売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2023.06.03
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このハッピーな表情の写真は、私の誕生日を祝福するために集まってくれた久々の同窓会で元教え子が撮影してくれたものです。今日はそこに至るまでの話を。



1985年5月ニューヨークのファッションウイーク終了直後、繊研新聞社主催ニューヨークセミナーのために通常の短期帰国した私は、ファッションデザイナーの団体を組織化することになり、結局そのままずっと東京に滞在して設立準備。復路の航空券は期限切れ、再びニューヨークに行けたのは4年後の1989年でした。


85年7月CFD(東京ファッションデザイナー協議会)が正式に発足、11月に初の東京コレクションを開催。その直後、通商産業省(現在の経済産業省)生活産業局繊維製品課の課長以下数人がCFDオフィスに。FCC(ファッションコミュニティーセンター)とWFF(ワールドファッションフェア)構想の具体化のための検討委員会に委員として参加するよう求められました。ハコモノと大型イベントに全く興味はなくお断りしましたが、いろんな方に説得されて最終的には引き受けることに。弱冠32歳でした。

検討委員会に参加すると、30代はおろか40代の委員さえいない完全なアウェイ、発言の順番は年齢からか最後の最後でした。業界ベテラン識者たちの非現実的な意見を長々聞いていた私は我慢ならず、委員会終了後渡辺光男課長に「年功序列で発言の順番が回ってくるなら時間の無駄、次からは挙手で発言させてください。でなければ委員を辞めます」と申し上げました。

全国各地にFCCという名のハコモノを建設して情報発信しようという構想自体に無理があり(結局は建設されたものの情報発信拠点として機能している例は皆無、ほとんどは赤字)、どう考えても無駄なこと。それよりもファッション流通業界は人材育成をもっと強化すべき、仏壇つくる話よりも中に入れる仏様の話を優先すべきじゃないでしょうか、と。

このとき若手官僚が「いったい誰が人材育成できるんですか」と質問、「やる気のある人が学びたい若者を集めてやればいいじゃないですか。なんなら私がやってみましょうか」という話になり、CFDオフィスで毎週1回月曜日夜に開講する受講料無料の「月曜会」を始めました。定員は会議室におさまる25人、新聞告知で募集しました。1986年秋のことです。

ちなみに月曜会の参加者は、インテリアやプロダクトデザインで活躍している吉岡徳仁くん、バオバオイッセイミヤケを大ヒットさせた松村光くん、ワールドのアンタイトル企画にも携わったオブジェスタンダール森健くん、ショープロデュースのドラムカンを起こした田村幸司くん、ほかにも小売店、テキスタイル、アパレルメーカー若手社員や業界を目指す学生たちでした。

開講して4年目、墨田区役所職員が月曜会を見学、ファッションビジネスの人材育成機関を墨田区役所移転後の敷地(両国)に建てるFCCに作って欲しいと頼まれました。区役所の方々にも「ハコモノよりも中身が重要」と言ったからです。

こうして墨田区役所でファッション産業人材育成戦略会議が発足、繊研新聞社編集局長松尾武幸さんに座長をお願いし、コルクルーム安達市三さん、オンワード樫山廣内武さん、ジュンコシマダ岡田茂樹さん、京都服飾文化研究財団キュレーター深井晃子さんらで議論を開始、構想がほぼまとまった時点で松屋の社長を退任したばかりの​​山中


​夜間プログラム初回の講師は山中理事長​

その後人材育成機関の構想は紆余曲折あって墨田区役所の手を離れて通商産業省マターとなり、最終的には財団法人の形でファッション産業人材育成機構(通称IFI)が発足。東京都が10億円、墨田区が20億円、産業界が20億円出捐して産官協同50億円規模の財団法人としてスタート、山中さんは理事長兼学長でした。

1994年9月にはみんなで議論したカリキュラムや指導方法をテストしてみようとアパレルマーチャンダイジングとリテールマーチャンダイジングの2クラスの夜間プレスクール(6カ月間週1回)を開講、前者は岡田茂樹さんが、後者は私が主任講師としてそれぞれのクラスを半年間運営しました。

翌95年からは「デザインの知識」や「商品知識」などマーチャンダイジング以外のクラスを増やし、私は夜間プログラム全体の責任者として4つのクラスを統括することに。このとき私はCFD議長を退任して松屋の東京生活研究所専務所長でしたが、山中理事長と松屋の古屋勝彦社長の合意で兼務となり、ほぼ毎日銀座の松屋と両国国技館前のプレハブ仮教室を行き来しました。


​当時の授業風景​

念願の全日制クラスが始まったのは1998年。朝から夕方まで講義があり、一般学生は2年間、出捐企業からの派遣生は1年間学びました。私は月曜日から木曜日までの夜間プログラムに加え、全日制でも2つの講座の授業を担当、多くの若者を教えました。授業が終わると両国駅前のちゃんこ料理店や寿司屋で深夜まで付き合い、夜間クラスと全日制を合わせるとのべ数百人の若者と濃密な交流をしました。

ところが、2000年に百貨店とアパレル企業の2社兼務になってしまい、しかも両社とも大きな業務改革を予定していたので学校での指導は時間的にも肉体的にも難しく、IFIビジネススクールからは完全に手を引くことに。


IFIビジネススクール全日制1期生たちに祝福されて

そのIFIビジネススクール全日制1期生の有志が久しぶりに集まり、私の誕生日を祝ってくれました。彼らの入学は1998年4月、一般学生の卒業は2000年3月ですから、ほぼ4半世紀ぶりの再会という人もいました。飲み放題のイタリアンレストランなのに4時間半もワイワイガヤガヤ、時には真面目に今後のファッションビジネスや海外展開戦略の話なども飛び出しました。こうした教え子たちとの飲み会は本当にハッピー、こういうのを「教師冥利につきる」と言うのでしょうね。

売り場の生きた教材を使って教える実学、これまでIFIビジネススクール以外にも専門学校や所属企業でも週1回ペースで指導してきました。85年に帰国してこれまで合計すれば数千人にマーチャンダイジングや売り場の見方を伝えてきましたから、ファッション流通業界にはたくさんの教え子がいます。彼らにはもっともっと活躍して欲しいです。





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Last updated  2023.06.05 13:51:25
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