「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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幕軍&松前えとせとら2,箱館戦争
松前えとせとら,箱館戦争,松前内での「血筋と怨恨」を考察,武田信広のお手柄,江差の民、悲願の築城_館城,コシャマインの乱,渡島半島にあった12個の館,幕末動乱維新の人々,【楽天市場】
現在の頁は「幕軍&松前えとせとら」のvol.2です。
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_函館戦争の余波<
幕軍&松前えとせとらSERIESの目次
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Vol.1
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vol.2
(現在の頁)<
Vol.3
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Vol.4
・・
松前、国獲り興亡物語
真面目に書こうとすると、ものすごく長くなるので、MINI談話。
気になってしかたない皆様は、図書館などの資料から、年表をさらにご覧頂くと、
もっともっと長い!・・・けど、もっと興味深いです。
MINI談話・・・松前内での「血筋と怨恨」を考察
松前の祖先は、発端の一番の英雄といえば、「武田信広」であり、この人は出元が謎のミステリーBOY。
自称_武田信玄の系統なのだが、どうも商人とか、プロの一種戦争屋さんとして雇われた人とか色々説有。
「武田信広」が、本当に武田の血をひいているとする説について補足
ようするに、あんまり「やんごとなき人」ではないが、断トツに優れていた。
アイヌの反乱を鎮圧。蝦夷の和人社会が完全に滅亡する危機から救た猛烈なお手柄BOY。
ご褒美に、蠣崎家に逆タマの輿。それ以来蠣崎姓を名乗っているが、子孫血統は、武田の血を引く側の
蠣崎家であることがPOINT。
武田信広のお手柄
蝦夷には「城」でなく
「館」が12個あった
。
しかし、それぞれの混じってる血が違うから、お互い足の引っ張り合い。興亡、策略、罠!殺戮合戦。
しかし、それどころでなくなった。永年和人の騙し討ちについに、アイヌが決起反乱。
「
コシャマインの乱1
,
コシャマインの乱2
」でガンガン潰されて、2館しかなくなった。
・・蝦夷和人社会滅亡の危機!
その危機から救ったのが、武田信広。
花沢館の蠣崎季繁の客将_武田信広。・・・つまり、花沢館の蠣崎季繁は
「江差!」
代々頑張った。
「蠣崎慶広」の代で、奥羽側の安東氏に隷属関係だった不自由を脱却。蝦夷独立をゲット。
豊臣秀吉を訪ね、朱印を貰い、徳川家康に謁見。 蠣崎姓から松前姓へ改める。
しかし、米の採れない蝦夷は特殊存在で、この段階ではまだ、「松前藩」ではなく、
「松前城」じゃなく、「蝦夷方面_館の主」。やがて、「松前藩」となった。
しかし、「血筋」の怨恨はずっと続いていた。
武田の血が混じるまでは、
現在の青森津軽方面や、秋田県に縁が深い。安東氏と南部氏が永年バトル。
南部氏に負けて、一応、安東氏系が蝦夷に逃れコツコツ。南部氏が怖いから、政略結婚。
敵と味方、血が混じった。安東氏内でも興亡。敵南部の血が混じってる安東と
混じってない安東がある。蝦夷は、奥羽の安東氏に隷属。
蝦夷がやっと、ほぼ自立の状態に漕ぎ着けたのは、上記お手柄BOY「武田信広(蠣崎姓を名乗り継ぐ)」
しかし、この蠣崎家内も複雑。「武田信広」の血を引く「蠣崎家」もあれば、蠣崎にとっては
いわば、雇用人だった「武田信広」の血が混じってない純粋蠣崎系と双方ある。
武田信広は「客将の立場」なのだが、純蠣崎系にすれば、「雇用人」みたいなヤツ。
高貴な我々とは違うぞ!そやつがNo.1になってしまった!・・・の意識があった。
これを機に、
◆函館周辺は「下之国」、◆上ノ国や江差の周辺は「上之国」。
蠣崎家を継いだ信広は花沢館の近傍に勝山館、洲崎館を築いた。
上ノ国は蠣崎氏による蝦夷地支配の拠点となった。
今度は蝦夷内でも血の争い。
江差の春は江戸にもない!と言われた江差。鰊で潤い、力があった。
しかし、結局、松前城の元、福山が実験を握る。江差には怨恨は根深く尾を引いた。
江差の民、悲願の築城_館城
、
■わずか約一ヶ月で完成して、わずか40日位で焼き落とされた「涙城」
■江差が、榎本達を愛せるわけは・・・当然無い!!開陽沈没も実に冷ややかな眼差しだった。
■ご城主様が滞在して下さった日数は、なんと10日位。榎本軍に追われて熊石から逃げた。
■この城を枕に討ち死したのが、
三上超順
。館城TOP責任者は
松井屯
だというのに、三上哀れ也!
■こちらも「
三上超順と館城
」
「館城」が建造される時、江差の人は猛烈に頑張った。 この城はあっという間に建築完了。
蝦夷の中心が、松前じゃなくて、江差になるチャンス。
坊主も神主なども、みんな戦に参加。信じられない立場の人もみんな戦に加担。
◆新田千里=儒者、◆三上超順=僧、◆江差奉行=尾見雄三、◆江差奉行目付役=氏家丹宮
人々が自主的に奉仕活躍。鰊漁で食ってる!江差の漁業関係町民も業者も必死で尽力。
(1868=明治元年:以下_M1と記)
M1_7月:
新政府の清水谷公考のバックアップで、松前左幕派暗殺のクーデター。
クーデター三羽烏の一人、尊皇派の下国東七郎が新政府に築城許可要請。即実施。
▼
M1_8月28日:
牧村右門他が館の地に入る。
◇築城の総司令官「鈴木文五郎」
◇江差奉行「氏家丹宮」、◇勧農方に任命された僧「三上超順」が環俗して参加。
◇関川平四郎が勘定奉行兼作事主員に就任(この人物は江差だが松前藩士ではない。知識&技術者)
▼
M1_9月10日:工事開始
▼
M1_10月15~18日:
民が大迷惑!寒風吹き荒ぶ真冬(現代の11月)に駆り出されて、完成祭りを強いられた。
ガタガタ振るえながら、4日間、外で祭り踊りをやらされている。民は、この地に城ができて政治の
要になってくれるのは大歓迎だが、この祭り踊りには相当滅入ったらしい。
▼
M1_10月20日~11月初旬の榎本軍流れ込みで略記:
10/20榎本軍、鷲の木上陸。→五稜郭が占領された。
→館の地は遠隔地。戦火の中、必死の強烈ピッチで、内部工事など最終仕上げ継続。
10月末に棟上式。
▼
M1_11月5日:松前落城。
▼
M1_11月15日:旧幕府軍の攻撃で炎上焼失!!
この日、「三上超順」が参戦散華。
<館城建造と特殊技術>
館城は、なんと新規明治生まれのNEW城!生まれた途端焼かれて消えた!
館城建造は、大工さんが木を切って、一から作ってたら、時間がかかるから、
大型の「完成部品」でガンガン運んだ。
しいて現代風に言い換えると、屋根や壁を超大型トラックで運んできて、巨大なクレーンで
ドガン!と組み立てるあの特殊建築方法。あたかも、マンモスか恐竜が「積み木式」で家を
創るみたいな・・・。館城は、そのスケール縮小型&ちょっと昔バージョン。
設計と概要
まず、完成早々焼かれて消えた為、外見の特徴など記憶する翁話は皆無。
設計者は「僧:三上超順:幕軍と参戦して散華の人物:壮烈な死を遂げる」、
及び、上記の「牧村右門」。
設計図も一緒に焼かれて消えた様子にて、誰も、イメージ図&絵を描くことができない。
あっちゅう間に完成させた城、あっちゅう間に焼かれて消えた。
江差の悲願城、涙城、消失の城!
江差の怒りは半端でない。城は潰されても、
人々の怒りはボコボコ沸騰している。
病床の藩主は、土壇場で担ぎこまれているが、在住期間たるや、1ヶ月なんて全然及ばない!
せいぜい、正味10数日程度。来て早々、この城も危機。熊石から青森へ船で脱走すべく、
またしても担がれて脱走。青森着いて間もなく落命。
この「重い地」、江差を任され、越冬させられたのは一聯隊長「松岡四郎次郎」と小杉雅之進達。
荷が重過ぎる。
▼
この重い江差を抱える日本海側、手薄だった。
官軍は、突如、乙部に溢れ出た。
コシャマインの乱、武田信広が鎮圧
渡島の十二館
コシャマインの乱
武田信広は、あわや蝦夷の和人社会滅亡の危機から救出した。
全部で12個もあった「館」がことごとく潰され、2館しかなくなった。
◇下国家政の茂別館、 ◇上ノ国の蠣崎季繁の花沢館のみとなる。
上記、上ノ国の蠣崎季繁が「客将武田信広」に託す。
武田信広の戦略は巧妙。
◆騒動の導火線
あるアイヌが和人の鍛冶屋に小刀の手直しを注文。口論となる。
「これは切れが悪い、価格が高い!」「なんだと!これでもか!」
鍛冶屋がその小刀でアイヌを刺した 。
◆上記事件から、ついに、アイヌの人々は永年の累積した不信と反感が爆発。
長い間、和人はアイヌの人との 交易で「騙し!」ばかりやっていた。
◆
コシャマインの乱 長禄元(1457)年5月、酋長コシャマイン
花沢館の蠣崎季繁の客将武田信広が、コシャマイン父子を射殺し、鎮定。
アイヌ民族は破竹の勢い。民族の為に、命を投げ出す覚悟の者と、命が惜しい
和人が闘うわけだから、このままだと、和人は敗れた。
しかし、信広は、夜援軍がやって来る際に、わざと「松明の灯り大行列」
を指示した。本来なら、夜は闇に紛れて、コソコソ来るに限る。
しかし、この炎の大行列の効果は抜群だった。
アイヌの人々は、勇ましく頑張ってたが、実のところ、それはそれは苦し
かった。仲間が応援に馳せ参じたと喜び、いち早く仲間と軍議を持つべく、
その場を去り、その方向へ走った。
アイヌ民族のそれまでの風習を解した「信広」の策謀だった。
仲間と思い、近づいたところ一斉に撃たれ、殺された。
渡島半島にあった12個の館
志海苔(=志濃里)館
_函館市志海苔町
箱館_函館市
宇須岸の河野政通
茂別館_上磯町
中野館_木古内町中野
脇本館_知内町涌元
穏内館_福島町吉岡
覃部館_松前町東山
祢保田館_松前町館浜
大館_松前町
・大館の副城▼
勝山館_上ノ国町
原口館_松前町原口
比石館_上ノ国町石崎
花沢館_上ノ国町
炎に散った・・・「コシャマイン親子」
和人たちは皆、アイヌの人を騙してばかり。ついに、彼らの怒りが爆発した。
勇敢に立ち向かったコシャマイン親子。民族のために奮起した彼らは、己の命など惜しくない。
それはそれは勇敢だった。館はことごとくつぶされ、あわや、和人社会は滅亡か?!
・・・しかし、・・・アイヌの戦士達は、飲まず食わず、戦い続けている。
・・・・・すっかり、薄暗くなってきた。・・・・・
突如、はるか向こうの山並みから、松明の大行列が、こちらに向かってくるではないか!
アイヌの戦士達は歓喜した。
「あっ、あれは、援軍じゃ!」
「おお、まさしく、あの炎は我らが民族の証。」
コシャマインは兵達に一喝した。
「皆の者、走れ!我が援軍ぞ。
あれは、山の民にちがいない。彼らが応援に
駆けつけたのじゃ!我ら民族は不滅ぞ!!」
・・・
走った。走った。皆走った。我を忘れて、
死に物狂いで、炎の行列目指し、ひたすら駆けた。
その時、!「罠!」だった。
戦士達は、仲間と思いこみ、皆喜び勇んで、
炎の行列に飛び込んだ。
1457年、5月、
英雄コシャマイン父子は、一斉射撃を受け、
無残にも、ここに倒れ死んだ。
Q、「ところで、蝦夷って、いつから、和人がいたの?」
A、「実は、ずっと昔。
なんと、600年代のハナシ!!
なのだ。
・・・上記ストーリー、コシャマイン親子どころか、それより、
もっともっと前に、すでに蝦夷は蹂躙されていた!」
アイヌの人々の住む国が、和人に侵略されたのは・・ずっと昔。
▼
大化の改進(645、だの阿倍仲麻呂だの・・の頃:7世紀の中葉頃!!
であります。
◆『日本書記』の斉明天皇5(659)年、阿倍の臣の遠征が記録されている。
北海道は古くは渡島(わたりしま)=越度島(こしのわたりしま)と
いわれていた 。
阿倍の臣の遠征が記録→彼が会った人物、蝦夷の登場人物はアイヌの
人の祖先にあたると思われる。
◆和銅5(712)年9月▼
従来蝦夷地は越国守の管轄下にあったが、越国から
出羽国に分け、
蝦夷地をその国主の管轄下に置く
ようになった。
この頃、既に、現在の秋田県が蝦夷と深い縁があったことになる。
◆戦いに破れ蝦夷に逃れる者、蝦夷の産物に目をつけ、永住する者も発生
◆文治5(1189)年源頼朝が奥州平泉の藤原氏を討伐する
→やはり、北海道に逃れた者がいた。
「義経伝説、北海道バージョン」は全くの架空夢物語じゃなくて、
確率は・・・ありえたということになる。
◆建保4(1216)年、鎌倉幕府が、京都東寺の凶賊以下
強盗海賊約50人を蝦夷に流罪
。
・文暦2(1235)年にも、同様流罪の形跡有=『吾妻鏡』
◆鎌倉幕府がほぼ全国統一しているのだが、しかし津軽&蝦夷の一部は特殊で、
安東氏(自称_安倍貞任の後裔)によって統治されていた。
安東氏については、?も多いですが、北条氏に任命された蝦夷代官
とする説もある。
◆その後、南北朝時代、奥羽~津軽方面では、南部義政と安東盛季がバトル
(安東氏:津軽十三湊を根拠として活躍→敗れたから、南部氏手中に渡る。)
→安東盛季は、敗れ、嘉吉3年に(別説有)蝦夷島に逃避。
しかし、南部氏が許してくれない。→一旦和睦。政略結婚。
◆やがて、安藤氏は、こつこつ蝦夷渡島半島に12館を築くが、
1453年南部氏に攻められて、下国_安東氏断絶となるなど、勢力細々。
◆南部と安東は婚姻で親戚になったけど、腹は敵味方。秋田と檜山、
各々の安東内でも興亡。
蝦夷は奥羽安東氏に隷属状態。
しかし、当時弱年であったため南部氏に捕われて、南部の一人となっていた
「政季(安東盛季の子)」が生き残っていた。
その後成人して、名も南部でなく、安東太郎政季と改め、ひそかに計って
蝦夷島に渡った。
◆一方、(1457)年5月、コシャマインの乱。 ◆蝦夷の和人社会、滅亡の危機。しかし、この時、この時、大活躍したのが、武田信広
「松明で灯りの大パレード」作戦は、アイヌの人々の習慣を見知って
諮った「名戦略家ならではの策謀」だった。
コシャマイン父子は射殺され、長禄2年6月鎮定された。
◆大手柄のこの人物、「客将_武田信広」は、ご褒美に、蠣崎季繁の養嗣子(逆タマの輿)となり、蠣崎姓を名乗る。
諸館主を糾合、覇権を掌握。松前藩の礎石 となる。
(松前の刀とブリュネ家の刀のミステリー)
▲武田信広は自称、武田信玄の家系。なのだそうだが、なんだか、色々。
しかし、彼にとって、論より証拠!というべき「家宝、武田の刀」
があったのだが、函館戦争で取られた!
(榎本チームは、商人に託して、ちゃんと家宝を松前に返してやった
・・・とのこと。しかし
なぜか、ブリュネ(=榎本軍団で活躍した「10人のフランス士官」チームのTOP)家の家宝として代々伝わる「タイクーン(将軍)から
貰った三振の刀」は、専門家鑑定のところ、どうも、松前のものでは
ないか?と思われる一振があるのだそうだ。真相不明ながら、もしかして
頑張ったブリュネに、榎本氏、実はプレゼントしてしまったかも?
この刀に関して松前側には、別説も有り、賊(=榎本軍のこと)討伐に
際して、ミカドから賜った刀ではないかというもの。その裏付けは、
再び、改めて後日別途、授かっているとの説。
(ブリュネ家の刀について、右側コラム枠にも追記有)
やがて、松前藩へと移行してゆくこの蠣崎氏は各館主やその子孫を
臣下につけ、アイヌの人々を使い、独特の商法で儲けた。
渡島半島西部の一角を領土とし、さらに、家臣を道内各地に派遣して
利益を得て、政治権力を握った。
しかし、蝦夷は広かった。全アイヌの人々が不幸になったわけでは
なかった。海の民、川の民、漁場近辺は早くから蹂躙されていたが
和人が踏み込めない深い山々。山の民には、まだ昔ながらの暮らしを
継続できる世界も残っていた。
◆しかし、幕藩体勢が介入してくる。松前は直轄にされたり、取り戻したり
一部残して、ほとんど取り上げられれたり。
◆松前よりも、幕府よりも、「桁違いの悪さ!」をやらかしたのは、
結果として、THE_明治だった。
アイヌの人口がガタ減りした。節操なく、やたらに飛ばす。
カリカリに干からびるまで、なんでもかんでも根こそぎ剥ぎ取る。
資源も枯渇。人の命も使い捨て。自然も破壊された。
貴重な動物達、エゾカワウソ、エゾオオカミとか・・・
おかげて全部消えてなくなった。(
動物達の本&心系本のぺーじはこちら
)
(ちょっと脱線)
・・・奥州平泉の藤原氏の話。
「義経生存説」
藤原泰衡であるが、義経を討ったにもかかわらず、結局、頼朝に責められ、家来に命乞いをして、失敗。
結局「釘打ち」の刑を受け殺された人物。奥州藤原氏が滅亡。彼の首級ミイラは、中尊寺金色堂に保存されている。
しかし、この首ミイラを見るかぎり、彼は、「義経」を逃がしてやったのではないか・・・とふと思えてしまう。
無残にも、頭蓋骨の額部分には
「釘穴」が空いている。
「義経」を裏切ればよいのに、兄弟のように育った彼をやはり、裏切ることができず、実際は逃がしてやったのではなかろうか。義経を庇った弟の首を討ち取り、弟と義経の首をワンセットでちゃんと提出・・・らしいが、スペア説もある。
頭蓋骨の「釘穴」が痛々しい。
平泉の英雄、父親、秀衡の棺と共に、彼の首級だけの棺があるそうだ。誰かを庇うが故に死んだ人。国を守るが故に散った人。どうも、ソレ系に弱い。
英雄として奉られることなく、汚名を被され埋もれている人、
知ると・・・いつも、とても苦しい。
とても悲しい。
(ついでに、もうひとつ、脱線)
北海道、江差にも「義経生存説」
・・・コレ、あくまで、ハハハッ!て笑っちゃう系の話だけど、そうであって欲しいなと願う人がいたんだな・・・と思えば、それなりに「心ほんわか」であります。
◆
江差の「義経生存説」
江差の鴎島。 そこに、「白馬」のように見える岩がある。義経は、この浜辺に愛馬を残し大陸へ。 白馬は最愛の主人を永久に待ち続けた。そのままやがて、白い岩と化し、それでもひたすら待ち続けている…
ブリュネ家の家宝「刀3振」
・専門家が鑑定したところ、
・タイクーン=将軍(慶喜)からもらっただろうと思われるのは、一番小さい刀「脇差」
・松前の家宝かも・・・と思われるものとは、2番目の長さのもの。
(左側本文側の、
(松前の刀とブリュネ家の刀のミステリー)
も
あわせてご覧下さい。)
・見るからにスゴい!・・・これぞ!!と家族達が期待していた長い一刀は、ガクッ!安物でした。
・・・安物ながら、実戦に使えるタイプ。お飾り専用の高級品も多いながら、使えるという点がちょっとミソ。
ブリュネの教え子、
田島金太郎※
が、外人斬り事件多発の時に、「ブリュネ先生、危険です。どうか、サーベルじゃなくて、
いざという時のために是非、日本刀を持って歩いてください。」とブリュネに哀願するように言ったという話があります。
もしかすると、若い彼が、少ないお小遣いで頑張って買ってプレゼントしたモノかもしれませんね!
※田島金太郎とブリュネ
彼らの師弟愛と涙の敗北の時に
ついては、現頁下側にバナー有
誰かがつぶやいた。「そのうち、鰊まで来んようになるべさや・・・」
それは、なんと現実となってしまった。
鰊、ヤン衆、銀の波
、大量の鰊が押し寄せると、海は一面銀色に染まり
輝いた。・・・・干からびて「死んだ海」になってしまった。二度と銀色に染まりはしない。
(関連:
小樽酒肴,ヤバ旨!激旨!,酒肴,鰊ヤン衆、銀の波
)
「THE_明治」とは、遠い昔のあの明治のことじゃなくて、現在進行形の全ての事象は、万事、その延長線にある!!
・・・・ん?ちょっと偉そう?!なコト言っちまったかな?ありゃ?
No.1_
行脚の道末に
<No.2_
真実の人
<No.3_
因縁、敵の報恩
<No.4_
空転!松前との和平交渉
<「幕軍&松前えとせとら」のvol.2(現在の頁)
幕軍の願い叶わず、対松前との決戦
松前は、自藩の藩士、
桜井恕三郎を斬り捨てた。
平和交渉の使者は無残に斬首、
それを以って、松前側から
宣戦布告となされた。
自藩の者ではないか!
なんたる惨忍!邪鬼のごとし!
ついに、榎本、怒りが爆発した。
文章解説(c)by rankten_@piyo、
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