昨日(17日)は八尾市方面へ、南方向の銀輪散歩。
花園中央公園に立ち寄った後、恩智川沿い、途中から玉串川沿いに銀輪散歩して参りました。
当ブログをお気に入りにご登録戴いているブログ友のアメキヨさんが、先日エゴノキの花の写真をブログに掲載されていました。この木、花園中央公園にも何本かある。先ず、その花を見むと、立ち寄ってみることにしました。今年はこの花を未だ見ていないことに、彼女のブログで気付かされたからであります(笑)。
(エゴノキ)
公園の木は、それほど大きな木ではないのだが、4~5本植わっている。既に散り始めているようだ。木の下が白くなっている。
(エゴノキの花)
それでも、木には未だこのようにいっぱいの花が。もう少し近付いてみましょう。
(同上)
<関連記事> エゴノキ(ちさ)の花が咲いた
2008.5.6.
エゴノキ(ちさ)
2007.8.11.
(同上)
この家持の歌は、部下である
尾張少昨
が
佐夫流兒
という遊女に夢中になって妻を顧みなくなったので、彼を教え諭した歌であるというのが面白い。
(歌の全文は上の関連記事「エゴノキ(ちさ)の花が咲いた」に掲載していますのでご参照下さい。)
まあ、小生は教え諭したと言うより、宴会でからかったのではないかとも思うのであるが・・(笑)。
(同上)
エゴノキの隣にはミヤマトサミズキが実を付けていました。
(ミヤマトサミズキの実)
(同上)
そして、少し離れた処にはシランが咲いていました。シランは万葉歌には登場しませんが、巻17-3967の歌の序文に「・・あに慮りきや、蘭とけいとくさむらを隔てて・・」とある「けい」(原文は草かんむりに恵という字)がこのシランだという。
<関連記事> 紫蘭(シラン)、定家蔓(テイカカズラ)
2008.5.2.
(シラン)
(同上)
(同上)
花園公園を出て、定番の恩智川沿いの道を走る。途中で左折、西に向かい、玉串川沿いの道に移り、更に南へ。やがて、西へとカーブして来ている外環状道路にぶつかる。外環状道路を暫く行くと八尾市都塚付近で道路の反対側左手に神社の森らしきものが目に入る。横断歩道のある場所で横断しようとするが信号が赤になってしまう。待てないヤカモチは、帰途に立ち寄ることとし、右折して脇道に入る。出鱈目に走っている内に以前来たことのある弓削神社に出くわした。
(弓削神社)
弓削氏は、ニギハヤヒを祖とする物部氏(石上氏)の配下にあった氏族である。蘇我・物部戦争で蘇我氏にしてやられた物部守屋は母方の姓に因んで、物部弓削守屋とも言うが、守屋の後裔は弓削氏を名乗っている。
弓削氏は河内国若江郡弓削郷(現大阪府八尾市弓削町付近)を本拠地とするが、何と言っても有名なのは、称徳天皇に寵愛され権勢を誇るも、その死と共に失脚、下野に左遷されてしまう、怪僧・道鏡であろう。
(同上)
下の説明板によると、河内国では枚岡神社、恩智神社に次ぐ神社であったそうだから、この神社の南西志紀駅を挟んで反対側の弓削町にあるもう一つの弓削神社と一体の大きな神社であったのかも知れない。
弓削神社から少し南に行くと外環状道路。もう一つの弓削神社と八尾空港でも回ってみるかと思うが、空の雲行きが何やら怪しいので引き返すことにする。道路の反対側に渡り、往路で見かけた祠に立ち寄って行くことにする。
(都留美嶌神社)
<参考(2011年5月19日追記)>
「 復 剣の 頭 より 垂 る血、 激越 きて神と 為 る。 号 けて 闇 ? と 曰 す。次に 闇山祇 。次に 闇罔象 。 然 して 後 に、 伊奘諾尊 、 伊奘冉尊 を追ひて、 黄泉 に 入 りて、 及 きて 共 に 語 る。」(日本書紀神代上第5段)
<追記・注>
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