ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2017.04.02
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カテゴリ: 国際政治
クロニクル フォークランド紛争勃発

1982(昭和57)年4月2日

35年前のことです。フォークランド諸島は、イギリスとアルゼンチンが、かねてから領有をめぐって争っていたパタゴニア沖400kmの海上に浮かぶ群島です。

この地は、西欧諸国による世界の植民地化が進行する過程にあった1833年に、当時最大の植民地大国だったイギリスが領有を宣言して植民地とし、以後ずっと領有し続けておりました。

一方のアルゼンチンは、フォークランド諸島は1816年の独立時に、当時の宗主国スペインから継承した固有のアルゼンチン領だと主張して譲らず、両国の主張は真っ向から対立していました。

しかし、この時まで両国の軍事衝突はなかったのです。それが一転。35年前のこの日、武装した2000人のアルゼンチン軍が同諸島を攻撃、79人のイギリス軍警備隊を降伏させ、同島を武力で占拠したのです。

開始されたのは、5月20日のことでした。

イギリス軍は、空母を含む40艘の大艦隊で周辺海域を封鎖し、制空権をも確保した上で、同諸島のアルゼンチン軍を総攻撃。6月14日に、アルゼンチンの同島守備軍が降伏して戦闘は終了しました。アルゼンチン側死者712人、イギリス側死者225人を数えました。

装備の点で劣り、海・空軍力に決定的に劣るアルゼンチンが何故無謀な戦いに突入したのかが、問題になります。しかし、この点は当時アルゼンチンが軍事独裁政権下で、極度の経済不振に悩まされていた(第2次オイルショック不況下で、債務危機に陥っていました)ため、内政の失敗を固塗するために、冒険主義的行動に走ったものと考えられています。結果は失敗に終り、アルゼンチンの民政移管を早める結果に繋がりました。

対するイギリスでは、サッチャー首相の評価が高まり、彼女が[鉄の女」と形容されるようになるのは、この戦争がきっかけでした。しかし、政治家のメンツのために命を落とした両軍合わせて937人の死者は、浮かばれませんね。





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最終更新日  2017.04.02 12:27:07
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