「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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ニジンスキー生涯,蒼いペガサスの時(1編
ニジンスキー生涯,魅惑のバレエダンサー,蒼いペガサスの時_No.1,輝ける脚光の人は天涯「何物かによる囚われ人」,戦争,愛の虜,牧神の存在,神との結婚,薔薇の精,牧神の午後に係る資料表,関連人物一覧,謎のトライアングル(構成の3辺)
美を追求して燃え尽きた人々_No.4_ニジンスキー編より、「蒼いペガサスの時」その1
ナビコーナー
■
ニジンスキー相関図
、■
周囲の人々
、■
ニジンスキーの人生1
、■
ニジンスキーの人生2
、
■
蒼いペガサスの時:ニジンスキーNo.1
(現在頁)<
No.2
<
No.3
<
No4
■
幅広く相関図:チャップリンを核にニジンスキーと日本の巨匠
■
現在活躍の輝くバレエダンサー達&目指す人達
、
■バレエ関係大人&少女,踊り子を描いた巨匠コラムは、現在頁下側バナー群
輝ける脚光の人は、天涯「何物かによる囚われ人」でした。ある時は戦争であり、また一時は愛の虜であり、
最終は、妄想の中、得体の知れない怪物のようなものに苛まれています。
初めに:
けっして変!なメロドラマ書いてるつもりじゃないんですが、少々、びっくり!部分生じます。
(彼のテーマにはサガが深く関与する為。まるごとボカして書くと、伝わらないから困る!)驚かないで下さい。
芸術を生むとは、かくも悲壮だろうか。屈折、歪。されど、彼が抽出した美の姿は、この上なく美しい。
蒼いペガサスの時_ニジンスキー_No.1
蒼いペガサスの時:ニジンスキーNo.1
(現在頁)<
No.2
・・・
突如彼は虚空に浮いた。そして完全に停止した。
誰よりも高く高く跳んで、
舞い上がって、宙に浮いた!
虚空に浮上したまま、なんと!ピタリ静止した!
伝説の男。天才バレエダンサー。
人々は息を飲んで、瞬間、完全に時が止まった。
1919年1月、「神との結婚」発言を最後に、
天才バレエダンサー、ニジンスキーは、
突如舞台から、夜空の彼方、完全に消え去った。
まさに・・・
Shooting star
・・・そして壊滅的人生へ。
Shooting star*_Vaslav Fomich Nijinsky
ニジンスキー&周囲相関略表、ニジンスキーが舞い散る後半生まで
1919(29歳の時)以降は命はあれど廃人状態(■輝いていたのは僅か8年、■戦争の爪痕と苛まれた精神)
現在頁=No.1
1_天才少年
1900(10歳)舞踊学校入学
1908(18歳)主役抜擢
2_セルゲイ・ディアギレフとの出会い
(黄金時代到来 ~追放迄)
1909(19歳)ディアギレフの劇場へ移動
▼
2_A_宙に静止した男
1911(21歳)『薔薇の精』脚光
1912(22歳)『牧神の午後 』
大反響とスキャンダルの嵐
▼
2_B_事件!ニジンスキーの電撃結婚!
■篭を飛び出した小鳥
ディアギレフの隙
二人のブエノスアイレス
次頁=No.2
ディアギレフの怒り
1913(23歳):結婚・
団から解雇追放される!
3_彷徨い人
■悲しきかなプロディースの力、事業力,
■戦争による抑留経験
◎自立旗揚げ失敗。
◎ ▼
第一次世界大戦(1914~1918)
1914(24歳):ハンガリーで被拘留。(露国籍の為)
4_ディアギレフの元へ復帰から、壊滅の兆し迄
1916(26歳)活躍中ながら精神に異常の兆候
・察知したディアギレフ立ち去る
5_神との結婚、シュティーングスターの時
■妻_ロモラ_それでも愛してしまった人だから
1919(29歳)1月:「神との結婚」と自称公演が最後
1919(29歳)3月:精神病院入院
6_またしても戦争!そして戦争が彼を苛む。
妄想の中蠢いては彼を支配する「牧神サテュロス」
■逃亡、精神を患う悲壮な結末,
第二次世界大戦(1939~1945:彼約49歳~55歳)
・ナチスの虎口脱出。 潜伏、逃れ英国へ。
7_夜空に蘇れ!蒼いペガサスの時
_オチの「ペガサス」とは、何故ペガサス?かというと
謎のトライアングル(構成の3辺)
■1_戦争による抑留経験と精神、彼の病気のこと
No.3
■2A_脳内を蠢く「牧神の存在に係る資料表」
No.4
■2B_ニジンスキーが牧神の存在を描き出す為に、
如何に努力を続け、意識がそれに囚われていたかについて
■3_馬に生まれたい発言
皆が認知するアーティスト生命は
1908(18歳)~1919(29歳),11年・輝いていた期間正味8年
■伝説の「宙に静止した美少年」
ニジンスキー: ■バレエダンサー、■振付師
1890/3/12~1950/4/8:
■
『ペトルーシュカ』
ニジンスキーが演じたその他の作品補足
無機質の人形が、恋をした!その悲しみを演じた彼について。
驚異的跳躍力。その上、あくまで格調高く、
されど官能的な独特の振り付が人々を魅了。
男性に魅惑的、官能的といった形容は
普通あてはまらないが、彼は別。中性的独特の世界。
曳き込まれる!怖美しい!異次元の世界。
▼
2_A_宙に静止した美少年
1911(21歳)『薔薇の精』脚光
ニジンスキーと周囲の人々
(表について)
もしも、字が小さすぎてバンザイ!の方いらっしゃいましたら:◆(Ctrl)+(+)=文字サイズ拡大。
繰り返すといくらでも大きくなります。◆元のサイズに戻すには(Ctrl)+(-)をお好みサイズまで反復
■ニジンスキー、■チャップリン、■ロダン、
(ニジンスキー関連人):■セルゲイ・ディアギレフ、■ミハイル・ミハイロヴィチ・フォーキン
年
人
1840
1841
1871
1872
1873
1879
1880
1881
1888
1889
1890
1891
1892
1893
1907
1908
1909
1910
191
1916
1917
1918
1919
1920
1928
1929
1930
1941
1942
1943
1949
1950
1951
1976
1977
1978
1997
1998
チャ
*
1889(明治22)~1977(昭和52):死88歳(チャップリン)
*
▼1936年『モダン・タイムス』発表(第二次世界大戦前の緊迫時代の発表)さらに、1940問題作『独裁者』ヒトラー風刺
チャプリンの反戦思想が素人目に表現化するのは上記。しかし実質それ以前。1914年被抑留経験のニジンスキーはチャップリン追いかけも。
ニジンスキー
▼色分けの理由▼
1919(29歳の時)以降は命はあれど廃人状態
*
1890(明治23)~
1950(昭和25):死60歳
*
皆が認知するアーティスト生命は
1908(18歳)~1919(29歳):11年
輝いていた期間
正味8年
1916(26歳)~ラストステージ1919(29歳)の間も低迷
第二次世界大戦(1939~1945:彼が約、49歳~55歳)時、ナチスの虎口脱出。潜伏、逃れ、英国へ。その為、1950年死亡時はロンドン。
墓はパリのモンマルトル墓地。
ロダ
1840~1917年:死77歳(ロダン)
*彫刻家、ニジンスキーの「午後の牧神」事件収集に尽力
セル
*
1872~ 1929:死57歳(セルゲイ・ディアギレフ)
バレエ・リュス経営者
ミハ
*
1880~1942年:死62歳(ミハイル・ミハイロヴィチ・フォーキン)
ニジンスキーの属する
バレエ・リュスの先輩格
マラ
*
1842~1898年:死56歳(ステファヌ・マラルメ)
詩人「半獣神の午後」
バク
*
1866~1924年:死58歳(レオン・サモイロヴィッチ・バクスト)
「午後の牧神」舞台と衣裳デザイン
■
脳内を蠢く「牧神の存在の資料表」
■黒澤明、■淀川長治について:チャップリンを核に、なぜか絡んで繋がる不思議な人間ネット網。
・・・
「ニジンスキーから転じて、各巨匠達」の相関図は、こちらの頁
1&2_■天才少年ニジンスキー、■セルゲイ・ディアギレフとの出会い
■確かに天才少年だった。10歳サンクトペテルブルクの
マリインスキー劇場
付属舞踊学校入学。
18歳で、
マリインスキー劇場
の主役に抜擢されたという実力だ。
■1909年、早速、セルゲイ・ディアギレフが接近。速攻で、彼をヘッドハンティング。
ニジンスキーは19歳。ディアギレフは、パリで「バレエ・リュス」を創始した。
彼の右腕は、振付師のミハイル・フォーキン。フォーキンは、技術指導に限らず、美に係る知識も
豊富で、正統派。信頼できる強い存在だった。
目玉商品は、はやり、ニジンスキー。
ディアギレフは、惜しげなく、この少年に注ぎ込んだ。磨けば輝く者には、金に糸目をつけない。
「稽古に余念が無いのはいいが、それだけじゃダメだ。
芸術を知れ。肌で感じて体得するんだ。もっと学ばねば、君は大きくなれない。」
惜しげなく注ぎ込む。ディアギレフの熱意には感服する。数多く芸術に触れさせる機会を豊富に与え、
知性面も、感性も完璧に指導。鬼の稽古ばかりでなく、心底尽くして広範囲に及ぶ援助指導。
その姿は献身的に近い。ニジンスキーにしてみれば、まるで夢のようだった。
【謎のうろちょろ、ニジンスキーの行動】
■ニジンスキーの実力は言うまでもないが、若すぎるから、不甲斐ない少年。ひとたび、何故か?
飛び出して、元の古巣、マリインスキー劇場へ。しかし何やらうまくいかない。解雇されて、
とぼとぼ、ディアギレフの元へ。
■ディアギレフは経営者として、有能な人材を失わない、失っても自然に取り戻せる
天才的手腕有。しかし、許して受け止める包容力のような器もある。慈しむような
暖かい眼差し。惜しげなく注ぎ込んで育てる。彷徨える子羊達、若者。結局収まった。
ニジンスキーは、発奮して、ここで頑張る・・・のだが。
史実は、その【謎のうろちょろ行動】の原因について、ソースを明確には開かしていない。
しかしながら、何やら臭わぬでもない。恵まれた環境、教育。にも関わらず逃げ出した。
10歳年上のフォーキンは正統派だから、何かとこまごま煩いであろう事は、当然。しかし、
目の上のタンコブにカッ!となって飛び出したより、早くも、ディアギレフの玉に瑕、
ちょいと悪い癖
の兆候か?まるごと、その可能性否定はできない。
【悲しきかな少年。少年の行動力。その限界】
この後、おめおめと、元の古巣マリインスキー劇場に行ったあたり、やはり少年の行動力の限界を
示唆する。理由が何であれ、長年の恩を婀娜で返して、裏切って他へ飛び去った者は、余程肩身が狭いに
決まっている。だが、親が、平伏して、土下座して詫びて、突っ込めば填まる。19歳だから。
なんだか苦笑する。辛い。案の定、トラブル起こして、ブチギレ退団。解りきったこと。
【彷徨える少年】
行き所を失ったニジンスキー。どっちも道は塞がった。人脈なんて、少年にあるわけがない。
だからといって、この時代、変なところに行ったら一貫の終わり。学ぶどころか、消耗品。
猿回しのお猿さん状態と、あんまり変わらない。それでも、どうしても、バレエ、やめたくない。
【帰ってきたニジンスキー:ディアギレフの「バレエ・リュス」へ復帰】
笑顔のディアギレフが、迎え入れた。
ディアギレフは、彼の非を咎めたりしなかった。
それどころか、彷徨ったニジンスキーを慈しむ。
彼は、人差し指で己の頭を指して、笑って言う。
「ここだ、ここだ!豊かにならねばなァ。
どってことないさ。 向こう見ずは若さの勲章さ。そいつぁ、俺から見れば羨ましいさ。
俺にとって、そんな時代は、とっくの昔に消えちまったよ。さあ、稽古だ。勉強もだぞ!」
その笑顔は、白い歯が鮮やかで爽快だった。
「無理やり学ぼうとするな。覚えようとするから限界にぶち当たる。
見て、感じるんだ。それだけだ。朝目覚めたら、
君は、昨日の君じゃ、もうないんだ。本当さ。
感じ取ることを知るんだ。今の君は、欠乏症だぞ!」
ディアギレフは、ニジンスキーに、数多く芸術に触れさせる機会を、実に豊富に与え尽くした。
どのあたりから、ニジンスキーに、穢れが発生したのかは不明。
整った環境でバレエを存続する為、それだけの理由で、最初から歯を食い縛って奴婢のごとく隷属とは考え難い。
尽くして尽くしまくるディアギレフ。技術面で岐路に立ち、スランプが生じるなれば、救い主のごとく、
必ず導く。そこには、必ず光が刺していた。
形がたまたま歪だから、我々万民が受け入れ難いだけであって、ディアギレフの「おじさま病」と
目に映る習性は、彼本人にしてみると、けっしてそうではない。「純!たる思い」なのだ。
しかしながら、思慕の念が転じてそうなったのか、なし崩しなのか、やがて、ニジンスキーは、
どこかの段階で、そうなってゆく。染めれば、何色にでも染まれる年齢。悲しきかな少年。
ショッキングだし、やや鳥肌かもしれませんが、どう考えても、あれ程「怖美しい程に蒼く輝く
彼独自の芸術の世界」は、このディアギレフが関与してなければ、抽出されなかった。
瞬間、人々は息が止まった!
1911(21歳)『薔薇の精』脚光
しかし・・・
「・・・朝目覚めたら、君は、昨日の君じゃ、もう・・・」・・・なくなっていた!!確かに・・・!
少年は、な、なんと!デイアギレフのおじ様と、ベッドを共にしてしまった!!
なぜ?!・・・こんな事に!叫べど、泣けど・・・悪夢ならずや、現実だった!
人に語れぬ闇を背負ってこそ、独創的美が!残酷だけど、確かにそうかもしれない。
バレエに熱演との表現少し?かもしれませんが、
魂を捧げるがごとく頑張った彼。しかし、この後、
大旋風。現代でいうモダンバレエ
の先駆け的彼の発想は、万民に理解し難かった。
(右:牧神の絶望、懊悩の表現)
『牧神の午後』熱演のニジンスキー
2_A_黄金時代到来_宙に静止した美少年
■1911(21歳)『薔薇の精』脚光、■1912(22歳)『牧神の午後 』大反響とスキャンダルの嵐
1911年、『薔薇の精』上演。瞬間、皆の息が止まった。伝説の奇跡!
驚異的な高い跳躍。そして、それは、空中で完全に静止した!
天才バレエダンサー、ニジンスキーは、蒼く輝いて、そして壊滅的人生を遂げる。
まさにシューティングスター。蒼く蒼く燃え尽きて。彼の世界は怖美しい!異次元の世界。
1911(21歳)『薔薇の精』脚光
ニジンスキーにとての黄金時代到来。『薔薇の精』上演は空前の大ヒット。驚異的な跳躍力。
高く高く宙に舞ったニジンスキーは、なんと!あたかも空中で静止したかのごとく。
大反響の中、あまりの美しさに、気絶寸前の貴婦人も居た。
斬新な演技で人々を魅了した。怖美しい独自の世界。ニジンスキーの人気は揺ぎ無い。
この段階の振り付けは、先輩格のフォーキン。しかし、人々はフォーキンのフォも念頭にない。
ひたすら美少年ニジンスキー。フォーキンとしては、穏やかではないが、表現化した歪みは、生じない。
確かに、ニジンスキーは大幅に成長していた。技術だけじゃない。真の美しさは、
血を吐かんばかりの厳しい稽古とガリ勉じゃ抽出できない。確かにディアギレフの言うとおりだった。
彼について来て良かったのだ。感性には、本当に磨きがかかった。
どこの誰にも、いくら逆立ちしたって真似のできない独自の美しさが確約されたも同然。
しかし、この後、大事件が待っていた。
1912(22歳)『牧神の午後 』大反響とスキャンダルの嵐
1912年6月8日、『牧神の午後 』上演。ニジンスキーは22歳。昨年の『薔薇の精』以来、
人気絶頂。初公開の『牧神の午後 』上演は満員。予想を上回るまたしてもニジンスキーの
大成長。新聞に活字が躍る。開演前から、現代でいうマスコミパワーの大爆裂。
人々は歓喜して、まだかまだかと指折り、開演の日を待った。
いよいよ開演。大混雑。ところが、キレ者のディアギレフ。配慮も最上級。観客全員に、
惜しげなく、上等のワインを配り、中途半端な妥協嫌いの彼、ロシア産の本場キャビアーを
独自ルートで入手の上、豪勢に振舞った。
ところが、いざ上演の結末は・・・。
ひとまわりもふたまわりも大きくなった彼は、なんと全く異なる領域を提示したのだった。
前回の『薔薇の精』イメージで、美しく着飾った貴婦人達の多くは、
宙を舞う美少年の華麗なる姿ばかりを期待して、やってきていた。
ところが、なんと!人々は、圧倒された。
バレエ界の常識が一気に塗り替えられた。
あまりにも革新的な舞台に招待客は唖然!
この日は、幕が降りると、暫し不気味な沈黙。
次の瞬間、突如、ブーイングが発生!
皆の頭が、この斬新な構成に即応できなかったのだ。
・・・(当日の混乱については、第7項の
『脳内を蠢く「牧神の存在」』
実はこの後の公演の際には、噂で持ちきりチケット完売の上、ガードマンが会場に立ち並ぶ
大変な厳重装備で行われたのだが、対して、この日はこの有様。
『牧神の午後 』とは、あくまで芸術。されど、そもそも『性』の世界。
性抜きで描写しきれるものでない。(詳しくは後述、第7項の『脳内を蠢く「牧神の存在」』
ところが、余計な大旋風のMAXは、当日ならずや、翌朝のこと。
これは、ディアギレフの予想をはるかに上回った。
覚悟はあった。承知の上だ。石頭や無知な連中の反応は予測の上。ところが、強烈すぎた。
火種は新聞。保守的紙面が、斬新な当上演を「神聖なるバレエ及び作曲家のドビュッシーに対する冒涜だ!
とんだ見世物!」と痛烈に非難。ドタバタ大騒動が始まった。
対して、ディアギレフの怒りたるや半端でない。猛烈な反撃に出た。
自バレエ団のプライド、そして主力商品であるところのニジンスキーを、いうなれば安物の男扱い
された事は絶対に許せない。この人物が動くと猛烈に強い。
【彫刻家:ロダンによる支援】
に持ち込む。
彼は、ロダン(かの有名な彫刻家!)にも助力を求め、紙面上の反撃。ロダンといえば、
泣く子も黙る大芸術家。彼が語った。
「古代の格調高き彫刻芸術が、現世に突如出現した奇跡のごとく、これぞ誠の芸術!」
と絶賛。
専門分野の知識が文章の布石として特効薬の価値をなす以上、たちまち人々は、
またしても熱狂。そのまた反論も出たり、ロダンも突っつかれる(※▼)被害を被るやらドタバタが
生じたものの、どうやら、軍配はディアギレフ。
ロダンも突っつかれる(※▲)とは、
ロダンは弟子の「カミーユ・クローデル」と浮気。宗教観念上の罪。愛人問題突っつかれたから、へこむ!
だが、ディアギレフは強かった、猛烈に。しかしながら、この強さの由縁はなかなか複雑。
ディアギレフの強さは、「金の為だけ」じゃなかった。 ここで仮に負ければ、彼のバレエ団の収益を
損失するだけでない。若いニジンスキーの将来は、完全に潰される。この子を潰されてなるものか!
経営者としての手腕が目立つのだが、子を守る母の強さであり、夫の名誉に係るなれば、
それまで一人の妻にすぎなかったか弱い乙女が、突如懐刀を抜くにも等しい意味合いも絡まっている。
だから強かった。
さてはともあれ、とにかく勝った。ところが、ここにさらなる問題が浮上した。
フォーキンの失踪
色々あって、ディアギレフもニジンスターも、かなり摩滅したが、徒労ではなかった。
結果は、つまり1912年6月8日の上演に於いて、上記『牧神の午後 』は、人々の記憶に沁み込んだ。
それどころか、沁み込んで消えない。知らぬ者は居ないに等しい浸透力だ。
ところが、この日上演されたのは、それだけじゃない。
ベテランの振り付け師による『ダフニスとクロエ』も公開されたのだが、
ニジンスキーによる
『牧神の午後』
が大反響の嵐となり、
フォーキンの存在は皆無状態
!!
ディアギレフが原石から磨いた若いニジンスキーは、上記のとおり、後始末に神経磨り減らされる
余計な手間は生じたものの、本質的な意味に於いて、やはり彼の期待を裏切ることなく見事輝いた
に他ならない。しかし、フォーキンは人々の意識の中埋もれた。
実力も知識も誰にも負けない。それがフォーキンのプライド。彼は格調高く、上品で正統派。
しかも、上演順位を始め、経営者であるディアギレフとフォーキンが揉めていた矢先の事。
フォーキンの決断は早かった。同年1912年、早々、辞表を叩いて消え去った。
ディアギレフは、己の右腕同然、知恵袋のフォーキンを喪失した。
■ディアギレフとしては、フォーキンを失った損失は大きい。しかしながら、
手元には、世界が注目するニジンスキーがある。目の上のタンコブ、フォーキンの
厳しい監督が消え去ったニジンスキーは伸び伸びとさらに成長を見せる。
■ところが事件!
それは、かくして生じた。ディアギレフ不在の上演ツアー中のでき事だった。
南米公演。
ここで、少々、ディアギレフの補足
聖母の慈愛、
子も彷徨える子羊も
愛に救われる
ディアギレフは、ビジネス面に優れている為、
カリスマ経営者の姿ばかり目につくが、実は、上記のとおり、
時に母獅子、可愛い我が子の
為なれば敵に猛然と闘いを挑む強い母。
彼は、日頃温和な容姿&表情。
若い芸術家達は皆、岐路に立つ時、彷徨える子羊
。
満ち溢れる知性と教養&経験、そして慈しむがごとく
暖かな眼差し、子羊達は皆、彼に救われた。
ニジンスキーも、氏との出会いがなければ埋もれた存在。
同氏は、彼を見抜き、育てた人物。
歪だけれど、愛なのだ。
この愛たるや、如何ほどかは、NEXT項「ディアギレフの怒り」で明確。
彼は経営者だから、怖いおじさんに仕立て上げるほうが表現しやすいが、
実際は、ディアギレフも、悲哀なのだ。
また、詳しくは後項に譲るところながら、
そもそも『牧神の午後』とは、
20歳そこそこの若者の経験では抽出しきれないスゴ性の世界。
あくまで、芸術なのだが。つまり背伸び。
ディアギレフによる知性面の教育がなければ、
全然箸にも棒にもかからない稚拙なモノに化けていたかもしれない。
左絵画: ウィリアム・アドルフ・ブグロー(≒ブ-グロー
ところが、その反面、ディアギレフは、神経質なほどのキレ好きで、他にも多々女性的な要素がある。縁起&迷信的に臆病。
易者の発言、「そなたは水辺で死す!」なるものを恐れ、船旅を極力避ける。
実は、二人の電撃結婚の際、上演の為にセッティングした今回の南米ツアーが船旅を伴う為、
同行しなかったのが最大の原因ともいえる。
【現在シリーズから脱線ながら:絵画寄り道】
ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画・「絵画と一緒にギリシャ神話を2倍!楽しく読み解くミニ特集シリーズ」
2_B_事件!ニジンスキー電撃結婚_ディアギレフの隙!
篭を飛び出した小鳥
「ニジンスキー」と、育成者ディアギレフ
美少年は女性以上に美しい
妖艶な世界を抽出。
人々に絶賛された。
ディアギレフにとっての
ニジンスキーは特別な存在。
逃げた篭の小鳥。
奪われたるは、易者が発した
不吉な予言。「水の災い」
ディアギレフは「愛の虜」を奪われた!
二人のブエノスアイレス_電撃結婚事件
絵画:ウィリアム・アドルフ・ブグロー(≒ブ-グロー
神話に絡む絵画多く描いています。
ニジンスキーは篭を飛び出した小鳥のごとく。
虜の宿命から放たれた。即!結婚。
ニジンスキーは、この世界を初めて見た。ここは、常夏の国か?
目に眩しい光がさんさんと降り注ぐ。その光を目一杯に浴びて、
青く照り輝く南米の海。底抜けに明るく陽気な人々の笑顔。
自由だ!自由だ!僕は放たれた!ニジンスキーと、
バレリーナ、ロモラ・デ・プルスキの電撃結婚。
ブエノスアイレスで二人は結ばれた。
それまでの自分は、一体何だったのだろう。
ここには自由がある。
そして何よりも今、愛する人、ロモラが側に居る。
「もう、絶対放さない!僕は君を放さない!こんな幸せって・・・あったんだな。初めて知ったよ。
もしも神様が君にめぐり合わせてくれなかったとしたら、僕は天涯、本当の幸せって知らずに死んじまったんだよ。
自分で自分を笑っちゃうよ。僕は馬鹿だった。本当に、ただの大馬鹿者だったのさ。
愛しい君よ。永久に側に居てくれ!」
ニジンスキーはロモラの肩をそっと抱いていた。爽やかな潮風が子気味良く、頬に吹き寄せてくる。
海の香り、風に揺れる椰子の木々の葉。夢の世界。・・・まさに夢だった。運命は、・・・。
上記のとおり、ニジンスキーはごく自然に女性と恋に陥ります。かつては・・・少年だった。
少年の人生経験、染まる色を間違えた。染まる色を選べなかった。
ディアギレフの怒り_楽園追放!
ナビコーナー
■
ニジンスキー相関図
、■
周囲の人々
、■
ニジンスキーの人生1
、■
ニジンスキーの人生2
、
■
蒼いペガサスの時:ニジンスキーNo.1
(現在頁)<
No.2
<
No.3
<
No.4
■
幅広く相関図:チャップリンを核にニジンスキーと日本の巨匠
■
現在活躍の輝くバレエダンサー達&目指す人達
、
■バレエ関係大人&少女,踊り子を描いた巨匠コラムは、現在頁下側バナー群
蒼いペガサスの時:ニジンスキーNo.2
文章解説(c)by rankten_@piyo、
■驚異的跳躍力。その上、あくまで格調高く、されど官能的。
彼の世界は異次元。中性的独特の世界。
曳き込まれる!怖美しい!
ニジンスキーに係る本は、現在SERIESの他にも、上の
ナビコーナー各頁にもあります。
★
こちら、ドガが知った「踊り子達の悲しい舞台裏」と、ニジンスキー、男女の差あれど類似してないとは言えない。
▼
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
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