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引越しの予定が近いので、暇を見つけては身辺整理をしています。「捨てる技術」という本を読んだので、結構いさぎよくいろいろと捨てられるようになりました。今日は過去にもらった手紙の束をみつけました。見たいような見たくないような・・・過去の自分と対面するのは少し緊張します。それでも気持ちが動いて何通かの手紙を読みました。親友からの手紙や、中国人の知り合いからもらった手紙、それからお茶の先生からのもの・・・もらった時に読んでるはずなのに、何一つ覚えてない手紙が多いことに驚きました。過去は確実に消えていくのですね。それをしみじみと痛感しました。以前、本だったかテレビだったかで見聞きしたのですが、歴史というのは誰かが文章に残したからこそできるものなのだ、と。文章で残さなかったら、それはただの過去、だと。確かに、誰も何も残さなかったら、(語り継ぐ、ということもありますが)未来の人が知る術がありません。過去の私も・・・過去へ遡れば、確かに私が実在しているのですが、ほとんどのことは忘れ去ってしまっています。過去の時間なぞ、実体もなく戻ることはできませんが、手紙や写真などは、過去の通過点の記録としていつまでも残っていく、というのをあらためて感じました。今日の日も、私は忘れてしまうのだろうと思います。パートに行って、家事をして育児をして・・・いつもの日常だったから。最近モノ忘れが多くなってきたので、ますます忘れていくことが多そうです。自分の歴史を残せるように、こうやって時々はブログを書こうと思うのですが・・・
2009年09月04日
珍しく夜にコンビニに行きました。明日の朝の食パンが切れていることに気づいたからです。コンビニの入り口へ向かって歩いていくと、私より少し先に大きな体格をした男性が入って行きました。作業服を着ていて、日焼けした顔の大男。夜ということもあり、私はとっさに「この人はコンビニ強盗なんかじゃないわよね・・・」と考えました。これは私のクセのようなもの。怖がりの性格なので、いつでもそんなことを思うのです。まあ、まさか。と思い直し、入り口のドアのところまでくると、先に店へ入っていった大男は私が店に入るまでドアを開けたままにしてくれていました。強盗どころか・・・今どき珍しい善人ではありませんか。そういうちょっとした親切を出し惜しみしないで他人に振りまけられる人、とても素敵な人だなぁ、って思いました。(さっきまで強盗かと疑っていたくせに・・・ですが・・・)食パンを買い、店の外へ出ると、若い男女がベンチに座っておしゃべりしていました。二人とも同じ色の作業服を着ていたので、同じ職場同士なのでしょう。座っている距離が少し離れていたので、そんなに親密な間柄ではないことがわかりましたが、とても楽しそうに話しているので、何となく気になりました。とてもうらやましくて(笑)若いっていいわねぇ・・・なんて思いながら車に乗りました。私にもそんな時代があったなぁ・・・って。そんなふうにいい思い出を時々味わうのもいいですね。引き出しの奥にしまってあるジュエリーを時々眺めるみたいに。毎日の生活が現実以外の何モノでもなくなったとき、そういうキラキラした思い出が大きな意味を持ってくるのかなぁ、って思いました。そんな時代もあったのよね、なんて、ちょっと微笑んだりできるから。きっと今の現実生活でも、何年もあとから振り返ると、キラキラした思い出がたくさん心に残ることでしょうけど。珍しく夜にコンビニなんかに行ったからでしょうか。ちょっとしみじみとモノ想いにふけってしまいました。
2009年09月01日
新しくできた道路を車で走っていました。時々通るその道路。その日、いつものようにその新しい道を運転していると、どこかで目にしたことがある景色が目に入ってきました。すぐに答えはみつからなかったのですが、でも一瞬で“思い当たる”思い出を探り出していました。お天気の良い、緑いっぱいの山道・・・午後のやわらかい太陽の光、その光の中で見た、たくさんの緑・・・小学6年生の時だったと思います。春の遠足(学校から歩いてちょっと遠めの場所まで行く)で仲良しの女の子ともう1人の友達、そして私の3人で歩いていました。山の中の舗装されていない道で、寂しい道でしたが、3人しかいないのをいいことに大きな声で歌を歌ったりしてました。1人の女の子が「サンタールチーヤ♪」と巻き舌で歌いました。その子の声が少々太かったので、大声でしかも巻き舌となるとかなり笑えるのでした。私は爆笑しながら、自分でもマネをしてみました。私は巻き舌ができないので、これまた可笑しいのです。そんなことをしながらたくさんたくさん笑って、こんなにも楽しいことはないなぁ、と思ったくらいでした。その「サンタールチーヤ♪」と歌った友達は、先日亡くなった同級生の子でした。車を運転しながら、どこかで見たその道をじーっと見ました。記憶をたどり、6年生の時に遠足でどこへ向かったのか思い出してみると、この道を通る可能性が高いことがわかってきました。人の記憶のすごさに私は自分で驚きました。調べるすべはないですが、たぶんあのとき3人で通った道なのだろうと思います。その道は何の特徴もない、よくある山の中の風景。だけど、一瞬見ただけで「いつか通った道」だとハッとしたのです。そして連鎖的にあの「サンタールチーヤ♪」の思い出が私の中の古い引き出しから出てきたのでした。今度、もう1人の友達に、その子は私の親友なのですが、彼女に話してみようと思っています。
2009年07月15日
雨の中、あまり知らない場所を歩きました。全く知らないところではないのですが、歩いてみるといろいろな発見があって、まるで初めて通ったところのようでした。雨の日は独特のにおいがあります。アスファルトが雨に濡れたにおい、だとか、何か生き物のにおい(カエルのような…)、それから今日は懐かしいにおいがしました。古いお家の木の戸のにおいだと思うのですが、湿った木材のにおいがしました。そのにおいに気がついたとき、妙に懐かしい気持ちになりました。どうしてそういう気持ちになるのか、少し考えていました。昔、小さい頃に住んでいたお家が古いお家だったようですが、もしかしたらそのときの記憶が甦ってきたのかな・・・?なんて、答えを探していました。歩いていくと、バラの花があちこちに咲いていました。お花に詳しくないのですが、バラが花を咲かせる季節なのでしょうか・・・いろんなお家にいろんな色のバラが咲いていて、とてもキレイでした。バラの花はあまり好きではありません。なんとなく気高いイメージがあるからかもしれません。美しすぎて私には少し近寄りがたいというか・・・、まさに“高嶺の花”なのだと思います。でもバラの香りは大好きです。昔読んだ小説の主人公がバラが好きで、その香りもとても愛していました。その影響で、一時期バラの香りのシャンプーやせっけんを探したものでした。今日も雨の中、バラの香りがしました。バラが咲いてる周りに、ふんわりと。雨の湿度でその香りは少し濃密度を増している気がしました。ちょっとした自然の香水ができているのかも。しばらくバラを楽しめそうですね。
2009年05月17日
今日、ミシンを買いました。しばらくずっと迷っていて・・・。でも思い切って買うことにしました。 結婚前、今は亡き私のおばあちゃんが高いミシンを買ってくれました。その日のことをなんとなく覚えています。私が会社から帰ってくると街の電気屋さんの親子がおばあちゃんのところに来ていました。車に乗れないおばあちゃんのところには、街のいろいろな勧誘があったように思います。それでいろいろなものを買い物していたと思います。その電気屋の親子も時々おばあちゃんのところに営業に来ていました。家電量販店などに行けない田舎のおばあちゃんは、小さな街の電気屋さんにとってはお得意さんだったと思います。その日はミシンを紹介していました。“brother”のとても高いミシン。「お孫さんの花嫁道具の一つにいかがですか?」という殺し文句に、とうとうおばあちゃんは首を縦にふってしまったのでした。最初私は「そんな高価なミシンはいらないから」と言っていたのですが、営業の人の話を聞いているとだんだん欲しくなっていったのを覚えています。だけど本当に高価だったので(25万円くらい!)、買ってもらうわけにはいかないと思っていました。 去年、そのミシンが調子悪くなってしまいました。あれから何年・・・?15年くらいの月日が経っているかもしれません。高価なミシンのわりには使うことが少なくて、やっぱりおばあちゃんに悪かったなぁ・・・という気がします。なので新しいミシンを買うことにすごく悩みました。あんなに高いミシンを買ってもらっておいて、(口では「要らない」、と言っておきながら内心欲しくなっていたことが自分自身でひっかかっている)ロクに使いもせずに捨て置いている・・・それでも思い切って買うことに決めました。子供のことで、今年は縫い物がある、というのも私を後押ししました。今日、ミシン屋さんが来て、新しいミシンを置いていってもらいました。おばあちゃんが買った値段の10分の1もありません。2万円のミシンです。同じ“brother”で、軽くてシンプルなミシンです。ミシン屋さんが「古いミシンがあれば下取りします」と言うので、私はミシンを下取りに出すことにしました。おばあちゃんの話をするとミシン屋さんは「これはいろいろと分解して、修理に使えるのですよ。おばあちゃんの思い出も無にはなりませんよ」と言ってくださったので、少し救われるような気持ちになりました。ミシン屋さんはウチの玄関にその古いミシンを置き、車を取りに行かれました。玄関にミシンと私が残りました。遠いあの日の、ミシンを買ってもらった日を思い出していました。おばあちゃんに悪いことをした気持ちは消えることはなく、私は思わずそのミシンに向かって手を合わせました。ミシンの上方にもしかしておばあちゃんがいるのかもしれない、となぜか思い、小さく「おばあちゃん、ありがとう、ごめんね。」 と言いました。おばあちゃんの気持ちはずっと大切に持っていますから・・・
2009年05月16日
麦茶の季節になってきました。最近暑い日が多くなってきたので麦茶を作るようになりました。我が家は麦茶は暑い季節だけです。私が麦茶が苦手だというのが理由なのですが・・・私はコーヒーがとても苦手です。飲めないことはないのですが、飲んだあとに体調が悪くなってしまいます。めまいが起きるのです。なのでどんなにおいしそうな香りのコーヒーでも飲みません。麦茶もコーヒーほどではないですが、飲んだあとコーヒーと同じように頭が“もわっ”とします。ちょっと怪しい感じになるので、あまり飲まないようにしています。20代のころ、めまいが起きたのでお医者さんに行ったとき、先生に尋ねたことがありました。「コーヒーを飲むとめまいが起きるのですが、何か関係があるのでしょうか?」先生は「フン」と鼻で笑い、「医学的に、そんなことはありえません」 と答えました。いろんな場面でお茶タイムがありますが、その時に「どうしてコーヒーを飲めないの?」と聞かれることがあります。私は「めまいが起こってしまうから」と正直に答えています。たいていの人は「ふーん・・・」「ホントに?」という感じです。だけど今までに1人だけ「体に合わないのでしょうね」と言った人がいました。「お医者さんは関係ないと言うのですが・・・」と私が言うと、「お医者さんがどう言おうと、あなたが実際にそういう症状になるのだから、それは本当に何か体と関係があるのでは。」と言われました。私はとても素敵な人だなぁ、と思いました。現代の医学はとても進歩していますが、果たして人類はどのくらいのことを発見できているのでしょう。私はまだまだわからないことがたくさんあるのでは? と思っています。なので、コーヒーを飲んでめまいが起こることなど、医学的に見ればおかしな話なのでしょうが、もしかして何かの物質が脳のどこかに作用しているかもしれない、と考えられないことはないのでは? と思います。そんな症状になる人が少ないから誰も確かめていないだけの話で、何か関係性があるかもしれません。絶対ないとは言い切れない話だと思います。実際にめまいが起こる人がここにいるのですから。そうやって大きな目で物事を見れる人、考えられる人、そういう人がいろんな可能性を見出していかれるのだと思います。謙虚になって「まだまだ足りない」と思うから、前へ進んでいけるような気がします。今日麦茶を作っていて、そんなことを思い出しました。そのただ1人の人は、私の大事なお友達です。
2009年05月11日
お天気がよくない中、デイキャンプを楽しんできました。小さい頃、ご近所に住んでいた方がかなりのアウトドアマニアで、私の父もその方に影響を受けて山登りに凝ってしまったくらいでした。実家の庭でタープテントを貼り、アウトドア料理をご馳走になりました。ダッチオーブン×2。このお鍋2つからいくつかのおいしい料理が作られました。一番おいしかったのは魚介と野菜の蒸しもの。オリーブオイルと岩塩のみの味付けがとてもシンプルでおいしかったです。雨が降ってきて寒くなってくると、焚き火を作ってくれました。どこでも焚き火ができる装置?があって、地面を汚さず薪があればどこでも焚き火ができるというものです。その装置には囲炉裏のような仕掛けもあって・・・~三角形で金属の棒が組まれていて、その頂上から鎖が垂れ下がっている。その先に鍋を引っ掛けられるようになっていて、火の上で煮炊きができる仕掛けになっている~ ← なんだかちょっと説明が難しいのですが・・・ 【2009SPPU】スノーピーク ザ・三脚スタンド・バッグ付【防災・地震・非常・救急 SA】楽天で検索してみたら、同じものがありました。この三脚の下に焚き火台があります。私が子供のころ、アウトドアブームがあったことを覚えています。近所の大人たちが競ってコールマンのテントを買い、自分の庭先で週末にテントを張っていました。ブームというのはちょっと恐ろしいものがありますね。それが「自然」に関するものだと余計に気持ちが複雑になります。ブームになったのをいいことに、資源をたくさん使ってお金儲けをする人もいるでしょう。それに自然に親しむ趣味だと言えば聞こえはいいですが、ゴミをしたり道具を使い捨てのように使ったり、自然を汚してしまうことも多いと思います。海や山でたくさんのゴミが落ちていることを思うと、いつもそれはどうかと思います。自然が好きで、そういうところへ遊びに行くのなら、ゴミを平気で捨てる気持ちは対極にあるはずだと思うのです。エコバックや、マイ箸のブームなども、エコという素敵な仮面が表に出ているだけにやっかいなものだと思います。今の世の中では本当のエコなど有り得ないのかもしれないですね・・・
2009年05月06日
長男の授業参観がありました。科目が「国語」だったので、特別支援クラスの方へ見に行きました。授業は音読でした。日ごろから練習していたので、とても上手に読めていました。1年ほど前の授業参観では・・・まだみんなと同じクラスで勉強していたとき、同じように音読の発表がありました。大きな声でスラスラと上手に音読する子たちの中で、長男の読み方はたどたどしくて、見ている私はドキドキしていました。先生が授業参観を意識して考慮してくださったのか、長男が読むところはほんの少しです。その考慮が有り難いのですが、やっぱり寂しい思いもしました・・・今年の長男の音読は、彼の成長を感じるものがありました。あんなに読みにくそうだったのに、スラスラと感情を込めて読めていました。みんなと同じクラスにいたころは、彼は苦手意識ばかりを味わっていたと思います。だけどクラスが変わって、彼なりに「できる」思いを味わっているのだと思います。それがとてもよく感じられて、本当によかったと思いました。授業参観のあと、今まで出ることができなかった懇談会に出ることができました。特別支援クラスのママ友さんが「新しい年になったから、同じ学年の親さんたちに息子のことを説明したい」 と言っていたことに勇気をもらいました。最初は「強いなぁ」なんて他人事みたいに感心してたのですが、自分も今一歩強くなろう、と気持ちが変わりました。新年度ということで自己紹介があり、なんとか自分の言葉で長男の説明ができました。自分の「怖い気持ち」に勝てた気がして、ちょっと気持ちが晴れました。いろんな人に支えられて、応援されて、そのおかげでずいぶん私は強いママになっていける気がします。長男のおかげで私は変わっていけるのです。本当なら本来の自分を変えることなど難しいと思います。いっぺんには変われないけど、でも変える努力ができる、変えようと思う勇気が持てる、それはやっぱり長男のおかげなのだろうと思います。それはとても有り難いことなのだと思います。
2009年04月29日
地元の同級生の子が病気で亡くなりました。同級生のお葬式はその子が初めてになると思います。お通夜に行くと、本当にものすごい数の人が弔問に来ていました。彼女の人徳なのだろうと私は思いました。斎場の入り口には“ウェルカムボード”のような… お葬式の場合はどう呼ぶものなのかわかりませんが、たくさんのスナップ写真がコルクボードに貼ってありました。どの写真も、笑顔が素敵な彼女が写っていました。もしかして・・・彼女は自分のお葬式の演出を考えていたのかもしれません。1年ほど前にはすでに余命を言い渡されていたということだったので、病気と闘いながらも万が一のことをちゃんと考えていたのかもしれません。印象に残ったのが彼女のお姉さんの笑顔でした。お焼香をするところで挨拶を受けておられましたが、違和感があるほどの笑顔で人々と接していました。私は少しそれが不思議で、時々お姉さんを見ていました。彼女と面影が似ているので、誰かに尋ねるまでもなく、彼女のお姉さんだとわかりました。お姉さんに話しかけている人がぽろぽろと涙を流して泣いていても、お姉さんはずっと笑顔のまま・・・かえってそれが私に強烈な悲しさを感じさせました。あの笑顔はお姉さんの強い強い意思なのだろうな・・・と私はそんなふうに思いました。妹のお葬式は絶対に明るいものにしよう、というような。みんなの心の中に笑顔の思い出が残るように。それとも、『お別れは笑顔で』と彼女から伝言されているのかもしれません。何か、そういうことを考えてしまうような、とても強烈に心に染みたお姉さんの笑顔でした。彼女の顔を見せてもらいました。たくさんの人が長蛇の列を作って、一人ひとり、彼女とお別れをしました。亡くなった人を見るのはいつも少し緊張します。ちょっと人間じゃないような気もするからです。呼吸も止まってて、ビクとも動かない、当たり前なのですが、それが私はとても不思議なのです。少し前まで動いてた人が、その同じ人物が動かなくなっている、それがどうしても不思議で不気味な気がします。彼女もまた不思議なくらい静かに、止まったままでした。キレイにお化粧されていて、口紅のさくら色がとてもキレイでした。その口元が私には少し微笑んでいるように見えました。口角がすこーし上がっていて、いかなる“おくりびと”でもそんなことができるのだろうか?と、少し不思議な気がしました。きっと彼女のお別れのテーマは「笑顔」だったのでしょう。私は1人、そんなふうに解釈しました。そういえば、彼女が生きている間も笑顔が似合う人だったと思います。彼女の存在のテーマがそもそも「笑顔」なのかもしれないですね。素敵なお別れ会でした。さようなら、京子ちゃん。
2009年04月27日
長男が野球を始めてからこの4月で4年目になります。弱音を吐くこともあるけれど、なんとか続けてこられました。野球って大人の私でも難しいスポーツだなぁと思います。ルールも難しいし、試合ではその時その時の状況に応じた動きをしなければならないので、その判断が結構難しいように思います。発達障害のある長男にとって、そういう野球はかなり不得意分野。それでもコーチたちの優しくも厳しい指導のおかげで、なんとかみんなについていっているようです。今日は今シーズン初めての練習試合がありました。長男も途中から少し試合に出させてもらっていました。みんなみたいに上手く野球はできないし、レギュラーにはなれなくっても、チームの中で応援したり応援されたり、一つの輪の中に入れてもらっていることは、とても有り難いと思います。みんなの輪(和)の中で野球をやってくれるだけで、うれしいのです。家でも学校でも経験できないことが、何かしら吸収できるような・・・練習を見ているとそんな気がします。コーチの方々は、とても清々しく見えます。野球一筋、野球大好きな人ばかり。その一途さがスカッと爽快で美しい。子供に対しても愛情溢れる指導をされているのが見ていて伝わってくるのです。長男の障害のことを伝えてあるのですが、キッパリと「良いことは良い、悪いことは悪い、で、これからも変わらない」というコーチの信念のもと、分けへだてなく愛情をかけてもらっています。そんなコーチたちが指導してくださるところを見ると“スポーツってすごくスバラシイのだ!!”というものを感じます。スポーツの中には何かしらすごく素敵なもの・・・お金では買えない何か、みたいな・・・何かが一筋ぴーんと通っている気がします。経験して初めてわかる、何か素敵なもの・・・最近その存在に気がついて、あらためてスポーツの素晴らしさを感じました。野球少年! がんばれ!
2009年03月29日
久しぶりにのんびりとお昼寝をしました。最近少しまた寒い日が続いていて、ニュースで「花冷え」だと言っていました。日本語はこんなふうにとても美しい言葉がありますね。2階の寝室は冬の日みたいに冷たい空気でした。吐く息が白いので少し驚きました。電気毛布のスイッチを入れて、布団にもぐりこみました。フリースの布団カバーはすぐにふんわりとあたたかくなって、しばらくすると激しい眠気が襲ってきました。私にとってお昼寝は一番心地よい眠りです。こんなふうにすごーく眠くなって、眠らないわけにはいかないくらいの強烈な眠気に負けてしまう、そして目を閉じると知らないうちに眠ってしまう・・・夜、こんなふうに眠れることができたら、薬なんていらないのですが・・・ しばらく眠って目が覚めると、少し薄暗くなっていて夕方になっていました。ひとりっきりの静かな時間。あたたかい布団の中でしばらくひとりを満喫していました。こんなお昼寝がとっても幸せに感じるなんて・・・ちょっとサミシイ人生ではないの・・・??最近はいろいろなことが面倒になっているような気がしています。平日も休日も・・・あまり自分の時間がとれないから、自分の人生を歩いている実感がない気がします。なんかちょっと寂しいことです。
2009年03月28日
やっと春が来たと思っていたのに、ここ最近また冬みたいに寒いです。夜はお出かけをしたのですが、みぞれのような雪がたくさん降ってきました。いったん春を感じてしまった後だけに、とてもガッカリです。「春になったんじゃなかったのー?」って春にクレームをつけたいくらい。春、がんばって。冬なんか蹴散らしちゃって。3月は春の担当なんだから、冬に邪魔されないようにがんばって。地元の山もまた雪景色になり、風もとても冷たいのだけど、今日のお昼に外へ出たとき、風と風の合間に感じた陽の光はかなり力強かったです。冬がいつまでもねばって居ついていても、それは表面的なものだけで、太陽の光はちゃんと3月の暖かさを放っているようです。もうそろそろ本格的に春を期待してもいいかしら?
2009年03月15日
最近お家の中をいろいろと片付けています。一応引越しの予定がありまして。(決定ではないのですが・・・)私はどちらかというとモノを捨てられない性質で、でもそれをよくわかっているのでなるべく整理してきたつもりだったのですが、それでもまだまだ要らないものがたくさんありました。“いつか使うかもしれない”と思って残しておいたモノは、ほとんどのモノがほとんど使わずに時間だけ過ぎていってしまうものですね。いろいろ整理してみて、それが本当によくわかりました。「今私がこれを発見しなければ、ここにあることも一生気がつかないだろう」というものが本当にたくさん出てきました。そういうものは必要なものではないのでしょう。衣服、かばん類、靴、雑誌、ビデオテープ、食器、雑貨、ファブリック類・・・少しずつ順番に整理して、捨てたり、リサイクルに回したり、人に譲ったりしています。私はなぜか「入れ物」系が好きです。かばん、箱、袋もの・・・ あと食器も好きです。今日は気になってた「箱」を整理してみました。品の良い和菓子の紙の箱や、おいしいチョコレートが入っていた缶の箱などが大事にしまってありました。これらは捨てられそうにないです・・・使い道があるわけではないのに、なぜか魅力的なんですよね・・・たぶん新居へ持っていき、10年後くらいに何か悟って捨てるのかも??そんな感じがします。箱に関してはグズグズですが、あとのものは結構キッパリと決別をしています。次から次へと整理ができて、なかなか気持ちがよいのです。
2009年03月09日
次男と手をつないでいるとき・・・ちょっとした幸せな気持ちになれるひとときであったりします。長男は9歳なので、もう手をつなぐことはありません。ということは・・・次男が大きくなると、誰とも手をつながないことになるのだなぁ・・・などと思っていました。 * * *何年か前流産をして手術を受けたとき。全身麻酔をされる前、私は看護士さんに「手を握ってください」とお願いしました。意識が遠のいていく瞬間が心細かったのです。赤ちゃんがお腹にいる母親にとってその赤ちゃんが亡くなってしまうこと、それを受け入れることそしてお腹の赤ちゃんとお別れすること・・・それは耐え難い苦しみの連続。そしてその後、手術への恐怖を味わうことになります。そんな乱れきった精神状態で手術台に上がるのです。「看護婦さん。手を握っててください。」忙しそうに手術の準備をする看護士さんに、無理やりお願いしました。優しそうな看護士さんが少しの間手を握っててくれました。そのとき感じた安堵感。全然知らない看護士さんの手だったのに、私は少しだけ落ち着いて手術にのぞむことができたのでした。ドラマなどで死の病床にある人が、力をふりしぼって手を出し、周りの人がその手を握るシーン、よくあると思うのですが私はあの悲しい経験をとおして、死の間際で手を握っていてほしい気持ちがなんとなく少しだけわかったような気がしました。手を握るって、すごく特別なことなのかもしれません。何かすごく心にやすらぎを与えてくれるものなのかもしれません。人は無意識のうちに、本能のような感覚で人の手を求めているのではないでしょうか・・・今朝、次男と手をつないでいてそんな過去の思いが甦ってきました。あの手術のあと、同じ私のお腹で無事に生まれてきてくれた次男。その子と手をつないでいる私。なにげないひとときに、私はしっかりと幸せを感じました。
2009年03月08日
昨日はひな祭りの日でしたが、我が家は何でもない普通の日になりました。去年は一応ちらし寿司を食べたり(義母にいただいたもの)してひな祭りを意識していたのですが、今年はできませんでした。そういうの、やっぱり寂しいですね。子供のころ、たぶん私が小学生になったくらいのとき、母方のおばあちゃんから雛人形を買ってもらいました。ケースに入ったお人形さんで、お内裏さまとお雛さま、それから3人官女と5人囃子…?くらいまであったような気がします。私が小さいころはそのケースを出してもらってましたが、大きくなると母も面倒だったのか、押入れにしまったままになってしまい、現在に至っています。私が結婚しても生まれた子供が男の子だったので、雛人形をもらってくるわけにもいかず・・・毎年気になっているのですが・・・小さいころ、熱を出して座敷で寝ているとき、布団のすぐそばに雛人形を置いてもらったときがありました。今も風邪が流行ってますが、雛人形が出ているくらいなので、1月か2月のことだったのでしょう。母は私を置いて仕事に行ったはずです。風邪で休んでいる娘を置いていくのが不憫だったのか、お雛さまをそばに置いて私の慰みにと思ったのかもしれません。その雛人形のケースにはオルゴールが付いていて、私はネジを巻いてはそのオルゴールを聞いていました。「灯りを点けましょ ぼんぼりに・・・」というメロディー。なんとなく寂しい曲調の曲を何回も聞きながら、お雛さまの顔をじーっと見ていました。とてもキレイなお顔をしたお雛さまだったと思います。押入れの中にずっと入りっぱなしで、やっぱりなんだかお人形さんがかわいそうです。おばあちゃんが私のためにと思ってくれた気持ちも封印されてる気もします。来年は母に頼んでお雛さまのケースを出してもらって、男の子しかいない我が家ですが、飾ることにしましょう。
2009年03月04日
先週1週間、夫はインフルエンザで会社を休んでいました。詳しく書くと、症状が出たのが先々週の金曜日で、それから2~3日はおとなしく寝ていました。その後は体調も戻り、かといってドクターストップで会社に行けないため、快適極楽ライフを満喫していました。和室に閉じこもってテレビ見放題、深夜までゲーム三昧、朝寝坊し放題、家のことには全く関わりなしという・・・ インフルエンザなんだからしょうがない、とはいえそんな極楽ライフを送っている同居人を見ると、正直ムカムカ・・・。私はといえば、朝から子供らの準備で大わらわ。保育園へ送り、その足でアルバイトへ。3時に戻り、3時半すぎには保育園へ。その後夕飯を作り、食後の片付け、子供らをお風呂に入れ、その合間に洗濯モノを干し、乾いたものを畳む作業やら、散らかった部屋の整理整頓・・・ま、働く女性ならば当たり前の日常なのですが。当たり前なこととはいえ、忙しく一日を過ごす私のすぐ近くで、極楽ライフを満喫する人がいるかと思うと、なんとなく恨めしく・・・快適極楽ライフも3日経ち、4日経ってくると、夫もだんだん後ろめたくなってきたようで、少しずつ家事をやってくれるようになりました。朝ごはんの後の食器洗い洗濯夕ごはんの準備お風呂洗い私の「アナタ、快適ライフ、さぞかし幸せでしょうよ!!」というチクチク光線が痛かったのかもしれません(笑)家事をやってもらうと、仕事から帰ってきても、とても楽できます。「主夫がいてくれるから楽だわぁ♪」なんて夫に言っていました。夕飯を考えなくていいこと、作らなくていいこと、知らないうちにお風呂が沸いていること。私まで極楽極楽。今日から夫は会社へ行きました。さっそくガッツリと家事をしました。私の家事休暇は終わり。あぁ、楽したなぁ・・・
2009年03月02日
中学のときの同窓会をやるという連絡がありました。我が家は夫も同級生。夫婦で同窓会に行っても・・・という気持ちがあって、あまりうれしい気分にはなれません。夫は夫でそんなふうに思っているのでしょう。友達から出席するか?という電話がかかってきても、あまり乗る気がないようでした。そのことで私にも何人かが連絡をくれました。年賀状だけのお付き合いになってしまっている友人たちです。友人たちも「急だったから」ということで欠席すると言っていましたが、懐かしい声を聞いて久しぶりに会うことになりました。同窓会もいいのだけど。懐かしい人に会えるのもいいのだけど。まだ私は中途半端な年頃なのかも?と思いました。なんか照れくさい気もするし、またいつか会えばいいような気もします。もう少し年を取ったら、もう少し素直にみんなに会いたくなるのかな?と思ったりもします。でもとりあえず、仲良しの仲間とだけですが、会う約束ができて誰の発案かは知りませんが、同窓会を企画してくれた同級生には感謝です。
2009年03月01日
念願だった、保温機能が付いているお弁当箱を買いました。バイトに行く時、朝いつもササッとおにぎりを作っていたのですが、お昼になると冷たくなってしまうのです。それを食べるとお腹が痛くなりそうで・・・そんな時に保温できるお弁当箱セットの存在を知りました。夫が持ってる大きなランチジャーのイメージとは全然違って、コンパクトで小さめ。速攻買いです。さっそくそれにごはんを入れて持って行きました。アツアツの状態とまではいきませんが、ほんわかとあったかいごはんを食べることができました。やっぱりごはんってあったかい方が断然おいしいですね。心もほんわかとあったかくなった気がしました。
2009年02月24日
最近お料理の腕を上げたなぁ って思います。その一つが茶碗蒸し。私は茶碗蒸しを食べるのが大好きなのですが、作るのがとても苦手でした。いろいろなレシピやテレビで作り方を見ても、実際に作るとうまくいきません。茶碗蒸しの器がちょっと大きめ、というのが一つ大きな原因だったと思います。レシピを見て4人分を作ってみても、器が大きいために3つ分くらいにしかなりません。そうすると微妙にいろいろ足さなくてはならず・・・卵を足し、そうするとだし汁やお塩もちょっと足して、とか。こうなると味がピシッと決まらないのです。その時によって味が薄かったり、濃かったり、シャバシャバだったり。それに蒸し時間も我が家のジャストタイムを追求しなければなりませんでした。器が大きいために、レシピ通りに蒸しても、中の方がまだ生だったりしたので…。作ったことがある方はわかると思います。時間だけではダメですよね。火力の強弱も成功のカギになってきます。私は偶然NHKの番組で「消し火」という技を覚えました。強火で6分(レシピでは4分)、その後、弱火でなく、「消し火」で10分(レシピでは8分)これで「ス」もたたず、半生ということもなくなりました。そして去年くらいから、やっと上手く茶碗蒸しが作れるようになりました。家族みんなが、そして自分も大好きな茶碗蒸し。苦節10年、やっと安定して上手に作れるようになったのですよォ。
2009年02月23日
念願だった「中日・日中辞典」を買いました。職場にいる中国人ともっと話したいと思って、アマゾンで探しました。いろいろとあって迷ったのですが、じっくり探して正解でした。中古でしたが全くキレイな状態のもので、かなりお値打ちでゲットできました。3800円→1000円!!なかなか本屋さんで3800円の辞書、買えないですよねぇ。しかも自分のために。そう思うとアマゾンは本当に便利で有り難いお店ですね。さっそく辞書を開いてみると、なかなか使いやすくてとても満足です。まず日中辞典の方で日本語の語彙を引きます。(50音順で国語辞典みたいになっている)例えば・・・「行く」 → 「去」 と書いてあり、そのあとで今度は中日辞典の方で「去」を調べる。そうするとより深く「去」についての使い方がわかる、という感じで。しばらく夢中になってあっちこっち調べました。そんな私を長男が不思議そうに見ていました。「ねえ、勉強ってね、本当はとっても楽しいんだよ。 やりなさい、と言われると楽しくなくなっちゃうんだろうね。 でもね、こうやって自分が知りたいことをどんどんわかっていけることってね、とっても楽しいんだよ。 子供の頃にもっと勉強しとけばよかったなぁ。」何気なく、ママの気持ちが伝わるといいな、と思うのですが・・・がんばって中国語をマスターしたいと思います!
2009年02月22日
わきまえる。『わきまえる』 ・・・人としての道理を承知している。調べるとこのような説明が書いてありました。発達障害のある長男はこういうことが不得意分野です。空気を読むとか、場を察するとか、そして、このわきまえる、という行為。最近ちょっと気がついたことがあって・・・次男にはとても自然な笑顔で接することができる自分がいます。考えてみると、次男は小さいながらも「わきまえる」ことができているのだと思います。4歳には4歳なりの、人としての道理。私の状況を見て、無意識にわきまえていることがよくわかります。これは普通の親子では気がつきにくいかもしれません。ごく普通の、自然に学んでいく、できて当たり前のことなのですから。長男はそういうことが少し苦手。そしてその特性は、人をとても不愉快にさせます。きっとその特性が原因なのでしょう。次男には笑顔で接することができて、長男にはつい難しい顔をしてしまうこと。そこまでわかっている自分なのに、ついついイラっとしまって笑顔でなくなってしまう…長男はさぞかし生きづらい思いをしているだろうと思います。どの場面においても・・・ 家庭でも学校でも、親に対しても友達に対しても・・・自分の無意識のうちに相手をイラつかせていることで、何かしら不具合が生じているだろうと思うのです。思い返してみると、小さいころ、ご近所でそんな大人の人がいました。人の嫌がるようなことをズケズケと言い、傷ついてる相手のことなどお構いなしで自分だけ楽しそうに笑っていました。なんて無神経な人なんだろう って思いました。私はその人が大っきらいでした・・・その人にそういう特性があるのかもしれないと気づいたのは、長男が発達障害だと診断されたごく最近のことでした。私はお医者さんではないので、本当のところはわかりませんが、たぶん生まれつきそういう特性を持っている方なのだと思います。みなさんの周りでも、そういう人が暮らしているかもしれません。ちょっとだけ、温かい目でそういう人を見てくださったらいいな って思います。この日記を思い出してくださればうれしいです。そんなふうに思って、今日は日記を書きました。
2009年02月15日
母から箒をもらいました。子供たちが細かいものを散らかしていくので、せっせと毎日腰をかがめて拾いまくっていましたが、母がそんな私を見るに見かねて買ってくれました。「一つ一つ拾うのも大変でしょ。掃除機をいちいち出してくるのも面倒だし。箒でサッと拾うと楽だよ」って。いかにも安物そうな(笑)、箒とチリトリのセットでした。が、使ってみるととても便利です。食卓テーブルの下なんかもこれでサッと掃けばキレイになります。和室なんかも箒でさーっと掃き、掃き出し窓からサッサーって汚れを出してしまうなんてことも最近はよくやっています。そんなことで、箒の便利さに目覚めてしまった今日このごろです。以前テレビでとっても高級な箒のことをやっていました。何万円もするとかいうのです。でもその箒屋さん曰く「いいモノを買えば一生使えますし、電気代もかからず経済的ですよ」とのこと。この際、1本、いい箒を買ってしまおうかと思案中。 長柄ほうき 職人さん手作りの昔ながらの箒、やっぱり1本欲しいなぁ って思います。
2009年02月11日
去年の、いつくらいだったでしょう。輪ゴムがなくなってしまいました。箱入りの。買ってこようかと思っていたのですが、マメに集めてみると案外コト足りていくものだということがわかりました。箱入りの輪ゴムを使っていたときは、それはそれはもったいない使い方をしていたものでした。落ちていても拾わず、掃除機で吸いとってしまったり、面倒だからと捨ててしまったり。輪ゴムは案外外部からいただくことが多いのです。実家からパックでお惣菜をもらったとき、パックの蓋を輪ゴムで止めてあったり。書類をくるくると丸めてあるものを輪ゴムで止めてあったり。ネギを買ったとき、根元の方を輪ゴムでしばってある場合があったりもします。そうやって集めてみると、少しずつたまり、今では買わなくても大丈夫なくらいの量になっています。これはちょっとした発見でした。輪ゴムはわざわざ買わなくていいのです。これからもマメに拾って集めて、買わずに暮らしていこうと思っています。
2009年02月09日
初めてクラッシック音楽を聴いたのは、小学6年生の時の音楽の授業だったと思います。グリーグの「ペール・ギュント」「朝」から始まって、「オーゼの死」、「アニトラの踊り」、「山の魔王の宮殿にて」これは今調べてみると、「第1組曲 作品46」というものみたいです。その時のことを今でも忘れられないのは、かなり感動したからでした。たぶんそれが生まれて初めてちゃんと聴いたクラッシックでした。音楽室の大きな性能の良い(当時の)スピーカーから聴こえてきた迫力あるオーケストラの音は、いろんな感情を私に抱かせました。一番印象に残ったのは西洋の歴史の重みといいましょうか・・・重たい、暗い、切ない・・・ 音の中に何かものすごくヨーロッパのにおいのようなものを感じました。そして、運命、というような・・・ 人間が背負う悲しみ、みたいなものを感じました。これは今思い出してみて、今の大人の私だから表現できる言葉なのかもしれません。子供だった当時は、何かとてつもなく大きなヨーロッパのオーラを感じていたのだと思います。その音楽を心身で聴きながら、“こういう音楽をもっと知りたい”と思ったことが思い出されます。そしてその時、自分はかなり大人びた考えを持っているのではないか? と思ったことも思い出されます。あれからいろんな音楽を好きになり、聴いてきました。どんな音楽を好きになっても、いつでも私の心にはクラッシックへの想いが秘められていると思っています。
2009年02月01日
結婚以来ずっと使っていた、スパイスのナツメグがなくなりました。小さなビン入りの、です。賞味期限がふと気になり、見てみると 「2001年、9月」。少しびっくりしました。結婚したのが1997年。初めてハンバーグを作った時に、このナツメグを買ったのでしょう。一度にたくさん使うものでもないし、なかなか減らなかったのでしょうね。ビンを洗って捨てるとき、ふと少しさみしいような気持ちになりました。結婚した時から11年間、ずっと身近にいた存在みたいに思えて。そのナツメグを買ったときには、これから起こってくるいろいろな出来事をまだ何も知らずにいた自分がいたこと・・・遠いあの頃の自分がかすかに頭をよぎって、懐かしいような悲しいような、寂しいような気持ちになりました。それは、ほんの一瞬のことだったのですが・・・
2009年01月31日
久しぶりに長男のことで悲しい思いをしました。長男の学年の普通クラスでちょっとしたいじめのような問題が起こりました。その問題についてプリントが配られたようですが、特別支援クラスに在籍している長男にはずいぶん遅れてプリントが渡されました。「あの件は解決しました。」という報告のプリントと一緒に。なんていうのか、長男はもはや「蚊帳の外」的な存在なのかしら?という思いでちょっと悲しかったのです。自分ごとであったなら、私は目をつぶったような気がします。だけど子供のことなので、引っ込んでばかりもいられず、思い切って先生に気持ちを打ち明けようと連絡帳に書きました。以前にも一度このようなことがあり、やっぱり一言伝えるべきだと思いました。「あのプリントが配られたとき、3年生のママさんからメールをもらいました。でも私はプリントをいただいてなかったので、何のことかわからず、大変寂しい思いをしました。 長男にも同じようにその都度プリントを配っていただけませんか?」 と。そして「長男が特別支援クラスへ移り、少しずつ忘れられていく存在になっていくような気がして辛いです。 みんなと違う学校生活を送っていくことは、さまざまなことに傷ついていかねばなりません。とても辛いです。」先生からの返事では何回も謝罪の言葉が書いてありました。先生のことを責める気持ちはさらさらなく、ましてや謝罪が欲しかったわけではないのですが、実際に何回も謝罪の言葉が書いてあるとなんだか余計に悲しくなりました。ただただ・・・私は寂しかったんですよねいろんなことが学年で1人だけクラスが変わってしまったこと少しずつ元のクラスのみんなと距離ができつつあると感じることそれより、何より、長男には障害がある、という事実そのことでいろんなことがうまくいかないこと・・・いろいろ いろいろ 悲しさの連鎖が繋がってしまう連絡帳の最後に「3年1組のみんなは保育園の頃からのクラスメートです。なるべくみんなと一緒に仲間に入れてください。」と書きました。ああ、私は母親になったんだなぁ って思いました。自分のことだったら私は引っ込んだままだったと思います。それが、子供のことでは遠慮できませんでした。なんか、そういう自分を、母になって今までの自分とは違う意思を抱くようになったことを、このことを通して知ったのです。そうやってまた一つ、「母」への階段を昇っていけたのだと思います。
2009年01月30日
昨晩から次男が熱を出しているので、今日はお仕事はお休みです。いつもなら保育園の準備をしたり、自分の準備をしたり、家の中を片付けたり洗濯モノを干したり、バタバタバタと目がまわるくらい忙しい朝です。今、久しぶりにのんびりとした朝の時間を過ごしています。先ほどは焦ることなく洗濯物を干しました。そしてゆっくりと乾いた洗濯物を畳みました。次男と一緒にマフィンを食べ、2杯目のお茶を入れました。今日は3月下旬くらいの暖かい日になるそうです。窓の外を見るとやわらかい陽射しが射しています。こんなふうにじっくり朝を味わうことは、どれくらいぶりなのかな・・・毎日お家にいた頃には、毎朝ゆっくりするのが当たり前だったので、かえって朝を味わうことはなかったように思います。忙しい毎日になったからこそ、ゆっくりした時間が貴重になって、こんなふうに朝をたっぷり満喫できるのかもしれません。こういうことに気づいたこと、それこそが実は幸せだったりするのかもしれないですね。
2009年01月29日
めざましのパクリみたいですが・・・(笑)先日薄汚れた(その犬になんとも失礼ですが)わんちゃんのことを日記に書きましたが、同じ場所で対照的なわんちゃんを見てしまいました。見たことのある貴婦人が、かわいらしいわんちゃんを連れて散歩していました。どこかで見たと思ったら、地元の歯医者さんの奥様でした。犬の種類に詳しくないので、どういう犬かわかりませんが、ぬいぐるみみたいに小さくて、見るからにセレブ犬でした。寒い日だったので、何かお洋服を着せてもらっていました。それから頭にはピンクのリボン。・・・・・・・ この前のわんちゃんに比べてなんという違いだろう ・・・・・・・犬といえども運命があるのだなぁ と思ったりしました。飼い主によって人生、犬生、ですか、が変わってきますね。何事も縁かもしれないですが・・・。
2009年01月26日
毎日の暮らしの中で、少しずつ「自分の定番」ができつつあります。使っていて良かったもの、使い心地が良い、自分好み、しかもお値打ち・・・こういう条件がそろって一つずつ定番ができてきます。最近定番に昇格したのは、お皿洗いのときに使う「スポンジ」。淡いピンクとレモン色と薄いブルーの3個セットで98円。今までいろいろと買って試してきました。キクロンから使い始め・・・キクロンはモノはいいことに間違いないのですが、1つが130円ほどかかること。ちょっと硬め、ということもマイナスでした。 ←使いこむと馴染んできますが…その後もいろいろと品定めをし、やっと今の商品にたどりつきました。ポリエステル不織布と、スポンジの両面使えるタイプで(キクロン式)色が優しいのがまずいい感じです。スポンジ部分も不織布の部分も両方キレイな色をしているのが、さらにいい感じです。洗い物が嫌いだし、汚れものがどーんとたくさんあるとき、心底グッタリしてしまうので、せめてスポンジはキレイな色を選びたいと思うのです。こんなふうに定番ができると、あとは買い足すだけになり、それだけでも暮らしがスムーズになるような気がします。ただ、商品はいつまで製造されるかが謎なので、突然お店から無くなったりするのですが・・・
2009年01月24日
寂しそうな表情をした(そう見える)わんちゃんを見ました。次男の保育園のお迎え時によく見かける飼い主さんとわんちゃんですが、今日はいつになく犬の方に目がいきました。毛並みがぼさぼさで、性格が弱そうに見えました。伏せ目がちな目をして、動きも鈍く見えました。体を見ると、あちこちで抜けそうな毛がかたまりになっていて見るからに「なんだかかわいそう・・・」という感じ。ぼろぼろになったフリースみたいな・・・ そんな印象でした。案外幸せものなのかはわかりませんが・・・夕方の寒くなってきたころだったので、余計にそのわんちゃんが寂しそうに見えたのかもしれません。明日はまた雪が降るということです。今晩から寒くなるそうで・・・。冬は苦手です。寒いのはどこか寂しいものですね。
2009年01月23日
昨日、いただきものの大根を煮物にしました。太ーーい大根で、輪切りにするととても大きくなりました。なので、半月切りです。義理の母の煮物がとてもおいしくて、大根の煮物もちょっと独特でおいしいのです。奥飛騨の郷土料理のようです。濃い味付けで、とても甘いのです。寒い国の理に適っているのでしょうか??大根の煮物は、にぼしから出汁をとって煮てあります。それから私の煮物では入れたことがない、サラダ油が入っています。(これは違和感ある方もいらっしゃるかもしれないですね)しょうゆやみりんを入れるように、サラダ油を入れるのです。最初はびっくりしましたが、コクが出て意外においしいです。そして初めて大根の煮物にサラダ油を入れてみました。どのくらい入れるのかは知らないので、少ーし、たらしてみました。冷まして味を含ませ、また火を入れてコトコトコトと。飴色のおいしそうな煮物ができましたよ。にぼしの味はしませんが、なかなかに義母の味に近づいた気がします。
2009年01月22日
アルバイト先に中国人の男性が2人います。かつてOLをしていた時に少しだけ中国語を勉強した経験があって、それが案外役に立つことが多く、また少し勉強しています。OL時代、毎年のように中国人の研修生が会社にやってきました。私は彼らの寮のお世話を手伝っていたこともあり、中国人ととても親しくなりました。その時にいろいろと中国語を教えてもらっていました。もうかれこれ15年くらい前のことでしょうか・・・ずいぶん中国語も忘れていたのですが、また中国語に触れることでいろいろと思い出されてくる言葉も多く、中国の人と話すことが楽しいな、って思います。少し前は韓国ドラマの影響で、本気で韓国語をマスターしようと思っていたところで(笑)。ちょっとごっちゃになることも・・・「大丈夫? 」と言いたいときについ「ケンチャナヨ?」と頭に思い浮かんでしまい、(韓国語に詳しい人はわかりますよね、代表的な言葉です)混乱してしまいます。中国人も韓国人も日本人も同じような顔をしているし、言葉や文字も中国経由で伝わっているだろうに、全く意味が通じなくなってしまうなんて、なんだか不思議だなぁって思います。それでも時々、同じ漢字を使い、同じように発音する言葉もあって、言葉の面白みを感じます。やっぱり根っこは一緒なのでしょう。いつか、中国に行きたいです。会いたい人がいるので・・・
2009年01月18日
大きな蕪を買いました。今晩、長男といっしょにスープを作りました。荒くつぶしてコトコト煮ているととろとろのスープになりました。そこへミルクを足しました。おいしい おいしいスープになりましたよ。毎年食べたくなる、冬のごちそうですね。
2009年01月14日
寒い寒い冬の夜ふいに気持ちが落ちていきます。落ち込む、とか、でなくってもっと深い無常観みたいなものかもしれません。なぜか急に我にかえってどうしょうもなく焦ったような気持ちになりました。取り返しのつかない時間をたくさん過ごしてきてしまった、というような…何か言いようのない寂しさを感じてしまったのです。ただの寂しさとは比べようのない深い深い寂しさを、ふと感じてしまいました。小さいころからときどき襲ってくるこの深い寂しさの津波。今、この津波が行き去るのを、じっと待っています。寒い寒い冬の夜に。
2009年01月12日
最近の楽しみは夜にワインを飲むこと。去年の秋、大好きな「井筒ワイン」のワイナリーへ行き、お土産に少し買ってきました。それをちびちびっと飲む、これが大変よろしいのです。ごはんを食べて一通り後片付けもし、一息ついたところでワインを少し。小さめのウォーターグラスに半分くらい。とくとくとくっと。初めて井筒ワインを飲んだのは25歳くらのときでした。お歳暮でいただいたものを何気なく飲んでみたのが出会いです。それまで飲んだどのワインよりもフルーティーでおいしかったんですよね。ついついハマって、ワイナリーまで行っちゃいました。 ← この赤、飲みやすくておいしいです。このワイナリーの近くに雰囲気のあるお蕎麦屋さんがあります。信州の独特の食べ方(だと思います)でお蕎麦をいただけます。田舎味噌が薬味に出てきたり、鴨のつくねのスープのおつゆが出てきたり。古民家をお店にしてあるようで、とてもいい感じです。そこのお蕎麦屋さんでもこのワインが置いてありました。さて。これから、少し赤ワインをいただきます。
2009年01月08日
タイトルの漢字は「ばくち」です。言葉では使いますが、漢字は案外使わないですね。小学生の頃、小学生でもまだ小さい頃だったと思います。毎年お正月には母の実家へ泊まりに行っていました。年末年始、テレビを見ながらトランプや花札、麻雀などをやったものでした。昔、一緒に住んでいたおばあちゃんが私がまだ小さいうちから花札で遊んでくれました。かなり小さい頃から「花合わせ」や「こいこい」ができたと思います。おばあちゃんは時々戦争のときの話をしました。「戦争中はバクチが禁止されていたから花札ができなかった。だから電気の傘の上に布をかぶせて花札をしたものだ(明かりが外へ漏れるとバレるため)」と話していました。そのときおばあちゃんが「花札をすると警察に捕まる」と言っていたので、小さい頃は少しドキドキしながら花札をしていました。窓の外を気にしたりして。麻雀も小さい頃から覚えました。花札や麻雀ができると大人たちによく驚かれ、それでちょっと得意げになったりしてたものです。今年もトランプや花札をずいぶんとやりました。ちらちらと小さい頃の記憶が甦ってきて、いろいろと思い出すことがあったりして、それがまた楽しかったです。
2009年01月04日
年賀状の楽しみの一つに、宛名の字を眺める、ということがあります。最近はパソコンで宛名入力&印刷してある人が多くなってきましたが、やっぱりその人の字で宛名が書いてあるのはちょっとうれしいことです。(そういう我が家の年賀状も夫に任せてあるのでパソコンの印刷です…)私宛の宛名の字を見て、誰からいただいた年賀状か、だいたいすぐわかります。それがなんとなく楽しいひとときだったりします。筆ペンでもマジックでも、その人その人の字には特徴があって、それがわかることがなんだかちょっと楽しいのです。それだけその人のことを知ってる、というか・・・字って年月が経っても変わらないものだなぁ、と考えたりとか・・・本質的には変わらなくても微妙に変わってくる人がいたりもします。年を重ねて、字を書く機会が増えたのか、それとも周りの人の字の影響を受けているのがわかったりもします。(若い人と仕事をしている友達はあきらかに今風の流行り文字になっていました。)今年はある友達の字が明らかに違和感がありました。宛名の字は筆ペンのようでしたが、その人らしい特徴が見当たりませんでした。とても上手な字だったし、どなたかに代筆をお願いしたのか、それともペン習字でも習ったのかもしれません。今度それを訊ねてみるつもりです。「あの字はあなたの字だったの?」って。年々習字への興味が高まっています。真っ白い紙に黒い墨で字が書いてある、その色のコントラストがとても美しいことに惹かれつつあります。私も少し字の練習をしてみようかしら。
2009年01月03日
あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいます。なかなか日記を書けませんが、できるだけ言葉を残しておきたいと思っています。何かひと言でもその日の記念に、何か書き残せたらいいのですが・・・昨夜はあっさりと新年を迎えました。年々あっさりになっていきます。テレビの中だけはカウントダウンや新年のおめでたさで溢れています。そういうのをどこか遠い距離を置いて見ているようでした。日付が変わり、お布団の中で除夜の鐘を聞きました。 ぼーーーーん ぼーーーーんどこのお寺さんから聞こえてくるのか、毎年疑問に思いながら、年々時間が流れていきます。 小さい頃、母のそばで除夜の鐘を聞いたことを思い出していました。父の勤務は夜勤があり、たまたま大晦日の日が夜勤に当たった年がありました。母と弟と私と3人。二つの敷き布団を横向きに並べて寝ていました。たて向きに敷くと(たて向きが正常ですが)真ん中の人が布団と布団の境目に挟まってしまうので横向きに敷いて寝ていたのでした。父が厳しい人だったので父の夜勤の日はうれしいものでした。その夜勤が大晦日の日に当たる、それはそれはとても心ときめくことでした。(父には申し訳ないのですが…)除夜の鐘を聞くくらいなので、私はそれなりに年齢が上がっていたのだと思います。なので普段は2階の自分の部屋で寝ていたはずです。それが父がいないということで、母のそばで寝ることができたのでしょう。だから今でもうれしかった思い出として私の記憶に残っているのだと思います。弟はもう眠り、静かな時間が流れていました。 ごーーーーん。ごーーーーん。(ぼーーーん、よりもっと近くで聞こえる感じ)「除夜の鐘って本当に聞こえるんだね」と少し驚いて母に言いました。近くのお寺で実際に除夜の鐘をついていることを知らなかったのです。母はその時私に何を話したのか、それは全く忘れてしまいました。ただ、その時の心からの満足感母のそばで心やすらかに寝ていること、静かな空気の中で除夜の鐘の音が意外にもよく聞こえてくる、そのしみじみした夜のひととき、子供心に この瞬間は忘れないだろう と思っていました。 * * *毎年、私はあの時の自分を思い出します。昨晩も除夜の鐘が聞こえてくるたびに、ふんわりとその時の気持ちが甦ってきました。遠い昔の、ほんのひとときの、とても幸せだった私に・・・今年も会いました。
2009年01月01日
昨日からとても冷たい風が吹いていて、今朝は雪が降っていました。とうとう本当に寒い冬がやってきました。朝、次男と二人で今シーズン初めての雪を食べました。私は雪を見るとまず「おいしそう♪」と思うようになってしまいました。妊娠・出産を経験してからです。妊娠中、妙に氷が食べたくて、しょっちゅうガリガリと食べていました。それ以来、氷を見ると食べたいと思うようになり、雪を見てもそう思うようになりました。全くおかしな話です(笑)。自宅近くで車を運転していると、ちょうどお墓の前あたりで、1匹の猫ちゃんが車の前をゆっくりと横切っていきました。車の存在など「どーでもいいですわ」という雰囲気で、草むらの中へ入っていきました。雪が降る中、ねこちゃんは寒くはないのかしら…??ふいにそんなことを思いました。心配したところで、どうにもならないなぁ・・・と思いながら、しばらくねこちゃんのことを考えていました。というのも、そのねこちゃん、なんとなくお腹のあたりがふっくらして見えたのですもの。もしかして、赤ちゃんがいるの??厳しい自然の中でたくましく生きているんだなぁ、ってあらためてすごいなぁって思いました。野生の彼らにとって、雨も雪もごく自然のことなんでしょうね。「雪が降ったって生きていくしかないでしょうよ。」というようなところでしょうか。人間が一番“か弱い”動物になってしまっているんだろうな・・・それは間違いないことのように思えました。その道ばたにいたねこちゃんは、いかにも堂々とした足取りでしっかり前だけを見ているように見えました。そんなところが、やっぱりちょっとすごいなぁ って思うんですよね。
2008年12月26日
久しぶりにここへ来ました。ちょっと懐かしい気持ちがしました。それくらい更新してませんでした。私は案外元気で過ごしています。9月から始めたアルバイトにも慣れてきたようで、毎日通っています。周りの人たちは私の体調がすっかりよくなったと思ってるかもしれないですね。でも本当は自分でも毎日驚いています。「今日もちゃんと眠れた。起きれた。仕事に行ける。ウソみたいだなぁ」って。毎日毎日有り難いなぁ、と思いながらバイトに行っています。・・・もしかしたら、季節が良いというセツもあります。夏や冬はわりと調子がいいので・・・実際10月の前後はフラフラふわふわしてて最悪でした・・・外に働きに出れるということは、それだけ健康だということで、本当にそれだけでとっても有り難いことですね。今日は働きながら考えていたことがありました。仕事仲間の1人の人がとっても話しやすい、ということについて。話しやすい人というのはだいたい雰囲気が決まっていて、言葉にするのは難しいのですが、感覚で「あ、この人とは話やすい」とわかります。私は人見知りが激しく、でもそれが相手に悪いと思うので、多少無理して人と接しているようなところがあります。その無理が相手に伝わり、すんなりと仲良しになることは難しいのです。なんていうのか、相手と自分との間に壁ができてしまってて、その壁を取り払うのに時間がかかります。でも不思議と話しやすいタイプの人とは、こんな私でもスラスラと話すことができちゃうんですよね。今日は仕事仲間の1人がそういう人だと知って、ちょっとうれしくなりました。人付き合いが苦手な私でも話しやすいと思うのだから、きっといろんな人に愛されているのだと思います。吸収したいですね。もっともっとナチュラルに。もう少し楽にいってみようと、最近ちょっと努力してみています。おっと。今日はクリスマス・イヴですね。Merry Christmas!!
2008年12月24日
今日は朝晩がとても寒くなりました。暖房を出してこようか迷ってしまったくらいです。一度暖房をつけると最後、来年の春まで毎日スイッチを入れてしまうことになるでしょう。なので毎年暖房を出してくるのをギリギリまで我慢しています。今日は夕飯にお味噌汁を作りました。優しい味の白いお味噌のお味噌汁。私は白味噌のお味噌汁が大好き。世界にはおいしいお料理がたくさんあって、時々いろんな国の人たちを尊敬することがあります。ラーメンや餃子を作った中国人は素晴らしい!!パスタ料理を作ったイタリア人は素晴らしい!!カレーを作ったインド人は素晴らしい!!※ 違ってたらごめんなさい 発祥の地かどうかは知りませんです…そして、日本のお味噌汁。栄養があっていろんな材料といっしょに食べられて、しかも毎日のように食べることができて、これを作った人はすごいなぁ、と思います。寒い夜にあったかーいお味噌汁をいただくのって、なんだかほっとしていいですね。そして寒い日には白くて優しい味の白味噌のお味噌汁がいいんです。←私は、です。白味噌の味は・・・まぁるい味、優しい味、繊細な味・・・ そんなふうに思います。優しい味だから余計に心があったまるのかな? 優しい気持ちも人の心をあったかくしますから。だから白味噌のお味噌汁が好きなのかも・・・?
2008年10月29日
地元主催のフリーマーケットを覗いてみると、ママ友さんが出展していました。手作りのアクセサリーをたくさん作って売っていました。それはもうたくさんの作品で、しかもとても上手でかわいらしくてびっくりしました。とても素人さんが作ったようには見えない素敵な作品でした。あんなふうに自分の作ったものを買ってもらうのって、うれしいでしょうね。お金を儲けることよりも、自分の作品をたくさんの人に見てもらったり、それを使って喜んでもらったりすることがうれしいんじゃないのかなぁ、なんて思いました。そのママ友さんには娘さんがいます。ウチの長男くんと同じ3年生。帰るときにそのママ友さんをふと見たら、娘さんとお昼ごはんを食べていました。そういえばちょうどお昼時。お客さんが途切れた隙にササッと、という感じでしたが、とても微笑ましい光景でした。(これを読んでくれてるかもしれないけど、そんなに凝視してないよ^^)娘がいるって、いいなぁ。 なんか突然そう思いました。9歳だったら、結構話し相手にもなり、頼りになるようになってきているのでは??自分の子で、女の子で、って、とても存在が大きいような気がします。私には娘がいないので、苦労や心配などはわかりませんが・・・。私自身、実の母と仲良しで、しょっちゅう母と会っています。頼りがいのある母で、大好きな母。先日母が何気なく話していました。「私は母親が(私の祖母)頼れない人だったから、とても苦労をした。その分アンタに(私)に精神的に頼ってしまうのかもしれないわ」頼っているのは私の方だとばかり思っていましたが、母も私に頼るという感覚があるのかと少し驚きました。愚痴を聞いてあげて、アドバイスするくらいのものですけど。そういうことが母にとってちょっとした救いになっているのかもしれないです。今、そばに長男くんがいますが、まだまだ子供っぽくて笑っちゃいます。ポケモンのお人形さんで遊んでいて、「ねえねえお母さん、ここを動かすと白目になるよ、ほら、見て!!」(どーでもいいやん!! と心の中でつぶやく(笑))女の子、1人は欲しかったなぁ・・・
2008年10月20日
どこかのサイトのニュースで面白いランキングを見つけました。20代~40代の主婦に「結婚を漢字一文字で表すと??」20代ではトップが「幸」、30代でも「幸」 ← 複雑。 …みなさん、幸せなのね…40代では「忍」がトップだということでした。じゃあ、私は何だろう?? 私も「忍」かな・・・? 「苦」「辛」「耐」・・・ (おいおいっ) “結婚”に限定すると、「忍」かもしれないですね(笑)。「憎」「怒」「嫌」なんかも候補に上がる?? ← ケンカのあとだから、余計に(笑)“今の生活”となると、ちょっと変わってくるかもしれないです。子育ては大変だけど、でも楽しいこと、幸せなこと、感動すること、いろいろあるから。私の日記を読んでくださっている方は、私は泣いてばかりの生活をしているのでは?と想像されているかもしれないですね。最近の日記では、泣いてしまったことを時々書いているので。実際よく泣いてはいますけど。ツラいことは吐き出すと楽になりますから。なので、最近はブログに吐き出しては楽になっています。誰かが私の気持ちを理解してくれたら、少しでも「大変ね」と思ってくれたら、それだけでもずいぶん違うような気がして。今はツラいことが多いので、楽しいことよりも日記の材料になっているのかもしれません。でも結構笑ってもいるんですよ^^。
2008年10月18日
先ほど気がついたことがありました。今日はとてもとてもイライラしていました。次から次へとやってくる試練に、今日も耐えていました。「歯を食いしばる」という意味を身をもって知った気がしました。涙を我慢しようとした時、奥歯に力が入ったことに気がついたから。“歯をくいしばる って状況、こういう時のこと…??”ついに私に変なスイッチが入りました。ガミガミばりばりと子供に大声で怒鳴りました。イケナイとわかっていながらも、一度スイッチが入ると自分でもコントロールが難しいのです。大人しくなった次男くんを見ると、少し目に涙が溜まっていました。私に激しく怒られて悲しかったのでしょう。それでも私と目が合うと、小さいながらに作り笑いをしていました。たちまちスイッチは消えました…先日、夫とケンカをして怒鳴られ、納得のいかない気持ちでいっぱいになっていました。“私はこんなに苦しい思いをしているのに、わかってくれないどころか、どうして怒鳴るの?”次男くんを見ていたら、あの悔しかったときの気持ちが甦ってきて自分の姿とダブり、心にずしりと何かが落ちてきました。私に怒られている子供たちは、あの時の私と同じような気持ちで傷ついているかもしれない…子供から見たら、私の怒り方は理不尽かもしれない。力ずくで怒りきってしまう、相手に自分の怒りを受け止めさせてしまう…ケンカのときの夫と一緒じゃん…“夫のケンカは戦いと同じ。強い人が勝つ、そしてその強い人の意見が我が家での正しい考え方になっていく。そんなのおかしい…”ずっとそんなふうに悔しかったのだけど、それは他人事ではなかったのですね。子供は言葉を知らないから言わないだけで、私のことをそんなふうに感じているかもしれません。人生を学んでいくこと、って何だか大袈裟な言葉だけど、親として成長していくこと、人間として成長していくこと、日々の中にそのヒントは隠されているものだなぁ って、そんなふうに思います。あのケンカは私にとって無駄ではありませんでした。悔しくて苦しくてたくさん泣いたけど。やっぱり涙の分だけは、何か成長できるのですね。誰かにこの気持ちを伝えたかったので…
2008年10月17日
今日は夫と大喧嘩をしました。だけど、私には温かい友人が何人もいることを実感して、本当に感謝です。今日、いろいろと声をかけくれた友人のみなさん、本当にありがとう!!一日いろいろと考え(プチ家出をしてましたので)、ある到達点に辿りついた気がします。子供のことが大変で、夫とギクシャクしている場合じゃない。私はそれどころじゃないんだもん。意外に打たれ強い自分にオドロキです。たくさん泣いて、信頼できる人に気持ちを吐き出して、そしたらみんな私をわかってくれている。応援してくれている。それがわかって、本当にうれしかったです。夏休み、気が狂いそうになって、逃げようか死んでしまおうか、とまで考えたので・・・ ・・・これはあまりみんなには言えなかったけど・・・そこから這い上がったので、意外に私は強くなりました。そのことも今日気がつきました。私、たぶん、大丈夫です。
2008年10月11日
三味線を習っている長男くんですが、今度町のステージで演奏することになりました。義母が三味線の先生で、というと、長男くんから見るとおばあちゃんが先生ということで、小さい時から三味線を弾かされて?います。先日、リハーサルがあったので連れて行きました。本番が行われる町のホールへ行くと、義母が出演者の人たちに指導をしていました。そんな時の義母はとても近づきがたいものがあります。ぴりぴりしていて、子供が騒ごうものなら「あっち行ってなさい!」と容赦なく叱責されます。それがわかっているので、3歳の次男を連れている私は早くホールから抜け出したかったのですが、いつ長男くんを迎えに来たらよいのか、それがわからないので、とりあえずステージを見ていました。タイトルの神サマとは・・・義母は三味線のこととなると、神がかったような雰囲気になります。ステージの本番当日などは、目も合わせにくいほど。“下々の者どもと話してる暇はない”そんなふうなオーラが出ていて、正に「触らぬ神に祟りなし」状態。そのリハーサルでも「いつ終わるんだろう??」と義母に聞きたかったのですが、総合プロデューサーバリで仁王立ちしている義母に話しかける勇気はなく・・・そこへ助け船。夫から携帯電話がかかってきて、このホールへ寄ってもらうことに。ほどなく夫がやってきて、ズカズカと義母のそばへ行き、何か話しています。さすが、息子だなぁ。このときばかりは夫が頼り。夫が頼もしいと思える一番の瞬間かもしれません(笑)。ステージでの長男くんはとてもがんばっていました。難しい曲は弾けないので簡単な曲だけ弾くのですが、それでも心配していたよりはずいぶんと上達しています。今までデキの悪い長男のことを気にしたり、落ち込んだりすることが多かったのですが、障害のことがわかってから、少しずつ気持ちが変わってきました。良い方向へ、です。「障害があってモノ覚えも悪いのに、だけどこんなにがんばってる! すごい!」周りの子たちはどんどん上達していくから複雑な気持ちになったりはするけれど、健常の子と比べてもしょうがないから・・・だから長男くんだけを見ることにするのです。長い目で見ると確実に弾けるようになっています。成長は確実に上向き!本番、がんばってね!!
2008年10月10日
先日地元の「子ども相談センター」というところへ行ってきました。県の機関ということで、事務的な対応をされるのかと思っていましたが、案外じっくりと話を聞いてもらえました。発達障害についても熟知されていて、そういう子を育てる大変さをなんとかしましょう、という姿勢も感じ、行ってよかったと思います。その時に「療育手帳はどうされますか?」と思いがけないことを言われました。「知的障害者でなくても申請できるのですか?」「きまりが変わり、発達障害の子でも日常の子育てがある程度大変であれば、申請できるようになりました」とのこと。さっそくその場で「日常の大変さチェック」をしてもらいました。「私の経験からすると、息子さんは手帳をもらうことができると思います」とのことでした。療育手帳を持っていると、行政のさまざまなサービスや訓練などを受けることができるメリットがあるそうです。(障害のランクによって違いがあるようですが)だけど手帳をもらうということは、県から障害児のラベルを貼られてしまうということになります。その辺りのことで少し悩みましたが、ちゃんと前を向いて進んでいこうと心を決めました。メリットがあるならば、利用できるものは利用すればいい、と私は思います。手帳を持っていようと、いなくても、子供の障害は変わるわけでもないし、大変さも変わりません。今日は役場へ行き、「療育手帳を申請したいのですが」と窓口で言いました。応対してくれた人は知り合いのご主人でした。私のことを「気の毒な母親だ」と思うのかなぁ・・・と思わず思ってしまいましたが、きちんと事務手続きを済ませました。現実とはこういうものです。そして母親は現実から逃避できないものですね・・・次から次へと現実を目の当たりにしなければなりません。私だってできれば現実から目を逸らして暮らしていきたいけれど、天秤にかけてみると、現実を受け入れて前へ進んだ方が子どものためになる、という答えが出てきます。そういうことを思うと、やっぱり母は強くなれるのだと思います。その点、父親は子どもと向き合う時間や対応がない分、感傷的に考えたり受け入れができないことが多いのかもしれません。我が家の場合もそうですから。学校、保護者との関係、病院、どの場面でも父親の関わりはほとんどありません。関わらずに暮らしていける分、現実逃避してしまうのかもしれないですね。さあ、これからも、現実と向き合って前進していきます!
2008年10月02日
ご近所のママ友さんから「子供がピアノで弾けないところがあると言うから教えてくれない?」との依頼がありました。ピアノは学生の頃少し習っていました。が、小さい頃少し+大人になって少し=たいしたことない腕前 ということになります。それでもそのママさんよりは何か役に立てそうだったので見にいきました。楽譜を見せてもらうと、なんとかなりそうな譜面だったので一安心。私が左手を担当し、右手パートを弾いてもらうと、どこがわからないのか判明。確かにちょっとリズムが難しい。右手はずっと休符が混じっていてわかりづらい上に、3連符がプラスされていたので、ワケわからなくなっていました。かく言う私も、「ちょっと待って、オバチャンが一回弾いてみて、と・・・」期待されているだけにちょっと緊張。「3連符はね、1拍のうちにタータータ ってな感じでね。」「じゃあ最初から弾いてみようか」「もう一回弾いてみようか」昔からあこがれていた、ピアノの先生になったみたい。ちょっと楽しいひとときでした♪ 昔からのお友達で、音楽活動をずっとしている人がいるのですが、このたびユニットでアルバムを発表しました。「2o´clock」というユニット名で、私もその昔、音楽活動のお手伝いをしていました。今回リリースされたアルバムの中に、私が作曲とピアノアレンジをしている曲が入っております。まだ20歳そこそこの頃にレコーディングしていたものを今回使ったとのことです。 「白い畦道で」 2o´clockこのアルバムの中の「そして今、見えたね」 という曲のピアノを私が弾いています。ピアノをちゃんと弾かれる方には、すぐに素人丸出しがバレますので恥ずかしいのですけど、友達の宣伝のために恥を承知でリンクを貼ることにします。(かんちゃん、感謝してね♪)興味がある方は聴いてみてくださいね♪ 「そして今、見えたね」 私のピアノは稚拙ですが、友達のアレンジとヴォーカルのぽらぽら。さんの声は素敵ですよ♪♪
2008年09月27日
長男くんの属している特別支援学級で、宿泊施設へお泊りするという行事がありました。夜には「キャンドルセレモニー」という催しがあり、親も参加、とのことでしたので、参加してきました。施設の体育館で子供たちは集合していました。小学生の子、それから中学生の特別支援学級の子も一緒でした。長男くんを探すと、追いかけっこをしていたのですぐわかりました。他にも走り回っている子や騒いでいる子がいっぱいで、長男くんはとても楽しそうでした。今までの通常学級だったら・・・いつも私はヒヤヒヤです。みんながおとなしく座っている中で、落ち着きがないととても目立つので。クラス、変わって正解だったなぁ・・・たった数分の間、長男くんを見ていただけでそう思えてきました。長男くんがとても伸び伸びしています。彼の居場所はここだなぁ。 * * * * *この施設の玄関へ入っていくとき、階段が何段かあるのですが、そこを上っていくとき、なんとも言葉では言い表しにくい重たい気持ちでいっぱいでした。‘他のママ友とは1人違う経験をしてるのだなぁ・・・なんか淋しい・・・。’1人で施設の中へ入り、1人で体育館へ入っていきました。淋しいオーラが出ていたのか、通常学級の担任の先生が私を見つけ、手招きしてくれました。「こっちにおいでよ~」先生たちのいるところへ行くと、たくさんの顔見知りの先生たちがいました。長男くんの悩みを聞いてくれた先生たちです。「お母さんと学校とタッグを組んで、長男くんに合った方法を考えて良い方向へ向かって行きましょうね!」と頼もしいことを言ってもらっています。同じ支援クラスの子のママさんともお話することができました。身近で同じ悩みを持つ方と会ったのは初めてです。自然に笑顔になっていくのが自分でもわかりました。どうやら私にとってもこちらのクラスの方が居心地が良さそうです。
2008年09月26日
福岡での小1の子を殺害した事件で、犯人はお母さんだというニュースが流れたとき、ふとその親子の関係を推察していました。ネットのニュースを見ると、私の推察は正解でした。その男の子、発達障害があったそうですね・・・ニュースでは「子育てに熱心な母、なぜ?」とあります。「なぜ?」というのが公言されているということが、すでに発達障害のことが世に知られていない確かな証拠だなぁ って、ちょっと悲しく思いました。我が家にも発達障害を持つ男の子がいます。常識が通じません。人に迷惑をかけることを、考えもせず行動してしまいます。人がイヤがっている空気を読み取れず、いつまでも迷惑をかけています。一番困るのは、これらのやってはいけないことを、教えても教えてもなかなか子供に通じないこと。犯人であるお母さん、とても子育てに苦労されたのでしょう。マジメな人だから殺害までいってしまったのではないか・・・と私は推定しています。周りの人から「しつけができていない」という目で見られるので、いつも気にされていたのでしょう。「がんばってしつけてるんだけど、でもうまくいかない」と常に思っていたと思います。私もそうだから・・・。 犯人のママもきっとそうだったんじゃないかなぁ・・・子供の命を奪ってしまうことは絶対に許されないことだけど、毎日そういう子供を育てているうちに心がおかしくなってしまうということ、普通の人には理解できないことだと思います。今日も長男のことでご近所からクレームが来たので、私は出かけていって謝ってきました。4~5日前にも同じ人からクレームが来ていたので、かなり辛いことでした。夕方、ふと鏡の前へ立つと、表情のない自分の顔が映っていました。その数分前に義母が立ち寄り、「あの子はきちんと規則正しくしつければ治るから、今が大事だから」と厳しい目で言われたことを思い出していました。‘何もわかってないくせに、イヤミを言わないでよ・・・’悔し涙が頬をつたいました。発達障害の子を毎日育てていくのは、こういう辛い現実があります。終わりの見えない、先に明るいものを見出しにくい、周りの支えがなければ最悪のことにもなりかねない、そういうものだと思います。ここを訪れてくださる人には、わかっていただけるとうれしいと思います。決して子育ては楽ではないこと。ましてや障害を持つ子を育てることは辛いことが多すぎること。死にたくなることや、一緒に死のうと思うこと、そういう異常な心にもなってしまうことがあること。あの犯人のママのことはよくわかりませんが、私は他人事とは思えないです。鏡の前で泣いていると、今日のクレームの事情を知るママ友がメールをくれました。「疲れているようだけど、大丈夫?何かできることがあったら言ってね」こういう言葉にどれだけ救われることでしょう。“気にしてくれる人がる”ってこと。そういうのがあの犯人のママにはなかったのかもしれません。でも私だって・・・先は見えないです。
2008年09月22日
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