「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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小笠原胖之助死闘と時計No.2,箱館戦争
幕末,箱館戦争,初期戦犠牲者,七重に散った若き貴公子、小笠原胖之助の烈死,針の止まった金時計,小笠原長行,小笠原長行の行動&歴史,小笠原胖之助(=三好胖)について,中島登の戦友絵姿に描かれた小笠原胖之助の素顔,従者、小久保清吉の殉死,終焉時に散った命、栗原仙之助,中島登が戦友絵姿を描いた動機,他,【楽天市場】
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幕末_WITH_LOVE玄関
<函館戦争の余波<
小笠原長行&小笠原胖之助(=三好胖)
<慟哭の小笠原長行、夢よ夢、夢は夢ならぬ夢!(七重戦、針の止まった金時計)
※別途参考資料専用頁有:
資料編:小笠原長行&小笠原胖之助について
現在のSERIES直前の部分から読む(夢ならぬ夢)!:榎本軍鷲の木上陸時:_Vol.1=No.1A
<
No.1B
夢よ夢、夢は夢ならぬ夢!_Vol.2(胖之助_No.2)
慟哭の小笠原長行:嗚呼、我がいろとよ!七重戦、針の止まった金時計
小笠原胖之助SERIES:
No.1
<
No.2
(現在の頁)<
No.3
・・・・
この前の部分から読む
屍の前に座り込んだまま、放心状態にも近い栗原。その彼が、突如、呻いた。
「こっ、これは!もしや、
この時計・・・
もしや、あの時、若が殿から賜ったと
いうあの金時計ではあるまいか!」
それは、陣羽織とは別に、洋服風の羽織を着た
胖之助のポケットから、見つかったのだ。
記憶・・兄上から貰った金時計
長年、小笠原長行が所有していた家宝の金時計。
会津で、それぞれ別ルートでやってきた小笠原長行と胖之助が久しぶりに再会できた際、
長行が胖之助に手渡したものだったのだ。栗原は完全にその瞬間を記憶している。
地べたにへたりこんだままの彼。
朦朧とした意識の中、その時のことが、まるで昨日のことのように蘇っていった。
言葉数の少ない長行が満面に笑顔をたたえ、惜しげなく、その金時計を
胖之助に譲ったのだった。
しかし、聡明な少年、胖之助は言った。
「兄上、このような大切なものを、
私のようなものに、それは、なりませぬ。」
そうは言いつつ、胖之助は、その頬を真っ赤に染めて、喜びを隠せなかった。
以来、彼はこの金時計をあたかもお守りのごとく、肌身離さず懐に持ち歩いていたのである。
仙台から、長鯨丸に乗船して蝦夷へ向かう長い海路、途中嵐に見舞われた際には、
従者、小久保清吉に、その金時計を見せて、こう言っていた。
「清吉、安ずるな。嵐など、じき止むぞ。
兄上の金時計、これがある限り、大丈夫なのじゃ。
必ず、この時計が我らを守ってくれるぞ!」
対して、小久保が言った。
「若っ!大切なものでござりますぞ。
雨風に曝されぬよう、
どうか、早く懐にお仕舞い下され!」
「近頃、清吉も随分、煩くなってきたなア。」
艦上でやりとりされた二人の会話。あくまで主従でありながら、兄のような思いやりを発揮する
小久保の姿。その姿を眩しいような目で見ていたのが、小久保と同じ年齢の
栗原本人だったのだ。
小久保と栗原は同じ年齢であり友達だった。しかし、小久保は彼の父の代から、胖之助の父、
小笠原長泰の家来。その為、小久保清吉は幼い頃から、胖之助の家来兼遊び相手と
してずっと共に暮らしてきた仲だ。
その一方、栗原は、どんなに忠義を誓い、どんなに努力しても、貴公子、胖之助から見る
己は、小久保と同格の距離には到底及ばぬことを、自覚せざるをえなかった。
それは、地位のことではなく、あくまで、人としての信頼感、親しみのことだ。
几帳面で頑張り屋さんの栗原はいつも褒められた。
「でかしたぞ、栗原。」「栗原、すまぬ。恩に着るぞ。」
それでいて、小久保のように名前で呼んでもらったり、
「口煩いな。」
などと、親しいが故に口をついて出る
冗談は言ってもらえたことがない。
実は、そんな淋しい思いは、友人である小久保に対して、
軽い嫉妬になっていた。今思えば、それは否定できないことだった。
彼は、今、ぼそりと呟いた。
「小久保よ、小久保、おぬしの勝ちじゃ。
これで永遠に己はおぬしに負けた。」
少年の頃、小久保と二人石蹴りをして遊んだ
あの頃の記憶が蘇った。貴公子様に夢中になり、
暫し放置状態になっていた小久保の屍。
途端に泣けてきた。
・・・・・この時、栗原は己の運命を知るよしはなかった。
針の止まった金時計
唐津藩士達の心の中、時が止まった
栗原は、その金時計を、長行に形見として持ち帰るべく、
仏に一礼してから、引き出すことにした。
ところが、次の瞬間、愕然となった。引っ張ってみた途端、驚いた。
それは、引き出そうにも抜けない状態にあることが、今初めて解ったからだ。
腰に銃撃を受けた際、なんと、鎖の部分は銃弾もろとも、
胖之助の体内に貫通して奥深く填まり込んでいるではないか。
息も凍る蝦夷の冬。白い綿雪が音もなく、舞い落ちてくる。
さっきまで鮮血が溢れ出していた胖之助の屍は、
今や急変して死後硬直が始まっている。
無理に引き出そうとすると、遺体特有のギシギシと
いったあの鈍い音が聞こえる。
失意の栗原は、決心すると、主、長行の為に、
鎖を切断して時計だけを取すことにした。
恐らく銃撃を受けた瞬間のことだろう。
文字盤は砕け、針は止まっていた。
時は止まった。
唐津藩士達の心の中、この日、全ての時間が、崩れ去って、
虚しく、戊辰の嵐の中、消え去った。
七重の白い雪に化した少年の魂
少年の魂は白い雪と化した。
他藩士の若田榮吉が書き残した資料結びは、こうある。
一弾来たりて胸部に命中したれども、
なお屈せず進んで、これに迫る。
一弾また額を貫き遂に倒る。嗚呼惜しいかな。
今だ総角の美少年、二・八の冬を一期とし、
七重の雪と消え賜う。
若田榮吉&今井信郎の残した資料
予感と暗示
緊迫の徳川終焉時。一刻一秒を急ぐべき時にありながら、小笠原長行の住む世界とは、
欲望と陰謀が絡み合う泥の世界だった。駆け引きも裏細工も日常茶飯事。
その中で、徳川の泥も被った。火中の栗を拾うも一度のことでない。
しかし、人知れずして、人一倍純粋な男だったのだ。
その男が、たったひとつの心の安らぎ、胖之助を失った。
何もかも、終わる。きっと終わる。早くも絶望感を隠せなかった。
小笠原長行が弟同然の可愛い胖之助、彼の21日目の命日、箱館へ向かう途上、やっと墓参りが
許されたのは、明治元年11月14日。日が暮れて、五稜郭に入った。
すると、この日、館城は落城。まずは、榎本軍に軍配があがった。
しかし、運命は、その翌日、榎本軍に於ける最大の悲劇を呼ぶ。
明治元年11月15日、タバ風の吹き荒れる江差沖で、なんと、皆の夢の象徴、
軍艦開陽を失う惨劇に見舞われたのだ。
12/15:投票により榎本武揚が正式に、総裁決定。蝦夷政権、デファクトが成立した。
しかし、その実態は、悲しきかな、ただ、ひたすらに、坂道を転げ落ちた。
不穏な年越しが過ぎ去り、長かった蝦夷の冬が開けつつある。
宮古湾海戦で多大なる犠牲を払い絶望の境地の後、雪解けと共に、手薄な日本海側、
乙部から、無数の官軍が、怒涛のごとく溢れ出た。
ひたすらに、坂道を転げ落ちた。
いよいよ、敗色濃厚、小笠原長行は一部の側近達に拉致同然の体で、蝦夷から脱走を促され、
藩士を置き去りに、この地を去りゆく宿命となった。
そして終焉、栗原仙之助の散華
無念!英雄、栗原仙之助
彼もまた、天空へ飛び去った。
■
栗原仙之助:
弘化4(1847)~明治2/5/11(1869)享年23歳
(栗原重之助と書かれた古資料は恐らく彼のこと)
箱館戦争、榎本軍終焉時の戦で死亡。
下欄記載の『
唐津藩士達の行動ルート
』のとおり、小笠原胖之助と行動を共にして、江戸では彰義隊の
参加から始まり、輪王寺宮の護衛をしながら、奥州へ転戦、そして蝦夷へ。
明治元年10月24日、蝦夷上陸早々に、初期戦では、貴公子胖之助と共に、
己の友人である小久保を失った。
栗原仙之助は、小久保と同じ年に生まれた男、いわば同級生なのだ。
しかし、胖之助を守りながら死んだ小久保に比べ、蝦夷で年越したため、
たった一つだけ年を取った。
たった一つ年上になって、結局、この年(=翌年1869)、彼も天へ飛び去った。
敗色濃厚の4月には、我が殿、小笠原長行が従者3人を従えて、蝦夷から逃れ去って行った。
(
こちらに記載のとおり
、長行が己だけ生き残る為に逃げたのではなく、皆納得の上のこと。)
その失落感を体験した彼は、
あの時に死んだ小久保より、
たった一つだけ年上になっただけなのに
それ以上に『大人になって』・・・死んだ。
絶望と不可能という名の現実を知って、そして、散った。
中島登の絵に描かれた栗原仙之助
中島登の絵
には、やはり、彼(栗原仙之助)の終焉の姿も描き出されていた。
顔面頭部をやられている。額を赤い血に染めて、夥しい量の鮮血が流れる。
それでもなお、敵を鋭い眼光で見据え、立ち尽くしている姿である。
銃の重みに耐えかね、銃口側を手に掴んでいる姿は、ずるりと手から滑り落ちそうになった銃を
最期の力で落とすまいと夢中で抑えた瞬間に見えてならない。やはり、絶命の瞬間だろう。
勇ましく戦う姿でなく、こうした姿を描いたのには、中島登の奥行きが感じられる。
主を失って尚も戦い続けねばならない運命の彼ら、しかも無残に瓦解しつつあるこの世界。
勇敢さよりも、彼らの無念の思いを描いてあげたかったのではなかろうか。
この日、5月11日は、中島登本人にとっても、土方歳三を失った日なのだ。
何もかも失ったその日の自分、その絶望感が、知らずして絵に投影されて
しまったのかもしれない。
栗原仙之助、主君に従いて蝦夷島に渡り、
この5月11日、箱館瓦解砌(みぎり)の
弁天岬に於ける臺(台)場戦死ス
・・・・とある。
小笠原胖之助SERIES:
No.1
<
No.2
(現在の頁)<
No.3
残された藩士達の宿命
■上記本文関連部分のみの「超ミニ年表」
小笠原長行の絶望は、蝦夷到来とほぼ同時だったといえる。下記のとおり、上陸早々に、
最愛の我がいろと(=弟≒弟同然と本人は思っている特別な存在の甥)を喪失してしまう運命だった。
10/20日から順次: 榎本軍、鷲の木上陸。五稜郭に向け進軍、戦闘開始。
~10/24 :峠下、七重、川汲峠各地戦闘。犠牲者発生。
10/26:五稜郭無血占拠
11/5:福山城(松前)落城
11/14:館城落城。(病弱な藩主は青森に逃走)
11/15:江差沖にてタバ風。軍艦「開陽」座礁&沈没
12/15:投票により榎本武揚総裁決定。他役員同時決定。政権=デファクト成立。
弟同然と思っている訳:
こちら:「慟哭の小笠原長行、夢よ夢、夢は夢ならぬ夢!」
、
最初からお読み頂けるときっとお解り頂けると思います。
■本件関連の中島登の絵(戦友絵姿)3件について
_◇
小笠原胖之助愛馬への思いやり
、◇
小笠原胖之助
、◇
栗原仙之助
、◇
小久保清吉
小笠原胖之助SERIES:
No.1
<
No.2
(現在の頁)<
No.3
資料編:小笠原長行&小笠原胖之助について
残された藩士達の宿命
現在のSERIES直前の部分から読む(夢ならぬ夢)!_Vol.1=No.1A
<
No.1B
▼
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
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