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ちょうど1年前の今日の日記を読み返してみた。そこにはこんな文章が・・・・我が家の2004年を振り返り、今年1年の様相をいくつかの漢字一文字で表わすとすれば、以下のようになるかもしれません。 「病」 「労」 「流」そう、振り返れば、労多くして今だ実らず。まだ全てが始まったばかりという感じでしょうか。「労多くして今だ実らず」「まだ全てが始まったばかり」そう、我ながらよく把握ができていたらしい。今年2005年は、間違いなくその延長線上にあった。苦労は昨年に輪をかけて。徒労と思える工事と余分な出費・・・。健康でいられたのがせめてもの救いだった。そこで、今年も昨年にならって我が家の2005年を振り返ってみた。今年の我が家の流行語大賞(苦笑^^;)は、 「kurban(犠牲)」 「nazar(邪視)」この2語以外にありえないだろう。クルバン。元はといえば、基礎工事開始に当たり、クルバンを切らなかったことが、後々まで尾を引いているような気がしてしょうがない。建築予定の土地でクルバン(犠牲動物)を屠る行為は、日本でいえば地鎮祭の効果をもたらす。毎年のクルバン・バイラムはもちろん、これまで一度足りとクルバンを切ったことのない私たちは、アッラーの怒りを買ってしまったのかどうか、とうとう自分たち自身が「工事の犠牲」となってしまったのである。アナトリアに息づく伝統・習慣、あるいはイスラム的な思想・戒律に敬意を払った生活を、日頃から送っているとは言えない私たちだが、今度ばかりは古人の教えに耳を傾けざるをえない。来年のクルバン・バイラム後、夫が戻り次第、オレンジの茂る現場の庭で遅まきながらクルバンを屠る予定である。これ以上の犠牲を、犠牲者をださないために。ナザル。今年一年に起こった全ての不運を、この言葉で片付けようと思えば片付けられる、と思う。それだけ私たちは、さまざまな思惑を抱いた人に何重にも取り囲まれていた。今まで会ったことも名前を聞いたこともないのに、誰から聞いたのか、突然自宅に電話してきたり、現場を覗きにやってきた何人もの「親戚」。その中には、何十年も夫を逆恨みし続け、一種のストーカー好意を続けている本物の家族もいる。工事のために現場に出入りした、何十人もの設備業者、職人たち。中には仕上げの出来の悪さに私が怒ると、「ワッラ~、火でもつけたろか!」と逆切れしかかった塗装職人もいた。そんな私たちを好意の眼で、あるいは悪意の眼で眺めるカレイチのご近所さん・周辺住人・商売人たち。私が右手首の骨を折った後、例の「自称マッサージ師」のオバチャンは、ひとりで腰掛けていた私に近づき、耳打ちしてきた。「ナザルよ。知ってるでしょう?ナザルのせいで、そうなったのよ」私はその声音に思わずゾクッとなった。まるで彼女自身が呪いをかけた魔女本人であるかのような、軽い脅しを含んだような、そんなニュアンスがあったのだ。「一番いいのはね、施しをすることよ。貧しい人に、パンでも、お金でも・・・ね。分かるでしょう?」ああ、ここにも一人、私たちを、私を苦々しく見ている人がいた。工事には莫大なお金がかかる。私たちは決して裕福ではない。夫がそれこそ休みなしに働き、借金までして資金を工面し、ここまでなんとか工事を続けてきたのだ。しかし人によっては、「金を持っているのに職人を平気で値切ったりするケチ」にしか見えないのだろう。私がヤバンジュ(外国人)というだけでも、関心を呼んでいることは確かなのに・・・。現在、建物には大きめのナザル・ボンジュウがふたつ掲げてある。来年は新年早々、これをあとふたつ増やし、建物の4面すべてに掛ける。そして私自身も、ブレスレットなりペンダントなりの形で、ナザル・ボンジュウを肌身離さず身に付けていることにしようと思っている。****この一年、私のブログを訪問してくださったすべての方々。毎日のように訪問してくださったり、時には励まし、応援、アドバイス、情報提供、暖かなメッセージを下さった方々に、心から感謝いたします。こちらをご覧のすべての方に、健康で幸運と喜びに満ち、幸福な1年が訪れますよう、心よりお祈り申し上げます。2006年もどうぞよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
2005/12/31
2005年は、最後の最後まで何が起こるかわからない一年だった。今年も残すところ2日という今日の夕食後。私はキッチンのパソコンの前、娘たちはオトゥルマ・オダス(居間)でテレビを見ていた。突然ドスン!という鈍い音がして、オトゥルマ・オダスに駆けつけた私の顔を、呆気にとられた娘たちが心配そうに見やった。なんとか言い訳を試みようとする娘たち。「端っこに腰掛けようとしたら、突然こんなになっちゃって・・・」なんと。オトゥルマ・オダスに置いてあるセンター・テーブルが、まるで地震で潰れた2階建てマンションさながらに、足は外れて横へ吹っ飛び、支えを失った中板の上に上板が押しかぶさり、ぺしゃんこに崩壊してしまっていたのである。いつもなら娘たちに喝をいれているはずの私だが、今回ばかりはそうもできない後ろめたさがある。というのも、「そろそろなんとかしてよ」と何度か夫に突っつかれながら、「場所がない」を言い訳にして、中板の上に溜まりに溜まってしまった雑誌およそ100冊の重みで、前々から足がグラグラしていたのだから。崩壊したセンター・テーブルの姿は、存在感を失い哀れそのもの。娘たちに手伝ってもらい、上板と中板の間に挟まれてしまった雑誌を救出しはじめると、もう一度ズシッと音がして上板が中板にぶつかり、今度こそ完全にぺしゃんこになった。(娘たちが手や足を挟まれなかったのは、不幸中の幸いだったが・・・)あ~あ、いずれ壊れるかもしれないとは思っていたが、まさかユルバシュ目前の今日になって、テーブルを失ってしまうとは・・・。テーブルを作ってくれた家具工場にすぐに連絡し、引き取りに来てもらおうとも思ったが、どうせユルバシュ以降、どうかしたらクルバン・バイラム以降になることは分かってる。4日には、私の手助けを兼ねて、義妹セラップ母娘がやってくるのだが・・・・。ユルバシュまで残すところ2日。もう受難はこりごりだよ~!アッラー・コルスン!どうか無事に新年を迎えることが出来ますように!
2005/12/29
昨日に引き続き、今日も氷雨降る冷たい一日となった。さすがにこんな空模様では、職人はひとりとして現れないのは分かってる。が昨日、雨樋業者が、まるでヤクザまがいの脅し口調で強引に本日の10時を支払い日時に指定してきた関係で、今日は朝一番に銀行に出掛けざるをえなくなった。(※年末に決算を迎えるため、どの業者も売掛金回収に血眼になっているのである)急遽夫が送金してくれたお金を引き出し、10時ちょっと過ぎに現場に着く。息が白くなるほどの冷たい雨のそぼ降る中、テラスで義弟のエルカンと雨樋業者の到着を待つ。時間を指定しておきながら、なかなか登場しない雨樋業者に痺れを切らし、さあ帰ろうかという時になって、ようやく当の雨樋業者が姿を現した。彼らに耳を揃えてお金を渡し終えると、今日の私の仕事はもう残っていない。子供抜きで半日丸々自由になれるのは、実に久し振りのことである。自宅に戻って昼食を食べ終えると、私は何ヶ月ぶりかでクアフォル(美容室)に出掛けることにした。夫が送金してくれたお陰で、一時的にではあるがお財布には現金がある。もう何ヶ月もカラーリングはおろかカットすら出来ずにいたし、ギブス生活のためままならないシャンプー、爪の手入れも、この際だからクアフォルでお願いしてしまおう。今日くらい自分にお金をかけても、罰はあたらないのではないかと、小さな贅沢を自分に許す気分になっていた。悪天候のおかげで、ユルバシュ(元旦)目前というのに、クアフォルはガラガラだった。娘たちのお迎えまで2時間。カット&カラーリング、シャンプー。そして、クアフォルで爪の手入れをしてもらうのは、実はこれが初めてなのだが、爪をヤスリで削り甘皮をきれいにカットしてもらい、まるでいっときマダムにでもなったような気にさせてもらった。(しかし・・・すっかり伸びて固まった甘皮を押される時の痛かったこと!)もっとも、年齢で言えば立派にマダムの歳なのだが、髪といい肌といい手元といい、明らかに手入れ不足の目立っていた私。。。きれいに整った指先をしげしげと眺めながら、久し振りに色石の付いた指輪でも引っ張り出して着けてみようか。そんな気になった私であった。
2005/12/28

朝方の温かい空気が一転、昼前から氷雨の降り出した今日。型枠職人も、庭の土運びを頼んだ人夫も、仕事にならないのでは同じ。結局、人夫は午前中で家に帰し、午後には親方が職人ふたりを迎えに来て、とうとう私たちの仕事もなくなった。そこで、昨日から気になっていたご近所のお屋敷を見学に行くことにした。このお屋敷、長い石壁に囲まれた広大な庭を持つ実に瀟洒なお屋敷で、ケスィッキ・ミナーレの真ん前に位置することと、サーモンピンクと白という外観によって、ご近所でも一際目立つお屋敷。我が家の工事現場からの見通しもいいので、日に何度と目を遣ることになる。しかし、そのお屋敷にいつも人影はなく、鎧戸はピタリと閉ざされていた。かつて領事館や私立学校としても使われたことがあるというこのお屋敷に、現在誰が住んでいるのか、いったい持ち主はどんな人物なのか、知る由もなく毎日眺めていたのだ。それが昨日のこと。現場からの帰りがけにふと見遣ると、その正面玄関が珍しく開いていて、職人が出入りしている。中では、修復工事が始まっているのだった。どこからともなく現れた人の説明するには、現在のこのお屋敷の持ち主はOGER TOURだという。OGER TOURとは、ドイツに本社を持ち、毎年トルコへのドイツ人送客数ではトップの座を占めるトルコ系大手旅行会社で、トルコではイスタンブールとアンタルヤに支店も持つ。(ちなみに代表取締役のVURAL OGER氏は、ドイツ社会民主主義党出身の国会議員であり、2004年の欧州議会選挙で議員に選出された3人のトルコ移民の一人でもある)「よければ見て行きなさい」と言われたが、帰宅時間が迫っていたため、昨日は諦めたのだった。雨の降り出した今日は、正面玄関は閉ざされていたが、鎧戸が開いていて、中で修復作業の続けられているのが見えた。義弟のエルカンを誘って、正面玄関のドアをノックする。優雅なシャンデリアの下がるホールを通り抜け、左右に位置する部屋べやを見て廻る。木製天井はじめ建具類はすべてクリーム色に塗られている。オスマン朝時代のものでありながら装飾は控えめで、すっきりと上品な雰囲気が漂う。職人たちは、古くなった建具のその表装を剥がしているところだった。新しくシステムキッチンや電化製品を入れたばかりらしいキッチンを通り抜けると、庭の眺望が広がった。水の抜かれたプールの向こうは、なんと広々としたオレンジ園になっているのだった。プールサイドには、当然のようにバーカウンター。半地下にあたる部屋の扉が開いて、管理人らしき家族が顔を出した。長らく住人不在のお屋敷と広大な庭園を管理するために、もう何年も住み込みで管理人をしてるのだろう。私はため息まじりに庭をぐるりと見渡した。はあーーーっ。優雅だねえー。羨ましいねーー。社長一家の別荘としてでも使われるんだろうか。それとも、娘夫婦の住居になるんだろうか。左手で何枚かの庭の写真を撮り終えると、私たちは職人たちに「お疲れさん」と声をかけて扉を閉め、夢の世界からほんの30mしか離れていない現実世界へと戻ったのであった。
2005/12/27
娘たちがよく訪れるゲームサイトがある。パソコンが隣同士に並べてあるので、娘たちがどんなゲームに興じているか、横目でチラリチラリと覗きながら確認することがある。が、昔っからゲームというジャンルにあまり良い印象を持っていない私。遊んでみたいとも思えず、今日まで無関心に眺めていた。夕食が終わり、パソコンの前に座ろうと娘たちの横に来たところで、上の娘エミが「アダナはどこだっけ?」と訊いてきた。見ると、全部で80県に色分けされたトルコの全国地図が示してあり、クリックして選んだ県の名前を4つの選択肢の中から選ぶという都市当てゲームを始めたところだった。その名も、Sehir Bulmaca。(ご存知の方、いらっしゃいますか?ちなみにこれは、バージョン1の方で、バージョン2というのもあります。そちらは面白くないけど・・・)「へえ~、面白そう!」と自分のパソコンで同じサイトを開け、エミと並んで早速ゲームに挑戦。結果は、99%、得点が794点と出た。私の頭の中の空白地帯は、黒海地方の内陸側と東部で、一回お手付きを何回か繰り返してしまう。地震や事故、事件などでメディアで名前の挙がった地方に関しては、大体見当がついているが、中にはそんな県あったっけ?なんて、初めて聞くような名前も・・・。とりあえず、いい頭の体操にはなりました。トルコ在住の皆様~。または自称・他称トルコ通の方々~。お暇な時に、一度チャレンジしてみられてはいかがでしょうか?100%、800点を取った方には・・・プレゼントは特にありませんが、自慢できると思いますよ。たぶん、トルコ人でも失点するんじゃないかな?ちなみに私の予想では・・・トルコ全国各地を訪問してらっしゃるmadamkaseさんあたりが、100%お取りになれる最有力候補かと。(・・って、プレッシャーかけてる?)HADI, IYI EGLENCELEEEER !
2005/12/26
先週金曜日にギブスを巻いてもらってから丸2日が経った。ギブスの準備をしながらドクトルが、「このセーター、後で脱げるかなあ・・・?」と、私の茶色いセーターの袖口をちょっと心配そうに見た。結構ゆったりしたセーターだったので、「大丈夫でしょう」と袖をまくり上げてもらい、何の心配もせずギブスを巻いてもらい、帰宅の途に着いたのだったが・・・・。いざ着替える段になって、ハタと困った。娘たちに袖を引っ張ってもらい、セーターはなんとかなった。が、実はその下に、ストレッチ・タイプの7部袖Tシャツを着ていたのだった。それがどうやっても脱げないのである。そのまま諦めて丸2日・・・・。さすがに汗臭くなってきた自分が疎ましい。冬だし、ここはトルコだから(^^;)、4~5日くらいシャワーを浴びなくてもなんとかなる(不潔でスミマセン。。。)が、そろそろ入浴のための工夫を考えなければ・・・・。まずは、着たきりのこのTシャツ。やっぱり、潔くハサミで袖を切り裂くか、切り落とすしか方法はないんだろうか・・・・?ううう。もったいないけど、今のところこの方法しかなさそう。。。そして、ギブスを濡らさないよう上手く入るには?日本には、ギブス着用者専用の入浴用カバーなんてものがあるらしいが、ここはトルコ。整形外科用グッズを扱う専門店で訊いてみたが、調理用のラップなどを巻くケースがほとんどという。なるほどなあ~。じゃあ、その手でやるしかないか~。不便なら不便なりに、物がないならないなりに、なんとでも工夫するしかないし、工夫できるものなんだよね~、ホント。今日は左手一本で掃除機もかけたし、スーパーに買い物に行ってカードのサインも左手で済ませた。あとの課題は、台所仕事かなあ~?上の娘は、人生初体験の食器洗い・鍋洗いを体験中。それなりによくやってくれてるけど、重い鍋、大きい鍋はまだ手付かずで残ってる。私にしても片手では支えがなくて力を込められない。どうにかする方法を編み出さなけりゃ。料理にしても、娘たちのできそうな皮剥き、簡単な包丁使いだけで出来る料理に頭を廻らせて、と。昨日は、外で買ってきたマントゥを茹で、娘たちにニンニク・ヨーグルトとバター・ソースの作り方を教え、キュウリを小さく切らせて、ついでにジャジュックも作った。炊飯器でご飯を炊く方法を教え、味噌汁の大根もおろし金で娘におろさせた。今日は、一転ポトフ。野菜は大きいままでいいし、煮込むだけなのが楽チン。しかし、明日はどうしたらいいだろう・・・?こちらをご覧の皆様。片手だけで出来る楽チン・メニュー、子供にも出来る簡単メニューのお心当りがありましたら、ぜひアイデア頂戴したいと思います。どうぞよろしくおねがい申し上げますm(_ _)m
2005/12/25
今日の日記は左手で打っている。年も押し詰まった今頃になって、なんと右手首の部分骨折(もしくは、ヒビ)により、ギブス生活に入ってしまったのだ。今日の午前中、小さい配管仕事のために呼んだエアコン設備業者の先に立って現場を歩いている際、左足の靴先に鉄骨の先端が引っかかり、左足が抜けないまま、右側を下にして転んでしまった。寒風吹きぬける工事現場で、ついつい手をダウンコートのポケットに突っ込んだまま歩く癖が仇になってしまったのである。咄嗟のことでポケットから手が出なかったために、右手首が身体の下敷きになってしまったのだった。思わず呻いて座り込んだところへ、エアコン業者、次いで向かいの洗濯屋にいつも出入りしているオバチャンが駆け寄ってきた。痛みの走る右手をかばっている私にこのオバチャン、「手を出してご覧」と、どこが痛いか聞くと、いきなりマッサージを始めた。骨折とまでは思い至らないまでも、たぶん捻挫か何かだろうと思った私は、思わず手を引っ込めて「マッサージなんか要りません!」と断った。「私はマッサージ師だから、分かってるわ」というオバチャン。リハビリならともかく、捻挫だったら痛んだ筋をさらに痛めないよう、動かさないのが常道ではないのだろうか?しかし、このオバチャン。今度は手を開いたり閉じたりしなさいとしきりに勧めてくる。そのうち義弟エルカンもやってきて、「そのままだと腫れるから、腫れを防ぐために手をよく動かしなさい」という。捻挫なら動かすのは禁物なのに、ふたりに同じことを言われた私は、痛む手首を恐る恐るブラブラと揺り動かすことにした。本当に動かしていいのやら、どうなのやら・・・・。トルコ人の恐るべき民間療法に半信半疑な私・・・・。いつもチャイをご馳走になったり、暖炉にあたらせてもらっているお向かいのメフ兄さんの暖炉の前に連れて行かれた私は、今度は暖炉の火に手をかざしなさい、温めながら動かし続けなさいと勧められる。あああ・・・・もし捻挫だったら、冷やさないといけないんじゃなかったっけ?いいのかよ~。こんなことして。。。。空恐ろしさに耐え切れなくなった私は、とうとう外野には耳を貸さないことに決め、水道の水で手首を冷やすことにした。あまりに冷たくて、すぐに断念したけれど・・・。****学校が成績優秀テストの試験会場となった関係で休校となり、朝から現場に一緒に来ていた娘たちと共に、そのまま工事現場で午後2時頃まで過ごした私だが、次第に右手が重く、痺れたように痛み始めているのを感じていた。腫れもいびつになってきている。手の甲から指先まで腫れあがった手は開け閉めもままならず、腕を左右に回すことも、手を上に挙げることもできない。とうとう病院に行ったほうがいいと判断した私は、エルカンに車で自宅まで送り届けてもらい、娘たちを自宅に残すと、近くのアクデニズ大学病院の救急窓口まで付き添ってもらった。現場助監督として、朝から夜まで現場の面倒を見てくれているエルカンには、現場にすぐに戻ってもらおうと、途中何度も「もう戻っていいよ」と促したが、そこはトルコ人らしく「治療が先決」と最後まで付き合ってくれ、結果的に大いに感謝することになった。まさかギブスまではめることになろうとは、よもや思ってもいなかったのだから・・・。2時間程待つ間に、レントゲンを2回撮り直し、kirik(骨折/ヒビ)という診断が出た。ギブスが外れるまで、約1ヶ月だそうだ。ふーーーっ。コートのポケットの中で手首が内側に丸まるような形で下敷きになったため、整形外科医は「もっと酷く転んでいたら、手術しなくちゃいけないところだった」と言う。早足程度で歩いている時に転んだのは、不幸中の幸いだったわけだ。しかし・・・・驚くよりもまず心配になったのは、なにより家事のこと。利き手である右手が使えないのだから、何をするにも不便この上ない。料理や食器洗い、掃除は左手一本で、なんとかなるものだろうか・・・・?そう。これを機会に、娘たちにどしどし家事の手伝いをさせることにしよう。卵を割ってかき混ぜたり、フライパンで焼いたりはできるようになったが、他にもいろいろと簡単なメニューを選んで、料理をさせてみることにしよう。もしかしたらアンネの手を煩わせないで、何でも自分たちで解決しようという自立の精神を育むには、ちょうどいい期間かもしれない。 左脳派人間の私にとっても、普段補助的な役割しか果たしていない左手を鍛えることで、右脳の活性化を促せるかもしれないしね。ボケ防止にはピッタリかも?****というわけで、ご覧のようにしっかり日記は更新していきます。ご心配なく。写真は無理かもしれないけれど・・・。ところで、明日もやっぱり現場行き。途中の薬局で包帯吊?ギブスを吊るものを買わなければ・・・。信じられないかもしれないが、大学病院なのに石膏で固めただけで、その上から包帯一つ巻いてくれなかったのだ。吊るものは国立病院前の薬局ならあるから、そこで買ってくださいだと。なので、まだじんわりと温かい石膏で左手を白く汚しながら、自宅近くの薬局に駆け込み、とりあえず上から包帯だけ巻いてもらった。そこの薬局の人も「生の石膏」を見て「理解できない」と目を丸くしていた。
2005/12/23
数日振りに活気の戻った工事現場に、今日は嬉しい来客があった。「turkuvazさ~~ん。turkuvazさ~~ん。」と呼ぶ日本語に驚いて振り向くと、ようやく形の出来上がったばかりの門の脇に、mehtapさんの懐かしい顔があった。近くに来る機会があったからと、立ち寄ってくれたらしかった。寒い中わざわざ足を運んでくださったのに、現場からは抜けられそうもなく、立ち話のまま簡単な近況を尋ねあうだけに終わってしまったが、別れ際にmehtapさんは「これ・・」と言いながら手に持っていた袋を私に差し出した。まったく予想もしていなかった手土産は、それだけでも十分に嬉しい驚きだったが、その手土産というのが、おでんとひじきの煮物、キムチというmehtapさんお手製の料理で、その暖かな気遣いに心底感動してしまった。とりたてて日記の内容に触れられたりはされなかったが、私を励ますつもりで手料理持参で陣中見舞いに駆けつけてくださったに違いない。嗚呼、思わずトルコ式にギュウっと抱きしめて「ありがとう」と言いたかったよ~、mehtapさん!(ちょっと恥ずかしくてできなかったけど・・・)現場の監督や打ち合わせ、必要な材料の買出しに駆け回り、結局昼食抜きで午後4時、子供たちを学校から連れて帰ると、すぐさま袋を開けた。ヨーグルトやアイスクリームの空箱を利用して、たっぷりと母娘3人分は詰めてくださったことにも、感激が止まらない。(ご家族の分が少なくなったん家内かと、心配・・・)炊飯器に運良く残っていた茶碗一杯分のご飯を飯椀によそい、じっくり味わうのももどかしく、ほとんど掻き込むようにしていただく。嗚呼、幸せ~♪ひじきだなんて、何ヶ月、いや1年以上振りだろうか。しかも、干し椎茸入り!おでんの中にも、なんと昆布や干し椎茸がふんだんに入れてあって、もう感謝感激。昆布も干し椎茸も、同じく1年振り以上食べていない。ひじきも椎茸も、なんて美味しいの~。そう舌鼓を打ちながら、あっという間に、一人で半分まで食べ尽くしてしまった。。。mehtapさん。本当に、とっても美味しくいただきました!Cok coooook tesekkur ederim !(もちろん、後でメールもいたしますね。とりあえず、ブログ上お礼まで♪)
2005/12/20

ここ4日ほど、春雨のような生暖かい雨が降ったり止んだりのアンタルヤだったが、今日はすっきりと晴れ渡った青空に空っ風の吹きぬける、典型的なアンタルヤの冬の晴天日となった。一番分厚いダウンコートにしっかりと身を包み、バス停へと急ぐ。丸2日音沙汰なかった石壁職人も型枠職人も、今日は朝一番から現場に詰めている。忙しくなりそうな1日。道路を渡る際にふいに目に飛び込んできた白。西トロス山脈の峰々が、真白く冠雪しているのだった。そしてこちらは、銀行へ行く途中のカレカプスで撮った、アンタルヤのランドマーク、時計塔とイヴリ・ミナーレと雪山。同じく、イヴリ・ミナーレと雪山。最後に、おまけ。先日の日曜パザールでの魚屋のディスプレイ。これは鮟鱇、だろうか?こういうディスプレイって、トルコ人お得意のパターンだけど、やっぱり日本人には真似できないな。
2005/12/20

夫婦とは、いったい何だろう。日常生活をともにし、喜怒哀楽をともにし、長い人生をともにする男女。家庭建設のパートナー。ときには事業のパートナーにもなりうる。常に同じ方角を向き、仲良く寄り添っているのが理想的だけれど、時には背中を向けあい、顔を背けたくもなる。・・・・5日間という短い滞在にもかかわらず、夫とは諍いの絶えない毎日だった。工事のためにすべてを犠牲にした今の生活にもほとほと嫌気がさした。私の、私たち夫婦のこの10年は一体何だったんだろうと、夜な夜な振り返っては涙が止まらなかった。心の傷は、当分癒えそうもない気がした。夫が日本に向けて発ってからも数日は、自分をどう慰め励ましたらいいか分からなかった。少しでも癒しになればと、かつて何度も読み直した本を引っ張り出し、救いを求めて頁を繰った。が、美しい言葉の数々は、惨めな気分の私をかえって落ち込ませるだけだった。それから1週間が経った今、ようやく心に平安が戻りつつある。涙に歪んだ醜い顔を、白いものの増えた乱れ髪を、わざわざ鏡に映して哀れむなんて馬鹿げている。自分を精一杯飾ることも、ささやかな趣味のものを手に入れることも諦め、今まで以上に自分を慎むようになったのは、誰のせいでもない。自分で無意識に選んだ道なのだ。そして夫を、夫との人生を選んだのも、間違いなく自分自身。先日のyukacanさんの日記で、常に仲良く寄り添う“つがい”のクムル(キジバトの一種という)の話を読んで、心が痛んだ。本来なら微笑ましいはずの話に、とてもコメントを寄せられるような心境ではなかった。私たち夫婦ほど、性格も気性も合わない、仲の悪い夫婦はいないに違いない。そんな疎外感さえ感じた。・・・・今日の昼間、業者の人間が来るまで、10分ほどぽっかりと時間が空いた。久方振りに現場周辺を散策したくなり、昨夜半のまとまった雨のお陰でしっとりと潤った晩秋らしい空気の中を歩き出す。少し離れたところからあるお屋敷を見上げた時、まるで陶製の人形のように窓枠に静かに留まっているふたつの影を認めた。茜色がかった灰色の胸に、青みがかった鼠色の羽。これは山鳩だろうか。それとも、あのクムルなのだろうか。二羽は、まるで呼吸を合わせてでもいるかのように、同じタイミングで身体を動かす。一羽が上に、もう一羽がやや斜め下に。あるいはまったく同じ方角を向いて。その距離と間合いの取り方。胸の寄せ合う角度。見事なまでに「一対」な二羽に、私はしばし見惚れた。野鳥の「つがい」の方が、人間の夫婦よりはるかに慈愛に満ちた行動を見せる。野鳥には、「つがい」であることへの疑念など、当然のことながら微塵もないに違いない。本能の選んだ相手と、協力し合いながら巣を作り、雛を育て、一生添い遂げていく。 私は、数ヶ月前のある出来事を思い出した。ある朝、窓辺でカサコソ、カリカリという不思議な音がしているのに気が付き、目が覚めた。いったい、なんの音だろう?私は北側に面した寝室の窓辺に立ち、そっとカーテンに手をかけた。気配に驚いて、パタパタと音を立てて飛び去っていったのは、小さな山鳩のような野鳥だった。窓辺に残っていたのは、数本の枯れ枝。窓と鎧戸の枠との間の、わずか10cmほどの空間に、山鳩は巣を作ろうとしていたのだ。私は、山鳩がもう一度戻ってくるかどうか、カーテンを開けたままで少し待ってみた。やがて、パタパタという羽根の音に続き、枝が擦れたり嘴が窓枠に当たる音だろう、カサコソ、カリカリという音が聞こえた。ガラス越しにそっと覗いていると、山鳩は一羽だけではないことが分かった。一羽が枝を嘴にくわえて運んでくると、もう一羽が嘴で枝を積み上げ巣を形作るのだった。もしかして、このまま巣作りに成功したら、卵を産んだり雛を育てたりするところまで間近に見られるかもしれない。私の気持はほんのりと温かくなった。それから2~3日というもの、思い出しては窓辺を覗き、巣の出来具合を確かめ、カリカリという音が聞こえると、そうっと窓辺に近づいては山鳩の様子を見守った。夫が日本から帰った翌朝。カリカリという音に気付いた夫に、私は得意げに説明した。山鳩が巣を作ってるのよ、と。夫はすぐに窓辺に近づき、私が止める間もなく、出来かけの巣を手で払い落とした。「どうせ冬になったら、このままにはしておけないんだよ。鎧戸は閉めなくちゃいけなくなるし、せっかく作った巣をその時になって壊すより、今壊しておいた方がいいんだよ」夫の言い分にも一理あった。確かに、いずれ鎧戸をピッタリと閉ざさなければいけない冬が来る。アンタルヤの冬は、暴風雨と長雨と北風の季節なのだ。しかし、今になって振り返る。あれは、山鳩ではなくクムルだったのかもしれない。夫婦円満の象徴のようなクムルをないがしろにしたバチが、今頃になって当たったのかもしれない。1ヵ月後に夫が帰ってきた時、ここ何ヶ月ものわだかまりをきれいに払拭して、互いの意見を尊重しあいながら、工事の最終段階を一致協力して乗り切ることができるだろうか。もう一度、最初の頃のふたりに戻って。正確に役割分担しながら協力して巣を作り上げていった、二羽のように。あるいはまた、あの静かな窓辺に仲良く佇み、動く時は呼吸を揃え、ときに胸を寄せ合って休む二羽のように。
2005/12/15

相変わらず工事現場通いの続く毎日。この週末はとうとう半日の休みも取れず、娘ふたりを連れて朝から夕方まで現場に詰めることになってしまった。幸い土曜の夜に夫が帰宅したので、現場までの「足」は確保できたが、掃除もろくろくできぬ家の中は荒れ放題。たった2週間半振りとはいえ、家族の待つ懐かしの我が家でゆったりと寛ぎたい夫には申し訳ないが、どうしようもない。(掃除婦さんでも雇える身分なら、どんなにかいいのに・・・)先週半ば、日本出発直前に、現場まで夫がわざわざ電話してきた。工事の進捗状況を尋ねがてら、「何か欲しいものがあったら、今のうちに」と、買ってきて欲しいものを聞いてくれる電話だった。毎日工事のことだけで頭が一杯になっている私には、今さら特に欲しいものも思い浮かばなかったが、切らして寂しい思いをしていた「米、醤油、うどん、コーヒー」の4点だけ急いで伝えて電話を切った。だから、お土産なんてあまり期待していなかった私だが、夫は例によって、子供たちの前々からのリクエストをちゃ~んと覚えていたのだ。それは、下の娘ナナのリクエスト肉まん、あんまん と、イクラである。えっへん。今回、アエロフロートのボーナスチケットを利用して帰った夫は、前々からモスクワ空港でチェックしていた瓶詰めロシア産イクラを、今度こそ忘れずに買ってきてくれたのだった。ちなみにこれは、上の娘エミのリクエスト。ウニ・イクラに目のない夫に似てか?イクラが大好物のエミは、早速ご飯に乗せて、醤油をちょっとだけ垂らし、至福の微笑み・・・。肉まんの方も、早速コンロに蒸し器をかけて準備。およそ1年半振りの豚肉の風味を味わった。醤油があれば一応和食らしいものは作れるけど、やっぱり生のイクラや豚肉はめったに味わえないもんね。どこにも遊びに行けず、買い物もできず、家でゆっくりすることもできなかったけれど、夫のお陰で、ささやかな贅沢をさせてもらった週末でもあった。
2005/12/05
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