「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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箱館戦争,幕末虹の彼方へ(諏訪常吉1編
幕末,箱館戦争,会津の英雄,諏訪常吉の手紙,会津の悲惨,小野権之丞,官軍上陸_民心離反,矢不来,石田五助,松前落城,三上超順,葬ることが許されぬ時,伴百悦,【楽天市場】
幕末の虹の彼方へ_No.1,箱館戦争,諏訪常吉の置手紙,幕末動乱維新の人々
幕末_WITH_LOVE玄関
<幕末のオーバーザレインボー(現在の頁)
幕末の・・・「オーバー・ザ_レインボー」
明治2年5月(1869年)
現在の頁_No.1
次の頁_No.2
次の頁_No.4
シリーズNo.1
第一章_諏訪常吉
■(1)会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い
_虹の彼方へ
■(2)昭和の世まで埋もれていた無縁仏
■(3)暗雲を凌ぐ
■(4)敵の見舞い客
■(5)責任と永眠
■(6)諏訪の愛した会津
■(7)葬ることが許されぬ時
シリーズNo.1
第二章_諏訪の懊悩
_手紙に至る迄:その由縁
■(8)あの冬さえなかったならば
■(9)息苦しい魔の冬
■(9)_2_悪夢_冬間の事件
■(10)沈黙の雪
■(11)追憶_交差する思い_敵落城
■(12)追憶_松前の家臣達
■(13A)追憶_熊石、集団降伏
■(13B)遥かなる標
■(13C)阿修羅のごとく_三上超順
■(14)榎本の奇跡
シリーズNo.2
第一章_諏訪の懊悩
_手紙に至る迄:その由縁
■(15)群青_松前を去りゆく男達
・・・我もまた、一人の兵士也
シリーズNo.2
第二章_蝦夷の水面下
■(16)冬の針葉樹
・・・冬晴れの日、大地の神
■(17)官軍上陸_民心離反
・・・*民心離反
・・・*雄藩の黒い影
■(18)諏訪の決断_手紙
・・・*賊の置手紙
・・・*さらなる会津の汚名_腰抜け
・・・*榎本の怒り
シリーズNo.2
第三章_魔の矢不来
■(19)少年と英雄
・(19A)副将_安部井政治
・・・大地に炸裂_会津の汚名返上
・(19B)少年_石田五助
・(19C)少年_五助のさまよえる魂
次の頁_No.3
シリーズNo.2
第三章_魔の矢不来の続き
・(19D)弟_石田和助と白虎隊
■(20)安部井の死に泣いた榎本
シリーズNo.3
第一章_箱館の長い坂道
■(21)病院掛_小野権之丞
■(22)山鳩の声
■(23)兄_古屋佐久左衛門と
・・・弟_ 高松凌雲
■(24)見舞い客、問題の手紙
■(25)箱館の姿見坂
■(26)THE_END
・・・幕末の_オーバーザレインボー
シリーズNo.4A
幕軍&松前えとせとら_No.1
■安定さえすれば・・の夢
・・・技術と科学、そして緑
■農学への期待
・・・緑が目に沁みる&榎本公園
シリーズNo.4B_No.2
幕軍&松前えとせとら
■松前の烈女_川内美岐
■城を枕に松前老家臣_田村量吉
■漏れていたスパイ情報
官軍がなぜ乙部から上陸したか?
・・※津軽弘前藩_「福士源之助」謀報
・・※フランス領事デュースから、
・・・新政府外国官判事_小野淳輔へ謀報
■榎本到着が早ければ会えた人
・・左幕派の賢人達
松前勘解由、山下雄城、蠣崎監三、関左守
■松前勘解由の「老獪_こんにゃく問答」
・・箱館に於けるペリーとの対談
■初め松前が弱かったのはなぜ?
・・◇クーデター、◇蝦夷感情松前感情
・◇石井梅太郎事件、◇
■内国植民地の発想
■松前13代藩主_徳広
■松前12代藩主_崇広
・◇五稜郭、松前城建造、北辺の守り
・◇撃たれた飛ぶ鳥
・◇イギリア号事件
・◇崇広&将軍_家茂、深夜の密談
■凝り性がタマに傷、名将_家茂秘話
■会津のプライド
・◇錦の御旗
・◇岩倉具視の奇策
・ ◇こぼれ話
No.1
(現在頁)<
No.2
<
No.3
<
No.4A
<
No.4B
会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い_虹の彼方へ_(1)
■シリーズNo.1(1)会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い
小子儀、
素より戦を好まずに候
いつまでも闘い、
いつまでも多くの命を奪い続ける
「おろかな戦争」など、もう
やめようではないか・・・
遠ざかる意識の中で、
彼の瞼には、どんな光景が
映し出されていたことだろうか。
諏訪常吉
会津遊撃隊長:矢不来で致命傷。真意に於ける「和平の橋渡し役」
シリーズNo.1(2)_昭和の世まで、ずっと埋もれていた「無縁仏」
研究者とご子孫の情熱でやっと墓が発見されたのは、昭和中期。しかも無縁仏として。
隊長であったにもかかわらず、なぜ・・・?
部下達の英雄伝は早い時代から伝わっている。にもかかわらず、隊長である彼にまつわる話は、
地元会津にも手がかりがなかった。どうやら訳があったようだ。
無縁仏の墓が並ぶ一角、旧斗南藩_諏訪常吉。幸い名前が有り発見できたのだ。会津は移封されたため、
元会津の人に対して,旧斗南藩がつく。まさか、この一角にあろうとは、長い間、だれしも想像つかなかった。
多くの仲間が眠る同じ函館の実行寺。発見された時には、ご住職もご読経下り、後日墓は改められた。
今ここに彼を、彼こそ、英雄として、讃えたい。享年34歳。
暗雲を凌ぐ
シリーズNo.1(3)
昨日(M2/5/11)の段階で、この病院は、いわば捕虜になったも同然状態だった。
土方歳三を失い(
函館総攻撃
)、五稜郭と箱館は完全に分断されている。回天も蟠龍も失った。
高龍寺の分院では、医師も患者も共に皆燃え盛る火の中、惨殺された。
敵はこの病院にも乗り込んだ。騒然とした空気の中、
院長_高松凌雲
の対処は素早かった。
「患者は恐怖に耐えるだけで良い。」鋭い声だった。
しかし、沈着冷静に敵と対座する高松の姿に、患者達も落ち着きを取り戻した。
高松は敵にこう言い切った。
「治癒後完治なれば捕らえるなり、糾問するなりそれは結構。しかし、現在ここにいる者は全て患者である。」
彼の冷静な判断で、この病院だけは命拾いした。
しかし、その引き換え条件は、無抵抗、無逃亡・・・イコール捕虜の立場を認めたことになる。
病院掛_小野権之丞
は、彼もまた、辛うじて命拾いをした。
病院保護の依頼でロシア領事を尋ねた帰り道、捕らえられ、八幡神社の木に縛り付けられたのだ。
官軍の治療も行った実績の病院、その「掛」という本人発言が事実と判明し、夕刻やっと釈放された。
彼は、病院掛といっても、医者ではなく、実は戦闘に立つ・・・完全な侍である。
しかし円熟の51歳。人生経験が役立った。
窮地に至っても、冷静に対処、あくまで「病院の者」として、振る舞いを一貫したのである。
抜刀しなくとも、刀に手を掛けた段階で、いける男なのか、否かは手付き一つで、一目瞭然となる。
小野は刀など触れもしなかった。
小野には、死ぬに死ねない訳があった。
今、病院には、それまで会津を率いた隊長、諏訪がいる。瀕死の重傷である。
今、戦闘に立つ会津遊撃隊は長を失っている。
・・・五十一歳の小野もまた、一人の会津藩士であった。
敵の「見舞い客」
シリーズNo.1(4)
M2/5/12
しかしながら、運命とは皮肉なものである。
諏訪の和平交渉は、屈辱の「恭順の薦め」
という形でも歪めて持ち込まれるはめになった。
昨日に引き続き、病院へやってきた官軍。
用件は既に想定がついており、高松も小野も、
腹は決まっている。
しかし、予期せざる発言に狼狽した。
「諏訪常吉殿は何処か?見舞いに参った。」
ところが、諏訪自身は、会話はおろか、
呼吸することすら苦しい瀕死の状態である。
「捕虜」の立場を正式に認めるに依存はなかった。
がしかし、「攻め」は思わぬ角度から入ってきた。
さてはあの手紙。問題のあの手紙!
高松も小野も、思わず唸った。・・余計なことになった。
明治2年5月12日:官軍の見舞い客とは、「池田次郎兵衛」「村橋久成(=直衛)」他計4、5人。
この人物について関連::薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達
_No.1
英士の末路:村橋久成
<No.2
真実の人:池田次郎兵衛
他関連:
サイトTOP
<
幕末スポット
_函館戦争の余波
◆
敵への報恩、軍艦高雄、船将:田島圭蔵
<◆
空転!松前に齎された和平交渉
小野の全身は激しく震えていた。怒りと屈辱と悲しみと・・・。
彼は確かに50歳、若くない。しかし武士として武士らしく戦闘の場に
命を捧げるつもりで参加した男である。・・・がしかし、任命されたのは病院掛(病院事務局長)。
・・・実は不服だった。
しかし、まさか、こんな運命が訪れようとは・・・。
突如、予期せざる重圧が肩にのしかかり、運命を左右される身になったのだ。
No.1(5)責任と永眠
そして・・・諏訪常吉、永眠。
五稜郭幹部会議において、ついに降伏が決定なされたその日(実質降伏の前日)、
全く同じその日、高松稜雲の病院に入院中の諏訪は、
静かに息を引取りました。明治2年、5月16日。
重症の為、自刃する力もなく、おそらく自ら舌を噛み切ることも、
できないほど、ひどく衰弱していたことだろう。
(もっとも、高松院長は彼ら患者全員から武器を取り上げ、預かっている状態だったのではありますが
沈黙の事実故、真相不明ながら、当日、本人の依頼にて、モルヒネかもしれない。
だとすれば、語ることもできない、目を開けることもおぼつかない・・・そんな瀕死の男が
必死で、なんらかの手段でそれを訴えた・・・親しい者なれば、悲しきかな、それが不思議と
伝わるものかもしれない。・・・森鴎外の「高瀬舟」みたいな境地で、小野が黙って頷いたとすれば・・これは辛い。
床上ながら、一種の責任切腹であり、看取った小野は、即ち、介錯の意ともなろうか。
明治22.4.2永眠の
小野権之丞
(1818~1889)殿にも心より合掌。
決定権者はもちろん院長、高松稜雲。一般的に、高松凌雲 が「病人、怪我人の為を超越して、
平和の為に、尊い命のために、赤十字の精神をもって・・・降伏をすすめた」と言われていますが、
高松先生、かなり辛口肌。兄は衝鋒隊長_「古屋佐久左衛門」。実は、手紙という経緯が非常に遺憾だった。
しかも同日、兄「古屋佐久左衛門」が、五稜郭に撃ち込まれた砲弾で 重症を負い担ぎ込まれてきた矢先の話である。
諏訪の愛した故郷・・・会津_No.1(6)
会津の終焉は悲惨でした。誰もが聞き知る「白虎隊」の悲劇は
もちろんですが、
葬ることを許されなかったこと。
これが最も悲しいことでした。
葬れば斬首なのです。
累々と連なる屍の山、野犬や烏の餌食となり、喰いちぎられ、
死臭がたちこめ・・・女性や少年の遺体もあるのです。
誰一人、葬ってあげることができない・・・。
しかし、この怨恨は、やがて後日、形を変えて、こんな復讐劇(※真下解説)
発生に繋がるのではありますが・・・
たしかに、どうすることもできない状態。
しかし、それでいながら、「意味不明の自己嫌悪」が自分自身にへばりついて、消えない。
永久にけっして朽ちてゆかない。なぜなのだろうか。
復讐劇発生
少年達の遺体を哀れに思い、葬った
吉田伊惣次
という者が居た。彼は、新政府から戦後処理に
任じられた福井藩士、
久保村文四郎
に、咎められた。「もう一度掘り出して元の山に捨てて来い」と
厳命されたのだ。久保村の独断ではなく、新政府に於いて、掟だったから。罪人(会津=賊軍に
されていたから)葬るべからず。
人々の恨みを駆った久保村は・・・任期終了直後、突如、旧会津藩士に暗殺された。
また、遺体放置末期、烏野獣どころか伝染病などの問題発生を理由に、やっと埋葬許可までこぎつけた
ものの、自ら葬らずに、非人(=当時の用語)に廃棄物処理扱いをさせるなれば可という条件となり、
非道は続いた。
彼らに金を渡し、丁寧な埋葬を依頼しようにも、彼らとて己の命がいくつあっても足りない
・・・と言う。立ち会って指示しながらでなければ、金は一部の誰かに横領され、現場の者は、
罪人塚に乱雑に埋め込むだけだった。しかし、指示も立会いも違法、斬首の領域だ。
自らの手で、きちんと葬ってあげたい一心で、決心して、わざわざ「非人という身分」に自らを
投じ、差別階級の不遇をあえて背負い込んだ人物がいた。完全に人生を復讐一色に染めた。
プライドも地位もそして命も・・・全て犠牲にした。
伴百悦
である。久保村を天誅したのも・・・実は、彼だった。処刑された。
しかし、久保村に天誅を見舞ったところで、福井藩も雄藩の・・・憐れ単なる手下にすぎない。
本格的な復讐に満たなかった。怨恨はずっと続いた。
◆
まだまだ、会津の悲惨
、◆
エリート由縁の脆さ「プライド」
No.1_(7)_「葬ること」が許されぬ時、心のやすらぎは・・・
愛する者の死が、たとえどんなに
悲惨なものだったとしても、
せめて葬ることさえできれば・・・
たとえそこには一輪の花もなく、
経をよむ間もなく・・・だとしても
残された者にとって、
「葬り弔うが可なる場合」と
「それが叶わなぬ場合」とでは、
心の苦しみの差異は、比較の術もない。
意識の中で、いつまでも終わらない・・・
諏訪常吉の瞼にはあの悪夢のような光景が焼き付いて、ぬぐってもぬぐっても
消えなかったのでした。
第2章_手紙に至る迄_その由縁
会津遊撃隊長_諏訪常吉の懊悩
No.1(8)_あの冬さえ、無かったならば・・・
あの冬が・・・いけなかった・・・
それまで、雪国を知らずに育った国の者は、むしろその点だけは幸いだったかもしれない。
故郷と似ても似付かぬ光景なれば、余計な連想には及ばない。
同じ雪化粧でも、北国の険しい山々。連峰。
共に雪国ながら、この地に横たわる広大な雪景色は全く異なる世界だった。
脳裏に浮かぶは、山裾に優美な曲線を描く故郷、会津の山々。
それは、まるで、うっすらと墨を引いた麗しい乙女の眉を
見るようで、うっとりとするものだった。
思い出すだけで、胸がしめつけられそうな郷愁の念は、
瞬時に形を変えてしまう。
絶望的な悲しみ、苦渋の追憶となり、
全身に重く覆いかぶさってきた。
蝦夷の雪は黙々と、降り続いていた。
No.1_(9)_息苦しい魔の冬
■陸と海、不協和音
息苦しい魔の冬。兵達は束の間の休息。
「西の連中は、この雪には腰抜け同然。案の定、責めて来れぬとはのう!」
若い兵達は、僅かな給料ながら金を手にすれば、たちまち安酒に溺れていた。
・・・しかし、その姿は一種、不憫なものだった。
「所詮、この命、いわば籠の鳥よのう。」
「おぬし、その表現、なんとかならぬか?知性の微塵も無いぞ!
やがて散り逝く季節の花にたとえるとか、もう少しまともにならんのか?」
「おう、海軍の連中とはちがうでのう。滅法、腕は立つがのぅ、あいにく、この頭は空っぽじゃ。」
そう言って、兵は大声で笑っていた。
「海軍なんぞ、いい気なもんじゃ。のんべんだらりと海をうろうろしてるだけぞ。
時たま、なにやら砲など撃ってみたりでのう。
あいつら、しまいに開陽まで潰してもうたでないか。」
「さよう、もはや、おぬしの言うとおり、この命、確かに『籠の鳥』・・で、
・・・まあ、この際、それで宜しいということにしておこうかのォ!さあ、飲まんかい!」
口では散々に貶し、若者をからかう中年の男。
しかし、乱暴な手付きながら、男は、若い兵に酒を注いでやっていた。
辛気臭い空気を振り払うためか、兵達は一斉に、声を揃えてなにやら歌い始めた。
「松前泣かすに、刃物は要らんぞ。大声出したら、すぐ逃げる!」
・・・繰り返し耳にするこのフレーズには、誰が初めなのか、いつの間にか、
節まわしがついて、しまいには、こうして歌になっていた。
・・・そんな話題の中、諏訪だけは、嘲えず、黙って席を立った。
No.1_(9)_2_悪夢_冬間の事件
■駐屯地、福山(松前城近郊の福山という地名=備後福山でなく、蝦夷です。)での事件
諏訪常吉には次から次へと苦悩が天から降って沸く。
京都時代も会津調整役として頭の痛い仕事ばかりやってきた彼。彼は文武でいえば文の人。
剣も立つが根本的に文なのだ。割切って鬼になればよいものを、なんとかしようといつも苦しんで
ばかりいる。
その諏訪に、冬間に余計な事件が降ってきた。
兵力増強の為に、榎本軍では地元採用を行い、頭数という意味で質を選びきれない実情だった。
そのため、一部に浪人や浮浪者なども混入していた悲しい実情だった。
諏訪は、福山駐屯中の彼らの隊は極めて民に対する処遇に気配りを怠らなかった。
侵略も強奪も、もちろん許されない。そのため、徐々に町の民にも理解が得られ、
紳士的な諏訪は評判が良かった。兵達も優秀だ。規律などなくてもわかりきったことだった。
だというのに、不愉快な事件が起きた。犯人は地元雇用した浪人なのやら、浮浪者なのやら、いずれにせよ、
つまらぬ男のしわざだった。酒を煽り、獣同然の体で、民家に押し入った。布団に穴をあけて、
そこに己の首をつっこんで、「なまはげ」ごっこのつもりなのか不明だが、とにかく馬鹿げた姿に変装
して、娘に乱暴をしかけた。
思わず捨て身で飛び込んだ当家の老婆を斬り殺した。
その直後、仏の面前
で、己の思いを果たした。娘は哀れ、最愛の祖母の亡骸の真横で、乱暴された。
諏訪は紳士的な男であったが故、さらに背負うものが大きくなった。恐ろしい侵略軍の仕業と思えば、
民は心で憎悪するかわりに、実際は訴えたりしない。典型的な泣き寝入り。野蛮な賊の長と思えば、
訴状などすれば、己まで命が危険だからだ。
しかしながら、長期駐在を予期した彼は民のために、何かにつけて、世話をやいていた。
そのため、話やすい人物だったのだ。民は民で、
そんな彼の人柄を知るに及んで協力体制を持ってくれた。
戦死者のために、墓をたててくれたりした。折角コミュニケーションができた矢先の話なのだ。
諏訪は深く謝罪の上、大きなお金を手渡した。ところが民が受け取らない。
民には民のプライドがある。金で済まされることでないと居直られた。
諏訪は手をついて言った。「せめて、どうか、仏の墓を建てて、弔いに要して下され。」
この後、諏訪は、これだけではおさまらぬ民心の怒り、そして自隊の規律引き締めの意をもって、
民の面前での処刑を決行した。犯人の男は、雪の降り積もった砂浜に下半身を埋められ、斬首となった。
諏訪は血で解決をはかることに、つくづく、京都時代で懲りていた。
その彼が、ここで、己を叱責して、その決断を下した。
プライドのない者は、言語で言ってきかせても効く薬などない。榎本軍は侵略軍ではないにもかかわらず、
これでは蹂躙の繰り広げだ。当然、民心離反に拍車がかかる。
またしても、諏訪の苦しみは深まるばかりだった。
他にも諏訪常吉の苦しみ:
彼は京都守護職、藩主松平容保について京都で公用方の仕事をしていた。
■京都時代の事件_明保野亭事件:元治元年6/10などに於いても、やはり彼は
いつも苦しむ立場にあった。
詳細はこちら
No.1(10)_沈黙の雪
灰色の空を仰ぎ見て、天から降る雪をじっと見つめていると、不思議なものである。
必ず、いつも同じ現象が体に訪れる。不可解な錯覚が始まってくるのだ。
雪が上から下へ舞い落ちるのでなく、
自分の肉体が緩やかに浮上してゆく。
自分自身が天へ向けて、ゆっくりと登りつめてゆく。
緩やかに、微笑みながら・・・。
それは、まさに、恐ろしいようであり、快くもあり・・・懐かしい感覚でもあった。
やがて、うっすらと嗤っている自分を黙殺していた。
白い魔物、雪達は、いたずらに諏訪の心に、故郷会津を思わせ、悲しみを倍増させていった。
何もかも、雪が埋め尽くす。悲しみも屍も、無情に全て、銀世界。
しかし、やがて、春、残雪を割って、ふきのとうが芽を吹くだろう。鮮やかな萌黄色。
諏訪は、あの冬、初子が生まれた時のことをふと、思い出していた。
初産の女房は体調思わしくなく、生まれた子は、見るからに小さく弱々しい子だった。
しかし、この小さな赤子が無事、春を迎えてくれた時、
妻と二人、手を取り合って、どんだけ喜んだことだったろうか。
過酷な冬を生き抜いた者だけが目にすることができる、生の喜び。
あの時、目にはふきのとうの色彩が鮮やかだった。
しかし、今は、その色彩を思っただけで、背筋が寒くなる。
あたかも惨忍な魔物のごとく毒々しく感じられて仕方ないのだ。
雪が溶け出し、山肌の色が露出すると、きっと
あの悲しみも、一緒に溶け出してしまう。屍に降り積もった悲しみが一気に流れ出してくる。
・・・・
「いっそ、春など、要らぬ!」
「雪よ、降れ。降り積もれ。
白い魔物達よ、いっそ、そのまま。そのまま、万事覆い尽くしてしまえ!」
諏訪本人とは別の男・・・もう一人の自分が、どこかで、そう叫んでいた。
No.1(10)_追憶_交差する思い_敵の落城
交差する思い
時代の流れに翻弄される・・・北の孤島藩、
松前藩の哀れな姿は、諏訪の意識の中で、
自藩の結末とからみついて、複雑な気持となり、
窒息しそうだった。
何度もこの思いを打ち消そうと闘った。
「たかが、蝦夷の弱小藩ではないか!」意識と裏腹、わざと松前を貶してみるのでした。
交差する意識を自分自身、体の奥から、完璧に追放するために・・・。
我が会津は何の関連もない・・・我は「天下の会津」ではないか!
・・・が、しかし、
諏訪は、生きながらにして、その魂は亡霊のごとくさまよっていきました。
炎に包まれた会津の町。城の門は固く閉ざされていた。
城を枕に討ち死を思うとて、入る術さえ、もはやなかった。
勝って気が晴れぬ、松前落城。諏訪の胸中、
敗者の意識が折り重なった。
No.1(12)_追憶_松前の家臣達
敵の持つ兵器は古く、また、門を開けたりしめたりしながら、大砲をボン!と
撃つ・・・などという随分古ダサい作戦。
百戦錬磨の土方にとっては、「一瞬裏があるのでは?」と悩むほど単純。
門を開いてボンスカボン!ガラガラ閉じて、弾込めて・・・
たちまち土方戦法。松前はあっさりやられてしまいました。
土方は、大砲に退くどころか、門を閉めた隙に、逆に銃隊を門の直近距離まで一気に
走らせ、大砲の砲手目掛けて一斉射撃させたわけです。
悲しい程のイチコロ状態
でした。
松前の老家臣、
田村量吉
が切腹。足軽の奥さん、
北島美岐(川内美岐)
も鋏で喉をついて自刃。
赤子の腕をひねるがごとく、まるで弱かった松前の旧式戦法と兵器。
なぜ、当初、松前がこんなに弱かった?考察
No.1(13A)_追憶_熊石でついに力尽き、集団降伏_松前の男達
「ご城主様は無事、落ち延びあそばされた。どうかご無事で・・・」
病弱な藩主の無事を祈り、400人以上の男達が皆、泣いた。
「ご城主様さえ、ご無事なれば、もはや、我が命ごときに、何の未練もあるまい・・・」
荒れ狂う北の海、いつまでも、男達の号泣の声が響いていた。
こんなに大勢生き残っているのだ。闘えば、闘える。
たとえ全滅しようとも・・・しかし
・・・
遥かなる標_No.1(13B)
彼らは羅針盤を失っていた。
道しるべを失ったのだ。主だった幹部は城主と共に発った。
発たずに、ここに留まり、皆を奮い立て、今日まで兵を率いてきた
英雄、「三上」も散った。
涙に潤む目には、もはや、星が見えない。何も見えない。
生まれ育った松前の大地は白い無常の雪に覆われている。
彼らにとっては、何もない・・・・
・・・・・
藩主様の松前は、もう、どこにもない。
敵_松前の英雄_阿修羅のごとく_三上超順_No.1(13C)
藩主の退路を保つ為、館城を枕に奮戦した「
三上超順
」。
後になって思い起こせば、「敵ながらあっぱれ」と誰しも胸が痛んだ。
たった一人で次から次と斬る。やたらに強い。松前にもこんな男が居たのか?油断してかかった
者がいたとすれば、当然、二度と物語れぬあの世逝き。次々と斬られた。
男らしく武士の鏡、正々堂々と一騎撃ちで勝負を挑んだ英雄も殺られた。とにかく強い。
丸坊主頭の大男は、左手に鍋の蓋だか、まな板だか、それを盾にして、右手だけで闘う。
周囲が片付き、ついに一人
となった折にも、
逃げるどころか、
阿修羅のごとく闘った。
あっという間にまたさらに
5人が斬られ、これは
たまらんとばかり、
別途ふたり掛りで斬りつけ、
取り押さえ、
惜しいが武士の情、
留めを刺した
・・・といわれる男。
生け捕りに甘んずる
そんな男ではなかった。
また、手に負えなかった
・・・が本音だろうか。
真上の少々怖い像は、三上さんではありません。イメージとして、仁王像。
彼は僧になっていた。・・・清き世を思い、俗なる己を悔いて、悟りの境地を求めた。
若くして、俗世を捨て、出家したのだった。
しかし、松前藩の危機なれば、話は別である。奮起、帰俗して戦った。
松前の地を誇りに、そして江差の活気をこよなく愛し、この地の為に、命を捧げた。
僧風・・といっても若い。33歳。松前の革命クーデターに参加、正義隊と称する新派に加わり、
左幕派の家老達を倒し、この日、最後の瞬間まで、猛奮戦して、ついに絶命した。
何がそうさせた?・・・犯人は・・・やはり、戦争だろうか?
三上超順:天保6年(1835)~明治元年(1868)11月15日:享年34。
直前まで松前藩法華寺の僧。帰俗して松前の為に戦う。正義隊に加入。(関連:
松前の事
)
この時、彼が城を枕に戦死した「館城」とは新築したばかり。竣工の10月から一月にも満たない
この日、11/15攻め込まれて焼き払われてしまった。
大男&怪僧「三上超順」と一聯隊の大奮戦
(
三上超順と一聯隊メンバーの大奮闘
)
次々と仲間を片っ端から斬り殺す怪僧をやっつけようと、伊奈誠一郎が飛びかかるが、やられて、
大怪我。(幸い存命だが)。これを助けようと銃を放つは、横田豊三郎ながら不発。雪に滑って
転倒。馬乗りされて今にも斬首されるところ、堀覚之助と、黒沢正介が襲い掛かり、三上を斬殺。
尚、一命は取りとめたものの、体が不自由な状態から離脱できず終いの伊奈誠一郎は、
終焉時、なんと、いやな仕事。運命は恭順の使者。
No.3
No.1(14)_榎本の「奇跡」
集団降伏_泣きに泣いた男達は・・・
捕らえられた捕虜達、往生際の悪い者、中には、やはり無闇に歯向かう者もいた。
しかし、縄目の屈辱程度で済んだ。全員押し込められて、うなだれた。
その間、個々の思いは、皆よく類似したものだった。
「我が身は・・・斬首か、もしくは獄門かもしれぬ。
しかし、自分が影響したが故、今こうして運命を享受するはめに追い込んだ
我が弟よ、我が子よ
・・・・
たとえ、屈辱の捕虜のまま、やがて獄中に命を落とすことになろうとも
願わくは、せめて、年若い彼らの命だけは」
・・・「標」を喪失した男達、祈る対象さえ失っていた。
クーデターの張本人、正義隊と称する新派の幹部大半は、城主と共に青森へ逃げ去っていた。
ここに居る者の多くは、攘夷も、尊王も、左幕もへちまもない。ふりまわされた兵達なのだ。
ただ、ひとつ全員の観念として、しっかり存在しているもの・・・といえば、、
「松前の地を失いたくない、城主様と愛する家族、この地を守りたい。」それだけだった。
夢か現か、幻か?
世にも不思議なことが起きた。
・・・皆、一瞬我が耳を疑った。
夢か現か・・・。もしや、幻ではあるまいか?
・・・全員、一人一人、面接を行う・・というのである。
藩主の居る青森へ行くも、終結まで今は共に闘い、平穏を得た後、北辺の守りと開墾に生涯を
捧げる・・・というこの不思議なブレーンに参加するも、愛する家族と共に帰農して、清く貧しく
暮らすも、選択は自由だった。・・・実に、不思議なことだった。
皆、耳を疑った。
誰一人、命を落とす必要は無い・・そう言われたのだ。
誰一人、斬首されない。捕らえられない。
解放される。・・・未だかつて聞いたことがない。
・・・これが、戦の裁
と言えるだろうか??まさに奇跡か?
まるで、一匹の狐に摘まれたような心地だった。
榎本の精神は崇高だった。
しかし、どの程度彼らの心に浸透できたことだろうか?
また、この段階で深く浸透した者も、愛する家族の存命、松前藩の存続のため、
そして、洗脳やら、立場上の不利やら・・で・・・
結局、ありきたりの言葉ではあるけれど、いつの世も
理想と現実とは果てしなく遠ざかり、生み出す物は、
必ず「皮肉な結果」でしかない。
文章&解説(c)by rankten_@piyo
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群青_松前を去りゆく男達_No.2(14)
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