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インターネット未亡人。トルコで、果たしてそんな言葉があるかどうか知らないが(敢えて言えば、インテルネット・ドゥル・カドゥヌ?)、ここでも散々登場している義妹のセラップは、いわば「インターネット未亡人」である。つまり、夫のエルカンをもう長らくインターネットに寝取られてしまっているのだ。(あれっ?寝取られた妻は、未亡人じゃあないか。。。まあいいさ)現場で助監督を務めてくれているエルカンは、よくチャットで知り合った世界中の「友達」の話をしていたのだが、まさか彼がここまで嵌りこんでいるとは、ついぞ知らなかった。セラップ母娘がやってくるまで、エルカンは弟のユルマズの家に居候していたので、彼の実態が把握できていなかったのだが、セラップたちと一緒に我が家に滞在していた約3週間で、そのご執心振りがよく分かった。我が家に帰ってくるや、娘のパソコンの前に座り込み、すぐにメッセンジャーを開ける。そしてすぐにチャット開始。夕食が済めば、またすぐチャット。私が娘のパソコンのすぐ横にある自分のパソコンに座ると、遠慮してなるべく早く切り上げようとはするのだが、深夜遅くまでパソコンの前にいることが多い。先日など、夜12時半までチャットをしていた翌朝、起きるや否やまたすぐチャットを始めたので、さすがに開いた口が塞がらなかった。早く帰ってきても、子供たちと一緒に遊んでやるとか、勉強を見てやるとか、セラップと会話するとか、久し振りに会った家族と一緒に時間を過ごそうという気持がこれっぽっちもないのだ。義妹のセラップはというと、そんな夫エルカンの後姿を頬杖をつきながら眺めては、ためらいがちに時々声をかけるだけ。「どうして・・・云々」と少しでも問いただせば、「セン・カルシュマ!(干渉するな!)」と鋭い声が飛ぶ。そんなエルカンの態度を冷ややかに眺めながら、義姉としてセラップ夫婦の、この一家の行く末を、心配せずにはいられない。なにしろ、エルカンがチャットしている相手というのが、数人の日本人女性(しかも18歳から50数歳まで)を含む、ほとんどが外国人の女性か外国に住むトルコ女性。エルカンは、年齢も6歳サバを読み、妻と3人の子供がいることも明らかにしていないらしい。もちろん、すべて在りのままに自己紹介する必要もないのだが、なんだか危険なニオイがプンプンしてしょうがない。セラップの一番上の姉エダが、まったく同じ原因であやうく夫を外国人女性に取られそうになった経験があるだけに、セラップの心配は並大抵ではない。そこへ、日本から帰ってきた夫からの裏情報が加わった。昨年3ヶ月間、夫に連れられて日本に滞在していた間、エルカンがチャット相手と思われる日本女性とデートしていたのを目撃した人があるという。さらにオーストラリア女性と日本で逢引する予定すらあったらしい。もちろんセラップにはすべて極秘である。常々私に、トルコが嫌いで、「住むなら日本か、オーストラリア」などと夢を語っていたエルカンの隠された意図が、はっきりと透けて見えたような気がした。共に仕事をする中で固まりかけていたエルカンへの私の信頼は、この件で当然崩れた。いざ事業をスタートさせたら、引き続きマネジャーとして働いてもらうという考えが夫にはあるのだが、営業中にチャット三昧なんてやろうものなら、即刻クビだ。****木曜日には一番上の娘エスマがエルカンの叔母一行と共にアンカラに発ち、その夜、セラップと真ん中の娘スリア、末娘ギュライ、夫のエルカンが再び我が家に移ってきた。「スリアが、『エミのことが大好きだから、エミのところに行こうよ~!』っていうのよ」「ギュライも、『ナナと一緒に遊びたい!ねえ~、ナナの家に行こうよ~』って」セラップは子供たちをダシにしていたが、セラップ自身、義弟の小さくて窮屈な家より、我が家の方をずっと気に入っているのである。家に入り、キッチンの椅子に座るなり、「ああ~、やっぱり落ち着くわねえ~。こっちの方が慣れちゃったから」と嘆息を漏らす。エルカンも、待ってましたとばかり、パソコンを開ける。・・・・このまま来週金曜日あたりまで、さらに1週間この状態が続くのだろうか?自分の家なのに、ゆっくりシャワーを浴びることもできない生活・・・。「助かった」半分「疲れた」半分。「もうどうでもいいや」てな気分になっていたところへ、アンカラへ戻ったエスマやエルカンの叔母から、セラップに「アンカラにおいで!」コールがかかった。もともとアンカラへはエスマたちと一緒に出発したかったのに、エルカンに反対されて断念したセラップ。今度こそとエルカンに頼み込み、急遽本日午後1時半のバスで発つことになった。私の使わなくなったカバン10数点や、夫が知人から譲り受けて持ち帰った婦人用古着数十着などを含め、来た時の2倍に膨れ上がった荷物をまとめているセラップの横で、私の目はエルカンの荷物に釘付けになっていた。弟のユルマズの家においてあったはずの彼の服や荷物一式が、いつの間にか我が家に運び込まれていたのだ。まさか・・・セラップたちが行ってしまった後も、エルカンは我が家に留まるつもりなのだろうか?怖くて、私はとてもセラップに訊くことができなかった。昨日夫が発ってしまった後の我が家は、母ひとり娘ふたりの女3人暮らしである。いくら親戚で今は工事を手伝ってもらっている身でも、彼はただの義理の妹の夫。彼には、現場にもっと近い場所に弟と叔母の家だってあるのに。夫には、前もって心配を打ち明けてあった。夫は当然の如く、「ノー!ノー!ノー!まさか!泊めるわけないじゃないか!」と言ったのだが・・・。この荷物。彼はいったい、どうするつもりなのだろうか・・・?
2006/01/29
ギブスが外れて、というより無理やり?外してもらって3日が経った。外したのは、骨折から34日目のことである。冬の骨折ということで、皆さんに「夏に比べればまだよい」と慰めていただいたのだが、最後の1週間など自分の右手から立ち上ってくる臭いに辟易していたほど。その臭いから逃れたい一心で、トルコならではの裏技を使い、待ち時間なし、レントゲンなしで、簡単な問診だけで無理やりギブスを外してもらったのである。果たして素人判断でよかったのかどうか、一抹の不安はないではなかったが・・・。手首周辺は、まだ腫れや内出血の痕が若干残るが、日に日に目立たなくなっている。瓶の蓋を開けたり、雑巾を絞ったり、手首に力のかかる動作はまだできないのだが、包丁を使ったり、物を持ち上げたり、腕全体を使う動作は随分とできるようになった。食べ物を口に上手に運ぶのはまだまだ難しい。普段気付かないのだが、スプーンにしろ箸にしろ、口元まで食べ物を落とさず運ぶには、かなり手首を捻らないといけないらしい。ようやく前後に20度くらいずつ動かせるようにはなったが、左右の捻りがほとんどできないので、スプーンの持ち方・運び方はまるで赤ちゃん並みである。焦らず、気長に練習していこうと思う。****骨折後、こちらを訪問してくださった多くの方から、暖かい励ましの言葉、気遣いの言葉をいただき、随分と勇気付けられました。皆さまに、あらためてこれまでの感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。m(_ _)m
2006/01/29
セラップ母娘とエルカンの5人は、昨夜エルカンの弟ユルマズ宅へと移っていった。私よりも夫の方が、「静かになって良かった~!」「自分の家でやっと寛げる」と心からホッとした様子。たった1週間、妹一家と一緒に過ごしただけなのに、実の兄であるはずの夫の方が早々に根をあげて、「もういい!」「早く移ってくれ!」と神に願わんばかりだったのだ。学校の始業にあわせて、木曜日には一番上の娘、中学生のエスマが、通学のため昨年9月から居候している叔母宅のあるアンカラへ。金曜日にはセラップが下の娘ふたりスリアとギュライを連れてイスケンデルンへと戻ることになるので、その前に2~3泊滞在しないと「アユップ(恥)」になると、セラップはずうっと繰り返していた。なのに、セラップの夫エルカンの方が、ギリギリまで乗り気でなかったのである。給料も少ない弟の家族に負担をかけたくないとか、我が家の方が広くてゆっくりできるということもあろうが、実は「インターネットが自由に使える環境」を手放したくないからじゃないか、と私は睨んでいる。(この件は、後日「この母娘」番外編の方で・・・)ようやく月曜日にはユルマズ家へ移ることになったセラップ一家だが、夫がいつもの気まぐれを発揮して、「ユルマズ一家全員を食事に招待しよう」と言い出したから困ったことになった。食事を一緒にとった後で全員で移動すればよいという提案が出て、移動を1日伸ばすことになった。夜遅くまで働くユルマズの交代休日が火曜日にあたっていたからである。そこまでは、まあよかった。が!セラップが「叔母たちも呼ばないとアユップになる」と心配しだしたから、再び困ったことになった。叔母とは、エルカンの母の妹のことで、エスマはその叔母宅で居候しているらしい。セラップの親戚関係がいまひとつ把握できていないのだが、ユルマズ一家の住むアパルトマンは、その叔母と義父(エルカン、ユルマズの父親)が共同で建てたもので、ユルマズ家の階下には叔母さんだか伯父さんだかの家族が住み、一番階上にはセラップ、エルカン一家が住む予定の家も、一応(窓も床も塗装もされていない丸裸状態ではあるが)用意されている。とはいえ、エルカンの叔母たち一行は、私たちにとっては、先日ユルマズ家で一度会ったきりの、遠い親戚に過ぎない。トルコ風の濃く幅広い親戚づきあいが大嫌いな夫も、「やめてくれよ~!」「冗談じゃない!」「知るもんか!」と投げやりな態度。結局、「どうぞ」とも「今回は遠慮して」とも言えず、セラップたちの判断にまかせることになってしまった。そして、いよいよ昨晩。夫がいつものオンボロワゴンでとうの昔に迎えに行ったはずなのに、戻ってきたのは何時間も経ってからのことだった。チャイムが鳴って「ようやく来た!」と玄関に迎えに行くと、来るわ来るわ。ユルマズとその妻、1歳と0歳のふたりの娘。エルカンの叔母さんと小学高学年くらいの娘ふたり。そして、ユルマズ宅で一度会ったのだが、どこの誰だかいまだもって分からない小母さんと同じく小学高学年くらいの娘。あとでこの小母さんは、大学生になる娘の携帯にかけ、我が家の場所を教えてこの娘も勝手に招待したので、客数は夫の予定(4人)を上回って合計10人となった。我が家の4人、セラップ一家の5人と合わせて、我が家史上初19人分の食卓を子供・女性陣・男性陣の順番に用意するはめになった。夫は内心セラップにカンカン。セラップにとっては親戚でも、我が家にとってはまったく付き合いのない、初めて会った人たちである。招待するのはセラップではなく私たちなのに、「(自分たちが)アユップになるから」と勝手に招待したと。大人・子供・幼児・乳児含め女ばかり16人揃うと、もう勝手なもので、家の中に入るやいなやツアー開始。ためつすがめつしながら、ああだこうだ。これはいい、こっちはこうしたら?と住人そっちのけで勝手なことを言う、言う。帰りは、ユルマズ宅へ移るセラップ一家併せて、なんと16人もの人間を載せた我が家のオンボロワゴン。その重量のせいでハンドルを切ることすら難しく、無事に着けるかヒヤヒヤしながら苦労して送り届けたというのに、皆がからかうように笑ってばかりだったと、帰ってきた夫はカンカンに怒っていた。「2度と親戚なんか招待するもんか!」過去何度もそう宣言しては自分で撤回してきた夫が、懲りずにまたそう宣言した。****もうじき学校も始まり、もとの平穏な生活に戻る♪と思いきや、なんと今晩のニュースで、全国的な大雪の影響を考慮し、「始業は2月6日に延期」と国民教育相が発表したという。ということは・・・セラップ一家は再び我が家に戻り、もう1週間一緒に過ごすことになるのだろうか?工事がらみの外出の続く私には、他に選択肢はないのだが・・・。金曜夜か土曜にはアンタルヤを発ってしまう夫は、「どうして欲しいか、後はあなたが決めて」と私に判断を丸投げした。「僕が行ってしまった後なら、(セラップたちが)居てもかまわない」のだそうだ。さて、どうしたものか。。。
2006/01/25

我がマハッレ(地区)で毎週日曜日に開かれている日曜パザール。先週、そこでフィノッキオ(フローレンス・フェンネル、イタリア茴香)を発見。値段を聞けば、1株1YTLという。アーティチョークと並び、トルコでは高級食材にあたると思う。公私ともどもイタリアに通っていた頃、サラダに加えられるフィノッキオ独特の甘く癖のある芳香とサクッとした歯ざわりが気に入っていた。しかし、トルコではフィノッキオなんてなかなか見つからない。パザールで売られているのを見たのも初めてのことである。懐かしさと珍しさで、ついつい買ってしまいそうになるのを堪えたのは、滞在中のセラップ一家に食べてもらえる自信がなかったから。何しろ、セラップが日頃料理に使っている野菜の種類というのが決まりきっていて、野菜を同時に何種類も使ったり、見慣れない料理を作ったりすると、子供たちが全然食べてくれないのである。諦めて自宅に戻ったが、フィノッキオのことがいつまでも気になって仕方なかった。「もし来週も出ていたら、その時は買おう」そう心に決めていたから、この日曜日、同じ青物屋でフィノッキオを、それも大量に見つけたときは待ったなしに買ってしまった。こちらが、トルコ産フィノッキオ。トルコ語ではレゼネ(Rezene)。トルコでは料理用としてより、レゼネ・チャユ(フェンネル・ティー)として親しまれているようで、便秘解消、ガス抜きなどの整腸効果や利尿効果があり、ハチミツ入りで痰切りにも効果があるそうである。デレオト(ディル)に似た形状の青々と茂った葉に鼻を近づけると、アニスにも似たフィノッキオ特有の香りが立ち上ってくる。セラップにも香りを嗅がせてみると、まるで悪寒がしたかのようにブルブルッと身体を震わせ、「ウゥ~~」と唸った。ラクの臭いそのものだという。ラクはブドウとアニス・シードを主原料としたトルコ特産の蒸留酒。アニス(トルコ語でアナソン)はフィノッキオと同じセリ科で香りもよく似ているから、セラップが同一視するのも無理はない。さて、いったいこのフィノッキオをどう料理していくか。白く丸々と太った茎の方はサラダに加えたりしているうち、なんとかなくなりそうだが、大量にある葉っぱの方が処理に困りそう。あれこれ検索してみたが、「葉は魚料理に加えられる」などという簡単な説明しかない。青物屋は、他の菜っ葉同様、挽肉と一緒にサルチャ(トマトや赤ピーマンのペースト)で煮物にすると美味しいと言うのだが・・・。とりあえず、カリフラワーのサラダの彩としてデレオトの代わりに加えてみたり、ツナと一緒にアーリオ・オーリオのパスタにしてみたりしたが、アニス風の独特の香りも、小さく刻んで加えるとあまり気にならなくなった。これなら香りを気にせず、意外に気軽に使えそうである。その後、クックパッドなどで検索してみると、日本でもフィノッキオを使っていろいろな料理に挑戦してらっしゃる方がある。そんなレシピの中から、グラタンやパイのアイデアをいただいたので、今度時間のあるときに試してみようと思う。見た目も麗しく出来たら、画像公開できるかも。インシャッラー。ちなみに、トルコ語でも検索してみたのだが、使えそう、かつ美味しそうなレシピはほとんど見つからなかった。唯一、「ニース風フェンネル料理」(←どこが「ニース風」なのか?とも思うが・・・きっと黒オリーブが入るからだね)というレシピが、トルコ人向けにアレンジしてあるからなのか、トルコの食材で簡単に作れ、トルコ人にも喜んでもらえそうに思えた。■ニース風フェンネル料理(4人分)【材料】・フェンネル 中程度のもの4株・オリーブオイル 食事用スプーン2杯・玉ねぎ 中程度のもの2個(みじん切り)・ニンニク 2かけ(塩と一緒につぶしておく)・生のオレガノ (デザートスプーン2分の1)・ローリエ 1枚・チキンストック 150ml・塩・コショウ・黒オリーブ 50g(種を外しておく)・グリュイエール・チーズ 75g(おろしておく) (*グリュイエール・チーズの代わりに、トルコならカシャールチーズでOK)【作り方】1.フェンネルを沸騰した湯(塩入り)で20分間茹でる。湯を切り、冷たい水にくぐらせる。真ん中から2つ割り、または4つ割りに切る。2.鍋にオリーブオイルを熱し、玉ねぎ、ニンニクをゆっくりと柔らかくなるまで炒める。そこにトマト、オレガノ、ローリエ、チキンストックを加え、塩コショウをする。蓋をし、弱火で10~15分沸騰させる。ローリエを取り出す。3.耐熱性の浅い皿にフェンネルとオリーブを並べ、上から2でできたソースをかける。4.蓋をし(蓋がなければアルミホイルでもOK)、前もって180℃に温めておいたオーブンで、30~40分、フェンネルが軟らかくなるまで調理する。グリュイエール・チーズを上からかけ、温度を上げたオーブンでチーズが溶け焦げ色がつくまで焼く。只今、レシピ大募集中!もし、フィノッキオを使ったお勧めレシピをお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
2006/01/23

すっかり更新が遅れてしまいました。更新もないのに毎日ご訪問してくださっている皆様には、心から感謝申し上げます。****クルバン・バイラム休暇が終わったことで、工事が再開。火曜日には夫が帰宅し、予定をギュウギュウに詰めるのが得意の夫に急かされるように、毎日あっちに行ったりこっちに来たりを繰り返しています。義妹セラップ母娘は義弟宅に移るのを諦め、毎日朝から夕方まで工事がらみで家を留守にする私に代わって、家事のほとんどをこなしてくれています。子育ての方針やその酷いキュフル(罵倒、罵りの言葉)について、しばしば愚痴をこぼしてはいるものの、この点では素直に感謝しています。夫の帰宅で我が家は只今9人家族。私はせめて朝食だけはと、朝一番に起きてチャイダンルック(チャイを煮出すための2段式ポット)をコンロにかけ、それからパンや新聞を買いに走り、支度をする毎日です。年頃も9歳、8歳、7歳、6歳と見事に揃った4人の娘たちは、相変わらず泣く、喚く、怒鳴る、罵るの阿鼻叫喚地獄を繰り広げているようですが、最初の頃に比べれば多少は互いに打ち解けてきた模様。その分、4人協同しての散らかし振りのものすごいこと!今日は現場には行かず、丸一日、片付けと掃除に専念しました。子供たちの、3週間にわたる休暇も残すところ1週間。明日は、今度こそセラップ母娘は義弟宅に泊まりに行き、2~3日そちらで滞在する予定。学校の後期授業の開始に合わせ、今週後半にはイスケンデルンに戻ることになります。夫もほとんど時を同じくして日本にとんぼ返り。そうなれば、元の、平安だけどちょっと寂しい3人家族に戻ります。****☆おまけ☆昨夜、家具屋が貸してくれた2005年、イネギョル(ブルサ近郊。キョフテとともに、家具の町としても有名)家具装飾展示会のカタログをペラペラめくっていて、一度見たら忘れられないソファーに遭遇。生粋のトルコ人セラップだって、インテリアの趣味では私と話が通じるほどのシンプル好み。ふたりでカタログを見ながらゲタゲタ大笑いしました。これを我が家で独占しているのは惜しいので、ちょっぴりこちらで公開してみます。こちらはさしずめ・・・ソファーのプレンス(プリンス、王子) 同じく、ソファーのクラル(王) そして堂々の、ソファーのクラリチェ(女王)がこちら もし、このソファーを製作している家具業者の関係者がいらしたら、申し訳ない。でも、いったいどんな人が買っていかれるのか、まことに興味をそそられました。(注:トルコ国内で販売されている家具のほとんどは、もっとずっと普通です)
2006/01/22
―今日は愚痴日記です。時には許されたし―ああ、確か以前に、こう表現したことがあったっけ。「阿鼻叫喚地獄」7月の滞在時に比べると、セラップの2番目の娘スリアも3番目の娘ギュライも明らかに成長しているが、その凶暴さと貪欲さ、我儘ぶりはもちろん健在。到着した翌朝、オトゥルマ・オダス(居間)にベビー用の食事椅子を運んで、そこでテレビを観ながら朝食を摂るといってきかなかったギュライ(満5歳)。私が頑として許可しないので、なんと延々1時間も泣き喚き続けて、いきなりギュライのギュライらしさを印象づけた。その点、スリア(満7歳)の泣き喚きの度合いは随分と減ったが、大人の言うことを無視して毒づく反抗振りは相変わらずで困ったものだ。来る早々、冷たい雨のそぼ降る中、母親のセラップに怒鳴られてセーター1枚で家出。まずは上の娘のエミに探しに行かせたが、見つからないと言うので、今度は私が入れ替わりに捜索。マンションの地下倉庫へ下りる階段の途中で見つけたのはホッとしたが、帰る様子もない。風邪を引くといけないのでコートをエミに届けさせる。エミはそのままスリアの様子を陰で見てるからと言って残ったが、やがて、「スリアがいなくなった~!」といって戻ってきた。慌てて子供たちを残し、セラップとふたりで捜索に出掛ける。あっちこっち思い当たる隠れ場所を探すうち、なんと表通りの方からひょこっと姿を現した。「何処にいたの~!」と叱りつけるセラップ。「行っちゃうつもりだったのに」と、口を尖らしながら母親の後について素直にマンションの中に入ったところは、やっぱり子供だなあと安心したが・・・。やっぱり安心するのは早すぎた。子供同士ならではのオモチャの取り合い、順番争い、場所争い、口喧嘩、罵り合い・・・・その度に唾を飛ばしながら大声で怒鳴りまくる2姉妹に影響されてか、エミ、ナナの怒声も日増しに大きくなっていった。特に正義感が強く「ハックスズルック(不正行為)」が大嫌いなエミには、スリアの振る舞いが我慢ならない様子。イタズラの罪をエミやナナに平気でなすりつけたり、しらばっくれる小ずる賢いスリアには始終イライラして、ともすれば一触即発状態。スリアの罵詈雑言にキレて泣き崩れたり、スリアに怒って跳びかかっていくようになってしまった。異常なまでに我儘で幼児なみの執着を繰り返すスリア。私が叱れば、泣くどころかギロッとものすごい目つきで睨んで見せる一方で、親の前ではオイオイと甘えて泣いてみせるスリアのその極道ぶりが、母親のセラップには在りのままに見えていない様子。スリアの嫌がらせに反発するエミの大声ばかり気になるらしく、「アシュル・スィニルリ(異常なまでに神経質)」などと言われてしまう始末。ふーーーーっ。姪でなければ、さっさと家から追い出してしまいたいところなのに。我慢、我慢。しかし・・・娘が娘なら、親も親。子供をきちんと叱ったり説得することもせず、罵倒するか怖がらせようとするばかりのセラップにも、眉をひそめずにはいられない。「ピスティック・チョジュウ!(汚らしい子供!)」「ハイワン!(獣!)」「ゲリ・ゼキャール!(知恵遅れ!)」「デリミスィン・セン!?(キチガイか!おまえは?)」「ワッラー、セニ・オルドゥレジェイム!(きっと、おまえを殺してやる!)」etc....スリアとギュライだって、もちろん負けてない。親に向かって「サラック!(頭がおかしい)」「スゥス!(黙れ!)」「セン・デリスィン!(おまえがキチガイだ)」、エミやナナには「ヤランジュ!(嘘つき)」「ピスティック!(汚らしい)」ときた。こんな言葉を朝から晩まで聞かされ続けた挙句には・・・・どうか、エミとナナにこの悪口雑言の数々が移らないでくれと祈るばかり。セラップ母娘は、明日からエルカンの弟(つまりセラップにとっては義弟)宅へ泊まりに行くことになっているが、今回は何日で根をあげて帰ってくることやら。「あそこにはパソコンがないから行きたくない」と言って、昨晩30分も泣き続けたスリアが、早々に帰りたがるような気がして仕方ないのだが・・・。
2006/01/16
未熟なカサップ(屠殺職人)の腕前は、持ち帰ったクルバンの肉に付着した汚れからもはっきりしていた。糞のこびりついた毛皮もまだ完全に剥がれていないのに、解体できるところから解体していったせいで、筋や脂などにたくさんの汚れが張り付いていて、脂を切り落とし、よくよく洗ってからでないと使い物にならないのだった。数時間前に屠られたばかりのクルバンの肉は、ほんのりとまだ温かかった。早速セラップが夕食のために細切れにし、塩コショウとケキッキ(オレガノ)だけで、ごくごく当たり前にカヴルマ(炒めもの)にしてくれた。新鮮な肉は硬く、なかなか軟らかくならないので、1日は寝かせてから料理するといいそうだが、今日はクルバンを屠ったどの家庭でも、早速マンガル(バーベキュー)にしたりカヴルマにしているはず。私たちも習慣通りカヴルマにしていただいたのだが、歯の間に必ず引っかかる肉の硬さ加減が子供たちに不評で、半分は残る結果となってしまった。夕食後に、同じアンタルヤ市内に住むエルカンの弟一家の家に、子供たちも全員一緒、総勢8人でバイラムラシュマ(バイラムの挨拶)に行くことになった。羊の糞で汚れた車内は、箒で簡単に掃き清めはしたが、服が汚れるのを避けるため、応急処置として座席に新聞紙を敷きつめるより他になかった。半日クルバンのために気力を使い果たした私は、午後10時を廻った頃からあくびがついて仕方なくなった。が、初めて顔を合わせたエルカンの弟や従兄弟には、日本に関して訊きたいことが山ほどあったようで、暇乞いして自宅に戻れたのは午前0時半にもなる頃だった。クルバン・バイラム(犠牲祭)2日目。遅めの朝食後、セラップと一緒に、1日経ったクルバン肉の処理作業を始める。軟らかそうな部分はクシュバシュ(鳥の頭)といわれるサイズの細切れにし、ふくらはぎ、太腿など筋ばった部分はミンサーを使って挽肉にし、肉の若干付いた骨はハシュラマ(茹でたもの)やエトゥ・スユ(ストック)をとるために残しておくのである。セラップは、我が家にある最も頑丈な包丁―といっても、ただの出刃包丁だが―で、長い大腿の骨をふたつに叩き折り、かさばっていた後足を小さく解体していく。出刃包丁は哀れにも刃が欠けてしまったが、セラップの文字通り「骨折り」のお陰で、ようやく鍋に入るサイズにまで小さくなった。一方私には、脂や筋に張り付いている怪しい汚れや毛を洗い落とす作業があった。洗っても落ちない汚れは包丁で切り落とし、再度入念に洗ってザルにあげる。旨みを失い水っぽくなるので、普段なら肉を洗うなんてもってのほかだが、そのままでは到底、家族の口に入れることなんてできない。メフ兄の解体作業をつぶさに見ていた私は、ことのほか恐ろしくて、目を凝らしに凝らして肉を洗い続けた。余分な水分が切れたところで、セラップが細切れにしたクシュバシュを、私がビニール袋に小分けしていく。1袋300~350g。およそ料理1回分ずつに分けたもの4袋を冷凍庫に貯蔵する。次にミンサーでの肉挽き。昨年、夫がプレゼントしてくれたミンサーは、あれ以来頻繁に使ってはいたが、クルバンの肉を挽くために、これが大活躍してくれるとは予想外だった。大きなボウル一杯に挽肉ができ、こちらも300gずつに小分けしてビニール袋に詰め、昼食のキョフテ(ミニハンバーグ)用に500gほど残して、6袋は冷凍庫行きとなった。昼食にはこの挽肉を使い、中にジャガイモや人参の擂りおろしや玉ねぎ、パセリのみじん切りをいれたセブゼリ・キョフテ(野菜入りミニハンバーグ)を作り、今度は子供たちに大歓迎された。骨との格闘で疲れきり、寝入ってしまったセラップに代わり、夕食はクルバンの骨で出汁をとった野菜入りスープを私が作った。冷蔵庫に残っていたセロリ、人参、玉ねぎ、ジャガイモをほぼ同量ずつみじん切りし、レンズ豆も同量、トマト、ニンニクのみじん切りも適量加えて鍋に水を張る。骨を1本、そのまま野菜と一緒に鍋に入れて、直に出汁をとる。灰汁をきれいにとり、野菜が軟らかくなったら、別の小鍋でオリーブオイルを熱し、トマトのサルチャ(ペースト)、小麦粉を適量炒め、ストックで伸ばしてスープに加える。あとはトロミが出るまで煮立たせる。これは、実は日記リンクさせていただいてるDeliziaさんが以前紹介されていた「モロッコのラマダンスープ、ハリラ」のトルコ風アレンジである。ヒヨコ豆は切らしていたし、骨からいい出汁が出るので、今回ヒヨコ豆や肉は抜きにした。この場合バーミックスがあれば、軟らかく煮えたところで攪拌して野菜の形をなくした方が、たぶんトルコ人には好まれると思うが。こうして、これから数日は、クルバンの肉、骨をあますことなく使ったメニューが続くことになる。残ったカヴルマを人参やグリーンピースと一緒に炊き込んだエトゥリ・ピラフ(肉入りピラフ)ハシュラマ(茹でたもの)クイマル・マカルナ(挽肉入りマカロニ)エトゥ・スユ(ストック)をベースにしたドマテス・チョルバス(トマトスープ) : :あまり肉らしい肉の好きではない上の娘のエミは、「私、食べない!」「なんで、毎日羊を食べないといけないの!?これも、あれも羊の臭いがプンプンする!」と不満を漏らす。それに私は答える。「それが“責任”なのよ」「クルバンを切ったものは、肉もきちんと残さず食べてあげなくちゃいけないの。それが責任でしょ?」と。それを聞いたエミは、口をつぐみ、納得したかのように小さく頷いた。
2006/01/11

(※注意:クルバン屠殺の描写を含みますので、苦手な方はご覧にならないでください)「ビズィム・クルバンムズ・ゲレジェェェェッキ!(私たちのクルバン(犠牲)がやってくるよ~!)」車の中から、私は向かいのメフ兄さんに電話を入れ、今そちらに向かっていることを知らせた。開店休業中、もう長らく買い手を捜している向かいのレストランのオーナー、メフ兄さんが、実は今回のクルバンを切る役の名乗りを上げてくれていた。クルバンはいいとして、さて誰に切ってもらおうか?カサップ(肉屋、屠殺職人)に頼もうか?となった時、メフ兄さんが頑として「俺が切る」と言い出してきかなかったのである。カレイチの工事現場に到着。なかなか降りようとしない羊を、近所の若者たちに手伝ってもらって車から下ろし、庭のグレープフルーツの木にとりあえず繋いでおく。あとは、私たちの「専属カサップ」の登場を待つのみ。クルバンの羊は少々落ち着きなく、うろうろと階段を上り下りしたり、角を階段にこすり付けて紐から逃れようともがいている。もうじき訪れる自分の運命が、羊には分かっているのだろうか。メフ兄さんは身だしなみを整え、真新しいセーターと清潔に洗われたチノパンで現れた。ナイフ砥ぎでふたつのナイフを砥ぎ続けるメフ兄。私はちょっと心配になってメフ兄さんに尋ねる。「今までクルバンを切ったことは?」メフ兄はナイフの砥ぎ具合を確かめながら答える。「初めて切るのさ。でも大丈夫」メフ兄に言われて、エルカンは塩と水を持ってクルバンの羊に近付く。祈りを捧げ、まず塩を食べさせ、その後で水を飲ませる。こうして、羊がクルバンとなる事実を受け入れたことになるのだという。やがて、真新しいセーターの袖をまくり、ごく普通の黒いエプロンをつけたメフ兄がクルバンの元へやってきた。最初に、クルバンの目を用意の布で目隠しする。エルカンともうひとり、昔メフ兄の厨房で働き、今も毎日メフ兄の手伝いに通っているムラットの3人でクルバンを横倒しにして動かないよう押さえ、メフ兄がクルバンの頭を後ろに反らせた。「ビスミッラー(アッラーの名の下に)」メフ兄がクルバンの首元にナイフをあてがい、何度も切り込んでいく。クルバンは鼻で荒い息をするだけで、悲鳴ひとつ出さない。間歇的に血がシューと音を立てて流れ出ていく。断末魔になお足をバタつかせてエルカンや私の足を蹴り付けるクルバンの後足を逃すまいと、私は非情にも片方を右足で押さえ付け、もう片方を左手でぎゅうっと握り締めていた。そうして私は、時々目を逸らしながらも、首が完全に切り落とされるまで見届けた。今回クルバンを神に捧げる当事者は、私自身である。自分たちの選んだクルバンがどのようにして屠られていくのか、私には最初から最後まで見届ける義務があった。私には、今回の場合、自分たちの手を汚しながらクルバンを屠るということにこそ、真の意味があるような気がしていた。1年遅れの地鎮祭が、ようやく実現しようとしていた。現場の庭、グレープフルーツの木の根元を赤く染めた血は、あくまで清潔で濁りがない。血の臭いすら感じられなかった。****次に足首に切り目を入れ、細い管を皮と肉の間に差し入れて、若いエルカンが思い切り息を吹き込む。次第に膨らんでいく身体をパンパンと叩いて、空気が一箇所に固まらないようにならす。空気が満遍なく行き渡ったところで、後足首を縛ってグレープフルーツの太い枝からぶら下げ、皮を剥ぐ作業を開始した。しかし、実際は十分に空気が行き渡っていなかったのだろう、皮剥ぎには思いのほか時間がかかり、メフ兄は皮の内側にナイフを当てながら皮を引き剥がしていく。さらに、切れの悪いナイフと、クルバンを切るのが初めてというメフ兄の素人振りのお陰で、その後の解体作業も難航。途中で時計を見ると、自宅を出てからすでに4時間、午後3時にもなろうとしていた。一番最後の後足に至っては、すでに相当疲れ切ったメフ兄は、解体しきれぬまま断念。場所を現場の庭からメフ兄のレストランに移した私たちは、ビニール袋をかき集め、近所への分配分を用意し始めた。カレイチにあっても古くからの住宅の多く残る地区に位置する現場周辺には、ゴミ拾いで生計を立てる老夫婦はじめ貧しい家族も結構住んでいる。全部で10袋ほどに均等に分け、ムラットに配りに行ってもらう。頭、肺、肝臓、腎臓、胃、腸は、欲しいという人がいて遠慮なく差し上げた。掃除に時間がかかるが、美味しいチョルバ(スープ)や料理になるのである。我が家には、解体されなかった大きな後足や背骨の一部、ふくらはぎなどが、功労者メフ兄には、あばら骨のほか残りすべての部分が残された。午後5時。自宅を出て6時間後、すべての仕事を終えた私とエルカンは、ようやくセラップと子供たちの待つ自宅へ向かう帰途についた。何ひとつ飲まず食わずの6時間が経過していた。 (つづく)
2006/01/10
クルバン・バイラム(犠牲祭)1日目。無事に「務め」を終えることができ、ホッとした。トルコに移住して5回目を迎える今年のクルバン・バイラムで、初めてクルバンを屠ったのである。遅めの朝食を摂った後、子供たちは全員セラップと家に残り、私はエルカンと一緒にクルバンルック(犠牲用動物)を買い求めるために出掛けた。我が家のすぐ近所では、クルバン屠殺の特設会場が開設されているのだが、クルバンルックだけの販売はしていない。私たちは、「肉となったクルバン」ではなく「生きたクルバン」、より直裁に言えば「クルバンから流れる血」を必要としていた。昨年、工事現場で血を流す者が出なかったのは幸いだった。しかし、血こそ流れなかったものの、私たち自身がさまざまな意味で工事の犠牲となったのは間違いない。一年の最後に私が右手首を折った程度で救われたのは、まだ神の加護があったからだと思っているが、もしかしたら私の骨折には、「警告」的な意味合いが含まれていないとも限らない。いずれにせよ私たちには、「工事現場で私たちの身代わりとなる犠牲の血が流されること」が緊急に必要だった。私はエルカンに、心当たりのある方角へ車を進めてもらった。その一帯にはカサップ(肉屋、屠殺業者)が多く、自前で切った肉でマンガル(バーベキュー)を食べさせるケバブジュ(焼肉屋)も点在している。空き地では生きた羊やヤギを囲っているだけでなく、クルバン・バイラム時期には、「クルバンルック売ります」の文字が書かれた看板や垂れ幕がかかるのを以前から見ていたのである。2~3軒のカサップをはしごしながら、私はクレジットカードの使えるカサップで購入することにした。クルバンルックには大きく分けて、ブユックバシュ(大きい頭=牛)とクチュックバシュ(小さい頭=羊、ヤギ)があるが、普通共同購入になるブユックバシュに対し、単独購入の私たちはクチュックバシュ、つまり羊かヤギを買うことになる。日本人にはあまり馴染みのないヤギ肉だが、セラップに訊くと「ヤギも美味しいわよ」と言う。なので、いったんはヤギにしようかと思ったが、ヤギは小振りで肉が少ないとエルカンが言うので、結局羊の中から品定めすることになった。最初に目に付いたのは、明るい茶色の顔と、クルリと巻いた見事な角を持つ立派な羊。クルバンルックの価値に容姿がどれほどの役割を果たすのか知らないが、やはり選ぶとなると立派なものに目がいく。値段を訊くと、560YTL(約5万円)とさすがに高い。カサップの人に相談しながら、中位の大きさのオススメ羊を何頭か選び出してもらう。270YTL(約2万3千円)、290YTL(約2万5千円)、350YTL(約3万円)。。。そのうちの1頭が、なぜかエルカンの後ろにくっ付いて離れない。ドリルのように曲がった角。白い顔に鼻先と目元に黒い斑がある。クルバン選びが初めての私はもちろんだが、選び方を知らないという点では、エルカンも素人であることには変わりない。結局、エルカンの元へ自分からやってきた縁を重視し、この羊に白羽の矢を当てた。350YTLの羊である。夫のオンボロワゴンに羊を乗せる。クルバンルックを買うのが目的なのに、新聞紙ひとつ用意してこなかったのは迂闊だった。不意に後方から汚臭が襲ってきた。座席の間を行ったり来たりしながら、ポトポトと糞を撒き散らしているのである。ついさっきまで荷物用の最後方席にいたのに、前方座席に座る私たちの横になにか気配を感じたと思ったら、顔のすぐ横に羊の顔があって驚いた。時々私の後ろに来て帽子の上から鼻先を押し付けてきたりすると、ついつい愛着が湧いてくるのだが、ひとつのミッションを課せられているつもりの私の心の内は、あくまで冷静・冷淡だった。クルバン購入が優先とばかり、とるものもとりあえずスッピン、手ぶらで慌てて家を出た私だったが、自宅にいったん立ち寄って化粧したり、ナイフや盥、ビニール袋など必要と思われる道具を用意することもままならず、まるで一刻の猶予も許されていないかのように、私たちは一路カレイチの工事現場目指して車をひた走らせた。(つづく)
2006/01/10
水曜の朝、イスケンデルンに住む義妹セラップ母娘3人がアンタルヤに到着した。現在工事の助監督として現場に詰めてくれているエルカンの妻子である。現場通いで家事に割ける時間が限られている上に、怠け癖が高じて、家中どこもかしこも散らかり放題。そこへきての右手首骨折。ろくろく掃除・片付けもできないまま、セラップ母娘を迎えた。オトガルから直接現場に到着したセラップとふたりの娘スリア、ギュライを抱きしめて歓迎する。ゆっくり話す時間もないまま、自宅の鍵を渡して、エルカンに自宅に送り届けさせた。もちろん中の惨状を見て驚かないよう、注意も加えた上で。家中酷い散らかり状態、特に流しには、片手でどうしても洗えなかった鍋、フライパン類が山盛りになっているのだから。午後4時前、現場から自宅に戻ると、案の定、洗い物の山はきれいに片付き、キッチンは相当ピカピカになっていた。まだまだあっちもこっちも残ってるといいながら、私では半日かかってもこうはいかない。有り難いことである。食事も、いつ誰が帰ってきてもいいように、セブゼリ・チョルバ(野菜入りスープ)とマカルナ(スパゲッティ)が用意してあった。マカルナのソースは特にない。バッカルからパンとヨーグルトを買ってきて、ヨーグルトやケチャップをかけていただくのである。チョルバのお供には、必ずパン。片手の私一人ではできる料理も限られているし、野菜のストックが豊富にあるというわけでもないので、セラップの作ってくれる料理に文句をつけられる筋合いではないのだが、100キロ級、サイズ52、バスト110cmという体格のセラップが料理すると、なぜか炭水化物の摂取量が多くなってしまう。例えば、私がサラダでも作ろうかと訊くと、チョルバにたくさん入ってるから必要ないというし、昼食にシェヒリエ(短く切った細いパスタ)入りのチョルバをたくさん作った今日も、他には、前日から残っているマカルナとサラダで十分。野菜を肉と一緒に料理するのは明日にしましょう、と言う。ここ3~4日、食後に腸が決まって痛み出すのは、食生活の急激な変化と関係があるのだろうか。軟らかい食事が中心になった上に、人数が増えてなかなかお腹一杯食べられない。満腹感を得るために、普段朝食でしか食べないパンをついつい口に運んでしまう。お腹が日に日に出っ張ってきて、ずっと張った感じがする。やっぱりこれは、「マカルナ腹」とでも言うしかないのじゃないだろうか。とうとう腸の不調は、トイレに行くたび、目に見えた形でも現れ始めた。シンプルに茹でた野菜や、生野菜のサラダ、ミネストローネのような野菜スープを思いっきり食べたくなってきた。早く右手が回復しないかと、出っ張り始めたお腹をさすりながら痛切に思う昨日、今日である。*ご訪問くださっている皆様へ*クルバン・バイラムを控え、大掃除に励むセラップを一人で働かせるわけにもいかず、毎日掃除・片付けと、駆けずり回り散らかし回り、泣き喚き怒鳴りまくる4人の子供たちとの闘いに明け暮れています。なかなかパソコンの前に座る時間もとれないと思いますので、更新が途切れてもどうぞ心配されませんように。
2006/01/07
昨年はいったい何本の子供向け映画を観たことだろう。自分好みのヒューマニスティックなドラマやラブコメディなど、もう長らく観たことがないというのに、子供にせがまれるままに、今では「違う世界」の映画ばかり観るようになってしまった。いつも通り何の予備知識もなく、まっさらの状態でスクリーンに向かう。最初に目を見張ったのは、これもひとつの主人公といえる、この「家」の不思議な魅力である。鬱蒼と茂った木々と花々に囲まれた庭。至るところ板張りの重厚で古めかしい室内。弟ダニーが隠れ家にしているサービス用の小さなリフト。いつでもどこでも始まる兄弟喧嘩。これには、思わず頬が緩んだ。いや、あまりのリアリティに、笑いが抑えられなかった。まったく我が家の姉妹エミとナナの間で、毎日朝から晩まで繰り返される姉妹喧嘩に瓜二つなのだから。兄のウォルターが10歳、弟ダニーが6歳半。一方、我が家のエミが9歳、ナナが7歳と、ちょうど同じ頃合だ。弟は兄にかまって欲しくて、繰り返しちょっかいを出す。兄は「赤ちゃんみたいなマネはやめろよ」と怒り出す。弟は「僕は赤ちゃんなんかじゃないぞ。赤ちゃんなんかじゃないんだから」と反論する。兄弟は、父親のところへ行き、それぞれ自分の正当性を訴える。仕事で忙しく、大事な会議を控えた父親は、「私を少しは一人にしてくれ」と声を荒げる。兄には「お兄ちゃんらしく振舞いなさい」と忠告する。こんな兄弟間の喧嘩、交わされる会話、父親の発する言葉・・・すべてが、まるきり我が家のコピーのようなのだ。いや、兄弟姉妹を抱えるどこの家庭でも、きっと同じ情景が展開されているのだろう。兄は怒りに任せて、リフトで弟を地下室に下ろしてしまう。そこでは、巨大なセントラルヒーティング用のボイラーが、業火のような炎を不気味に燃やし続けている。恐ろしさに地下室から逃げだした弟は、階段の隙間に、古ぼけたブリキ製のボードゲームを見つける。一緒に遊びたくて兄を誘ったのに、一向に相手にしてもらえない弟は一人、とうとうぜんまいを巻き、赤いスタートボタンを押してしまった・・・・。****兄弟役のふたりの男の子が秀逸。ウォルター役の男の子は、繊細さと気難しさと責任感と若干の弱さを併せ持つ、いかにも長男らしい風貌をしているし、ダニー役の男の子は、飄々のんびりとして、負けん気があり、いざとなると結構しぶとく大胆な次男のイメージそのまま。実際には、このふたりの上に少々ルーズで能天気な姉がいるのだが、この兄弟の力関係にはなんの影響も持ちえないことをストーリーでも表現している。この映画は男きょうだいの物語であって、女きょうだいと男きょうだいの世界の間には、理解不可能な根本的な溝が広がっているかのようだ。私には、この映画を手掛けた監督、脚本家、演出家に関する知識は全くないが、間違いなく「兄弟喧嘩の機微に長けた」人たちが製作したに違いないと思っている。宇宙からのサバイバル&アドベンチャー映画でもあるのだが、誰しも思い当たりのある兄弟間の愛憎をテーマとした人間ドラマと言ってもよい。7歳以上指定。私の見た感想でも、7~12歳くらいの、まさに少年・少女期にあたるお子さんたちにうってつけである。が、現役のお子さんだけでなく、子供時代のほろ苦い記憶を今に引きずる、あるいはその年齢のお子さんたちの兄弟姉妹喧嘩に日頃頭を抱えていらっしゃる親御さんたちにも、もちろんお勧めしたい映画である。クラシックなお屋敷と、そこで発見されるレトロなブリキのオモチャの世界そのままに、兄弟が次々直面させられる恐怖の数々も、いつかどこかで見たような昔懐かしさに満ちたものばかり。その点では、最新CGを駆使した昨今の子供映画の、あまりのスピードと刺激の強さに危機感を抱いてばかりいる私のような古いタイプの親にも、安心感を持って観ることが出来た。*ZATHURA公式サイト
2006/01/01
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