幕軍&松前えとせとら18,箱館戦争

箱館戦争,幕軍、松前えとせとらNo.18,資料編,各特集頁リンク補足集,箱館戦争関連者と事象の補足MEMO,

幕軍&松前えとせとら
箱館戦争の余波<幕軍&松前えとせとらVo.18
箱館戦争に係る「各特集頁リンク補足集」・・関連者と事象の補足MEMO_その1
巨匠達悲劇と懊悩 :幕末関係無の「不遇のアーティスト、偉人」
幕末昂じてはひふへほ! (明治以降さらに引き摺った暗い戊辰の影:生き残りと次世代)

  1. 宮古湾海戦と甲賀源吾特集頁の
    補足追加断片MEMO
  2. 千秋丸の多説
  3. 森本弘策と千代田形
  4. 西川真蔵と神風丸

  1. 準備中
  2. 準備中
現在頁はちょこんとヒトコマ集結編:
▼どっさり大勢のリンクはこちら
人物名から追う
■現在頁は、各特集(長編)の
補足解説用内容の集合体につき、
五十音順ではありません。
詳しくは、各リンク先ご参照。
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この頁に取り上げる者&件について
=【(No.18)箱館戦争に係る各特集頁に書ききれなかった「はみ出し」追加断片MEMO】その1

・・◇調べ事のついでに出てきたような小事、◇特集組む前の段階:断片のまま散在状態の各コマ

■No.1 _【 宮古湾海戦と甲賀源吾:特集頁 】の補足追加断片MEMO

■【項1】高雄(第二回天)の座礁とメンバー降伏

高雄艦長:古川節蔵(※)以下97名の行方。故障にて操船不可と観念した。羅賀浜に乗り上げ。
【二派に分離】【1】降伏決断組:古川節蔵以下合計71名。【2】逃亡潜伏組:26人
【全体の身分内訳】艦長1人+士官隊43人+水夫他27人=71人

【1】降伏決断組 (古川節蔵、コラッシュ、小笠原賢蔵他)
まずは、普代村へ。妙相寺と酒造業(藤沢家)に別宿。盛岡藩に降伏。捕縛手の薩摩藩管轄に
引き渡される。投獄。ここで一部の者には救いの手。※古川節蔵他は救いの手が伸びて、
引き取られて無事明治を生きる。他にも少々引き取られた者有り。
フランス士官の「コラッシュ」も引き取られ無事。彼は後に「日本での冒険」体験談を著わす。
  • 古川節蔵 には、福澤諭吉がはるばる助命嘆願にやってきて引き取られて無事明治を生きる。
    (古川は福澤の弟子)。
  • コラッシュ (←コラッシュとニコールへ)、■ コラッシュの獄中落書エピソード
  • 小笠原賢蔵
    • (生?~没:明治18/3/21:幕臣:生きて明治は官に出仕)
    • 彼はそもそも、ストーン・ウォール号(=甲鉄)をアメリカから買取組。小野友五郎に付随して、
      慶応4年4/2、無事甲鉄を横浜に帰着させた者の1人。その後、甲鉄は中立を主張するアメリカに
      よって預かる形から転じて、新政府に手渡されるが、上記経緯から、艦内構造を把握している。
    • <大江艦長時代>
      帰国後、輸送船「大江」の艦長拝命。
      遊撃隊の伊庭や人見らを運び、館山に艦上から威嚇砲撃している。(遊撃隊の依頼)
    • 蝦夷到来時、この「大江」にて、桑名の石井勇次郎らを運ぶ。蝦夷の川汲峠近くの沖で座礁するが、
      みごとなテクニックで自力脱出。無事皆を運び遂げる。
    • <高雄艦長時代>(乗ったり降りたり)
      明治2年3月、まさに 宮古湾海戦 当初、彼は高雄艦長だったが、アボルタージュ計画が成功した場合に
      備え、彼は甲鉄艦長に任命される。(捕らぬ狸の皮算用に終わってしまったが、)
      その為、艦長を上記の「 古川節蔵 」に交代。そして小笠原は回天に移乗。ところが、蟠竜到着が
      遅い。そこで、山田湾大沢にて、再び、回天を降りて、またもや高雄に戻り乗る。
      その為、彼は、盛岡投降組の1人になってしまった。
    • がしかし、幸い生き延びている。彼のケースは、盛岡投降後、東京に送られ、霞ヶ関の広島藩屋敷
      投獄。その後、無事明治の官に出仕している。

【2】逃亡潜伏組
■この内、一名は、羅賀浜で戦死。捕り手と斬合の結果か?詳細不明。
■逃亡組の内、現地土着存命情報:当時の地元噂では、数名居るらしいが、そもそもこの地は幕軍に
同情派。口が硬い為、当該人物名は一人を除き不明。
その一人とは、「武市徳之助(仙台藩)」。地元の向井家の娘と結婚の上、姓を変えて存命。
この人物は仙台の中でも、松前町在住だったと伝わる以外情報無し。



■【項2】桑名藩_石井勇次郎の日記に見える「英国船」とは?考察

  • 桑名藩_石井勇次郎:弘化3(1846)1/5日~ 明治36(1903)6/17:箱館戦争時は新撰組

宮古湾海戦について、桑名藩_石井勇次郎は、誰かに聞かされた内容を綴っている。
その中のフレーズのひとつに、「英国船による干渉砲撃」の件がある。
▼(概略内容)
回天が甲鉄に攻撃を仕掛ける。すると、見知らぬ英国船が、回天に砲撃してきた。
回天は負けずに砲撃してやり返した。

そして、石井の感想コメント入り。「なんちゅう連中じゃ!」
・これは、諸外国は中立姿勢を保つべき立場でありながら、なんたることぞ!というニュアンス。

(ここで考察:その「英国船」の正体は何?)
一瞬、そんなまさか!・・でありますが、これは、どうやら 「戊辰丸」 の様子。
「戊辰丸」は、英国国旗を挙げて外国船に変装ではないか?
ほぼ同一の描写:ヴァン・リード(アメリカ商人:新聞もしほ草刊行人:星恂太郎と既知)も書いている。
【概略】「宮古湾海戦の時、阿波蜂須賀藩の船がイギリス国旗をあげて、幕軍に砲を撃ってきた。」


尚、上記の石井は、別途、もっと早期段階に於いても、怪しい「英国船」の存在に小首を傾げている。
それは、明治元年(1868)10月13日。この時、石井は鍬ヶ崎港(南部藩領)に居た。
この時、怪しい英国船目撃。初め、この地には、佐賀藩が駐屯していたが、榎本軍到来早々、彼らは消えた。
この怪しい英国船に乗って逃げていった旨記録に残している。
この体験もあいまって、彼、石井は、思わず呟く。「なんちゅう連中じゃ!」
  • 新撰組_野村利三郎
    尚、少々関連:石井日記に見る「誰かから彼が聞き知った宮古湾海戦に於ける別話:野村利三郎」
    新撰組_野村利三郎:石井勇次郎の記



■【項3】笠間金八郎(彰義隊)_彼の愛した「心の妻」とは
・・・偶然にも同じ日に天昇していた哀れ江戸の芸者
宮古湾海戦,彰義隊笠間金八郎の愛した人

■【項4】準備中



すっきりしない「千秋丸の多説」。この船について。他説あって今だ判然としないがMEMO。
<判然としている事>
◇仙台で榎本軍が拿捕して、◇名前を回春に改名で、榎本軍が使った。
◇拿捕の場所:榎本艦隊が品川沖を発ち、宮古に行く時、牡鹿半島の金華山を廻ったあたり。
◇発見時の様子:上記場所で、この船は海賊行為をしていた。
◇幕府が仙台藩に付与していた船

<拿捕の結果多説>
【1】_拿捕して、彼らを船から追放説。
【2】_確かに海賊行為をしていたが、彼らの正体は仙台藩士であり、恭順に納得できず徹底抗戦派で
脱藩した者であったことから、榎本軍はきつく彼らを叱ったが、榎本軍に参加する事を誓った為メンバーに
加えた・・・の説。
【3】_ こちらの頁 にも書いてありますが、
彼らの弁解は、蝦夷残留の仙台人の引き揚げに向かったところ、誰も居なかったので、
かわりに鱒を満載してきた・・・の説。

<考察と結果>
なんだか知らないが、仙台藩士の様子。手荒な行動に出ていた様子だが、実際蝦夷行きに参加できたのか否か?
搭載していた鱒を榎本軍が頂戴した様子。

■No.3_ 森本弘策 と千代田形

森本弘策(天保12年生まれ)

<箱館戦争時のミステイク:明治2年4月29日>
箱館戦争末期、この時彼は「千代田形」の艦長。ミステイクにて降格。
榎本軍は追い詰められて劣勢。その時、怖さあまって半狂乱状態で「千代田形」座礁に慌て、
中途半端に船を放棄脱出。満潮になり、無人の船はぷかぷか無事暗礁から抜け出し、沖に浮かぶ。官軍に
奪われてしまった大失態。怒った榎本が彼を降格。責任を感じた副艦長の市川慎太郎(真太郎)が5月5日、
かわりに責任切腹してしまった。

<ところが、かつての彼は勇敢&優秀だった。>

館山方面で、遊撃隊が戦っていた頃、彼らを、同艦「千代田形」にて搬送応援。また、榎本艦隊が、
仙台停泊中、彼の「千代田形」と、柴誠一の「長崎丸」は日本海側に回り、庄内方面応援に向かい酒田へ。
ここで嵐に遭い、「長崎丸」は座礁。柴誠一は拘留された様子にて恭順離脱。
一方、森本は長崎丸に乗船していた者達の一部(※)も拾い挙げ、蝦夷へ皆を運ぶ。
  • この時、庄内は既に恭順。目的達成できなかったが、勇敢に仲間を蝦夷へ運ぶ実力発揮。
  • 但し、積み残しメンバー&この船に乗船期待していた他メンバーは後日、別途船を雇い自力で蝦夷へ。

<後年の彼:明治の活躍>
開拓使の御用掛となって活躍。明治8年:雷電丸船長。明治10年代には、函館丸船長。
開拓使によると、彼の身分は「士族」ではなく、「東京平民」となっている。


西川真蔵は当初、行速丸(小型艦艇)の艦長。彼はこの行速丸で横須賀に向かい、修理中の神風丸を
引き取りにゆく。神風丸とは後のネーミング。これはアメリカ領事ベルニーに副総裁の受領書を渡し、
この軍艦を引き取りに行った。この船の元の名は「メテヨ」。ブリュネとカズヌーブは、この時、連れて
きたと言われる。彼らは、この直前舞踏会を抜け出し、横須賀に一泊。
(この話: ブリュネと中島三郎助「青い目が泣かした桜と、泣けた桜」

■尚、この神風丸は、惜しくも明治元年11月15日に座礁喪失。この日は有名な開陽座礁事件。
突然の大嵐。神風丸は、開陽を救おうとして、同じく嵐に呑まれた。
(地元にこの日に係る伝説奇談多説有。陸はカラリと晴れていたらしい。■ 箱館戦争の伝説的実話コーナー
■江差で越冬、一聯隊の苦渋MINI特集: 箱館戦争の裏庭_江差の冬_祈りとサーベル:一聯隊,石川忠恕と説夢録
  • 江差方面では、榎本軍到来に関して、冷ややかモードが解る。古老談に、開陽座礁に係るこんな話も。
    「砲の勢いで、なんとか離礁しようとしてるんだか知りませんが、一晩中、砲をボンボン煩くて・・。」
    「技術が拙いんでしょうよ。タバ風吹いたら、逆に沖に逃げればいいのにサ・・。」など各種。

■その後、彼は艦を失った為、高雄の乗組員となる。高雄は
上記【No.1_宮古湾海戦と甲賀源吾:特集頁の補足追加断片MEMO】コーナーにあるとおり、宮古湾海戦の
時、故障して乗り上げ降伏。

■No.5_準備中

準備中

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