「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
HOME
|
DIARY
|
PROFILE
【フォローする】
【ログイン】
若松コロニーとシュネル(4
若松コロニーとシュネルSERIES_No.4,幕末_WITH_LOVE(若松コロニーとシュネル特集),死の商人と伝わるシュネルの素顔,カトリックと隣人愛,会津藩士のカリフォルニア,幕末,戊辰戦争,箱館戦争,WAKAMATSU COLONY&Jhon Henry Schnell_No.4
サイトTOP
<
幕末_WITH_LOVE玄関
<
シュネルと若松コロニーSERIES(Schnell&WAKAMATSU COLONY)
シュネルと若松コロニーSERIES詳細編_No.4
青い目の騎士道!Schnellに導かれて・・会津人の大渡航:悲しみを乗り越えて
Sec.1
<
Sec.2
<
Sec.3
<
Sec.4(現在頁)
<
Sec.5
The Wakamatsu Colony: Gold Hill
(会津人のカリフォルニア)
この前の部分から読む
、
【解説】シュネルは敬謙なキリスト者。会津には、けっして表現化させずして密かに禁教の隠れ切支丹有。
その角度から、見落としていた点に着目して書き進めます。
■Translate:-URL:http://plaza.rakuten.co.jp/wawanko/057038
〔translation function page of google〕:Put on the URL on the text box.
後半頁に資料編があります。
いきなり資料では解り難いと思いますから、
現在頁本文からお読みいただくことをおすすめします。
25_邁進!皆の手で、若松コロニーを「夢の理想郷」に!
1869年(明治2年)シュネルは、
チャールズM. Graner
から、
160エーカー(640 約60反)の土地をを購入。
皆は、額に汗して、朝から晩まで、一生懸命に、
この地の開拓に勤しんだ。
彼らの敷地は「若松コロニー(Wakamatsu Colony)」と
ネーミングされた。
早速、士分の者が皆を取り仕切る。
「皆の為だ!怠るな!桑の幼木は命だぞ!これで皆の運命がきまるんだ。しっかり植えろよ。
一本も無駄にすんな!お茶の種子を撒け!お茶は外人さんにも人気なんだ。高く売れるぞ!」
今度は、大工の棟梁の掛け声が響く。
「けやき(keyaki)の木は、根腐れおこさんように、しっかと植えんといかんぞ!
年月経っても歪まぬ良質木材だぞ。こんないい木、アメリカには、多分ないぞ!
無駄にすんなよ!」
「まずは大至急、開拓小屋を建てるんだ!ここは、お前ら若い衆の腕のみせどころだぞ!
しっかりたのむぞ!・・・我らだけじゃないんだぞ。みんなに、いつ来てもらっても困らぬように、
しっかと作れ!」
棟梁の情熱は若い衆の心に沁みた。己に付き従ってこの地まで付いて来てくれた可愛い弟子達。
棟梁の掛け声は、厳しく叱るだけでなく、彼らの志を讃え、褒めて励ます。
早速、弟子達は張り切って、愚痴もこぼさず頑張った。力自慢、腕自慢。皆それぞれ、己の最大限、
能力を発揮して頑張った。皆の開拓小屋はたちまち完成。さすがは専門家の腕だ。
暮らしは粗末で、仕事は厳しいけれど、皆の連帯感は、極めて良好だった。
皆の心はひとつだった。この地を我らの理想郷に。
第二の「茶畑」、第二の「絹の里」。我らの力で創ろうぞ!
シュネルさんが、皆を励ます。
心に志を抱け!志は、志は富士山より高く!
志に、侍も民もない。皆尊いものだ!
それは、会津磐梯山より美しい!
26_多大なる緑に包まれて_大地と、隣人愛
■青い文字が、手記らしき英文を大脈、意訳、織り込んで書いてます。
■茶色の字は流れが解り難い為、私(=現在頁の筆者)が補足書きした部分。英文は、アメリカで発表さ
れたものです。その為、戊辰展開などについて、アメリカの人に解り難いことから、簡単に短く文頭に多少
あるのみで、他は一切記載されていません。
国内の変動の様子を含め、また、他資料で知り得た情報を加えてレイアウトを少しでも鮮明化して、
このシリーズを書く為に、私が追加しています。
■前頁の流れから、
主人公は「手記の主」である男性
の形で書き進めます。
・手記とは
No.3
からご覧下さいますと、概要が解ります。
■文章中「私」とは、その男性。脱走時(1869=明治2年)時点、約18歳直前。年内に18歳到達と思われる。
■但し、次の頁=
Sec.5
後半に別の男性が「私」として現れますが、解るように印を入れます。(原文はまるで迷路)
私は、あいかわらず、見るもの聞くもの、何もかも奇妙で、初めのうち怖かった。
なんといっても、近隣に住む人々、特に男性の姿。皆巨人のように大きくて、顔中髭だらけ。
ところが、ひとつ気がついた。近隣の人とは、シュネルさんの国からやってきた人が一杯居る。
外見は巨人、大男ばかり。その上、言葉もなんだか恐ろしい音調。
ところが、皆とても親切。しだいに私は、心洗われる思いに浸った。
だから、日中の労働の厳しさも辛さも、乗り越えられた。
それに、なんといっても、この地に於ける
緑の樹木が、
私の心を優しく包んでくれた。
かつて美しかった頃の、戊辰戦争前のあの会津の野山。それを思い起こした。
爽やかな風。緑の丘
。
そして、夜は、なかなか驚くほどに寒い。
まるで会津と同じではないか!
毎日、毎日、くたくたになって顔も服も泥だらけ。慣れない手付きで頑張って農作業。
よくよく見れば、なんとみすぼらしい己の姿。襤褸をまとって、とんでもない格好。
着物じゃ話になんないけれど、服がない。シュネルさんのお下がりズボンと、
古い着物を切り詰めて作った甚平みたいのを組み合わせて着た。
我ら日本人も
、戦闘時には、裾の細い袴の一種として、「たつけ」とか、「だんぶくろ」
などと呼ばれるズボンもどきを履くことはあった。
しかし、会津の者の場合、江戸で砲隊修行をしていた者が制服で着ていた例を除けば、
多くの者は、「だんぶくろ」を徹底して嫌っていた。その為、着用には、抵抗があったのだ。
なぜなら、あの時、長州が履いていたのが・・・まさにそれだったからだ。
【解説】俗に、ズタ袋のことも「だん袋」ともいう。しかし、この頃は、主に袴とは異なるズボンもどきを
指してそう呼んだ。上記のとおり、「だん袋」イコール、憎しみ要素も有り。長州と発音することすら
忌まわしい時、「だん袋の輩」と言った例もある。
意図的にあえて忘れたつもりでいても、やはり心の傷は、消えない。炎に消えた愛しい会津の都よ。
余計な事を思い出した時こそ、滅茶苦茶に鍬を振り上げ、畑仕事を頑張った。
変な格好!時折、コロニーの横を馬車で通る他所の異人さん達。とても、不思議そうに見ていた。
それでも幸せだったといえるかもしれない。誰一人愚痴を溢す者はいない。
皆助け合った。夕食は粗末。
それでもここには団欒がある。
身分を越えて談笑のひと時。
いつだって、皆の笑顔が、ここにある。
真っ黒に日焼けした皆の笑顔。
頑張ろう。明日も頑張ろう。今日以上に頑張ろう。
・・・苦しい時ほど、それは皆の合言葉だった。
27_突然の悲報、皆で泣き崩れた真夏の日
突然の悲報。それは、「萱野様の悲報」だった。
官軍に捉えられたあまりにも不憫な藩主様。
されど、なんと、萱野権兵衛様が、官軍に、
自ら、申し出られたのだと伝え聞いた。
明治2年5月18日
(1869/06/27)
「一藩の責任は、藩主にあらず。我に有り。」
罪を一身に負い、
見事な切腹を成し遂げた。
会津藩家老、萱野権兵衛。享年42歳。
ここに、藩主、松平容保父子を助命を成し遂げた。
あっぱれ、藩主様の身代わりとなって見事な切腹をなされたという。
・・・(関連:
萱野権兵衛の身代わり切腹
)
たった一人で、巨大な荷を背負って冥土に旅立った。戦闘首謀者、反逆の犯人は己だと言い切った。
我々に、遅れてこの情報が齎されたのは夏だった。悲劇は、我々が到着した18日後のことだったのだ。
如何に異郷の地、情報が遅れたとはいえ、何も知らずに過ごしていた己が憎まれてならなかった。
皆は、一晩中、振るえ泣いた。彼の無念を思えば、悔しくて涙が止まらない。
家老が腹を切らねば終らぬ。それが戦の掟。
異郷の地、随分遅れて知った我々ながら、
翌日も誰もが、尋常ではいられなかった。
皆押し黙って、黙々と我武者羅に働いた。
萱野様のご無念を思えば、
我らの貧困も苦悩も皆全て、小指の先にも満たぬ。
【解説】
■シュネル一行のサンフランシスコ到着:1869年5月27日(明治2/4/16)
■シュネル一行の若松コロニー到着:1869年6月9日(明治2/4/29)
■萱野権兵衛の身代わり切腹:1869年6月27日(明治2/5/18)
・・・
シュネル一行到着の18日後の死亡
。しかし、当時の情報は遅いことから、実際聞き知ったのは1~2ヶ月
後の可能性大。シュネルの情報力は一般人より遥かに早い。さりとて、だいたい1ヶ月未満の超高速スピードは、
まず、当時はないはず。彼らの記録としては存在しないため、これはあくまで考察。
28_シュネル、農業フェア参加出品、大盛況
Festival of farm commodities
そして、シュネルさんも頑張った。アメリカの人に理解を貰えるように、
カリフォルニア州立農業フェアに、農作物のサンプルを幾つか持参して参加した。
流石は商売の神様、シュネルさん。アピールだって怠らない。
フェア会場では、園芸分野における超目玉品として早速注目された。
彼の持ち込んだサンプルは、まず、第一に「絹の元となる繭」、他に芳香を放つ「お茶」の葉。
そして、ヘルシーかつ万能な日本古来の「菜種油」などを展示した。
「さあ!皆さん、お立会い!寄ってらっしゃい!ご覧下され!
これは、必ず、来年、我らの農場から、皆様にご提供させて頂く予定の商品ですよ。
ところで、この葉は何だかご存知ですか?この葉で蚕を育てるんですよ。
日本人の技術者でなけりゃ、蚕さんも、なかなか育ってくれません。
御機嫌損ねようものなら、繭を作ってくれないもんなんですわ。
見事な絹を、お届けしますよ。日本の技術者ならではの良質の絹。そしてその絹を用いた美しい錦。
これも特別、来年には、必ず皆様にお見せ致しましょう。
反物だけは、我々が逆立ちしたって作れません。
日本の機織り技術と、
修行を積んだ女工じゃなけりゃ
とっても素人には、
無理な話なんですよ!」
29_「実りの秋」に感謝、そして冬
この時、シュネルさんは、注目の的だった。日本の絹は、それほど皆の憧れだった。
たちまち、秋がやってきた。
この地は、その途端に寒い。
これは予想外だった。
それでも、寒い夜は、暖炉に薪を一杯
炊いて、ここには、皆が居る。
士分も大工も百姓も皆一緒に労苦を
分かち合って、助け合う。
みんなが作った作物、今年の出来栄えは
できそこないだけど、それでも食べ物が
あるのは、本当に有り難い。
その上、隣家のビアカンプさんはとても親切。皆で、できそこないの野菜を食べていると、
我々が作ったよりも、もっと上手にできた野菜を手土産に、時折様子を見に来てくれる。
秋の頃には、甘い葡萄を貰った。
たちまち、冬がやってきた。
シュネルさんの企画で、クリスマスというものも経験した。
皆の中には、会津時代から、密かに禁教のキリスト教の教えを心に秘めていた者もあった為、
行事の意味に於いては、実は全員が驚いたわけじゃない。
だけど、シュネルさんが無理してご馳走を
振舞ってくれた。本当は贅沢なんて許されない
身なのに。涙が出るほど嬉しかった。
この時も、ビアカンプさんが来てくれた。
貴重な葡萄酒をご馳走になった。
30_会津の子守唄、おけい(OKEI)さん
この地に来て生まれたシュネルさんの二人目の子供も、みるみる間に大きくなった。
一人目の子、フランシスは、あいかわらず、子守役の町娘「おけい」さんに、くっつき虫だ。
【解説】 ■シュネルの第一子:フランシス(女児)この時2歳
■シュネルの第ニ子:メアリー(女児)この時0歳。1869年の7~8月の誕生と言われる。
皆は、労働に不向きな和服を脱ぎ捨て、洋服を着ているけれど、「おけい」さんだけは、
もしかしたら、見かけによらず頑固なのかもしれない。他の女性達、奥様方は皆洋服に
切り替えたというのに、この女性だけは、あいかわらず着物を着ている。
私も大工達も、皆、比較的早く、英語の片言を覚えたけれど、この娘は、なかなか覚えられないようだ。
綺麗な声で、フランシスやメアリーの為に歌う子守唄は、いつも会津の子守唄。
ねんねんころりよ おころりよ
坊やのお守りは どこへ行った
あの山越えて 里へ行った
里のお土産 何もろた
でんでん太鼓に お笙の笛
この娘の心は、いつもここにあらず。きっと、会津の里にあるのだろう。
うつろな目をして遠くを見る時、あたかも会津の光景を思い描いているかのようだ。
時折、涙を浮かべていた。なんとなく不憫な娘だ。
・・・私は、少し、この人が気になりかけている自分を否定できなかった。
シュネルさんが言う。
「寒い冬も、身を寄せ合って、みんなで力あわせて、無事乗り越えようじゃないか。
今年頑張った分は、神様が必ず、恵みを下さることだろう。
さあ、みんなで感謝の祈りを捧げよう。」
それまで、キリスト教に抵抗感を示していた者も、
この環境下、その多くは、ごく自然に受け止めていった。
額に汗して作った作物、実りは本当に
神様がお与え下さったように思えてくるから不思議だ。
広大な大地、カリフォルニア。
▲1869年、▼1870年
31_二年目の春(1870年=明治3年)
春が来た。大地に緑が蘇って、小鳥が歌う。
だが、我ら会津人にとって、春とは・・・重い。誰しも、昨年の春が脳裏から消えない。
春が来て、雪が解けと同時に、
悲しみまで溶け出した悲しい過去
は昨年のこと。
だから、春は怖い。春は重い。
されど、いつまでもそんなことばかり思っている暇は許されない。
春一番、我々は、早速野良着に着替えて、
敷地内の畑に飛び出した。
皆は、おそるおそる、桑の幼木に施した冬囲いを取り外す作業を開始した。
・・・枯れてはいまいか?異郷の地で、力尽きてはいまいか?
・・・しかし、そっと覗き込んで、思わず嬉し泣きした。
「大丈夫だったぞ!無事、冬を乗り切ってくれたぞ!
これなら本当にお蚕さんは、夢じゃないぞ。もうひといきだ。粘り倒して、必ず勝利を得よう!」
突如、誰かが叫んだ。「我らは報われた!」
植物達は、期待を裏切ることなく育ってくれた。
皆に、希望が湧いてきた。
シュネルさんが言った。
「会津ならではの技術を活かせば、鬼に金棒。良質の絹は、世界のシェア独占だって夢じゃない!
お茶っ葉も頑張れよ。香り高い日本のお茶は世界では贅沢品さ。ここで皆の努力が実るぞ。
堂々、ローコストで提供しよう。ぐんと購買層が広まるぞ。
そして、藩主様にお来し願おう!今は、和歌山藩にお預けの御身なれど、
心配するな。なんとか謹慎が解けたら、お来し願おう。
今は、松平容大様が、容保様に替わって、斗南藩を頂いたそうだが、実際は地獄同然、
最果ての津軽の突端だ。そんなところに、我らが大殿、松平容保様を行かせるわけにいかないぞ。
会津の地は官軍に奪われたのだ!一族郎党皆、流刑同然の斗南に流された。
斗南なんぞ話にならぬ。第二の会津は、我々のこの地だ!若松コロニーだ!
みんな、頑張れよ!萱野権兵衛様の御恩に報いる時だぞ!萱野様の死を無駄にするな!
生き残った我々が、今度は、誠の我らの藩主、松平容保様をお救いする番じゃ!
ここは、忠義報恩の郷だぞ!皆の者、頑張れよ。」
この頃、メンバーも大分増えていた。当初26人程度だったのに、子供も生まれた。
そして、何よりも嬉しいことに、危険を冒して、密かに追って別途渡航してきた侍が増えた。
彼らが我らに合流した為、今では合計40人程になる。
この環境下、士分も百姓も言ってられない。皆、真っ黒けに日焼けして、労働に勤しんだ。
本来、大工達とは、畑仕事に指先を泥で汚す事をとても嫌う。
彼らには、彼らなりのプライドがある。百姓とは違う。己には腕がある。
どんなに重い角材を担いで重労働だろうが、肉体に過酷な作業だろうが、
百姓達の泥まみれとは違う。それが、彼らの意地なのだろう。
ところが、この世界では、それらが一気に消し飛んだ。
腕はいいが気難しいのが大工。ところが、自ら、泥まみれの百姓仕事をせっせとこなす。
「なんてことないさ。もともと俺なんざ、土百姓の子倅さ。こう見えても、
そんじょそこらの輩よりゃ、よっぽど、まともに役立つぜ!畑の事は、餓鬼の頃から知ってるさ。」
粗末な夕食の時、黒パンを散切る彼らの指先に、ふと目がいった。
土が爪の中、奥深くまでめりこんでいて、いくら洗えど取れない程なのだ。
私は、何気なしを装って、そっと自分の指も見てみた。・・・おんなじだった。思わず苦笑した。
それでも、日焼けした彼らの顔は精悍だ。笑うと白い歯が鮮やかで、爽やかな若者達だ。
本当の幸せとは、もしかしたら、これだったのかもしれない。
ついこの前までは、戊辰戦争前の会津が一番幸せだったと思っていたが、考えが変わった。
今の世界は、それ以上に素晴らしい事なんだ。
それに、会津に居た頃、私も、お侍さんの百姓姿なんて見たことなかった。
今は、ここに居る侍達は、みんな百姓仕事をこなす。
シュネルさんの言う
「理想郷」
とは、やはり嘘じゃなかった。
シュネルさんの箱舟に乗ったのは我ら。
シュネルさんは
「ノアの箱舟」の奇跡
を今の世に再現させた!
シュネルさんを信じて良かった。
彼についてきて本当に良かった。
大工達も皆、そう言っていた。
「神様なんて、どこに居るんだ?
異国の神様なんてつまらぬ。」
と、当初ぼやいていた者もこの環境が万事を変えた。
労働して恵みが得られて、そして感謝。それはごく自然な経緯だった。
知らぬ間に、ほとんど全員が、本当の信者になっていた。
32_臥薪嘗胆、水不足の実情を乗り越えて
我らは、1870年(明治3年)を無事乗り切ろうと、必死だった。
この地は、会津と異なり乾燥した気候だ。農業用水確保には随分骨が折れる。
その為、植物の淘汰率は異常に高い数値を示した。
33_実情、水不足、水争い
しかし、万事、時計の針は狂い始めた。
高温多湿の日本と異なり、この地特有の乾燥した気候が問題だった。
待てど、暮らせど、雨がやって来ない。茶の葉は枯れる一方。弱いものは、もうすでにだめだ。
葉や枝だけなれば、望みも辛うじて残るものの、根からして、もう絶望状態だ。
あの時の会津の惨状のごとく、累々と幼木達の屍が連なってゆく毎日。
頼みの綱、桑の幼木も、枯れ出した。蚕の繭を得るには、これらの木は、
まだまだ育ってもらわねば、何も始まらない。
ここで枯れられたら、去年の苦労は、一体どうなるのだ!
皆は、焦り始めていた。
「雨よ来い!どうか、恵みの雨よ!大地を潤せ!
神よ、我らを救いたまえ!」
シュネルさんが、皆を宥めて、こう言った。
「神は必ず、我らをお導き下さる。
神は、
『乗り越えられる範囲で最大限の苦しみ』
を我らに
お与えになられる。それは、必ず、乗り越えられるからなんだ。
乗り越えねばならぬからこそ、今、神は我らに教訓を下されたのだ。
屈することなかれ!皆よ、奮い立て!
浦上四番崩れの民
を思い出せ!
彼らの苦しみを思えば、我らのこの苦しみ程度が、なんだというのだ!
自分達が最も悲壮だと思う時、人は滅びる。思い起こせ。
我らよりも、もっと不憫で哀れな人々。
祈るんだ。自分の為にじゃない。彼らの為に祈るんだ。
皆、勇気を出せ!皆の者よ、今が正念場だ。
自然淘汰は、やむをえぬ。この地、この気候、この環境に即応できる樹木のみが選ばれて、
生き延びるのだ。それは、今後、この地で継続してゆくために、神様が導いて下さった結果
かもしれぬ。今は、耐えるんだ。皆よ、粘り倒せ!」
・・・そう語るシュネルさんも、この頃、随分がっくりと窶れ果てていた。
アメリカは人種の坩堝。確かに、近隣には、シュネルさんと同じ国から来た人も居るし、
神の教えに従って、善良な人々に恵まれていたのだが、なぜか苦しみは深まってゆく。
34_不吉な裏事情、黄色い人種
第二の「ふたつのKKK」
上記同様、1870年(明治3年のこと)
人種の坩堝アメリカ。特に当時のカリフォルニアは移民ラッシュ。
1850年より、カリフォルニアでは、外国人労働者の鉱夫が鉱山で働いている。それは主に中国人だった。
1851年には、前年の5倍に膨れ上がった。僅か5000人程度だったものが、なんと2万5千を一気に超えた。
悪い労働条件、低賃金だろうが、彼らは働く。年を追って、彼らは鉄道工事などにも駆り出された。
そのわりには、完成と同時に集団首切り。それでも、彼らの数は膨大だ。
枯れても、切られても、居住権を脅かされても、一行に減少しない。食い詰めた人種の悲しい実情だ。
【ひとつ目の『日本流KKK』】
ところが、彼らは、優秀かつ不屈の人民だ。食うや食わずや、奴隷同然。危険は背中合わせ。
過酷できつい労働(KITSUI)、汚い仕事(KITANAI)。運一つ如何で忽ち落命に至る危険作業(KIKEN)。
それは、まさに日本国でいう「KKK」。それでも、彼らは屈しない。妻子の為に。未来の自国の為に。
そのどん底で、彼らはひしめきあって互いに力を合わせ、同国の子らの為に学校がわりに
仮設の教育の場を抽出したり、同国民だけの新聞を作ったりした。
【2つ目の『アメリカ流_KKKの黄色い人種専用版』】
白人労働者達の不満が不気味に首を擡げ始めていた。
最悪の労働条件を阻止すべく、白人労働者が団結してストライキを起こした。
ところが、企業は痛くも痒くも無い。あっさり、スト破り用に、中国人労働者を山盛抱えて
対処してしまう。賃金はただ同然の絶望的低賃金なのだが、それでも彼らの場合は、耐えて働く。
スト破り目的だから、ほんの少し雀の涙、極小UP給程度で、忽ち大勢確保できる。
ますます、白人労働者の失業が増加した。
アメリカ史で、KKKを知らない人はいないと思う。クークラックスクラン。恐ろしい差別の秘密結社。
今日の日本の認識では、漠然と黒人差別と捉えられがちながら、正式な意味合いは「白人至上主義」
被害の数値は断トツに黒人が多いが、ターゲットは、黄色い人種も含まれていた。
起源は南北戦争終了後の1865年とされるが、白人貧困層の不満はもっと早期から膨らんでいた為、
組織としてではなく、一部の名も無き小集団による謎の殺害事件は多発していた。
彼らにしてみると、止め処なく次から次へと押し寄せる移民は恐怖。
特に、黄色い人種は嫌われた。まず不気味なのだ。神が異なる。生活風習が異なる。
体が小さいわりには不屈。過激派の言葉を用いるなれば、雑草か害虫のごとく。
雀の涙程度の僅かな糧しか食していないにもかかわらず、耐えて生き延びる。肉や牛乳などの
蛋白質を得なければ生きれない大柄の白人とは、何から何まで異なる。
いくら追って、いくら害虫駆除!(左記:過激派の表現による)すれど、増えて、白人貧困層の職及び食を蝕む。
そして、ついに、翌年、1871年には、
悪夢の惨殺事件が発生する
。
コロニーの者は、皆、親切な人々の忠告に従って、身を寄せ合い、シュネルの傘の下、
歯を食い縛って凌いでいた。日本人の外見は、中国人と同じだからだった。
悲しきかな、『力』だった。悲しきかな、『絶対数』の差だった。
コロニーのメンバーは、灌漑用水の確保という点について、随分苦汁を嘗めている。
耐えて屈して、不利を享受せざるをえぬ実態を離脱できなかった。
35_辛うじて、二度目の冬通過
こうして、我らは、1870年、明治3年を乗り切った。
我らの農産品に於ける超目玉商品の絹については、桑が幼木だから、実はまだ未来に
希望を架けるのみ。されど、菜種油や、茶は少ないけれど、どうにか生産販売に漕ぎ着けた。
シュネルさんの力と、皆の努力の賜物だ。
上記のとおり、乾燥した気候。充分な農業用水を確保できず、植物の淘汰率が随分高かった。
それでも、シュネルさんの「鶴の一声」。
「皆の者よ、有言実行!為さねばならぬ!為せば、為る!」
弱い種は耐えて、生き残ったものだけが小さな実りを齎した。
我らは、どうにか、この年も、農業フェアに参加できた。
全て神様のおかげなんだと、シュネルさんは、そう言っては微笑んだ。
1870年、明治3年は、こうして終わった。
▲1870年、▼1871年
36_暗雲の兆し、1871年(明治4年)の春
なぜか、大地の神とは、すこぶる気まぐれらしい。
異国の宗教には、我らの古代宗教観念は関係ないけれど、やはり生まれ育った日本の観念は
皆の意識の中、中途半端に入り乱れて彷徨う。
この国の神様には、大地の神も居なければ、怒りの神も居ない。
しかし、この水不足は一体何なんだろう?まだ、春だというのに・・・。
夏に向けて、このままでは、農作物は絶望だ。
しかも、上記のとおり、社会事情は暗雲に包まれている。我ら日本人も、中国人同様に黄色い人種。
そして、
コロニーの枠外では、ついに、恐ろしい事件が発生した。
【殺害事件】
1
871年、ロサンゼルスで、ついに中国人の殺害事件が明るみになった。
反中国人感情が爆裂。一部の集団が暴挙して、中国人が惨殺された。これには、ついに、
他の中国人達が怒りに震えて、逆に集団で暴動を起こしたものの、結果は、武装して立ち向った
中国人達が皆殺しにされた。一人の犠牲に留まらず戦士全員の死亡という大惨状に発展した。
悲しきかな、『力』なのだ。悲しきかな、『絶対数』の差だ。
弱きは耐えるのみ。弱きは脅え隠れるのみ。貧困は、人に内存する悪魔を呼び起こす。
若松コロニーの皆は、TOPのシュネルの配下にて、傘の下。
しかしながら、一歩コロニーの外に出るなれば、地獄同然。黄色い日本人は中国人と同じく見える。
迂闊にも、枠外を一人歩きなど、とてもできない実態だった。
37_悪夢!最悪の事態、浮上!死骸と化した農場
束の間だった「幸せ時代」
この水不足は、万事を変えた。
我々の地に到達する前に、川の上流で、水が滞る。ただでさえ、痩せて干からびた川。
その水が、我らの地まで、一切届かぬ最悪事態が発生していた。
灌漑用水の不足から作物が枯れて、利益に結びつけるはずの茶や絹の元、桑が全滅どころか、
皆が食する野菜もない。家畜も斃れる。なにもかも絶望だ。栄養失調で、子供達が心配だ。
やがて、日常の生活水にも枯渇した。もう既に、飲料水すら危ない。
このコロニー近隣どころか、カリフォルニアは、例年にもない最悪の水不足に陥っていた。
シュネルさんの顔と人望に頼りっぱなしだった我々。
ところが、人種の坩堝。人種とは出身国だけじゃない。人の本質に宿る皆の考え方の相違も
第2の人種差異といえる。極限の水不足となれば、人の心の奥潜んでいる悪魔が表現化してきた。
なんと、水争いになった。そして、
醜い人間の本質が露見した。それは力。力関係
・・・。
天は皆を、神の下に平等におつくり下さったというではないか。
それだというのに、力関係で、若松コロニーは、最も不利な状態に陥っていた。
そして、なんと!突如、
子守役の町娘「おけい(OKEI)」が倒れた!
恐ろしい病魔が、彼女に襲い掛かった。
38_病魔到来!床に倒れた子守役の町娘「OKEI」
No.0:このシリーズ目次
<
No.1
<
No.2
<
No.3
<
No.4
現在頁<
No.5
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
▼上側バナー:会津藩主:松平容保の身代わり切腹の家臣:萱野権兵衛
▼下側バナー:桑名藩主:松平定敬の身代わり切腹の家臣:森陳明弥一左衛門
・藩主の身代わりで、切腹する家臣の気持ちがよく解るのは、下側バナー。小難しいかもしれませんが。
・尚、松平定敬とは、松平容保の実の弟。
<
短生種の戯言
:天使,十字架;
Piece
:刀;
STAR DUST
:家,教会イラスト,
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
うさ飼いさん集まろ~
コナモ (U^ω^U)7歳3か月 YOUTUBE動…
(2024-11-14 15:13:45)
MIX(雑種)だってかわいい!
蛇のパワースポット?
(2025-02-17 18:14:11)
ゴールデンレトリーバー!
【まとめました】大型犬の北海道引っ…
(2024-09-26 07:44:12)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Design
a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: