「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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若松コロニーとシュネル(1
若松コロニーとシュネルSERIES_No.1,幕末_WITH_LOVE(若松コロニーとシュネル特集),死の商人と伝わるシュネルの素顔,カトリックと隣人愛,会津藩士のカリフォルニア,幕末,戊辰戦争,箱館戦争,WAKAMATSU COLONY&Jhon Henry Schnell_No.1
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幕末_WITH_LOVE玄関
<シュネルと若松コロニーSERIES_目次(Schnell&WAKAMATSU COLONY)
<
No.0:このシリーズ目次
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No.1
現在頁<
No.2
<・・
シュネルと若松コロニーSERIES詳細編_No.1
No.0:目次
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Sec.1
(現在頁)<
Sec.2
<
Sec.3
<・・・
アカバネ・シュネルの騎士道と人々
The Wakamatsu Colony: Gold Hill
(会津人のカリフォルニア)
■現在SERIES=詳細編では、
◇大脱走計画に及ぶ迄、◇若松コロニーの概要、
◇簡単経緯、◇各人物追求、◇大脱走とシュネルについて
■
専門家のちゃんとした小説本は、こちら(ライト編)
にあります。
このSERIESは、私のこだわり角度で書かせて頂いています。
■
若松コロニーとシュネルSERIESについて:
ABOUT-WAKAMATSU COLONY & Jhon Henry Schnell-SERIES
◇青い目の騎士道:アカバネ・シュネル、◇シュネルの本質を理解できる人々とは、
◇アカバネと名乗った訳、◇開墾と理想郷
■後半に別途「
資料編
」と、関連リンク編をご用意致します。
■Translate▼URL:http://plaza.rakuten.co.jp/wawanko/057035
〔translation function page of google〕:Put on the URL on the text box.
青い目の騎士道!Schnellに導かれて・・会津人の大渡航:悲しみを乗り越えて
Sec.1_シュネル達一行の大脱走直前までの経緯=会津戦争末期
1_悲しみが溶け出す頃、悲哀の早春賦
一般に、戊辰に於ける死者の内、会津の死者は2557人。その内、女性は194人というデータがある。
しかし、これは、どこからどこまで含んでいるのか否か、はっきりと断言裏付ける資料は存じません。
城下死亡者のみならず、箱館戦争に至るまで最後まで戦い命を落とした者も含まれるのか否か、
また、砲弾戦禍の被害で爆死した民はどうなっているのか・・・など、細かく言えば、恐らくこれ以上
だろう。現に、藩主、松平容保の命令で、
贋金作りに従事していた職人が何十人が処刑
されている。
見せしめの為、家族の面前処刑。戦争とは即ち、皆そうなのかもしれない。しかし悲しすぎる。
時は、明治2年2月(1869/3)のこと。賊の汚名を受け、裁かれた会津藩。美しい城下町の景観は、
昨年の戦争で全て失われ、跡形も無い。奥州の冬が、徐々に明けてくる。
白い雪が溶けると同時に、覆い尽くした悲しみまで
一挙にに溢れ出て、たちまち流れ始めた。
.
「賊、葬るべからず。」これが掟だった。
いかに哀れとて、葬るなれば斬首。
その為、放置されたままの遺体。その数、約2000という。
闇に塗れて幾体かの遺体は、生き残りの士族や、善民によって密かに埋葬されたものの、早々に
葬った心優しい民が捕らえられて投獄された。この者は厳しい糾問を受けたが、
幸い命は取り留めた。しかし、今度は容赦なく斬首となる旨、言い含められてやっと釈放された。
彼は、民の評判高く、思いやりの深い良い荘屋だった。名は、吉田伊惣次。久々に戻ったはいいが、
なんとも痛々しい姿。もう一度、墓から掘り返して、山に捨てて来い・・・とまで命令されたのだという。
哀れ、仏は放置された。野獣の餌食。烏が群飛ぶ。やがて冬が訪れた。
白い雪が解けて、川辺に萌黄色の蕗の薹が鮮やかに芽を葺く頃だというのに、
今年ばかりは、なんら春の喜びは得られない。むしろ、蕗の薹の色彩が憎々しい。
一冬覆い隠されていた悲しみは、一斉に溶け出して、終いに露出した。
さすがに、この時期には、ついに新政府にも配慮がなされ、遺体は『塚』に収納されつつある。
但し、墓は許されない。当時は差別があり、その特定の人々が、それらの遺体を取り扱う。
決まりごととして、新政府の言いつけどおり、罪人塚に乱暴に放り込まれるだけだった。
賊・・・だから。
勝てば官軍。負ければ賊軍。
この上なく悲しい事ながら、一種廃棄物と同様の有様。
仏を、もう少し、まともに取り扱ってはくれぬかと依頼しようが、それは、掟故、彼らは、命がいくつ
あっても足りないという。密かに袖の下、手当ての金を作って手渡したのだが、
現場の者には届かず、扱いになんら変化はなかった。
ついに、耐えられず、士分にありながら、身分もプライドも捨て、差別身分に入った者がいた。
仏をまともに葬ってあげたい。その一心だった。人物の名は
伴百悦
。
無論、周囲の配慮がなされ、具体的には、差別身分そのものになったわけでは
なかったのだが、本人は、それでもかまわないと判断した上の決断だった。
・・・しかし、非道は続いた。この怨念は累積してゆく。
後に、彼は、非道の極みを徹した新政府側の役人(現在頁では略:彼の藩とて早期恭順藩ともいえるから。)
に天誅を加え、そして暫しの後、彼自身も己の命を断った。
純心な男だった。
彼の職務は鷹匠の世襲。藩士の中でも特殊な専門分野。
日本古来の『鷹狩』用の鷹を育て、訓練するセクション。
『鷹狩』とは
、鷹を狩るでなくて、狩の助っ人として鷹が活躍する。
高貴なお殿様の伝統的『狩兼儀式&武芸の練磨』。
それには、よく訓練された優秀な鷹が必要。
その為、伴百悦のホームグラウンドは城中ではなく、
大自然の野山であり、相手は鷹。
言葉語れぬ動物が相手。城内で対人腹芸分野は無縁だ。
最も純心な男が、罪人の罪を背負い、命、消え果てた。
2_材木町の不思議な侍_平松武兵衛
同年3月(1869/4)のこと。
なにやら、材木町では、ガサゴソと大工が動き始めた。なんだか慌しい。
士族の屋敷は城と共に焼け落ちて、見る影もないが、民家の一部は、なんとか補修しつつ
凌げる状態の箇所も多少あった。
それにしても、大工達は、よく見ると、植木まで掻き集めている。
しかしながら、職業側、然程不自然ではない。新政府側から、復興の仕事でも受けたのだろうか。
この街には、平松武兵衛という者の屋敷がある。名前からして奇妙だ。侍の名を語りつつ、
そもそも、この地に、平松とは不思議だ。実は、藩主、松平容保から賜った名前だった。
平松とは、松平が逆立ちしてるだけのこと。流暢な日本語を喋るものの、実は青い目の外国人。
大量の銃を藩主及び、周辺諸藩に売り、砲術の指導も行い、完全に幕軍の味方だった・・・のだが。
されど、日本人は島国根性。普通の人々は、半信半疑で解らない。
平松武兵衛こと、シュネルという男、やたらに熱心。命惜しまず奔走。
また、肝の太さたるや桁違い。初対面の米沢藩士に巨額の金をあっさり手渡した。
「某は、長岡藩の河井継之助の知人の者じゃ。」そのたった一言で信じて、
あっさり貸した。返金の見込みなど・・・あるわけない事が、まるわかりだというのに。
普通なら解らない。誰しも、彼という男が。それは、日本人だから。島国に住む人種が我ら日本人。
そのため、影では言う者は言う。どうせ商魂逞しい商人根性だろう。なんといっても、幕軍側に
売りつけた銃だけで、一攫千金、巨額の富。確かにそれは否定できない事実ではあった。
本物の彼を芯から解せる者とは、
特殊な者。ほんの一握り。秘めた存在。特別な者達だけだった。
シュネルの百面相振りには脱帽だ。おかげで今現在でも、歴史は混迷させられている。
時に及んでプロシアだと語り、榎本武揚軍がフランス士官の応援を得ていることから、身の安全をはかる
為には、case-by-case、フランス人だと語ったり、百面相の名人。
本名は、どうやら、シュネル(スネル)らしい・・・周囲の皆は、その程度しか知らない。
蘭語が堪能だから実はオランダ人か?噂ばかりで、現代に至っても謎の男。
なんといっても多忙な男。じっとしているのを見た者はない。居るのやら、居ないのやら。
されど、子供が生まれてるところをみると、いつのまにやら、帰っては再び走り回っているのだろう。
いつものことだった。
大工の住宅の前、隅っこにこっそり寄せ集められてる植木は、全部ちっちゃな幼木。
桑(kuwa)の幼木と、けやき(keyaki)の幼木だった!
3_或る少女「おけい」の追憶・・・悪夢「会津落城の去年」
17歳の町娘、おけいの脳裏に、去年(明治元年:1868年)の悪夢が蘇る。
奥州列藩は将棋倒し。その名は有名無実と化した。耐えに耐え続けた会津。
近隣諸藩が、次から次へと転び落ちる。四面楚歌に陥った。戦況は見え透いていた。
男達の戦死は、毎日、毎日。たくさんありすぎて、おけいには、もう何が何だか解らない程。
大切な人の命だというのに、どうして、こんな恐ろしい事があっていいのだろう。
ところが、同年、 8月23日(1868/10/8)には、主要家老の神保内蔵助、及び、田中土佐が自刃を遂げた。
松平容保は両腕を失ったも同然。
しかしながら、なんといっても、少年ばかりの隊、白虎隊士中二番隊の集団自刃事件は、
あまりにも強烈だった。飯盛山の白虎隊の悲劇。上記同様8月23日。皆の心に暗い影を落とし込んだ。
少年ばかりのこの隊は、この時、飯盛山に布陣していた。
街に立ち上る火の手を見て、城が燃え落ちたと錯覚したからだった。
「ああ!なんたることぞ!」
飯盛山の山上から、少年達は、赤々と燃える町の火を見た。
全身の力が抜けた。がっくりと地に膝をつくなり、皆、悔し涙に泣き濡れた。
「 お城が燃える。我らの城が・・・。我らの誇り。
我らの鶴ヶ城も藩主様も・・・。もはや皆、散華の時が来たり。無念也!」
奇跡的に助かった一人(
飯沼貞吉
)を除き、全員が切腹して果てた。
19名の哀れ少年達。白虎隊はこの他にも数隊あるが、主には
15歳前後。中には13歳も居る。少年といっても主戦力に
なりうる17~18歳は稀。大きい子は既に大人達の群の中、
戦闘に及び、討ち死している。
負傷や過度の疲労が原因で、自刃できる力無き者は、
友と対になって、互いに刺し違えて果てた。
力及ばず、死に切れずに呻く者には、年長の少年が介錯を
為して苦しみを取り除いてやったという。
夢も恋も、まだこれからの年齢、幼い少年達が皆、
天上の彼方へ飛び去った。
そして、悲劇はまだまだ続く。婦女子の多くが、次から次へと自刃。
「捉えられて、敵に生き恥曝すまい。」
侍の娘として生まれた以上、彼女達の観念だった。
十代前半の子は、母に諭され、観念して辞世の句を詠み、健気にも自ら喉を突いて果てた。
幼くて何も解らぬ幼児は、泣く泣く母が、その命を断った。(関連:
西郷千重子
:西郷頼母の妻)
中野竹子
率いる娘子隊の他、
原五郎の母及び姉妹
など、女子なれど武芸に秀でる者は、
勇敢に敵に立ち向い、闘って討ち死を遂げた。一方、砲術に秀でた
山本八重子
は長い黒髪を断ち切り、
男装して男達の群れの中で、最後の最後まで戦い続けていた。
しかし、同9月14日(1868/10/29)、ついに、鶴ヶ城は、新政府の一斉砲撃を受ける。
糧も果て、夥しい死者。弔う場もなく、篭城の人々は泣く泣く哀れな親族の遺体を古井戸に投げ入れて、
振るえ泣きながら、合掌した。篭城の限界。もう、それしか手段がなかった。
この話を『おけい』が初に聞いた時、
「なんと惨いことを!」
思わず泣いた。
しかし、老婆に諭された。
「お侍様の奥方様達がなされた事は、けっして過ちなど、ないものじゃ。
己もいつ死ぬか解らぬ状態じゃ。若いおなごの屍なんぞ、曝しておいたら、
ろくなことないさ。戦とは、人が悪霊に化けるんじゃ。
敵が乗り込んだ時、屍とて、悪霊の餌食になってしまうからじゃろうよ。仏の為じゃ。」
・・・老婆は語った。
女の身とは、なんと悲しいものだろうか!おけいは再び泣いた。死んで屍となった後にまで、屈辱を
受け止めねばならぬ。それが乙女の宿命だったとは、それまで少しも知らなかった。
同年9月22(1868/11/6)、ついに屈辱の時が来た。
鶴ヶ城には白旗が虚しく風に靡く。
もはや開城の時。 降伏の儀式が執り行われた。
皆が心底慕う尊いお方、藩主様は、
ついに降伏をなされたのだった。
なんの為の降伏だろう!!
勝てぬ戦ゆえ、確かに
これ以上犠牲を出せまい。
それは、少女『おけい』とて解る。
されど、考えれば考える程、解らない。
!!なぜゆえ、あれ程尊いお方が、罪人!?
なぜゆえ、あれ程尊いお方が、罪人として降伏せねばならぬのか!?
天下の会津。民の誇り。容保様が薩長ごときに屈したという。
※
薩長
とは:雄藩。官軍の総司令元の藩:薩摩藩+長州藩
会津藩主、松平容保様は藩主であると同時に、京都守護職として、京の治安に命掛けで
対処なされて、この国を守ってきて下さった勇敢なお方。もう亡くなった人を思っても仕方ないけど、
孝明天皇には、あれ程ご厚情を賜った尊いお方。
それだというのに、なぜゆえ、『朝敵※』になされねばならぬのか。
徳川報恩だけに留まらず、あれほどミカドに尽くし続けたお方が、『朝敵』の汚名とは!
※
『朝敵』とは
:皇国の天皇に弓引いた天下の大悪人。征伐の正当化口実。昔から、『朝敵』
の汚名を被れば最後。たとえ私利の殺戮とて、即時美徳に化ける。因みに、もっとずっと昔、
源頼朝は、弟の義経を討伐する際、ミカドに力で迫り、『朝敵の烙印』を弟に。
同年10月19日(1868/12/2)、寒さが身に沁みる。奥州は、早くも冬の砌。
既に藩士達は謹慎に送り込まれている。ついに藩主、松平容保は僅かばかりの随従藩士を従えて、
東京と改名になった江戸へ送り込まれた。
残された藩士達、男は皆、謹慎の為、捕われ人。焼け野原の街、残るは、生き残りの婦女子と、老人子供のみ。
この瞬間、会津人は全てを失った。
屍色のこの街、最後の心のよりどころ、古都会津の誇り、藩主様を失った。
こうして、人々は、奥州の白い雪に閉ざされていった。
「賊、葬るべからず。」新政府から高札があがった。葬るなれば、その者は斬首。
なんと惨い事を。放置されたままの遺体。
生き残りの人々、その精神は、拷問状態に等しかった。
「葬ること」が許されぬ時、
愛する者の死が、たとえどんなに
悲惨なものだったとしても、
せめて葬ることさえできれば・・・
たとえそこには一輪の花もなく、
経をよむ間もなく・・・だとしても
残された者にとって、
「葬り弔うが可なる場合」と
「それが叶わなぬ場合」とでは、
心の苦しみの差異は、比較の術もない。
意識の中で、いつまでも終わらない・・・
4_蝦夷の地:榎本武揚率いる『徳川脱走軍』に於ける会津人
明治2年3月(1869/4)のこと。世は徳川幕府が滅び、明治政府とやら。
それでも、遥か遠く、蝦夷の地では、榎本武揚率いる『徳川脱走軍※』達が、前年明治元年10月、
蝦夷上陸時から、引き続き箱館を拠点に、最後の決戦に挑んでいる。無論、会津兵もこの群の中に
多く居る。会津の生き残り、及び、江戸周辺で幕府の砲隊に属していた者達は、そのまま蝦夷へ向っている。
■※:『徳川脱走軍』とは:幕臣及び左幕派の諸藩人による。(東軍)脱走とは、
徳川慶喜への配慮から、徳川の意思ではなく、我らの独断であるとする意から、自ら
名乗った。つまり、謙遜であり、かつ徳川への遠慮にすぎない。意思は幕軍そのもの。
城を焼かれて奪われて、藩主様に屈辱を!まさに、会津魂爆裂だ。
たとえ、己が死のうと、それは、もはや二の次だ。命果てても、この雪辱だけは許せぬ。
前年(明治元年)蝦夷到着の初っぱなから、会津人の突貫は凄まじい。完全自己犠牲の突貫。
若い命が散った。
あたり一面真っ白な白銀の世界、
蝦夷の地に、たちまち、
血の色花びらが散った。
無数に狂い咲いては、
たちどころに
乱れ散った赤い花。
関連:■
箱館戦争の幕軍側初戦に於ける犠牲者一覧
、
■
箱館戦争に関しては沢山色々series
、■
突貫の様子1
、■
突貫の様子2
しかしながら、年が明けてからというもの、ろくなことはない。調度この頃(明治2年3月)
榎本軍は、
宮古海戦
(※)に躍り出たはよいが、結果は自滅に近い。官軍の大軍団が蝦夷に溢れ出て、
蝦夷の榎本軍が押し潰されて降伏するのは、もう少し後、5月のこと。
■
宮古海戦
とは■:蝦夷の榎本軍が、宮古湾まで進撃。官軍のふいを突いて
甲鉄(国内では最新の軍艦:ストンウォール号)を乗っ取り奪い取るはずだった。
結果は失敗。死者絶大。
詳しくはこちら
敵艦、「甲鉄艦」奪取作戦
豪雨のごとく降り続く敵弾の中、
アボルタージュ!
甲賀源吾
の怒号が飛んだ。
Abordage!
アボルタージュ!アボルタージュ!
繰り返し連発される。
敵弾を真正面から受けつつ、
甲賀はその位置から一歩も立ち去る
ことなく、ひたすら兵を叱咤激励。
宮古湾海戦についてはこちら
5_それにしても、シュネルという男!
当時は、情報が遅い。軍機密は別として、一般庶民に伝わるのは、だいたい、いつも1~2ヶ月遅れる。
諸外国では、高見の見物。新聞にこんな記事が出た。
「日本のタイクーン軍(榎本軍のこと)は、軍備も優れ、財力も豊か。このぶんなれば、
ミカド軍(明治政府側のこと)は、タイクーン軍に屈するだろう・・・。
蝦夷独立政権は成り立つだろう。
蝦夷上陸、松前の城を落とし、彼らは蝦夷平定に成功した。これで独立政権発足。
榎本の世界が晴れて、デファクトとして認識された。」
■タイクーン軍(榎本軍のこと)≒将軍を応援する意思の軍
■ミカド軍(明治政府側のこと)≒帝(ミカド)≒皇を応援する意思の軍
面白いことに、海外の言葉のほうが、スッキリ単純で意味解りやすいですね。
▲
しかしながら、それは、この段階で既に過去。この段階で、既に諸外国は
局外中立と称しつつ、その実、新政府の味方。
前年の12月(明治元年の12月は旧暦だから、西暦でいえば1868でなくて1869になる)の話が、
この頃沸いている。
まさか、金欠のどん底。軍艦開陽を失ってぼろぼろ状態、痩せ我慢だとは伝わっていない。
悲しきかな、現実はそれだった。
それにしても、シュネルという男、回転が早い。商売柄、情報は早いにせよ、並の頭脳じゃない。
普通、並の男ならば、宮古海戦の情報から、まだ榎本には余力があると見て、たとえ後和算に
なろうとも、この後官軍が蝦夷へ進軍開始する様子を見てから行動に出るはず。
ところが早い。彼の画期的行動は、まさにこの時期だった。
箱館戦争の決着がつく前に、しかも官軍が踏み込む前の段階で、
彼の頭脳の中、答えが出ている証拠。
「待つに与わず。蝦夷に期待するは愚か。行動の時来たり!」
話がややっこしなくなりますが、実は隠れた史実として、こんな経緯がありました。
会津が戊辰に突入した頃、会津の領地は、いわゆる会津だけではありません。蝦夷に僅かな分領を
持っていました。米沢藩も同様。そこで、財政難を乗り切るため、
会津と米沢は密かにプロシアに打診
。
もちろん、間で動いたのはシュネル。プロシアの腰が揚がれば、藩主、松平容保はまずお金をゲット
できます。分領地を売り、お金に。その上、プロシアの援兵も期待してました。幕軍応援者である
シュネルも、各奥州列藩の藩に、援兵説をほのめかしています。
ところが、案は、あっさり没。プロシアは動きません。その一方で、これは別件ですが、
確かに、プロシアのガルトネルが、蝦夷の地、七重99年土地租借契約(※)を榎本武揚相手に調印成功。
■※:
七重99年土地租借契約
とは:
これは、後々、実にややっこしくなります。明治政府の大事件の一つと発展。
しかしながら、そこで、屈しないのがシュネル。一案潰れど、次は、もはや自力本願。
いずれの国とて、国を頼るは愚か。自らの大脱走プランへ発展してゆきます。
6_子守役の町娘_おけい
少女『おけい』の仕事は、平松武兵衛様の
お屋敷で、女中兼子守役。この家に奉公していた。
奥方は日本人。勿論、お侍様のお家柄。
奥方様のお腹が次第に目立ち始めたと思いき、
たちまち、ここんところ、本当に大きくなった。
お腹に二人目の子を宿していたどころか、
今にも生まれそう。
大きな大きなお腹になってきた。
されど、流石は武士の娘。夫はいつも多忙で東へ西へ。留守の夫になりかわって、
てきぱき動く。じっと奥様業やってられない。次から次へと訪問客。
子の世話に時間を費やすことができない毎日。子供の名前は、フランシスという。
上記のとおり、母親が多忙だから、子育て係はもっぱら、『おけい』。この子は、『おけい』が
居なけりゃ、泣いてばかり。『おけい』が居なけりゃ、死んでしまうのではないか?・・・
と思うほど、彼女によく懐いていた。
フランシスという名は、女児もいるが、どちらかというと、先に男児を思い浮かべるが、
シュネルこと、平松武兵衛の子は女児。可愛い目をした二世の女の子。もう二歳になる為、
チョロチョロ動いて、なかなか手間がかかる。それでも、可愛いくて仕方ない。
『おけい』はそろそろ嫁入り適齢期。だけど、そんな事は考えてる間がない。
寝ても覚めても、フランシス。
暫し留守だった主君、シュネルが、突然帰ってきた。
7_急転直下、突然の『メリケン国の話』
突如、『おけい』の運命が決まった。なんと、メリケンの国へ行かねばならぬ。
会津が降伏した後も、確かに奥方様のもとへ訪れる者達の動きは異様だった。
名を伏せて、代人が来ることもあった。いやな予感が的中だ。
知っていたといえば、本当はそうだったかもしれない。
生まれ育った会津を捨てねばならぬ。父母にも今生の別れ。
しかし、フランシスは、『おけい』に、まるで『くっつき虫』状態。
「『おけい』が居なけりゃ、この子は、今にも死んでしまいそうね。」
いつか、奥方様が、そう言って笑った。戦禍の中でも、奥方様は気丈に振る舞い、おけいに
そんな冗談を言ったこともあった。されど、それは今や過去。
今、ふと思う。・・・本当かもしれない。つぶらな青い瞳を見ると、本当にそう思えてくる。
寧ろ、この子から離れられない自分がここに居る。
シュネルは、メリケンの国に、皆を助ける世界を築くのだそうだ。夢のような話。今拘禁同然の藩主様。
されど、是非とも許されて、その暁には、藩主様にお来し願うのだそうだ。
近々、この國(※)は、きっと官軍に接収されてしまうだろうと、シュネルが言う。
※:國とは現在の感覚でいう国と別で、この場合会津藩の地のこと。ピンと来ない時、
「一言喋れば、お國が知れる」という言い回し聞いたことないですか?○○地方、
○○方面とか、そんなかんじ。上総國とか、常陸國とか。一般的には地域や方面。
『おけい』は、立ち聞きしたわけじゃないのだけど、うっかり聞いてしまった。
なんと、シュネルがいつにもなく、奥方様を強烈に叱った。
「されば、萱野様は、どうなってしまわれるのですか?」
奥方様のたった一言。
ところが、シュネルは大激怒。大声張り上げて、妻を叱り付けていた。
・・・藩主様は、必ず、ご無事で下される。
祈りなさい。必ずです。祈るだけでいいのです。
シュネルは、そう言った。
皆が築く夢の理想郷に、藩主様、松平容保を、やがてお迎えするのだという。
禁句なれば、けっして、これっぽっちも口には出せないけれど、少女おけいとて、悪寒が走る。
萱野権兵衛
は、家臣として、東京に送り込まれた藩主様、松平容保に付き従って、同じく東京で謹慎中。
されど、奥州列藩の首謀者達には、この頃いやな噂が流れている。鳥羽伏見以来の戦犯処理、
各藩の首謀者責任追及として、家老達に受難が到来しようとしている。 (
首の犠牲_譜代小藩&代官所
恭順の早かった藩については、それらよりも早く、早々に『主要家老の責任切腹』が済まされている。
首を差し出し、藩は細々命拾い。
いずれの場合も、家老は、『臣たる者の掟』。
「一藩の罪は我に有り。戦犯首謀者は我也。罪は藩主に非ず。」
・・・皆、責任切腹を果たしている。藩主の存命と、藩の相続を引き換え条件に、自ら罪を背負い、
己の命を捧げる。それが、『臣たる者の掟』。
ひとたび、禄を食んだ者である以上、
永久の報恩。武士の掟。
関連:
臣たる者の掟=責任切腹(hara-kiri)
。
リンク先は、桑名藩の犠牲:森弥一左衛門。桑名藩主:松平定敬は、松平容保(会津藩主)の実弟。
藩主を守り、罪を被って切腹したのは、上記森弥一左衛門
:■
森弥一左衛門1
,■
森弥一左衛門2
8_シュネルの語る夢の構想
若きにありては、余力有りの者には、殉死のみが報恩ではないと、外国人のシュネルが言う。
『報恩の里』を築くのだという。
養蚕技術は、世界中、押しも押されもしない。日本が王道。機織りに関しても、美しい錦。
これは、とても外国人には真似などできない。そして、日本の香ばしいお茶がある。
江戸時代、私的貿易は、ご法度ながら、密かに密貿易(※)で巨額の富を得た者が、現に居るではないか。
※:お茶の密貿易で巨額を得た人物例:
大浦慶
:坂本龍馬他志士のバックアップウーマンとして知られる長崎の女店主
良質の絹とお茶を生産するなれば、全世界のシェアを獲得できる。必ずだ。
シュネルは、力強く、そう言い切るのだった。
材木町の大工達の一部が、シュネルの周囲に、密かに結集している。
日本には、『けやき(keyaki)』の木がある。歳月を経ても歪みの少ない上質の木材となる樹木。
いつ藩主様にお来し頂いても恥ずかしくないお屋敷を建てよう。
数年は、歯を食い縛ろう。食うや食わずや、それなら、この地も同じ。
されば新天地に、男の意地を架けようではないか。屍色の町から逃れて、いざ、新天地へ。
そこは思想の弾圧もない。祈りも弔いも阻まれることはない。
『弔い』が許されぬなどといった馬鹿げた話など、もう金輪際無縁だ!
▼注:この項「ノアの箱舟」に関してはイマジネーション創作部分&比喩と割り切って下さい。
他の項に関しては、素人につき不備多々と存じますが、それなりにぼそぼそ調べて書いて
いますが、ノアの箱舟は裏付無です。
或る晩、シュネルの語る話を、被り物をした不思議な人々が、じっと聞いていた。
シュネルは、延々人々に、語る。なにやら不思議な物語。
昔々、或る所にノアさんという人が居ました。人間達は争いばかりやっているから、
神は地上に裁きを下そうとなされました。
その頃、ノアさんという人は、とても正直な人で、なんとかみんなを助けようと、大きな、大きな船を
コツコツ作ります。普通の人は、そんな彼を嘲笑いました。
洪水など来るわけはない。そんな変てこりんな船、一体誰が乗るものか!
ところが、洪水は本当にやって来ました。助かったのは、その船に乗った人達だけでした。
信じた人だけ、助かったのです。
本当に信じた人は助かったのです。
助かった人達は、神様に
感謝の祈りを捧げました。
シュネルの話が終わった時、
人々は深く頷いていた。
9_黙して浮上、水面下の『一部の者達』
シュネルの怒りと、ノアの箱舟
明治政府の弾圧は、江戸時代どころでない。江戸幕府が瓦解した明治元年(1868年)、主権は明治政府。
世は、徳川か、官軍かの大騒ぎの幕末。それに振り回されて、二の次扱いで、ほとんど歴史の別件
扱いで埋もれているが、同じ頃に、長崎の『浦上四番崩れ』と言われる捕縛された切支丹の受難が
壮烈化している時期でもある。
『浦上四番崩れ(≒捕縛された長崎の隠れ切支丹)』の宿命は、江戸時代に始まったものながら、
強烈決行は明治政府。長崎の浦上キリシタンが次々と、津和野、萩、福山へ配流されて弾圧を受ける。
恐怖の受難。殉教。
『浦上四番崩れ』の宿命
(現頁下側バナー有)は、この後、さらに残忍性を増して、
まだまだ続く。
■ 各藩の中でも津和野藩の拷問は特に有名。しかし、これは津和野が惨忍だったからではなく、
津和野は、経緯上、官軍に信服の意をこれでもか、これでもかと示さねばならぬ立場。背後に雄藩、
長州の目が光る。福山も長州に転んだ藩。
このとおり。(福山の内情:このあたりから読み始め、
できればseriesTOPからお読み頂きますともっと解ります。
)
シュネルの怒りは半端でなかった。
「なにが、世直し!なにが、官軍!なにが、錦の御旗!どこが新政府なものか!
惨忍の極みが、ぬけぬけと、よくも世直しなどと、名乗りやがる!偽善者め!」
浦上四番崩れの拷問
は、もう耐え難い。許せない!
水責め、雪責め、氷責め、火責め、磔。それだけじゃない。子供の拷問まで行われたというではないか。
危ない!このままでは、やがて悪魔の手は奥州にも及ぶに違いない!
SERIES:
No.0:目次
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No.10_アカバネ・シュネルの大爆発!
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