この『408』って何ですか?」簡単な事なのに、それが通じない。電車の車両が並んで、進行方向を示した絵まで描いて聞いたのに、きちんと説明してくれない。 そこでホテルの受付の人に聞いた。「プラットホームは、大きなボードで確かめてください」「408は車両の外に書いています」「座席番号は中に入って調べてください」何と分かりやすい説明か‼️『憤慨したり喜んだりの瞬間だった』トラムに乗ることにした。カードで買えなかった。買い方が分からなかったからだ。コインで買った。トラムに乗ったが、思うように行けない。ワイフが青年に声をかけた。彼の英語は分かりにくかった。その事を申し訳なさそうにしていた。『いやいやこちらが未熟で御免なさい』女性の運転手さんが「ここで降りて」とジェスチャーを混ぜて教えてくれた。雨の中、傘を差しながら目的の城まで行った。門の係の人が日本語版のパンフレットをくれた。「どうして日本人だと分かったんですか?」「中国人、韓国人、日本人が来るけど、日本人は『calm』だ」1時間ほど城の中を見学した。帰ろうとした時、20人程の観光客が雨の止むのを待っていた。40分程かけて駅まで少し濡れながら歩いて帰った。駅で晩の買い物をした。マクドに寄ろうかとも考えたが、早くホテルに帰りたかった。
June 23, 2019
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2019年6月21日、金曜日。 ヨーロッパへの出発前は、 『ハンガリー・オーストリア・ドイツと他1ヶ国』 を念頭に置いて旅行計画を立てた。主役は勿論ハンガリー。 ドイツやポーランドまで足を伸ばすと、ハンガリーまで戻るのに時間を費やしてしまう。どうする?? そこで今回は、アドリア海に抜ける道を考えた。クロアチアには行ってみたいが、今は世界的に人気が上がっているのでホテル代が高騰していると聞いた。予算に限りがある。そこで地図で調べると、『スロヴェニア』という国を知った。 『ここには海がある!!!』 いきなりは遠い。途中の都市で宿泊しよう。 今回の旅行では『1泊だけ』は避けることにした。最低2泊にすると、中日で宿泊した都市を観光できる。 『ウィーンとスロヴェニアの首都、リュブリャナには2泊しよう。中間の都市は・・・・。グラーツだ!!!』 調べてみた。グラーツはオーストリア第二の都市。観光名所が狭い区域にまとまっていて、2泊の旅行には好都合だ。 ホテルは駅に近い場所にしよう・・・・・・・・『ホテル・ダニエル』に決定した。 ウィーンからグラーツまでは電車で2時間半。ウィーン東駅で切符を買った。ウィーン西駅同様、きれいな駅だった。切符代は私のカードで払った。 2等の自由席を購入した。席が取れるかちょっと心配だったが、ヨーロッパの電車は結構空いているらしい。 車両に乗り込んだ。空いている席は結構多かった。中年の女性に聞くと 「出発するまではここに座っていたらいいです。もしもこの席の人が来たら、あなたは移動しなければなりません。出発まであと12分です」 「あと2分で、あなたはそこの席に座れますよ」 「ありがとうございます」 ・・・・・・・・あと2分。この2分が長かった。出発間際、小さな子ども連れの4人家族が乗り込んできた。私たちの席の前に座った。バギーを持ち込んでいたので、この席でないといけないようだ。席の後ろにバギーを置く空間があったから。ただ、嬉しいことに自由席の客だった。小さな男の子が2人。3歳と1歳半だった。1歳だろうな、と思い、 「1歳ですか?」 「1歳半です」 『そうなんだ。1歳と1歳半はこの歳の子どもにとっては大いに違う』 お父さんは巨漢だった。100kg以上はありそうだ。1歳半の子と目がよく似ている。ちょっとたれ目で、なんと虹彩が黄緑色がかった灰色だった。 お母さんは絶えず3歳の男の子に話しかけている。男の子がそれに反応し頷いている。 『こんなに丁寧に穏やかに多分理知的に話しかけられたら、きっとこの子はどんどんと賢くなるだろう。理想的な親子の関係だ』 オーストリア人なので、ドイツ語だ。 『これが英語だったら、私にとってとっても英語の学習になるのに・・・』 お母さんは「私もそんなに英語は得意ではないんですよ」と言いながらとても分かりやすい英語で話しかけてくれた。 子どもが「ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る・・・」 と歌い出した。 「どうして日本語の歌を知っているんですか!?」 「CDを持っているので、よく聞くんです」と母親。 するとワイフが、 「私、鈴を持っている」 彫り物模様が付いた一見豪華な鈴を出した。 「これプレゼントします」 と私。最初は恐縮していたが、喜んで受け取ってくれた。売り子から買ったお菓子を分けてくれた。 弟夫婦が赤ちゃんを産んだので、これから見舞いに行くという。 『2時間半乗り合わせた間に、最低20分は英語で会話が出来た』 グラーツで4人とは分かれた。 『ホテル ダニエル グラーツ』は駅のそば、1分以内で行けるとても便利の良い場所にあった。きれいなホテルだった。決して大きくない。『冷蔵庫とバスタブ』があれば不満が無いホテルの部屋だった。 バイキングの朝食を付けた。2日分で78ユーロ。私のカードで払った。ヨーロッパに来て一番美味しいと思った。ハムの種類が多かった。パンの種類も多かった。残念ながらパンは硬くて、私の好みでは無かった。ハムは日本で売られている普通のハムの方が良かった。 先ずは、グラーツ一の観光場所、『シュロスベルクの丘』に行った。ここに登るとグラーツの街が一望できる。トンネルをくぐってエレベーターに乗った。エレベーターから下りて頂上目指して歩いていると、『竹刀を片手に持った30代?の男性』に追い抜かれた。 時計塔その他を見学していると、頂上の芝生の上で裸足になり、木を相手に竹刀を振っているその男性にまた会った。 『どうしよう・・・・』 気になって仕方がない。近づくと相手がにこりとしてきた。 それから15~20分会話を交わした。私がある程度英語を話せると思ったのか、普通のスピードでたたみかけるように話しかけてきた。 《幸いなことに彼はブルース・リーを尊敬しており、私もブルース・リーによって自分に自信を持てるようになった過去を背負っているので、自分の思いの丈を英語で喋りまくった。 宮本武蔵も好きだったようだが、『五輪の書』という英語の言い回しが分からず、武蔵に関してはしくじった。アインシュタインを尊敬している話もした。彼は空手を教えていると言う。日本には来たことが無いが、いつかは訪れたいらしい》 彼が「ヘイ、ガール」と近くの芝生に座っていた女性に声を掛けた。 お陰で、3人並んで写真に収まることが出来た。 18日間のヨーロッパ旅行の中で【英語を話す】ということが特に楽しめた2つの出来事が同日に起こった、とても忘れられない一日になった。 グラーツの街では『サイクリングの大会』が催されていた。すでに終わった後で、川沿いに集まって皆さんビール等を楽しんでいた。花火も上がっていたような・・・・。 川の中に出来たカタツムリ型の人工物が異彩を放っていた。 帰り、雨が降りそうだったので折りたたみ傘をワイフが買った。これが次の日、とても役立った。
June 21, 2019
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この店でホットドックを食べた。日本大使館前で『雨宿りをする女』。シェーンブルン宮殿。ホーフブルク王宮。 2019年6月20日。木曜日。 昨日はホテルに辿り着くまでに難儀した。『地下鉄の繋がり』が良くわかっていない。折角72時間乗り放題のチケットを買ったのだから、兎に角出かけよう。 昼から出かけた。目的地は『シュテファン大聖堂』。 目的地は全てワイフが選んでいる。彼女は7年ほど前に1人でウィーンを訪れている。きっとその足跡をなぞりたいのだろう。 『地下鉄の路線を東西南北を見極めて、簡略図ではあるが長さや路線の形を意識した上で、路線ごとに色分けして紙に書き込んだ』 《東西南北を意識して行動すると、人生経験から道に迷うことが少なくなる》 シュテファン大聖堂は部分工事を行っていた。交差している大通りが人で混雑していた。午後8時になっても明るい。高緯度の夏至に近い夏はちょっと雰囲気が違う。 マクドに入った。タッチパネルを使っての注文だ。やり方が分からなかった。店員から直接買おうとしたら、頷いてくれた。しかし、すぐさま奥から上司が出てきてその店員は厳しく怒られていた。 『申し訳ないことをした』 20分ほどいろいろと回って、結局は屋台のホットドック屋でホットドッグと飲み物を買った。実に美味しかった。でも、最後の方はマスタードばかりだった。 『ケチャップの方がまだ食べやすかったかな??』 今(すでに7月8日。思い出しながらこの記事を書いている)となっては細かいことは忘れてしまった。それ故、何を残しておきたいかはすっきりしてきた。 20日、木曜日。 今日の目標は『シェーンブルン宮殿』に行くこと。 宿の近くにもトラムが走っていた。調べてみると、トラムがウィーン市街を縦横無尽に走っている。これを使わない手は無い。しかも、2~5分経てば次のトラムがやってくる。 『地下鉄とトラムを活用すれば、ほとんどの場所に行ける』 『アパート→U6で6駅→トラム60で8駅・・・徒歩2分→シェーンブルン宮殿』 これに駅名と線路の略図を書き込んだ紙を頼りに出かけた。予備にスマホに『スクリーンショット』を写している。 シェーンブルーン宮殿は人人人だった。団体客が多い。団体客と言えばアジア系だというイメージが強かったが、ここはヨーロッパの名だたる観光地。ヨーロッパ中から団体客が訪れても不思議ではない。 2人連れの東洋人は『日本人かな??』と思ってしまう。関空とは違い、さすがここまで来ると、中国人はそんなに多くは無かった。それでも30人ほどの団体客と出くわした。 『ここまで来た以上は宮殿内を見学しないと!!!』 チケット発売機が思うように作動しない。 ちょっと休憩。屋台で2回、食べ物を買った。 再度、挑戦。でも買えない。日本人の母娘が買おうとした。買えない。娘が係の人に質問するとどうやらその機械は壊れているらしい。 チケット売り場は入り口左方にあると言われた。この場所は最初に私がワイフに「あそこがチケット売り場じゃないか?」と言って否定された場所。 そのまま強引に行けば、90分という時間を無駄にせずに済んだのだろうか・・・・。 ぎりぎり私たちは『午後3時10分』のチケットを買うことが出来た。残念ながら、直後に並んでいた母娘は買えなかった。 「今日はコンサートを聴きに行かないといけないので、明日また来ます」 とのことだった。優雅な旅行をしているようだ。 シェーンブルン宮殿を見学した後、《ホーフブルク王宮》に行った。これで私たちの私見だが、ウィーンの3大観光地を見学したことになる。 ホーフブルク王宮を見終わったあとから、ポツポツと雨が降り出した。 地下鉄に乗った。そこを降りると、大雨。 30分待った。歩くと日本大使館の前に偶然出てしまった。記念写真を撮った。 それ以降の行動記憶は、すべて消えてしまった。
June 20, 2019
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ロンドンヒースロー空港。ロンドンヒースロー空港で食べた。2019年6月18日。ヨーロッパ旅行初日。家を6時15分に出発。鞄が多いので、先にワイフと鞄を駅まで送った。少し遅れたせいで、1本、電車が遅れた。それが幸いし、途中で特急に乗り換えることが出来た。お陰で、多くの荷物を持ったが故の他の乗客への気遣いが減った。飛行機は2本を乗り継いだ。どちらもブリティッシュエアウェイズだった。最初の飛行機は横3席×3の飛行機だった。ワイフが窓際で私が真ん中だった。右端は日本人の年配の女性。イギリスの語学学校に数ヶ月留学したことがあるらしい。よく、海外に出かけているようだ。 綺麗な飛行機だった。新しい機材が入っている飛行機だと思う。確証は無い。20年前に札幌まで乗った切りだから。2回食事が出た。スタッフは『イギリス人』という見かけの人ばかりだった。飛行機を降りてからのチェックは厳重だった。ベルトまで外すように指示された。ロンドンヒースロー空港で『4時間半』も次の飛行機を待った。今度は3席×2の飛行機だった。古い感じがした。日本語を話す人は私たちを含めて4〜5人だったような気がする。《ヒースロー空港から後は、異国の地に踏み入れた感一杯だった》ブダペストの空港で娘が待っていてくれた。シャトルバスで20分。『エアポートホテルブダペスト』に泊まった。ホテルの受付の女性に《ポケトーク》を使ってハンガリー語で挨拶した。ニコッと笑って貰った。 既に午前1時を回っていた。2時間程して、やっと寝ることが出来た。6時起床。シャワーを浴びた。7時前にはホテルを出た。シャトルバスでブダペスト東駅まで行った。この駅はとても古かった。トイレを使うのに『1ユーロ』払った。中が真っ暗で、扉を少し開けて用を済ませた。ワイフに聞くと、電気のスイッチがあったらしい。娘にウィーンまでの切符を買って貰った。娘とはここで別れた。大学の卒業生6人で、卒業旅行に出かけた。8時40分発の2等の指定席に乗った。途中で切符のチェックを受けていた人もいたが、私たちは受けなかった。次の停車駅で若いカップルの美男美女と乗り合わせた。ハンガリー人だった。ウィーンまで2時間半程かかった。ウィーン西駅はブダペスト東駅とは比べものにならない程、人が多く都会的だった。 それからホテルまでが大変だった。駅員さんに尋ねるとトラム18がベストだと言う。でも、その時はトラムの便利さが分かっていなかった。地下鉄を3本乗り継いだ。最後の1本は自分でドアを開けなかったので、乗り過ごしてしまった。でも、1駅だけだったので、直ぐに引き返すことが出来た。 ホテルは普通のアパートだった。ベッドルームは小さかったが、リビングは20平米はありそうだった。3室あった。『鍵を預かり、勝手に過ごす』パターンのホテルだ。《金を余り掛けずに長期滞在するには相応しいホテル》だと思える。ただ私は精神的にも肉体的にも若さを失っている・・・そう思ってしまった。『このホテルに辿り着くまでにこんなに苦労するなら、ヨーロッパにはもう来ない!』そう思ってしまうのだ。今これを書いている。少し気持ちは和らいだ。これから『72時間乗り放題の地下鉄』に乗り、ウィーンの中心地まで夕飯を食べに行こうと思っている。
June 20, 2019
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眼下に見えるのは『明石海峡大橋!?』西に向かって飛んでいるので、いつまでも昼間だった。ロンドンヒースロー空港。2機目の飛行機でブダペストに向かった。眼下はブダペスト。ドナウ川。ブダペスト空港ホテル。バスタブは無かった。なかなか洒落たホテルだった。 2019年6月19日、水曜日。 この記事は7月8日、月曜日早朝に思い出しながら書いている。次回の記事とダブっている部分があることが分かった。でも、このままブログに載せようと思う。 先ずは、昨日18日のことについて軽く触れておこう。 18日は、娘の《セゲド大学医学部卒業式に参列》することをメインに据えた、18日間の長期に及ぶヨーロッパ旅行に旅立った。 関空(KIX)11時55分発のブリティッシュエアウェイズに乗った。キャビンアテンダントと男性の乗務員は全員『イギリス人!?』という風貌の人たちだった。 『いよいよ異国の地に旅立つんだ・・・・』 一気に別世界に旅立つ好奇心とちょっとした不安が心を占領した。 私は30数年前の新婚旅行でハワイに行って以来、外国に旅立った事はない。ワイフにとってもそれが初めての海外旅行だった。しかし、ワイフの場合は、私の寛大さも含めて7ヶ月は海外で暮らしている。 何も私が海外旅行を嫌った訳ではない。一馬力で働いている我が家にとっては、2人分の旅費は出せなかったのだ。 実際10泊11日の長期に及ぶ、帰省を含めた貧乏旅行は複数回実施しているし、主に3泊4日、お金が厳しい時は2泊3日の国内旅行は毎年のように行った。5泊6日や7泊8日の旅行も中には経験している。 12時間20分のフライトを経てロンドンヒースロー空港に着いた。ターミナル5からターミナル3へバスで移動した。人が一杯だった。白人、黒人、アジア系・・・いろいろな人種が混ざっている。 『これが映画やドラマでしか味わったことのない別世界なんだ!!!』 人種のるつぼの中で4時間30分を過ごした。 ブダペスト行きの飛行機に乗り換えた。横1列が3席×3だった大型機から3席×2の中型機に替わった。 『なんとなく混んで居る・・・・』 一見日本人だと思える人は極端に減り、私たちを含め4人~6人になった。 0時15分、ブダペスト着。ブダペストまでの飛行は2時間30分だった。 ブダペスト空港で娘が待っていた。シャトルタクシーに乗り空港ホテルに着いた時は、午前0時を回っていた。 《日本とハンガリーの夏時間は7時間の時差がある》 すぐには寝付けなかった。多分3時間ほどの睡眠時間だったと思う。
June 19, 2019
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2019年5月10日、金曜日。5時58分起床。体重74.4g。 快晴。 久々に散髪に行った。3500円。マスターの長女が初孫を生んだという。いろいろな話をする中で言われた。 「和泉市にトンネルが出来て高野山に行き安くなりました。○○さんはどこから行ってますか?」 「私は3つのコースで行ったことがあります」 「橋本ですか?」 「橋本は最初の方で、次は線路沿いの道に代わり、10年ほど前からは一番西のコースです」 「新しいコースが出来たんですよ。和泉市にトンネルが出来て・・・・」 ・・・・・・・・? 『このコース・・・・私の3番目のコースじゃない!!??』 確かめたくなった。 今日は、『371号線のバイパス』を確かめるつもりだった。それに『道の駅 柿の郷くどやま』に近々行く予定にしていた。『道の駅 柿の郷くどやま』は2016年に2回訪れている。 《大河ドラマ 真田幸村》で人気が頂点だった年だ。 ヨガから帰ってきたワイフと一緒に出かけた。 橋本から無料の高速に乗った。高野山に行くときは2つ目のICで下りる。今日もそうした。 『やはり・・・・』とは思ったが、『道の駅 柿の郷くどやま』からは離れてしまった。 国道24号線をしばらく西に走っていると、 『道の駅 紀の川万葉の里』を発見した。ここは初めてだ。24号線は何度か走ったことがあるので横は通っているのだが、認識したのは初めてだ。 和歌山には平野がほとんど無い。開けているのは紀ノ川沿いぐらいだ。『道の駅 紀の川万葉の里』は紀ノ川沿いにあるので、山々に挟まれて狭いながらも『ちょっと開けた感』を味わえる貴重な場所だと思った。 ここでパンや飲み物、柿の葉寿司、干し柿、生椎茸、タケノコを買った。 30分ほど休憩して、次の目標である《トンネル探し》に出かけた。調べると【国道480号線】に出来ているみたいだ。 最初は狭い道だった。若い頃はぎりぎり1車線の道路もよく通ったものだった。でも、今はそんな気にはなれない。 しばらく細い道を走っていると、右折方向に位置する橋に出会った。渡ると480号線から逸れることになる。 『どうもこの橋を渡った方がよさそうな気がする』 正解だった。橋を渡った所から《新480号線》が出来ていたのだ。 途中、新しく出来た《道の駅 くしがきの里》に寄った。 『新築はいいなア!!!』 ここでも私だけで1500円ほど買ってしまった。ワイフはワイフで買っていた。巻きずしも買った。 《確かに新しく出来た道は幅が広くて走りやすい》 私は30歳で免許を取った。それからしばらくはドライブにはまった。大阪から和歌山に抜ける道路は全て運転した。 国道480号線も狭かった筈だ・・・・。 今日、発見したコース。ちょっとした小旅行を味わえるコースのようだ。
May 10, 2019
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昼食は『サガミ』で食べた。サガミは初めてだった。美味しかった。夕食は『長次郎』で食べた。長次郎は初めてだ。ネタがいいだけあって、『くら』よりも少し高かった。Sさんからプレゼントされた。日英両方の言語で書かれている。1300円×1.08伊賀忍者村の隠し戸。逃げるときに使う。右端が『回転隠し扉』。覗き棚。地下道の入り口。裏庭。伊賀上野城天主閣。1階のフロア。 2018年5月26日、土曜日。5時12分起床。体重75.9kg。 快晴。 今日は、Sさん夫妻と『伊賀忍者村』まで小旅行に出かけた。 Sさん夫妻と会ったのは、正月3日以来。長期間連絡が無かった。なんと職場で肩を痛め、入院手術したとか。 Sさんは元々鉄工所を経営する社長の息子だった。会社は姉婿が後を継ぎ、一旦潰れた会社を復活させたらしい・・・・。細かいことは覚えていない。 大事な片腕だと期待されていたのに、体が言うことを聞かなくなった。 『相当悩んだ末、なんとか自分の意思を押し切って、この度退職したとか』 私と同い年なのに・・・・肉体労働をよくも頑張ってきたものだ。 大手の下請けの会社だが、手がけた仕事で出来上がった作品は、あちこちで見受けることの出来るものだ。 私の好きな『ららぽーと和泉』にもSさんが手がけた仕事の作品を目にすることが出来る。 1ヶ月前から、今度会いましょうと連絡が来ていた。 《伊賀忍者村》に行くことにした。 『なんだか好みが合うなア・・・・』 と思っていたら、私が調べたいくつかの案をワイフがSさんの奥さんに連絡していたとか。 尚、雨だったら近場でランチをすることになっていた。 天気予報では一日快晴。 9時45分、家を出た。途中ガソリンを入れた。 10時15分、Sさん宅着。すぐに出かけた。私の車で行った。 11時50分前後、伊賀市の中心街に着いた。伊賀上野城周りの駐車場はどこも満車だった。 『それにしても超人気!!!』 と思っていたら、城に隣接する小学校が運動会をやっていた。 合点がいった。 先ずは昼食を食べることにした。Sさんと奥さんの希望で、『サガミ』にした。 ここの料金は、私が車を出したということで、Sさんが持った。 車は城北駐車場に停めた。500円(平日は無料)。その駐車場を見かけた瞬間、 『あっ、ここはハーフマラソンを走りに来た時に停めた駐車場だ』 明くる日、過去の日記を調べたところ、少なくとも3回はここでハーフマラソンを走っている。1997年・・・・中山竹通氏と一緒に写真を撮り、Tシャツにサインして頂いた。当時のクラスのT男は3kmの部に参加。気持ちを抑えられるよう、マラソンを頑張ることを両親に提案。両親が連れて来た。彼とは明くる年の元日に滝畑ダムの周りを2人きりで走っている。 1998年・・・・91分18秒・・・・当時の自己記録 この年は娘が小学校1年生。ワイフと一緒に3kmのファミリーマラソンに出場していたようだ。 日記を見て分かったことだが、私の人生で一番マラソンにのめりこんだ年だったようだ。 例えば、 11月1日・・・・吉野川ハーフマラソン(ハーフマラソンに参加) 11月22日・・・福知山マラソン(フルマラソンに参加) 11月29日・・・上野Cityマラソン(ハーフマラソンに参加) 12月6日・・・・イングスマラソン(万博で開催。5kmに参加) 5kmの部は500~1000人が参加をしており、競技場を出るときは1番だった。 「上位4名が競技場を出ました」・・・・とアナウンスされたらしい。550mで3人に抜かれた、と書いてあった。競技場を出るまでは1番だったので、娘が飛び跳ねて喜んでいたらしい。折り返しで13位。最終は16~18位だった。 1999年・・・・上野Cityマラソンに参加。『詳しくは別頁に記載』と書いてあった。 別頁が見つからない。 《伊賀忍者村・上野城天主閣・だんじり会館》の3か所を見学できる入場券を買った。1500円×2 この券を買って良かった。3点セットを回ったおかげで、ここに来た値打ちが倍以上に膨らんだ。 伊賀上野城は築城の名手であった藤堂高虎が筒井氏の城を立て直した城。五重の天守閣は1612年の暴風雨で倒壊したとか。その後は立て直されることが無かった。 そして、昭和30年代だったか、山林王の尽力で木造の三重天守閣が建てられた。 木造は維持が大変だけど、やっぱり値打ちがある。 『戦国時代や江戸初期の天守閣と違い、天井が高いようだ』 17時半頃、富田林の『長次郎』で夕食。 Sさん宅で90分ほど休憩をした。 20時50分、帰宅。 伊賀忍者屋敷は外国人にも人気があるようだ。数十人の外国人に出会った。
May 26, 2018
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2018年5月7日、月曜日。6時00分起床。体重76.4kg。 雨。 約10日前、『滋賀県で1泊旅行』を考えた。 琵琶湖に面した『彦根ビューホテル』に予約した。 値段は2人で11440円。朝食バイキング付き。 最初は名古屋と岐阜まで行き、 信長の居城跡 7日・・・・勝幡城址⇒那古野城⇒清須城⇒小牧山城⇒岐阜城 8日・・・・安土城祉 を散策するつもりだった。 『ちょっと無理があるなァ・・・・』 名古屋岐阜方面はいずれ2泊3日の旅行を考え実施することにした。 昨日の段階では、 7日・・・・長浜まで行き、 1.長浜鉄道スクエア 2.黒壁スクエア 3.ヤンマーミュージアム 4.国友鉄砲の里 8日・・・・安土城祉・信長の館・信長博物館・観音寺城祉 に行く予定を組んでいた。 起床後確認。 『大阪は一日雨だが、彦根近辺は昼間は6mmの雨』 『栗東のモールにでも行くか・・・・』 ワイフが起きて来た。協議の結果、旅行は中止になった。 かつての旅行で、 1.大分有料道路湯布院付近で・・・・夜間に霧が張り、前方が全く見えず、トラックのすぐ後ろをテールランプを頼りに運転したことがある。 2.福井県の恐竜博物館から京都の竹野海岸休暇村に行く際、高速道路を走行中大雨に会い、前の車の水しぶきで運転が困難だった・・・・嘘みたいな話・・・・という経験がある。 大谷が3勝目をあげた。 藤井六段の対局もある。 もう大谷の試合は終わったけど、藤井六段の対局はこれから。 『ワイフも行きたくなさそうだし、雨の中を動き回るよりも藤井六段の対局をチラチラ見ながら勉強するほうがマシだな』 キャンセル料は80%。 9152円は損したが、代わりに『金閣寺』の勉強がしっかり出来たなら、ずっと役立つことになる。 気を引き締めて勉強しよう。
May 7, 2018
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シフォンケーキは一口だけ食べた。スタバだけでは足らないので、私が作った。スタバに負けないつもりで珈琲を入れた。3杯分のコーヒー豆を使い、2杯抽出した時点で抽出を止めた。紙フィルターも事前に湯通しした。『マイルドで美味しい』珈琲が出来た。カップも薄いものにした。夕食。 2018年2月15日、木曜日。7時03分起床。 曇り、時々小雨。 昨日のバイトの際、応援のライトさんから情報を得た。 「槇塚台にスタバが出来てます」 私はスタバが大好きだ。なんだか心が浮き浮きしてくる。 昼過ぎ、我慢が出来なくてワイフと一緒に出かけることにした。道をちょっと間違い、40分ほどかかって着いた。 混んでいた。なんとか2人用のテーブルが取れた。珈琲を飲んで軽く食べるつもりだったが、ワイフが「昼がまだ」というので、サンドイッチとホットドッグ型のパン、そして店員に勧められたシフォンケーキを注文した。締めて2386円。 『えっ、高いんじゃない』 スタバの雰囲気はスタバらしくて、とても良かった。でも高すぎる。ホットドッグの中身がポロポロとこぼれ落ちた。 『同じ値段だったら、絶対にコメダ珈琲の方がいいよな。でも何故スタバにこんなに憧れがあるんだろう・・・・』 記憶している限り、スタバを利用した場所は『関空の1階と4階』、そして山陽自動車道の『三木SA下り線』だけ。他に知っている場所で店の前を何度も通ったことがあるのが、『ららぽーと和泉』。 関空に行くと毎回のようにスタバを利用する。 1.娘を見送るとき・・・・4階のスタバ 2.娘を迎えに行ったとき・・・・1階のスタバ しかし、ららぽーとのスタバには、それほどの興味が無い。 『何故?? 混んでいるから??』 否、・・・・。理由が分かった。 関空では必ず、他の店で夕食を済ませている。スタバは時間つぶしに寄っているだけだ。一方ららぽーとでは、『フードコート』に寄ってしっかりした食事を摂りたくなるのだ。 そして、旅行の際に寄るスタバでは、SAごとにちょこちょこと何かを食べたり飲んだり休憩したりしているので、『食事を摂らなければ』という意識から解放されている。 多分だがもう槇塚台のスタバに行くことは無いだろう。ガッツリ食べたくなったときは『コメダ珈琲の照り焼きチキンサンドとたっぷり珈琲』の方が私の胃袋と食後の満足感を満たしてくれるに違いない。 参考までに 1.コメダ珈琲の照り焼きチキン・・・・760円(税込み)。 1.5倍珈琲・・・・520円。 2.スタバのサンドイッチ・・・・税込み約605円。 2番目に多い珈琲・・・・約389円。 ただ、スタバ君、関空や旅行の際はお世話になりますヨ。旅情をかき立ててくれるから。
February 15, 2018
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和歌山城の大天守は三重。1階部分の床面積は広い。手前は小天守。パンはお代わりが出来た。3種類のパンを1個ずつ食べた。3人はメインディッシュに『肉』を注文した。『魚・・・タイ』を注文したのはワイフだけだった。昔の石垣が一部だが残っている。和歌山城内から見えたダイワロイネットホテル。奥に見えるのが、滝。ららぽーとのフードコートでは、最近『野菜たっぷりちゃんぽん』を注文することが多い。 2018年2月11日、日曜日。5時55分起床。 快晴。 寒かったが、太陽が顔を出していたので、なんとか我慢が出来た。 弟夫妻が『和歌山旅行』に来る。岡山市から1泊2日。 今日は母の命日。旅行と言うよりも墓参りが主とも考えられる。 弟が再婚してから、弟夫妻とはちょくちょく会っている気がする。 『人生を二度楽しんでいるのだろうか・・・・』 泊まるホテルは『ダイワロイネット和歌山』。グーグルマップで調べた。 和歌山城の真北。正に和歌山城を自分の庭に取り込んでいるような立地条件だった。 11時42分に家を出た。無料の高速『京奈和自動車道』を通った。橋本ICから乗り入れた途端、正面衝突をした2台の車、パトカー、救急車が停まっていた。 『黒い軽自動車、もしかして対向車線からつっこんで来たのかな??』 場所は、《陸橋》の上だった。 『道路は凍っているようには思えない。だったら突風にハンドルを取られたのだろうか。帰りは金がかかっても『阪和道』を通ろう』 12時43分、ホテル前に到着。近くの市営の駐車場に停めた。800円。 ホテルに行った。時間を経ずして弟夫婦に会った。 ランチは、違うホテルだった。10分ほど歩いていった。幸運なことに、和歌山城の外堀沿いを歩くことが出来た。 着いた場所はワカヤマ第2冨士ホテルの2階にある『アミティエ』というフランス料理の店。一皿一皿の量は少ないのだが、最後は充分満腹感を味わえた。それ以上に、とても美味しかった。プラスα、 《フランス料理は高級感に浸れる》 思い返せば・・・・私は自分の意志でフランス料理を食べに行ったことが無い。 食後、和歌山城まで歩いた。和歌山城には2年前の2016年1月16日に初めて行ったことがある。その日は娘を姪夫婦が住んでいる社宅まで送って行ったのだった。20分ほどおじゃまして、私たち2人だけが先に帰った。帰りに和歌山城を見学したのだった。 私は城が好きだ。一番好きなポイントは《石垣と堀》。この観点からすると、徳川大阪城が唯一無二の城だと思っている。 《切り込み接ぎの石垣が見事。しかも各地の大名が我こそはと競い合って築造した天下普請だけのことはあり、巨大な石が揃っている》 それに比べ、和歌山城は『結晶片岩を野面積みした部分が多い。しかも一番肝心な天守部分がそうなっている』 でも、これは仕方のないこと。最初の城主が秀吉の弟、豊臣秀長。彼は大和郡山にも城を持っていた。両方合わせて100~110万石の大大名だった。 残念なことに秀吉が天下を統一した翌年の1591年にこの世を去った。 天下統一の前に建てられた城だから、石垣の格好良さなど望むべくも無かったということだ。 『二度と和歌山城に来ることはない・・・・』 確かその時は、このような感想を持った筈だ。 だが今回、いいものを見た。それは二の丸庭園にある池。帰宅後調べてみると、内堀と繋がっているようだ。 秀吉の大坂城には、『山里丸』という郭が本丸の北側にあった。この場所には日本庭園が施されていたようだ。今の大阪城にはそれが無い。ちょっと残念。 和歌山城の二の丸庭園にある池にはちょっとした滝があり、そこから水が流れている。 和歌山城は『平山城』と言えるかも知れない。数十mの小山を中心に造営されている。 『その部分に蓄えられた水がわき出ているのだろうか??』 ポンプの無かった当時、高所の土地を備えていない限り、滝が出来るなんて考えられない。 和歌山城に新たな疑問が生まれ、ちょっと楽しくなった。 見学料410円×4は私が払った。 午後4時27分、弟夫婦と別れた。 帰りはららぽーとに寄った。コストコで買い物をしようとしたら客が屋外に並んでいた。コートは車の中。寒いし人が溢れているコストコに入る気がしなかった。 『フードコート』で食べて帰った。最近凝っているのが『野菜たっぷりチャンポン』。 充分満足して帰路についた。 午後7時10分頃帰宅。
February 11, 2018
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下津井から撮った瀬戸大橋。『コンフォートホテル岡山』の朝食バイキング。私が配膳した。ワイフが配膳した。弟の家でくつろいだ。みかん大福。初めて食べた。 下津井亭。岡山イオンモールの『神戸元町ドリア』で夕食。私が注文した。ワイフが注文した。娘が注文した。 弟夫妻から頂いた桃。娘に5個渡した。 2017年8月12日、土曜日。 晴れ。 8月12日、土曜日。 『コンフォートホテル岡山』の宿泊者は『若かった』。小さな子ども連れの家族や、大学生らしく(見方に寄れば高校生?)見えるカップルが数組。 9時半、ホテルを出た。 弟のマンションまで行った。『毎年、桃』を頂いている。今回は宅配ではなくて直に受け取れる。90~2時間、弟のマンションでゆっくりした。 「今日はどこに行かれます?」 「倉敷にでも行こうかな、と」 「鷲羽山にタコの美味しい店がありますよ」 別々に下津井まで出かけることにした。娘を岡山大学まで迎えに行った。 下津井亭・・・・弟の奥さんは顔が広く、無理が利くとか。確かに食べている最中、予約無しの客は断られていた。 《タコの専門店らしくタコ尽くし》だった。 私はタコのコリコリした食感が大好きで、大満足だった。 ワイフと娘は美味しかったとは言っていたが・・・・「でも、タコばかりだった・・・・」 続いて、元廻船問屋の見学をした。今は博物館になっている。無料だった。そこで、タケシの番組にも出場したことのある新進気鋭の画家『早乙女真悟』という人に会った。15分ほど本人やスタッフと一緒に過ごした。 この後、弟夫婦とは別れた。 これから出かけるには時間がない。岡山駅のそばにある『イオンモール』まで出かけた。 2人とは別行動。私はただひたすら歩いた。 夕方6時、今回の旅行最後の夕食となった。 『神戸元町ドリア』というドリアの店に決めた。『おばんざい食べ放題』が気に入った。その中のサツマイモが気に入った。 「もしかしたら、今日は無いかも知れへんで」 私はビーフシチューのドリアにした。ドリアそのものは途中で飽きたが、おばんざいとドリンクバーは満足した。 娘を岡山大学まで送って行った。 19時45分、岡山大学津島キャンパスを後にした。 100分車を走らせ、50分間、三木SAで休憩を取った。それから100分運転。 23時56分、帰宅。 空いてはいなかったが、停滞を起こすほど混んではいなくて、遅くても時速80kmで走ることが出来た。 『実質の運転時間は3時間20分』・・・・岡山を身近に感じた。 1.岡山市は瀬戸内海が近い。 2.四国にもすぐに渉れる。 3.学生の街で活気がある。 4.自転車に乗っている人が多くて、自転車で動き回れる。 5.県庁所在地だけのことはあり、とても便利がいい。 6.少し離れた場所に小山があり、自然に囲まれた雰囲気を味わえる。 《岡山市に住もうか・・・・・・・・》 娘に、 「岡山の病院につとめたらどうや?」 「岡山はいいとこヤ。でも、静岡もいいよ」 「そうか、静岡か・・・・。富士山が見えるしいいとこやな」 若い者はこれから人生が拓ける。 住む場所を自ら選べる仕事に進ませたことは良かった・・・・今はそんなことまで思っている。
August 12, 2017
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『一鶴 丸亀土器川店』で夕食。弟夫婦に招待された。焼き鳥は好きだが、こんなに美味しい焼き鳥は、すぐには思い出せない。『心太専門店 清水屋』で。与島に寄って、ソフトクリームを食べた。『鎌田醤油』本社工場前の売店。『岡山シティホテル厚生町』の朝食バイキング。私が配膳した。2回目。 こちらはワイフ。11日の夕食。『RYOUTEI』にて。娘も招待された。 2017年8月10日~12日、木~土曜日。 晴れ。 娘は今、岡山大学医学部で4週間の外科研修を受けている。岡山大学での研修が決まった時点から、私たちの夏の旅行は『岡山方面』に定まった。 岡山市には弟夫婦が住んでいる。弟の勤めている会社の支店が岡山にあるので、弟は40年近く前から岡山に住んでいる。 今回の旅行の主目的は『娘と弟夫婦に会う』ことだった。 10日、木曜日。9時28分、出発。 道路がとても混んでいた。高速に乗るまでに45分もかかった。高速に乗ってからがまたのろのろ運転が始まった。近畿道は普通に流れたが、名神に入ってからはさっぱりだった。 『平日なのにどうしてこんなに混んでいるんだ?』 理由が分かった。11日は今年から『山の日という祝日』になっていることを初めて知った。 『だから娘も3連休になったのか・・・・』 そこまで思考が回らないのが老いた証拠だ。 岡山市を中心に活動する場合は、宿泊先は『岡山シティホテル厚生町』に決めている。このホテルに泊まるのは、今回で5回目。去年は7月と11月にそれぞれ1泊ずつした。 《私は一旦気に入ると、他に目を向けようという気持ちがなくなってしまう》 15時30分にホテルで義妹と会う予定にしていた。 道が混んでいたので、実際ホテルに着いたのは15時42分だった。急いでチェックインを済ませた。待っていた義妹に会ったのは15時52分だった。 弟は愛媛で仕事をしている。今日は盆休みの前の最終日だった。義妹の運転で瀬戸大橋を渡って坂出市まで行った。 待ち合わせた場所の隣が『鎌田醤油』だった。我が家では30年以上、『鎌田の出汁醤油』を使っている。留学している娘もこの醤油を使っている。 『こんな場所に本社工場があったんだ!!!』 入り口に販売店があった。勿論、喜び勇んで飛び込んだ。4本セットを買った。 『心太 清水屋』に連れて行ってもらった。普通に美味しかった。 夕食は『一鶴 丸亀市土器川店』で食べた。今日を含め、3日間の食事は全て弟の招待だった。私は一銭も払っていない。 一鶴は『骨付き焼き鳥』の専門店。 《こんなに美味しい焼き鳥は食べたことがない》と思えるほど、美味しかった。 『私は肉の中で、牛タンの次に焼き鳥が好きだ』 あこがれの四国に渡れたし、大好きな焼き鳥を口に出来た。言うこと無し。 与島に寄って、ソフトクリームを食べてから帰った。ホテルまで送って貰った。 『岡山シティホテル厚生町』で気に入っていることが6つ。 1.リーズナブル。 2.朝食バイキングが充実している。大きなホテルに比べてコンパクトだが、味といい品揃えといい、食堂のゆったりさといい、値段を考えれば充分満足できる。 3.駐車料金が無料。24時間営業のパン屋(お酒や飲み物も置いてある)がホテル内にある。 4.決して広くは無いが、部屋に狭さは感じない。 5.車での移動を考えると、立地条件がいい。 6.ビジネスマンの利用者が多く、落ち着いている。 今回は楽天ポイントを1500円使ったので、9300円で済んだ。 8月11日、金曜日。 娘となかなか連絡が取れなかった。聞くと、午前5時に寮に帰って寝たとか。昨日は岡山大学医学部の先生達が懇親会を開いてくれたとか。週に一度、火曜日にあったらしいが、今回は明日が休みだということもあり、木曜日になったとか。研修医のある先生が酔いつぶれて、4人で住まいまで4人で連れて帰ったら、鍵を無くしていたらしい。仕方がないので、大学病院まで連れて行くと、今度は岡山駅の道路で酔いつぶれて寝込んでいる若者に会ったとか。そばに居た仲間に介抱の仕方を指導したとか、言っていた。 『ああ、青春をしている・・・・』 弟夫婦から『道の駅 笠岡ベイファームのひまわり畑が見事だ』と言われた。そこと『福山城』を見に行くつもりだった。福山城は老中阿部正弘が城主だった城。駅前のホテルに泊まったことがあったが、見学していなかったので気にはなっていた。 出発が13時頃になった。福山城は諦めた。 『道の駅 笠岡』はとても混んでいた。ひまわり畑は広大だったが、7、8割のひまわりが首を垂れていて『大したことはない』というのが、正直な印象だった。 娘が『お金がない』と言ってきた。3万円を渡した。 私に余裕があるときは、 『生活費の通帳の残高が100万円を切らない』ように意識していた時もあった。 でも、こちらも無職になり《金欠》が甚だしい。 今日泊まるホテルは『コンフォートホテル岡山』。 自前の駐車場が無く、部屋は狭く、無料の朝食バイキングは付いてはいたが、テーブルが狭くていろいろと並べることが出来ない。食堂が狭くて落ち着かない。宿泊費はシティホテル厚生町よりも高い。 『今回が最初で最後だな』 夕方、弟夫婦が迎えに来てくれた。今日の夕食は 『ROYTEI』 という店だった。とても美味しかった。 娘は、この店でも先生方の接待を受けた、と言っていた。
August 10, 2017
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石舞台古墳前芝生広場。 芝生広場前の店で。ここに来ると「ソフトクリーム」を買うことが多い。大阪側から見た金剛山と葛城山。奈良県の山。○○食堂はチェーン店。私が注文した。ハズレがない。ただ、期待度も少ない。ワイフが注文した。談山神社。 2017年2月19日、日曜日。5時49分起床。体重74.6kg。 雲がほとんどない快晴で暖かい一日だった。 富田林POまで行った。電車で行った。河内長野駅で近鉄線に乗り換えた。「近鉄長野線は全部?の区間が単線で、とてものんびりした雰囲気を味わえる。 10時21分、富田林PO着。 『集合は11時』の筈だったが、すでに始まっていた。 今日は『河内長野シティマラソン』の開催日。この日は雪が降ったりすごく寒かったり、天候に恵まれないことが多いのだが、今日はポカポカ陽気だった。 私は3年連続エントリーしていたが・・・・3年連続走らなかった。 用事が早く済んだので、会場を訪れた。幸いなことに、昔のマラソン仲間のI先生とK先生に会うことが出来た。どちらも堺市立御池台小学校の時の同僚だ。 一緒に駅伝に出たこともある。堺市泉北『◯◯周年記念大会』だった。その駅伝では 《ペアでハワイ旅行に2番くじで当たった》 当時は「総見寺走友会」のメンバーは多く、家族や応援団も含めると20人を超えるメンバーが応援に来ていた。 第一走者はU先生。彼は河内長野マラソン10kmの部で優勝経験があるほど、俊足だった。9番で帰ってきた。 第二走者は私だった。スタート直後、一気に5人抜いた。4番まで上がった。1人5kmのコース。私は最初の1kmだけだと3分を切るスピードで走ることが出来ていた。そのときは、駅伝だったので、普段の5kmよりも気合いが入っていたのだろう。 5人を抜いてからは本当にしんどい残り4kmだった。 残り1km辺りになってから、ひたひたと後ろの走者の足音が聞こえてきた。 『抜かれまいと必死だった』。 1人だと諦めてしまう5km走でも、駅伝になるとこんなにしんどいんだ・・・・。 頑張ったが、最後には抜かれてしまった。 5番目で第三走者に渡した。 最終的には「28番」あたりまで落ちてしまった。これは仕方のないことだった。 発表は午後からだった。発表を聞いたらすぐに帰れるように、会場から少し離れた場所でアナウンスを聞いていた。 「当選のチームを発表します」 「なーんだ。はずれた」 応援してくれた仲間にお礼を言い、すぐにその場を立ち去った。 するとどうだ。 次の日の月曜日。全校集会の時に、当時4年生だったNT子が、 「先生。当たったのに‼︎どうしたのよ!!!」 と声をかけてきた。1番クジに当たったチームがその場に居なくて、再度クジを引いた時に私たちのチームが当たったようだ。会場で聞いていたら、外れた放送を聞いて解散したとしても、2番くじの発表は聞こえた可能性が高い。走友会以外の職場の人も5人以上は居たと思う。仲間が多すぎて、遠慮をして出口に近い所で聞いたから、当選クジをミスったのだと当時は後悔していた。 その子は後に5・6年を担任した、今でも年賀状の付き合いのあるとても素晴らしい女の子(今は女性)だ。 この年度は金銭的に儲け損なったことがもう一つある。 今と違い、競馬はIという同僚に電話で頼んでいた。お金は後払い。その日、数度電話をかけてもIは出なかった。なんと「心斎橋?」まで馬券を買いに行って留守だったとか。 とても残念なことに、私が買おうとしていた馬券は《万馬券》になってしまった。 当時は1本買いだったので、100万円前後の金を儲け損なったことになる。 会えないと思っていたI先生やK先生と話が出来た。気分が良くなったので 『明日香』まで出かけることにした。 芝生広場は小さな子を連れた家族が多かった。 我が家も娘が幼い頃は、よく一緒に来た場所だった。 私は明日香村には、今までに65回ほどは行ったことがある。 談山神社まで行った。ここは初めてだ。入山料600円と書いてあった。 私は『乙巳の変』、それに続く『大化の改新』が好きではない。 『金を払ってまで中に入る気にはなれない』 ということで、十三重の塔が見える辺りまで階段を上り、そのまま引き返した。 芝生広場で少しのんびりしてから家路に着いた。 今日は心に深く残りそうな充実した一日だった。
February 19, 2017
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箕面の滝。 私のバイキング。2皿目。ワイフのバイキング。ワイフの2皿目。めんたいパークにて。 2017年1月24日、火曜日。4時20分起床。体重75.0kg。 早朝、雪が降っていた。 生ゴミを出しに行った。一番だった。網の上に3cmほど雪が積もっていた。 今日は『12月にコノミヤに申し込んだ《日帰りバスツアー》』の日。 早めに起きた。 7時25分、バスと電車を乗り継ぎ、バスが待っている市民ホール前に着いた。総勢40人ほどのツアーだ。日本観光のバスだった。外見はきれい。中は遠足で乗るときと同じだった。小学校の場合、修学旅行の時のバスの内装が、一番きれいだ。 9時30分、西宮にある『JEWEL MASTER』の工場兼店に行った。ここで90分も缶詰をくらった。確かに宝石はいい。でも、庶民には関係ない。磁気のちからと遠赤外線のパワーで血行が良くなるネックレスを紹介された。首にも試しに巻かされた(巻いたのではない。向こうが巻いてきた)。でも、一言。 「確かに良さは認めます。でも、今日は100%買う気はありません」 『お金が潤沢にあるのなら買ってやるさ。ビルゲイツほどの金持ちなら、大阪城の9倍もあるような城を建ててやる。でも、今の自分には全く無意味な代物だ』 《90分は無駄な時間だった》 続いて、『箕面温泉スパーガーデン』に行った。75分間のバイキングだ。 『バイキングは楽しい』 特に牡蠣フライが美味しかった。 降雪で予定が変わり、『六甲ガーデンパレス行きが中止』になった。その分、スパーガーデンでの滞在時間が長くなった。1人1000円で温泉を案内していた。それもいいかなとは思ったが、風呂の支度をしていない。私の荷物はすべてコートのポケットの中。ワイフは化粧品を持ってきていないので、「温泉はいい」と言う。 箕面の滝まで散策した。往復80分かかるらしい。午後3時が待ち合わせの時刻。今は13時25分。95-80=15 15分の余裕がある。 行くことにした。 どうも『箕面の滝』は初めてのようだ。記憶が蘇ってこない。 思わず合掌した。毎日仏壇で願っていることと同じようなことをお願いした。 《別にあの世があるなんて1%も思っていない。でも、仏壇の前で手を合わせるし、圧倒的な自然を目の前にすると、手を合わせたくなる》 ただ・・・・箕面の滝に圧倒された訳ではない。でも、『滝には神秘さ』がある。 《バスツアーに参加して良かった。箕面の滝を見ただけでも値打ちがある》 15時10分、箕面温泉スパーガーデンを後にした。 そのあと、『めんたいパーク』へ。16時10着。 出来て2年ほどの工場兼店だった。とてもきれいだった。 『めんたいこは大好きだ。でも、2人暮らしにとってまとめ買いすることはない。値段が安い訳でもないし』 おにぎりとソフトクリーム以外は買わなかった。しかもこのおにぎり、夕食に回した。 「めんたいランド」という子どもが遊ぶ場所が併設されていた。受付嬢が1人ぽつんと座っている。誰も中に入る気配がない。 この受付嬢、20歳ぐらいで美人の女の子なんだけど、暇なんだろうね、時折『退屈でしょうがない』という顔をしていた。 『美人だからこの仕事を任されたのかな。でも、ストレスが溜まるだろうな。バスの送迎をしている方がずっとましだな。座ってばかりで暇なのは体に悪い』 17時ジャスト、めんたいパーク発。一路市民ホール前へ。 18時20分頃、市民ホール着。 駅前のスーパーで総菜を買って帰った。 「残り、半額でーす」 という女子高生か大学生の女の子の声につられた。 19時20分、帰宅。 かかった費用は 参加費・・・・2990円×2 電車賃・・・・210円×2×2 バス代・・・・190円×2×2 おにぎり・・・・380円 ソフトクリーム・・・・350円 総菜費・・・・321円。 合計『8631円』 この中に、『昼食代と夕食代が含まれている』ことを考えると、とても安い。 『また機会があったら、参加しよう。ただし、行き先を考えて』
January 24, 2017
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真田ミュージアム。 民家の軒先で売られていた。大きな柿7個で300円。美味しかった。 大きな鮎だと3匹で1000円。焼きたては美味しそうだったけど、持って帰って食べると、そうでもなかった。 ロウカット玄米。 2016年11月12日、土曜日。5時56分起床。体重72.7kg。 快晴。 『道の駅 柿の郷 くどやま』で開催された『第10回大収穫祭IN九度山』に行ってきた。 ここを訪れたのは、今年の5月?以来2回目。 会場への車の乗り入れは禁止。普段の駐車場には、観光バス、路線バスが10台停まっていた。 周囲の臨時駐車場から無料のシャトルバスが頻繁に往来していた。 会場に着くと、人、人、人。 普段は人混みが嫌いで避けるタイプだが、今日のような祭りでは、『千人単位の人を目にしないと物足りない』。 会場の広さもあり、一目千人は無理だったが、一日の総数は数千人に上るだろう。 祭りと言えば、『出店』。 楽しめた。 いろいろなチームのダンスを見た。 『あれだけ体を動かしていると、きっと幸せなんだろうなア』 『真田ミュージアム』に行った。前回訪れた時は、入館時刻を過ぎていた。 入館料500円。 人、人、人。閑散な時だったら、30分もあればじっくりと展示物に目を通せるような、その程度の規模の建物だった。 ただ、今日は無理。人の列が進まない。 私は日本の歴史には詳しいので、特に記事を読む必要がない。並んでいる列の横をすり抜けて、とりあえず1周してきた。約15分。お金を無駄にした気もしたが、まあいい。 『混んでいる《真田ミュージアム》を体験できた』 午後4時頃には帰宅できた。 丁度出かけようとしたときに、東洋ライスに注文していた《ロウカット玄米》1kg入り2袋が届いた。送料無料で、1袋600円。近所の米屋さんの倍近い値段だ。 頻繁に買うことはできない。
November 12, 2016
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約千点ある絵の中で、1、2番目に気に入ったもの。 これも、そう。 中学時代に、百科事典や教科書?で見かけた絵。好んで見ていた覚えがある。 次の3枚は高校時代か??・・・・時期に覚えは無い。 世界的に有名な絵。『岡山シティホテル厚生町』での朝食バイキング。とても気に入っている。珍しく、お代わりはしなかった。 大塚国際美術館でランチ。私が注文した。美味しかったが、タイが一切れ入っているだけだった。あとは昆布。税込み1000円。 ワイフが注文した。今度はこっちを注文しよう。千円。「淡路SA]での夕食。私が注文した。1010円。 ワイフが注文した。720円。 2016年11月5日、土曜日。6時20分ごろ起床。 『岡山シティホテル厚生町』での泊りは、今年になって2回目となる。今回は女性客が4割弱いた。 ここの朝食バイキングが大好きだ。メニューはこじんまりとまとまっていて、ほとんどのモノが好きだ。その中で食べたいものをチョイスできる。 10時前、出発。 昨日の段階では、『倉敷美観地区』と『鷲羽山』を見学して帰るつもりだった。 でも、やめた。 《大塚国際美術館》に行こう。 瀬戸大橋を通った。ここには、思い出の場所がある。それは瀬戸大橋の途中にある「与島PA]。そこで20分ほど休憩をした。 娘が赤ちゃんだった夏(6か月)、岡山に住む弟を訪ねたことがある。その時に、弟にここまで連れてきてもらった。 2012年8月16日、日帰り600kmの旅行の際も、ここに立ち寄った。眠いのが我慢できなかったので、ここで45分間仮眠をとった・・・・と、ブログに書いてあった。 そのあとは、津田の瀬戸PAで5分間休憩。 大塚国際美術館に着いた。前の道路は2012年に通過済み。 大塚国際美術館は実に広かった。5階建てのビルに、西洋の有名な絵画「約千点」を実物大で陶板に焼き付けている。《本物そっくり。陶板なので、ちょっと触る程度なら触ってもいい》 本物のモナリザの絵は厳重に守られている。拳銃で狙っても傷がつかないようになっていると聞いたことがある。 でも、ここのモナリザは触れる。『見た目に違いは判らない、と思う』・・・・本物を見たことがないので、断定は出来ないが。13時過ぎに入った。閉館は17時。閉館に間に合いそうになかったので、上2階は急ぎ足で回った。 ワイフは梅田の大丸ビルで2人展を開いたことがあるほど、絵に興味がある。私とは150度ほどの開きがある。『一度は連れて行かなければ・・・・』 との思いを強く持っていた。『いずれ近未来に、娘も連れて行くことになりそうだ』 そんな予感がする。 夕食は、『淡路SA上り線』で摂った。着いたときに、『4年前と雰囲気が違う。暗くなっているからではない』そう思った。帰宅後、グーグルマップで調べた。『上り線と下り線では、明石海峡大橋が見える角度や高さが違うようだ』 下り線の方がいい写真が撮れそうだ。 第二神明を通って帰った。山陽自動車道に比べて狭い。阪神高速を走っているみたいだ。その代わり、早く帰宅できたと思う。 21時00分帰宅。 使ったお金。 現金・・・・約2万円(内訳。美術館入館料3240円×2 など)。 カード・・・・ホテル代10800円。 高速代・・・・ETC(後日判明)。 新居祝い(3万円)。 手土産(約2400円)。 弟夫妻との交流はすべて弟もち(ランチ(天ぷら)、夕食(カニ料理)、後楽園、カラオケ)。 とても有意義な2日間だった。
November 5, 2016
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カラオケの店。 ランチはイオンモール内の「天ぷらの店」で。 大名の三大庭園のひとつ、「後楽園」。 2016年11月4日、金曜日。5時11分起床。体重72.6kg。 5時11分に目覚めた。 『5時11分・・・・信長の誕生日???』 かつて私は、「陰暦の5月11日」を信長の誕生日だと思っていた。フロイスの文献や、安土城に信長が移り住んだ日が「5月11日」だったような気がしたからだ。 そこで、 《3番目の赴任校最後の年の学級通信を「511号まで出す」と宣言して、成し遂げた》 ・・・・・・・・今は、『5月12日』だと思っている。 生ごみを出しに行った。先日草取りをしたときに出たごみが2袋あったので、2回運んだ。 まだ暗がりだった。帰り、南西の空に《オリオン座》がくっきりと光っていた。 オリオン座は冬の星座。 ただ、高1の時は「夏の星座」だと思っていた。 当時、私は夏から秋にかけての5か月間、朝刊だけだが新聞配達をしていた。 《毎日、3時15分に起床》 結構、頑張っていた・・・・そんな思い出が残っている。 お金を稼いでオートバイを買いたかった。でも、挫折してしまった。晩秋になり、寒い中起きるのが苦痛になって辞めた。 懐かしく、頑張った自分を確認でき、根性なしの自分を思い出す・・・・そのような思い出だ。 弟が数か月前、マンションを購入した。初めての「自分所有の家」だ。 「一度、訪れたい」 11月4日、今日という日を指定された。 今、『岡山シティホテル厚生町』にいる。このホテルに泊まるのは今回で4回目。2013年に父との帰省旅行に使ってから、岡山に滞在するときはここに泊まることにしている。 今年の5泊6日の帰省旅行では、4、5泊目は岡山県に泊まった。ラストの5泊目は『岡山シティホテル厚生町』にした。 先ほど、弟夫妻とのカラオケに行って、ホテルに戻ってきたばかりだ。私は中学生以上になって、弟の歌声を聞いたことが無い。お互い初めての経験だった。そして、私はワイフの歌声を、今日初めて聞いた。『こんな歌声をしていたのか』実に楽しい2時間だった。ランチも、夕食も、外食だったが、弟夫妻にご馳走になった。
November 4, 2016
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赤穂城址を訪れた際は、かん川本舗で「塩味饅頭」を買うことを常としている。 今日の夕食。美味しくて食べやすかった。 まさしく、「×」の場所付近で3日続けて事故が起こった。 2016年9月24日、土曜日。5時28分起床。体重73.5kg。 大関豪栄道が初日からの14連勝で初優勝を成し遂げた。 「おめでとう」 今場所は超大横綱白鵬が休場。だから、大相撲は見なかった。見ないはずだった。 ところが、豪栄道が10連勝、そして11連勝。こうなると、むずむずと好奇心が沸いてくる。11連勝あたりから遂に見てしまった。 圧倒的に強い白鵬は自然と応援してしまうが、努力の蓄積の上、「土俵の上で強さを発揮できる力士」はやはり応援したくなる。 「勝負事は勝たないとね」 今回の旅行の際、「赤穂IC」付近のまさしく上り車線の同じような場所で、3日続けて事故が起こった。 2日前は、事故直後、前の事故車が2台反転、トラックをはさんで最後の4台目が大破している様子を横目で見ながら車を運転していた。赤穂ICで反転して高速道路から出る車が後を絶たず、こちらは30分近く赤穂ICから出るのに時間がかかった。 昨日の帰り、もう事故車は立ち退いた後だったが、発煙筒は消えずに光っていた。 「山陽道は事故が多い。帰るときは中国道で帰りなさい」 このようにアドバイスしてくれたのは「備中松山城」で駐車係をしていた年配の人。今、政界の中枢部に返り咲いた「二階幹事長?」の秘書を長年務めていた人だった。民主党が天下を取ったときに、秘書を引退したという。 『世界ふしぎ発見』を見た。宮島とモンサンミッシェルを扱っていた。 2年前、叔父の四十九日の参加を兼ねた家族旅行の帰り、厳島神社に寄ろうと「カーナビ」に入れてみた。すると、1000km以上の表示が出た。 「おかしい」 調べてみたら、確か北海道の「厳島神社」を指していた。 『それはおかしい。一番有名なのは、宮島の厳島神社だろう』 帰宅してから理解できたこと。・・・・宮島は島。車では行けない。 『なるほど!!』 去年の家族旅行で、初めて宮島を訪れた。日本の観光地の中で、人工的な場所としては、一番感動を覚えた。それからいろいろと調べたので、「墓が無い」ことは知っていた。 『忠臣蔵の恋』が始まった。NHKだ。主演は武井咲。 最近の武井咲の主演ドラマはつまらないものだった。だから、全く見ていなかった。見てから「つまらない」という評価をしているわけではない。「予告編」や記事を読んでそう評価したのだ。 私は役者そのものよりも、「その役を演じている役者が好き」なのだと思う。 大石神社は2日前に訪れたばかり。忠臣蔵のドラマが始まると分かっていたら、もっと磯貝・・・・の石像をしっかりと見ておくべきだった。
September 24, 2016
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近くのローソンの駐車場から移した全景。 正面の赤いレンガが無機質な建物を際立たせている。 3階の中庭から写した。 パリの凱旋門。 人魚姫はこんなに小さかったんだ・・・・。 2016年9月23日、金曜日。6時半ごろ起床。体重? 赤穂ハイツの朝食は、「半分はバイキング」という形のものだった。昨夜の夕食が『見た目に美しく、実際とても美味しく、量も多かった』ので、これで良かったのだと思っている。 旅費は2人で19200円だった。 10時06分、赤穂ハイツ発。 思い出の地、「赤穂海浜公園」に行ってきた。赤穂海浜公園には、修学旅行で2回、下見も入れると4回、むすめを含めた家族で1回来たことがある。 今回の目的は、 1.海賊船を見ること。 2.砂浜を見ること。 3.塩を作ること。 12時過ぎ、「赤穂海浜公園」発。 12時半ごろ、「太陽公園」着。 この太陽公園。城のエリアと石のエリアに分かれている。 城のエリアには「白鳥城」という城があり、外観はドイツで一番有名な城をそっくり真似ている。きっとサイズも同じなのだと思う。 約1時間滞在した。 続いて、石のエリア。兵馬俑、万里の長城、天安門、その他いろいろ。万里の長城に関しては、長さを真似ることは不可能だ。でも、その一部として、現在は2.0kmの長さまで本物に酷似して作ってある。 兵馬俑に至っては「本気でレプリカを作ろう」という意思が伺える。 石のエリアで約3時間。起伏のある場所を歩いたので、もうへとへとになってしまった。 『今日だけで、6.5時間は歩いている』 午後8時41分、無事に帰宅した。 《3か月間は頑張りぬく燃料をため込んできた》 そう思っている。 この2日間、胃の不調和を全く意識しなかった。左肩の痛みは1回は出てしまったが。 明日から、頑張ろう。
September 23, 2016
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[「赤穂ハイツ」での夕食。とても美味しかった。量もたっぷりあった。『どうして13年前、赤穂ハイツに泊まったのだろう。』そう思い、卒業アルバムを調べてみたら・・・・。 その前の年、異動がありK小学校に転任していた。6年を担任したので当然修学旅行があった。その時の旅行先が赤穂で、宿泊先が「赤穂ハイツ」だったのだ。 すっかりそのことを忘れていた。2人が作文に書いていた。 2016年9月22日、木曜日。7時06分起床。 今日は、13年振りに「赤穂ハイツ」に泊まリに来ている。 メインの見学場所は「太陽公園」に行くはずだったが、着くと大雨だった。明日に回すことにした。見学は「赤穂城址」だけにとどめた。幸いなことに雨は上がった。スマホなので、詳しくは書けない。明日、帰宅してから補足しよう。夕食は、量も多く、見栄えも良く、とても美味しく、そしてなにより胃に違和感を感じなかっ食べた。
September 22, 2016
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平等院を訪れたのは、多分4回目。 通訳案内士試験会場。同志社大学京田辺学舎。 夕食は「源ぺい」で食べた。『海鮮丼+ガラだし汁』2人で3434円。 スマホで1つ目の『アクアリウム』を手に入れた。源ぺいで。 『コメダ珈琲』ではいつも網焼きチキンサンドと1.5倍コーヒーを注文する。 こちらはワイフが注文した。 2016年8月21日、日曜日。5時30分起床。72.6kg。 今日は《通訳案内士試験》。私としては3回目の受験だ。 余り、気は進まなかった。 『単語の勉強』がほとんど出来ていなかったから。6月の英検準1級の試験を受けた直後は、 『どうして単語の勉強をしなかったのだろう』 と懲りた筈なのに、実際は 『散歩をしたときに、ウォークマンで準1級後半をリスニングした』程度。 単語だけでも真剣にやっていれば、準1級の一次試験は合格していたはず。それなのに出来なかった。 ワイフと一緒に車で出かけた。今回は前2回と異なり、試験会場が『同志社大学京田辺校』に代わっていた。 確かに、前回の龍谷大学は「狭い」と感じた。 前回は『一般常識』が合格していたので、1回のみ免除される。従って、今日の試験は 1.英語・・・・2時間。 2.日本地理・・・・40分。 3.日本歴史・・・・40分。 だった。 日本地理は2年前よりも難しく感じた。調べてみないと何とも言えないが、合格の可能性は8割ほどかな。日本歴史は易しかった。98%は合格しているだろう。 問題は、英語だ。英検の4択と違い、 10個または11個ある英単語やフレーズを3か所選び、3か所とも合って3点取得できる「擬英作文」が3問ある。・・・・これが《鬼門》だ。とても難しい。 『まだまだ未熟だ』・・・・そう思い知らされた。 昼食は『コメダ珈琲』で食べた。京田辺市にはコメダ珈琲が2店はあるみたいだ。 帰りに、『平等院』に行った。ナビに入れると、「500km先」・・・・『おかしいだろう!?』 平等院は修復されていて、『朱色が見事だった』 夕食は、『源ぺい』で食べた。 受けに行って良かった。成すべきことが分かったし、やる気が沸騰した。
August 21, 2016
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今日の夕食。とても美味しかった。 これは3人前。私は「生ハム」が大好きだ。でも、塩分を取り過ぎてはいけないので、控えめにしている。 2016年8月18日、木曜日。5時52分起床。体重73.6kg。 現時点で勉強しなければならない『コア』の部分を当面、半分に縮小した。 すると、やっぱり油断してしまう。 夕方から、テレビ三昧だった。 『俳句の番組』は必ず見ている。講師の先生の手直しと解説にいつも感心してしまう。 『師というものはこうでありたい』 カンブリア宮殿で「秋田の劇団『わらび座』と、そこが経営している温泉旅館「ゆぽぽ」を紹介していた。 私は教師時代、『観劇の担当』として10年前後は仕事をやってきたと思う。 『わらび座は採用したことがあるのだろうか?』・・・・一考はしたが、採用はしなかったのでは? 最近、東北地方を訪れたくなっている。関東を回っていきたい。 『来年合格したら、それぐらいの褒美を自分に与えよう』
August 18, 2016
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備中松山城。現存天守のある山城では、日本で一番標高の高い場所にある。 本丸から見た天守。 花崗岩の上に建っているので、地震などでは壊れない。 旧閑谷学校。岡山藩主池田光政が庶民の教育のために建立した学校。年貢を払わないと、村民一同撫で殺しにするような領主がいる中で、領民のことを考えた領主なのだろう。 2016年7月26日、火曜日。5時35分起床。『岡山シティホテル厚生町』の朝は早い。単身のビジネス客が多く、バイキングの朝食は、午前6時から始まる。1人のビジネスマンは傍らに置いたスマホを見つめ、黙々と朝食を食べる。ペアのビジネスマンは年齢差が10歳ほどあるのか、向かい合って食べている若い方の背筋が伸びている。 私たちのような気楽な家族連れは、少しは栄養を考えながらも、自分の好きな食べ物を並べて悦に入る。 8時過ぎには出発できる態勢は整っていたが、「トト姉ちゃん」を見たり、《きこえーご》を解いたりしていたら、9時過ぎになった。 今日の予定は次の2つ。1.備中松山城・・・・3人とも初めて。2.旧閑谷学校・・・・ワイフは3度目。私と娘は2度目。 雨が心配だったが、なんとか持ちこたえてくれた。10時20分頃、松山城の五合目に着いた。そこからは、徒歩かシャトルバス。往復300円でシャトルバスに乗った。 8合目からいよいよ徒歩で登山開始。私は天守前の本丸まで丁度15分で登った。ワイフと娘は22分かかった。 私が1人でいると、地元のケーブルテレビの職員の若い美人の女性に声を掛けられた。高3の男子2人がインターンとして私にインタビュー。その様子をビデオ撮影された。 備中松山城は一度は行くだけの価値が十分にある山城だと思う。しっかりした石垣に天守まである。 下山する時、オランダ人の年配の夫婦に出会った。娘が早速話しかけた。日本は今回で6回目の訪問。 北海道に行ったが、ただ広いばっかりでお城も無ければ寺もない、とぼやいていた。 続いて、閑谷学校へ。 確か娘が小1くらいの時に家族3人で言った筈だ。閑谷学校の前で、『昔懐かしアイスクリン』を食べた覚えがしっかりと残っている。でも、娘は覚えていないと言う。 入館料が400円だった。 中に入って分かった。『建物の前まで来て、きっと中には入らなかったんだ。覚えがない』 若い頃の私はお金をケチって、中に入らないこともあったから。 確かに今日、閑谷学校の中をしっかりと見学して写真もイヤほど撮った。それでも、『400円払うほどのものでは無いな』そう思った。《現存する世界一古い、庶民の為の学校》という歴史的価値は認めよう。 でも、もう行かない。 今日も14時前後にPAで「40分」ほど寝た。腰が痛いので、リュックを腰の部分に置いた。すると、腰の痛みが幾分か改善された。2日前の、『もう旅行は止めて、すぐに家に帰りたい』と思うような痛みからは解放された。 夕食は、近くの○○食堂で食べた。 21時00分、帰宅。午後9時ジャストなので嬉しくなった。 走行距離・・・・2268km。 ガソリン満タン・・・・5回給油。 使ったお金は、今の所はっきりしない。 充分満足のいく家族旅行だった。 娘は9月から何の不安もなく大学に戻れるので、昨年よりも始終嬉しそうだった。ワイフも楽しく、実りの大きい5泊6日だったと思う。 ただし私は、依然左肩にたまに鈍痛が走り、腰は右半分がかなり重い状態だったが。
July 26, 2016
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広大な日本庭園が存在する足立美術館のなかでも、特に気に入っているのが、この狭い空間に造られた水が流れる風景。『こじんまりまとまっている点』がいい。ちょっとまとまったお金があれば、自分でも造れそうな気にさせてくれるから。管理もしやすそう。 2016年7月25日、月曜日。5時38分起床。73.7kg。 自己最悪の体重だった。『今は仕方が無い。でも至急に手を打たなければ』 休暇村蒜山高原の食事は、夕食・朝食ともバイキングだった。『これだと、連泊は出来ない』 《 足立美術館》に行った。私は今回で5回目みたいだ。娘が今回で3回目、と言ったので。娘が生まれる前にも来たことがあるし、親睦旅行でもあるから。入館費は『大人2300円、学生1800円』だった。 ここの庭は何度見ても飽きない。《世界の有名な番付機関で、13年連続世界一の日本庭園』という名誉を勝ち取っている。 続いて、《出雲大社》に参詣した。私たち夫婦は2回目、娘は初めてだった。人出は伊勢神宮の100分の1ほどだった。でも、荘厳さは負けていない。大和朝廷に負けて非業な最期を出雲大王の魂を鎮める為に建立されたものだと思う。『私は非業の最期を遂げた者をついつい応援したくなる』。 急いで岡山市まで車を走らせた。夕闇に霧が出たら、とても危険だ。夕食はSAで食べた。 泊まるホテルは『岡山シティホテル厚生町』。今回の旅行で3回目。いずれも、九州まで行った時の帰りに泊まっている。 60歳少し前から、一日で500kmの運転は不可能になってきた。すぐに眠くなる。・・・・昨日は『470km』だった。
July 25, 2016
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『辻村スッポン養殖場』。 母の従兄弟が経営している。従兄弟と言っても私よりも5歳年上なだけ。私の母方の姓は「辻村」。1500坪ある。『休暇村蒜山高原』は40代のころは、隔年に泊まるといった感じで、数多く泊まった宿だ。 1997年、最初に泊まったのがこの西館。その当時は東館は建っていなかった。和室は8畳で、3人だと狭い。夕食時の食堂は、煙たかった。今では、西館だけ空いている時は、泊まらない。 2015年7月24日、日曜日。5時56分起床。 6時23分、松岡邸の前庭の草むしりに挑戦。昨日に続いて2回目。昨日・・・・45分。今朝・・・・85分。 合計2時間10分で、砂利を敷いている部分の『目立つ草』は全て取り終えた。叔母曰く、「T男がなかなか動いてくれんのよ。Y子がその内、引いてくれるって言ってた」『草取りか・・・・お安い御用だ。ここの庭は邪魔物が少ない』運動を兼ねて草取りをした。勿論、叔母には感謝された。中途半端で終わるのは嫌だったので、砂利の部分の草は責任を持って終わらせようと思った。8時に出る予定だったが、それは甘かった。10時46分、松岡邸を後にした。 高速道路に入って暫くすると、とても眠くなった。吉志PAで休憩。90分寝て、30分はブラブラした。すると、宿泊予定地の『休暇村蒜山高原』の到着予定時刻が『19時22分』と表示された。19時までには入っておきたい。今までは『80km/h走行を常としていたが、100km/h』まで上げた。途中、16分休憩、3分休憩、ガソリン入れのために3回止まった。それでも、『18時56分』に目的地に着いた。 休暇村蒜山高原を最初に利用したのは、1997年の3月末だった。その時は、ワイフがある事情で行けなくなり、娘との2人旅だった。蒜山高原には色々な思い出がある。いずれ触れたいと思う。
July 24, 2016
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松岡家の堂々たる内門。奥に見える倉庫も松岡家のもの。2階には、今でも20畳と15畳のプレハブの建物がそのまま置かれている。今の家を建てるときに、仮住まいしていた。私が帰省した時は、15畳のプレハブを借りていた。 白い砂利の部分に生えた草を2日がかりで、2時間10分かけて取り除いた。 この置石は「広さ2畳」ほどある。 2016年7月23日、土曜日。6時過ぎに起床。 昨夜から2泊で松岡の叔母の家にお世話になっている。私の本家はすぐ側にあるのだが、松岡の叔父が亡き父のすぐ下の弟だったこともあり、21歳からは、帰省するといつも叔父の家に世話になっている。『30代の頃は、10泊ほど』は遠慮なく泊まっていた。 従姉妹(松岡家の長女・・・私よりも12歳年下)の一人娘のミキちゃんが、今大分で働いている。娘との交流を密なものにするのも私の役目だと思い、大分まで行くことにした。13時前、娘にラインでメールを遅らせると、『滅多にない出張で今小倉に来ています』このままではまずいと思い、別府でUターン。「(夕方)6時までには帰っておいで」と叔母に念を押されていたので、小倉は諦めた。17時前、帰宅できた。 従姉妹がミキちゃんを『香春町・・・・青春の門で有名な町』まで迎えに行ってくれたので、娘と顔を合わせることができた。 総勢11人。実に楽しい宴会だった。
July 23, 2016
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『グランドプリンスホテル広島961号室』から見た夜景。 レストランから眺めた日の出前の瀬戸内海。 10分の1スケールの大和。これで26m以上の長さがある。 前年、姉妹戦艦の武蔵が集中放射を受け撃沈。そこで、起重機3門×20?を急きょ取り付けた・・・・と記憶している。まさに要塞になった大和。 錦帯橋。通行料1人300円。外国人も多かった。 ソフトクリームを打っている店は4軒あった。でも、ほとんどの客は「100種類の味」の店に殺到していた。 2016年7月22日、金曜日。5時32分起床。 スマホで打っているので、簡単に。 『大和ミュージアム』に行った。大和の10分の1のスケールの模型があった。私は満足したが、家族には不評だった。 『錦帯橋』に行った。一度は行く価値があると思った。でも、二度は要らない。 21時前、叔母の家に着いた。従姉妹が料理を作っていてくれた。でも、私たちはSAで済ませていた。申し訳ない。18時前には、電話をかけたが、遅かった。
July 23, 2016
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日野原城は山城。山頂にはテレビ局の電波塔が建っていた。 この小屋の中で二人の男性が作業していた。定期点検とか。 日野原城祉の東の麓には、美土里中学校が建っていた。 山頂から見えた山間の町。 山頂から見えた『神楽門前湯治村』 天然ラドン温泉とお宿とお食事『神楽門前湯治村』に行ってみた。この日は休業日で、閑散としていた。 妻籠宿の5分の1の規模もないが、それなりの風情は醸し出していた。 2016年7月21日、木曜日。5時48分起床。体重72.4kg。 今、広島の『グランドプリンスホテル広島』に居る。このホテルは去年初めて泊まった。 そして今年。G7の各国外相一行が泊まった宿。去年は暗くなって着いたのでその日は分からなかったが、あくる日、海が一望できて『とても素晴らしい』と感動したものだった。私は、海が好きだ。 去年は、中国人ばかりが目だったが、今年は、夕方だけでも、欧米人のカップルを4組も見た。その内の一組は、レストランで隣席した。数分経って、娘から話し出した。私もつられて話をした。話しかけた回数は丁度『10回』。文にして、15文ほど。試したのは、『《きこえーご》で覚えた英文をどう活かせるか』 娘が主導権を握って話をしていたので、私は気楽だった。尚、外国人のカップルはオランダ人で、女性は旅行誌のライター、男性はカメラマン。東京、金沢、高山、京都、奈良、そして広島。これから、佐賀や長崎に行くという。そして、飛行機で北海道に飛ぶとか。 今日のメインは、『ワイフの先祖が城主だった《日野原城趾》を訪れること。 車で、倒木が転がっている山頂まで行った。今は、テレビ局の電波塔が建っている。点検の男性2人と頂上で出くわした。 日野原家の流れ。1.中臣鎌足2.藤原不比等(鎌足の嫡男だが、天智天皇のご落胤とも)3.藤原南家・・・・政争に敗れ、主流から外れる。4.吉川に改姓。5.一部が安芸に移る。6.毛利氏に乗っ取られ、多くが切腹。7.嫡男が帰農して、百姓になる。8.朝鮮の役に出兵し、加藤清正を助ける。9.褒章として A・・・日野原の姓 B・・・・領地 C・・・・帯刀(多分。記憶から抜けた。今度確かめよう)10.島根県・広島県・山口県に子孫が広がる。 一番の有名人が100歳以上になる医者『日野原重明氏』。
July 21, 2016
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「道の駅・柿の郷」は去年オープンしたとか。混んでいた。 路地を歩くと、10軒前後の家が「人形」をオープン展示していた。 時間切れで真田庵には入れなかった。 真田庵の庭を外から写した。 ホーム・スィート・ホームの食事。メニューはこれひとつなのかな?聞いてこないから。 味噌汁とコーヒーが付いている。 夕食。とても美味しかった。 早朝にスマホでも1つだが、「建物」を獲得した。 2016年4月30日、土曜日。4時48分起床。体重72.6kg。 早朝は寒かったが、午後は見事な快晴で過ごしやすかった。 今日は数週間前にお世話になった《ログハウスレストラン・ホーム・スィート・ホーム》まで行った。3日前に電話で予約しておいた。主目的は2つ。1.食事をすること。2.玄米を5kg買うこと。 前回買った玄米がとても上手かった。30年ほど前、ワイフが玄米に替えたことがあった。美味しいとは思えなかった。それで我が家から「玄米」が消えた。 歳のせいか、私の好みが変わったのか、この店の玄米が本当に美味しいのかは分からない。『でも、ここの玄米は確かに美味しい』 12時に家を出た。12時47分、現地着。14時15分まで居た。客は私とワイフだけ。食事のメニューは前回とほぼ一緒。とても美味しかった。ローストビーフに大きなエビが2つ。その他。そしてご飯が実に美味しい。 玄米を5kgとイチゴを買った。玄米が無くなったら、また買いに行くつもり。 続いて、橋本の「ユニクロ」と「ケイオーD2」に行った。ユニクロで前回買ったスラックスをとても気に入っている。ほぼ同じものを買った。前回は2本。今回は1本。 続いて、九度山町の「道の駅・柿の郷」に行った。15分待ってやっと駐車場に入れた。ここは真田雪村ゆかりの土地。観光客がいっぺんに増えたのじゃないかな? 真田庵に着いたのが、16時40分。入場は16時30分までだった。近いからまた来れる。問題じゃない。 5月8日(日曜日)15時。草刈正雄が訪れる。ワイフの大好きな俳優だ。LPレコードを今でも持っているくらいだから。『今度は電車で行こうかな?』 大阪府を出発し、奈良県御所市へ。そして和歌山県橋本市に寄り、九度山町まで行った。ちょっとしたドライブになった。 今、ちょっと耳鳴りがしている。早目に寝よう。
April 30, 2016
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信長の墓に合掌する少女?! 高野山は標高900m弱。遅咲きの桜。 平日だから、やたら外国人が目立つ。 金剛峯寺の大屋根。 庭は撮影してもいい。「みろく石」本館。 買ってきた「生」のゴマ豆腐。実に美味しかった。 2016年4月15日、金曜日。5時30分起床。体重72.3kg。 今日から、『5時30分』に起きることにした。ローレン・ミッチェルの起床時刻が5時30分ということ。それに合わせることにした。 4月からワイフは、火曜日・・・・Yさん(たまにMさんも一緒)とジム。木曜日・・・・Iさん・Yさんと公民館で体操。金曜日・・・・Iさんと公民館でヨガ。に行くことになっている。 しかし2日前、ヨガの先生の体調が悪く今日のヨガは中止になった。そこで、高野山に行くことにした。 8時34分出発。午後3時33分帰宅。 朝食は、近くのコンビニで買った。 京奈和道を降りてすぐ、エバグリーン(ドラッグストア)に寄った。びっくり、そして残念。「コンビニよりもずっと安い」 10時45分頃、山頂に着いた。普段は「金剛峰寺前の駐車場」に停めるが、今日は一番東にある奥ノ院そばの駐車場に停めた。メインは「奥ノ院散策」。その前に売店に寄った。クルミ餅などを買って食べた。 私が一番訪れたいのは、弘法大師御廟でも金剛峰寺でもない。『織田信長の墓』・・・・高野山に関する興味の半分は《信長の墓》にある。「本能寺の変が無かったら、高野山も信長に焼かれていたのかな?」 奥ノ院は東半分だけを歩いた。続いて、車を金剛峰寺前の駐車場に運んだ。それから金剛峰寺を訪れた。去年は2回、高野山を訪れた。1回目は5月。俊子の旦那のラディックを一日中通訳しながらもてなした。2回目は義父の法事。どちらも金剛峰寺の中には入らなかった。金剛峰寺には「豊臣秀次切腹の間」がある。一度誰かに案内されたとき、「介錯したときの血しぶきが襖に飛んでいる」と解説されたことがある。『金剛峰寺って、焼けて再建されたのじゃないの??』 今回初めてお坊さんの講和を聞いた。「近畿ってどういう意味か知ってますか?」「都のそば」私が応えた。桓武天皇の皇子が空海に都に戻ってきて欲しい。そう頼んだらしい。それへの返歌「七言律詩」の解釈をしてくれた。 大通りを歩いた。弥勒石に寄った。クルミ餅・弥勒石・桜餅を買った。桜餅はその店で食べた。 ゴマ豆腐屋に寄った。「生の」ゴマ豆腐を買った。生だと真空パックと違い、今日明日中に食べないと硬くなる。生を買った。 あとは、どこにも寄らずにただひたすら車を運転した。 2~3人という少人数の観光客の半数以上が欧米人だった。何故か「フランス人」に見えてしまう。 帰宅後、2時間昼寝。A:【33m大仏《映画The Martian》】・・・・2時間22分。連続30日間視聴。起床後すぐに視聴。テキストは「33ページ」を作成した。B:【大仏殿《小説The Martian》】 行きの車の中で聞いた。C:【観音立像《第三代横綱・大関》】「S4」・「S8」「A1」・「A2」のリスニング5回。特訓・・・・「S4」・「A1」
April 15, 2016
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20~25年振りに訪れた『ホーム・スィート・ホーム』。 これにコーヒーと味噌汁が付いて、1100円は安い。そして、実に美味しかった。 一言主神社。30年前はよく通った。10回以上は行ったかな? 甘樫の丘展望台から見た「飛鳥寺」。 ガストで注文した。 こちらはワイフ。 2016年4月10日、日曜日。5時55分起床。体重71.4kg。 今日は、Sさん夫婦と小旅行を楽しむ日。 私が現職の頃は、年に2~3回の付き合いだったのだが、こちらが時間に余裕が生まれてから、2か月に1度は、誘われるようになった。こちらも断る理由が無いので、それなりに楽しもうという気になっている。今回で「4回続けて、行き場所を私が決定した」 今日の行先は「明日香村」。 明日香村は去年の12月に行ったばかりだ。それでも、見どころは結構残っている。 11時過ぎ、Sさん夫婦が我が家に着た。私の車で出発。1.・・・・無料の高速「京奈和道」を紹介したかったので、橋本の方から、回った。2.・・・・『一言主神社』に案内した。この場所は私が免許を取って、1年以内だったころ、数十回も練習のために通ったコース沿いにある。私は免許を30歳の時に取った。みんなに追いつくために「高野山」まで7日ほど毎日続けて山道を運転したことがある。 金剛山と葛城山の間にある水越峠は、今でこそトンネルが通って運転しやすいが、当時はくねくねした山道だった。・・・・そんな懐かしい思い出があるので、約30年振りに行きたくなったのだ。3.・・・・一言主神社の前の道を何度も通っていると、屋根の形が周りと違う家を見つけた。それが、当時ではとても珍しい『ログハウスのレストラン「ホーム・スィート・ホーム』だった。気に入った私はワイフや、マラソン仲間、職場の同僚を誘い、「5、6回」は来たことがあった。店を訪ねると、「予約しか受け付けていなかった」「25年ほど前、5、6回来たことがあるのに・・・・」車に乗って帰ろうとすると、「お客さん、15分待っていただければ料理作りますよ」 値段は聞かなかった。出てきた料理が実に美味しかった。『3000円までなら払ってもいい』と思っていたら、珈琲付きで「1100円」だった。28年前に開店してから、値段は上げていないと言う。 主人とは馬が合い、いろいろなことを話していたら、「2時間」もお邪魔することになった。かき餅を焼いてくれたり、クッキーを出してくれたり・・・・。若い頃、ログハウスの材木をアメリカで仕入れて日本で販売していたらしい。今は、息子さんが跡を継いでサンフランシスコに住んでいると言う。『代々の土地屋敷、田んぼが葛城山の麓にあり・・・・。どうもこの店は生計のために経営しているのではないみたいだ』年に数回、サンフランシスコまで行くと言う。《本当に、実に楽しい2時間だった》ワイフが、「大粒のイチゴ」「ミルキークイーンというコメの玄米」「かき餅」を買った。Sさんの奥さんも同じものを買った。 4人とも実に満足したので、「もう帰ろうか」と言うと、「えッ、まだまだ」という返事。4.明日香村に行った。今日のメインは『甘樫の丘』。私は、60回前後明日香村に通っている。大概の場所は行ったことがあるのだが、それでもいくつかは足を踏み入れていない。その一つが『甘樫の丘』。ここは、蘇我氏が日本で一番の権力者だったときに、内裏である「板葺の宮」を見下ろす位置に蘇我氏が邸宅を構えていた場所。「乙巳の変」で蘇我入鹿の首が飛んだ日に、父の蝦夷が自殺をして屋敷は焼け落ちた。 高松塚古墳記念館に車を停めて歩いた。「鬼の雪隠」「鬼のまな板」「亀石」を案内した。甘樫の丘展望台はとても見晴らしが良かった。Sさんにあれこれ説明していると、別々に2人の中年の男性が私に「あの山はなんですか?」とか聞きに来た。『ああ、英語でこんなことを説明できるようになりたい』 夕方、5時55分。明日香村を後にした。 夕食を食べて帰ることにした。2日前にも行った「ガスト」で夕食を食べた。 今日は実に楽しい一日だった。A:【33m大仏《映画The Martian》】・・・・2時間22分。 連続25日間視聴。起床後すぐに視聴。最初から聞き、『P10・・・・4月15日掲載分』をワードで作成した。B:【大仏殿《小説The Martian》】早朝、テーブルの隣の椅子の荷物を私の部屋に一時避難させていた。その荷物を触っていると、『無くしたと思っていた《日本語版The Martianの下巻》』が見つかった。これで下巻だけ2冊になった。C:【観音立像《第三代横綱・大関》】・・・・日曜日の割当(横綱8話)帰宅してから実施した。『日曜日は《横綱》だけで済んで助かった』。
April 10, 2016
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若草山。「ときわ」での昼食。1400円。 試食として出されたもの。美味しかった。値段は張ったが、日持ちがするということで、買ってしまった。「初釜の時に出せます」 今日の夕食。とても美味しかった。昨日のランチや夕食よりも値打ちがある。 タイのホイル蒸し。これが実に美味しい。 今日の買い出し。コノミヤは月曜日は10%引き。客が多かった。10977円。これだけの量を最寄りのスーパーで買うと、15000円は超える・・・・と思う。 2015年10月26日、火曜日。5時30分起床。体重71.9kg。 起床後、1階に下りて、私本来のベッドで横になりながら、《FRIENDS》シーズン8の第7~12話を2回繰り返し、聞いた。画面は見なかった。音声は日本語。横になりながら、しかも画面を見ていないので頭の中には半分も残らなかった。『それでもいい。今日は「最初の挨拶代わり」みたいなものだ』 一日のテキスト作りの仕事量を「1話だけ」にした。時間も体力も余裕ができた。第8話のテキスト作りも終了した。「わたしに恋したお坊さん」も楽しかった。 今日はこれでいい。 昨日は、Sさん夫婦と4人で東大寺まで出かけた。起床後、急いでテキスト作りを7ページ終わらせた。予定では、1.大仏殿2.二月堂3.興福寺4.奈良町散策だった。 私にとって、「大仏殿」は20回は来たことがある。「二月堂」は去年が初めて。「興福寺」は2回。「奈良町」は1回。 メインは「奈良町散策」だった。ところが、昨日は「正倉院展」で混んでいた。予定通りにはいかず、「1・2」と「若草山の前を歩く」ことでタイムアップ。 10時少し前にSさんが我が家にやってきた。家に上がらず、私の車ですぐに出かけた。羽曳野から南阪奈高速に乗った。ナビが古いので、第二京阪奈で一度一般道に下りてしまった。 昼は知事公邸そばの「ときわ」で食べた。ランチになる食事は「季節の料理」と「雑炊」のみ。私たちは「季節の料理」を頼んだ。室内、そして小さな庭で食事が摂れる。その庭にはいろいろな野草が鉢植えされている。 モンキチョウと赤とんぼの写真を」撮ることができた。 二月堂に行った。去年の6年生の遠足を思い出した。 若草山は、私が教師になった時、5年6年とクラス替えなく持ち上がった。その時に遠足で昼食を食べたところだ。 午後、4時44分。発車した。高速に入る前に1時間はかかってしまった。 夕食は「○○の王様」で肉料理を食べた。 Sさん夫妻は、とても喜んでいた。 私は大いに気分転換ができた。15000歩。いい運動にもなった。 帰宅後、残りのテキスト作りを終わらせた。『シーズン8 第7話 完』
October 26, 2015
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二条城唐門。・・・・二の丸庭園や二の丸御殿の入口。 二の丸庭園。・・・・二条城は戦のための城でないことが理解できる。 本丸天守台から北向きに写した内堀。 義満が愛でた樹齢600年の松。1人1000円の入園料を払って「方丈」から写した。 多くの観光客がこの場所から写真を写していた。3日の京都旅行で一番白人を見かけた場所。 金閣寺舎利殿をこの角度から見ることは、実際に行かないと難しい。 1560年、桶狭間の戦いに出かける前に信長が舞った「幸若舞『敦盛』」。私の知識の中で、高野山には「・・・・寺」と付く寺院が2か所ある。1つが金剛峯寺。もう一つが「熊谷寺」。敦盛と熊谷寺は関係がある。 建勲神社拝殿から神門を写した。建勲神社の中だけ、大雨だった。 銀閣寺東求堂。 銀閣寺舎利殿。土砂降りの雨だった。傘の中央でカメラが濡れないようにして写した。 2015年9月1日、火曜日。6時48分起床。 京都旅行3日目、最終日。確認しておこう。初日・・・・8月30日、『通訳案内士試験』を兼ねて、車で京都まで行った。最初、ナビに試験地である「龍谷大学深草学舎」に近い「深草駅」を設定した。続いて、ワイフに頼まれたので「リーガロイヤルホテル京都」を入れた。これが間違いだった。先に、ホテルに着いてしまった。慌てた。でも、試験の受付時間には15分ほど間に合った。 今年は「日本史」と「日本地理」を免除された。それ故、「英語」と「一般常識」の間がかなり空いていた。京都駅で昼食を食べることにした。それから、試験前に『伏見稲荷大社』の見学をした。時間が無かったので、「千本鳥居・・・・これが一番の見どころだとおもうのだけど」は今度にした。2日目・・・・8月31日。『三十三間堂』→『豊国神社(方広寺を含む)』→『清水寺』→『八坂神社』→『永観堂』→『南禅寺』3日目・・・・9月1日。『二条城』→『金閣寺』→『建勲神社』→『銀閣』 7時前に食堂には行った。隣りの席は白人のスーツを着た男性が1人。同じ席に、次に同じく白人の20代の男性が1人。向かいの席は中年の肥えた白人男性と、多分日本人の男性。2人ともスーツ。肥えた男性はほとんど食材を摂っていない。メモをしながら絶えず喋っていた。それに答え日本人が笑いながら応える。2割は日本人が喋っていた。声が大きい訳ではなかったが、日本人の英語は半分以上分かる。肥えた男性の方はほとんど理解できなかった。『この日本人が羨ましい!!』後ろの席が白人のアベック。奥の方の団体席は、中国人が独占していた。『京都に外国人が多く集まっているのが実感できた』『二条城』も外国人が多かった。1人旅をしている2人の白人女性が気になった。『チャンスがあったら話しかけよう』本丸は普段は使われていなかったような気がした。天守台があった。伏見城の天守閣を移築して建てられたとか。落雷で燃えた?『金閣寺』に行った。実に人が多い。いろいろな国から観光客が訪れていた。今日から「方丈」という場所の特別公開。そこだけで千円取られた。あとで思ったこと。『100~200円の価値だな』ここにはもう入らない。金閣寺の参拝料は1人400円。実にすばらしかった。『建勲神社』に行った。明治天皇の勅命で建てられた神社。信長を祀っている。明治天皇は「信長が日本をまとめてくれたから、日本は外国に占領されなかった」と感謝の意を表している。バスから降りて2分ほどしたら、ワイフが「方丈」で傘を忘れたことに気付いた。それから1分も経たない内に雨が降り出した。参拝殿に辿り着いたころは、大雨になっていた。にわか雨だった。健勲神社から出てしばらくすると、雨は止んだ。歩いていると、二条城で会った《気になっていた1人旅の女性》に出会った。ワイフと併せて8~10言ほど話しかけた。彼女は地図を見ながら「建勲神社」に1人で訪問しようとしている。この時間帯、訪れたのはたったの3人。『信長が泣いている??』 傘を取りに金閣寺まで戻った。今度は「スマホのグーグルマップ」を見ながら戻った。《そのせいか、まだ9月に入って1日しか経っていないのに、スマホの請求代金が1万円を超えた》これにはびっくり。気を付けよう。 続いて、『銀閣』に出かけた。金閣の半分も人はいなかったが、それでも外国人が多かった。特に白人が目立った。境内に入った途端大粒の雨が降り脱した。それでも散策を続けていると土砂降りの雨に替わった。ルートの小道の端を土砂を削りながら雨水が流れて行った。 建勲神社では折り畳みの傘1本に2人で入っていたので、「右肩」が濡れていた。銀閣では、膝下20cmまでは、もうしっかり濡れてしまった。帰宅後、リビングを歩くと、足形が付いたほどだ。雨の中1時間以上散歩しても濡れないのに・・・。 以上、3日間の京都旅行と8月上旬の家族旅行を考慮して考えたのが次の事。《外国人にお勧めの観光スポット12》10点満点の配点。【西日本編】1.原爆ドーム・・・・?2.安芸の宮島・・・・10点3.姫路城・・・・8点【関西編】1.東大寺・・・・9点2.高野山・・・・8点3.大阪城・・・・8点【京都編】Aグループ1.永観堂・・・・9点2.金閣寺・・・・9点3.銀閣・・・・9点Bグループ4.二条城・・・・8点5.三十三間堂・・・・8点6.伏見稲荷大社・・・・8点Cグループ7.清水寺・・・・7点8.南禅寺・・・・6点尚、『足立美術館』には「10点」を付けている。私好み。 19時40分ごろ帰宅。走行距離・・・・175kg。費用・・・・ホテル代・・・・27000円。その他、28000円。ただし、「高速代」と「ガソリン代」は除く。
September 1, 2015
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三十三間堂 豊国神社 清水寺 八坂神社 四条、「京Cafe camme ca」で昼食。おばんざi.2人で2700円。 永観堂。小さな庭がいくつもあって、それが建物とマッチしている。とても素晴らしい。 永観堂。 南禅寺の琵琶湖疏水。 京都駅の地下階「とんかつKYK。私が注文した。 ワイフが注文した。 2015年8月31日、月曜日。6時18分起床。 昨日は『通訳案内士試験』の試験が思ったよりも良かったので、気分が良く、やる気満々だった。寝ながら、ウォークマンで『アルク英検1級』の「A」、『アルク6000』、『アルク4000』をきいた。全部で、約5時間。さすがに『4000』のときは、半分以上寝ていた。今まで、『6000』はもっと覚えていると思っていた。完璧に近いはずだった。《そもそも私は、7000語レベルまでは、全ての単語を覚えていたから》『帰宅後すぐにやり直そう』 京都旅行の2日目。旅行に出る前、『もしも外国人に京都を案内するなら・・・・』と考えていた。第一義的に外国人、2番目には私自身の好みを考慮した。選んだのが次の通り。Aグループ1.伏見稲荷2.金閣3.清水寺Bグループ4.二条城5.銀閣6.南禅寺・・・・ここは実際に行ってみて、それほどでは無かった。Cグループ7.禅林寺永観堂・・・・まだ金閣と二条城は言ってないので・・・・。それでもとても良かった。8.三十三間堂 その中のものをメインに、今日は次の順番で観光した。1. 三十三間堂・・・・初めて訪れた。宮本武蔵を思い出した。とても良かった。白人系の外国人が多く訪れていた。人はそんなには多く無かった。英語のパンフレットを買った。拝観料600円。2. 豊国神社・・・・ほとんど訪問客は居なかった。10人も居なかった。『あの秀吉を祀った神社がこれか・・・・』3. 清水寺・・・・初めて訪れた。まずまず良かった。人がいっぱいだった。中国語があちこちから聞こえてきた。色々な国の外国人がいたようだ。雨が本降りになった。拝観料300円。4. 八阪神社・・・・初めて訪れた。大した事は無かった。人も多くは無かった。 祇園の店で昼食を食べた。「おばんざい」。量は少ないのに、結構な値段が付いていた。2人で、2700円。ホテルの2階のレストランだった。雰囲気は良かった。女性向きの店だと思った。5. 永観堂禅林寺・・・・初めて訪れた。3日前まで「存在」を知らない、しかし外国人には名刹だった。半分以上が白人だった。白人のお坊さんも居た。『こんなに気に入った寺はない』と今までのところ、思ってしまう。伽藍配置が実にいい。伽藍を渡り廊下で繋いでいる。太鼓橋だったり、カーブした上り階段だったり。伽藍と伽藍の間には池と岩を見事に配置し、樹々を植え込んだ庭がある。何枚もシャッターを切ってしまった。『これが欧米人が観たいと思っている日本の寺院、建築物じゃないのかな? だから白人、黒人の外国人が多いのではないだろうか』拝観料600円。6. 南禅寺・・・・睡眠不足がたたって、気分が悪くなった。琵琶湖疏水の水道橋は良かった。それ以外は、どうでもいい。 とてもしんどくなった。2万6000歩も歩いた。夕食は、京都駅の地下の「とんかつKYK」で食べた。食欲は無かったが、食べている間に元気が回復してきた。『よし、よし』
August 29, 2015
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西の丸から撮った1枚。『1枚を選ぶとなると、ここからかナ?』 土台の石垣が思ったよりも高い。 生憎の曇り空。「これで、10年は来ることは無い・・・カナ?」 2015年8月5日、水曜日。4時54分起床。体重は計量出来ず。 夜中に2回ほど目が覚めた。イヤホンで《PKO・水》を聞いた。が、1回目は全く無駄だった。2回目は「4時54分」に目覚めた。その後トイレに立ち、また《PKO・水》に挑戦した。今回は最後に収録している「日本案内」の途中までは意識があった。故、起床時刻は「4時54分」としておこう。 6時40分、娘のスマホが鳴り出した。今回は、体を起こした。スピーカーで「アルク英検準1級」をかけた。10日分が終了した時点で、53日目から始まる「英熟語」に変えた。 その後、朝食を食べに地階のレストランまで降りた。バイキングだった。「きちんと仕事をする人のためのバイキング」だった。健康にはいいのだが、旅行の時ぐらいは『欲望に任せて好きなものだけを思い切り』食べたい。 プリンスホテルは朝食付きで1人約8500円。 ユニバーサルホテルは2食付で1人約5000円。・・・・ベッドが硬い。 2泊の旅行だったら、やっぱりリーガロイヤルやプリンスホテルにする。 皆生温泉に寄った。娘が小1?の時に連れて行って泳がせたところだ。・・・・今の娘は全く興味を示さなかった。 蒜山高原に寄った。ここは去年の九州旅行の帰りにも寄った。私が若い頃、18年ほど続けて寄った場所だ。でも、当時のような感慨は湧いてこない。『もう。この2か所は旅行の対象から外そう』これからは瀬戸内海寄り、そして四国方面に興味の対象を替えることにする。 姫路城に寄った。15時半殻17時まで。暑かった。外国人も多かった。私は今回を含めて「少なくとも8回」は訪れている。3回×2=6回は6年担任としての修学旅行と、下見。《行って嬉しかった、という気持ちは無い。USJもそう。義務感の方が強い》 今回の旅行で、外国人の訪問客が多い場所を3つも訪れた。1.原爆ドーム2.厳島神社3.姫路城 今後の役に立てたい。 夕食は「神座」で食べた。 21時40分帰宅。走行距離1034km。 《特記事項》【基本の学習A・B・C】A:《PKO・X》《PKO・水》・・・・51分08秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・3節(5分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第3章(10分20秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第5・6章(14分08秒) 第5章(8分32秒)・・・・The IT Life 第6章(5分36秒)・・・・Relaxing at Home4.日本案内980文・・・・第5・6章 第5章(71文)・・・・日本文化を紹介する
August 3, 2015
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厳島神社の大鳥居。海に浮かんでいる姿が神秘的だ。 満潮の時は、海面がすれすれまで迫ってくる。アスファルトや地面の上ではないので、社屋の中はとても涼しかった。 娘は私ほど、○○○家の血筋には関心ないようだ。「だってウチは○○(我が家の「姓」)やもん」 古文書の最初の方を「石碑」とした。 2015年8月4日、火曜日。5時04分起床。体重は計量出来ず。 目が覚めてベッドの中で、すぐに《PKO・水》のリスニングをイヤホンを使って行った。6時に目覚ましを合わせていた。今度は、ワイヤレスのスピーカーを使って、《PKO・金》のリスニングを行った。2人は迷惑がっていたが、予定が混んでいる。起きて貰った。そのまま、リスニングを続けた。単語に関しては、「準1級」と「1級」を飛ばしながら聞いた。娘の単語能力を知りたかったから。 単語に関しては、不安が残った。 今日のメインは「厳島神社」に参詣すること。去年まで「安芸の宮島」が、瀬戸内海に浮かぶ本当の島だとは知らなかった。 フェリーに乗って行った。昨日の原爆ドームと同じく、外国人が多かった。記念写真を撮って貰おうと、外国人夫婦に声を掛けた。スペイン人だった。交代で写真を撮り合った。娘が声を掛けたら、話が続かなかった。「あの2人、英語はそんなに喋れないんじゃない」続いて海に浮かぶ鳥居の前。そこは記念写真を撮る順番待ちの列ができていた。外国人の家族連れ4人に娘が頻繁に声をかけていた。なんの躊躇もない。2家族で3,4分は人気スポットを独占していた。『2年前とは違う。当たり前のように英語で喋っている』娘に「結構喋ってるな」と言うと、「(あれは)喋っている内に入らない」と返ってきた。5年間も外国の大学で暮らした者は、やっぱり違う。厳島神社は最高に良かった。 帰宅後、「原爆ドーム」と「厳島神社」を英語で案内している場面をシュミレートして、まとめてみたいと思う。 宮島には、「2時間20分」もいた。 続いて、ワイフのルーツを辿る「記念碑」を探しに、島根県の山奥に行った。邑南町役場まで行ったが、職員の方にはその場所が分からなかった。そこで、遠縁に当たる人(一面識もない)に電話を入れた。奥さんが役場まで来てくれた。《娘のルーツを辿ると、『藤原不比等』まで辿れるようだ。ただ、それだけでは面白くない。『藤原不比等は天智天皇のご落胤だった』という説に興味がある》「お前は、天智天皇の血筋を取るのか、それとも『2代目』を取るのか、どっちだ」とかなり、傲慢なことを私は言っている。 広島県には《ワイフの旧姓の名前が付いた『城跡』もある》。今日の宿は「米子ユニバーサルホテル」。3人で泊まって、2食付きで「15000円」で済む。夕食に喜びは無かった。でも、幸いなことに「体重増を心配しなくて済み」そうだ。《特記事項》【基本の学習A・B・C】A:《PKO・X》《PKO・水》・・・・51分08秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・3節(5分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第3章(10分20秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第5・6章(14分08秒) 第5章(8分32秒)・・・・The IT Life 第6章(5分36秒)・・・・Relaxing at Home4.日本案内980文・・・・第5・6章 第5章(71文)・・・・日本文化を紹介する《PKO・金》・・・・48分28秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・5節(3分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第5・6章(10分01秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第9・10章(13分48秒) 第9章(7分11秒)・・・・Health & Diet 第10章(6分37秒)・・・・At Night4.日本案内980文・・・・第8・9章 第8章(72文)・・・・宿泊する 第9章(81文)・・・・日本の生活と習慣
August 3, 2015
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初めての原爆ドーム見学。 NHKが放送の準備に来ていた。8月3日。 式典の準備。 3日、起床直後。なんとか67kg台に戻した。 15000歩の散歩直後。いい線行っている。 2015年8月3日、月曜日。4時53分起床。体重67.9kg。 早朝の散歩。5時07分~7時05分。1時間58分。15040歩。普段のコース+Gコース。今、広島に来ている。今日は「原爆ドーム」を見学した。「グランドプリンスホテル広島」に泊まる。先程、もう少し、ましなことを書いていた。iPadは使いにくい。消えてしまった。元枠は家で書いてきたのだけど・・・・《特記事項》【基本の学習A・B・C】A:《PKO・X》《PKO・水》・・・・51分08秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・3節(5分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第3章(10分20秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第5・6章(14分08秒) 第5章(8分32秒)・・・・The IT Life 第6章(5分36秒)・・・・Relaxing at Home4.日本案内980文・・・・第5・6章 第5章(71文)・・・・日本文化を紹介する《PKO・金》・・・・48分28秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・5節(3分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第5・6章(10分01秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第9・10章(13分48秒) 第9章(7分11秒)・・・・Health & Diet 第10章(6分37秒)・・・・At Night4.日本案内980文・・・・第8・9章 第8章(72文)・・・・宿泊する 第9章(81文)・・・・日本の生活と習慣B:『アルク英検準1級』・・・・1120語句 A・・・・54分14秒 B・・・・66分14秒(英熟語288語句を含む)C:『アナ雪絵本(46分08秒)』・・・・自作のテキストで56ページ
August 3, 2015
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能登七尾線・・・・能登中島駅で乗り込み、穴水駅で下車した。 昔の国鉄には、「郵便貨物車両」も繋がれていた。列車の中で仕分け作業を行っていた。 能登中島駅に郵便貨物列車が展示されている。鉄道ファンでなくても楽しめる。 2両編成。運転席の真後ろに立てる。自分が運転している気分に浸れる。 能登ワイン・・・・8種類ほどのワインを試飲できた。一見白ワイに見える赤ワインが美味しかった。 義経の船隠し ヤセの断崖 巌門のレストランで昼食。オプションで頼んでいたもの。 巌門 千里浜なぎさドライブウェイ ウサギの里 特急サンダーバードで食べた夕食弁当。オプション。これは良かった。もう1回食べたい。ゴムを持ったらはずれて弁当がひっくり返った。中身が見苦しくなったので、ワイフの弁当で写真を撮った。 2015年6月19日、金曜日。5時30分起床。体重72.7kg。 能登に来て3日目。2日とも「能登ロイヤルホテル」に泊まった。ベッドではなく、布団が薄い。昨日は寝辛かったが、今日は鳴れたのか背中の痛みは無かった。 朝風呂に入った。親睦旅行などでホテルに泊まっても、朝風呂に入ったことはほとんどない。でも、今日は「入りたい気持ち」が高まっていた。 能登ロイヤルホテルはゴルフ場の中にあるホテル。規模は大きい方か。部屋は「10畳の和室」と脇部屋。よくあるパターンの部屋だ。洗面所は狭い感じがした。温泉が広いので、部屋の風呂は使わないのだが、便器周りが狭い。 いろいろと書きたいことがあるのだが、ポイントだけに留めておこう。 今日は昨日と違い、見学場所は全て気に入った。 天気予報に打ち勝ち、最後の「ウサギの里」だけが雨だった。 難波から特急に乗った。20時54分、帰宅。《無駄だったこと》英国王のスピーチ第10章アナ雪絵本起きてから寝るまで700選時事用語の4冊のテキストを持って行った。しかし、全く開かなかった。《頑張ったこと》アナ雪絵本の第3章のバラのテキスト(B5で13枚)を持って行った。主にバスの中、続いて電車の中で「5枚は日本語を見れば英語が出る」ようにした。 片付けが待っているので、今日はこれで筆を止める。
June 19, 2015
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2015年6月18日、木曜日。6時50分起床。 2泊3日の能登ツアーに出かけて2日目を迎えた。今日は1日、バスツアーだった行き先は次の通り。1.輪島の朝市・・・・テレビなどで何度も見たことがある。『こんなもんかな』と思った程度。もう来なくていい。 朝市の入り口付近にある一番大きな店。ツアー会社と提携している。 輪島の朝市の近くには港があった。2.しおやす(漆工房見学)・・・・外国人が2人、男性と若い女性が働いていた。そのあと、2階で昼食。3.千枚田・・・・こんなもんだろう。4.上時国家・・・・平清盛の妹婿の子孫が築いた家。梁は太かった。しかし、去年、白蓮の再婚相手、伊藤伝右衛門の屋敷を見学しており、そのイメージが強烈に残っているので、『こんなもんか』。 屋根裏の「梁」が凄かった。城以外でこんなに太い木材を使った梁を見たことがない。5.揚げ浜塩田・・・・80キロもある樽を担いで塩水を塩田まで上げないといけない。試しに担いで見たが、持ち上がったものの、これで足場の悪い岩場を歩くのは大変だ。「まれ」のがんじさんはこれを担いだのだろうか。6.禄剛埼灯台・・・・能登半島の先端。白亜で綺麗だった。展望も良かった。7.珠洲岬・・・・『何故ここへ来たんだ?』 全く来る必要のない場所だった。 「ランプの宿」・・・・最高1人1泊10万円の部屋がある。人気が高く、なかなか予約が取れないとか。 8.見附島・・・・通称「軍艦島」。大きくは無かったが、見応えはあった。 そして、ホテルに帰った。 隣に座っている男性が、日本酒が置いていないと、とても不機嫌だった。持って来るまでの10分ちょっとは、イライラ感が隣に座っていても伝わってきた。向かいに座っている奥さんが小さくなっていた。酒を持ってきた若い女性の従業員に対しても態度がきつかった。ただ、面白いことに、おちょこ1杯飲むと、ガラッと態度が変わった。従業員に対しても、努めて優しく応えようとしていた。 努めて冷静を装い、対処している若い女性の従業員が愛らしかった。 夕食は「和膳」。 朝食はバイキング。 一杯歩いたので、丁度1万歩を超えた。
June 18, 2015
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能登旅行2泊3日のツアー旅行。いろいろと撮っておいた方がいいかな・・・・という写真は多かった。しかし、『この1枚!!』と言える写真は無かった。 オプションで、昼食3日分と3日目の夕食弁当を注文した。写真の弁当は行きの特急サンダーバードの中で食べた昼食。 能登ロイヤルホテルの初日の夕食はバイキングだった。朝食を含めてバイキング3回。肥える。 泊まりに行ったら必ず生ビールを頼む。家族旅行の際は1杯で済ましている。 最初からデザートに手が出る。 絞めのコーヒーにはなっていない。 アイスクリームもあった。デイエットの真逆を走っている。 2015年6月17日、水曜日。5時30分起床。体重71.0kg。 家に居るようになってから、「体重維持」が続く。今までは「土日で1kg増」だったことを考えると、頑張っているとも言える。『もうちょっとカロリー制限の意識が高まったら、いよいよ痩せだす・・・・かな?』 早朝の散歩は、尾根コース1往復だけに留めた。23分間。3085歩。 始発のバスでスイッチオン・・・・OK。《PKO・水》・・・・51分08秒1.英国王のスピーチ第10章・・・・3節(5分57秒)2.アナ雪絵本・・・・第3章(10分20秒)3.起きてから寝るまで700選・・・・第5・6章(14分08秒)4.日本案内980文・・・・第5・6章 帰宅後、続けて聞いた。そして、もう一度。結局2回リスニング。 8時55分・・・・桜の木 8時57分・・・・ハナミズキで、ウグイスを見た。声が聞こえたので、不意に顔を出したら、桜の木から慌てるように逃げて行った。また、鳴き声が聞こえる。今度はそっと、玄関から前の家、そのた近辺を見渡していたら、ハナミズキから逃げ出した。逃げ出す瞬間だったが、我が家の庭でウグイスの姿を確認できたのは嬉しかった。「マザー・ゲーム」の録画を見た。最終回だった。マザー・ゲームは初回、2回目と見た後は、見るのを止めていた。『最後ぐらいは見たい』そこでワイフに録画をお願いしていた。《諸問題を解決して、一人一人の心の垣根が取り払われていく。そしてハピーエンド。予想はしていたが、いいドラマだったようだ》 能登に来た。能登は2回目。1回目は2番目の赴任校の親睦旅行で。ホテル加賀屋に泊った。風呂は大きくて豪快だったが、当時は我が家も新しくて、部屋に感動しなかった。生オケのコンクールで私は銀メダルを取った。金メダルを取ったのは、頭がツルツルでテーブルの上に乗って踊っていた家族のほんにんだったか、奥さんらしい人だったか・・・・。『もしかして、順序に作為が・・・・』帰りのバスで、私は有頂天。半分はマイクを独占して歌っていた。 能登ロイヤルホテルに泊まっている。ゴルフ場の中のホテル。温泉に入って、食べる以外は何もない。夕食はバイキングだった。ステーキを4皿たべるなど、品のない食べ方をしてきた。ビールを飲んで頭はフラフラ。ゆっくり寝たい。行きは、サンダーバード、金沢で特急かがり火に乗り換えた。羽咋でホテルのバスに乗り換えた。16時10分、ホテル着。
June 17, 2015
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旅館Sの303号室から見た抜群の眺望。 大人4900円、60歳以上3300円。これだけのお金を払って行くところではない・・・・そうは思うのだけど・・・・。加えて駐車料金1200円。 2014年11月10日、月曜日。 午後7時54分、無事に伊勢旅行から帰ってきた。 総費用52000円。使った時間が2日間。 走行距離・・・・530km ガソリン・・・・31L 高速代・・・・2900円 収穫1.旅館Sの実態を知った・・・・いい所だった。眺望抜群。特に英虞湾の入り組んだ入り江の様子が絵になった(写真になった)。嬉しかったので仲居さんにチップ1000円を渡した。2.ワイフに伊勢えびを食べさせることができた。3.残りの80数日、英語を教える決意がしっかりしたものとなった。4.写真が一杯撮れた。5.パルケエスパーニヤがどんなところか分かった・・・・3年前、後半の半年間6年生の担任をして「行ったことは行った」。ただし、園内の遊覧船に1、2度乗っただけで、他のアトラクションはノータッチだった。今回経験したことで、「修学男旅行」を思い浮かべた時のイメージが確かなものとなった・・・・というより、ワイフが行ったことがなかったので、行きたがっていた。これが本音。 失ったもの1.52000円2.2日間という貴重な時間 プラスマイナス考えても、「しっかりした思い出」ができたので、《収穫は大》ということでまとめておこう。 16時29分、伊勢自動車道に入った。 途中2か所のPAで買い物。最初の場所で、赤福が売り切れていた。それで2か所になった。 家から一番近いガソリンスタンドに寄った。 名阪国道で自動車が故障して渋滞4km。 このようなことがあったが、それでも「3時間半」で帰り着いた。 負担が重くない旅行の場所として、「伊勢は一つの候補になりうる」ことが分かった。
November 10, 2014
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2014年11月10日、月曜日。6時18分起床。体重?昨夜から、旅館Sに泊まっている。この旅館は小山の上に建っている。期待通り眺望抜群!昨年泊まった旅館Mは、朝日が見事だった。近未来、伊勢に連泊してみるつもりだ。その時は、旅館Mと旅館Sに続けて泊まってみようかとも考えている。但し、未来のことは不確定だ。これから、牡蛎を食べに行って、志摩スペイン村に行く予定にしている。
November 10, 2014
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今、旅館Sにいる。夕食がほぼ済んで、ちょっと休憩。去年泊まった旅館Mは、センチメンタルな気持ちに浸るには、ぴったりだった。今回泊まった旅館Sは、のんびりするのに、適しませんいる。どちらもGood!子細は帰宅してから書こう。
November 9, 2014
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