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夏は保存食づくりのシーズン。料理は特別、得意でも趣味でもない。おまけに面倒なことは大嫌い、という私だが、何故かときどき保存食づくりに凝ってしまうことがある。とはいえ、一度試してみれば十分というタイプだから、後が続かないという欠点はあるのだが・・・。ブログのネタにしただけでも、例えば一昨年は、★メロン・ジャムとブドウ・ジャム★赤玉葱のジャム(1)(2)★マルメロのジャム昨年はというと、★トマトのコンセルヴェ(瓶詰め)(1)(2)★コルニション(1)(2)(3)(4)★ドライトマト(1)(2)(3)今年に入ってからは、まだ★サクランボのジャム★サワーチェリーのジャムくらいなものであるが、挑戦したいものはまだ色々あるのだ。例えば、昨年チャレンジしたトマトのコンセルヴェが重宝だったので、今年はもっとたくさん作りたい。それと、昨年、塩が足りなくてカビさせてしまったドライトマトのリベンジ。さらに、今年はいっちょ試しに、トルコ料理の「黄金の調味料」サルチャ(トマトペースト)を完熟トマトで作ってみたいと考えていたのだが。。。。残念なことに今年はトマトが異常に高く、なかなか腰が上がらない。トマトの値段が今後下がらない限り、実現はかなり無理そうだ。(私の場合は、失敗する確率も想定しなければいけないのである・・・涙)****毎年初夏になると、パザールでフェスレーエン(バジル、バジリコ)の苗を買ってきて鉢植えにし、夏の間ちびりちびりと葉をちぎっては香り付けに使ってきた。しかし今年は、そのタイミングをいつのまにか逃してしまった。なので、バジルが欲しい時は、パザールの青物屋で束で買ってくることになるのだが、大葉と同じで、冷蔵庫に入れておくとすぐに斑点が出始め、2~3日も経つと、やがて真っ黒に変色してしまう。ロボット(フードプロセッサー)をいまだ持たない私は、ジェノヴェーゼ・ソースを作ることもできないし、料理にバジルを大量に使うことがないので、残って変色したバジルはこれまではゴミ箱行きになっていたのである。そこで今年は、残ったバジルが古くなる前に乾燥させて、ドライ・バジルにすることを考え付いた。取り立てて言うまでもなく、バジルがふんだんに採れる土地にお住まいだったり、畑をお持ちで、毎年そうしてらっしゃる方も多いとは思うが、私の場合、自分でドライ・ハーブを作ることなどこれまでにない経験なのである。トルコでもっとも利用頻度の高いドライ・ハーブは、ナーネ(ミント)だと思うが、ナーネやダー・ケキッキ(タイム)は、アンネ(義母)が手作りのものを送ってきてくれるし、ケキッキ(オレガノ)も、どこのスーパーやパザールでも袋詰めのものが見つかるので、心配したことはなかった。ああ。唯一の例外はローズマリー。庭木として植えられていることの多いトルコでは、ハーブとしてはめったに流通しない。私が外出の際に一枝、二枝失敬して帰ったりするのを知った義妹が、田舎から送ってくれたのが自然に乾燥して、ドライ・ローズマリーになったのだったっけ。フレッシュ・バジルの手に入らない冬場、今まで私は日本から買ってきてもらった業務用のドライ・バジルや、それを切らしてしまった後は、地元で買ったドライ・バジルを仕方なく用いていたが、地元で売られているものは色も香りも極端に落ちるのだ。おそらく、買う人が少ないので、古くなっているのだろうと思う。さて。パザールで購入した新鮮で瑞々しいバジル。ターゼ(新鮮)なうちにスパゲッティなどに使った後、残った葉は冷蔵庫にしまわず、きれいに洗って水を切った後、オーブン用のテプスィ(トレイ)に広げた。乾いた熱風が十分当たるよう、キッチンの窓を全開にし、その前に置いた椅子の上にテプスィを置いた。 それから丸2日。熱くてカラカラに乾いた風のおかげで、あっというまに乾いてしまったバジル。手の平をすり合わせて撚るようにし、細かく砕いていくと、バジル特有の爽やかな芳香が立ち上ってきた。 香りは予想以上に強かった。市販のドライ・バジルなんか目じゃない、素晴らしい香り。こんなに簡単に成功するなんて。今まで試してみようともしなかった私がバカだった。家事の合間に、負担にならない量のバジルをちょこっと干しておくだけで、香り高いドライ・バジルが出来上がるのである。アンタルヤに乾燥した熱風の吹きつけるこの季節。身体には堪えるこの熱風を逆手にとって、もうしばらくは超簡単なドライ・バジル作りを継続してみることに決めた。いつも応援ありがとうございます。ドライバジルの爽やかな香りをモニター越しに感じた方、クリックもよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/30

元気のないクッキークッキーは、誕生パーティーのあった夜から下痢をはじめ、未消化なエサを吐き戻し始めた。翌朝になっても、元気はまるでない。鼻水も出ている。何度かこみ上げては、胃の中のものを全部吐き出そうとするようだった。まるで胃腸風邪のような症状。初回の予防注射を行ったヴェテリネールに、まずは電話相談してみた。やはり連れてきた方がいいとのこと。用事で出掛けた夫に訴えると、最初は、明日まで様子を見れば?とクッキーの様態を軽視していたが、私が断固として連れて行くことを主張したため、義弟のエルカンを迎えに来させてくれた。カレイチ(アンタルヤの旧市街)から目と鼻の先にあるウシュックラール通りにヴェテリネールはあった。ドクトルは、クッキーの口を開け、扁桃腺が腫れていることを教えてくれた。病気の原因としては、あらゆることが考えられた。ペットショップで移った可能性。環境の急激な変化。暑さ。ストレスと疲労。クッキーは抗生物質を含む注射を2本打たれ、3日間続けて通院するよう申し渡された。自宅に帰った頃には薬の効き目が現れ、活動的になったクッキーだったが、それはやはり一時的なものだったらしい。下痢・嘔吐は止まり、病時の食事としてヴェテリネールに勧められた鶏の胸肉入りご飯を、食事用スプーンで2杯くらいは食べるようになった様子を見てほっとした私たちは、水曜日の夜には、娘たちが前々から観に行きたいといっていた『LARA SAND CITY』に、クッキーも抱っこして連れて行ったが、まだ完治していないクッキーに、この外出は堪えたようだった。月齢の小さい仔犬は、とくに車酔いしやすいらしい。現地を見学し、一休憩ついたところで、午後に食べさせたエサを吐き戻してしまったのである。そして、私たちが寝静まったその夜半、血の混じった下痢を2~3度繰り返したことを朝になって私たちは知ったのであった。娘たちをバドミントンのレッスンに送った後、まっすぐヴェテリネールに連れて行くと、症状から判断して早速、点滴となった。 点滴中のクッキー木、金、土曜と、それから3日間。毎日点滴に通い、ようやく今日、針を抜いてもらうことが出来たクッキー。昨日からは食欲も出てきたらしく、朝、昼、夕方、夜と、少量ずつに分けて食事もきちんと摂れるようになった。後は明日。コントロールのためにヴェテリネールに連れて行くだけ。それでも完治とまでは行かないだろう。もうしばらく、車までの外出や、やたらと触りたがって困る子供たちには十分配慮しなければならない。実を言うと、夫の短いアンタルヤ滞在中、近場でいいから1~2泊程度の家族旅行をと考えていた。しかし、クッキーが我が家にやって来た今となっては、旅行どころか、クッキーをひとり置いての日中の外出も、当分は難しそうである。鳴いたり吼えたりすることなく、部屋でひとりきりで留守番できるよう、現在は躾の真っ最中なのだから。仔犬を飼うということを、実に気軽に考えていた夫は、クッキーを可愛がりながらも、今頃になって驚き青くなっている。繊細でちょっとしたことで病気になりやすいし、ヴェテリネールに診せるのにもいちいちお金がかかる。世話の焼ける赤ちゃん同然なのだなあと、あらためて思う。初めこそ反対だったが、今クッキーに接するたび、流産で生まれることのなかった三番目の子供(娘だったと思っている)を育てているかのような、あたたかな気持ちを抱かずにはいられない私なのである。いつもクリックありがとうございます。クッキーの元気な姿を1日でも早く見ることができるよう、クリックお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/29

将来、ヴェテリネール(獣医)になりたいという上の娘のエミは、昨年来、犬を飼いたいと繰り返し私たちに訴えていた。実は、私はそれに猛反対だった。・まずは、娘たちが犬の面倒を自分だけで見られる年齢に達していないこと。エサの準備やトイレの後始末、躾、散歩・・・・それらの面倒は、間違いなく私の仕事になるだろうこと。・今年、もしくは来年、カレイチ(アンタルヤの旧市街)の事業所がオープンした後、私はともすれば早朝から夜遅くまで仕事場に詰めることになる。そうなった時、犬の世話はいったい誰がみるのか。・犬を飼い始めたら、好きな時に好きな場所へ出掛けるということは難しくなる。日本に長期間帰国する際、また国内にしろ旅行する場合、どこに預けるのか。・病気になれば獣医に診せ、きちんと看病をしてやらねばならない。普段の健康管理にも気を配り、寿命が尽きるまできちんと育ててやる覚悟があるのか。妊娠させないための手術。あるいは仔犬が産まれた場合の世話・手続き。それらはどうするのか。経済的にも時間的にも、それを支えられる余裕があるのか。などなど、反対理由はいくらでもあげられた。しかし、トルコ人の夫は、いつもながらの馬耳東風。私のいうことを「細かすぎ」「心配しすぎ」「問題ない」「なんとかなる」と言って片付け、エミに早々に約束してしまったのである。10歳(トルコ式なので、日本では満9歳)の誕生日にプレゼントとして買ってやろうと。私はそんな夫と娘に対し、我ながら相当渋い顔をしていたと思う。しかし、父と娘の間でなされた約束については、決定的な干渉はしないことにしている私は、憂慮しつつも成り行きを見守るしかなかったのである。そしてエミの10歳の誕生日がやってきた。誕生日から3日遅れでアンタルヤの自宅に戻った夫と一緒に、先週金曜のこと、ペットショップの集まっているチャルシュ(商店街)に出掛けた。まずは、どんな犬がいいか、値段はどれくらいか、周辺グッズにはどんなものが必要で値段はいくらくらいか、事前調査をするつもりで。アンタルヤで手に入る犬種は普段でも少ない上、暑い夏の時期はさらに少なくなる。ラブラドール・リトリバー、ゴールデン・リトリバー、ロットワイラー、ドーベルマン、テリア系(正確には不明)。時にチワワやチャウチャウも見る。映画の影響で、春頃にはシベリアン・ハスキーの仔犬が相当出回っていたが、今は影を潜め、代わりにパグが多くなった。私自身は、小型で毛足の短いウェルッシュ・コーギーやビーグルなどが好み。肝心のエミは、コムシュ・クズ(隣人の娘)で仲のいいオズレムが黒いオスのラブラドールを飼っていて、一緒にトイレを掃除したり散歩に出掛けたりしているため、ラブラドールが気になっている。ゆくゆくは繁殖させようと、イエローのラブラドールかゴールデンのメスを、とまで考えていた。ペットショップを端からゆっくりと見て廻る。ゴールデンなんかも可愛いのだが、今ひとつピンとくる仔犬に出会えない。一番最後に、ハムスターの飼いはじめ以来馴染みになったペットショップで、ふと足がとまった。ケージの中に、2匹のコッカー・スパニエル。起きて動いていた仔犬は、鼻が赤いために皮が剥けたように見え、ちょっとコミック。私はその横で眠っていた一回り大きな仔犬が気になって仕方なかった。店主が仔犬を起こし、ケージから出してくれる。顔を見た途端、私も娘たちも一目で気に入ってしまった。つややかな毛並み。愛らしい顔立ち。胸に抱き寄せると、つぶらな黒い瞳でひたっと見つめてくる。この時点で、もうこの仔犬に決まったようなものだった。最初は下見だけのつもりだったのだが、あれよあれよと話が決まった。前金を置き、首輪をつけてもらい、自宅の準備や予防接種(ペットショップが獣医を呼んで最初の1回目はやってくれる)のために余裕を見て、3~4日後に引き取りにくることにした。エミはペットショップから帰るなり、オズレムから仕入れた知恵を運用し、自分ひとりで仔犬を迎える準備を始めた。バルコンに新聞紙を敷いてトイレとし、使わないオモチャ入れとして放置されていたプラスティック製の3段ボックスを仔犬の世話用グッズ入れとして用意。電気のケーブルは子犬が齧るので危ないからと取り外し、同時にテレビも部屋から運び出した。3段ボックスには、ティッシュやゴミ箱用のビニール袋、トイレ用の新聞紙、犬用オモチャなどを詰めてあらかじめ準備。後ほどペットショップで買い込む予定のエサやブラシもここに入るはずだ。最後に、インターネットでコッカーの特長を調べ、名前の候補リストからクッキーという名前を選び出した。半日でこうした準備を終えてしまったエミは、待ちきれず翌土曜日にペットショップに会いに行くほど興奮していた。エミの誕生パーティーは翌週の月曜日、つまり24日に行うことになった。そして、パーティーが終わった翌日か翌々日くらいに迎えに行こうという私たちの提案をよそに、パーティーの時には仔犬にもぜひ居て欲しいと、エミが頑として譲らなかったのである。招待するのは、同じスィテ(共同住宅)の仲良し友達と、義妹セラップの家族くらいなものではあるが、たくさんの子供たちに手当たり次第に触られ、可愛がられすぎた場合、いったいどういうことになるか。私の懸念していたことが、すぐに結果となって現れてしまった。月齢の小さな仔犬は、人間の子供以上に繊細だということを、私はそのときになって初めて実感したのである。クリックでの応援、いつもありがとうございます。クッキーのその後が気になる方、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/28

私には現在、これだけの家族がいる。満40ウン歳になる成人(♂)1人と、満9歳と6歳になる子供(♀)2人、満1歳3ヶ月のハムスター(♂)1匹、生後3ヶ月くらいの性別不明(たぶん♂だと思う)のウサギ1羽。この月曜日、そこに新たな家族が加わった。私にとっての3番目の娘。といっても、もちろん出産したわけではない。 (上ふたりの娘を出産した時、すでに高齢出産だったんだからネ)養女にもらったのである。 **** 生後2ヶ月。メスのコッカー・スパニエル。名前は、クッキー(cookie)と付けた。これから1~2回に分けて、彼女が我が家に来るまでと、現在の様子をご紹介してみたいと思う。(実をいうと、途中まで書いたところで突如停電になり、大半が消えてしまったので、書き直す時間をいただきたいのである)クリックでの応援、いつもありがとうございます。クッキーのつぶらな瞳にマイッタ!という方、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/28

今年の夏も日本へは帰れなかった。2004年の夏に一時帰国したので、たかだか丸2年のことではあるが。日本への郷愁を普段ほとんど意識していない私だが、何かをきっかけとして日本のものがふいに懐かしくなることがある。例えばそれは、匂い。皆さんもきっと心当たりがあると思う。先週の日曜パザールで、珍しいものを見つけた。 そう。何の変哲もない、生姜(ゼンジェフィル/zencefil)である。日本にお住まいの皆さんには、珍しくもなんともない食材。だが、アンタルヤに4年9ヶ月住み、毎週パザール通いをしている私でも、生の生姜を見つけたのは初めてのこと!なのだ。今まで、料理に生姜の風味を加えたい時は、日本から夫に買って帰ってもらったチューブのおろし生姜を、ちびりちびりと使っていたのである。賞味期限なんて、煩いことは当然言わない。なので、もう珍しさと懐かしさとで、果たして料理にどれくらい使えるか考えもせず、即刻購入してしまった。アフリカ産で、1キロ15YTL(約1300円)。写真の塊で、1YTL(約87円)分。自宅に持ち帰り、早速何に使うか考える。皮を剥き、鼻を近づけて匂いをかぐ。ツーンと、清涼感ある生姜独特の香り。その途端、冷奴が脳裏に浮かんだ。そう。冷やした豆腐の上に、おろし生姜と浅葱をのせて。。。。ああ。もうたまらーん!絹ごしだの木綿だのにこだわってるどころじゃない。豆腐さえ手に入ればなあ。。。アンタルヤでは、もちろん豆腐なんか市販されていない。こうなったら、アンカラの豆腐メーカーから送ってもらうしかないか。。。とりあえずその夜は、手羽先を使った残りで、冷凍庫に保存してあった鶏の手羽元を醤油と砂糖でで甘辛く煮るのに加えてみた。その後は、牛肉のそぼろや、棒々鶏用の鶏肉を茹でるために。揚げ茄子に添えてもいいし、鶏のつくね団子に加えてもいいなあ。。。冷奴こそ、いまだにありつけていないが、食卓に和食や中華の乗る回数が急増中のturkuvaz家なのである。夏にピッタリの生姜の香り、せっかくだから目一杯味わおうと思う。****夏は花火のシーズン。ここアンタルヤでも、夏になると海岸沿いで毎週末のように花火(havai fisek/ハヴァイ・フィシェッキ)が打ち上げられる。日本でも、今頃は全国各地で大規模な花火大会が開催されていることであろうが、アンタルヤのしょぼくれた花火を眺めながら私が思い出すのは、決まってふるさとの小さな花火大会である。日本海岸に面した港町の近くに生まれ育った私は、毎年7月の終わりに港で開催される花火大会を幼心に非常に楽しみにしていた。娯楽などのあまりない時代である。花火の絶好の鑑賞ポイントになる埠頭までの道には夜店が並び、花火のお土産には必ず馥郁とした香りを漂わせる白桃を買って帰ったことも、甘い記憶となって残っている。トルコに移住してから、日本の実家へは、娘たちの学校の休みを利用して2002年と2004年に帰省した。私の生まれ育ったふるさとで、娘たちにぜひとも経験させたかったのが、地元の花火大会であった。地元の商業・漁業関係者の出資によるものなので、規模は大したものではないが、ほんの目と鼻の先で打ち上げられるために、あたかも頭上から星が降ってくるような、流れ星の大群を目の前にするような迫力と臨場感に溢れているのが、私の密かな自慢なのだった。物心ついた頃から、大学入学と同時にふるさとを離れるまで見続けた日本の花火の魅力を、日本よりトルコでの生活の方がすでに長くなってしまった娘たちにぜひとも知って欲しくて、2度とも花火大会に合わせて帰省したのであった。娘たちは、ひょっとしたら私ほど興奮していなかったかもしれない。きっとそうだろう。高校卒業後、ふるさとの花火を観るのは、私にとって20数年振りのことだった。 私と同じように、日本の夏を懐かしく思い出した方、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/23

2日前に我が家に拾われてやってきた海の星(ヒトデ)。来た日の夕方には、見事な水中ダンスを披露してくれたのだが、その後の衰弱振りは目に余るものがあった。エサに関する知識としては、大学で海洋生物学を学んだという夫の義弟エルカンを頼りにしたのだが、貝だけでなくタコも食べると聞いて、冷凍庫に後生大事にしまっておいた「高級品」のタコを思い切って解凍し、足の先端を与えてみたのに、なぜか全く無視されてしまった。冷凍もので、活きが悪かったから、いけなかったのだろうか?それとも、好物は貝だけで、タコはやっぱり食べないのだろうか?口の肥えたヤツめ。何度か口(たぶん)の近くにまで持って行ってやったのだが、管足で器用に払いのけてしまった。他にエサになりそうな魚介類も手に入らず、また少ない海水も汚れる一方。ヒトデの動きは見る見る衰えてきた。せめて、一刻も早く海に行って新しい海水を持ち帰ってこなければ。でなければ、海に返しに行くか。逡巡しながらも、なかなか機会がつかめず、今日になってしまう。そして、昨日までただの目の錯覚だと思っていたものが、今日はもう疑いようがない事実として現れてきた。海から持ち帰ってきた時点では、写真でもご覧いただけるよう、完璧な星型をしていたヒトデ。昨日、足といっていいのか、星の5つある尖がりの一部が欠けているのに気付いたいたのだが、今日外出から帰ってみたら、それとは別の足が途中からポッキリとちぎれてしまっていたのである!もしや、自分で自分の体を食べようとしたのであろうか?とっくに食べてしまったのであろうか?どんよりと砂利の上に横たわって伸びてしまっているヒトデを、恐々覗き込む。まさか、死んでしまったのであろうか?時々、管足をゆらゆらと動かしているところを見る限りでは、まだ息絶えてはないようだったが、虫の息であることには間違いないと思った。ところが、一昨日、昨日と同じことが起こった。夕方5時頃になるや、息も絶え絶えと思っていたヒトデが、ちぎれた体でまたもやダンスを始めたのである。不思議なものである。マンションの10階にいながらにして、潮の満ち引きでも鋭く感じ取っているのであろうか?「まだ、生きてるよーーっ!」私は昨夜アンタルヤの自宅に帰ったばかりの夫と、娘ふたりを呼んだ。やっぱり、海に返しに行こう!私は、ヒトデの入ったガラス・ボウルを腕に抱え、娘ふたりと一緒に夫の車に乗り込んだ。およそ5分。「私たちの海」コンヤアルトゥ海岸に着く。海風が吹いて涼しくなる夕方。浜辺は涼を求める市民・リゾート客で一杯だった。その間をガラス・ボウルを抱えて進む私の姿は、少々奇異に映ったらしい。何を抱えているんだろうと透かして見る人もいる。波打ち際には、大きな波が次々と打ち寄せていた。ショートパンツ姿の夫に頼んで、海の中まで入ってもらい、ボウルの中にあった砂利と海水と一緒にヒトデを静かに水の中に放してもらった。ジーンズの裾が濡れるのもかまわず、傷ついたヒトデを見送る娘たち。「ヒトデ、行ったーっ?」「ヒトデ、行ったのーーっ!?」海風に向かって叫ぶ私の声は、かき消されてなかなか娘たちに届かない。ヒトデの生還をしかと確認したくて、娘たちに繰り返し訊いてしまう。最初は娘たちの足元に沈んでいたヒトデだが、やがて高い波に掬われて見えなくなってしまったようだ。よかった、これで。生物の自己再生力には目覚しいものがある。きっとすぐにきれいな星型を取り戻してくれることだろう。美味しいもの、一杯食べてね。たった2日間だったが、ヒトデは私たちに小さな夏の記憶を残してくれた。胸元に光るピンブローチのように、ちっちゃい星の記憶を。そして、星が海に帰るのと入れ替わりに、私たちの元には、新たな家族がやってくることになったのである。私と一緒に、ヒトデの無事の生還を祈ってくださる方、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/21

要注意:足の多い生物が苦手な方は、今のうちにご遠慮ください。 また、食事時はお避けください。なんだか・・・これから数日は、「海の星」(=ヒトデ)の観察日記になりそうな気配濃厚である。もっとも、ヒトデが食べるのは貝やタコだということを聞いたので、早々に海に返しに行かざるをない気はしているが。トルコでは高級品のうちに分類されるだろうミディエ(ムール貝)やタコ(しかも、冷凍ものしか手に入らない)。人様の口にも入らないのに、ヒトデ様に食わせてやるほどの余裕は、我が家にはないのであった。夕方になって、突然活動を開始した「海の星」。やっぱり昼間、砂利の中に深く埋もれてピクリともしなかったのは、眠っていたのであろう。いったい、ヒトデは夜行性なんだろうか?日暮れ時になって、急に活発に動き出したとは。ヒトデを入れたガラスのボウルは、娘たちが覗きやすいよう、とりあえずダイニングテーブルの上に載せてあったのだが、あまりの興味深さに食い入るように観察してしまい、見れば見るほど気味悪くなって、夕食時には目に入らない棚の上に隔離させることになってしまった。さあ、皆さんにもご覧いただきましょう!これがヒトデによる1人シンクロナイズド・スイミングです。動画でないのが残念だが、脚の動きにご注目!(食欲減退効果の可能性があるため、サイズは小さくしておきました) スタート!→ ↓← ↓→ ↓ ← ↓→ フィニッシュ! ちなみに、前回の日記で「触手」と書いてしまったが、裏にある無数の突起は正確には「管足」というそうで、この管足をにょろにょろと動かしながら、泳いだり動いたりしているのである。体をしきりに折り曲げたり水面上に突き出したりするところが、どうしても「1人シンクロ」に見えちゃうのだが、この演技は、実際には何百本もある管足による見事な「シンクロナイズド・スイミング」の賜物なのであった。ブログ・ランキングの参加を始めました。ヒトデのシンクロナイズド・スイミングを初めてご覧になった方、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/20

娘たちのバドミントンのレッスンが(待ちぼうけを食いながらも)始まって以来、海に出掛ける日は、月曜、水曜、金曜、土曜のうち週1~2日というサイクルに収まってきた。昨年までは週に3回ということも多かったが、寄る年波には勝てない。私の体力が続かないので、雑多な理由があるのをいいことに、今年はずっとこの線でいこうと思っている。海に出掛けるのは絶対に午前中と決めている。早ければ早いほどいいのだが、そうそう早起きも出来ないので、朝食を大急ぎで準備して、せいぜい8時くらいに家を出られればいい方だ。真夏の早朝の海は、本当に心地良い。特に、風がほとんどない朝。あるいは山側からわずかに微風が吹く程度の朝。水面は鏡のように真っ平らで、湖のように静まっている。水は澄み、微風になでられた水面がモアレ模様を描き出している。それは、例えばこんな具合である。(写真はオリュデニズの海)時々、小さい魚がふくらはぎを突っつきに来ることもある。くすぐったくて、ちょっと痛い。水温は冷たさをまったく感じさせない。ぬるい温泉に浸かっているような気持ちよさである。顔だけ出して水面にぽっかりと浮かび漂っていると、地球の胎内で漂っているような気になる。こんな快感と開放感は、朝しか得られない。だから、風向きが変わって波が立ち、海の泡が岸辺に打ち寄せるようになる正午までには立ち上がり、帰途につく。と。。。これが私たちの理想なのだが、実際にはいつも思い通りというわけにはいかないわけで。先週金曜日も今日も、朝から海風が吹き付け、まだ8時半、9時だというのに、さざ波というには立派な波に身体がふわりふわりと持ち上げられて、波の苦手な私にはあまり面白くない。こんな時は、着いて真っ先に水に入り、身体を一通り冷ました後は、娘たちも呼んで朝食にする。最近のパターンは、バッカルで買ってきたポアチャ、アチマ、スィミットと、切ってタッパーに入れたトマトとキュウリ、白チーズ。スィミット用にクリームチーズをパックごと。ゆで卵を殻ごと。時々サラミやフルーツ。大きいポットに冷水。小さいポットに私用のドリップコーヒー。水の空きペットに娘たち用のジュース。朝食後は寝椅子に転がってひたすら新聞を読み、隅から隅まで新聞に目を通した後は、娘たちの様子をぼんやり眺めたり、目をつぶって海風で十分に涼む。 今日もそんな調子で、浜辺で探し物をしている娘たちを眺めていたら、下の娘ナナが「デニズ・ユルドゥズ・ブルドゥ~~ム!(ヒトデ、見~つけた!)」といって、手に大きなヒトデを持って私のところへ駆け戻ってきた。ナナの手には、体長10cmほどの大きなヒトデ。乾き死んでいるかと思えば、なんだか生っぽい。ナナが私のひざの上にヒトデを投げるように置くと、ヒトデは裏返しになり白い腹の上でたくさんの触手が動いているのが分かった。「生きてるよ~っ!」上の娘エミも、ナナも私ももちろん興奮。日本の浜辺と違い、ヤドカリや蟹のような海辺の生き物を今までほとんど見たことのない(とっても小さい蟹は以前見たことある)コンヤアルトゥ海岸で、波に打ち上げられたお陰とはいえ、生きたヒトデ、しかも体長10cmにもなる「大物」を見つけるとは。でかしたぞ!ナナ。娘たちが自宅で観察したいというので、それもいい機会かと思い、ビニール袋に海水とヒトデを入れ、もう一つ別のビニール袋に砂利と海水を入れて、自宅までそうっと持ち帰った。帰るや否や、ガラス鉢に砂利と海水を空け、その上にヒトデを降ろしてやる。娘たちに、静かにしてそうっと見ているように言うと、息をひそめひそひそ声で話す娘たち。そのうち、「アンネ~!来て」と小さい声で私を呼んだ。ヒトデは、たくさんの触手で砂利を掻き分け、やがて砂利の中にもぐって動かなくなった。眠ってしまったのだろうか? 写真を撮ろうと砂利の下からヒトデを引っ張り出し、砂利の上に置いてやったが、今度はピクリともしなかった。警戒しているのか、それとも砂利の外に出てしまったことも気付かないほど深く眠っているのか。いったん水の外に出してやると、触手を再び動かしだす。そこで砂利の上に降ろしてやると、今度はすぐに砂利の中にもぐって完全に隠れてしまった。これは、海中生物の観察という、娘たちの夏休みの自由研究(もちろん、トルコの学校にはそんな宿題はないが)にピッタリの素材が見つかったわい。問題は、海水だなあ。。。毎日、海水を汲みに行かなければならないんだろうか・・・?エサは、海中の微生物、つまり特別なものは何もやらなくてもいいんだろうか?それとも、海草や貝類?これから、いろいろとネットで調べてみなくっちゃ。いや、エミに調べさせてみよう。せっかくの「自由研究」なんだからね。こちらが、ナナの見つけたヒトデ。トルコ語でデニズ・ユルドゥス(海の星) 。できるだけ長生きしてくれるといいな。 ブログ・ランキングに参加を始めました。アンタルヤの浜辺で生きたヒトデを見つけたことにビックリした方、クリックよろしくお願いします♪人気blogランキングへ
2006/07/19

何種類もの旬の果物に恵まれたこの季節。パザールには、初夏から初秋までの果物が勢揃い。サクランボ、黒桑、スモモ、黄桃、ネクタリン、杏、メロン、スイカ、それに白イチジクやブドウも出回り始めた。キラズ(サクランボ)はそろそろ旬も過ぎ、先週からはヴィシネ(サワーチェリー)が登場。価格も、キロ1.5YTL(約100円)とお手頃である。サクランボは、6月の始めに送ってもらった夫の畑のサクランボで一度ジャムを作ったのだが、翌週もう一度送ってもらった時には、半分ほどお裾分けした後、そのまま食べるのも飽きたし、ジャムにするのも面倒くさくて、結局腐らせてしまったのだった。 (夫にも、送ってくれた義妹にも、これは内緒!)なので、もう今年は面倒な種取りともオサラバ!と思っていたが、ギリシャのごはんのsalahiさんが、ヴィシネのコンポスト(シロップ煮)について書かれた日記の中で、ヘアピンを使った種取り方法を紹介されていたのに刺激され、今年初めてヴィシネのジャムに挑戦することにした。実は、酸っぱい物が全般に苦手な私。ヴィシネも、本当いうとかなーり苦手である。トルコの食べ物で何が気に入ったって、サクランボやヴィシネ・スユ(サワーチェリー・ジュース)が一番という父親にまるきり似ず、ヴィシネ・スユは私の一番苦手なジュース。そんな私が、ヘアピンでどこまで種取りが楽になるか。これを試したいばかりに、日曜パザールでヴィシネを2キロも買ってしまったのだ。こちらが、トルコのサワーチェリー=ヴィシネ。トルコ在住のジャポン・ゲリン(日本人嫁)の皆さんは、ちなみに普段キラズやヴィシネの種取りには、何を使われてるのだろう?お恥ずかしいことに、今まで私は、ペティナイフで無残にも真っ二つに切り分けたりしていたのである。もっとも、十分に熟れていないサクランボは、それ以外に種を取り出す方法はないようにも思えるのだが。ところが。salahiさんの日記を拝見してすぐ、冷蔵庫にあった熟れたサクランボで試してみたら、あらら本当!簡単に種を取り出すことが出来るじゃないか。これなら、面倒な種取りの苦労も半減するかも?というわけで、パザールで購入してすぐ作業に取り掛かり、昨日は半日もジャム作りに費やすことになってしまった。まずは新聞の上で茎や葉を取り除く作業。次いで、水を替えながら汚れをきれいに洗い落とし、いよいよヘアピンでの種抜き作業にかかる。おっと、その前に。トルコ製のヘアピンは、使っているうちに黒い塗料が簡単に剥がれてくるのが分かったので、ジャムの中に混入しないよう前もってタワシで塗料を剥がしておいた。ヘアピンのカーブした背の方を、茎を抜いた後の穴に差しこむ。よく熟れたものだと、背で種を引っ掛けるようにするだけで、ピョンと種が自分から跳び出てくる。熟れがあまいものでも、ヘアピンの背で種の周りをぐるりと一周掻き回すようにすると、比較的簡単に外れてくれる。もちろん中には、きれいに外れず、潰れてしまうものも出たが。次々滲み出してくる紫色の果汁を服につけないよう注意しつつ、黙々と作業。ある程度溜まったら、その都度秤(1キロまでしか測れないので)にかけて測り、砂糖の量を決め、大鍋に入れておく。トルコではジャムの砂糖は、果物1キロに対し砂糖1キロ、1対1にするのが常識のようだが、甘さ控えめの好きな私は、大抵4割程度に留めている。今回も最初は4割で始めたが、やっぱりヴィシネは酸味が強いので足りなかった。途中でいったん火から降ろした後、さらに砂糖を加えたので、最終的に5割程度に収まったのではないだろうか。約半分くらいに減るまで煮詰まったところで火を止め、すぐに空き瓶に移して逆さにし冷ます。出来上がりは、500g入りの瓶で、わずか2本強。いつもながら、苦労する割にはジャムは実りが少ないなあ。。。こちらが、早速、今朝の朝食に出したヴィシネ・レチェリ。 うちの家族は、私がするのを真似て、今ではクリームチーズを塗った上にジャムを載せる食べ方がすっかり気に入っている。そこで同じようにクリームチーズと一緒にいただいてみたのだが、私にはサクランボのジャムの方がやっぱり美味しく思えた。この、ヴィシネ独特の酸っぱい匂いが、どうもダメなんだなあ。。。。夫もサクランボのジャムは、デザート代わりにそのまま口に運ぶくらいだけど、ヴィシネは果たしてどうだろうか・・・?ヴィシネのジャムを味見して、すでに残り少なくなったサクランボのジャムが惜しくなってきた。今では種取りの技も心得たことだし、もう一度、今年最後のサクランボのジャムでも作ることにしようかな。。。。* * * *ところで。。。最近すっかり澱んできたような感のある自分のブログに新しい風を取り込み、多少の気分転換を試みようと、ブログ・ランキングに参加してみることにしました。今までランキングにはほとんど関心も知識もなかったのですが、同じトルコ在住のyukacanさんやmusmulaさん、mikiさん、ギリシャ在住のchottocafeさんやsalahiさんなど、たくさんのブログ友達の方々もこのランキングに参加してらっしゃることを知り、また新しいブログ友達と知り合いになるきっかけにもなるだろうと、今ではなんとなく楽しみにしています。(ランキングに参加すると、訪問客も増えるのでしょうか??)よろしければ、どうぞお付き合いくださいませ。今日のヴィシネのジャムが美味しそうだと思われた方は、クリックよろしくお願いいたします♪人気blogランキングへ
2006/07/17
これまでの経緯をご存じない方は、まずこちらをお読みください。案の定!コーチ不在のサマースクール・その1案の定!コーチ不在のサマースクール・その2案の定!コーチ不在のサマースクール・その3今回もドキドキ・ハラハラを期待していらした方々。懲りずに闘い続けるturkuvaz像を思い描いてらした方、申し分けない。なんだか気が抜けてしまって。。。書けなかったのである。そう。4度目の正直!ようやくコーチがやってきたのであーる!(あらあ~、ガッカリ?)それも、私たちも知っているホジャ(先生・師匠)、ハサン・ベイ(氏)。エミの学校のバドミントンの練習にも何度か顔を出して指導してくれたことがあるし、大会にも必ず姿を見せている。大柄で頼りがいがあって、ユーモアに富み、子供たちを楽しませるのが得意。ほぼ理想的なコーチなのだ。実は私たちも、ハサン・ホジャだったらいいのになあ~と思っていたのだが、ハサン・ホジャが、青少年スポーツ局に登録された3人のコーチのうちの1人だとは知らなかったのである。願ったり、叶ったりではないか!過去3度、裏切られた身としては、こんなにすんなりコーチが登場して、ほんとうに大丈夫信じていいの?あとで、また裏切られるんじゃないのと不安がないでもないのだが。。。(奥さん、もうじき出産予定日だっていうし・・・)とりあえず、ホッ♪力が抜けてしまった。。。とりあえず皆様には、ここまでの慰めと励まし、本当にありがとうございました~。m(_ _)m
2006/07/13
まさか。その3を書くことになろうとは。。。月曜日。忘れちゃあいけない。今日は県青少年スポーツ局に出向き、支局長に直談判すること。そして、明日火曜日のレッスンには必ずコーチを派遣するよう約束してもらうこと。子供たちは家に残し、銀行に行く前に県青少年スポーツ局に立ち寄る。サマースクールの担当になるスポーツサービス課の扉を開けると、すでに何度も見たことのある女性職員がふたり。「支局長にお会いしたいんですが」と用を告げると、「今日はまだヨズガット(アンカラの東200kmに位置するヨズガット県の県庁所在地)で、いないんですよ」とのこと。「もう大会は終わったんじゃあないんですか?」と訊くと、「大会は終わって皆帰ってきたんですが、支局長はまだ残ってるんですよ。何ですか?バドミントンのことですか?」と問い返された。きっと、木曜日のあの電話の後、「怒りっぽい日本人」のことはこの部屋で話題になったことだろう。支局長と会うことは諦めた私は、「ええ。明日は必ずコーチに来てもらいたいので、直接お話したいのですが・・・・コーチの電話番号はこちらにはないとかおっしゃってましたよね?」女性職員は薄いファイルを取り出して2~3枚ページをめくり、「コーチの名前は、セライ・ババジャンというんですけどね。本人の番号はないんですが、ここにご主人のムラット・ババジャンのがありますから、こちらをお教えしますよ」そういって、サラサラッとコーチとそのご主人の名前、ご主人の携帯番号をメモ用紙に書いて、手渡してくれた。私は少しホッとしていた。ここトルコでは、直接押しかけると電話とでは、対応がしばしば違うのである。コーチの番号さえ手に入れば、あとはレッスンに来るにしても来ないにしても、電話でその都度確認することができる。とかくドタキャン件数の多いトルコでは、相手の携帯の番号を知らないのは致命傷。番号があって、それが正しいものなら、そのうち必ず連絡がつく。銀行から自宅に戻って落ち着いた私は、コーチのご主人ムラット氏に電話してセライ夫人の携帯番号を教えてもらった。早速セライ・コーチにかける。私は県青少年スポーツ局主催のバドミントン・スクールに登録した娘の親だと名乗った上で、単刀直入に訊いてみた。「先週は、大会があったそうでいらっしゃいませんでしたが、明日の火曜日にはいらっしゃるんですよね?」彼女は「ええ、ほら。火曜日に子供たちを教えたでしょう?その後で、ヨズガットに向けて出発したのよ。でも私はもうコーチは降りました。代わりにバシャックという友達にお願いしてありますから、明日は彼女が来ますよ」私は、意外な発言に混乱しながらも、忘れまいと訊き返した。「そのバシャックさんの携帯の番号をいただけませんか?」彼女は教えるつもりがないらしく、「私からちゃんと言ってありますから、明日は来るはずです」それ以上粘ることも出来ず仕方なく携帯を切った後で、私は落ち着いて頭を整理することにした。では、先週火曜日に偶然来たような素振りで娘たちにレッスンを授けて帰っていった夫婦のうち、奥さんが、娘たちの本来のコーチだった というわけ?でも、ご主人は「僕たちはコーチじゃない。本当はスポーツ局の方がコーチを送ってこなくちゃいけない」と言ってなかった?そうだよ!あの会話になにか不自然なものを感じたのは、それだったんだ。スポーツ局なんて言葉が出るところが、裏を知っている証拠だ。あの火曜日の時点では、彼女はもうコーチを辞退していたということになる。そうだよね。支局長に電話した時、支局長は「コーチに連絡するのを忘れた」と言っていた。彼女が大会に出るからコーチを受けられないのを支局長は知りながら、代わりのコーチを手配するのを忘れてしまったに違いない。そりゃあ、そうだよね。大会のスケジュールなんて、随分前から分かってるはずなんだから!それにしても、あの夫婦!単なるボランティアだと思って、感謝して損した。「もともと私がコーチだったんですが、大会があって教えられないので、支局長に頼んで他の人をコーチとして派遣してもらうようになってるはず」くらいの説明、どうしてできないんだろう!?元々コーチの予定で支局長とは顔見知りなんだから、支局長にその場で電話して、確認するくらいのことはできたはず。私が支局長にクレームの電話をした後、「何だって?」と知らん顔して私に訊いてくる程度の無関心ぶりだった。。。ネイセ(とにかく)。終わりよければ全てよし、というではないか。明日、代わりのコーチがちゃんと来さえすればいいのだから。****そして、本日火曜日。今日も見学のオズレムと一緒に、アイギュル夫人の車でサバンジュ・スポル・サロンへ。今日は、果たしてコーチは来てるだろうか・・・?サロンにいたのは、先週2回とも参加していた小学生のムスタファ。それと、初参加の小学生の女の子。この子は第1回目のレッスンの時に参加していた高校生の男の子の妹らしい。と思ったら、高校生の男の子はセリムという名で、実はこの6月に大学も卒業したばかりという成人だと分かった! (トルコ人も、時々は実年齢より若く見えるんだね・・・)そして、今日来るはずのコーチ、バシャックとも友達同士だという。(と言うことは、バシャックも、この青年セリムと同じくらい若いのか?もしや、第1回目の時に来ていた女の子のうちの一人?)その後、中学生のトゥーバも、従姉妹だという若い娘ベットゥルと一緒に到着した。が、9時半を過ぎても、バシャック「コーチ」は姿を見せない。この青年は、子供たちに柔軟体操やゲームを始めさせていたが、バシャックの番号を持っているというので、電話して訊いてもらうことにした。すると、「父親と喧嘩したから来れない」と言ったとか。なんだ!それはっ!?親子喧嘩がレッスンと何の関係があるのよ~っ!?来たくないがための、ただの言い訳!?そんな娘に、コーチの資格なんかないぞっ!自らも陸上競技を続けてきたというスポーツウーマンの従姉妹ベットゥルは、トゥーバから過去2回の困った状況を聞かされていたらしく、それを聞いてすぐに立ち上がり、青少年スポーツ局に行こう!あなたも一緒に、と言い出した。(さすが、スターティングが早い!)確かに。「3度目の正直」にも裏切られたのである。もうこうなったら、殴り込み乗り込んでいくしかないじゃないか!私たちは、子供たちのレッスンをセリム青年に託し、べットゥルの車で5分ほど離れた県青少年スポーツ局へ駆け込んだ。まずは勝手知ったスポーツサービス課に顔を出し、かくかくしかじかと説明すると、それならムドゥル(県局長)に直接話した方がいいでしょうという。ベットゥルは私の子供といってもいいくらいの若い娘であるが、身長も高くて押しがあるし、テキパキして切れ目なく話す。やはり、ヤバンジュ(ガイジン)の私が何度顔を出して文句を垂れたところで効果は薄いが、トルコ人と一緒に乗り込むと、物事は意外とすんなり展開するものである。ムドゥルの秘書室に入り、簡単に事情を説明し、ムドゥルと会いたい旨を告げて待たせてもらう。座ってすぐ職員たちの仕事振りが目に付いた。やっぱりメームル(公務員)、暇そうである。2人が新聞を読みふけり、1人は新聞のクロスワードパズルに集中している。およそ30分ほど待っただろうか。前の来客が退出し、私たちは中に招き入れられた。ベットゥルは、私の方をちらっと見て、先に口火を切り、私が時々補足説明をする。・サマースクール開始以来、コーチが来ていないこと。・バドミントンの腕を伸ばしたくて申し込んだはずなのに、こういう状態が続いて子供たちがすっかりやる気を失ってきていること。・1回目はコーチの手配を忘れたと言われ、2回目は遊ばせとけと言われ、今日コーチとして来るはずのバシャックは喧嘩したから来れないという。とりあえず今日はセリムが子供たちに練習させているが、もともと正規のコーチでないバシャックやセリムでは、コーチとして十分でないこと。プロのコーチ不在で、バドミントンの上達は無理というもの。・2ヶ月間、きちんとレッスンを授けてくれる正規のコーチを望んでいるということ。ムドゥルはすぐに支局長に電話して問い質してくれた。「バドミントンのコーチは誰なんだ?今日は誰が来ることになってるんだ?」電話のやり取りの中で、「ムラット」という名前が出てくる。セライ・コーチのご主人だ。ムドゥルは支局長とスポーツサービス課の職員を部屋に呼び、横にかけさせた。私とベットゥルはもう一度、簡単に事情を説明し、不満を訴えた。「どうしてそういうことになるんだ。大会があるのは確かだが、代わりの者はいなかったのか?」とムドゥルが彼らを問い詰める。職員は、ムドゥルの前ではぐうの音も出ない。支局長も、大人しく座っているだけ。セライ・コーチが開始早々辞任していることは、どうやらムドゥルには全く伝わっていなかったらしい。青少年スポーツ局に登録してある人間でなければコーチの資格はないそうで、セライ・コーチが勝手に自分の判断で他の人間をアレンジしようとしたことにも、ムドゥルは腹を立てていた。「とにかく、大至急バドミントンのコーチを手配し、レッスンさせること!」ムドゥルが最後にこう厳命したことによって、ようやく片が付いた格好になった。私とベットゥルはムドゥルの部屋を出、ムドゥルに叱責された職員に「気を悪くしないでね」と声をかけた。「いいえ、あなたたちの言い分は正しいですよ」と、女性職員も返す。局の建物を出た私たちは互いに顔を見合わせて、「良かったね、上手くいったみたい」と喜んだ。さすがにムドゥルの命令では、今度こそ彼らも無視できまい。果たして。次回木曜日には正規のコーチが登場するのだろうか!?
2006/07/11
昨晩は、遅くなってから義妹セラップ親子5人が泊まりに来て、軽い食べ物を出したりオシャベリしたりで、就寝は1時。おまけに久しぶりの濃いチャイ(トルコ風紅茶)が効いたのか、それとも義妹夫婦の真ん中の娘スリアが私とナナが寝ているダブルベッドに潜りこんできて、途中寝ぼけてナナを平手打ちしたり、脚を乗せてきたりするのを阻むためにか、私は3時頃までなかなか寝付けなかったのである。7時過ぎにエミが私の枕元にやって来て目が覚めたが、頭は朦朧としていた。エミはとっくに着替えを済ませており、髪の毛を私にまとめてもらうためにやってきたのである。スリアと末娘ギュライは、1月の滞在時に比べると少しは落ち着いた様子が見えたが、相変わらず何時だろうが食べたいものを食べ(食べさせてもらい)、寝たい時が来るまで親に小言一つ言われないで遊び呆けている。なので、夏休みに入ってからも10時には床につくエミとナナまでが、スリアとギュライに邪魔されて、昨夜は11時過ぎるまで寝付けなかったのである。ナナはギリギリまで寝させてやろうとそっと起きたつもりが、興奮状態のスリアに先に目を覚まされ、やがてギュライまで起き出してくる始末。セラップも父親のエルカンも、長女のエスマも揃って寝坊だから、まだ当分は起きてこないだろう。彼らは後で朝食を自分たちで用意してもらうとして、私はエミとナナと一緒に先に朝食を済ませ、外出の支度を済ませた。今日木曜日は、バドミントンのレッスンのある日。予定通りなら、今日こそは正式なコーチが来て、ちゃんとレッスンをしてくれるはずである。エミの仲の良い遊び友達であるふたつ年上のコムシュクズ(隣人の娘)オズレムが、エミと一緒にスクールに通いたくなったらしく、今日は見学のつもりでレッスンに同行することになった。お母さんのアイギュル夫人は車を運転するので、ラッキーなことに今日はバスを待ったり歩く必要がない。8時55分に出発し、9時ちょっと過ぎにサバンジュ・スポルサロンに到着。来ていたのは、エミと大体同い年くらいの男の子ひとりだけ。今回もまだラケットを用意していないらしく、手ぶらでポツンと彼だけが座っていた。それから30分。誰一人やって来ない。35分。中学生の女の子が、息せき切ってやってきた。ところが、またしてもコーチの陰も形もない。私はイライラしながら、県青少年スポーツセンターに電話してみた。すると職員は、「前回も話があったので、今日は来なくちゃいけないはずですが。もうじき来ると思います」という。その言葉に少々安心はしたものの、他の参加者は来ないのだろうか。コーチはいったいいつ来るのか。私は半信半疑で入り口付近で待ち続けていた。まもなく、警備員室の男性職員が私に近寄り、「今日はコーチは来ませんよ。大会があるので、子供たちは遊ばせときなさいと言ってきました」と言うではないか!なっに~!?なんだって!?私の頭は瞬時に沸騰。すぐにスポーツセンターに電話する。電話に出た女性職員に言い訳などさせまいとするように、私は一気にまくし立てた。「コーチは大会があるから来れない。子供たちは遊ばせとけって連絡があったようですが、コーチが来れないなら、代わりの人間を来させるべきでしょう?(私たちは)勝手に遊ぶために来てるんじゃないんですよ。レッスンを受けるために来てるんですよ。少ないにしてもお金だって払ってる。レッスンを受ける権利がある。中止にするなら、事前に連絡するべきでしょう?私たちは、前回も今日も無駄にここに来たっていうわけですか?」職員は私の話が終わるか終わらぬかのうちに、言葉を遮るようにして話し始めた。「あなたのお話は聞きましたから、今度は私たちの話を聞いてください。コーチから来れないという連絡もないのに、私たちがどうやってあなた方に連絡が出来ます?」私「連絡って・・・コーチの電話番号リストくらいあるでしょう?あなた方は前もって各コーチに連絡はつけないんですか?例えば前日までに、いつの何時から何時まで、どこでレッスンがありますからとか、コーチと連絡はとらないんですか?」職員「コーチのリストなんて、ここにはありません」私「ないですって!?信じられない!」職員「いや、支局長のところにはあります。コーチの手配は支局長がやってますから」私「じゃあ、支局長はいますか?」職員「今日はアンタルヤの外に出ています」私「では、支局長に訊いてください。代わりのコーチは今日は来るのか来ないのか」職員「支局長にどうやって訊けっていうんですか?」私「携帯がないんですか?あるでしょう?携帯に電話してください」職員「・・・では、電話番号を申し上げます・・・」私「ちょっと待って!それは私の仕事じゃあないでしょう!?あなた方のやる仕事でしょう?支局長に電話して、コーチに確認してもらってください。後でまたかけますから、それまでに訊いておいてくださいね!」職員「・・・・私たちの仕事まで教えていただき、ありがとうございました」ガッチャン!!なんだよ~、この言い草!頭にくる。皮肉まで言いやがって!どうなってるんだよ~一体!こんなシステムありうるかい!?日本だったら絶対ありえないぞ~!私はエネルギーをすっかり使い果たした気分になり、頭を振り振りサロンの中へ戻った。今日はもう代わりのコーチなんか来るわけないし、電話し直す気もすっかり失せていた。こいつらに何言っても無駄だ。後で支局長に直接電話してやろう。成り行きを気にしていたアイギュル夫人にも事の次第を説明し、諦めて適当に遊んで帰るしかないことを告げた。警備員室の職員が、ネットやシャトルなどの備品を出してくれ、ネットを一緒に張ってくれた。幸いにも、中学生の女の子がキャリア4年。基本は出来上がっていたから、お願いして引き止め、バドミントンが初めてのオズレムやナナ、男の子に手ほどきをしてもらうことになった。アイギュル夫人は11時半に迎えに来るといって帰っていった。30分ほど付き合って指導してくれた中学生の女の子が引き取ると、ラケットを彼女から借りていた男の子もすることがなくなり帰っていった。あとに残ったのは、エミとナナ、オズレムと私の4人。エミとオズレムは適当に打ち合いをはじめ、私はナナの「俄かコーチ」となるしかなかった。ナナには、前回の「借り物コーチ」から習ったバックハンド・サービスのおさらいをさせ、その後で、真正面から手で放ったシャトルをどれだけ打ち返せるか、簡単なレシーブの練習をさせてみた。最初は、10個放ったうちの1~2個返せればいいくらいだったのに、そのうちどんどん上手になって、7~8個まで返せるようになった。正面が終わったら、今度はフォアハンド方向に放ってみる。それが終わったら正面とフォアハンドのミックスで。10個中何個得点できるか、というゲーム形式にしたのがナナの心を捉えたようで、もっともっとと一向に終わりにさせてくれない。とうとう、私の方が先にギブアップ。睡眠不足もあってすっかり疲れきってしまった。11時半になるのが待ち遠しく、早めにシャトルを集め、ネットを片付け、警備員室に返しに行き、アイギュル夫人の到着を待つ。ふと頭に浮かんで警備員室の職員に訊いてみると、朝「子供たちは遊ばせとけ」と連絡してきたのは支局長本人だという。電話番号もあるというのでもらってかけてみたが、繋がらなかった。大方、試合中か何かなんだろう。次回火曜日には、どんな言い訳も許さないぞ~!必ずコーチを送り込んでもらうんだから。前日の月曜日に念押しの電話をかけてやろう!こうして、スポーツセンター職員との議論といい、俄かコーチといい、エネルギーを消耗した半日だった。来週の火曜日。願わくば、「その3」を書かなくて済みますように。。。。
2006/07/06
今日から、エミとナナのバドミントンのレッスンが始まる。9時からのスタートだから、8時半頃には家を出ることになる。最近寝坊気味のところ、気になって7時前には目が覚めた私と、7時半に目を覚ますや否や、すぐにTシャツ+ショーツというバドミントン用のスタイルに身を包んだエミ。昨日まで「私、バドミントン知らないよ~」とメソメソしていたナナも、8時には起きてきて、私に促されつつもお揃いのTシャツとショーツに着替えてくれた。ふたりとも長い髪の毛はポニーテールにまとめてピンク系のシュシュでとめ、カルネ(通知表)のご褒美として買ってあったお揃いのスポーツシューズで、ピンク&ホワイトのコーディネート完了である。(ふたりとも、コーディネートに異常にこだわるのだ)残っていた昨日のパンでフレンチトーストを焼き、あとはメロンという簡単な朝食。会場の近所にはバッカルはないので、冷蔵庫&冷凍庫であらかじめキンキンに冷やしておいた水を合計4本と、待ってる間の私の暇つぶし用に新聞。これらを袋に詰めて、家を出る。会場となっているサバンジュ・スポル・サロンは、車だったら5分もかからない場所にあるが、徒歩なら15~20分はかかる。私たちは、運良くスポル・サロンのまん前を通るミニビュスを捕まえ、9時5分前には会場に到着した。しかし、案の定まだ誰も来ていなかった。5分ほどすると、エミの顔見知りの女の子がやって来た。その後、ひとりふたりと集まり、最終的にエミ、ナナを含めて7人が集まった。少ないなあ~。しかも、皆大きい子ばかり。3人が高校生。1人が中学生。そしてエミより一学年くらい大きい男の子。心配していたのはナナの同年輩の子供がいるかどうかだったが、結局初心者で学年の小さいのはナナひとりきりだった。トルコ人が時間ピッタリに来ることはないとは思ったが、9時半過ぎても、肝心のコーチが現れない。私は、入り口の掲示板に貼ってあったポスターの中に、県青少年スポーツセンターの電話番号を見つけ、問い合わせをしてみることにした。オペレーターがサマースクールの係に繋いでくれたが、電話に出た女性は「支局長がいないから、分からない。後でかけなおしてください」としか言わない。諦めて携帯を切ったところへ、タクシーで乗り付けた家族連れの姿が見えた。高校生の参加者たちはどうやら顔見知りらしく、すぐに近くに駆け寄り、「ホジャム(お師匠さん、先生)」と迎え入れている。なんだ、来たんじゃないの。この「コーチ」は夫婦で、横に小さい子供を二人連れている。子供連れで仕事場に行くこともよくあるトルコ人だが、さすがにスポーツのレッスンにまで子供連れとはすごいなあ~と感心する。まもなくランニングからトレーニングが開始された。ランニングと柔軟体操の後、すでにかなりの腕を持つ高校生たちは、男性コーチと一緒に試合形式でトレーニングを始める。一方、エミ、ナナ他2名は、女性コーチからラケットの持ち方に始まり、バックハンド・サービスの仕方までの基本をまずおさらい。やることなすこと初めてのナナだが、持続力があるところが彼女の良いところ。ラケットをきちんと握るのも今日が初めてだというのに、何度も何度も繰り返すうちに、7~8回に1回から3~4回に1回くらいの割合でサービスが入るようになった。その後、ナナには休憩が言い渡されたが、私のところに帰ってきたナナは、「チョ~ク・セヴィンディム!(すっごく気に入っちゃった!)」と嬉しさを隠しきれない様子。まだまだ遊び足りなさそうなナナに、それではと私が課題を与えることにした。よくある、シャトルを落とさずに何回まで打てるか、一人でできるトレーニング法である。最初ナナは、1回も続けることが出来なかったが、私が「座って少し休憩しなさい」というのも聞かず、飽きずに何十回も挑戦するうち、こちらも最高で7回まで打ち続けることができるようになった。案ずるより生むが易し。初回にしてナナはすっかりバドミントンの虜になってしまったようだ。11時になり、ネットが片付けられ始めた。あれっ?12時までじゃあなかったっけ?女性コーチのもとに寄って尋ねてみると、ご主人である男性コーチの方がこう答えた。「本当はスポーツセンターの方で(コーチを)送り込むはずなんだよね。僕たち、出掛けるところで、ちょっと汗を流そうかって寄ってみただけなんだ」ええーっ!?コーチじゃあなかったの~!?でも、ちゃんと教えてくれたよ!?いや、それは失礼いたしましたーっ!m(_ _)mしかし、てことは、結局コーチは来てないってことじゃないの!私は、途端に頭に血が上って、すぐにスポーツセンターに電話をかけた。オペレーターからサマースクール担当へ。担当は私の剣幕に慌てながらも、「少々お待ちください。支局長に代わりますから」といい、私を待たせた。やがて男性の声が。私は「今日はバドミントンのレッスンのため7人ほどが待ってましたが、結局コーチを送ってこられませんでしたね。志のあるご夫婦が来て、その方々からレッスンを受けましたけど、次の木曜日には、必ずやコーチを送っていただけるんでしょうね!?」男性は私の名前を訊いた。エミの名前や学校の名前まで覚えていたところをみると、おそらく大会で会ったことがある人だろう。「オズル・ディレリム(申し訳ありません)。こちらのミスです。コーチに連絡するのを忘れてしまったんです」なんとまあ、珍しい。言い訳せずにストレートに謝られたので、私もそれ以上拘るのをやめ、「では、木曜日の9時に、コーチをお待ちしていますからね」と念を押して携帯を切った。や~れやれ。やっぱりだね~。初日からそんなにすんなり行くわけがないと思ったけど。。。私は、ボランティアでレッスンを授けてくれたご夫婦に丁寧にお礼を言って、スポルサロンの外に出た。まあ、ナナもバドミントンが気に入ったことだし、1日で随分と進歩して上出来だったんじゃないかな。あの夫婦が来てくれたお陰で、無駄に時間を潰さないですんだんだし。ここまで念を押したんだから、次回は少なくとも正式なコーチが来ることだろうし。エミとナナのすっきりした顔を見比べながら、意外にも晴れ晴れとした気分で家路についた私であった。
2006/07/04

朝8時過ぎ。ビニールプールに水を張ろうとバルコンに出た私は、すぐ近くで聞こえる虫の鳴き声に気がついた。あれっ?この鳴き声・・・鳴き声の出所を探して、バルコンの端に置かれた鉢に近づいてみる。そこにはブーゲンビリアの鉢がふたつ、隣同士に置かれているのだが、鳴き声はそのあたりから聞こえているのだった。そっと近づき、音のするあたりに目を凝らしてみる。いたっ!蝉だ~っ!トルコでも、盛夏になると蝉の声がどこからともなく聞こえてくるのだが、目の前で見たのは初めてのこと。体長、わずか1.5cm。とっても小さい蝉である。(ちなみに蝉のことをトルコでは、アウストスボジェイ=8月の虫と呼ぶ)蝉は、はじめジッ、ジッ、ジッ、ジッと間隔を置きながら、練習をするような音を出していたが、やがて、ジーッ、ジーッ、ジーーーーッ、ジーーーーーーーーーーーーッと例の特徴的な鳴き声を立て始めた。水道の栓を捻って、いったん家の中に入った私は、すでに起きていたエミにも「見てごらん」といって蝉を見せた後、写真を撮り、その後蝉のことは忘れてしまった。30分ほどして再びバルコンに出たときには、蝉の姿はもうどこにもなかった。10階の我が家まで、いったいどこから飛んできたのだろう?どこに飛んでいったんだろう?あっというまに旅立ってしまった、小さな小さな夏の朝のお客さまであった。(とっくにいなくなったと思ったら、午後3時過ぎ、再びバルコンから鳴き声が。我が家のブーゲンビリアが気に入ったのだろうか・・・・?)
2006/07/03

最近、トップページにアンタルヤの現在の気温・天候が表示されるようになっているのだが、昨日の気温をご覧になった方はいらっしゃるだろうか?自分で載せていながら、なんなのだが・・・アンタルヤでの観測ポイントがどこなのか知らない(空港だという説もあり)が、普通、繁華街の気温や体感温度はここには反映されない。ここに表示されている温度より、繁華街の気温は少なくとも4~5℃は高いはずなのだ。ところが、これでさえ、昨日の気温は39℃を表していた! (これはシチリア並である)つまり、市中・繁華街の気温は45℃はいっていただろう。それだけ昨日は本当に「熱」かった~!!ちなみに、この1~2週間、熱風が吹き荒れた日でも、せいぜい36~7℃までしか表示しなかった(今日も37℃どまり)のに、昨日はなんと39℃!アランヤの39.7℃、ボドルムの38℃と並んで、トルコで昨日最も気温が上がった都市がアンタルヤであった。。。ここまで熱いと、休みだからといってどこにも行きたくなくなるのが人情。地元の人々が出掛けるとすれば、冷房の効いたショッピングセンターか、でなけりゃ海しかなかろう。今日は日曜日だし、きっとメチャ込みに違いない。怖れつつも、先週の体調不良でしばらくご無沙汰していた子供たちにせがまれて、行って来ました。ちょうど1ヶ月前は、こんなに静かだったのに・・・・今日は、芋の子を洗うような状態のコンヤアルトゥ海岸。右を見ても。。。左を見ても。。。オバちゃんと子供ばっかり! (←一応、うちもそうなんだけど・・・)なぜか、トルコのオバチャマ方。浜辺で腰まで水に浸かるようなかたちでどっしりと構えて動かないのである。寝椅子に横になり、薄目を開けてふっと娘たちの方に目を遣ったとき・・・おおおーーーっ!トドが浜辺に打ち上げられてるっ!?と、錯覚したことがある。大袈裟でなく。その時は皆さん水着姿だったのだが、狭い水際でのっそりと寝そべったり腰まで浸かったりして、ゆっくりと水浴びを楽しんでいる姿は、そのものだった。今日のオバチャマ方は、皆さん着の身着のままなので、まるで川岸に集団で水浴びしにやってきた象かカバのよう。。。いや、失敬。今日は口が少々すべり過ぎ。娘たちが黙々と海で遊ぶ姿を尻目に、7月に入るまではと、これまで海に入らないできた私も、今日からは解禁!娘たちに邪魔されながらも、泳ぎましたーっ! (って、ほんのちょっとだけだけど)そして案の定、焼けてしまった。。。でも、せっかく夏休みなんだから、これからは空いてる平日に来なければ。それだけは心に決めて帰った日曜日であった。
2006/07/02
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