ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2019.05.12
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カテゴリ: 日本史
クロニクル 5人の長州藩士イギリスへ密出国

1863(文久3)年5月12日

文久3年というのは、森鴎外の誕生の1年後のことです。この日の2日前、長州藩は下関で米国船を砲撃するなど、一方で攘夷を実行していたのですが、もう一方で海軍の建設や洋式工業の研究のため、密かに英国へ留学生を送る計画も進めていたのです。

そして156年前のこの日、伊藤俊輔(博文)・井上聞多(馨)等5人が、横浜港で ジャーディン・マジソン商会の持ち船に乗り込み、英国へ向け密出国しました。

渡航費用は1人1000両、合計5000両が同商会に支払われました。ロンドン着は9月23日でしたから、4ヶ月と11日の長旅でした。

彼等はロンドンで英語を学びつつ見聞を広め、攘夷の愚かさを覚りました。しかし1864年に入って、下関の砲撃事件に鑑み、列強が事件の報復のために、4国連合艦隊による砲撃を計画していることを知り、伊藤・井上の2人は、急遽帰国を決意、6月10日に横浜に帰着しました。

この5人組、伊藤博文は千円札にもなりましたし、どなたも御存知の人物です。井上馨は初代外務大臣として欧化政策を推進、条約改正に尽力しましたが、志なかばに倒れました。

イギリスに残った3人はどうだったでしょうか。

その1人 遠藤勤助は、造幣事業に一生を捧げ、お雇い外国人から独立した、日本人自身の手による貨幣鋳造に成功して、造幣事業の父と讃えられました。



3人目の野村弥吉(後、井上勝)は、新橋~横浜間の日本最初の鉄道敷設を指揮し、その後も全国の鉄道建設事業に辣腕を振るった鉄道の父です。晩年小岩井農場を創設したことでも知られます。

イギリスに残った3人も、近代日本の礎を築く上で、必要欠くべからざる事業を担当して、大きな成果を上げているのです。。こうしてみると、長州藩がジャーディン・マジソン商会に支払った5千両、決して高かったとはいえないようですね。

幕末日本の歴史秘話でした。





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最終更新日  2019.05.12 22:22:20
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