昨日の日記の続きです。
境内には「幻住庵記」の全文を記した陶板の碑がありました。横長なので6分割して撮影。参考までに以下に掲載して置きます。
「幻住庵記」に記載されている唯一の句が「先たのむ椎の木も有夏木立」であるが、その句碑が幻住庵跡碑と並んで建てられている。
先 たのむ 椎 の木も 有 夏木立
(夏木立に囲まれた庵の傍らには椎の木もあって頼もしく感じられる。)
古事記には応神天皇が木幡村で出会った少女に贈った歌があるが、それでは少女の歯並びの美しさを「椎菱なす」と表現している。万葉集では「向つ峰」 (神の降臨する山) に生える椎を歌っている (巻7-1099) ものや、椎の葉に飯を盛って神に捧げた有間皇子の歌 (巻2-142) があるが、椎の木も亦神聖な木とされていたようである。源氏物語の「立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本むなしき床となりにけるかな」 (宇治十帖「椎本」) の歌もあるように、古来、椎の木は絶対的な安心を与える象徴的な存在とされて来たようである。ここではその伝統を踏まえて「椎の木もあるから」と洒落ているのであろう。
上の幻住庵記4の8行目末尾から11行目にかけての文章「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みて自ら炊ぐ。とくとくの雫を侘びて、一炉の備へいとかろし。」とあることから、「とくとくの清水」と名付けられているようだが、小さな湧水がある。「湧水ですが飲めません」と記されているので、芭蕉さんの頃とは水質は違っているのであろう。
とくとくの清水の脇には小さな流れがあって、森閑な森の中でちょろちょろと絶え間ない音を立てている。「ほろほろと山吹ちるか瀧の音」の芭蕉句が似合う風情であるが、辺りに山吹の花はない。
そうこうしているうちに、背後で板戸を開けるガラガラ、バタンという音。どうやら幻住庵を管理されている方が開館の準備を始められたよう。物音が収まるのを待って、ゆっくりと幻住庵へと向かう。
はい、ご覧の通り、板戸が開け放たれていました。おじさんが箒かけされているのを暫く門の処で眺めつつ待ち、作業の切れ目と思しき頃合いを見はからって「おはようございます。」と声を掛ける。「ようこそ」と笑顔で迎えて下さり、ご自由に上ってご覧下さい、と仰る。
建物内部は「住み捨てし草の戸有。蓬、根笹、軒をかこみ、屋根もり壁落ちて、狐狸ふしどを得たり」 (上の写真、幻住庵記1の10~13行目の文章)
とは似つかぬ小奇麗な様。地元の方が句会や茶会に利用されているのでもあれば、「狐狸のふしど」であっていい訳がないのだから是非も無しですな。
縁側に座り込んで、管理のおじさんと世間話。年齢は72才とか73才とか仰っていたように記憶するが定かではない。幻住庵の掃除・管理は地元の方が輪番制で担当されているとのこと。今日はこの方が当番であったという次第。若い頃はミノルタや南海電車系列の子会社にお勤めで大阪で勤務されていたとか。長らく話し込んでしまったようで、気が付けば10時過ぎ。「ちょっと境内の掃除もありますので・・、どうぞごゆっくりされて下さい。」と彼が出て行く。気付かずに彼のお仕事の邪魔をしていたのかも知れない(笑)。
庭を掃除されているおじさんにお礼を述べてヤカモチも立ち去ることに。伽藍山の西側の道に出て南へ走る。滋賀刑務所の前を過ぎて道はゆっくり左へカーブ。京滋バイパスの下を潜ると程なく瀬田川沿いの道に出る。
南郷洗堰まで来たところで10時40分。暫く周辺を散策した後、石山寺方向へと引き返す。
石山寺はパス。門前の芭蕉句碑にだけご挨拶。
石山の石にたばしるあられ哉
門前を過ぎた処にある喫茶店「HOTORI」の前に差し掛かると中から手を振る人影。健人会のメンバー4人(岡◎、只麻呂、草麻呂、森◎の各氏)。小生もここで一休み。洗面所をお借りして汗を拭い、新しいTシャツに着替えるなどして新月へと向かう準備完了(笑)。
未だ書き足りぬこと多けれど字数制限のようにてもあれば、これにて完結と致します。
来し秋は近江の人と迎へばや (筆蕪蕉)
飛鳥川銀輪桜散歩(下) 2025.04.08 コメント(4)
飛鳥川銀輪桜散歩(中) 2025.04.07 コメント(4)
飛鳥川銀輪桜散歩(上) 2025.04.06 コメント(4)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着