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オクタビアーノ・アタイヂ 中学3年(現在高1) ↑ オクタビアーノは左から2番目の男子生徒 家族総出の写真です こどもがたくさん写っていて、いいとおもいます 一昨日インドネシアから帰ってきましたが、東ティモールと比べると子どもたちがずいぶんすくないとおもいました 教育水準は低いけれども、たくさんの子どもたちが学校や教会にでかけてくる姿を見ると、先進国と同列において「質が高い教育」を画一的に追求しようとするのは、いかがなものかと思ってしまいました 9B Octaviano AtaydeHau Octaviano Atayde Filipe BarretoHakarak hato hau nia agradesementu ba : Uluk nanain hau hato agradrse uain ba maromak tamba bele ajuda no tulun Ona hau iha momentu kmanek ida ne'e . Tamba hau bele hetan ona bolsu Estudu no mos hau la haluha agradese ba ita bot sira husi konokopilis Tamba suporta ona hau nia estudo no hau agradese tebes tamba hau mai Husi familia nebe simples nebe mak ladun iha kbit latu selu. Eskola nebe Karun labele no mos hau lahaluha reja ba maromak atu fo nafatin sira hetan isin diak nafatin no saude diak nafatin atu nune bele suporta nafatin hau Nia estudu ne to remata ho diak no ikus liu hau hakarak hato obrigado barak ba ita bo'ot sira nia suporta obrigado barak .わたしは、オクタビアーノ・アタイジ・フィリッペ・バレットです。わたしは、わたしの感謝をみなさまにお伝えしたいと思います。まずはじめに、わたしがこの瞬間をすばらしく生きることができるように助け導いてくっだ去っている神様に、わたしはまずはじめに感謝をささげます。わたしは奨学金をもらえることができているので、コノコ・フィリップス社のみなさまに対する感謝を決して忘れません。わたしの勉強を支えてくれていますが、わたしのかぞくは質素に生活しているので学費を払うちからがほとんどありません。学費は高いので払うことはできません。わたしは、みなさまが丈夫なからだに恵まれて、末長くご健康が続くように。そしてどうぞ、卒業するまでわたしの勉強を充分にサポートしてください。さいごにもう一度、みなさまのご支援にたいして本当にありがとうございますと申し上げさせていただきます。イエズス会社会司牧センターで東ティモールの聖イグナチオ学院の報告をさせていただきました ビデオで報告のようすが公開されていますので、ごらんいただければさいわいです 不慣れなものでしどろもどろで申し訳ありません 【2022年5月にお話させていただいたものです】■ビデオはこちらから https://youtu.be/Ysg40unYMQk■聖イグナチオ学院の報告の最後にご紹介した、聖イグナチオ学院の卒業生が作成したミュージックビデオ(4分ぐらい)はこちらのyoutubeからご覧いただけます 開港開校10年を経た聖イグナチオ学院の生徒や学校のようすをあわせてご覧いただけます https://www.youtube.com/watch?v=rnwWkTFloBc■聖イグナチオ学院の公式facebookです。同校教員が運営しています。現在インドネシアにいて、学校のようすをお伝えすることができないのでこのfacebookをご覧ください。このfacebookは、聖イグナチオ学院が日本以外の諸外国からもご寄付を頂いているので、ご寄付をくださった方々に日々の学校のようすをお伝えする目的があります。 facebook https://www.facebook.com/groups/CSILKasaitTL/
2022/10/31
きのう8週間ぶりに、インドネシアから東ティモールにかえってきました。バリ島のデンパサールから飛行機で1時間40分ぐらいです。飛行機は島づたいにとんでゆきます。きのうは天気がよく、景色がきれいにみえました。 ↑ きのうのブログでもそうでしたが、きのうは飛行機はいつもと少しちがうルートをとんでいたようです みなれない島影がみえました うえからみながら、南洋のこんな小島にも人がいて、こんなきれいなところにはほかの人からは近づくことができないんだろうとおもいます バリ島などリゾートになっているところは、人がちかづくことができるところだけです ↑ いつものCitilink名物の、トホホな機内食がやっぱりでました いぜんメルパッチ航空(はと航空の意味)が飛んでいたときには、ピザにビール、アイスクリームにコヒーもでていたのをしっているので、まいかい「国際線なのに水しかもらえないのも、なんとかならないものか」とおもってしまいます
2022/10/30
きのうインドネシアのデンパサールから飛行機は、珍しくいつもとは違う逆方向からディリのニコラウ・ロバート国際空港に着陸しました。窓際に座っていたので、首都ディリの景色がみえました。 ↑ この3枚の写真には、政府庁舎、国会議事堂、東ティモール随一の繁華街、外務省庁舎などが写っています これが東ティモールの首都の街並みです 海に面した小さな街です
2022/10/29
正味8週間のインドネシア訪問をおえ、東ティモールのわたしの家、リキサ県バザールテテ郡ウルメラ村大字カサイに無事にもどってきました。コロナ禍の影響が続くなかでのインドネシア訪問。インドネシアは一時期、最悪なコロナの状態でした。ビザやワクチン証明で複雑なことや気をもんだこともありましたが、インドネシア語の勉強のためという目標は、まずまずの成果。東ティモール人はテトゥン語の他にインドネシア語も話すので、これで少しは東ティモール人みたいになったかもしれません。 ↑ インドネシアではいまは雨期 東ティモールは乾季の真っただ中 とても暑いです インドネシアではたいていのところにはエアコンがありましたが、東ティモールではたいていのところに冷房はありません わたしの家からのながめは南洋のトロピカルです
2022/10/28
きのうデンパサールのクタ海岸の写真をご紹介しました。インドネシアではいまは、雨季。観光シーズンではありません。まいにち雨がふっています。バリ島の観光シーズンは、やはり乾季。青い海のイメージは、雨季のものです。 ↑ コロナも影響してか、クタの街並みも人通りがまばらです とはいっても観光客はまばらですがいます いつもデンパサールで飛行機を乗り換えるさいにクタ街やショッピングモールにでかすが、そのときは観光客でいつもごった返していました ↑ 図書館の本を買いにでかけたりと、わたしのもくてきは半ばビジネス 出張のごとき、デンパサール滞在です だから、食事も地元のひとがたべる食堂へでかけています 写真上はBubukといっておかゆ(120円)です 写真下はおなじみのバクソ(180円) ブブックだけではお腹がすくので、バクソをはしごします ↑ お昼ご飯はこれ! ごはんには、カレー味のスープがかかっています エス・テーとよばれる甘いお茶を入れて、280円 ↑ 夕方、散歩にでかけると帰りはもうまっくら 道端の屋台からおいしそうなにおいがしてきました サテとよばれる、焼き鳥(焼肉) ということで、ヤギ5本、ニワトリ5本をたのみました ↑ おなじくエス・テーをいれて320円でした ジャカルタでは、ヤギ肉のスープもありましたが、この屋台にはありませんでした ↑ 店の人 話をしていて、記念写真を撮ることになりました ムスリムなのでブタのサテはありません 「写真だからカメラに向いて」と子どもにいっていました
2022/10/27
きのうの正午、ジョグジャカルタ市のバスセンターを発ち、18時間かけてバスでバリ島のデンパサールに移動しました。ジャワ島とデンパサールがあるバリ島は別々の島です。しかし、ジャカルタやジョグジャカルタからは、直通バスが運行されています。 ↑ ジャワ島側のKalipuroとバリ島側のGilimanukの間にフェリーが運航されていて、直通バスはそのままフェリーに乗り込みます。20Km離れていて、約1時間の船旅です。写真はKakipuroの港を出港したところです 午前1時半 ↑ 船内のようす 夜の南洋の海風に吹かれて、海峡を渡ってゆきます 午前2時 ↑ 2隻のフェリーが交互に運航されているのではなくて、多くのフェリーが一斉に海峡をゆきかっています 深夜2時ですが、真っ暗でしずかな海を何隻ものフェリーゆきかっていました 午前2時半前 ↑ インドネシアはバスターミナルはどこでも、街(町)はずれにあります デンパサール行きのバスでいちばん街に近いターミナルにゆくバスをえらびました インドネシアは国内線空路は安いのですが、バスはもっと安く庶民の乗り物です ジョグジャカルタからデンパサールまで、3,400円でした 途中夕食と2回のおやつが支給されました ターミナルには朝6時到着 ホテルのチェックインが午後2時なので、お昼の12時まで写真にあるバス待合所でコーヒーを飲んで本を読んだりしてまってました そしてオジェック(オートバイ・タクシー)にのってホテルに向かいました 午後1時前でしたが、部屋にいれてくれました 1泊15ドルのホテルですが、とても立派です 午前7時 ↑ デンパサール クタ海岸の眺め コロナのために4年ぶりのデンパサール訪問です 東ティモールから海外にでかけるときは、通常ではデンパサールが飛行機の乗り継ぎ地点です コロナのために、海外にでかけるチャンスがへってしまいました 午後5時
2022/10/26
きょうはジョグジャカルタから電車で1時間10分のところにあるソロという街の、イエズス会の経営するミカエル工業高校・工業専門学校を訪問しました。ソロは人口60万人の大きな街です。ここに設立65年の工業高校と工業専門学校(4年制の大学と同じ課程)があります。 ↑ 生徒たちは熱心に制作実習に取り組んでいました これまでイエズス会の学校でも普通科高校(Liberal arts)の学校ばかりみてきましたが、この学校の生徒たちの真剣さにはとても感心しました 集中して作業をしなければ、よい課題を仕上げることができません また怪我と隣り合わせでもあります ↑ 生徒たちは課題に沿って作品を仕上げてゆきますが、それぞれの段階で予想と実際、反省、改善点などをメモしてゆくのだと、先生が説明してくれました ↑ 左はこの学校の理事長のIstantoro神父さん 工業高校と工業専門学校を運営するためには相当な設備投資も必要だし、技術をもった先生たちもそろえなければなりません さぞ大変だろうとおもいました ↑ この学校には付属工場もあります 工場長のアルベルトさんと記念写真 聖イグナチオ学院でもこの学校の工場から学校家具を買うことができるのではないかという調査がミカエル工業高校訪問の目的でした アルベルトさんと一緒に座っている生徒用机を聖イグナチオ学院は買うことができるだろうか、とはなしていました その他に生徒用ロッカーなども実物をみながら要望を話しました
2022/10/24
きょうは日曜日。ジョグジャカルタの中心地、マリオボロ通りのつきあたりにある「keraton宮殿」にゆきました。18世紀中ごろにジョグジャカルタ大国ができ、それいらい王様がいるようで、かれがイスラム教のスルタンで、現在はハメンクブウォノ10世。このスルタンがジョグジャカルタ特別州知事になることになっているそうです。クラトンはその王宮。 ↑ ちょうどクラトン宮殿に入ったとき、伝統舞踊の上演がはじまりました 1時間15分ほど続きましたが、見続けてしまいました 多様な民族から成るインドネシア国家の、民族と国家との関係を感じました ↑ 王宮内 第2次世界大戦後、インドネシアが独立した際にジョグジャカルタの王制存続が認めらてて、「特別行政区」となったそうです ↑ 夜はブディ神父さんが夕食に誘ってくれました レストランで記念写真 ブディ神父さんは人類学者で、サナタ・ダルマ大学で教えています 日本には5回いったことがあるそうです そして2000年に独立前の東ティモールにもでかけたことがあるそうです おそらくそういうことで、食事に誘ってくれたんだとおもいます インドネシアのお魚料理、おいしかったです
2022/10/23
インドネシア・ジョグジャカルタ市のデ・ブリトー高校の修道院に泊めてもらっていますが、きょうの夕方、同校の「パストラル・ミサ」がありました。デ・ブリトー高校主催で、市内の中学生・高校生が自由にミサに参加してもよい、というものです。おそらく400人ぐらいの中高生が集まりました。 ↑ わたしが日本人だと聞いて、アニメ・ファンの中学生がやってきました 「秋葉原にゆきたい」といっていました ミサ後は夕ご飯を一緒に食べます ↑ わたしも一緒にミサに参加させていただきました 聖ジョアン・デ・ブリトーの像の前で記念写真 ↑ デ・ブリトー高校は男子校ですが、女子高の女子生徒たちもやってきます 生徒たちは床にすわってご飯を食べています ジョグジャでは有名なマリオボロ大通りでは、通りに座って食事をするそうです これはこの地方の文化かもしれません ↑ 食事中は、バンド演奏 このあとはダンスパーティーになるのか?
2022/10/22
セルシア・リベイロ 12D (文系) 2021年は高3 2021年に卒業セルシアのお父さんは、大工さん。集落のチャペルを建てました。彼女の家は、ネラン集落のそのチャペルの真ん前です。彼女のお兄さんも奨学金で聖イグナチオ学院を卒業しましたが、卒業後イエズス会の志願者となり、いまは修練院にはいっています。このお兄さんのアモンも、このセルシアも頭がよくて、セルシアは聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学に進学しましたが、オーストラリアから奨学金をもらっています。オーストラリアから奨学金をもらえる卒業生は、「成績がよくて教会でも活動をしている生徒」という、条件があります。家はチャペルのまえにあり、お兄さんはイエズス会の修練院にはいっているぐらいなので、彼女も侍者をしたり、聖歌隊で歌ったりと、よく教会の活動をしました。 ↑ このお父さんは、教育熱心 セルシアが小学校6年生で、ウルメラプロジェクトの塾をサボったたき、お父さんはバイクに乗って村中を探し、見つけて学校に連れてきました 海で友だちと一緒に、海藻を採っていましたHello my name is Celcia Ribeiro, I live in Ulmera, kasait. I am 17th years old now I'm on grade 12D. So I want to introduce about my family, My family is simple We are live together in one house.I have 2 brother and 2 sister . I stard my study at CSIL in 2016 until now 2021. I fell I'm the Most amazing people that can have the opportunity to recive the scholarship from the benefactors that understanding about the situation of our family. I want say thankyou very much for you helping and supporting for a long 6 years I learn in CSIL, may God always blessing you and thankyou very much. (生徒が書いた英文をそのまま掲載しています。)イエズス会社会司牧センターで東ティモールの聖イグナチオ学院の報告をさせていただきました ビデオで報告のようすが公開されていますので、ごらんいただければさいわいです 不慣れなものでしどろもどろで申し訳ありません 【2022年5月にお話させていただいたものです】■ビデオはこちらから https://youtu.be/Ysg40unYMQk■聖イグナチオ学院の報告の最後にご紹介した、聖イグナチオ学院の卒業生が作成したミュージックビデオ(4分ぐらい)はこちらのyoutubeからご覧いただけます 開港開校10年を経た聖イグナチオ学院の生徒や学校のようすをあわせてご覧いただけます https://www.youtube.com/watch?v=rnwWkTFloBc■聖イグナチオ学院の公式facebookです。同校教員が運営しています。現在インドネシアにいて、学校のようすをお伝えすることができないのでこのfacebookをご覧ください。このfacebookは、聖イグナチオ学院が日本以外の諸外国からもご寄付を頂いているので、ご寄付をくださった方々に日々の学校のようすをお伝えする目的があります。 facebook https://www.facebook.com/groups/CSILKasaitTL/
2022/10/21
ジュルミオ・ニコラス 高2D 文系 (現在高3)ジュルミオは、山から親類の家に下宿して聖イグナチオ学院に高校から編入しました。といっても、すでに中学校時代からウルメラ村の公立中学校に親類の家に下宿しながらかよっていました。かれの実家からは、中学校ですら通うのが難しいので山から里に降りてきて中学校にかよいました。こんな生徒は、東ティモールは多いです。奨学金を申請するとき、写真をご覧になったら気づくと思いますが、お父さんやお母さんは山で素朴に生活しているので、奨学金申請手続きが呑み込めませんでした。また教会や村役場から書類をもらってきますが、それぞれなまえの綴りが違ったり、生年月日も一致しなかったりしました。それで教会へ洗礼証明書を新たにもらいにゆきましたが、再度間違ったままもらってきました。そのために書類が揃わないので一旦は奨学金申請を断り、ジュルミオも山の家に帰りましたが、後で学校の担当者の会議で「かれの場合はしかたがないんじゃないか」ということになり、奨学金を支給することになりました。すると、また山から里にやってきました。高校2年生になると自信がついたのか、積極的に学校行事を手伝うようになりました。 ↑ ジュルミオは後列左の男子生徒My name is julmiro nicalau alves now i am in a grade 11D,i start my study at CSIL since 2020 until now,i am so verry happy because i am the one who can have the oportunity to join in CSIL i also get the schoolarship from the people that knowing about the condition and the situation of my family,so on this moment i want to say more thankfull for all your suporting as long the time for me,i am promise i will study hard,learn more,didn't get tired on study to make you also my family proud,so ones again i just want to say thankyou for you all your presense is the most beautifull gift from god,thankyou for suporting me alwayss.THANKYOU. (英語は本人が書いて、メールで送ってきたものそのままを掲載しています。)イエズス会社会司牧センターで東ティモールの聖イグナチオ学院の報告をさせていただきました ビデオで報告のようすが公開されていますので、ごらんいただければさいわいです 不慣れなものでしどろもどろで申し訳ありません 【2022年5月にお話させていただいたものです】■ビデオはこちらから https://youtu.be/Ysg40unYMQk■聖イグナチオ学院の報告の最後にご紹介した、聖イグナチオ学院の卒業生が作成したミュージックビデオ(4分ぐらい)はこちらのyoutubeからご覧いただけます 開港開校10年を経た聖イグナチオ学院の生徒や学校のようすをあわせてご覧いただけます https://www.youtube.com/watch?v=rnwWkTFloBc■聖イグナチオ学院の公式facebookです。同校教員が運営しています。現在インドネシアにいて、学校のようすをお伝えすることができないのでこのfacebookをご覧ください。このfacebookは、聖イグナチオ学院が日本以外の諸外国からもご寄付を頂いているので、ご寄付をくださった方々に日々の学校のようすをお伝えする目的があります。 facebook https://www.facebook.com/groups/CSILKasaitTL/
2022/10/20
けさミサ後に朝食をたべているとヘリ―神父さんが「URA、きょうは一緒に授業にゆこう。なにか生徒に話をしてくれ」といいました。一緒にたべていたひとたちは、「それはいい。URA、インドネシア語の勉強になるぞ」と大賛成。たまたま、日本に一時帰国した際につかったUSBをもっていて、それに日本のイエズス会学校を訪問したときに生徒さんたちに話をしたときにつかったパワー・ポイントがはいっていましたそれを使えばはなしの筋はできているし、さっそく準備なして教室についてゆきました。 ↑ XII年生(高校3年生)IPA1組(理系) 一番右側に立ってるのがヘリ―神父 キャンパス・ミニストリー担当です ↑ おなじくXII年生 IPS1組(文系) このがっこうは男子校 長髪が流行っています 長髪OKです ↑ 同じくXII年生 IPA4組(理系) こんどは記念写真です ↑ デ・ブリトー高校の校舎は質素です 教室廊下側には窓はなく、解放式です だけれどもすべての教室にコンピューターをプロジェクターが設置してあり、すぐにパワー・ポイントを使うことができます もちろんインターネットにも接続しています これだとだれでも廊下をあるいているひとは教室のなかをみることができます ↑ 正午 チャイムがなり校内放送がはじまりました お告げのいのり(アンジェルス)です イスラム教徒の生徒がとてもおおいですか、かれらは机にうつぶせたり、目をつぶってこの時間を過ごしていました ↑ 一緒に写っているのは広報外渉担当副校長のヘルマン先生 数学担当です 2018年にジョグジャカルタでイエズス会学校の会議があったとき、このヘルマン先生が日本からやってきたイエズス会学校からの参加者たちをよく世話してくれたそうです 「よろしくつたえてください」というメールを日本からいただきました
2022/10/19
さきの週末の土・日にインドネシアはジョグジャカルタのデ・ブリトー高校で、大学進学フェアが開催されました。45の大学がデ・ブリトー高校の体育館にブースを設け、高校生たちに各大学をアピールしました。デ・ブリトー高校の生徒だけではなく、他校の生徒たちも大勢やってきました。 ↑ 土曜日のオープニングセレモニー 高校生が伝統舞踏をガメラの演奏にあわせて披露しました ↑ 引き続いて、会場となる体育館がオープンされ大勢の高校生たちがやってきました 各大学のブースはまんべんなく生徒たちが立ち寄っていました けっこう会場は混雑していました 東ティモールではこんな機会が生徒たちになくて、とつぜん高校卒業検定国家試験の最後の日に、国立大学の進学希望学部・学科を書くように求められます 「なにを大学で勉強したいか」ということを高校生が知ることは大切です これは日本の高校で働いてたときにもよく意識されていたことです ↑ イエズス会入会希望者向けのブースもありました 教室では各大学が時間割にしたがって説明会を行いますが、イエズス会入会希望者のための説明会もあり覗いてみると満席でみな詰めて座っていました また日本の大学も2校参加していましたし、インドネシアの日本語学校も参加していました
2022/10/18
ジョクジャカルタの市内バスに乗って家に帰ろうとしたときにどのバスに乗ってよいかわからず、バス停にいた案内係のひとに訊きました。わたしが住んでいる学校はKolese de Brittoといいますが、バス停のなまえはなぜか小文字ではじまる「de Britto」。わたしがブリトー高校にゆきたいといっても通じませんでした。でも最後にはわかったとうで、「ああ、de ブリトー」か、といわれました。「de」をつけてde Brittoバス停といわなければならないようです。学校のなかの修道院に住んでいつるので、学校見学はかならずあります。きょうご紹介するデ・ブリトー高校は、生徒たちは出校しなかった日のようすです。その日は講演会で、生徒たちはオンラインで講演を聞くそうです。でも教職員はは通常出勤でした。 ↑ 生物実験室で記念写真 このArifin先生が、「生物実験室で写真を撮るなら、ここでしょう」といって、標本と一緒になりました ↑ こちらは化学実験室 この学校は質素な作りですが、70年間の伝統がありきれいに学校を管理しているのがわかります この学校はインドネシアにあるがっこうです ↑ 職員室は、教員1人ひとりブースになっています 海外のイエズス会の学校にゆくと、職員室はどこもこのブースタイプです ↑ 家で講演会を視聴するひなのに、高校生数人が学校でオンライイン講演会をみていました ↑ 学校の事務室 5人も職員がいます ↑ いっぽうこちらは、学校法人本部事務室 こちらにも5人法人職員がいます 一番左手に建っている人が理事長のクントロ神父 ↑ 生徒の人数の電光掲示板が事務室に掲げてありました 事務員のかたが「聖イグナチオ学院もうちと生徒数はかわらないな」といっていましたが、生徒数はあまり変わりませんが、聖イグナチオ学院は事務室と会計室、受付係をあわせて、4人しか職員がいません デ・ブリトー高校にはこのほかに、営繕係などもいます
2022/10/17
土曜日と日曜日にはどこかにでかけることにしていますが、きのうはプランバナン寺院、きょうはマリオボロ通りにでかけました。mMalioboroとは、「花の首飾り」といういみだそうです。2.5㎞くらい続いていて、つきあたりは18世紀に建てられた宮殿があります。きょうはジョグジャカルタ駅にでかけで列車の時間なども調べたので、疲れ果ててKraton宮殿まではゆき着けませんでした。 ↑ ここにも10年前にきたことがありますが、ずいぶん整備されたという印象です 人がおおいというのはかわりありません ↑ この通りにあるPasar Beringharjo(ブリンハルジョ市場) きょうみた範囲には衣料品店が軒を連ねていました
2022/10/16
インドネシアのジョクジャカルタ市には、2つの世界遺産があります。そのうちの一つが、ヒンズー教のプランバナン(Prambanan)寺院群です。わたしがいま住んでいるところから、市内バスで25分、そのバス停から徒歩10分でプランバナンにつきました。たくさんのヒンズー教寺院遺跡があり、中心的な部分は公園のように整備されています。8~10世紀に建設が開始されたそうですが、16Cの大地震で崩壊しました。遷都もあり遺構は忘れ去られていたそうですが、シンガポールの都市創設者ラッフルズらによる発掘調査などがおこなわれ、19世紀からオランダの植民地政府によって本格的に発掘再建がおこなわれたそうです。第2次世界大戦後のスカルノ大統領の時代に、一応再建が完了したそうです。それにしても入場料は外国人観光客特別料金がありUS25ドル(3600円)と高額でした。路線バス代は片道27円ととても安いのですが。 10年前くらいにジョグジャカルタで開催された会議に参加した際に、おなじくジョグジャカルタ市にあるもう一つの世界遺産である大乗仏教のボロブドール(Borobudur)寺院にでかけたので、こんかいはプランバナン寺院にでかけることにしました。 ↑ はじめのうちは入り口近くの寺院跡には人がいましたが、午後おそくにでかけたこともあり、奥のほうの寺院跡にゆくともう観光客はいませんでした ↑ 「なかに入ってもよい」といわれたので、なかにはいってみました 石の匂いがしました ↑ 寺院のなかから外をみると、こんな感じでした 静かななかで歴史的遺構を見学できてよかったです
2022/10/15
インドネシアのジョグジャカルタ市には、わたしが所属しているカトリック・イエズス会が設立母体のSanata Dharma大学があります。そこには評判のよい語学学校が併設されています。けさ朝ご飯を食べていると「URA、きょうの2時に一緒にサナタ・ダルマにゆこう」といわれました。どうやらわたしのインドネシア語の勉強をアレンジしてくださるようでした。2週間しかジョグジャには滞在しないし、学校にゆく暇もないでしょう」とわたしはいっていました。昼食後の2時、昔からの知り合いのクントロ神父の運転で大学にでかけました。 ↑ すると若い二人の先生に教室に連れてゆかれ、いろいろと質問を受けました 「この大学に入りたいのか」など 2週間ぐらいしかここにいないし、大学に入るつもりはないので、などと答えました 30分ぐらい会話をしたあと、「それではこれに作文をしてください」といわれて筆記試験を受けました この歳になって、まさか抜き打ち試験を受けるとはおもいもよらなかった出来事です わたしの答案を手にしているのが先生です
2022/10/14
きのうの夕方、ジャカルタから512Km離れた、ジョグジャカルタの街に移動しました。滞在先は、聖ジョアン・デ・ブリトー高校の修道院。学校は75年の伝統があります。修道院も学校創立当初に建てられたものがそのまま使われていて、年季が入っています。 ↑ 案内されたわたしの部屋 とても大きな机があります ↑ 部屋の入口のドアからは、中庭がみえます ↑ 中庭 南洋の修道院建築は中庭を囲むように回廊があり、それに沿って居室があります ↑ 休憩室や食堂には外と隔てる壁はなくて、そのまま中庭に続くオープンな間取り だから、エアコンはありません 考えてみるとわたしの家の東ティモールの修道院でも食事はいつも外のテラスで食べていて、建物の中の食堂では一度も食事をしたことがありません 南洋の暮らしですね ↑ 玄関を入ったところの応接スペース 古い建物を丁寧につかっています
2022/10/13
6週間のジャカルタ滞在を終え、きょう特急列車で512㎞離れたジョグジャカルタへやってきました。このブログで何度もご紹介した、「スネン市場駅」出発です。スネン市場駅発の長距離列車は、一般人向け列車です。別のガンビル駅からは、いわゆる優等長距離列車が出発します。 ↑ まだ薄暗い頃、駅に到着しました ターミナル駅らしく、大きな荷物をもった人々が待っていました 「特急ジョグジャカルタ行き6時45分発」の表示 この駅からは1日に30本ぐらい、長距離列車のみ出発します ↑ 改札がはじまり、ホームにはいりました 夜行列車が到着し、停車中に洗車したり、屋根に登って水を補給したりしていました こんな光景は、以前は日本の駅でも見ることができました ↑ わたしが乗ったのは、エクゼクティブ・クラス エコノミークラスと2つありました 1等車にあたるエクゼクティブ・クラスでも3700円 エコノミークラスだと2700円 ガンビル駅から出発する優等列車はエコノミークラスでも3700円以上します ↑ わたしの車両は最後尾 昔風の展望車です かつての客車列車の醍醐味の一つは最後尾からの眺めでした もうしちどインドネシアで味わうことができました ↑ わたしが乗った特急列車はジョグジャカルタまで8時間半かかりました ガンビル駅発の優等特急列車は6時間余りでです だから運賃も差があります わたしが乗った特急は特急といいますが、こんな田舎の小さな村の駅にも停車してゆきます 昔の急行列車のような感覚です ↑ しかし食堂車が連結されています 食堂車といってもお弁当を売っていて、そこで食べることができます お弁当とスープで500円 ↑ こんな南洋の景色を車窓から眺めながら旅しました インドネシアの人びとは働き者で、暑い南洋の昼間でもみな田畑で野良仕事をしていました また、6時45分ジャストに発車して、定刻通り15時23分ジャストに到着したのには驚きました
2022/10/12
ジャカルタの観光スポットとなっている、カトリック教会のカテドラル(司教座聖堂)とイスラム教のモスク・Istiqlarにでかけました。インドネシアの宗教は圧倒的にイスラム教です。カトリック信者は2%に及びません。 ↑ カテドラルの内部と外観 カテドラルと大モスク・Istiqlarは向かい合って建っています スカルノ大統領が宗教は対立するのではなく融和するべきだと考え、あえてそのような配置になったそうです ↑ 立派な脇祭壇とパイプオルガン ↑ カテドラルの見学がおわり、向かいに建っているモスクへでかけました 恐る恐る「中に入ってよいか」訊くと、見学ツアーがあるのでそれに参加してくださいといわれました 待つこと20分、韓国人の男性とわたしの2人だけでした ちょうどお昼の礼拝がはじまるところで、人びとがあつまってきました 世界最大級のモスクだそうで、イスラム教の祝日には信者さんたちで埋め尽くされるそうです ↑ 案内の方が、「写真も自由に撮ってよい」といいながら、わたしにも記念写真といって撮影してくれました
2022/10/11
2週間まえくらいの写真です。カトリック教会のまいにちのミサで朗読される聖書が掲載された、雑誌タイプの本を探していました。ある人が目当ての本を持っていたので出版社の住所を控えて、後日、かいにでかけました。インターネットに住所を入力すれば場所がわかる便利なご時世。さっそくそれを頼りにでかけました。 ↑ が、しかし、こんな旧市街の一角にゆきあたりました ビルがみえますがほとんどが空室 目当ての場所も「こんなところに出版社はないよな」とおもい引き返そうとしましたが、せっかく来たのだから尋ねてみようとなかにいる人に訊きました ↑ そのドミニコ修道会の出版社の住所には3階とあるのに、さんざんいろいろ聞いた後「この本が欲しいのか」といって目当ての本を持ってきてくれました 無事に購入できました 雑誌タイプのその本のタイトルは、さすがドミニコ会らしくVerbum Vweitatis(真理のことば) 日本では3連休のかたがたもおおかったのではないでしょうか いかがでしたか
2022/10/10
土曜日や日曜日には電車にのって、少し離れた街にでかけています。きょうはまえから気になっていた「ジャカルタ駅」で下車しました。もともとオランダ植民地時代にはバタヴィア(Batavia)市といわれていましたが、日本軍が占領したときジャカルタ市に改名し、インドネシア独立後も同市名を使い続けているそうです。 ↑ これが閑散とした「ジャカルタ駅」 東京駅みたいに想像していましたが、こんな感じ 首都名を冠した駅です この駅のとなりが「ジャカルタ・コタ駅」 いぜんワニ通信でお伝えした駅ですが、こちらのほうは立派です ↑ ジャカルタ駅も、ジャカルタ・コタ駅も旧市街地にあります ジャカルタ旧市街地は古い街並みのまま残されています そうとう広い地域に旧市街地が広がっていますが、新市街地は旧市街地から離れたところにつくられていっています ↑ 新市街地遠景 中心部は東京とおなじような近代ていな街 ジャカルタは大都会です コタ・バル(「新しい街」)といいます 古い街並みをコタ・ラマ(古い街)といいます かつて日本で走っていた私鉄やJRの電車が活躍しています いまは雨季で、ゆうがた4時ごろになると雨が降ることがおおいです
2022/10/09
エピファニア 高2C 理系クラス (現在高3)エピファニアのお母さんは、学校で掃除の仕事をしています。お父さんは隣のティバール村でおこなわれているコンテナターミナルの工事現場で働いています。家は学校の近所です。兄弟姉妹が何人かいて、数年まえ弟も聖イグナチオ学院に入学したいと思ったようですが、途中でウルメラプロジェクトの塾にくるのをやめて、聖イグナチオ学院には入学しませんでした。こどもたちはそれぞれあって、兄弟姉妹だからおなじ聖イグナチオ学院に入りたいと画一的に思わなくてもいいと思います。わりと積極的に、学校行事に参加します。I Epifania pinto school in Holy Colege of Loiola, Timor-Leste, and all the families would like to express our thans to our donors and venefars who have supported my studies, since I entered the Colegio de Loiola Holy school Inacio de Loiola now, I cannot pay your Wages with the things you have offered me, but I only have prayer to always pray for your good health so that you can keep your journey around the world continues to be accompanied by God. (生徒が英語で書いているので、送信してきたそのままを掲載します。ちょっと怪しい英語ですが、当地の生徒たちは海外からのお客さんがくると、こんな感じの英語で会話をします。しかし、なんとなく以上に意味はわかりますね。)イエズス会社会司牧センターで東ティモールの聖イグナチオ学院の報告をさせていただきました ビデオで報告のようすが公開されていますので、ごらんいただければさいわいです 不慣れなものでしどろもどろで申し訳ありません 【2022年5月にお話させていただいたものです】■ビデオはこちらから https://youtu.be/Ysg40unYMQk■聖イグナチオ学院の報告の最後にご紹介した、聖イグナチオ学院の卒業生が作成したミュージックビデオ(4分ぐらい)はこちらのyoutubeからご覧いただけます 開港開校10年を経た聖イグナチオ学院の生徒や学校のようすをあわせてご覧いただけます https://www.youtube.com/watch?v=rnwWkTFloBc■聖イグナチオ学院の公式facebookです。同校教員が運営しています。現在インドネシアにいて、学校のようすをお伝えすることができないのでこのfacebookをご覧ください。このfacebookは、聖イグナチオ学院が日本以外の諸外国からもご寄付を頂いているので、ご寄付をくださった方々に日々の学校のようすをお伝えする目的があります。 facebook https://www.facebook.com/groups/CSILKasaitTL/
2022/10/08
滞在中のジャカルタ・カニシウス学院でイエズス会学校の教員研修会が開かれるとのことで、参加しないかと誘われました。教員をやっている性で、参加してみることにしました。午前9時にはじまった研修会は、午後6時まで続きました。 ↑ 参加者は100人以上いて、インドネシア各地からイエズス会員をはじめ先生たちがやってきていました。いわゆる「イエズス会教育提携校」の先生たちや神父さん、シスターたちも参加していました。 ↑ イエズス会教育といえばIgnatian Pedagogy(イグナチオ的教授法) インドネシアでは、Paradigma Pedagogi Refektif(省察的次元を含んだ教授法)と置き換えられてその「メソッド」を適用しているようです 実践報告、質疑応答、そして大学の先生の専門的なコメントももらえます 2人の発表を2時間半かけて丁寧に取り扱いました ↑ インドネシアには建国5原則(パンチャシラ)があり、教育もそれを実現するような目標を目指しますが、それとキリスト教教育をどのように融合してゆくかは大きなテーマなようです ↑ ある学校の教科別大目標 左上一番最初に記載されているのはAgama(宗教科) ↑ そしてきょうのゲストは、インドネシア教育省のカリキュラム担当責任者 カトリック・イエズス会教育についての4名の先生方の実践報告を聞いたのち、政府教育省のカリキュラム担当責任者の話を聞くと、カトリック学校の教育もより「何を実現すべきか」ということを現実を見据えながら考えることができます ↑ カリキュラム担当者は、PISAの試験の成績を引き合いにだし、七十数か国が参加しているけれども、インドネシアは70番台だといっていました 成績が改善することと、社会発展や貧困のことを引き合いにだしていました 上の地図は、PISAの国内地域別の成績(小学校)を色で表しています
2022/10/07
ヘルシア ソアレス 高2B 理系ヘルシアは学校の近所に住んでいます。兄弟姉妹がおおくて、かのじょが中学校に入学するときには、なんにんもの兄弟姉妹が学校に通っていました。お父さんが、「全員分の学校のお金は払えない」といいました。ヘルシアはことしは高3になっているので、今月末に高校卒業検定国家試験を受けて12月に卒業してゆきます。6年間過ぎるのは、早いです。 I’m Hersia Martins Soares, I want to thank the donors and the venefator for their support. All those who have supported me have stated from7 year to now 11 Year and I want to ask you to continue to support me until I finish school. (英語で書いて送ってきましたので、そのまま掲載いたします。これを書いたときは高2でしたが、いまは高3です)。イエズス会社会司牧センターで東ティモールの聖イグナチオ学院の報告をさせていただきました ビデオで報告のようすが公開されていますので、ごらんいただければさいわいです 不慣れなものでしどろもどろで申し訳ありません 【2022年5月にお話させていただいたものです】■ビデオはこちらから https://youtu.be/Ysg40unYMQk■聖イグナチオ学院の報告の最後にご紹介した、聖イグナチオ学院の卒業生が作成したミュージックビデオ(4分ぐらい)はこちらのyoutubeからご覧いただけます 開港開校10年を経た聖イグナチオ学院の生徒や学校のようすをあわせてご覧いただけます https://www.youtube.com/watch?v=rnwWkTFloBc■聖イグナチオ学院の公式facebookです。同校教員が運営しています。現在インドネシアにいて、学校のようすをお伝えすることができないのでこのfacebookをご覧ください。このfacebookは、聖イグナチオ学院が日本以外の諸外国からもご寄付を頂いているので、ご寄付をくださった方々に日々の学校のようすをお伝えする目的があります。 facebook https://www.facebook.com/groups/CSILKasaitTL/
2022/10/06
ジャカルタ市は人口950万人。人びとの食べ物だけでも、大変です。タナー・アバン市場、パサール・バルー市場にもでかけますが、一番よく散歩にでかけるのは度々登場するスネン市場。おそらくこんな大きな市場が、ジャカルタ市内にはいくつもあり、人びとの食べ物を賄っているのだとおもいます。店先に並べるうちから人びとは買ってゆき、次の野菜がどんどん運ばれてきます。インドネシアは世界最大のイスラム教国家。イスラム教という宗教が、ここで生活するこんなにおおくの人びとの精神的よりどころになっているとおもうと、イスラム教のバイタリティーを感じることができます。どうじに人びとは、「イスラム教世界」での価値観のなかで生きているということも感じることができます。 ↑ このお店の写真を撮ったら帰ろうとおもっていましたが、表にでると、やっぱり市場にはいっていってしまいました ↑ 最後はこの果物の屋台でパイナップルをたべました 50円でした ↑ 家に帰るとガドゥ・ガドゥというジャカルタ名物料理がありました 野菜を水で茹でただけ、右にあるゴマ・ピーナツ風味のソースであえてたべます 芋やさや豆、豆腐やキュウリ、水菜やもやしなどがはいっています 想像ですが、大都市で新鮮な野菜が手に入りにくく、お米のかわりに、人びとはこれを食べるのではないでしょうか ご飯もよそおうとすると、「ご飯なんか食べられない、お腹いっぱいになるよ」といわれました みんな「ガドゥ・ガドゥ」「ガドゥ・ガドゥ」といってよろこんでいました
2022/10/05
楽器店が連なる通りの一つ裏手の路地には、靴屋さんとかばん屋さんが集まっています。靴屋さんのほうが目立ちます。かばん屋さんは人をみると呼び込みをしますが、靴屋さんはお客さんがやってきても声をかけるようなことはありません。 ↑ 路地の入口辺りには、比較的新しいアーケードが造られています この先は、次第に先細りしてゆきます ↑ 靴屋さんだけではなく、おおくのお店は商品をぶらさげています ぶらさげられた商品をみると、「南洋のお店にきたな」と思います
2022/10/04
ジャカルタに滞在していますがそこを拠点に方々にでかける、ということはしていません。そのかわり、まいにち住んでいるところの近所を探検。わたしは市場ファンなので、しぜんと足は市場へと向かいます。ジャカルタは巨大都市だけあって、東ティモールの市場と比べ物にならないほど大きいです。きのうは「スネン市場駅」で汽車の切符をかったことをかきましたが、このスネン市場も大きいです。まいかいでかけるたびに、新しい発見があります。 ↑ おなじ通りや、おなじ路地に、おなじ品物を売る店があつまっています きょうご紹介するのは、楽器店が集まっている通り インドネシアの人びとは、こんなお店でギターやドラムを買うのでしょうか ↑ 民族楽器も売っています ↑ この通りをあるいていると、安宿の案内をみかけました 1泊1000円より おとな3人までOK とても経済的とかいてあります 旅人や商売人あいての駅前旅館という感じでしょうか
2022/10/03
きょうはジョグジャカルタにでかけるときの乗ろうと思っている、汽車の切符を「スネン市場駅」で買いました。 ↑ スネン市場駅は、一日に30便ぐらい長距離列車が出発する駅です ローカルの通勤列車は停車しません 夜行列車もあります ↑ ここが切符売り場 あまり人がいません インドネシアではインターネットを通じて切符を購入することがほとんどのようです わたしは銀行口座もないのでネット銀行が使えないので、歩いて20分でゆけるスネン市場駅まで出向いて切符を買いました ↑ 歴史があるジャカルタのターミナル駅のようです この駅からは一般列車が出発します もうひとつわたしが住んでいる近所にガンビル駅というのがありますが、ガンビル駅からはスネン市場駅から出発する同じ目的地へ向けて優等特急列車が発車するそうです ↑ 旅情をそそる、スネン市場駅構内 夜行列車もあります やっぱり、汽車ですね
2022/10/02
きのうはわたしの古くからの友人に25年ぶりに異国のジャカルタで再会し、かれの旧友との再会につれていってくれたことを書きました。そのときに、パキスタンやミャンマー、タイやインドネシアなどそれぞれ政治的に難しいことを経験しながら司祭養成課程に臨んでいることに触れました。きょうは身内の修道院の話です。 ↑ マルコス老神父(左)は、セマランから病気の治療のためにジャカルタにきました インドネシア統治時代末期に7年間、東ティモールで働いていたそうです 銃を構えるジェスチャーをしながら、「あの時は、戦争ばかりでたいへんだった」とはなしました 東ティモールはインドネシアから戦争の末に独立しましたが、インドネシアが独立したはなしになると、「日本から独立した」ことになります インドネシアでは、東ティモールにおけるインドネシア人と同じような立場になります 一方で右側の赤いシャツを着ているのはムリョノさん NGOで働いています アチェで地震と津波があったとき、「日本が巨額の援助をしてくれた」と話します NGOの代表として福田康夫総理大臣と面会したことがあると、そのときの写真をみせてくれました かれは東ティモールにもNGOの活動として援助にでかけます ↑ その数日後、食堂に巻きずしの折詰が置いてあり、それをみたエド神父さんはどこからか、「下町のナポレオン・麦焼酎いいちこ」をもってきて「飲もう」といいます パッケージに書いてある「下町のナポレオン」を指して「なんの意味だ」と訊かれたので、「ダウンタウンのマハラジャ」とこたえました エド神父さんは東ティモールがインドネシアから独立する頃から2011年まで、ディリの聖ヨゼフ学園高校の校長をしていました 実はインドネシア人の新司祭ディビアント神父さんは1999年9月に、独立を問う住民投票で独立が決まったあとに、東ティモールの南部の町スアイの教会の中で殺されました インドネシア人のイエズス会の神父さんも、叙階後1年経たないうちに東ティモールで殺されてしまったのです インドネシア人のエド神父さんはそんな話をしながら、「そんな出来事があったスアイにわたしはゆけなかった」とはなします その後かれが校長をしていた学校は閉校となり、それが聖イグナチオ学院として再開されることになります ちなみに彼が校長だったときに福岡の泰星学園高校(現、上智福岡高校)と姉妹校の交流をしていました ↑ 数日前、こんな市場をあるいていると一人の青年が近寄って来て「Indonesia merdeka♪、Indonesia Merdeka♫」(インドネシアは独立した、インドネシアは独立した」と歌い、遠ざかってゆきました わたしが日本人と気づいたからでしょうか ↑ モナスといわれる、国家記念塔 インドネシアの独立記念日は1945年8月17日 ここに独立宣言のオリジナルがあるそうです 東ティモールにいるときと、インドネシアにいるときには、立場が変わってしまうのです イエズス会学校といわれる学校で働いていますが、生徒たちに何を教えるかというと、「歴史は変えられないので、将来の歴史をつくる人として、そのときに公共善(Common Goods)に奉仕できる(Men and Women for Others, with Others)最善の決断をすること」かもしれないとおもっています
2022/10/01
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