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僕の幼なじみとして、それこそ友人というよりは親戚のような間柄に弁護士のMがいる。以前、記事にもしたことがあるが、マスコミにもときどき登場し、長者番付にも名が載る凄腕弁護士。そんな彼とはちょっと意味合いが違うが、僕の大切な親友の中の一人と先日、恵比寿で久しぶりに会えた。彼は僕の高校時代に出会った親友。母を早くに亡くし、父は男手一つで懸命に僕ら3兄弟を育てようと、単身赴任するような距離をも2時間以上をかけて車で通っていた頃、そんな感動的なシチュエーションをぶち壊すかのように、僕は親のいない環境の中、転がり落ちるように好き放題生活していた。一応、地元のトップ校へはそれなりに優秀な成績で入学したものの、中学時代の貯金など瞬時に無くなり、順位はズタボロ。僕はちっぽけなプライドを守るために、できないではなく、しないのだという状況を自作自演していた。まったくどうしようもない。当時の自分が目の前にいたらぶっ飛ばしている。ああ、イライラする!!・・・話を戻そう。そんな自分をなぜか信頼して、腐りかけた性根を叩き直してくれたのが彼。当然、浪人となった僕の予備校を(勝手に)決めたのも彼。いや、予備校どころか予備校附属の寮(←メチャメチャ厳しい)への入寮も勝手に決めた。しかもその寮は「難関大学志願者限定」の特別寮。入寮試験または高校推薦が必要な寮だったのだけど、彼が直談判して、高校の先生に僕の推薦書を用意させてくれたのだ。あの寮での1年間が今の僕の原型を作ったといってもいいかもしれない。くだらないプライドなんてのは木っ端微塵に崩れ去った。だって、みんな凄いんだもん(笑)。メチャクチャ努力してんだもん。特に旧帝大の医学部を志している奴らなんてのは本当にとんでもない。才能と性格(真面目で素直)を兼ね備えている。こういうのを目の当たりにすると否が応にも客観的になれるのか、オレはダメ人間じゃないか、才能どころか性格までどうしようもない、と心底思えた。そんな風に僕に多大なる影響、きっかけを与えてくれた彼。今は、某国立大学の准教授。異例の抜擢で30歳にして准教授になった。専攻は第二言語習得(英語)。英語科指導における僕のアドバイザーだ。「あんなに楽しそうな顔をしているあなたを久しぶりに見た」って、奥さんから言われたよ。ありがとう。後日、そうメールしてくれた。バカを言うな。お礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう。それにしても縁ってすごいよなぁ。オマエに出会えて人生が変わった。オレもそんな存在になれるようがんばるわ。今な、そんな場所を創っているんだよ。縁を誰よりも大事に思うオレだからね、夢はどんどん叶えられているよ。そして、いつかは・・・。
2009.03.22
僕にとっての塾業界の師である2人の先生がいらっしゃる塾、「愛夢舎」。そこへ、遠く岐阜県から「つばさ塾」の先生方が来られるということで、僕もお呼ばれ。なぜか、僕までもご馳走してくださいました。これは何かいいことを話さなければと、必死に頭を回転させましたが大したことなど出るはずも無く、熱い教務談義(主に数学)を隅っこで聞いてるだけ(笑)。むしろお金を払いたいくらいで非常に恐縮しました。あれが英語談義ならもうちょっと絡めたのに!なんて、ただの負け惜しみですそれにしても、つばさ塾。とにかく斬新、画期的な教務法。自分で言うのもなんですが、僕もかなり斬新だと思います。でも、それを中学生に対しても躊躇無く行っているなんて!例えば、つばさ塾では時間割に「英語」「数学」というような教科がない。文系の日(=がっきー先生の日)、理系の日(=りょーた先生の日)があるだけで、その日何をやるのかは、生徒は来るまで、いや授業に入るまでわからないのだそうだ。先生いわく、教科の枠組みなんて本来無いのだから、いっそ取っ払っちゃって、純粋に学ぶということに絞っていこうと思ったのだそう。学ぶということ、知るということをしっかりと伝えていけば、自ずと生徒たちの考え方が変わっていく。そのためには教科の枠組みなんてうっとおしい。英語から社会、国語から理科、そして数学へと、どんどん繋げていって、人間教育をしていこうという先生の考えは、僕の小学部の英語とほぼ同じ。やっている内容もまた非常に似通っていて、思わず身を乗り出して、うなずきながら聞いていたのですが、ただ、それを中学部でも変わらず行っているというのには驚愕!僕がそういった教科に縛られない、英語から社会から理科から国語といった幅広い視野で、学びを育てていくというのは、小学部、しかも英語だからこそできること。学校で大して行っていない、しかも試験も無いという環境が前提にある。さすがに、中学部ではそこまで大それたことをやる勇気はない。英語の授業の日は、やはり英語をやることが多い。英語をまったくやらずに、学び方や考え方指導になる日や、いつの間にか社会になったりと英語の枠を飛び出る日もあるけど、そんな日は年間の3割もないだろう(・・・と思う)。しかし、すごいな。「今日はがっきーの日だ。なにをやるんだろう」って、生徒がやってくるわけだよね。きっとワクワク感でいっぱいだろうな。教科が書いていない時間割か・・・。世の中の個人塾にこそ、枠組みなんてないんだろうね。
2009.03.20
「ウィルはとても居心地がよく、生徒と先生、全員がひとつの家族のような塾です。悩み事を聞いてくれたり、要望に応えてくれたり・・・本当に生徒の気持ちを大切にしてくれる塾です。この塾に入って様々なことがありましたが、改まって今思い起こしてみても、この塾でよかった!!と思います。勉強はもちろんですが、私はこのウィルでしか手に入らない何か、私の人生の中で大切な何かを得たような気がしています。本当は卒塾などしたくはありませんが、この場を借りて先生方にお礼を言いたいと思います。今まで、本当にありがとうございました。」2月12日は彼女にとっての卒塾の日。彼女の入試が終わりを告げた今日、彼女が残してくれた『手紙』の一部です。彼女は今日、第一志望の高校に不合格となりました。報告を受けたときは、ものすごくがんばっていた姿を知っているだけに、ショックでなんと声をかけてあげたらよいかわかりませんでした。当然、僕らよりも本人の方が何倍もつらかったはず。そんな中で、こんなことができる。僕が15のときには、こんなことは絶対にできない。この『手紙』を僕は直接受け取ってはいません。そっと僕のデスクに置かれていました。生徒の不合格で泣いたのは今日が初めてです。多くの生徒がいる前で必死で涙を止めましたが、そう簡単には止まらないものなんですね、びっくりした生徒もいたと思います。これで彼女は第二志望である、共学校では近隣において最も進学実績の高い高校の内のひとつに進学します。ふがいない、本当にふがいない僕ですが、そんな僕にできることなら何でもしてあげたい、そう思います。最後に、僕もこの場を借りて伝えます。あなたのような生徒に出会えて僕も幸せでした。そして、3年後にあの大学に必ず受かろう。必ずウィルに戻ってきてください。
2009.02.12
もう一昨日になりましたが、新校舎に遠くから4人の先生が訪問してくださいました。秋田からはramokichi先生。神奈川からはt.kishimoto先生とその相方yuyama先生そして学生時代からの友人、ブラック3232先生。それぞれ歳も近いということで、自ずと熱~い話になりました。その中でも、特に印象的だったのが、t.kishimoto先生の模擬授業。神奈川県最大手塾の1つで、様々なマニュアル、研修を元に、多くの講師の中でお互いに研鑽し合った授業、さらにその講師の中でも人気トップを取ったこともあるような先生の授業を生で見ることができたことは、僕やramokichi先生のような、まさに『我流』で授業を組み立てていったタイプには大きな経験となりました。 ⇒ そうそう見せてもらえるものではないですからね!それにしても、授業ってのは奥が深い。様々なスタイルがあって、そのスタイルに至った過程、基盤となる教育観。そして多くの経験則。こうも異なるものかと素直に感激。たまにはいいですね、こんなのも。他者と比較することによって改めて、自分の教育観の独自性に気づくことができました。それにしても・・・やっぱりかなり違うんだな、うちの塾は。生徒に求めている部分が違う感じを受けました。点数を上げる、知識を繋げるという「頭」の側面ではなく、日々を過ごす姿勢、考え方や大人観といった「心」の育成に、「どう知識を繋げてあげるか」よりも「知識を繋げようとする心の持ち様」に主眼があるというか。。。言うまでもなく、どちらが良い悪いなんか無くて、今、目の前の生徒を見て、やらなければならない教育が違ってくるのでしょうね。僕らは、したい教育から逆算して塾の形を創っていった。今のウィルの教育は、そうした基盤があるからこそできる教育なんだと強く感じました。しかし、こんな風に僕が気づくことができたのも、ひとえにramokichi先生がバシバシ聞いてきてくれたから。ramokichi先生は熱いですね!まっすぐな眼差しで、ガンガン聞いてきますから(笑)。そしてこの集まりのきっかけを作ってくれたブラック。メチャクチャ緊張しただろうに、最年少ながら僕らに模擬授業を見せてくれたkishimoto先生。なんか、せっかく来ていただいたのに、僕が一番もらったような・・・(笑)僕もあげられたでしょうか、心配です。。。また来てくださいね!!ありがとうございました!
2008.03.22
うちの時間講師Mは、埼玉県内の県立高校から現役で東京大学へ進学している。今でこそ人気が上昇し、2番手になっているが、当時で言えば、まだまだ学区の3番手校。彼は、その高校からの初の東大生だそうだ。そのせいか、彼の雰囲気はやはり他の学生とは違う。発言、行動、あらゆる振る舞いにおいて自信に満ち溢れている。以前、開成中→開成高→東京大学の上司のことを記事にしたことがあるが、その上司と比べてもかなり雰囲気が異なる。「県立高校からの東大生は自負があってうらやましかった。」当時の上司の言葉が浮かぶ。さて、そんな彼、M先生が自分の中3時の北辰テストの結果を持って来てくれた。さぞかし凄い数値なのだろうと、うちの中3生は興味深々で覗き込む。しかし、その結果は・・・理科と社会は常にss70オーバーとさすが!という感じだが、国語と英語はss60台後半。数学はなんと!ss60に乗ったり乗らなかったり・・・。5教科では、理科と社会の力でそれなり(ss66くらい)はあるものの、想像するよりは、はるかに普通の成績。呆気にとられる生徒たち。そこでM先生、「オレみたいな奴でもがんばりゃ東大だって行けるのさ」「理科や社会は、間違った問題を次に間違えないようにしていけばいつかは絶対に満点になるんだ。誰だってできるようになる科目なんだよ」そう、彼は生徒たちを激励するために、わざわざ自宅の押入れを引っかき回して、自分の成績を持って来てくれたのだ。ちなみに、彼は東大の中でもエリートの部類に入る。(就職先は日本銀行を志望)そんな人は、最初からちょっと器が違うのではないかと先入観を持っていたが、少なくともM先生は違う。彼は周りに気遣いができる、努力の人だ。最初から器が違う人は噂になりやすい。耳に入るのは、自然とそういった人たちの武勇伝が多くなる。だから、あたかも肩書きの凄い人は皆、最初から器に恵まれているかのように考えてしまいがちだ。しかし、少なくとも、僕が知っている凄い肩書きの人たちは皆、1人残らず努力の人、人格者である。やはり、学問は徳を育てるのだろう。オレもやっときゃ良かったもちろん今、頑張っていますが・・・追いつくのはシンドイですな^^;追記M先生のおかげで、生徒たちからは「いい意味で、東大生のイメージが変わった」「頑張れば無理ではないんだと思うようになった」などの声が聞こえてくるようになりました。M先生が卒業しても、これでM先生の話を、僕らはずっと語り続けていけるしね。ありがとさん。
2008.02.08
物心ついたとき、それが、いつからなのか、正確にはわからない。それほど昔からの付き合いの友人がいる。同じ(旧)郵政省の宿舎に住んでいたため、文字通り、家族ぐるみの付き合い。そんな彼も今は、弁護士をしている。同じ幼稚園・同じ小学校・同じ中学校・同じ高校と、ずっと同じ環境を過ごしてきたのに(笑)。彼とはお互いに「友人というのもなんかしっくり来ないよな。親友と言うのも照れくさい。強いて言えば、くされ縁ってな感じか」なんて言い合っている。そんな仲。そんな彼から先日、電話で相談された。「仕事と家庭の両立が上手く行かなくてな」彼は北海道でトップレベルの弁護士。年収は昨年1億を軽く超え、北海道の長者番付に名を連ねている。執筆やラジオ出演のオファーもある。そんなバリバリの男。「奥さんが、もう仕事はいいから、とにかく早く帰ってきて、育児を手伝ってくれってさ」「早くって、何時にだい?」「6時って言うんだよ」「6時?!」「今時分、6時なんて公務員でも帰らないでしょ。それが自営業である弁護士に帰れって言うんだよ」「今は何時頃に帰っているんだい?」「早く帰って来いって言うから、9時頃には帰るようにしているんだけど・・・」「9時って、十分に早いんじゃないかい?」「でも、子どもも3人(6歳・3歳・0歳)いるし、今は仕事より育児だって言って聞く耳を持ってくれないんだ、でもさ、仕事はもういいじゃないって言っても、止まったら落ちていくでしょ。維持しようと思ったら、維持なんてできないさ。それに、オレは弁護士になったからには、やりたい夢がいっぱいある。家庭ももちろん大事だけど、夢もまた大事なんだよ」とにかく、今は立ち止まって、奥さんと話をするよう勧めたけど、それにしても人の感情って難しいよね。僕から見れば、彼の奥さんは相当幸せな環境に置いてもらっていると思うけど。う~ん・・・幸せって難しい。やっぱり幸せになる秘訣は、幸せだって思うことなんだろうね。相手に感謝する気持ちを常に意識して。決して「当たり前」と思わないように。もちろん、お互いにね。・・・ということで、いつも、ありがとうね、奥さん
2007.12.14
前回、記事にした『炎の営業マン』。ちょっと補足しておきます。野球経験無しのHさん。彼が、大学へ進学した時に、『全国制覇』を目標にサークルを立ち上げ、4年後に見事!その夢を叶えるわけですが、そこだけ読むと、Hさんが何か特別な才能を有していたかのように捉えられるかもしれません。全国制覇を成し遂げるくらいだから、野球は素人でも、それまでに他のスポーツで全国レベルだったのではないか、と。すいません。。。大事なことを書き忘れていました。Hさん、実は試合には出ていません。Hさんの役割はチーム・マネージメントです。選手を集め、チームを創り、結束させ、誰もが無理だと思う『全国制覇』を、「もしかしたら・・・」と思わせる。練習環境、チームワーク、モチベーション。この三つを担当し、チームを導いていったのです。だから、Hさんはとてつもなく魅力的な人物ですが、生まれ持って何か大きな才能を有していたわけではない(と思います)。魅力的な人物になろうとして、なった人。だからこそ、僕のように「普通の人」を魅きつけるのでしょう。ちなみに、Hさん。まだまだ僕の1歳上という年齢で、今年から営業所を1つ任せられました。その営業所の営業成績は、全国約3000店中、2000番台だったそうだが、Hさんが就任されて約半年、今では300番台まで成績を伸ばしているという。『目標は、2、3年後にナンバー1を取ること!今の営業所の方々はすばらしい人ばかりなんですよ。一人一人がもっともっと力を合わせて行けば、このチームなら絶対に1位を取れます。いや、取りますよ!だから今は毎日が楽しくて仕方がない♪』そう話すHさんの目、もう吸い込まれそうだ。僕もこんな目で話す人になれてるかな?せっかくの人生、Hさんのように生きたいよね。じゃあ、やるべきことはなんだろう。『できると思うこと。そして、真剣に取り組み、やり遂げること。』なんだろうね。
2007.10.04
先日お会いした『ものすごい方』。某大手保険会社の営業マンの方なのですが、とにかく人間力が凄まじい!あまり詳しく書くと、怒られてしまうかもしれないので、控えめにご紹介させていただきたい。その方の凄まじさは、昨日今日に始まったものでは当然無い。特に大学時代のお話は、そのあまりの凄さに唖然としてしまった。まず、大学時代に彼は『大きなことをしたい』『誰もが無理だと言うことをしたい』という目標のもとに、野球サークルを立ち上げた。ちなみに、彼は野球経験は皆無(笑)。でも、「一番メジャーなのは野球だろ!」ということで、創ってしまったそうだ。でも、それだけじゃ、そんなに大したことではない。凄いのは、そこから「全国優勝を目指す!」と目標を掲げ、大学4年の時に、それを成し遂げてしまったこと。あり得ない。。。さらに、そこで終わらない。その後、「もはや敵は国内にはいない!」と世界制覇を掲げ、プエルトリコに遠征(もちろん自費なのだと思う)。成田空港から、ユニフォーム姿で搭乗(笑)。意気揚々とプエルトリコに乗り込むも、コテンパンにやられて帰国したそうだ。また、彼の『誰もが無理だと言うことをしたい』根性は、野球だけに留まらない。日本国内を歩いて縦断しよう!そう思ったそうだが、それだけならよくある話。でも、誰もがしたことの無いことを追い求める彼は、「江戸時代には飛脚とかで全国を足で回った人はいるだろうが、その道中、お金を一銭も使わなかった人はいないだろう」との思い付きから、一銭のお金も持たず一路、北海道へ。意気揚々と、函館から本州へ行こうとするも、青函トンネル内を歩いて行けないことを知る。無賃で改札を突っ切ろうと試みるもあえなく失敗。無賃で船に乗り込もうとするも失敗。途方に暮れた彼は、トラックの運ちゃんに土下座で頼み込み、積荷の一つに紛れさせてもらい、船で青森へと渡ったそうだ。ダンボールの中に半日、体育座りで、船員に放り投げられたり、ベルトコンベアに乗ったり。。。決してよい子のみんなはしてはいけません。死にかねませんから!そんなこんなで(その過程はものすごいものがある)、なんと一銭も使わず鹿児島まで到達したそうだ。思い出は、静岡と九州の人たちはやさしかったということだそうで、風呂も入れず、何も食べていない彼を、やさしく家へ招きいれ、お風呂に入れて食事を取らせてくれた人が多かったのだと。まさに、美しい国、ニッポン!すごいなぁ。。。他にも、ものすごい逸話がたくさん。だからこそ、こんなにも今、パワフルに仕事ができるんだろうな。あんなにも、輝いていられるんだろうな。でも、そんな彼も、高校までは至って普通だったそうだ。ただ、大学のために両親の反対を押し切り、上京した以上、この期間は1日たりとも無駄にしたくない!との思いから、なりたい自分に近づけるよう、自分にプレッシャーをかけ、自らを持っていったら、いつのまにか雪ダルマ式に、できると思うことが大きくなっていったのだそう。そう、誰もが最初から輝いているわけではない。輝きたいと思うから、輝ける。最初から凄い人なんていない。凄くなりたいと思うから、凄くなる。思い、願い、信じて、動けば、そのうちのいくつかは叶っていく。きっと叶えた数だけ、輝くんだろうな、人って。 だったら、どんどん願わないと!どんどん動かないと!どんどん叶えないと!たとえ10回、失敗したとしても、1回の成功の喜びがそれをかき消してくれる。オレも、もっともっと願い、もっともっと叶えよう。みんなの前で輝いていられるようにね。そう強く思った。
2007.10.02
いきなりですが、1つ訂正。ど田舎の小学校教師かと思っていたら、ど田舎の中学校教師でした。いやいや、今まで勘違いしてた。久しぶりに会い、恵比寿で焼肉を食べながら、田舎の中学校の話を聞いたりと、盛り上がる。やっぱり田舎はのんびりだ。「そんなところでのんびり先生がやれたら楽しいだろうね。」そう言うと、彼は「いやぁ、ホントみんないい子達ばっかりで、親もみんな知り合い同士だからおかしな人もいなくていいよ。」と、笑う。でも、彼はそんな生徒たちを見て、『この子たちが、社会に出たら心配だよ。都会の子たちとは、とても渡り合えないんじゃないかな。』そう言った。理想はとりあえず置いて、現実を見て思う。少なくとも実社会に生きる上で、田舎の子たちは、首都圏より様々な点において不利であろう。僕は北海道の田舎育ちだ。不景気真っ只中の北海道というのも関係あるのかもしれないが、北海道の友人、知人の生活は極めて厳しい者が多い。上京して出会った友人、知人と比べると、その差は雲泥と言える。何が言いたいかって?あらゆる生物、その個体が増えれば競争は苛烈になる。のんびりに憧れるのは、のんびりの結末を知らないからか。子どもたちは、つい目の前のこと、今しか見えず、先を見ることが苦手だ。それを憂う保護者の方々はきっとかなり多いのだろう。しかし、大人だってできていると言えるのだろうか。ふと気がつけば、刹那的な考えに流されてしまっている。愚痴ばっか、人のせいばっかして、未来を良くする努力をしていると言えるのか。苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。先人の言葉は、きっと真理をついているんだろう。「まず隗より始めないと。」そう思った、帰りの電車でした。※ 子供たちのための故事講座(笑)。【隗(かい)より始めよ】解釈が非常に多いが、一般的には「他人を動かしたり、他人に力を借りたいと願うなら、まずは自分の出来ることから始めよ」という意味で用いられることが多い。
2007.07.08
僕の地元は、北海道。大学が東京だったので、以来13年、こっちに住み続けています。昨日、帰りの途中に、北海道にいる同期から電話。実は、土曜にこっちに来ているとのこと。そして、日曜の午前中に用があり、月曜朝一で北海道に帰るので、時間があったら会わないかって。ということで、今から恵比寿へ行ってきます。彼は今、小学校の先生。田舎である北海道の中でもかなりのど田舎の小学校。今日はほのぼのとした話が聞けるかな?(笑)
2007.07.08
昨日は、先輩塾長の塾へ訪問。深夜に、しかも僕からの突然の申し出にもかかわらず、快く受け入れていただけた。話の内容は、先輩の塾の広告戦略。常日頃からお世話になりっぱなしなので、ここぞ!とばかりに思いつく限りのアイデアをしゃべりまくった(^^ゞお役に立てればいいのだが。。。先輩のこの塾。資金などの問題から、一軒家を改築して始められた。通われている生徒曰く、寺子屋のようなアットホームなところが和めて良いそう(^^ゞ。しかし、お世辞にもきれいな校舎とは言えない(先輩、すいません!)。このような校舎であるにもかかわらず、ここ数年に渡り、最寄の中学校におけるシェアの大半を占め、その中学校の教師からも『すばらしい塾』と言われるほどになっているのだから、やはり先生の腕は確かなのだと思う。(なにせ、僕の先輩ですから)そろそろ、一つの中学校No.1からもう一段階レベルを上げていくべき時。そのためにはどうしたらよいのか?遠く駅前にある中学校の生徒に認知されるにはどうしたらよいのか?客観的に見て、先生一人一人の腕は、そんじょそこらの塾とは明らかに違う。問題はそれをどう伝えていくか。目指せ地域NO.1!打倒、実○進○ゼミ!お力になれるようなことがあればいつでも呼んでください。僕も先生と同じく、借りたものは絶対に返したい性分ですので
2007.05.24
昨日、当塾の顧問税理士の方からのご紹介で、ある元県議会議員の方とお会いした。昭和48年、34歳で後の郵政大臣小宮山重四郎氏の秘書となり、昭和52年、38歳で初当選して以来、約30年間、政治家として活動されてきたというだけあって、みなぎる力、オーラがすさまじい!話の内容も、スケールが違う!正直、そんなにも政治家の仕事はでっかいのか!と、衝撃を受けることしきり。だって、「ここに道を作ろうか」って言ったら2,3ヵ月後にはできちゃうんだぜ(^_^;)。さいたま副都心を作ったり、大学病院を誘致したり、球場を作ったり、市場を作ったり、駅を作ったり、・・・本気でやろうと動いたらなんだってできるんだそうだ。ただ、大きく動けば確かに「支持者」も出てくるが、それとほぼ同数の「反対者」もまた生まれてくるのだそう。だからあんまり動く者がいないんだそうだ。と言うのも、感謝は次の選挙まで長続きしないが、恨みは根強く、何年だって続くのだそう。さらに、政治家が実際に何をしているかを見ている人より、地域の実力者ないし会社の上役の言われるままの人の方が多い。それならば、政治活動をするよりも、そういった有力者を支持者に取り込むよう豪遊して遊び歩いたりする方に時間を割いた方が、票が安定し、選挙に強くなっていくのだというから、おかしな話だ。『どうせ有権者なんて、政治家が行った仕事の内容なんか見てくれないんだから、ヘンに動いて票を動かすくらいなら、何もしない方が安泰』そんな空気が蔓延しているのだそうだ。「誰かがこれを壊さないといけない。そのためには政治をしっかりと学んでいる人、政治家の力量を測れる目を持った人を、増やさなければならないんだ!政治学をもっと学ばせなければならないのだ!」そういう強い想いから、今、教育に非常に強い興味を持たれているのだそう。そう!その先生曰く、政治の元にある公教育ではなく、私学や私塾にこそ期待していると。この政治家の方の想いは、まさに松下村塾を目指す僕の想いにシンクロするところが多かった。なんて、すばらしい出会い!後日、税理士の先生から連絡があり、政治家の先生が僕に興味を持ってくれたらしく、また会いたい、大宮まで来ないかと言ってくれているのだそう。※ 先生の自宅は大宮だそうです。すごいことになるかも!?興奮している。
2007.05.10
ブラック3232の話の続き。彼とは、大学時代の就職活動中に知り合った。折りしも時代は、就職氷河期の真っ最中。しかし、その中でも彼は燦然と輝いていた。そこからどういった流れで、どちらから声を掛けたか、今ではもはや覚えてはいない。代わりに、よく覚えているのは、当時のよく彼を僕の自宅(畳6畳一間)に呼んで、教育について語り明かしたこと。こんな先生になりたい。こういう教育者はダメだ。教育実習はこうだった。こういう生徒にはどう対応したらいいか?・・・・・・・・・大抵は、いつの間にか二人とも寝てしまって、起きたら、書置きがあって既に彼がいないって感じだった。今思うと昔から、あいつは睡眠時間が少ない(笑)。1年位前、我が家に来たときも、あいつは彼の友人兼同僚のでん先生を置いて、いつの間にか一人帰っていたっけ。友人は宝だ。友人のおかげでどれだけ助けられたことか。どれだけ幸せをもらったか。今、この塾がここまでの評価をいただけているのも、すべては僕の呼びかけに応じて力を貸してくれた二人の先生の力によるところが大きい。古くからの友人のK。大学時代の後輩のT。彼らは僕の人生の中でも、特に輝いていた二人。『彼らと一緒に塾をやることができれば、絶対に最高の塾ができる。』最初から確信していた。そして、その確信は、当たり前のように現実のものとなった。僕一人では何もできない。すばらしい人たちのおかげで、僕は今、こうしていられる。面と向かって言うのは恥ずかしいから、ここで言います(もし見ていたとしても言わないでね)。ありがとう。いつも迷惑ばかりかけてますが、助けてもらっていることは忘れません。ちゃんと返せるように、がんばります。
2007.05.02
先ほど帰宅。今回もまた、大学時代からの友人兼ライバルのブラック3232と仕事を含めた楽しい話。人は人と会うことによって、自分を知ることができると思っている。自分の(まだ)足りないところ、自分の(今は)優れているところを確認できた。ホント、いいライバルでありいい友人。『人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり』今日、2人の会話によく出たフレーズ。(2人して全部は思い出せませんでしたが)有名な武田信玄の言葉ですが、この言葉、社会に出るとより身に沁みますね。僕も、周りの人の城や石垣になれるよう、自らを磨いておかないといけません。人の石垣になれない者が、石垣になってもらおうなんて、甚だおこがましいので。以前、誰かの言葉に、「自立」は自分一人で生きていける力を身につけることではない。自分一人、それは「孤立」と言う。というものがあった。幸せは一人では得られないと思う。みんなで力を合わせて、みんなで幸せ。これがいい。ということは、その「みんな」に加えてもらわないと話にならないよね。「みんな」に加えてもらえるように、心も磨いておこう。P.S ブラック3232へ。そのカリスマ的な指導力の一端をちゃんとブログで公開しようぜ。「もったいない」なんて言って出し惜しみしないの。その圧倒的な技量を公開して世の中に還元しようね~!彼は、僕が数多く知っている塾講師の中でも随一の腕を持ってる人間だと思ってます。大学時代に、就職活動で出会った奴ですが、その後の教育実習、塾業界の模擬授業対決などでも圧倒的でした。勝手にライバルだと思っている人間です。彼のブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/gzm322/
2007.05.01
4月25日の記事のコメント欄に、僕の敬愛する先輩塾長から書き込みをいただいた。まさかこんなブログを見ていただいているとは恥ずかしい・・・。そう、僕がまだ学生インターンの頃の話。この方に、僕は社会人として、また塾講師としてのイロハを教えていただいた。その後も、力を貸してくれた事を挙げれば、それこそキリがない。塾を独立する際、背中を押してくださったのも、開塾に至るまでの様々な手続きについて助言をくれたのも、開塾後に訪れた不安に打ち勝つ勇気をくれたのも・・・。この方のおかげで、これまでの苦難を乗り切る事ができた、そう言っても、言い過ぎなんかじゃない。いつもありがとうございます。そして、これからも宜しくお願いします。
2007.04.27
昨日は新宿で、旧友のブラック3232氏と、先日、河合先生からご紹介いただいたN塾長を誘い、飲み会を開いた。いやいや、とても幸せな出会いだった。それにしても、いい先生はいっぱいいるものだ。ブログを初めて知ったときもそう思ったのだが、「塾講師は、みんないい先生ばかりなのでは?」と思ってしまう。こりゃ、そう易々と市内No.1なんて獲れないね。道のりは長い。精進しないと。
2006.10.30
体調がいまだ優れず、むしろ悪化。明日は休みだ。ゆっくり休もう。北辰の第二戦が帰ってきた。将来のためにも、その結果を記しておこうと思っているのだが、その結果が掲載されている用紙をいつも忘れてきてしまう。(ブログはいつも帰宅後に書くため)5科で57.5だったのと、英語が60を超えたことは覚えているのだが。詳細は後日にしよう。そんなことよりも、今日はすばらしい出会いがあった。以前、このブログ内で紹介したことのある『河合先生』。この先生が、引退後に某底辺校へ、その手腕を請われ就任した。今日はその某高校の説明会に行ってきた。正直、その高校は僕の知っている限りでも、今時、珍しいくらいの荒廃ぶり。私立高校なのに、生徒はピアス、茶髪は当たり前。(別にピアス・茶髪が悪いと言っているわけではない。念のため)廊下にはガムや唾が吐かれていて、埃や紙くずが散乱。挙句の果てに、新教師陣と旧教師陣が闘争中で、腕章を付けて取っ組み合いを、我々の前でおっ始める。学校の正門前では、旧教師陣がビラを撒きながら、拡声器で校長ならびに新教師陣の悪口を叫ぶ。偏差値はss42で合格。不合格者は当然0人。というより、めちゃくちゃ定員割れ。こんな学校だ。そんな高校に河合先生が就任して半年。河合先生から、「是非来て、先生の率直な感想を伝えて欲しい」とのお電話を頂き、塾対象説明会に参加してきた。いやいや驚いた。河合先生が凄い方なのは知っているつもりだったが、改めて、そのお力に驚愕した。わずか半年で、そんな高校に変化が出ていたのだ。詳しいことを書くとあまりに長くなるので、割愛させていただくが、トップでこうも変わるのだと、今一度、再確認する良い機会になった。それだけで十分に勉強させていただいたのだが、それ以上に嬉しい、新たなる出会いも、河合先生から頂いた。河合先生のご推薦。昨年、埼玉県内最大手塾より独立した若手塾長である。河合先生は、僕とその先生をお互い紹介した後、まるでお見合いのように。「後はお2人で」と言って去っていかれた。その後、意気投合。2時間ばかりお話させていただいた。僕は、ここまでに至る経緯を、彼は、内装業者との上手なやり取りを、中心に情報交換し合った。今後も続く、良い出会いになることを心より願いたい。う~ん、鼻水が止まらん。頭痛も激しい。こんな駄文、ブログに載っけていいんだろうか。いいや、修正は後日することにしよう。
2006.10.17
9月10日、静岡県御殿場にて、big-tanuki先生主催の勉強会に参加させていただきました。期待と不安、両方が交錯するような、緊張の面持ちで伺ったのですが、非常に気さくな方々、特に主催者のbig-tanuki先生のお気遣いに、深く感動しました。夜は、温泉上がりに無理をしたせいか、体調を崩してしまい、勉強会の後の集まりに参加できず、残念な思いが残りましたが、それでも僕にとっては十分すぎるほどの時間をいただいたと思っています。(皆様には大変ご心配をおかけしましたが。。。)この度、縁があってお会いしたすべての先生方に、この場をもって改めて御礼申し上げます。最後に、big-tanuki先生へ。その生き方に触れさせていただけたことが、私にとって、最大の収穫でした。先生がおっしゃってくださった、私たち3人(私、ブラック3232先生、でん先生)の持つ『可能性』。時をムダにしないように突っ走るつもりです。これからもよろしくお願いします。
2006.09.12
僕には、まるでドラマか何かに出てくるような、絵に描いたような「幼なじみ」がいる。(みんないるのかもしれないが・・・。)彼は、物心付いたときからそばにいた。同じアパートだったし、同じ年だったし、両親も同じ職場で知り合いだったので、それも、当然と言えば当然だったと思う。彼とは、幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、ずっと同じだった。大学は、彼は非常に優秀だったので、とても同じ学校には行けなかったが、ときおり電話するなど、関係は続いていた。彼は、僕を真顔で「数少ない親友、兄弟よりお互いを知っている」と、言ってくれる。僕も、彼を肉親と同じくらい大切に思っている。そんな彼が昨日電話をくれて、僕を勇気付けてくれた。「オマエの魅力があれば、何か型が外れれば、一気に大化けすると思う。オレは何でも力になるから。一緒に人生を楽しもうぜ。」と。ちなみに、彼は弁護士として、僕の想像を超えるような仕事をこなしている。(昨年の年収は5000万強だそうだ)さらに、成長するために今年、税理士(会計士だっけな?)の資格も取るらしい。今までも彼には十分過ぎるほどお世話になっている。ほぼ無料で、顧問弁護士契約を結び、様々な仕事を手伝ってもらっているのだ。そんな彼が、こんな僕のことを案じてくれている。ありがたい。こんな言葉で形容なんてできないが。僕は彼に何かできるのだろうか?
2006.08.21
昨日は、昔の同僚から久々に連絡があり、新宿でお酒を飲んだ。私が一時勤めていた、例の崩壊寸前の塾で、同僚だった内の一人である。会えば、必ずあの苦しかった時期の話になる(笑)。新卒の学生上がりが、いきなり直面した会社の崩壊。休日無し、深夜だろうが電話で呼び出し。就業時間も無視。いつ帰れるかわからないエンドレスな毎日。上司はいつもピリピリ。異様な緊張感。それゆえに繰り広げられる意味のわからない怒声や暴言。考えるのは如何にミスをしないか、そればかりの日々。極めつけは、給与支払いの先延ばしや、未払い。そして、いつ会社が無くなり放り出されるかわからない不安。当時は結構笑えない状況の連続だったが、今なら笑い話になる。彼も、「あの当時と比べると、会社でどんなことがあっても幸せに感じられるよ。 戦時中を味わった方々もきっとこんな気分なんだろうね(笑)。 会社の同僚が言う、つらい、大変だ、なんて大したことのように感じないんだから」と、大笑いしていた。それにしても、彼とは知り合って長いものの、実際に共に仕事をした期間は短い。にもかかわらず、まるで昔からの、まるで戦友のような信頼感を感じるのだから不思議だ。やはり苦労を共に乗り越えた仲間には、特別な何かを感じるのだろう。生徒達にも伝えたい。入試も君らにとっては苦しいことかもしれない。しかし、その苦しい思いを共に乗り切ったからこそ得られる信頼感、それを一人でも多くの人と分かち合って欲しいと願う。それこそがまさに人生の財産になるのだから。最後に、当時の同僚の一人が、大きな病気を患ったと聞いた。早速、彼に電話すると元気そうではあったが、脳梗塞の一種で、ある種爆弾を抱えたような状態とのことだった。偶然にも発見が早かったため、大事には至らなかったとのこと。彼はまだ29歳。「人生は時限付きだってことを実感したよ。 ありきたりの言葉だけど、ホント一日一日を大事に生きないといけない。 健康にも気を配って、どんなことがあっても後悔しないように生きないとね。」と言う、彼の言葉は重かった。今は何より体を休めて欲しい。全快することを心より願う。
2006.08.17
8月2日の21時頃、私が尊敬している先生の一人、河合教頭が当塾に来られた。河合先生は、川越東高校、星野女子高校を立ち上げたメンバーの1人で、担当する部活を全国に常連校に育て上げ、また、教頭として、その両校を進学実績においても、埼玉を代表する進学名門校にするなど、その卓越した手腕(豪腕?)により、埼玉の私学界では非常に有名な先生です。一昨年、定年を迎えられ、隠居すると申されていましたが、すぐに各私立からオファーが殺到。現在では、その中の一つである「大○高校」の教頭に就任されております。ちなみにこの「大○高校」。東京の方ならご存知だと思われますが、今時珍しいくらいひどい学校。偏差値はもちろん底辺。校内も荒れ放題。先生も無気力。生徒も当然集まらず、特進クラスは受験者2名。仕方が無いから「どんな生徒も入れてしまおう」で、生徒層はまるで私立とは思えない状態。この状況を打開しようと、理事長が招聘したのが、東京都立高校界では、八王子東高校を都内トップ校の一つに変えたことで一躍有名になった殿前氏。(その手腕は本にもなっているくらいです)この先生を校長に据え、改革を試みたのが2004年。しかし、旧体制の教員組合の強い抵抗を前に足踏み状態が続き、ますます学校の評価は下がる一方。そのような中、白羽の矢が立ったのが河合先生でした。本人曰く、「ひどい学校と聞いてはいたので、どんなもんかと実際に見に行ったらひどいひどい(笑)。授業中も廊下に女生徒が座り込んで化粧しているし、男子生徒は暴れまわっている。正直、こんなとこには、絶対に行きたくないと思っていたけど、殿前校長の人柄と熱意が惚れてしまってね。ここでもう一花咲かせようかと。それに、ここまでの高校を変えるってことは、大勢の生徒たちを救うって事だから。教師としてなによりやりがいがあるよ。」そして、「ただ、やるからには徹底的にやらせてもらうつもりだよ。私が辞める時は暴力事件で訴えられたときだ。」と、豪快に笑われました。ちなみに河合先生、60歳過ぎとは思えない、ものすごい体つきで、若い頃は生徒を取り戻すために、暴走族に一人飛び込んで暴れたとか、ヤクザの事務所にのり込んで直談判したとか、校内に入り込んで暴れる前科6犯の男を取り押さえるために、その膝を破壊した、など様々な武勇伝をお持ちの武闘派先生。その拳にはいくつもの傷跡が・・・(苦笑)。この先生が、なぜか私を気に入ってくれ、以来、私たちの塾の「一人元老院」としてアドバイスを送ってくださる。その豊富な人脈から、県立、私立を問わず貴重な情報をいくつもらっただろう。おかげで今では、高校情報においては、個人塾にもかかわらず質量ともにどこにも負けない。河合先生、いつもありがとうございます!先生のお言葉、肝に銘じ、そのご期待に背くことのないよう、最高の塾を創ります!
2006.08.03
昨日、高校時代からの親友から久しぶりに電話があった。彼も高校時代から教育に熱い想いがあり、よくこれからの教育、理想の先生について語ったものだ。道は違うながらも、今では北海道大学で「第二言語の習得における効果的な教育法」について研究している(研究内容が違っていたらゴメン)。そんな彼からの電話。いつもなら僕の仕事時間内にはかけてこない彼がどうしたのだろう?なんと!そんな彼がまだ30歳にして、今年の9月から愛媛大学の助教授に就任することが決まったのだという。すばらしい!本当におめでとう!彼が今までどんなに悩み、いくつもの壁を乗り越えてきたのか、僕はその内のごくわずかしか知らないだろう。それでもそのひたむきな姿にはいつも圧倒され、少なからず影響を受けてきた。心の底から尊敬できる友人に、いつまでも親友だと思ってもらえるように、僕もがんばらなくては。
2006.07.15
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