山川浩の動きと薩摩西郷&大山考察資料編

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会津山川浩と薩摩西郷&大山の絡み糸資料表
山川浩の動きと、薩摩西郷&大山ファミリーの動きから、終結策「捨松の結婚」_No.1

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  • ◆【序章】_婚姻の裏事情は「山川西郷和平協定」、
    ◆【Sec.1】_結婚騒動に直接絡むメンバー:略式に皆を一望、
    ◆【Sec.2】_関与のメンバー人物について:戊辰時の絡みをご紹介、ここまで人の嫁GETに頑張る訳は「かつての命の報恩」
    ・表表紙のキーマンと、裏表紙のキーマン「既に死人:【大山綱良】」とのかつての縁故
    ・・おもて表紙の大山キーマン:◆山川浩、◆山川捨松、◆大山厳、◆西郷隆盛、◆西郷従道、◆吉井友実、
    ▲現在頁、▼ 次頁
    裏表紙のキーマン「既に死人:【大山網良】」とのかつての縁故
    ◆【Sec.3】_死者、大山綱良と西郷大山一族絡み糸と戊辰時事情
    ・西郷隆盛への呵責と、寺田屋過激派処分事件、他
    ◆【Sec.4】_大山家とと西郷家の絡み、
    ◆【Sec.5】_西郷隆盛も、西郷従道も、実は、名前を間違えて登録されてしまった!エピソード、
    ◆【Sec.6】_西郷隆盛の兄弟と、西郷隆盛の以外な側面、
    ◆【Sec.7】_山川捨松が西郷一族に狙われた火種は、山川浩本人が鹿児島に落としてきてしまった!、
    ・山川浩の「不穏な動き」=間諜に察知されている!!
    ・明治5年、元会津の山川浩は、薩摩の大山綱良に連れられて、密かに薩摩へ渡る!!
    ・恐るべく間諜!隠密「荘村省三」という男!!と三条実美
    ◆【Sec.8】_篠田利英について、

【序章】_ 夢物語の裏事情_山川西郷和平協定


◆留学帰りの最新式レディーと、時の陸軍閣下の華々しい結婚式
・・・(しかし、裏事情は、山川西郷和平協定。日本古来の悪い伝統。姫は人質敵陣へ)

時は、明治16年。山川捨松と、大山厳の結婚大騒動。
薩摩の大山厳の後妻として、帰国早々の山川捨松が狙い撃ちされた。妹を奪われてなるものかと、
孤軍奮闘は、会津の山川浩。この時代生きる彼らは戊辰の延長線。戊辰の怨恨が尾を引き摺る。
「誰が、仇敵薩摩に妹をくれてやるもんか!誰が大山などに!冗談じゃないぞ!」
山川浩の猛反撃。しかし、山川浩が敗れて、結果は、二人のゴールイン。
<この行程について:真下バナークリックで総解説: 大山捨松嫁入り騒動:西郷従道の大風呂敷

大山捨松嫁入り騒動:西郷従道の大風呂敷

明治女性が皆、山川捨松と、大山厳の結婚物語に魅了された。
それまで、日本女性は、親兄弟が決めた家と家との絡み結婚に、いや応無しに人形のごとく嫁ぐが宿命。
ところが、山川捨松が求婚者「大山厳」に送りつけた返答書。

「嫁に来いと言われましても、私は貴方様と、まともにお話したことございません。
いわば、見知らぬ人に、お人柄さえ存ぜぬお人に、どうして嫁に行けますか!!」


ここに正式にデートを申し込まれて、共に留学帰りの二人は、息統合。二人の会話は、
日本語でなく、ぺらぺらの英会話。なんて素敵な物語?!現実でありながら、まるで夢物語。
多くの知的女性が衝撃を受けた。また、 世の男性陣も大騒ぎ。なぜならば、山川は会津。
大山は薩摩。仇敵同士の結婚!!


これが、仮に自然なら素晴らしい。ところが、裏事情は、山川西郷和平協定。
互いの恨みつらみに、なんとしてでも終止符を!仕組まれた捕り物帳だった。

当事者の婿殿、大山厳の名は、大山だが、体内を流れる血は西郷。彼は西郷隆盛、従道兄弟の従兄弟。
大山厳の父は、養子として大山家に入っているが、上記西郷兄弟の父親の弟。
早い話、大山の姓はオブラート。実質は、 山川西郷和平協定。

捨松の兄、山川浩にとって、戊辰で会津を潰して賊の汚名を塗ったくったは、官軍。
雄藩の恩大将は、ご存知「西郷隆盛」。その隆盛は、この段階で既に死亡済み。明治10年、
西南の役首謀者として、敗れ割腹自刃。その際、追討軍の先頭に立って張り切って、西郷死滅に
追い込んだ恩大将は、山川浩。因みに、その怨恨たるやいかほどだったかは、真下の詩に滲み出る。
出征の際、山川浩が詠んだ詩。

hata.gif 薩摩人みよや!東の丈夫が提げ佩く太刀は、利きか鈍きか!


そこで、大山の嫁に、西郷一族と隆盛の無二の友人が団結。よってたかって、大襲撃。
断固猛反対の山川浩を攻め落として、婚姻成立に漕ぎつける。

その行程たるや、しつこい、しつこい。幸いこの夫婦は鴛鴦夫婦になるが、嫁として奪い取るまでの
捕り物帳は、凄まじい。しかし、どうして、ここまで西郷一族が頑張ったかというと、
驚異的薩摩の人脈網からすると、戊辰の延長線。単に親戚だからというだけでなく、戊辰の時、
互いに命の報恩。あの時、あの場面で、あの人に救われた。その事情が全員に、複雑怪奇な絡み糸。

実は、 この火種は、知らずして、山川浩、ご本人が、鹿児島に落としてきてしまった!!
・・・のであります。絡み糸を解くと、火種の元は、この段階で既に死者の「大山網良」と解りました。

以下に、 各項目(各項目一覧早見) を、順次ご案内します。

【Sec.1】_結婚騒動に直接絡むメンバー:略式に皆を一望
◆山川浩、◆山川捨松、◆大山厳、◆西郷隆盛、◆西郷従道、◆吉井友実、◆大山綱良、◆

「薄紫色の人物」は、明治16年の「捨松&大山厳結婚」時、既に死亡済みの影のキーマン
  1. 山川浩 :弘化2年11月6日(1845)~明治31年(1898)2月4日:享年53歳
       明治16年(1883)の捨松婚姻騒動の時、38歳
  2. 山川捨松 (=大山捨松):安政7年2月24日(1860)~ 大正8年(1919)2月18日:享年58歳
    • 12歳:留学 明治4年 (1871年)
      22歳:帰国 明治15年 (1882年)暮れ(出発から11年目)
      帰国早々、留学仲間の永井繁子と瓜生外吉の結婚披露宴にて、大山厳と顔合わせ。
      23歳:明治16年(1883年)大山厳と結婚

  3. 大山厳 :天保13年10月10日(1842)~ 大正5年(1916)12月10日:享年74歳
       明治16年(1883)の捨松婚姻騒動の時、41歳
  4. 西郷隆盛 :文政10年12月7日(1828)~ 明治10年(1877)9月24日:享年49歳
    ・・▲<明治10年死亡につき、関係ないが、このチームの最大キーマンにつき記載>
  5. 西郷従道 :天保14年5月4日(1843)~ 明治35年(1902)7月18日:享年59歳
       明治16年(1883)お膳立ての頃、農商務卿で、その頃彼は、40歳。
  6. 吉井友実 :文政11年2月26日(1828)~明治24年(1891)4月22日:享年64歳
       山川捨松と、大山厳の縁組に係る第一号仕掛け人。大山の前妻の父親。娘が死亡した為。
       明治16年(1883)お膳立ての頃、彼は、55歳。
  7. 大山綱良 :裏の引き金:明治5年、山川浩の丸秘の動きに絡む人物。但し、この人も
    西郷隆盛に応援にて、▲<明治10年死亡>

この騒動には関係ないが、名前が出てくる人物
  • 神田乃武:(英語学者:山川捨松へ第一号の求婚者。結果没。、
  • 吉井沢子:大山厳の前妻。三人の子を残し死亡。上記【6番】の吉井友実の娘
  • 永井繁子:(留学仲間):帰国早々、瓜生外吉と結婚。この披露宴で、大山厳と山川捨松が顔合せ。
  • 篠田利英:山川健次郎の教え子。二人の結婚騒動経緯を後の世語った人物。篠田利英について
【Sec.2】_西郷山川安保条約=結婚
山川陣
1
山川浩
(捨松の兄)
明治5(1872)年、山川は入薩を果たしている。(=意味深な動き)
これが実は絡む。火種は、知らずして、山川浩本人が、鹿児島に落としてきてしまった!
絡み糸を解くと、火種の元は、この段階で既に死者の「大山網良」と解りました。
2
山川捨松 (=大山捨松)結婚張本人。
■12歳: 明治4年 (1871):留学生として渡米。■22歳: 明治15年 (1882)帰国。出発から11年目
■23歳:神田乃武(英語学者)からの求婚を拒否。
永井繁子(留学仲間、捨松より2歳下)と瓜生外吉の結婚披露宴出席時、大山厳に会う。
■23歳: 明治16年 (1883)大山厳と結婚。
表面に見える「西郷陣(薩摩藩)」の人々 :cf.裏表紙の大山キーマン(下行)

<現在枠よりも下側にある補足関連項目ガイド>
◆西郷隆盛も、西郷従道も、実は、名前を間違えて登録されてしまった!エピソード
◆西郷兄弟、◆西郷と大山絡み、◆戊辰時に於いて皆互いに命を救われた場面と報恩の絡み、◆西郷隆盛の以外な側面
  • 彼らの意識は、単なる親戚ではない。 戊辰体験に基く互いの呵責と報恩関係 。即ち、人事でも必死で応援する。
     ■大山綱良にとって、西郷隆盛には呵責がある。 ■西郷従道と、大山巌にとって、大山綱良は命の恩人。



3
大山厳
(1842生)
天保13年10月10日(1842)~ 大正5年(1916)12月10日:享年74歳
明治16年(1883)、山川捨松を後妻に迎えた時、41歳。
大山綱昌の二男。江川英龍の塾にて砲術を学ぶ。

大山厳は、西郷隆盛&従道兄弟の従兄弟。前妻の沢子は、吉井友実【6番】の娘。沢子は、3人の子を
産み落として死亡。その父、吉井友実が山川捨松を婿の後妻として、山川捨松を狙い撃ち。
これに故人西郷隆盛の弟:従道が加勢。大活躍。

(エピソード:心系スポット特集: 家族愛と歴史の人
・■ 妻が夫に贈る子守唄:喝采の夫婦愛(夫の天昇の時_大山厳&妻の捨松
(歴史特集内) _ 兄同然に慕った隆盛を討った罪悪感と天昇の時
 大山は故人隆盛を従兄弟ながら、実の兄のごとく思慕。*臨終時、大山は、魘され、うわ言で西郷のことを「兄さぁ」と
 呼んだ。西南の役の際、泣く泣く隆盛征伐軍に参加。その前の段階、隆盛軍に追従して、己も殉死覚悟を伝えたが、
  隆盛に叱り飛ばされ拒否された。「おはんはひっこめ!俺に追従するな。学んだことを明治に生かせ。生きろ!」

4
西郷隆盛
(1828生)
文政10年12月7日(1828)~ 明治10年(1877)9月24日:享年49歳
▲明治10年既死亡につき、大山の再婚騒動に関係ないが、最大キーマンにつき記載
5
西郷従道
(1843生)
隆盛の弟
西郷従道 :天保14年5月4日(1843)~ 明治35年(1902)7月18日:享年59歳
明治16年(1883)婚姻お膳立ての頃、農商務卿で、その頃彼は、40歳。
彼の渾名は「成程大臣」。名の由来は口癖。「成程」。この人物は聞き上手の説得上手。
相手の話をよく聞く。「成程、成程」と相槌を打って安心させて、されどこれが
テクニッシャン。忽ち相手を説き伏せる。山川浩もこの魔術に攻め落とされ、妹の婚姻。

家族愛と歴史の人: 「西郷従道家」:父として、可愛い我が子を失う時
歴史編特集:■ 大山捨松嫁入り騒動:西郷従道の大風呂敷
6
吉井友実
(1828生)

他に名前と変名
・仁左衛門、
・中介、・幸輔
変名:山科兵部
文政11年2月26日(1828)~明治24年(1891)4月22日:享年64歳
山川捨松と、大山厳の縁組に係る第一号仕掛け人。大山の前妻の父親。娘が
死亡した為。婿の後妻GETに活躍。明治16年(1883)お膳立ての頃、彼は、55歳。
官僚。他に、日本鉄道の社長。歌詠みの心得有り。孫の代で一流詩人として有名に。

◆西郷隆盛の無二の親友&幼馴染
<生まれた土地は、隆盛と同じく加治屋町。大久保利通も、税所篤他も、
この畑の産物。皆、貧困畑の下級武士。>
いかに、吉井友実と西郷隆盛の絆が深かったかを物語るエピソード
元治元年(1864年)、島流しだった西郷の復帰を嘆願の上、許されると、
直接島へ足を運び、拾いに行った。
◆西郷隆盛の名前を間違えて登録してしまった張本人。
・西郷隆盛の本名は実は 「隆永」が正解だった!の巻

戊辰時のMEMO
・土佐藩及び坂本龍馬と縁深い。寺田屋襲撃にて怪我した坂本龍馬。現場へ
急行。重症の坂本を護衛して薩摩藩邸へ移動。
・禁門の変の際、長州処置に関して、土佐藩と諮り、意見書を朝廷に建白。
hata.gif 裏表紙の大山キーマン :cf.表に見える「西郷陣」の人々(上行)
7_ 大山綱良
この人物は、明治16年の捨松&大山厳婚姻騒動の時、既に死亡しているが、明治5年山川浩と重大接点有


7


大山綱良
(1825生:既死亡)
=大山格之助
文政八年(1825)~明治10年(1877)。享年53。通称は正圓、角右衛門、格之助。
生地:高麗町(鹿児島城下)。明治の地位は、鹿児島県県令。
実父は樺山善助(善之進、善介)。 綱良 はその二男。
大山家に養子IN。養父は大山四郎助( 大山四郎助 の婿養子となった為)。
藩邸に仕えるは、茶道にも優れていたことから、10歳の時、薩摩藩御数寄屋にて
茶道役に始まる。この人物は剣の達人。大山は薬丸兼武、兼義(半左衛門)
親子に薬丸自顕流の剣術を学び腕を極めた。その上かなり敏捷。
公の立場に立ちながら、隆盛応援露見にて、明治10年斬首された。
NEXT頁:【Sec.3】_死者、大山綱良と西郷大山一族絡み糸と戊辰時事情

大山綱良に係る以下項目
■POINT、■大山綱良の出元ミステリー、■西郷隆盛応援の為に自己犠牲的な姿:手を汚して横領・・・結末は斬首刑
■西郷隆盛への呵責と、寺田屋過激派処分事件、■命をかけて救った二人の少年
■謎多くスッキリしない大山の傍系(綱良の父の出元の謎:大山四郎助はどこへ行った?)、
■大山家と西郷家の絡み、・・・NEXT頁へどうぞ▼
山川浩の動きと、薩摩西郷&大山ファミリーの動きから、終結策「捨松の結婚」
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文章解説(c)by rankten_@piyo、


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