売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2023.05.30
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バレエシューズの名門Repetto(レペット)ジャンマルク・ゴシェ社長の訃報を知らせてくれたのは、元八木通商の馬場宗俊さんでした。今日は長い付き合いの馬場さんとのつながりを。

私がニューヨークに渡った1977年春、一人の新人ファッションデザイナーがセブンスアベニュー(多くのショールームが集まる地区、ファッションアベニューとも呼ばれる)でデビューしました。以前この交友録で触れたペリー・エリスです。


前列中央がペリー・エリス本人

Perry Ellisのコレクション

八木通商は当時阪急百貨店のためにニューヨークのデザイナーブランドとの提携を探っていて、どのデザイナーに期待できるか意見を求められました。私はデビューして間がないペリー・エリスの将来性に賭けるべきでは、とニューヨーク出張中の八木雄三さん(現社長)に推薦しました。

「本当に伸びると思う?」と何度も念を押されたので、「絶対に伸びます」と答え、「ペリーのところにはすでに6社の日本企業からオファーがあり、サブライセンシー(商品製造するアパレル企業)が見つかるまで契約できないなんてことでは遅すぎます」と言いました。

東48丁目の寿司屋初花でのこんなやりとりがあって八木さんは決断、サブライセンシーが決まる前にペリーと契約を結びました。その2年後にはもうカルバンクライン、ラルフローレンと並ぶ「ビッグ3」にペリーエリスブランドは成長していましたから(ダナキャランブランドはまだ登場していない)、「絶対に伸びます」と断言した私は間違っていませんでした。


馬場宗俊さん

提携後八木通商本社サイドでペリーエリスブランド担当として現れたのが馬場宗俊さんでした。長く経理部門にいた馬場さん、商社マンには珍しく海外駐在経験ゼロでした。担当したペリーエリスはシーズンごとに急成長を続け、国内市場では阪急百貨店のPBながら他の百貨店からでも展開。婦人服製造を担当したレナウンは米国側と同じ生地をヨーロッパから輸入して本気のものづくり、しかもペリーエリスとジーンズ最大手リーバイスがタグを組んだペリーエリスアメリカ(のちにグッチを牽引したトム・フォードはここにいた)には日本製テキスタイルを売り込む。担当だった馬場さんはものすごく忙しかったと思います。

私が帰国してCFDで東京コレクションの運営を始めた頃、馬場さんはペリーエリス事業を離れ、英国の新興ブランド「マルベリー」の担当になり、六本木から西麻布に抜ける星条旗通りに路面店をオープンしました。

ちょうどこのころ松屋社長だった山中さんから創業120周年記念の改装計画を伺い、私は百貨店経営の神様にリニューアルにおいて百貨店がやるべきことを申し上げました。売上をとるために海外有力ブランド導入も悪くはないけれど、同時にまだ一般消費者の間では無名のブランドを導入して売り場で育てる覚悟を持たないといけないのでは、と。

山中さんは「そんなブランド、どこにあるんだ!」。私は「あくまで例えばの一例ですよ」と前置きしてマルベリーの名をあげました。まだ世間ではほとんど知られていないブランド、毎シーズンコンセプトにブレはない、インポート商品のデリバリーに不安はなさそう、この3つの必要条件を満たしているブランドだからと例に出しました。




コートの織りネーム

そして翌年、当時まだ無名だったマルベリーのショップが松屋銀座1階に誕生したのです。ほぼ同時期に英国の創業者ロジャー・ソール氏は馬場さんを引き抜いて八木通商から独立、星条旗通りから南青山5丁目スパイラルビルの裏にショップを移転、新たな日本のパートナーを探し始めました。このとき出資者として登場したのが、元松屋ファッションコーディネーター西山栄子さんのご主人でテキスタイルコンバーターの社長だった奥井新一さんでした。

マルベリーの新店舗兼オフィスはCFDの事務所から徒歩5分、よく馬場さんを訪ねました。話はちょっとそれますが、英国王室アン王女が来日してマルベリーショップを視察の際、青山通りからショップまでの数十メートルに赤い絨毯、さすがに特別なおもてなしでした。

その後馬場さんはマルベリージャパンを離れてフリーのコンサルタントになって伊藤忠商事の海外ブランド事業部を手伝っていたとき、ハンティングワールドを担当していた細見研介さん(現ファミリーマート社長)を紹介されました。このとき私も転職して百貨店で売り場改装に携わっていたので、ハンティングワールドの展開オファーを受け入れました。

次に馬場さんがサポートを始めたブランドがイタリアのカジュアル系バッグ「マンダリナダック」。このとき紹介されたのが有力コンサル会社からマンダリナ幹部に転じたマルコ・ビッザーリさん、のちにステラマッカートニー、ボッテガヴェネタのCEOを経て現在グッチ本社のCEOです。マンダリナ時代からユーモアがあって鋭い洞察力、ほかの幹部とはちょっと違った存在でした。

振り返ってみれば、顔の広い馬場さんからは内外のたくさんの業界関係者を紹介されました。

レペットのゴシュさん、マルベリー創業者のソールさんや現グッチCEOのビッザーリさん、伊藤忠商事の細見さん以外にも、三喜商事社長の堀田康彦さん、サンモトヤマ茂登山長市郎さん親子、この交友録64で触れた元神戸大丸の宝永広重さん、ミントデザインズの勝井さんら、ほかにも大手アパレルの取締役たち、若手テキスタイルプランナー、ジャッキー・チェンが日本のお母さんと慕った小料理屋の女将やジャッキーの国際弁護士までいろんな方を紹介されました。

また、私の元部下たちの中には馬場さんに仕事を斡旋してもらったり、ものづくりのネットワークを教えてもらったりとお世話になった者も少なくありません。私にとってはありがたい仲間です。





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Last updated  2023.05.31 11:34:21
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