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昨日(7月20日)の同窓会・青雲会総会のアトの同期5人での喫茶店での寄り道雑談の中で、弁護士をやっている出〇君から同期の油野君が今年の1月26日に亡くなったということを知らされました。 母親の死後相続したアパートか貸家住宅かに関し、何やら法律的な相談を弁護士として受けていたとかで、そんな関係もあってか、出〇君は彼と電話連絡をとることが多くあったのだろう。そんな中で彼の死亡の情報もいちはやく知ることとなったのだと思われる。 油野君は、目のギョロリとしたやや太り気味の男であるが、学生時代の彼がどんなであったかは余り記憶がない。何となく気難しくとっつきにくい雰囲気を醸していたような気もするのだが、本当のところはどうであったのかは、よくは知らない。サークル活動やゼミなどでも接点がなく、これといった学生時代の彼についての記憶がないヤカモチでありましたが、同窓会総会や同期会の集まりなど、卒業後の交流の中で親しくさせて貰っているうちに、笑った顔が何やら人懐っこい表情で好感が持てるなど、幾分ぶっきらぼうなその口ぶりにも似ず、性格の良い、いい奴なんだという印象に切り換わって行ったのでありました。 もう12年以上も前のことになるが、彼が自費出版した詩集や歌集・句集の贈呈を受けたことがあり、そのことについてのブログ記事を書いたのも懐かしい思い出である。<参考>天元、煩悩、円空、青空 2011.12.1.(詩集 円空<平成19年9月30日発行>)(天元 油野勤歌集<平成23年9月1日発行 神谷書房>) 同期会開催の連絡などは電子メールで行うことになっているが、油野君はパソコンもやらず、スマホなど携帯電話も所有しないという完全アナログ派であるため、彼への連絡はヤカモチが彼の自宅の固定電話に架けてその内容を知らせるのが常のこととなっていた。 そんなことで、彼も同窓会や同期会のことに関しては、ヤカモチに電話を架けて来て、照会をするということがよくありました。(青空 油野勤句集<1997年12月20日発行 そうぶん社出版>)(煩悩 油野勤第二句集<2008年7月1日発行 そうぶん社出版>) 我々の同期会である「夕々の会」がコロナ禍の所為で長らく休会としていて、現在に至るも再開を果たしていないのであるが、昨年の春であったか、一昨年の秋であったか、記憶がはっきりしないのであるが、会の再開はどうなっているのかという電話を彼から貰ったことがある。思えばそれが彼と言葉を交わした最後であったということになる。 1月26日であるから、亡くなって既に半年が経過しようとしている時点での友人からの伝聞で知ったという事情にもよるのか、知ったのは昨日のことであったのではあるが、とても驚いたには驚いたとは言え、何やら実感が伴わないと言うか、現実感の乏しいもので、もうあの人懐っこい笑顔と逢うことも、あのぶっきらぼうな口調の声も耳にすることができないのだということが、イマイチピンと来ていなくて、想像力をめぐらすことによって漸くその寂しさが、思いと少し遅れで追っかけて来るというような感じで、その寂しさや残念さというものが感じられた、ということでありました。 遅ればせではありますが、同君の生前のあれこれを偲び、そのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。在りし日の 背子が笑まひや あれこれを 思へば心 痛しも悲し (偐家持) 当ブログ記事で、油野君の名が登場する記事は、調べてみると、下記の通りでした。<参考>青雲会総会で梅田まで銀輪散歩 2021.10.3. 同期会・青雲塾万葉ウオーク・第8回ナナ万葉の会 2014.11.29. 夕々の会・2014.5.30. 2014.5.30. 夕々の会・2013.11. 2013.11.29. 夕々の会 2013.5.31. 大学の同期会 2012.5.25. 同窓会つづき 2011.11.27. 同期会NOV.2010. 2010.11.20.
2024.07.21
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今日(7月20日)は、大学の同窓会・青雲会の総会でありました。 ヤカモチは法学部に学びましたが、大学は各学部ごとに同窓会組織を結成していて、法学部の同窓会の名称が青雲会という次第。 今年は青雲会結成70周年に当たり、節目の総会であったことになる。 会場は大阪駅前の新阪急ホテル。 梅田界隈はヤカモチ的には銀輪散歩の範囲内ということになるのであるが、今回は電車で出向くこととしました。3年前か4年前かに自転車で出かけたことがあり、汗だくになってしまった経験に鑑み、また熱中症警戒アラートが出ていることでもあることから、自転車で出かけることは自重したという次第。 午前10時30分開会ということで、最寄り駅発9時15分発の電車に乗り、会場到着は10時20分頃。(青雲会総会・開会前風景) 今回は、同期の薮中君が講師となって講演をするということなので、同期諸兄も多く出席するのではないかと期待されたのであったが・・。(青雲会会報) 果たして、出席者全91名中、同期の出席者は黒〇君、出〇君、蝶〇君、永〇君とヤカモチの5名のみ。 まあ、昨年は佐〇君とヤカモチの2名であったことを思えば、倍増には違いないのであるが、常連の佐〇君の欠席も気になるし、もう少し多くの出席を期待していたので、少しばかりガッカリでありました。 総会議事終了後、第二部の講演。(同上・第二部講演) 第二部は薮中三十二氏による「激震の国際情勢と日本の針路」と題する講演でありましたが、ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルのガザ攻撃、アメリカ大統領選挙、中国の海洋進出、台湾問題、北朝鮮問題など、現下の国際情勢を俯瞰しつつ、日本のとるべき外交戦略、外交的努力の重要性を力説されました。 講演終了後、隣の部屋に移動して、第三部の懇親会であります。(同上・懇親会会場) 懇親会は的〇氏によるご挨拶と乾杯のご発声で開会となりました。(同上・乾杯のご挨拶) 食事のメニューの紹介は面倒なので、ホテル側作成のメニューを撮影して済ませることとします。(同上・メニュー) 来賓・招待者の指定テーブルを除き、自由席となっているようなので、同期の出席者に声を掛け、Fテーブルにつく。 Fテーブルは、同期の黒〇君、出〇君、永〇君とヤカモチが陣取るも、9年先輩の安〇氏、4年後輩の山〇氏と中〇氏が先んじて席を占めてしまわれたので、遅れて来た蝶〇氏は別のテーブル席に。 安〇先輩は、ヤカモチと同じ資本系列の会社に勤務されていた関係で、若い頃から親交のあった御仁。山〇氏は元青雲会副会長で、幹事会などでも以前から顔なじみの御仁。山〇氏と同期の中〇氏はヤカモチとしては今回が多分初対面。(同上・現役学生も参加) 青雲会では、懸賞論文を募集し優秀論文には奨学金を贈与するという活動を古くから行っているが、その入選者なども総会に招待して、その受賞を祝福するなどのことを行っているが、写真はそのような若い学生たちであります。(同上) 順番に紹介され、壇上から自己紹介とショートスピーチ。(同上)(同上) 続いて、恒例のビンゴゲーム。 これは、青雲会会員有志や協賛企業などから提供された色んな賞品の中から自身が希望するものを、ビンゴを達成した者から順に貰って行くというゲーム。 今回は「団体戦」なるものもあって、各テーブルごとにそのテーブルのメンバーでビンゴした者が3名以上に達すると、そのテーブルのメンバーで未だ賞品を貰っていない、つまり未だビンゴを達成していない者も、その時点で未だ残っている賞品のうちから好きなもの1点を貰うことができるというものである。 ヤカモチは最後まで、ビンゴはならなかったのだが、この団体戦のお陰で、賞品をゲットすることが出来たという次第。 我がFテーブルでは、安〇氏、黒〇君、中〇氏がビンゴされたので、未だビンゴしていない他の4名も「みなしビンゴ達成」ということになったという訳である。 何やかやと楽しいあれこれがあって、いよいよ中締めの時間となりました。(山〇氏による中締め) もう何年も前から、中締めは山〇氏の担当というのが恒例になっている。 大阪締めで締めるのである。 「打~ちましょ」 チョン、チョン 「もひとつせぇ~」 チョン、チョン 「祝うて三度」 チョチョンがチョン 以上で、お開きとなり、解散であります。 講師をつとめた薮中君は他用で懇親会はスルーであったのは、残念なことであったが、我々同期5名は、喫茶店で珈琲休憩でもしてから帰ろうかということになり、ホテルを出て近くの喫茶店に向かうも満席で5名は無理。2軒目も一杯。少し離れたホテル阪急インターナショナルの中の喫茶店なら大丈夫だろうと行くと、空きがありました。そこで、しばし旧交を温める雑談、閑談でありました。<参考>過去の青雲会総会関連記事 青雲会総会2023 2023.7.15. 2022年青雲会総会 2022.7.16. 青雲会総会で梅田まで銀輪散歩 2021.10.3. 2019年青雲会総会 2019.7.20. 青雲会総会2018 2018.7.21. 2017青雲会総会 2017.7.15. 2016年青雲会総会 2016.7.16. 青雲会総会2015 2015.7.11. 青雲会60周年記念総会 2014.7.19. 青雲会総会2013 2013.7.13. 同窓会総会 2012.7.14. 同窓会総会 2011.7.10. 同窓会総会 2010.7.10. 同窓会総会 2009.7.11.
2024.07.20
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二人乗りの自転車については、映像か写真かで見知ってはいたが、それがタンデム自転車という名前であることは、今回初めて知りました。 若草読書会の新入りメンバーである利衣郎女さんから、6月9日(日)にタンデム自転車試乗会のイベントがあり、参加申し込みをしているので、ヤカモチさんの都合がつくなら、お付き合い願えないかというメールを頂戴した。 ヤカモチが自転車を趣味としていて、あちこちを銀輪散歩しているということを、どなたかからお聞きになってヤカモチへの声掛けになったのだろうと思うが、この日はヤカモチにもこれという予定はなく、同行を承諾したのでありました。そのイベントは、公益財団法人公害地域再生センター(通称、あおぞら財団)が開催しているもので、同財団は各地でこのようなイベントを主催したり、同種のイベントを支援協力しているもののようです。(タンデム自転車) そのタンデム自転車というのは、上掲の写真のような自転車で、前席と後席の二人でペダルを漕ぐというスタイルの自転車である。 前席の人をパイロットと呼び、ペダルを漕ぐのは当然のこととして、ハンドル操作、ブレーキ操作を担当する。後席の人はストーカーと呼び、専らペダルを漕ぎ、推進力を高める役割を担う。ここでいうストーカーというのは、stalker(忍び寄る人、密猟者)ではなく、stoker(汽車・汽船などの火夫、蒸気機関車に石炭をくべる人)という意味である。 前席に晴眼者が乗り、後席に視覚障がい者が乗って、自転車レースをするという、障がい者スポーツの種目もあるとのこと。<参考>知ってました?「パイロット」を「ストーカー」することでメダルを狙うスポーツがあるんです さて、そのイベント当日は雨の予報であったので、参加申し込みをキャンセル。イベントとは関係なくあおぞら財団に申し込めば個人的にタンデム自転車のレンタルもできるということなので、後日に再挑戦することとしました。そんな経緯を経て、ヤカモチから同じく若草読書会のメンバーにして輪友でもある偐山頭火氏に声を掛け、今回のタンデム試乗にトレンクル(軽量小型折りたたみ自転車)による伴走という形で付き合わないかとの提案を投げてみました。 OKの返事を貰ったので、7月1日開催の読書会で日程調整をすることとなり、その結果、7月7日(日)実施で合意。 ところが、あおぞら財団は、土日祝日はイベント優先として居り、スタッフもイベントなどで出払っていることが多く、対応が困難なため、個人的なレンタル申し込みは原則として受け付けないこととしていることが判明し、またも「お流れ」となってしまいました。 ということで、当初計画からは、1ヶ月以上も遅れた、昨日(7月17日)になって、漸く実施できる運びとなったのでありました。 当日、近鉄奈良線小阪駅までヤカモチがトレンクルで出向き、同駅前で偐山頭火氏運転の車に乗り込み、次にJR阪和線我孫子町駅前で利衣郎女さんをピックアップして、あおぞら財団がある国道2号線の歌島交差点に向かうこととしました。 歌島交差点近くで目にとまった「かごの屋」で昼食を済ませ、あおぞら財団に出向く。所定の「タンデム自転車借用申込書」に記入して申し込み手続き完了。 ということで、何台かあるタンデム自転車の中から、上掲の自転車をお借りしたという次第。 二人で乗り、二人で漕ぐということで、両者がペダルを漕ぐリズムやカーブの際の体重移動など息が上手く合わないと、バランスを崩して転倒しやすくなるなど、いくつかの留意点があるので、先ず、そのレクチャーを受けてから、走行開始であります。(タンデム自転車についてのレクチャーを受けている 撮影者:偐山頭火氏)(旧大野川緑陰道路 撮影者:偐山頭火氏) 走行する道は上掲写真のような道です。 淀川に並行して流れ、下流で淀川に流れ込んでいるのが旧大野川であるが、これを暗渠(多分)にして埋め立て、地上部に歩行者・自転車用の緑陰道路が設置されている。 茶色舗装の道は歩行者専用道(右側)。 青色舗装が自転車走行可能の道(左側)。(旧大野川緑陰道路走行中のタンデム自転車 撮影者:偐山頭火氏) タンデム自転車は初体験なので、走り始めた時は、少しふらつくような感じもあったが、何度か繰り返しているうちに利衣郎女さんとの息もあって来たか、段々にスムーズに走り出せるようになりました。 途中、阪神高速3号神戸線の下を通り抜けた先で緑陰道路から出て、南に下ると姫嶋神社がある。神社の西側は姫島公園になっている。 姫嶋神社境内に万葉歌碑があるからとやって来たのはもう12年近く前のことなので、記憶もかなりあやふやになっているが、久々に再訪問であります。<参考>囲碁例会・姫島万葉歌碑 2012.9.5.(姫嶋神社・鳥居)(同上・本殿) 姫嶋神社の祭神は、阿迦留比売(赤留比売)、住吉大神、神功皇后。<参考>阿加流比売神・Wikipedia 住吉三神・Wikipedia 神功皇后・Wikipedia(同上・由緒)<参考>姫嶋神社・Wikipedia 姫嶋神社公式サイト 姫嶋神社の主祭神であるアカルヒメは、夫であった新羅の王子・アメノヒボコの暴言に愛想をつかし、彼女の祖国である日本に逃げ帰ったという女性である。<参考>アメノヒボコ・Wikipedia 都怒我阿羅斯等・Wikipedia 古事記のアメノヒボコ伝説と日本書紀のツヌガアラシト伝説とはほぼ似た話であることから、アメノヒボコとツヌガアラシトは同一とみなされている。 まあ、何れであれ、夫から逃れて小舟に乗って日本に帰り、新しい生活を始めようとしたということで、この姫嶋神社は「やりなおし神社」とも呼ばれているらしい。(同上・境内案内図) やりなおし神社ということで、境内の神武天皇遙拝所の中に設けられているのが、はじまりの碑。(同上・はじまりの碑) はじまりの碑は、神武天皇が初代天皇ということで、その意味も込めてのものなんだろうが、決断することで新たな出発が順風満帆に進むよう祈願するのが、この場所だという。 この神社では、絵馬としてホタテ貝の貝殻を利用して居り、それはアカルヒメが小舟で海を渡ったことになぞらえてのものだとのこと。貝殻に願い事を書いて納めるのだという。ご覧のように絵馬として納められたホタテ貝がいっぱい吊るされていて、独特の景観を醸している。(同上・玉栄稲荷社) はじまりの碑・神武天皇遙拝所の左側奥にあるのが玉栄稲荷社。 はじまりの碑・神武天皇遙拝所の右側奥が金刀比羅宮。(同上・金刀比羅宮) 写真正面奥が金刀比羅宮である。 左手前が「感謝のおもい塚」で、今は使われなくなった古い狛犬などを積み重ねた塚である。その左奥、ジーパン姿の男性がお参りしているのが、元楯社、土地の鎮守の神様をお祀りしている祠である。(同上・万葉歌碑) そして、最後は本殿の西側にある万葉歌碑です。妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松が末うれに 苔生むすまでに (河辺宮人かはべのみやひと 万葉集巻2-228)(美しいおとめの評判は千代までも伝わるであろう、姫島の小松の梢に苔が生える後々の代まで。)(注)姫島については、淀川河口にあった島とのことであるが、此処西淀川区姫島説のほか、浪速区敷津西説、東淀川区南江口説、同北江口説などがある。歌碑の歌は上の通りだが、万葉集には、和銅4年(711年)に河辺宮人(経歴不詳)が姫島の松原で、娘子の屍を見て悲しみ嘆いて作った歌と題詞にあり、この歌の次にもう1首掲載されている。難波潟 潮干(しほひ)なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも (同上 万葉集巻2-229)(難波潟よ潮が引くことがあってくれるな。水に沈んだおとめの姿をみるのは辛い。) 再び、緑陰道路に戻り、タンデム自転車での走行開始であるが、戻ると石のベンチが目に入ったので、そこで腰掛け、水分補給をするなどして暫く休憩。こういうことも熱中症対策としては大事なこと。木陰を吹き抜ける風に涼みつつのクールダウンであります。 我々が涼んでいる前をママチャリで通り過ぎた年配の女性が少し先で転倒されました。すぐに駆け付けて助け起こしましたが、幸い怪我は無かったようで、よかった。 それを機に我々3人も銀輪走行再始動であります。 当初の予定では、淀川の河川敷にぶつかる手前の新淀川公園まで走り、そこから引き返して来るということにしていたのだが、国道43号と交差する地点で、何やら工事中らしく、大きく迂回しないと先へは進めないよう。 ということで、そこまでとして引き返すことに。上流側の八丁橋交差点までで緑陰道路は終わっていたので、そこからまた引き返して、出発地点の歌島交差点近くのあおぞら財団のビルまで戻り、今回の銀輪散歩を終えることとしました。 走行距離としては少し物足りないが、猛暑下でもあり、初めてのタンデム経験なので、これ位が丁度よかろうと切り上げた次第。 帰途は、先ず利衣郎女さんをJR我孫子町駅前まで送り、その後近鉄大阪線俊徳道駅前で、ヤカモチは偐山頭火氏の車から下車、そこで彼とは別れ、自宅まで約30分余の銀輪散歩。午後7時過ぎの帰宅となりました。<参考>自転車関連の過去記事はコチラ。 若草読書会関連の過去記事はコチラ。(追記注2024.7.19.)偐山頭火氏も今回の件を記事アップされましたのでリンクを貼って置きます。タンデム走行会at「若草読書会」 2024.7.19.
2024.07.18
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先日の会津若松プチ散策(2024.6.27.記事)にて、マメグンバイナズナを初めて目にしたと書きましたが、わが足元の花園中央公園でもこれを見つけました。(マメグンバイナズナ) 会津若松市内で見たそれのように立派な姿ではありませんでしたが、間違いなくマメグンバイナズナであります。 花の名を知ると、スグにその花に出くわすということがよくある。 これは、きっと名を知ったことでそれへの注意力が高くなり、通常なら目にしていてもそれと気づかず見過ごしてしまうというようなことが一定程度少なくなるからなんだろう。 今回も、いつもならナズナであると見過ごしていたであろうところ、実の形が異なるマメグンバイナズナという植物があるということを知ったからだろうが、少し印象が違うと感じられたので、自転車を停めて接近してよく見てみると、マメグンバイナズナであったのでした。 ナズナはこれまでにも何度かブログ記事にその写真を掲載しているので、参考までにその記事のリンクを貼って置きます。<参考>くれなゐにほふ桃の花・第11回ナナ万葉の会 2015.2.24. 銀輪花散歩・ホトケの顔も 2016.3.22. 墓参・花散歩―南天の露から苔の麦畑まで 2017.4.4. 銀輪花散歩・花は盛りをみるべかりける 2017.4.10. すみれつめくさからしななづな 2020.4.10.(同上) 上記参考記事に掲載の写真をご覧いただけば分かるが、ナズナの実は三味線のバチの先のような三角形に近い形をしている。 これに対して、マメグンバイナズナのそれは円形である。(同上) 同じく、花園中央公園で見かけた花です。(ヒメジョオンとアカバナユウゲショウ) 自転車で通り過ぎた瞬間の一瞥では、アカバナユウゲショウの赤花と白花が並んで咲いているように見えたので、引き返してみたのだが、白い方の花はヒメジョオンで、残念ながら白花のアカバナユウゲショウではありませんでした。 そして、公園の池に群れ咲いていたのはオオバナミズキンバイ。(オオバナミズキンバイ)<参考>オオバナミズキンバイ・Wikipedia 後方に見えているのは、花園ラグビー場です。(同上) 写真を撮っている時は昨年7月にもこの花のことを記事にしていることを忘れてしまっていたので、重複記事となりますが、折角撮った写真を没にするのも癪なので、写真だけは掲載することとします。 この花についてのあれこれは、下記参考記事をご参照ください。<参考>オオバナミズキンバイ 2023.7.9.(同上)(同上)(同上)(同上)(同上) 以上、銀輪花散歩記事でありました。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.07.13
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昨日(7月10日)は、囲碁例会の日。例によって例の如く銀輪散歩を兼ねてMTB(マウンテンバイク)で梅田スカイビルへ。 猛暑の中の銀輪散歩、熱中症対策は不可欠。 先ず、コンビニに立ち寄り、凍結したスポーツドリンクを購入。これは或る程度まで解けないと飲めないので、もう1本凍結されていない普通のものを購入。 国道308号・中央大通りを概ね走るのであるが、大阪市内に入るまでは、これに沿った裏道を極力走行するようにしているので、その日の気分や成り行きでコース取りは一定ではない。 JR大阪環状線の森ノ宮駅の前で大阪城公園に入り、これを通り抜けて天満橋を渡った先の滝川公園で小休止というのが最近多いパターン。(オミナエシと大阪城) 森ノ宮駅側の入口から大阪城公園に進入すると入口前広場の花壇にオミナエシの花が咲いていました。 オミナエシは秋の七草の一つであり、万葉人も愛した花。ちょっと季節先取りという感じもしないではないが、旧暦だと7~9月が秋であるから、体感季節は別として暦の上では合致していると言うべきか。城を背に 今か咲くらむ 女郎花 秋来にけりと 云ふにしあるか (偐家持) オミナエシ(旧仮名遣いでは「をみなへし」)は、漢字では「女郎花」と書くように、女性のイメージを背負った花である。まあ、女性を花にたとえるのは男の常套手段であるから、花は全て女性のイメージを背負っていて、オミナエシに限ったことではないこととなり、実も蓋もないこととなってしまうが、漢字表記が直接に女性を示す花というのだから、やはり特別な花なんだろう。初蝉の 鳴くをし聞けば 女郎花 咲きたる見つつ 囲碁打ちに行く (碁八千島)(本歌)ひぐらしの 鳴きぬる時は 女郎花 咲きたる野辺を 行きつつ見べし (秦八千島 万葉集巻17-3951) そう言えば、前日(7月9日)今年初めてニイニイゼミの鳴く声を耳にしたのでありました。(滝川公園) 滝川公園で小休止。時計を見ると午前11時21分。 煙草一服と水分補給をして、再び自転車の人に。 梅田スカイビル到着は午前11時48分。 この日も、到着した時は駐輪場が満杯で、また前回のように里山でお弁当を食べながら駐輪場に空きが出るのを待つしかないと係の人と言葉を交わしていると、一人の女性が駐輪場に入って来て自転車を引き出そうするではないか。何とタイミングのよいことか。 駐輪も首尾よく果せたので、地階にある全席喫煙席というイタリアン・カフェレストラン、CAFFE PIAZZA DEL POPOLO(カフェ・ピアッツァ・デル・ポポロ)でランチ&珈琲とする。 昼食後、会場の部屋に行くとヤカモチの一番乗り。 汗で濡れてしまったTシャツを脱ぎ、体の汗を拭って、着替え用に持参の新しいTシャツに着替えて待つこと10分余。平〇氏が来られたので、彼と対局。 対局中に村〇氏、続いて福麻呂氏がご来場。隣で両氏の対局が始まる。 最後に青◎氏が来られて我々の対局を観戦。 平〇氏との対局はヤカモチの中押し勝ち。ヤカモチの2局目の相手は青◎氏であったが、これも中押し勝ち。連勝の好スタートであったが、続く村〇氏、福麻呂氏には負けて、結局2勝2敗に終わりました。 途中、平〇氏が「体の調子が悪いので・・」と早退されましたので、ちょっと心配でしたが、帰途に電話をすると無事ご帰宅でお元気そうな声であったこともあり、先ずはひと安心でありました。 帰途は、久しぶりに鵲森宮社に立ち寄ってみた。(鵲森宮・拝殿) この神社は2014年8月以来だから10年ぶりの立ち寄りである。<参考>鵲の森・SS会2014夏 2014.8.18. 鵲森宮公式ページ 鵲森宮、通称・森之宮神社というのがこの神社の名称。 創建は、崇峻天皇2年(589年)。 祭神は、用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子。 境内に大伴家持の歌碑があるというので訪ねたのが10年前のことであったが、今回行ってみるとその歌碑の場所が変わっていました。(大伴家持歌碑) 神社へと入るには、東側の玉造筋からの入口と西側の森之宮公園の方からの入口の二つがあるが、今回は森之宮公園側、つまり西側から入りました。 神社の拝殿は南向きであるが、拝殿に向かって左側つまり西側に、拝殿基壇の側壁を背に西向きに建てられていたと記憶するので、西側鳥居から入ると正面にその歌碑が見える筈。 しかし、そこに歌碑はない。振り返るとありました。 元の場所と通路を挟んで向き合う位置に、東向きに移設されているのでした。表側の入口と言ってよい玉造筋から境内に入って来るとこの歌碑が正面右手に自ずと目に入る位置になるので、歌碑に気が付かないということは先ずあり得ない。歌碑移設の理由は歌碑をより目立つようにするためということなのか。 10年前には無かった、「大伴家持歌碑」の銘と歌の文言を読み易い通常の文に変換したものを刻した副碑も設置されていた。(横枕南公園) 次の小休止は横枕南公園。帰途この公園で休憩というのも最近よくあるパターンです。 この公園で休憩している時に、早退された平〇氏に電話し、その後の体調のほどやいかにとお伺いしたのでしたが、正常に復されていたという次第。 そして、最後は花園中央公園で小休止して、無事帰宅。 ペットボトル3本を飲み干しての銀輪往復でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.07.11
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第30回和郎女作品展 今日は、5月9日以来となる和郎女作品展の記事であります。 このシリーズ記事は、友人の和郎女さんの作品をご紹介しているものでありますが、今回は、今月1日開催の若草読書会の折にお持ち下さった作品群をご紹介するものであります。(魚釣り) 各作品に付したタイトルはこの記事編集の便宜上、ヤカモチが勝手に付けたものでありますので、ご了承願います。 上の「魚釣り」と下の「トンボ捕り」は、木盤に設けられた穴に、男の子と女の子の背面に取り付けられた串状の木を差し込んで組み立てる方式になっています。 足元の釣り竿、籠、虫網などは、適当に盤上に置くだけとなっていますが、お薦めの飾り方を示した写真が印刷された紙が添えられていますので、これに従って組み立てなさいということです。 ヤカモチも写真を参考に組み立てた上で撮影したという次第。(トンボ捕り) 上の「魚釣り」も「トンボ捕り」も、下の「蛍狩り」も、子ども時代の記憶を思い出させてくれる、昔懐かしい、何やらホッとする作品であります。(蛍狩り) 蛍狩りなどは遠い記憶となりましたが、群舞するホタルを目にしたのは、今は亡き寿郎女さん・和麻呂君と共に、和郎女さん、リチ女さん、槇麻呂君、ヤカモチの総勢6人で熊野旅行をした2007年6月のことであるから、もう17年も前のことになる。 和郎女さんもこの熊野旅行で見た大井谷でのホタルの群舞が印象深くあったと見え、その思い出を語って居られましたが、この時にヤカモチが詠んだ歌が3首、当ブログにのこっているので、これを再録して置きます。恋ひ焦がる 魂かあくがれ 山かひの 闇に蛍の 舞ひ交はしゆく幽玄の 杉の林の 闇深く 人こそ知らね 蛍の舞ひしみ熊野の 大井の谷の 川の瀬に 蛍舞ひてし さ夜更けにけり ――熊野大井谷にて(蛍と団扇) 次は、梟。(フクロウのタペストリー) フクロウにも色々と種類があるようですが、アオバズクを詠んだ句を掲載して置きます。 これは、井浪立葉「夏椿」に掲載の句。 著者はヤカモチの中学時代の恩師のご夫人である。「夏椿」は、恩師が病に倒れ、その看病から最後の看取り、永遠の別れ、葬儀、そして夫亡き後に至る日々の中で詠まれた句を集めた句集である(平成16年6月発行)。 句集が発刊された際に彼女から贈呈を受けたその句集にアオバズクの句があった筈と、書棚の片隅から見つけ出しパラパラとめくってみると、ありました。 このような、幸せそうなフクロウの作品に添える句としては、場違いな気もするが、それも承知で敢えて掲載させていただきます。 夫眠る無音の刻を青葉木菟 青葉木菟あらはに熱の喉佛 青葉木菟祈りのこゑや夜が深む 別れのとき愛す愛すと青葉木菟 たはやすく愛すと言はね青葉木菟 骨となりても夫は夫青葉木菟 愛のうた語尾うつくしき青葉木菟(梟) 次はクマさんとワンちゃん。 上の梟や下のクマさん、ワンちゃん、写真がちょっとピンボケになっていますが、ご容赦ください。 読書会の隙間に慌ただしく撮影したので・・と弁解(汗)。(クマさんA)(同上B)(ワンちゃんA)(同上B) そして朝顔です。(朝顔) 今朝の銀輪散歩でも朝顔の花を見ましたが、毎日暑い日が続きます。 どうぞ、皆さま熱中症には十分お気をお付けください。 暑中お見舞い申し上げます。(朝顔のタペストリー) こんなエコバッグもお作りになりました。 若草読書会でのお土産の品やこれらの和郎女作品をいただいて帰る際にも便利だろうとお作りになったのでもあるか。 たたんで、クルクルと巻き、取り付けられたホックでポチッと留めるとコンパクトになり、携帯に便利です。(エコバッグ) そして、ストラップです。(ストラップ3種) ヤカモチは、左側のものを頂戴しました。そして、「フクロウのタペストリー」と掲載の「エコバッグ」とは柄違いのものを頂戴しました。 以上、和郎女作品展でありました。 本日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 フォト蔵アルバム「和郎女作品集」はコチラ。
2024.07.09
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一昨日(7月4日)の夕刻、友人のオガクニマン氏から電話があり、そちらに出掛けるので、久しぶりにランチでも一緒にという話。 ということで、6日(土)12時半に喫茶・ペリカンの家でランチということに決まったのだが、念のためとペリカンの家の店主、ももの郎女さんのブログを覗いてみると、7月2日から7日まで店は夏休みだとのこと。 翌5日朝にその旨を彼に電話連絡。喫茶・ペリカンの家の前付近で落ち合い、何処か別の店を探してランチにしようということとなる。 で、本日、愛車・トレンクル(折りたたみ小型自転車)で出かけることとし、喫茶・ペリカンの家近くのホームセンター、コーナン石切店に立ち寄ってスマホを見るとオガクニマン氏から4回も不在着信が入っていることに気付く。スマホがサイレントモードになっていることに気付かず、そのまま家を出たので着信に気が付かなかったのでありました。 すぐに折り返しの電話を入れると、彼も予定時刻よりも早くに着いたということなので、コーナンの前で落ち合い、近くにある「のらや石切店」でランチということに決め、のらやさんに向かう。しかし、沢山の人が並んで待っている状態であったので、その奥にあるカフェ・セルヴァでランチすることに変更。<参考>カフェ・セルヴァ・yahoo地図 カフェ・セルヴァ・食べログ カフェ・セルヴァはかなり以前に一度だけ入ったことがあり、のらやが一杯なら、こちらにしてもいいかと思ってもいたので、一応想定内の行動であります。 小洒落たパスタ・ランチを食べながら、半年ぶりの再会となる、あれやこれやの話で、愉快なひと時を過ごせました。 お勘定の段になって、当方の地元なので、こちらが持つ心算でいたのに、素早くオ氏が会計を済ませてしまったので、彼からのご馳走という形になってしまったのは「想定外」でありました。 また、お菓子の手土産まで頂戴した上、ペリカンの家の店主、ももの郎女さんへの手土産も用意されていて、帰り道、二人してペリカンの家に立ち寄り、夏休み中であったがご在宅であったので、それを彼女に手渡すことができました。 何にしても、オ氏のお心遣い恐悦至極、どうも有難うございました。<参考>オガクニマン氏のブログ ペリカンの家の前でオ氏とは別れ、花園中央公園に立ち寄ってから帰ることとする。 公園の花菖蒲の池の前のベンチに腰掛けて休憩している時に、指に小さな虫がとまった。体長2,3mm位の小さな虫なので、正体がよく分からない。 で、ジーンズのズボンの右太腿部分に指を持って行き、その布地に虫を這わせて、これを撮影することに。(クサカゲロウの幼虫)<参考>クサカゲロウ・Wikipedia 写真に撮って、大きいサイズで見てみると、クサカゲロウの幼虫のようです。 クサカゲロウも色々な種類のものがあり、どの種類のクサカゲロウであるかは不明であるが、上の写真のように、ゴミだの捕らえて餌にしたアブラムシの死骸だのを身体にまとい、天敵から身を守るというのが、この虫の習性らしい。(同上) ジーンズの布地の編み目のサイズとの比較によっても、この虫の小ささが分かるというものであるが、虫メガネなどがないと、肉眼では何ともよくは見えないサイズなのである。 ジーンズの上を右に左にと這い回っているうちに、ハラハラと身にまとったゴミが剥落し、幼虫の姿がよく見えるようになる。 クワガタムシのような大アゴを持っているのがよく見てとれる。(同上) 上の写真などは、さながら怪獣である。(同上) ほぼ正体が判明したので、ズボンからこの虫を払い落とす。 地面に落下すると、そこは蟻たちが動き回っている場所であるから、彼が生き延びることが出来るという保証はない。 少しでも安全な場所へ移そうと思ったものの、払い落とした瞬間に彼は行方不明。いくら探しても彼の姿を見出すことは出来なかったのでありました。是非もなし。 水分補給の後、帰宅の途につこうとしてトレンクルの後輪タイヤに目をやると、かなり摩耗が進んでいることに気が付いた。 ということで、馴染みの自転車屋さんに立ち寄り、後輪タイヤを新しいものに取り替えて貰うこととする。 合せて、後輪ブレーキの効きがイマイチよくないので、その調整もして貰って、無事帰宅でありました。 これでトレンクル君ももうひと踏ん張り頑張ってくれることだろう。
2024.07.06
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今日は月例墓参の日。と言っても決まった特定の日をそれとしている訳ではなく、毎月上旬のうちの都合の良い何れかの日に墓参をするというのが、ヤカモチ式月例墓参の日なのである。尤も、1月は前年の年末近くに月例墓参とは別に墓参をする関係上、月例墓参は省略・割愛となっているので、正確には毎月上旬ということにはならない。 我が家の先祖代々墓は、曾祖父が亡くなった時に祖父らが建立したものであるが、それはヤカモチが生まれる前のことであるから、曾祖父は写真によって知るのみ。曾祖母は、ヤカモチが3~4歳の頃に亡くなっているが、縁側で日向ぼっこをしている小柄なお婆さんという姿で彼女はヤカモチの幼い記憶の中にぼんやりと今も残っている。おそらく彼女に子守をしてもらいながら、彼女の隣にちょこんと座って二人で日向ぼっこをしていたのだろうと思われる。 この墓に眠っているのは、没した時期の早い順にこれを記すと、曾祖父、曾祖母、父の妹であるK叔母、ヤカモチの妹のT子、祖父、祖母、ヤカモチの長女であるY子、父、母の9名である。彼らの面影を一人ずつ思い浮かべながら合掌するというのが、ヤカモチの墓参である。(門前の言葉) 出会うということは 出会い続けていくこと ――宗 正元 さて、墓参は、墓地への坂道にとりかかったところにあるお寺の門前の言葉を眺めて行くというのが、お決まりになっている。毎月内容が更新されるようになっているのだろうと思うが、更新が遅れて前月のものが掲示されたままということもあるので、毎回新しい言葉に出会えるとは限らない。 まあ、それでも「出会うということは、出会い続けていくこと」なんだから、今後も墓参のたびに、門前の言葉には出会い続けて参りたいものであります(笑)。(墓地からの眺め) 墓地は、生駒山系の山並み西麓の高みにあるので、この時期、日の当たる坂道は、汗、汗、汗である。(墓地前の坂道の勾配) 坂道の勾配は、概ねこんな感じです。所々、もっと勾配のきつい急登もあるので、墓参も一仕事であります。 墓地の坂道を登り詰めたところに、昔からあるのが、シンボルツリーと言ってもよいクスノキの大木であるが、虫か菌にやられたのでもあるか、徐々に枯れ始め、ついにはこんな姿になり果ててしまいました。(墓地のクスノキの大木の現況) この木がまだ元気であった頃の写真が過去記事に掲載されていないかと探してみると・・。 ありました。2008年3月2日の記事にそれが掲載されていたので、比較のため、往時の姿の写真、再掲載させていただきます。(往時のクスノキの姿) まさに「昔の姿いまいづこ」「栄枯は移る世の姿」である。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.07.05
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昨日(7月3日)は、囲碁例会の日でありました。梅雨の晴れ間、雨が降る心配もなかったので、自宅から例によって銀輪散歩を兼ねてMTB(マウンテンバイク)で、会場の部屋がある梅田スカイビルまでひとっ走り、でありました。 この日の出席者は、福麻呂氏、平〇氏、村〇氏、青◎氏、ヤカモチの5名でありました。(対局風景) 上掲の写真は、奥が福麻呂vs青◎戦、手前が平〇vs村〇戦の対局風景であります。 ヤカモチは、青◎氏と平〇氏には勝ち、福麻呂氏と村〇氏には負け、2勝2敗と可もなし不可もなしの成績でありましたが、碁の内容は悪手も多く、不本意なものでありました。 さて、往路は、いつものコースで国道308号線(中央大通り)から大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。国道1号線から2号線に進み、出入橋交差点で右折、梅田2丁目西交差点、梅田ランプ西交差点経由、梅田スカイビルまでというもの。(大阪城公園)(滝川公園の道路向かいのお寺の門前の言葉) 梅田スカイビル到着は11時50分頃であったかと。 ところが、前回の例会の時と同様、駐輪場が満杯で駐輪ができない。 仕方がないので、出直すこととし、お弁当を購入し、梅田の里山の木陰のベンチで昼食を済ませることに。 自転車を手押ししながら中庭。ワンダースクエアを横切り、その奥にある里山の森へと入る。(梅田の里山)(同上) お弁当を食べながら撮った目前の眺めは上の2枚の写真のようなものでした。 お弁当を食べ終わった頃に巡回の警備員の若い男性が来られて、傍らに駐輪している我がMTBを目にとめて、「此処は駐輪禁止となっていますので・・」との御託宣。「駐輪場が満杯なので、空くのを待っているところです。」と申し上げて、了解を得る。 昼食後、自転車を押しながら森を通り抜ける時に目にとまったナツハゼの実を撮影。(ナツハゼの実)(同上) そのナツハゼの木というのは、下掲の写真です。(ナツハゼの木)<参考>ナツハゼ・Wikipedia ウイキペディアに掲載の写真の実の感じと何か違う感じがするのだが、それは気(木)の所為か(笑)。「ナツハゼ」という名札が掛けられているから、間違いないだろう。 ワンダースクエアの一角に設けられている喫煙所で煙草を一服してから、駐輪場へ行くと、幼児(男の子)連れの若いお母さんが、丁度自転車を引き出そうとされているところ。 そんなことで、無事駐輪が叶ったので、会場の部屋へと向かうことができました。 部屋に行くと、既に青◎氏が来られていたので、ヤカモチは彼と対局。 対局中に、平〇氏と村〇氏がご来場、隣で両者が対局。遅れて福麻呂氏が来場され、ヤカモチvs青◎戦が丁度終了したので、メンバーチェンジして福麻呂氏と青◎氏で打っていただくことに。 ということで、ヤカモチは観戦に回りましたので、その折に撮った写真が冒頭の写真という訳であります。 例会終了後、いつものベンチで平〇氏と煙草休憩の一服。 この日の帰途は、なにわ筋を南へと走りましたが、道頓堀川を渡ってスグの幸町1丁目交差点で左折、東に入るべきところ、うっかりして直進。 気が付くとJR大阪環状線・芦原橋駅東側まで来てしまっていました。 大阪環状線に沿う道を進み、JR今宮駅北側の道で東に向かうが、この付近は初めて走るので、見覚えのあるものはなく、まさに迷子の心境である。 地下鉄大国町駅入口のところで四ツ橋筋に入り、北へと方向を転じ、難波方向に戻ることとする。千日前通りの道に出たところで迷子の状態から解放され、OCATビルの前で小休止&水分補給。(OCATビル前の案内地図看板 N⇔S)※画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧ください。 千日前通りを東へと走り、花園中央公園で小休止後、午後6時過ぎの帰宅でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.07.04
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昨日(7月1日)は、若草読書会の例会でした。 課題図書はこれ。(堀田善衛・加藤周一「ヨーロッパ二つの窓」朝日文芸文庫)<参考>堀田善衛・Wikipedia 加藤周一・Wikipedia この本は、堀田善衛と加藤周一との対談をまとめ、1986年12月にリブロポートという出版社から出版された対談集であり、後に、朝日文芸文庫として出版されたもの。 堀田善衛は、ヤカモチの好きな作家の一人で、その著作の多くを若い頃からよく読んでいたので、馴染みの作家である。若草読書会でも「スペイン断章」など、過去に取り上げたこともある作家。 一方の加藤周一は、ヤカモチはこれまでその著作を一冊も読んでなくて、その名前だけは承知しているという存在。読書会メンバーの凡鬼さんは、加藤周一「日本文学史序説」(1975年-1980年)を読まれたらしく、秀逸の著作であると仰っている。 堀田善衛、加藤周一という二人の知の巨人の目を通して眺めたヨーロッパ論というのがこの本。トレドとヴェネツィアという都市の在り様や歴史から見えて来るヨーロッパ論ということで、「二つの窓」というタイトルになっているのだろうが、「二つの窓」というのは、著者(対談者)二人の目や思考を通してヨーロッパを見るということをも意味しているのかも。 対談集なので会話体で書かれている。 そのため一見は読み易い本のように見えるが、両者の会話は縦横無尽、広範多岐にわたり、その話題の背景となる歴史や地理や文化や思想などについて、読む側に一定レベルの知識や理解がないと、ついていけない点もあったりもする。 お二人が「そうそう」と言っていることが、何が「そうそう」なのかがよく理解できていないのに、こちらも「そうそう」という気になって、読み飛ばすと言うか、やり過ごしてしまったりするのは、会話体というものの陥穽である。読み易いけれど、難解な本と言える。 しかし、細部に於いて色々な気付きもあり、示唆に富む本であるから、今読んでも十分に面白い本である。 ヤカモチは、この本のことは知らなかったので、今回が初読。 古い本なので、書店に行っても見つかるまいとネットで検索したら、ブックオフのサイトで中古本が見つかりましたので、ブックオフに会員登録をし、申し込むと直ぐ本が送られて来ました。 一読したる後、恒郎女さんに横流しでこれを贈呈。彼女に読んで貰うこととしました。 発表者・講師の槇麻呂氏は、若い頃から、ヨーロッパを何度も旅行されていて、トレドもヴェネツィアも複数回訪問されて、その足で現地を歩かれているので、話者としては適任であるかと思うが、彼はこの本をどんな風に料理するのだろうというのが、ヤカモチとしては興味津々というか、楽しみでありました(笑)。 それに、槇麻呂氏も堀田善衛の「ゴヤ」、「若き日の詩人たちの肖像」など堀田善衛の本を結構読まれていて、その流れから加藤周一の本にも出逢われたという経緯なので、些か共通する面もあるのでした。(トレド 前掲書掲載地図)<参考>トレド・Wikipedia(ヴェネツィア 前掲書掲載地図)<参考>ヴェネツィア・Wikipedia 本書は、38年前の対談の記録であるが、ロシアのウクライナ侵略とウクライナへの軍事支援をする西側諸国という構図が長期化する中で、フランスでの右翼政党の躍進などEU諸国にも心配な動きがあり、米国大統領選挙でもバイデンの失速、トランプの勢いが加速するなどの憂慮すべき動きが見えるなど、気がかりな展開となっているが、この二人の知の巨人が存命であったなら、現在のヨーロッパ情勢についてどのような論を展開されるのか、聞いてみたいものである。 午後1時開会で、今回の例会出席者は、恒郎女さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、槇麻呂氏、偐山頭火氏、リチ女さん、和郎女さん、利衣郎女さん、ヤカモチの9名。 午後4時半頃まで、雑談、脱線話を交えつつ、楽しく愉快なひと時を過ごせました。 今回は、はるばる東京からリチ女さんがご参加。久々にお元気なお顔を見せて下さったのは嬉しいことでした。 また利衣郎女さんと偐山頭火氏とヤカモチとの間で、銀輪散歩の合意が成立し、今のところ雨でなければ、一応7日に実施することになっていますが、このような脱線話も適宜にというのが、この読書会であります。 また、例によって、和郎女さんは彼女制作の作品を多数お持ち下さいましたので、参加者でこれを分け合うというオマケもありました。 これらの作品はヤカモチのデジカメで撮影しましたので、追って、和郎女作品展という形で別途記事アップさせていただく予定です。(2024年7月1日若草ホールの前から高安山方向を遠望) 当日は、雨の予報で、出かける時には雨が降っていましたので、いつものMTBやCBの自転車ではなく、徒歩で若草ホールへと向かいました。 途中、郵便局に立ち寄り、大した金額ではありませんが、銀行振り込み扱いにしていない銘柄の株式配当金を受け取り、喫茶店で昼食を済ませた後、瓢箪山駅前の果物店で手土産の果物を買い求め、暑い中来られる皆さんへの差し入れにと、セブンイレブンに立ち寄ってアイス類を仕入れたりしたので、結構な距離を歩くこととなりました(この日の歩数計は9038歩)。 最近は腰痛が酷くなり、長歩きは腰に応えるので、できれば自転車で行きたいのだが、天気予報では大雨などという脅しもあったので、徒歩に切り換えた次第。結果論では雨がパラつく程度であったので、自転車での往復が可能でありましたから、選択を間違ったことになりました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。<追記>参考までに、堀田善衛全集第16巻(筑摩書房)の中に「加藤周一君―『ウズベック・クロアチア・ケララ紀行』について」という一文が収められていましたので、その写真を掲載して置きます。(「加藤周一君」)(同上・つづき)
2024.07.02
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