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よしだかさん、初めまして、やまももです。 田中一村の牡丹の絵とそれに書き添えられた画賛について、よしだかさんのブログの「朝雲」と題された記事から貴重な情報を得ることができ、大変感謝しております。また、私のブログにわざわざコメントを寄せてくださり、この田中一村の牡丹の絵と画賛についての記事が「南海日日新聞」の10月5日に連載の第29回目のものとして載ったこと、その記事の筆者が一村記念美術館の顧問をしておられる大矢鞆音氏である等のことを教えてくださり、非常に恐縮するとともにまた大いに感激しております。 田中一村が扁額に描いた牡丹の絵には李商隠のつぎのような「牡丹」の詩を画賛に用いていますね。錦帷初捲衛夫人 繍被猶堆越鄂君垂手亂翻雕玉珮 折腰争舞鬱金裙 石家蝋燭做曾剪 荀令香爐可待熏 我是夢中傳彩筆 欲書花片寄朝雲錦幃初めて巻く衛夫人 繍被なお堆し越鄂君手を垂れ乱翻す雕玉の佩 腰を折り争そい舞う鬱金裙石家の蝋燭は做りて曾って剪り 荀令の香爐は薫るを待つ可けんや我はこれ夢中に採筆を傅え 花片に書して朝雲に寄せんと欲す なんとも難解な詩なので、インターネットでこの李商隠の「牡丹」の詩をちょっと調べてみました。そこで分かったことは、李商隠が様々な故事を用いて牡丹の花の素晴らしさを賞賛しているということです。 例えば、「石家蝋燭做曾剪 荀令香爐可待熏」という句では、晋代の石崇は薪の代わりに蝋燭を用いるほど家が裕福で、荀令という人物の家では香炉を用いずとも芳香が漂ったそうですが、そのような故事を用いて牡丹の富貴さや香りの芳しさを表現しているそうです。それから、「朝雲」は巫山の神女を指すようですね。 これらのこと、簡単に分かるわけがないですね。やたら典故を用いて飾り立てた漢詩ですから、いまの私たちの心に訴えるものはあまり無いと思うのですが、若かりし頃の田中一村はどのような気持ちでこの詩を牡丹の絵の画賛に用いたのでしょうかね。 なお、鹿児島市の山形屋で開かれた「田中一村展」で購入した『奄美を描いた画家 田中一村展』(日本放送出版協会、2004年1月)では、扁額に描かれた牡丹の花の絵を「扁額 花」として掲載しており、描かれた時期は「昭和三年」(1928年)としています。また、この絵はいまは田中一村記念美術館が所蔵しているとのことです。それから、山形屋で開かれた「田中一村展」につきましては、私のホームページに「田中一村展を見て」と題して紹介しております。
2005年10月10日
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私は田中一村の絵が大好きで、私のホームページに「田中一村の遊印」というページを設けたほどですが、その田中一村が描いたある南画の画賛について新たに判明したことがありましたので、そのことをこのブログで紹介したいと思います。田中一村は詩画一如の南画の世界で育まれた人間です。幼い頃から筆を握って南画を描いていた一村にとって、漢詩は絵を描く上での欠かせぬ基本的な教養であるばかりではなく、またそれによって美的感性を磨くとともに、その価値観の土台を形成し、さらに自らの日々の心情を託したり慰め励ましたりしていたと思われます。 田中一村の若い頃の画号は「米邨」(べいそん)だったのですが、1947年春に画号を「柳一村」と改めています。この「柳一村」という新しい画号は、陸游の詠んだ漢詩「遊山西村」の詩句中の「柳暗花明又一村」(柳暗く花明かるく 又一村あり)から選び取ったものだそうです。 そんな田中一村が米邨時代に描いた南画には、多くの場合、中国の漢詩が画賛(画中の余白に書き添えられた詩や文章)として書かれています。しかし、私のような人間には、それらの画賛の詩の多くがどのような詩人によって詠まれたものか残念ながらよく判りません。 昨年、全国で「奄美群島日本復帰50周年記念 田中一村展」が開催され、鹿児島市でも6月に山形屋で同展が開かれましたので、喜び勇んで出かけましたが、会場に飾られた米邨時代の南画にもやはり私にとって「詠み人知らず」の画賛が幾つもありました。 ところで、山形屋の会場に展示されていた一村の絵の中に、扁額に描かれた牡丹の花の絵もあり、そこにやはり漢詩が画賛として添えられていましたが、それが誰によって詠まれたものか今日になってやっと判明しました。 昨日、よしだかさんが運営しておられるブログに田中一村関連の記事が載っていることを知って同ブログを拝見したのですが、その2005年10月07日の「朝雲」と題された記事につぎのようなことが書かれてありました。地元の朝刊の「新・田中一村」という連載に、田中一村が米邨時代に描いた牡丹の絵の画賛についての言及があり、それが李商隠が詠んだ詩であったというのです。そして、よしだかさんは、その「最後の一行は、高橋和巳の訳によると、『この私の恋心を牡丹の花弁に書きしるし、巫山の方なる神女のように美しいお方に、その手紙を届けたく思う』となっているのだが、原文は『花片に書して朝雲に寄せんと欲す』となっているだけだ・・・『朝雲』にそんな複雑な意味があるのかな?」とコメントをされています。 この「花片に書して朝雲に寄せんと欲す」との字句を見て、私はそれが山形屋の会場に展示されていた扁額の絵に添えられていた画賛の結びの句「欲書花片寄朝雲」の漢文を読み下したものであることに気づきました。そうしますと、この扁額の牡丹の画賛は、李商隠の「牡丹」という詩から引用したということが判りますね。嬉しかったですね、前から気になっていた一村の南画の画賛の詩句の一つが判明したのですからね。 なお、「朝雲暮雨」という言葉がありますが、黒子知視さんのホームページの「慣用句辞典」にこの語句の説明があります。それから、一村が画賛に使った李商隠の「牡丹」の詩をはつぎのようなものです。錦帷初捲衛夫人 繍被猶堆越鄂君垂手亂翻雕玉珮 折腰争舞鬱金裙 石家蝋燭做曾剪 荀令香爐可待熏 我是夢中傳彩筆 欲書花片寄朝雲
2005年10月09日
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chiaさん、このブログの掲示板への書き込みに感謝します。 楽天のブログでchia33さんのお名前を見たとき、もしかして宮部みゆきファンのchiaさんではないかと思い、ブログ「初心者なんで、ごめんなさい」を拝見させてもらいました。 chia33さんのブログには「趣味は読書なんだけど、宮部みゆきさん以外はほとんど買ってないな」とあり、やはり chiaさんと chia33とは同一人物である確率はかなり高いのではないかと思っていたのですが、嬉しいことに「ブログにやまももさんのお名前を見つけ、びっくりして飛んできちゃいました♪/こちらでは、お初です&ご訪問ありがとうございました」とのコメントをいただき、そのことを確認することができました。 しかし、9月に私のホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板にいただいたメッセージでも「体調不良もありまして何となくネット離れしてたんですが」と書いておられましたが、ブログの記事にも病気のことを書いておられ、とても心配しています。体調のみならず精神的にもいろいろ大変だと思いますが、一日も早く健康を回復されることを心からお祈りいたします。 ところで、chiaさんが私の運営するホームページの掲示板に最初に投稿してくださったのが2002年の12月でしたね。 そのときのご投稿には、映画「模倣犯」のビデオでご覧になって複雑な思いを持たれ、気持ちのやり場に困られたときに、私のホームページの「映像化された宮部作品」掲載の映画「模倣犯」についてのコメントをお読みになられて、「まさに溜飲が下がる思いがしました」「これで、久々にすっきり眠れます」と書いておられましたね。 この映画「模倣犯」は、私のホームページに非常な影響を与えました。中居正広主演で映画「模倣犯」が東宝で制作されるとのニュースが流れたときや、また実際に映画館で上映されたときには、私のホームページへのアクセス数が普段の4、5倍も急激にアップし、またそこに設置している掲示板への書き込みも随分と増大したものです。私が運営するとっても地味なホームページにも一種のバブル現象が生じたわけで、中居クンの人気の高さを実感させられたものです。 そんな映画「模倣犯」の成功を一人の宮部みゆきファンとして心から祈っていました。しかし、興行的にはそれなりに成功したようですが、残念ながら内容的には失敗作としか言わざるを得ません。そのため、私は日本経済と同じようなバブル崩壊の惨めさを自分のホームページでも実感させられたものです。映画「模倣犯」に批判的なコメントが集まる私のホームページから中居クンのファンは潮が引くようにさっと去って行きました。 でも、私のホームページの映画「模倣犯」バブルは去っても、宮部みゆき作品を本当に愛するファンの人たちに支えられて細々ながらもなんとかホームページ運営をこれまで継続することができましたし、さらにそれを補完するために新たにこのブログも設けました。ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」も従来のホームページ「私の宮部みゆき論」同様よろしくお願い申しあげます。 私の方も chiaさんのブログをRSSリーダーに登録し、これからはいつも拝見させていただきたいと思っております。
2005年10月08日
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ERIさん、こんばんは、やまももです。 「心に残った宮部みゆきの短編小説」への投稿募集に応じて5短編の名前とそのそれぞれに素敵なコメントをTBでお送りくださり、心から感謝いたします。 ERIさんの心に残った宮部みゆきの5短編は、「鳩笛草」(『鳩笛草』所収)、「八月の雪」(『人質カノン』所収)、「祝・殺人」(『我らが隣人の犯罪』所収)、「詫びない年月」(『淋しい狩人』所収)、「安達家の鬼」(『あやし~怪~』所収)なんですね。 ERIさんは、今回の投稿のために宮部みゆきの短編小説をまとめて読み直され、「本当に彼女は優れたストーリーテラーです。時代ものから超能力、ホラーや警察もの、様々なスタイルで、一篇たりとも駄作がない」とあらためて彼女の作家としての力量に敬服され、「アガサ・クリスティにも匹敵するミステリーの女王だと思いますよ、本当に。普遍的ともいえるヒューマニズムが流れているところも、永遠のスタンダードとしての一つの条件だと思います」と賞賛されていますね。 また、「こうやってまとめて読み返すと、後に宮部さんが長編として発展させていった原型みたいなものが仄見えて、とても興味深かった」とも書いておられますが、「八月の雪」などはご指摘のように明らかに「『蒲生邸事件』につながる作品」なんでしょうね。他の短編も長篇との関係をいろいろ探ってみると面白いかもしれませんね。 素敵なコメント入りのご投稿を興味深く拝見させてもらいました。今後も宮部みゆき作品についていろいろコメントやTBをいただけたらありがたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
2005年10月06日
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ひかるさん、こんばんは、やまももです。 ひかるさんがご自身のブログにお書きになった『ステップ・ファザー・ステップ』についての書評を私のホームページの「我らが隣人の宮部さん」に転載させていただきたいとお願いしましたが、快くご了承していただき感謝しております。 それで早速に「我らが隣人の宮部さん」の『ステップファザー・ステップ』の特設ページに転載させてもらいました。なお、転載にあたりまして改行等について一部修正をさせていただきましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。 なお、このご書評の中で、「作中でも語られているが、ステップファザーとは『継父』の意味である。/そして、思うに、継父となった彼の踏むステップは、ダンスの他にステップアップの意味もあるかもしれない。/少しずつ双子と彼の間で信頼関係が構築されていき、心が通い合い、彼にとって双子の存在が大きくなっていく。父親の自覚がどんどん育っていく。/『お父さん』と呼ばれることに必死に抵抗していた彼の変化には、こちらの方がぐっと来てしまった」と書いておられますね。 題名についてのご見解になるほどと思わずうなずかされました。また、お神酒徳利のような双子がドロボウ氏を「脅迫」してステップファザー(継父)に仕立て上げるというトンデモナイ設定なんですが、彼らが心の通った親子へと次第にステップアップしていく過程には本当にほろりとせられましたね。 それから、「願わくば彼らの『平穏な日々』が、いつまでも当たり前に平穏であって欲しいと、そう思わせる素敵な話だった」と結んでおられますが、この作品を愛する多くの読者もまた全く同じ気持ちだと思います。 この作品の続編を希望する読者がたくさんいるのですが、残念ながら「大極宮」に『ステップファザー・ステップ』の続編は単行本にならないということが明記されていました。ただ、続編が載った『小説すばる』(未完で終わっています)を風太さんが図書館で借りられて、そのあらすじを『ステップファザー・ステップ』の特設ページに載せてくださいました。ご興味のある方は、ひかるさんの『ステップファザー・ステップ』のご書評とともにこの風太さんの続編のあらすじもぜひご覧いただきたいと思います。
2005年10月05日
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甫(ハジメ)さん、ひかるさん、初めまして、やまももです。 甫さん、初めまして。甫さんがご自身運営のブログ「ひとりごち」の『震える岩』についてのご書評のなかで、この時代小説の話の途中に江戸猿若の中村座が出て来て、そこで通し狂言の「仮名手本忠臣蔵」が上演されていることに言及され、「宮部さんの時代もの(に限らず他の作家さんの作品でもそうですが)読んでると、当時の地図が欲しくなりますね」とコメントしておられましたので、同じようなことに興味関心を持たれる方がおられるのだなと嬉しくなってコメントを差し上げました。 そのとき差し上げたコメントで、私のホームページに「宮部みゆき作品 大江戸お徒歩日記」というページを設けて、宮部みゆきの時代小説の舞台となった場所とその写真が掲載されているHPをいろいろ紹介していること、しかし残念ながら『震える岩』に出てくる猿若町(いまの浅草六丁目付近)の中村座についての紹介はしておらず、また同ページに掲載している手作りの地図の範囲外にあり、猿若町はその地図からさらに北方に位置していることなどを述べさせてもらいました。猿若町は大川(隅田川)のもう少し上流の西岸のあたりにあったようですね。 そんな私のコメントに対しまして、甫さんから「御紹介いただいたやまももさんのホームページも拝見いたしました。/『ぼんくら』や『初ものがたり』(今読んでいるところです)などの舞台も紹介されていて、あれこれイメージしながら楽しませていただきました」とのありがたいコメントをいただき、さらに「『心に残った短編』私も参加してみたいです。まだまだ読んでいない作品の方が多いので、先は長いのですが…(笑)」との嬉しいお言葉もいただき、大感激しています。「心に残った宮部みゆきの短編小説」についての投稿募集はずっと続けるつもりですので、いつでもお暇なときにぜひ投稿してくださいね。楽しみにお待ちしております。 ひかるさん、初めまして。先日、ひかるさんが運営しておられるブログ「カイ的範囲」に宮部みゆき作品についての読み応えのあるご書評をたくさん書いておられることを知ってコメントをさせてもらいましたが、それに対しましてご丁寧なお返事をいただき、さらに私のブログに「心に残った宮部みゆきの短篇小説」についてのご回答まで寄せていただき、大変恐縮しております。 ひかるさんの宮部短編ベスト6は「1『ステップ・ファザー・ステップ』、2『鳩笛草』、3『長い長い殺人』、4『さよなら、キリハラさん』(地下街の雨収録)、5『たったひとり』(とり残されて収録)、6『燔祭』」なんですね。ありがとうございました。 ところで、ひかるさんがベスト1に挙げておられる『ステップ・ファザー・ステップ』についてのご書評を拝見させてもらいましたが、この優れたご書評を私の運営いたしますホームページの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいものですが、ご承諾していただけないでしょうか。なお、もし了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。
2005年10月04日
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ゆきうさぎさん、こんばんは、やまももです。 ゆきうさぎさんがご自身運営のブログの「子供の本」と題する記事で、「子供が小さい時は『ちいさいおうち』『どろんこハリー』『ひとまねこざる』(おさるのジョージ)のシリーズなどを、買ったり図書館で借りたりして読み聞かせました。何度も何度も」と書いておられ、また「みなさんは子供の頃どんな本が好きだったでしょうか。/どんな本をお子さんに読んで聞かせてあげたでしょうか」と問いかけておられましたので、私が自分の息子たちと一緒に絵本を楽しんだ頃のことを思い出して、思わずコメントを差し上げました。 そのコメントの中で、私の二人の息子が幼い頃、就寝前の絵本の読み聞かせ係りを私がしていたことや、そのときに読んだ林明子の『はじめてのおつかい』や『あさえとちいさいいもうと』などの絵本などから影響を受けて「のんちゃんと風船とピラカンサ」という童話風エッセーを書いたことなどを紹介させてもらいました。 そんな拙文にお返事を下さり、また「のんちゃんと風船とピラカンサ」も読まれて、「これからピラカンサも色づきますね。/もうのんちゃんは高校生くらいでしょうか。/ひとりでピラカンサの鉢を引きずって帰ったことを覚えているようですか?」等のコメントをお寄せいただきましたので、ちょうど昨日の午前中に長男から電話があったこともあり、長男への便りという形式をとって「ポロと『おおきいおおきいおいも』とビラカンサ 」という拙文を掲載し、ゆきうさぎさんへのお返事を書かせてもらいました。 この拙文にも「ポロ君かわいい、賢そう。/やっぱり、のんちゃんは今は高校生なんですね。/お父さんが風船を貰いに行ってる間に、1人で帰っちゃったことを覚えてるそうですか?/読んであげた絵本を、大人になっても覚えてるのは嬉しいですね。/ウチの娘も覚えてるようです。 というか、その絵本が家にあるからかもしれませんが。/息子さんと二人でお酒ですか。いいですね~」とのお返事をまたいただきましたので、お返事のお返事のお返事のお返事を書かせてもらいますね。しかし、このチェーンはいつまで続くのやら……。 次男ののんちゃんには、庭に生えているピラカンサが話題にのぼるたびにあの日のことを私がつい言ってしまいますので、彼にとっては極力触れられたくない「過去の忌まわしい事件」のようですよ。たぶん、ビラカンサという言葉を耳にしたら、その日は悪夢にうなされるのではないでしょうか、というのは冗談ですが、でもトラウマになっても困りますので、いまでは意識的にピラカンサの話は避けています。 それから、「ポロ君かわいい、賢そう」とのお言葉をいただき、飼い主としてとても嬉しいです。しかし、私はポロの飼い主ですから、親バカならぬ飼い主バカで、自分の犬をとても可愛いとは思いますが、でもポロを「はい、賢い犬ですよ」とは言えません。昔はともかくいまはとてもおとなしくなって、飼っていてそんなに困ることはないのですが、でも「賢い」という言葉でポロを褒めることはどうしてもできないんです。なぜなら、幸か不幸かとても賢い犬を飼った経験が私にはあるからです。 私が中学生のとき、母が職場に捨てられていた生後1ヶ月くらいの子犬を小さなケーキの箱のようなものに入れて持ち帰ってきました。雑種のメスの黒犬なんですが、痩せ細っており、毛皮もあちこち禿げており、ただブルブル震えている姿がなんとも惨めな子犬でした。 クロと名づけて飼うことにしたのですが、これが非常に賢い犬で、拾ってもらったことに恩を感じているのか、いつもそのつぶらな瞳を私たち家族に向けて指示を待ち、またその指示の意味を懸命に理解しようとしていました。待てやお座り、お手は勿論のこと、ハードル跳びもすぐおぼえましたし、投げたものは口にくわえて戻って来ます。においをかがせて同じものを探させますと、一生懸命に嗅ぎまわり、たいがいのものは見つけ出すことができました。とにかく何でもすぐにできるお利口な犬なんです。 8才くらいのときにフィラリアで病死していますが、私の顔をいつもじっと見つめてくれていたあのクロのつぶらな瞳をいまも忘れることはできません。私が悲しいとき辛いとき、どれだけクロから慰めてもらったことでしょう。本当にクロには感謝しています。クロちゃん、ありがとう。君は僕の心の中にいつまでもずっとずっと元気に生き続けているよ。
2005年10月03日
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今日の午前中、いま明石に住んでいる長男から電話が掛かって来ました。そのときに、ポロの近況も訊いてくれました。 最近のポロについて、「すっかりお利口さんになって柵から脱走したりしないよ」なんてことを話していたのですが、「ザクロの実と一緒に写っている写真は見たけど、新しいのもまた載せてね」ということなので、庭で撮影してこのブログに一枚載せることにしました。 おーい、はんちゃん、見てるかい。ポロは元気そうだろう。でも、これは餌(ささみひとくちカット)に釣られて濡れ縁の下から出てきたところをパチリと撮影したもので、普段は相変わらずグースカ寝てばかりいるんだよ。お父さんも相変わらずポンコツ山のタヌキ状態で、家ではグースカ寝ているかパソコンの前に座っているよ(なお、ネットばかりでなく、たまにはお仕事に使っていることもあるんだよ)。 そうそう、それから、幼い頃に読んでもらった絵本のことを憶えているかと訊いたら、『おおきなおおきなおいも』のことはよく憶えていると言ってたね。これは福音館書店から出ているもので、市村 久子作、赤羽 末吉絵の楽しい絵本だったね。幼稚園のいもほりが雨で延期になったので、園児たちが一緒に紙の上に絵の具でおいもの絵を描くことになり、想像がどんどん膨らんでいって、大きな大きなおいもが描き出されるというお話だったね。 はんちゃんには何度も何度もせがまれて大きな声で繰り返し読んだものです。だから、はんちゃんもすっかりこの絵本の文章を憶えてしまい、最初のページから最後のページまで絵を見ながら一字一句間違えずに暗唱したよね。そのことは、まるできのうのことのように憶えているよ。 それから、弟ののんちゃんが小さい頃にビニール袋に入っている鉢をずるずる引っ張って運んできたピラカンサの実が赤く熟しだしたので、これも写真に撮って載せておきます。あのときのことは童話風エッセー「のんちゃんと風船とピラカンサ」に書いたものです。あの頃は幼稚園の年中組だったのんちゃんもいまは高校2年生で、毎日硬式テニスで真っ黒になって練習しているのだから、月日の経つのは早いもんだね。そりゃ、私もポンコツ山のタヌキ状態になるよ……。 お仕事、いろいろ大変だろうけど頑張ってください。また鹿児島に帰ったら、一緒に天文館あたりでお酒でも酌み交わそうね。そのことは私の小さい頃からの夢だったよ。おっと、それはもちろんウソだけど、再会はとても楽しみにしています。 身体にはくれぐれも気をつけてくださいね。また暇なときに電話を下さい。楽しみに待ってます。
2005年10月02日
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先週の土曜日に「心に残った宮部みゆきの短篇小説」についての投稿を募集しましたところ、すぐに多数のお返事をいただくことができ、大変喜んでおります。 このニッチ企画(それなりのニーズがありながらそれに対応する取り組みがこれまでなかった隙間企画という意味です)の呼び掛けに対しまして、宮部みゆき作品のファンの中には、既読の短篇の再読を試みようとされる方や、さらには未読の短篇への新たなチャレンジを思いたたれた方もおられるようです。 例えば、みーしゃん♪は、ご自身のブログで『我らが隣人の犯罪』を書評しておられますが、同書評のなかで「やまもも2968さんから、宮部みゆきの短編小説の中でお勧めは?との問いかけもあり、昔読んだこの本を再度読み返してみた」と書いてくださっています。 また、「宮部みゆき作品についての“あなたのベスト3”」を募集されたトラキチさんは、「ニッチ企画、いいですよね。触発されて『サボテンの花』だけですが読み返して見ました。初読の時とは違った味わいを楽しめました」と書いてくださっています。 さらにERIさんは、「楽しい企画におさそいどうもありがとうございます。う~ん、いくつかは浮かぶのですが、すぐには決められない・・。ちょっと作品をひっくり返して考えます」とのお返事を下さり、けいきーさんは「迷いますねえ,なかなか。全部読んでいないので良い判断ができるかわかりませんが,ちょっと読み直してもう一度考えてきますね」とのコメントをいただき、いがぐり602さんからは、「素敵な企画ですね。ぜひ参加させていただきたいのですが、短編は読んだことが無いのです。(中略)こちらの結果を参考に、一度読んでみます」とのコメントをいただきました。 私の立てた企画によって、結果としてこのように宮部みゆきの短篇を再読あるいは新たに読書する契機が生まれたとしましたら、それだけでこの企画は大成功だと思っています。なお、宮部みゆきの短篇に新たにチャレンジを考えておられる方のために、宮部みゆきの短篇小説を出版年順に並べておきます。少しでも参考になれば幸いです。『我らが隣人の犯罪』(文藝春秋、90.01.30、文春文庫所収)『本所深川ふしぎ草紙』(新人物往来社、91.04.05、新潮文庫所収)『返事はいらない』(実業之日本社、91.10.15、新潮文庫所収)『かまいたち』(新人物往来社、92.01.30、新潮文庫所収)『長い長い殺人』(光文社、92.09.15、光文社文庫所収)『とり残されて』(文藝春秋、92.09.25、文春文庫所収)『ステップファーザー・ステップ』(講談社、93.03.25、講談社文庫所収)『淋しい狩人』(新潮社、93.10.15、新潮文庫所収)『地下街の雨』(集英社、94.04.25、集英社文庫所収)『幻色江戸ごよみ』(新人物往来社、94.07.20、新潮文庫)『初ものがたり』(PHP研究所、95.07.20、PHP文庫、新潮文庫所収)『鳩笛草』(光文社、95.09.25、 光文社文庫所収)『人質カノン』(文藝春秋、96.01.30、文春文庫所収)『堪忍箱』(新人物往来社、96.10.30、新潮文庫所収)『心とろかすような マサの事件簿』(東京創元社、97.11.28、創元推理文庫所収)『あやし~怪~』(角川書店、00.07.30、角川文庫所収) なお、このうち『本所深川ふしぎ草紙』『長い長い殺人』『ステップファーザー・ステップ』『淋しい狩人』『初ものがたり』『心とろかすような マサの事件簿』は連作短編集ですね。 「心に残った宮部みゆきの短篇小説」についての投稿募集は今後もまだ続けていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
2005年10月01日
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ゆきうさぎさん、こんにちは、やまももです。 トラキチさんのブログ「My Best Books!」でいま実施されている「宮部みゆき作品についての“あなたのベスト3”」のことを拙文を通じてお知りになって、ゆきうさぎさんもご自身のベスト3を投票されたのですね。そのことについてのコメントとトラックバックをいただき、とても喜んでいます。本当にありがとうございました。 それで、ゆきうさぎさんの宮部みゆき作品ベスト3を興味深く拝見させてもらいましたが、第1位に「サボテンの花」(『我らが隣人の犯罪』収載) を推しておられますね。この「サボテンの花」は宮部みゆきの短篇のなかでもとりわけ人気の高い作品ですね。 そういえば、宮部みゆきの短篇には心に残る珠玉の名作が幾つもありますね。しかし、トラキチさんの「My Best Books!」への宮部みゆき作品についての投票には42名の投票がありましたが、ゆきうさぎさん以外に短篇を投票しておられる方はおられませんでした(9月24日現在)。 宮部みゆきが短篇の名手ということを考えますと、これはちょっと残念ですね。また、宮部みゆき自身が、新潮文庫の宮城谷昌光『玉人』のために書いた解説文のなかで、作家が長編小説を執筆することはお見合い結婚をすることと似ているとし、それと対比しながら短篇小説についてつぎのように述べています。「作家にとって、短編小説を書くことは、ほとんどそのまま恋愛をすることです。それも、ほとんどの場合は『結婚』という安定した形で成就することのない、爆発的で刹那的で、だからこそたいへんに燃焼温度の高い恋におちることです。」「長編小説という『結婚』の形態では表面に出てくることのない作家の個性が、その"恋″の相手である短編小説によって引き出されて、あとで振り返ると、書いた本人でさえ驚くような別の顔がそこに見えていたりします。いえ、むしろ、作家自身が意識的に"恋″の相手の短編小説にあわせて、日頃は見せない別の顔を思い切ってさらけ出すということもあるのです。なにしろ、この恋の相手とは、最初からごく短い付き合いだということがわかっているのですから、そのあいだだけでも、めいっぱい燃焼したいじゃありませんか。」 確かに宮部みゆきは短編のなかで、様々な顔を見せてくれているようですし、ときには彼女の作家としての意外な側面に読者が戸惑うこともあるかもしれませんね。そういう意味でも彼女の短編は興味深いものがあります。 それで、私のブログで独自の企画を実施することを思いつきました。ネットでは彼女の短篇は長篇に比べてあまり語られることがないですよね。しかし、宮部みゆき作品ファンのなかには彼女の短篇が大好きな方が少なからずおられると思います。そんな方のニーズにニッチ産業(隙間産業)的に対応するために「心に残った宮部みゆきの短篇小説」の投稿企画を立ててみました。なお、投稿要領はつぎのようにしたいと思います。 「心に残った宮部みゆきの短篇小説」投稿要領 1. 心に残った宮部みゆきの短篇小説名を挙げて下さい。 2. 短篇名は6篇以内で、順位づけをする必要はありません。 3. 各短篇へのコメントの有無や字数は投稿者各人にお任せします。 4. 投稿先は、この記事へのコメントかトラックバックでお願いします。 5. 締切期限は特に設けません。 6. 投稿内容は「我らが隣人の宮部さん」に適当な時期に転載します。 宮部みゆき作品のファンのみなさま、どうかご協力をよろしくお願いいたします。●「心に残った宮部みゆきの短篇小説」募集へのお返事に感謝(10月11日) アトマツさん、 gracemomoさん、ととさん 、ざれこさん、miwaさん、 ゆきうさぎさん、にこさん、Re-kaさん、けいきーさん、ERIさん、まるさん、papadasさん、いがぐり602さん、甫(ハジメ)さん、ひかるさん、ひろさん、みなさまの「心に残った宮部みゆきの短篇小説」投稿募集へのお返事に感謝いたします。 やまもも自身は「この子誰の子」 (『我らが隣人の犯罪』所収)、「ドルシネアにようこそ」(『返事はいらない』所収)、「たった一人」(『とり残されて』所収)、「生者の特権」(『人質カノン』所収)、「紅の玉」(『幻色江戸ごよみ』所収)、「砂村新田」(『堪忍箱』所収)を挙げておきますが、名前を挙げだすと切りがないほど大好きな短篇がいっぱいあります。 アトマツさんは「鳩笛草」(『鳩笛草』所収)、ざれこさんは「安達家の鬼」(『あやし』所収)、 miwaさんは「片葉の葦」(『本所深川ふしぎ草紙』所収) 、Re-kaさんは連作短編集『淋しい狩人』を挙げておられます。 ゆきうさぎさんは「サボテンの花」「我らが隣人の犯罪」(ともに『我らが隣人の犯罪』所収)、「かまいたち」(『かまいたち』所収)、「鳩笛草」(『鳩笛草』所収)、「地下街の雨」(『地下街の雨』所収)、ひろさんは「我らが隣人の犯罪」、「サボテンの花」(ともに『我らが隣人の犯罪』所収)を挙げておられます。 にこさんは「地下街の雨」(『地下街の雨』所収)、「砂村新田」(『堪忍箱』所収)、「 時雨鬼 」(『あやし~怪~』所収)、「サボテンの花」(『我らが隣人の犯罪』所収)、「 消えずの行灯」(『本所深川ふしぎ草紙』所収)、「この子誰の子」 (『我らが隣人の犯罪』所収)を挙げておられます。 まるさんは「我らが隣人の犯罪」(『我らが隣人の犯罪』所収)』、「朽ちてゆくまで」「鳩笛草」(ともに『鳩笛草』所収)の3短篇、papadasさんは『我らが隣人の犯罪』『ステップファザー・ステップ』『鳩笛草』の3短編集、gracemomoさんは連作短編集『淋しい狩人』の名前を挙げておられます。 ひかるさんは『ステップ・ファザー・ステップ』、『鳩笛草』、『長い長い殺人』、「さよなら、キリハラさん」(『地下街の雨』収所)、「たった一人」(『とり残されて』収所)、『燔祭』を挙げておられます。 ERIさんは「鳩笛草」(『鳩笛草』所収)、「八月の雪」(『人質カノン』所収)、「祝・殺人」(『我らが隣人の犯罪』所収)、「詫びない年月」(『淋しい狩人』所収)、「安達家の鬼」(『あやし~怪~』所収)を挙げておられます。 しかし、短篇または短編集の題名をこうして見ているだけで、それらの優れた作品を読んだときの感動が自然とよみがえって来ます。うーん、名前を挙げていただいた短篇や短編集について、みなさんと一緒にさらにいろいろ語り合いたいものです。
2005年09月24日
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トラキチさん運営の参加型ブログ「My Best Books!」で宮部みゆき作品についての“あなたのベスト3”の投票がいまなされていますので、私も参加したいと思います。 第1位 火車 第2位 模倣犯 第3位 孤宿の人 以上をやまもものベスト3として投票いたします。 第1位の『火車』は、私が最初に読んだ宮部作品であり、その素晴らしさに感嘆し、それから以降は本屋さんの店頭で宮部作品を見つけたら必ず買うようになりました。そして、ついにはホームページ「私の宮部みゆき論」を運営するまでになってしまいました。 第2位の『模倣犯』もまた私には思い出深い作品です。この小説が出版されてから2、3週間後に私の運営するホームページの掲示板「みんなで語る宮部みゆき作品」に次々と投稿が書き込まれるようになり、そのほとんどが同小説から深い感銘を受けた読者からのものだったからです。なお、それらのたくさんの投稿の一部はいまも「我らが隣人の宮部さん」で読むことができますし、またそれらを宝島社の『僕たちの好きな宮部みゆき』でも要約して紹介させてもらっています。 第3位をどれにするか大いに迷いました。ただ、トラキチさんのブログ「My Best Books!」の現在の投票状況では宮部みゆきの時代小説が上位に来ていませんね。しかし、それでは宮部みゆきという作家を考える上であまりにも偏った投票結果となっているように思います。ここはやはり時代小説もなにか一冊選ぶ必要があるようです。 以前でしたら『幻色江戸ごよみ』を推薦したでしょうが、今年の6月に『孤宿の人』が出版されました。この作品について、「毎日新聞」2005年7月14日の東京夕刊は、作者へのインタビューを踏まえて「舞台は讃岐国丸亀藩を想定した丸海藩。初めて江戸を飛び出した。さらに、市井の善き人々の哀歓漂う作風を離れ、『今までと違ったことをやりたい』と新境地に挑んだ異色作だ」と紹介しています。この異色作はきっと宮部みゆきの代表作の一つになるに違いない力作だと思いますので、第3位に推すことにいたしました。
2005年09月22日
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みーしゃん♪さん、こんばんは、やまももです。 巽尚之著『鉄腕アトムを救った男』の書評をお書きになったみーしゃん♪さんから9月19日の拙文へコメントを寄せていただき、とても喜んでおります。本当にありがとうございました。 ところで、手塚漫画の『どついたれ』の映画化の件で、太田房江知事が出演するという話もあるらしいというので、拙文に「どうせなら元知事の横山ノックに闇市でなにか怪しげなものを売るオッサン役で出てもらいたいものです」と書きましたところ、みーしゃん♪さんはそれについてつぎのようなコメントを下さいましたね。「面白いといえば横山ノックなんですが、大阪人にとっては、過去最大の恥さらしなので、映画には出て欲しくないですね。まあ、自分の参議院議員時代の年金を全て映画制作につぎ込むのなら別ですが。」 まー、そうでしょうね。ええ、お気持ちはよく分かります。しかし、やはり一番天下に恥をさらしたのは大阪の府民であり、オール与党でしょうね。タコにやらしたらおもろいがなという選挙民や、またタコでもイカでもなんでもええがな、どうせ思い通りに動かせるんやさかい、みんなで一緒に担ぎまひょという政党こそが、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けるべきなのかもしれませんね。 それに、手塚漫画の『どついたれ』に登場する葛城健二のモデルの葛城健蔵氏は、長年にわたって犯罪者の更正に取り組んできたそうで、「会社経営より更正にかかわったほうがキャリアが長い」ことを誇りにしているそうですね。 ほな、横山ノックはんにも映画に出てもろたほうがええんとちゃいまっか。そうでんな、やっぱり戦後の闇市で明石のタコを売るオッサンがええかもしれまへんな。えー、タコでっせー、タコでっせー、明石のタコでっせ。生きがよろしおまっせ。安いでっせ、安いでっせ、買いなはれ、買いなはれ、大阪府民のみなさん、みんな買いなはれ。そして次の場面では、「腐ったタコでもえらい人気や、ほんま、よお儲かるがな」と札束を数えてほくそ笑む横山ノック。 大阪府民はこの場面を観たら、ゼッタイに笑たらあきまへん。大いにハンセーすべきやと思いますな。いや、ほんまに文化科学省ご推薦の素晴らしい映画になりまっせ。横山ノックはんもええ罪滅ぼしになるんとちゃいまっか。 おっと、私はもしかしたら講談社の手塚治虫漫画全集に収録されている『どついたれ』に影響されて、表現がえらくえげつなくてどぎついものになっているかもしれませんね。失礼しました、ごめんなさい。 この手塚漫画『どついたれ』は、「週刊ヤングジャンプ」に連載されたもので、手塚自身が「関西人の心意気、つまりばくちを打ってでも生き抜くようなバイタリティーを描きたいんですよ」と言っていたそうです。都会的でスマートなキャラクターたちが活躍する彼の従来の漫画とは随分毛色が違っています。特に第一部では、実在の関西の企業人の葛西健蔵、廣瀬昭夫、津田友一をモデルにして、戦後の混乱期に生きる庶民の猥雑でバイタリティー溢れる生活を描いており、私のように戦後まもなくに生まれた人間にはとても懐かしいものがありました。 しかし、手塚治虫自身は、彼のこの漫画が読者には受け入れられていないのではないかと非常に気にしていたようです。そのためか、第二部では、戦災孤児の哲と女スリの克子という大阪の街に生きる二人の若い男女をメインの登場人物にして物語を展開させていきます。この二人の大都会の片隅に咲いたほろ苦くて切ないラブロマンスはなかなか読ませるものがありましたよ。 しかし、結局、手塚治虫自身がこの漫画に行き詰まりを感じたのでしょうか、自ら連載を打ち切っています。ですから、この手塚の異色作品は、個々には面白い箇所が沢山あるのですが、途中で突然に終わる未完の作品のため、どのように評価していいのかよく分かりません。ただ、連載当時、若い読者にはあまり受けなかったであろうことはなんとなく分かるような気がします。
2005年09月21日
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手塚治虫は、私たちにたくさんのすばらしい夢を与え楽しませてくれました。そんな手塚治虫も1989年2月に胃ガンで亡くなっています。1928年11月生まれですから、還暦を迎える前に他界しているのですね。手塚治虫の他界後、彼を追悼するために様々な企画がなされ、また多数の作品、文章が発表されましたが、私の気持ちを一番よく表してくれていたのは矢口高雄の『ボクの手塚治虫』(毎日新聞社、1989年10月発行)でした。 矢口高雄といえば「釣りキチ三平」で有名な漫画家ですね。彼は1939年に秋田県平鹿郡増田町に生まれています。貧しい農家に生まれた矢口少年が初めて出合ったマンガは宮尾しげをの『西遊記』。全部暗記するほど繰り返し繰り返し読んで、すっかりマンガの虜(とりこ)になってしまいます。 そんなマンガ大好き少年に強い衝撃を与えたのが『流線型事件』というマンガでした。表紙の立体的で迫力のある絵を見たとたん、矢口少年は、「まるで自動車と正面衝突したようなショック」を覚え、さらにこの作品の絵の新鮮さ、都会的でスマートなキャラクター、実に科学的な内容にすっかり魅せられ、クライマックスのカーレスのシーンでは、車が「画面の奥からおらをめがけて飛び出してくるっ!!」と驚嘆したそうです。この『流線型事件』の作者が手塚治虫だったのです(なぜか、作者名の漢字に「てづかおさむし」とひらがなが振ってあったそうです)。 友人の家の遊びに行ったとき、便所に便所紙がわりに置いてあった「ジャングル大帝」をもむさぼり読むような矢口少年ですが、それが連載されている『漫画少年』を毎月買うお金がありません。でも、どうしても読みたい、なんとしても続きを読みたい。そこで彼は杉の樹皮を山の伐採現場から背負って運び出すアルバイトを始めます。一把5、6キロの重さ、それを2把背負いながら片道2、3キロの山の急勾配を膝をきしませて下りるという重労働を続けて『漫画少年』を買うお金を得るのです。そんな辛い思いをしても、でも彼は「ジャングルブック」が読みたかったのです。でも、こんな思いをして手に入れた「ジャングルブック」だからこそ、それをむさぼり読んでいるときの矢口少年は、おそらく世界で一番幸せな子供だったと思います。 矢口高雄は『ボクの手塚治虫』の最後を、「ありがとう手塚先生・・・・・」「安らかにお眠りください」と結んでいますが、それはまた全国の手塚治虫ファンの気持ちでもありました。
2005年09月20日
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みーしゃん♪さん、こんばんは、やまももです。 みーしゃん♪さんが運営しておられるブログ「みーしゃん♪のお部屋へ」に前にお伺いしたときに実業之日本社から出版された巽尚之著『鉄腕アトムを救った男』についてのご書評を拝見し、とても興味深く読ませてもらいました。 私は子供の頃から手塚治虫の漫画が大好きで、月刊雑誌『少年』に連載されていた「鉄腕アトム」は、発売日をいつも首を長くしてまっていたものです。それだけに「鉄腕アトムを救った男」という書名が目に飛び込んできたとき、あの顔は可愛いけれどすごいパワーを持ったロボット少年をどんな男がどのような困難を救ったんだろうかと大いに興味を持ったものです。しかし、みーしゃん♪さんのご書評の簡潔にして要を得たご説明ですぐ題名の意味が判明いたしました。 この『鉄腕アトムを救った男』についてのご書評の冒頭には、昭和48年の晩秋の午後2時頃に大阪の葛西(かっさい)株式会社の創業社長の葛西健蔵のところに手塚治虫が訪れたことが紹介されており、「48年秋の出来事は、手塚治虫が社長を務める『虫プロダクション』が倒産し(倒産当時は社長を辞めていたが)、ヤクザまがいの借金取りに追われ、困り果てた手塚が葛西の元を訪れたものである。葛西は、とりあえず、漫画やアニメの版権を一旦葛西名義に書き換え、貴重な財産の保全を図る。しかし、このことで、債権者の矛先は葛西に向けられることになる」と説明しておられますね。 ご書評を拝見して同書がとても読みたくなり、昨日なんとか入手して読了しました。創作者としては天才でも、経営者としてはなんだかおぼつかない手塚治虫の姿が記述されている部分も面白かったですが、また手塚治虫の漫画『どついたれ』のモデルになった葛西健蔵、廣瀬昭夫、津田友一というとても気概のある大阪商人たちの生き方にも大いに興味を惹かれ、一気に読んでしまいました。 なお、私は手塚治虫の『どついたれ』という漫画はまだ未読なんですが、手塚漫画としては異色作品のようですね。この漫画も読みたくなりました。入手して読みましたらまた感想を書きたいと思っています。 それから、『どついたれ』の映画化の話が持ち上がっているらしいとのことで、みーしゃん♪さんが「是非、映画を観てみたいと思う」と書いておられますが、私もやはり上映されたら観てみたいですね。戦禍をさまよう手塚治虫に水と食糧を分け与える民家のおばちゃん役で太田房江知事が出演するという話もあるそうですが、どうせなら元知事の横山ノックに闇市でなにか怪しげなものを売るオッサン役で出てもらいたいものです。
2005年09月19日
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紫微さん、こんばんは、やまももです。 紫微さんの『震える岩』の書評中にありました「でも、人はきっと乗り越えられる」という文章について、とてもご丁寧なお返事をいただき、心から感謝いたします。それで前回「我らが隣人の宮部さん」にすでに転載させていただいた紫微さんの書評に、さらに今回いただいた文章を追加させていただきました。なお、追加補充のやり方について問題がありましたらいつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思います。 また、「松本清張傑作短篇コレクション』についての紫微さんの書評を「或る松本清張短編集」に転載させていただきたいとお願いしましたが、こちらも快く承諾してくださり、本当にありがとうございました。それでこちらも早速に転載させていただきました。 ところで、紫微さんはこの書評の中で、「一般的に清張は社会派の代名詞のようにいわれてますが、社会派ミステリーというのは、清張のどういうところを指していうのか、それが知りたかった。(略)語り口が硬い。淡々としている。それが新聞記事を読んでいるような気になりまして、もしかしたらそういう、語り口も含めて社会派なのかな、とか。」とコメントしておられますね。 そうですね、松本清張の推理小説といえば「社会派ミステリー」と称されており、ご指摘のように新聞記事のような硬質で淡白な語り口も清張の「社会派ミステリー」の重要な構成要素かもしれませんね。また、彼の作品には社会の生々しい現実が描きこまれており、登場人物がかかわる犯罪も普通の人々が日常生活に潜む陥穽にうっかり足を取られて引き起こしてしまった事件が大半ですね。私はそんな松本清張作品の特徴が「社会派ミステリー」と評されたのかなと思っています。なお、福岡隆著『人間・松本清張』(1968年11月、大光社)には、福岡隆が松本清張に「推理小説をなぜ書き出したのか」という質問をしたときの清張の回答をつぎのように紹介していますよ。「私は自分の好きな作品というものを読みたかった。私が推理小説を書きはじめたのは、自分ではこういう作品を読みたいという気持ちから、自給自足的な意味でためしに書いたというにほかならない。私は自分のこの試作品のなかで、物理的トリックを心理的な作業に書き替えること、特異な環境でなく、日常生活に設定を求めること、人物も特別な性格者でなく、われわれと同じような平凡人であること、描写も"背筋に氷を当てられたようなぞっとする恐怖"のたぐいではなく、誰でもが日常の生活から経験しそうな、または予感しそうなサスペンスを求めた。これを手っ取り早くいえば、探偵小説を"お化屋"の掛小屋からリアリズムの外に出したかったのであろう。」
2005年09月18日
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紫微さん、こんばんは、やまももです。 紫微さんがご自身運営のブログ「紫微の乱読部屋」に載せておられる『震える岩』の書評転載の件についてご承諾いただき、本当にありがとうございました。それで早速、私のHPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいました。なお、もし問題がございましたらいつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。。 なお、転載させていただいた書評文中の後半部分に「でも、人はきっと乗り越えられる。」との文章がありますが、この文章にはどのような意味を込めておられるのでしょうか。例えば、時代を超えて人は相互に理解できるとか、過去にかかわりのある問題でも解決可能である等々、多様な理解が可能なんですが、できましたら紫微さんご自身のお言葉で意味を補っていただけたらありがたいと思います。 それから、ブログ「紫微の乱読部屋」を拝見しておりましたら、『松本清張傑作短篇コレクション(上中下)』についても書評を書いておられるが判り、とても面白く読ませていただきました。それで、できましたらこの書評も私のホームページの「或る松本清張短編集」の[読者のコメント」に転載させていただきたいのですが、ご承諾していただけないでしょうか。なお、もし了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。またまた厚かましいお願いをいたしますが、どうかよろしくお願いいたします。
2005年09月17日
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宮部みゆき作品を読んでいて、ときどき「はてなクェスチョン」に遭遇することがあります。 例えば『夢にも思わない』では、島崎くんが雅男くんから「おまえ、カノジョとうまくいってるか?」と訊かれたとき、「おまえほど、オレはポーッとなってないからな」と応え、さらにその言葉に添えて「洛陽城裏 花に背いて帰る」と言っているんですが、この漢詩句らしきものは、本来は誰がどのような意味を込めて詠んだものなんだろうかと首をかしげたものです。 そんなことを私の運営するホームページ「私の宮部みゆき論」に書きましたら、にこさんが掲示板に情報を寄せてくださり、同漢詩句がよーぜんさんが運営しておられる直江兼継フアンサイト「春雁抄」の「文人兼続」のコーナーに紹介されていることが判明いたしました。このように、ずっと疑問に思っていたことがぱっと霧が晴れるように解明されると本当に嬉しいしものです。 しかし、まだ解明されていない「はてなクェスチョン」が幾つかあります。その一つが『震える岩』のラストに出てくる花岳寺に保存されているという掛け軸のことです。その掛け軸には後ろ向きになって顔を隠している人物が描かれているというのですが、本当にそんな掛け軸があるのでしょうか。なお、この花岳寺は兵庫県の、おっと住所を明らかにしたら『震える岩』のネタばれになってしまうと危惧される方もおられるかもしれませんね。 ブログ「紫微の乱読部屋」に『震える岩』についての素敵な書評を載せておられる紫微さんも、そのようなお一人だと思います。なぜなら、「舞台は江戸末期なのですが、そこから遡ること100年。作中からみても“遠い過去”に起こった事件について触れてあります」とその「事件」のことをぼかして表現しておられますからね。 それはともかく、紫微さんは『震える岩』についての書評のなかでつぎのように書いておられますが、私も全く同感です。 時代モノの方がより心に届きやすいのは、人がありのままで 生きていない、いや生きていけない現代の物語では、 ちゃんと届かないことを知っている、のかもしれませんね。 それで、紫微さんのこの素敵な書評を私の運営いたしますHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいものですが、ご承諾していただけないでしょうか。なお、もし了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。
2005年09月16日
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はじめさん、こんばんは、やまももです。 はじめさんたちとのトラックバック論議で随分と認識が深まり、大変感謝しています。 はじめさんの「木漏れ陽の揺れる散歩道」にお邪魔してブログのバックミュージックを聴かせてもらいました。なにかほっと心が癒されるような素敵な曲ですね。この曲をはじめさんご自身が作曲されたのですか。それは素晴らしいことですね。はじめさんはお名前どおりいろんなものを創り出すクリエイティブな能力をお持ちの方のようですね。そんな能力など全くない私のような人間にはとてもとても羨ましく感じられます。 なお、私の長男の名前も創(はじめ)というのですが、鶴田浩二の「古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます」ではありませんが、自分には無いものを息子に望んでしまうんですね。馬鹿な奴だとお笑いください。でも、それが父親ってもんでござんす。おっと、オッサンくさーいって、それこそ本当に笑われてしまいそうですね。
2005年09月14日
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はじめさん、空耳さん、にこさん、こんばんは、やまももです。 はじめさんからいただいたコメントに「トラックバックというブログ特有の機能、世間でもっともっと気軽に活用されていいように思います。未知の可能性を秘めてるような気がします」と書いておられますね。また、はじめさんご自身が運営しておられるブログ「木漏れ陽の揺れる散歩道」でも、鈴木芳樹著『スローブログ宣言!』の紹介文において、著者の「トラックバックなどのブログ特有の機能もせっかく備わってることだし、もっとオープンなスタンスの方がいいという意見に同感だ」とコメントしておられましたね。 私も『スローブログ宣言!』のトラックバックに対するオープンなスタンスに勇気づけられた一人です(ただし、トラックバックを送信するときのマナーについての同書の記述を読み落としており、送信先ブログに失礼なことをしたと反省しています)。そんな『スローブログ宣言!』のトラックバック関連の記述で私が一番興味深かったのが「眞鍋かをりのここだけの話」というブログについての話でした。このブログには多数のファンがトラックバックを送信しており、そのことを知った著者自身が従来の「トラックバックは安易に送るべきではない」とのトラックバック観を大きく変えられたというのです。そのことについて同書はつぎのように書いていますね。「いまでは彼女(やまもも注:眞鍋かおりのことですね)のブログには、平均して二百件前後のトラックバックが寄せられている。しかし批判的なものやSPAM的なものはほとんどない。きちんと日記の内容への好意的な感想が書かれているのだ。」「『眞鍋かをりのここだけの話』はトラックバックはもっと気軽に、ファンレターのように送ってもかまわないものだという意識を広めたのだ。このようなトラックバックの使いかたが、決して『正しい』わけではない。しかしブログはウエプサイトをより面白く、より便利にするものなのに、コメントやトラックバックの扱いに関しては、初心者を必要以上に萎縮させる意見が多かった。トラックバックの新しい楽しみかたを生み出しただけでも、『眞鍋かをりのここだけの話』には充分な価値があったとオレは考えている。」 ところで、ブログ「等身大より少し大きめに」を運営しておられる空耳さんから、「コメントにトラックバックで返す方法って、やまももさんのアイデアですか? だとしたら、なんかオリジナリティがあっていいですね」とのコメントをいただきました。うーん、私は全くのブログ初心者なので、他の方がどのように使っておられるのか分からないのですが、ただコメント欄では字数やリンク機能等に問題があるため、返事にトラックバックを多用しているだけなんですよ。それから、「やまももさんの丁寧な物言い(物書き?)も、温和な人となりがうかがえるようです」と書いてくださってますね。私はHP「私の宮部みゆき論」を5年以上前から運営しているのですが、私の文章表現と「やまもも」というハンドルネームからよく女性と間違われたものです。でも妻子がいる団塊世代のオジサンですよ。 にこさん、「お気に入りの映画」というブログを運営しておられる経験者としての貴重なコメントを寄せていただき、本当に心から感謝します。今回は「トラックバックは記事のリンク集」と題されて、ご自身のブログに書かれた 映画『リンダ リンダ リンダ』についてのご感想に同映画を観られた多数の方がトラックバックが寄せられ、にこさんご自身もお礼にトラックバックを返されたというお話ですね。そして「これでトラックバックの輪がどんどん広がっていきます」と結んでおられますが、まさに「トラックバックの新しい楽しみかた」ですね。ブログならではの新しい機能であるトラックバックを多様な方法で活用していきたいものですね。
2005年09月13日
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yujiさん、はじめ(池田創)さん、初めまして、やまももです。 お二人が運営しておられるブログで『スローブログ宣言!』についての素敵なコメントを拝見しましたのでトラックバックさせていただきましたが、このブログにご丁寧なお返事をいただき大変恐縮しております。 yujiさんは「中空庭園」で、ブログが閉鎖・休止状態になりかかっているような「そんな、『ちょっと迷ってます』状態のブロガー達に対して、著者は『いいんだよ、書きたいことを書けば。でも、気長にこつこつ続けることは、やっぱり大切』と説いている。それがすなわち、『スローブログ宣言』である」とされ、そのようなまるで「部活動の先輩が、自分も一所懸命プレーしつつ、後輩達に自分の経験や思いを伝えているような励ましを与えてくれる」のが鈴木芳樹著『スローブログ宣言』であるとされ、実に巧みな表現によって同書を紹介しておられますね。 あっ、それから、「最近相次いで出版される『ブログ本』は、なんか小遣い稼ぎ方向に偏ってるような気がしますよね」とも書いておられ、確かにアフィリエイトで一儲け的なブログ本が書店に目立つことは間違いないと思うのですが、しかし『スローブログ宣言!』の著者もアフィリエイトの実践者としてその経験を紹介していますね。 はじめさんはブログ「木漏れ陽の揺れる散歩道」で、『スローブログ宣言』の「驚異的低収入!」という章がおもしろかったとされ、「収入としては僅かだが、今まで商売というものとは縁遠かった作者が、自分の紹介文を読んでくれた人が購入にまで至った事実が、とても新鮮だったそうだ。アフィリエイトも競馬と同じで、収入などは当てにせず、スローに構えて付き合っていくのが正しい運営のしかたなのかもしれない、とアフィリエイターになったばかりの身にしては、あまりにも早すぎる悟りの境地」とコメントしておられますね。 それから、はじめさんから Technorati というリアルタイムブログサーチを紹介していただきましたが、ありがとうございました。大いに活用したいと思います。 ところで、トラックバックのことが気になったので、鈴木芳樹著『スローブログ宣言』でそれに関する箇所を読み直してみましたら、つぎのような文章がありました。「トラックバックはもともと、あるプログにリンクして(時としては本文を引用して)、その文章に対して自分なりの意見や見解を書いたときに送るものだ。この意味では中国の一部のブログでトラックバックが『引用通告』と訳されているのは、なかなか的確だと言える。」 私はこの箇所を飛ばし読みしていました。やはりトラックバックを送るときには、少なくとも自分自身のブログの記事内に「あなたの記事を参照して記事を書きましたよ」ということを明記し、そこに参照先のブログ名とその記事のURLを添えておく必要があるようですね。ブログ初心者とはいいながら、大変失礼なことをいたしました。お許しください。 それで、9月10日に私のブログに書きました「鈴木芳樹著『スローブログ宣言!』」と題する拙文の下に、 参照後にトラックバックをお送りした以下のブログのURLを追加させていただくことにいたしました。yujiroさんのブログ「小粋空間」yujiさんの「中空庭園」フルカワマサユキさんの「詞織」skegooさんの「SKEGlog」空耳さん「等身大より少し大きめに」はじめさんの「木漏れ陽の揺れる散歩道」まかぴーさんの「おきらくごきらく回顧録」
2005年09月12日
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空耳さん、初めまして、やまももです。 昨日、『スローブログ宣言!』についてのコメントを自分のブログにアップした後、空耳さんが運営しておられるブログ「等身大より少し大きめに」にもトラックバックを送らせていただきました。それは、空耳さんが『スローブログ宣言!』についての素敵なコメントを載せておられるからですが、それに対して拙ブログにわざわざコメントをいただき恐縮しております。本当にありがとうございます。 いただいたコメントには「記事によってアクセス数が変わるっていうのは実感しますね」と書いておられますが、本当にそうですね。私は、5年半以上ホームページを運営して来ましたが、それと比較してもブログはアクセス数の変動が激しいような気がします。これはやはりRSSリーダーでブログ読者がすぐに最新記事を自動収集し、表題や概要を知ることができるからでしょうね。 ところで、空耳さんがご自身のブログ「等身大より少し大きめに」で、ブログ系の本といっても「マニュアル的な本は読んでもつまらないし、お金の儲け方について力を入れている本も、趣向が合わない」とされ、「ただ、なんとなく読んでいて思い当たることがあったり、納得できたり、少しはためになったりする、読み物系のブログ本が欲しかった。『スローブログ宣言!』は、ちょうどそういった感じの本」とコメントをしておられますが、私も同書に対して全く同じような感想を持ちました。他のマニュアル的なブログ関連本とは一味違っており、yujiさんが「中空庭園」で同書を評して「オピニオン・リーダー面した啓蒙の書なんかではなく、部活動の先輩が、自分も一所懸命プレーしつつ、後輩達に自分の経験や思いを伝えているような、そんな爽やかさを持った良書であると思う」とされていますが、まさに的確な評価といえますね。 なお、空耳さんは同書について、「ただ、気になったのは、一人称が『私』ではなく、『オレ』で記述されていること」とされ、「やっぱり最後まで違和感は拭えなかった」と書いておられますが、これも同感ですね。「オレ」ってなんかエラソーでゴーマンな感じがしますね。一人称を「オレ」にしている人に疑問を呈したら、「オレの意見になんかモンクあっか」って言われそうですね。
2005年09月11日
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鈴木芳樹著『スローブログ宣言!』(技術評論社、2005年7月)を読みました。この本は、「裏口入学」組と自称する著者がブログへの最初の一歩を踏み出せずにためらっている人たちのために書いたものだそうです。なお、著者が自らを「裏口入学」組と称しているのは、ブログを最初に始めるようになったその動機がブログならではの様々な最新機能に魅せられたからではなく、技術的に面倒なことをせずに簡単にインターネット上に日記を公開できるレンタル日記サービスを利用するようになったことがとっかかりとなり、その後いつのまにか「ブログをやっている人」になっていたからだそうです。 そんなブログの「裏口入学」組である著者は、「スピード優先、効率優先の発想こそが、初心者をプログから遠ざけている」と考え、「どれだけ優れた機能であっても、自分にとって必要がないものは導入しない。どれだけホットな話題であっても、自分にとって興味がないものは取りあげない。それよりは自分が本当に書きたいことだけを、マイペースで書きつづったほうがいい」としています。このようなブログ初心者への提案こそが書名となった「スローブログ宣言」と言えるでしょう。 ブログ初心者の私にとって、ブログが最初に日本に紹介されたときの世間の反応など、いろいろ興味深い内容がこの本には紹介されていますが、特に共感させられたのは「個人ニュースサイトもどき」に対する批判でした。著者のいう「個人ニュースサイトもどき」とは、自分自身は興味がないのに他のプログユーザーの興味を惹くことのできそうなニュースばかりを次々と取り上げ、そこに独自的な考察などのない適当なコメントばかりを書き付けているものを指しています。著者は、そのような「個人ニュースサイトもどき」ではなく、「どうせ作るのなら、周囲の評判や世間の日など気にせず、自分が本当に興味のあるジャンルのニュースを紹介したほうがいい。たとえそれがネット上ではあまり話題にならないジャンルだとしても、まったく誰にも興味を持たれないことはない。誰かひとりはかならず『同好の士』が見つかるだろう。そしてサイトそのものも、サイトがきっかけで生まれた人間関係も、きっと長続きするはずだ」とアドバイスしていますが、私も全く同感です。 このように、不特定多数のブログユーザーの興味に迎合しようとするのではなく、自分の書きたいことを自分のペースで書き続けていくことこそが大切だと『スローブログ宣言!』は述べているのですが、では「望ましいアクセス数」とはどのくらいなのでしょうか。同書は、IT関係の経営コンサルタントである梅田望夫氏が五00件から三000件が「楽しいいいゾーン」だとしていることを紹介し、それがリアルで妥当なものだとし、同書の著者自身の「はてなダイアリー」のアクセス数は、「少ないときでも五〇〇以上、多いときで一〇〇〇前後だ(大手のニュースサイトで紹介されるなどのイレギュラーな事態が起こると、さらにアクセスは増えるが)。この意味では梅田氏の言う『楽しいいいゾーン』を、それなりに維持していることになる」と書いています。 うーん、500以上、多いときで1000前後ですか。焦るなー。私のブログの現状のアクセス数からはほど遠い数字ですね。やっぱり、内容はどうでもいいから、不特定多数のブログユーザーが興味を持つであろう内容の記事をどんどん書かないと駄目かなー。そうだ、まずは明日投票の総選挙にターゲットを絞って私のブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」では総選挙特集を組むことにしょーっと。おっと、駄目駄目、焦りは禁物です。せっかく『スローブログ宣言!』を読んだのですから、私なりの「スローブログ宣言」を壁にでも貼ってマイペースでブログ生活を楽しみたいと思います。 なお、つぎのブログに『スローブログ宣言!』についてのとても的確で優れた紹介文がありますので、同書に関心を持たれた方はぜひ参考にしていただきたいと思います。yujiroさんのブログ「小粋空間」yujiさんの「中空庭園」フルカワマサユキさんの「詞織」skegooさんの「SKEGlog」空耳さん「等身大より少し大きめに」はじめさんの「木漏れ陽の揺れる散歩道」まかぴーさんの「おきらくごきらく回顧録」
2005年09月10日
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gracemomoさん、ゆきうさぎさん、コメントをありがとうございます。 gracemomoさんが「前から犬は好きだったんですが自分が飼う様になって余計好きになりました」と書いておられ、またご自身運営のブログで愛犬のももさんとぴい君のことを紹介されるとともに、「どこのお家でもそうだと思いますが・うちの子が一番・ですよね」とコメントしておられますが、本当にそうですね。 私の飼っていますポロは6年前に亡くなった母が我が子のように可愛がっていた柴犬ですが、母はいつも「カワイイわねー、カシコイわねー、上品ねー、いくら見ていてもあきないわー」と言っていたものです。私は、そんな母の愛犬自慢をいささかゲンナリして聞いていたものです。しかし、母が亡くなった後にこのポロを我が家に引き取って面倒を見るようになってから、いつのまにか母と同じような思いを持つようになってしまいましたよ。 ゆきうさぎさんから「加代ちゃんにマサ、やまももさんにポロ君ですね」とのお言葉をいただき、それでマサシリーズの加代ちゃんが『レベル7』にも登場していたことをすぐに思い出しました。しかし、ゆきうさぎさんご自身はそのことをすっかり忘れておられたのですね。 蓮見探偵事務所の加代ちゃんは『レベル7』の物語が始まってから三日目の通し番号32に登場してきますが、探偵社や興信所に自分自身の身上調査を依頼する人が増加しているとして、そんな依頼を引き受けて調査することはインチキであり、依頼する人間は自分が他人からどう見られているか不安で不安でたまらないという心の病にかかっており、むしろ専門の医師やカウンセラーに診てもらった方がいいと言い切っています。そして、加代ちゃんはその理由についてつぎのように説明しています。「客観的な答えがほしい。そう言いますよね。でも、一人の生きている人が『どんな人間であるか』なんていう質問に対して、客観的な答えがあるでしょうか。(中略)たとえば近所の人たちに聞き込みをするとしますね? 結果は見事なまでにバラバラです。ご主人の浮気に悩まされている女性にきけば、その人は、隣のご主人も浮気してるみたいですよ、と答えます。父親と子供がうまくいかなくて悩んでいる人は、隣の家のお子さんも反抗的ですからねって言います。これ、本当なんです。結局、みんな、自分の目を通してだけ見てるんですから、そうなって当然なんですよ」「学校のテストじやないんですから、あなたは人生において八〇パーセント成功しています。上司のウケは六九パーセント、部下の支持率は七四パーセントでありますなんて、結果が出せるわけがないです。成功か失敗か、満足か不満足か、決められるのは自分自身だけです。それは、皆さんわかっているはずなんです」 加代ちゃんが紹介している「他人からどう見られているか」病はますます深刻化しているような気がしますね。
2005年09月09日
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ゆきうさぎさん、gracemomoさん、こんばんは。 昨日の拙文「台風とポロとザクロ」へのコメントをありがとうございました。また、ホームページに書いたポロについての拙文もご覧いただき、さらに「可愛いですね」とのお言葉に大感激しています。例え豚児、いや豚犬でも飼い主にとっては世界で一番可愛いワンちゃんですから、お世辞でも本当にとっても嬉しいです。 gracemomoさんの「宮部みゆき論のページは何度も行ってボチボチ読ませていただいてます」とのお言葉もとっても嬉しいです。それから台風について、「大阪も構えて待った割にはヒドイことになりませんでした」と書いておられますが、大阪も雨は結構降ったのではないですか。今度の台風、九州を中心に西日本に相当な被害を与えているようですね。 ゆきうさぎさんがザクロについての懐かしい思い出を紹介され、さらに「やまももさん宅のザクロは、きっと甘いんでしょうね」と質問してくださってますね。私の場合、幼い頃に住んでいた家の近くにザクロの木があり、紅色の果皮に包まれて宝石のように美しく輝くザクロの実に魅せられたものです。後にザクロの実を食べたときは、そんなに美味しいとは思いませんでしたが、幼いときの思い出の一つとして鮮烈な印象を残しているザクロをいま拙宅の庭に観賞用に植えて楽しんでいます。なお、拙宅のザクロの実はお世辞にも美味しいとはいえず、とても酸っぱい味がするだけです。 ところで、大勢の男性の中にただ一人まじっている女性を「紅一点」といいますが、その「紅」はザクロの花のことなんですよね。gooの辞典にも「紅一点」について、「王安石の咏石榴詩『万緑叢中紅一点』の句による。一面の緑の中に咲くただ一つの赤い花の意〕多くのものの中で異彩を放つもの。特に、大勢の男性の中にまじっている、ただ一人の女性」と説明しています。 それから、「加代ちゃんにマサ、やまももさんにポロ君ですね」とのお言葉をいただきましたが、この加代ちゃんも複数の宮部作品に登場していることを思い出しました。いや、マサが語り手の『パーフェクト・ブルー』と『心とろかすような マサの事件簿』だけではなく、さらに『レベル7』にも登場しているんですよね。ネバーランドの真行寺悦子が「明日、レベル7まで行ってみる」と日記に書いた後に失踪した貝原みさおの行方を探す過程で、蓮見探偵事務所に勤める加代子に会い、みさおが自分自身の身上調査を加代ちゃんに頼みに来ていたことを知るんですね。
2005年09月08日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 九州西岸を北上していった台風14号は、暴風域が広くて進行速度が自転車なみだったため、九州各地は長時間にわたって激しい風雨にさらされ、様々な被害を蒙ったようです。 私も鹿児島市に住んでいますので、5日の夕方から6日の夜までずっと家に閉じ込められていましたが、幸い被害はほとんどありませんでした。ただ、庭の木々は相当に痛めつけられたようで、木の葉や枝が庭に散乱しており、まだ熟さないザクロの実も5個ころがっていました。そうですね、これが我が家の最大の被害かもしれませんね。 そうそう、それから我が家の飼い犬のポロ(オスの柴犬)も台風のために散歩に連れて行ってもらえず、用を足すのに一苦労してましたよ。普段は庭の一部を柵で囲って放し飼いにされているのですが、台風が通り過ぎる間ずっと狭い玄関のなかに入れておかれ、「自然が私を呼んでいる」状態になったときもクーン、クーンとなんとも悲しげな声を出して急を告げるしかありません。そして、そのときは玄関を開けてもらい、嵐の庭の中でやむを得ず用を足したのですが、ジェントルマンの彼としては辛かったと思います(普段は散歩の途中に用を足しています)。ポロさんも大変でしたね。ご苦労様でした。 なお、掲載した写真は台風で落ちたザクロの実と私の愛犬ポロを撮ったものです。
2005年09月07日
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ゆうきさん、こんばんは、やまももです。 ゆうきさんがご自身運営のブログ「ゆうきの読書日記&矯正日記」に載せておられる『誰か Somebody』の書評転載の件についてご承諾いただき、本当にありがとうございました。それで早速、私のHPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいました。なお、もし問題がございましたらいつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。 私のブログに寄せていただいたコメントのなかで、「あの感想は,本を読んだ直後に書いたものなのでちょっと恥ずかしいくらい,杉村さんへの思い入れが入っているのですが,その時の正直な気持ちです」と書いておられますが、主人公の杉村三郎の置かれた立場にご自身も身を置いて感情移入して書いておられ、とても共感させられ、また納得させられました。 それから、「宮部さんの作品へのコメントを集めたページって面白い企画ですね。他の方のコメントもいろんな見方があって面白いなと読ませていただきました」とのお言葉をいただき、とても喜んでいます。同一作品について複数の読者の多様な感想が同一ページに載せられている「我らが隣人の宮部さん」は私にとってとても大切な宝石箱のようなものであり、この宝石箱を今後さらに一層素晴らしいものにしていきたいと思っていますので、今後ともご協力をどうかよろしくお願いいたします。
2005年09月07日
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台風14号のため、鹿児島市では昨日(9月5日)の夕方から暴風域に入って雨風が激しくなり、午後9時7分には最大瞬間風速48.4メートルを観測したそうです。新聞には、台風14号の暴風域はカトリーナを上回ると書いてありましたが、いま(6日午後8時過ぎ)もまだ強い風が吹き続いています。 さて、「宮部みゆき」をキーワードにして検索エンジンで調べておりましたら、ゆうきさん運営の「ゆうきの読書日記&矯正日記」がヒットしました。ゆうきさんは、宮部みゆき作品が大変お好きなようで、ご自身のブログに19作品も彼女の小説の書評を書いておられます。 特に『誰か Somebody』についてのコメントは大いに共感させられました。この宮部みゆきの長篇小説は比較的地味な作品ですが、ゆうきさんは「こんな本を書いてくれるから,宮部みゆきはやめられない」とされ、「超能力者を書いていても,サラリーマンを書いていても根っこの部分に共感できる。そういう作家がいてくれることはすごく幸せなんだなって,読んでて再確認しました」と書いておられます。 それで同書評をぜひ私の運営いたしますHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいと思いました。 ゆうきさんには転載の件をぜひご承諾していたきたいのですが、よろしいでしょうか。なお、了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。
2005年09月06日
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ゆきうさぎさん、こんばんは、やまももです。 ゆきうさぎさんのブログ「ウサギ・絵・花・本・写真・・・」の日誌で私の「『ブレイブ・ストーリー』に見るジュブナイル風SF」と題した文章を紹介してくださり、またさらに私の運営いたしますホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板にも文章を寄せてくださり、本当に感激です。心からお礼申し上げます。 ところで、スティーヴン・キングといいますと、宮部みゆきはスティーヴン・キングの大ファンであるとともに、キングの作品から多大の影響を受けているようですね。そんな宮部みゆきは、ディーン・R・クーンツ『コールド・ファイア』(文春文庫、1996年8月)の巻末に解説文を載せているのですが、これが作家としての宮部みゆきを考える上でとても興味深い内容なんですよ。それで、拙ホームページ中の「宮部語録に見る宮部みゆき」の「Q6.宮部作品とスティーヴン・キング作品との関わりついて」と題する文章中で、私はこの文春文庫版『コールド・ファイア』の解説文を紹介させてもらいました。 私なりに宮部みゆきのこの解説を要約しますと、クーンツの物語が「ほぼ完璧なグッドエンディング」となるのに対し、キングの小説は単純なハッピーエンドものではなく、彼の作品を読み終えた読者は「友や同志や恋人を失った喪失感に悩まされ、心に傷を負った主人公たちの、『物語終了後』の生き方に、漠とした不安を覚えずにはいられない」としています。そして「これは、一面で、非常によくシミユレートされた実人生の物語なのであると言うこともできないでしょうか」と指摘しているのです。 うーん、どうです、まるで宮部みゆき作品の本質を彼女自身が述べているみたいですね。
2005年09月03日
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ゆきうさぎさん、アゲハさん、こんばんは。 ゆきうさぎさんが『人質カノン』の中の「十年計画」の語り手について、その語り手の「私」は「宮部みゆきさんらしくありませんか?」とコメントしておられますが、確かにそう考えてもおかしくないですよね。 ゆきうさぎさんは、この短篇の終わりの方にある「彼女には断りなしに、わたしはこの話を書いてしまった」という文章を紹介しておられ、語り手は文章を書くことを職業としているようですね。 さらに、この短篇のなかで、語り手は自分自身を「運動神経が鈍い」と言っていますし、女性運転手から「お嬢さん」と呼称されたときは、「わたし、それほど若くないもの」と応えています。 宮部みゆきがテニスとかゴルフなどを颯爽とプレイしていたという話など聞いたこともありませんから、彼女はどうも運動はあまり得意ではないようですね。それから、短篇「十年計画」が最初に載ったのは『小説新潮』1993年9月号で、1960年12月23日生まれの彼女はこのとき32歳ですが、小柄で童顔の彼女なら「お嬢さん」と呼称されても不思議はないような気がします。 宮部みゆきは、よく他人から実際の年齢より若く見られるそうで、例えばこれは彼女が37歳頃のことですが、仕事場のマンション探しのために不動産屋に行ったとき、「おねえちゃん、出物があるよ。お風呂はないけど、トイレはついてる。月四万円」って言われたというのは有名な話ですね。 アゲハさんから昨日、「『クロスファイア』か『燔祭』に出てきたお豆腐屋さんは、『模倣犯』に出てくるお豆腐屋さんと同じだったような気がしたんですけど...」とのコメントをいただきましたが、今日すぐに「『クロスファイア』を読んだのも、『鳩笛草』を読んだのもだいぶ前だったので、勘違いかもしれません(^^;)」とのご丁寧なお返事をいただきました。 勘違いはよくあることですね。私なんかポンコツ山のタヌキ状態がどんどん進行しており、いつも勘違いばかりしています。この間も、夕方の帰宅時、拙宅の近くに女性が立っているので、「こんばんは」と挨拶しながらスタスタ通り過ぎようとしましたら、笑われてしまいました。「えっ、なんでだろう?」と振り返って相手の顔をよく見ましたら、な、なんとその女性は私の妻ではありませんか。うーん、なんという勘違い!!! いや、勘違いというより、単に近眼が進行し、とくに夕方になると識別能力が落ちるということなんですけどね、トホホ。(;_;)
2005年09月01日
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昨日の拙文「宮部みゆきのシリーズ作品」について、ゆきうさぎさんから、「シリーズとは言えないかもしれませんが、回向院の茂七親分で『本所深川ふしぎ草子』と『初ものがたり』がありますね」とのご指摘をいただきました。 そうでしたね、うっかりしていましたが、回向院の茂七親分は『本所深川ふしぎ草紙』(新人物往来社、91.04.05)に頭の禿げ上がった古顔の岡っ引きとして登場し、この本に収められた各短篇を通じて地道な探索をおこなう渋い脇役を演じていましたね。そんな地味な脇役だった茂七親分が主役の座について活躍するようになったのが『初ものがたり』(PHP研究所、95.07.20)でした。ゆきうさぎさん、貴重なご指摘、本当にありがとうございました。 また、ゆきうさぎさんのご指摘どおり、この茂七親分の名前が『ぼんくら』にもちらっとでてきますし、それから『模倣犯』の武上刑事と『クロスフアイア』の石津刑事が『R.P.G.』に登場していますね。 さらに、あげはさんから「『クロスファイア』か『燔祭』に出てきたお豆腐屋さんは、『模倣犯』に出てくるお豆腐屋さんと同じだったような気がしたんですけど...」とのご指摘を受け、まず『鳩笛草』所収の中篇『燔祭』の頁をパラパラと繰ってみましたが、残念ながらお豆腐屋さんは登場して来ないようです。さらに長篇の『クロスファイア』のなかを探しはじめましたら、上巻に「伊藤豆腐店」が出てきて、その店を営む母親とその娘の信恵が登場してきます。しかし、『模倣犯』に出てくるお豆腐屋さんを営む有馬義男とは関係がないようですね。有馬義男の娘は真智子ですし、誘拐されて殺された孫娘の名前は鞠子ですからね。 しかし、上下巻の長篇『クロスファイア』を慌てて探したため、別の豆腐屋さんが同作品に出てくる箇所を見落としているかもしれませんね。あげはさん、後でもしなにかお気づきになったことがありましたら教えてくださいね。 ところで、宮部作品に複数回登場する人物といえば、「宮部みゆき」という作家もいますね。えーっと、『淋しい狩人』(新潮社、93.10.15)では、宮部みゆきは『法律の抜け穴事典』をイワさんの古本屋さんに買いに来て、イワさんに怪しまれていることを察して「あたし、実は推理小説を書いている駆け出しの作家なんです」なんて言っていますね。それから、『心とろかすような マサの事件簿』(東京創元社、97.11.28)に彼女が登場したときには、犬のマサから、「いっちょまえに『午前中寝てますので……』などと、物書きらしいことをいっている」なんて評されていますよ。
2005年08月31日
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宮部みゆきの作品には、シリーズものが幾つかありますね。 宮部みゆき作品が最初に出版されたのは、犬のマサを語り手とする『パーフェクト・ブルー』(東京創元社、89.02.25)でしたが、マサはずっと後に『心とろかすような マサの事件簿』(東京創元社、97.11.28)でも語り手をつとめ、また犬ならではの能力を使って活躍しますね。 『かまいたち』(新人物往来社、92.01.30)の「迷い鳩」と「騒ぐ刀」の両中篇には霊験お初が登場しますが、彼女は後に『震える岩 霊験お初捕物控』』(新人物往来社、93.09.30)や『天狗風 霊験お初捕物控二』(新人物往来社、97.11.15)でその見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる霊験能力を駆使して大活躍しますね。 『今夜は眠れない』(中央公論社、92.02.20)と『夢にも思わない』(中央公論社、95.05.07)は、「僕」(緒方雅男)と島崎の中学生コンビシリーズですね。島崎くんは、まだ中学一年生なのに、その非常な博識ぶりと大変な推理力、洞察力には大いに驚嘆させられてしまいます。 『鳩笛草』(光文社、95.09.25)に収録されている中篇「燔祭」に登場する青木淳子は、『クロスファイア』(光文社、98.10.30)では、恐ろしい破壊力を有する念力放火能力(パイロキネシス)を駆使して、彼女が社会の敵とみなす人物たちに対する「狩り」を続けていきますね。 『ぼんくら』(講談社、00.04.20)に登場した八丁堀同心の井筒平四郎、煮売屋のお徳や弓之助、おでこたちは、『日暮らし』上下巻(講談社、05.01.01)にも登場し、各人それぞれがそのユニークな個性を大いに発揮し、楽しい人物絵巻を繰り広げますね。 それから、 『誰か Somebody』(実業之日本社、03.11.25)の主人公は、「私」(杉村三郎)ですが、いま中日新聞、東京新聞、北海道新聞に連載されている長篇ミステリーの「名もなき毒」はこの『誰か Somebody』の続編とのことで、おそらくいつか単行本になって出版されるでしょうね。
2005年08月30日
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ゆきうさぎさん、初めまして、やまももです。 ゆきうさぎさんが『孤宿の人』についてお書きになった書評転載の件のご承諾、本当にありがとうございました。それで早速、私のHPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいました。なお、転載に当たりまして改行等幾つか修正を加えさせていただきましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。 ところで、いただいたコメントに「やまももさんのHPお気に入りに登録してますよ」と書いておられますね。それは大変光栄です。また、「宮部さん作品は小説は全て読んでる」とのことですね。同じ宮部みゆき作品のファンとしてこれからもよろしくお願いいたします。 それから、ゆきうさぎさんのブログの1月22日の記事に、2004年6月に開かれた宮部みゆきさんの「ぱんぷくりん」サイン会の記事が載っていましたが、そのときのサイン会の様子や宮部さんの印象などをいつかお暇なときに教えていただけたらありがたいと思います。また、ブログを開設する以前に読まれた宮部作品について、「ぼちぼち感想書こうかなぁ、と思ってるところです」とも書いておられますが、RSSリーダーでの更新チェックで見られる日を大いに楽しみにしております。 あっ、RSSといえば、「PCに疎いのでRSSはよく解りません」と書いておられますが、ブログが運営できるゆきうさぎさんなら簡単に登録等の手続きをされて使用できるようになられると思いますよ。(^-^)
2005年08月27日
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最近、楽天広場に「Infoseek RSSリーダー」の案内があり、「広場の日記も他のブログも、まとめて更新チェックが簡単にできます!」と宣伝していましたので、同RSSリーダーを登録し、興味深いブログの更新チェックができるようにしました。 なお、「RSS」について雑誌『みんなのブログ』Vol.4(2005 Summer)の82頁につぎのような説明が載っていました。 ブログでおなじみの「RSS」だが、RSSとは、「Rich Site Summary」、または「RDF Site Summary」の略で、情報の概要を納めるXML形式のデータのことを指す。 このRSSフイードをRSSリーダーで閲覧すれば、記事のタイトルや概要、配信時間を知ることができ、くわしく読みたい記事があったときだけ元の記事にアクセスし、全文を読むこともできる。サイト上の大量の情報の中から、必要とする情報にだけ効率よくアクセスできる。 なお、「Infoseek RSSリーダー」にはゆきうさぎさん運営のブログ「♪ウサギ・絵・花・本・写真・・・♪」も新たに登録しました。ゆきうさぎさんは宮部作品がお好きなようで、10作品も彼女の小説の書評を書いておられます。特に『孤宿の人』の書評は力の入った読み応えがありました。それで同書評をぜひ私の運営いたしますHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいものです。 ゆきうさぎさんには転載の件をぜひご承諾していたきたいのですが、よろしいでしょうか。なお、了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。 あっ、それから、ゆきうさぎさんのブログの1月22日の記事には、2004年6月に開かれた宮部みゆきさんの「ぱんぷくりん」サイン会の様子がレポートされていましたね。
2005年08月26日
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アゲハさん、初めまして、やまももです。 『日暮らし』についてのコメントの転載を快く承諾してくださり、本当にありがとうございました。それで早速、私の運営いたしますHP「やまももの部屋」の「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいました。なお、もし問題がございましたらいつでもお申し出下さい。 ところで、アゲハさんが運営しておられるブログ「アゲハのひとりごと」を拝見しておりましたら、『ぼんくら』『日暮らし』以外にも宮部みゆき作品について『初ものがたり』『蒲生邸事件』『魔術はささやく』についても素敵なコメントを書いておられ、とても興味深く読ませてもらいました。 同じ宮部作品のファンとして今後ともよろしくお願いいたします。
2005年08月25日
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今夜、宮部みゆきの『日暮らし』について書かれた記事を見つけるため、楽天広場内の全ブログを対象に「宮部みゆき 日暮らし」をキーワードにして検索をかけてみましたら、ageha0509さん運営の「アゲハのひとりごと」の素敵な記事がヒットしました。 それで、私が運営していますHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」というコーナーに転載させていただきたいと思いますが、ご承諾していただけないでしょうか。なお、了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくおねがいいたします。
2005年08月24日
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宮部みゆきの『誰か Somebody』のカッパ・ノベルス版が書店で販売されていました。この作品は昨年の11月に実業之日本社から出版されたときに購入しており、新たに解説などが載せられているわけでもないので購入しませんでした。しかし、お値段は900円ですから、まだ購入しておられない宮部作品のファンにはお得かもしれませんね。 しかし、単行本が出版されてから数年後に文庫に収められることはよくありますが、まだ一年もたたないうちに別の出版社から同一作品が出されるという出版事情はよく分かりませんね。 でも、『蒲生邸事件』も、最初は毎日新聞社から1996年10月に出版され、さらにカッパ・ノベルスから1999年1月に出され、そして2000年10月には文春文庫に収められていますね。また『理由』は、朝日新聞社から1998年6月に出版され、2002年9月に朝日文庫に収められ、さらに2004年7月に新潮文庫にも収められていますね。 なお、『理由』が朝日文庫のみならず新潮文庫にも収められた理由については、作者自身が同作品の新潮文庫版の「あとがき」で、彼女の現代ミステリ作品が多く集められている新潮文庫に、彼女にとって「ある時期の現代ミステリのけじめとなる作品」と考える『理由』を新刊書店の棚に同じ色の背表紙で並べたかったからだと説明しています。 じゃー、『誰か Somebody』が実業之日本社のみならずカッパ・ノベルス版でも出版された事情はどこにあるのでしょうね。大きさのみならず背表紙の色も確か違っていたように思うんですか……。
2005年08月22日
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みなさん、こんにちは、やまももです。 「Fling Dutchsan」を運営しておられる「ダッチさんから昨日いただいたコメントのなかに、「『妖怪大戦争』の宮部先生は可愛かったです(^^)」とのホットな情報が書かれてありました。 それで、映画「妖怪大戦争」への出演ですから、宮部みゆきの役はお化の類に違いないと思い込み、彼女なら可愛い仔狸か仔河童をイメージしたのですが、美雪さんの運営しておられる「日めくり美雪草紙」によりますと、「エンドクレジットのキャストロールに『ミヤベ先生・宮部みゆき』との表示があった」とのことでした。 また、「こうせい日記」によりますと、「宮部みゆきの役どころは普通の学校の先生。これが以外にもハマっていて芸達者なのにビックリしました」とあり、なかなかの名演技ぶりだったようですね。 さらに、「映画ってすばらしい!!!」では、「宮部みゆき先生は完全に学校の先生だった。コノ映画の助演女優賞は宮部みゆきに決定だ。ヒロインの川姫より、はるかに彼女の方がインパクトがあった」とあり、なんとなんと、「宮部みゆきの演技がすばらしい! ということが言いたかっただけの映画でした(笑)」とまで大絶賛(映画に対しての大酷評?)。 うーん、この映画そのものは前からあまり観たいとは思いませんでしたが、我らが隣人の宮部さんの名演技は観てみたいですね。もしテレビで放映されたら、そのときは観ようかな。
2005年08月20日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの『孤宿の人』についての素敵なコメントをみけさんの「みけねこ日記」、まるさんの「旅の途中で」、えろみさんの「金環蝕的日々」、グッチさんの「Fling Dutchsan」に見つけましたので、「我らが隣人の宮部さん」への転載をお願いしましたところ、ありがたいことにご了承の返事をいただくことができました。 それで、「我らが隣人の宮部さん」のなかに『孤宿の人』についての独自のページを新たに設け、そこにみけさん、まるさん、えろみさん、グッチさんのコメントを転載させてもらいました。これらのコメント、どれもとても素敵なコメントですので、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。 なお、転載に当たってなにか問題がありましたらいつでもお申し出下さい。いつでもすぐに訂正したいと思います。 これをご縁に今後ともよろしくお願いいたします。
2005年08月19日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 私の運営していますHP「私の宮部みゆき論」には「我らが隣人の宮部さん」というコーナーがあり、そこにこれまで宮部みゆき作品について書かれた132の素敵なコメントを転載しています(2005年8月18日現在)。 それら転載させていただいたコメントの中には、HP「私の宮部みゆき論」の掲示板への投稿や私宛のメールから転載させていただいたもののみならず、他の方が運営されているHPで見つけたものもかなりあります。 それで、HP「私の宮部みゆき論」に加えて「ポンコツ山のタヌキの便り」と題するブログも運営するようになりましたので、ブログのトラックバック機能を活用して他のブログの記事に書き込まれている宮部みゆき作品についての優れたコメントを「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらうよう、これからどんどん依頼していきたいと思っています。 なお、すでに『孤宿の人』についてみけさんのブログ「みけねこ日記 ~映画と、本と、美味しいものと♪」に転載をお願いし、快く承諾していただいて転載させてもらっています。 さらにまるさんの「旅の途中で」 、えろみさんの「金環蝕的日々」、ダッチさんの「Flying Dutchsan」に素敵な『孤宿の人』についての記事を見つけましたので、ぜひ「我らが隣人の宮部さん」に転載をお願いしたいと思います。 なお、了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくおねがいいたします。
2005年08月18日
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こんにちは、やまももです。 私がブログという存在を意識するようになったのは、google の検索エンジンでヒットするもののなかにブログの記事が急速に増大するようになったことです。特にそのことを強く印象づけられたのは、宮部みゆきの新作『孤宿の人』の題名をキーワードにしての google 検索でした。 私が『孤宿の人』についてのコメントを書いて自分のHP「私の宮部みゆき論」にアップしたのが7月9日でしたが、その後何週間たっても google で「孤宿の人」をキーワードにして検索をかけても拙文を上位で見つけることはできず、今日(8月17日)の段階でも40位でなんとかヒットできるという状態です。 それに対し、「孤宿の人」というキーワードによって google の上位でヒットできるのは、Amazonや楽天ブックス、Yahoo!ブックス、bk1、紀伊国屋書店などのネット販売用のHPを除きますと、その大半がブログの記事なんですね。 私は最初、それらのブログの記事が上位に来ているのは、まずブログが急速に増大し、またそれらのブログの中に人気が高いものが多いからと単純に思っていたのですが、最近になって雑誌『みんなのブログ』vol.4(2005年7月1日号)に載っている「SEO(サーチエンジン最適化」についてのつぎのような解説を読んでいささか認識を改めました。「Yahoo!やGoogleなどの検索サイトで上位に表示されるように、ウェブページの構造などを調整すること。テーブルタグやフォントタグを多用した旧来のページデザインではSEO的に不利で、デザイン的な要素をスタイルシート(CSS)という形で分離した構造化テキストが有利とされる……というと難しく開こえるが、実はプログツールの多くはこのSEO効果の高いページを自動的に生成している。SEOの知識がなくても検索上位に来ることもあるほどだ。」 ブログには従来のホームページにはない様々な利点があるようですが、それらの利点の中には、記事が検索エンジンの上位に表示されやすいという利点もあるようですね。書き手にとって、自分の書いた文章が検索エンジンの上位でヒットできるということは非常な魅力ですね。 私は、これまで5年半以上運営を続けて来た自分のHP「やまももの部屋」に非常な愛着があり、今後も継続して運営していきたいと思っていますが、それだけでなくブログも上手く併用し、その利点を大いに活用していきたいと思っています。そのためにもブログの利点をさらに詳しく調べる必要がありますね。 そのためにもみなさまからブログの特性についていろいろ教えていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
2005年08月17日
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みけさん、おはようございます、やまももです。 私の運営いたしますHP「私の宮部みゆき論」をご覧くださったとのこと、お礼申し上げます。また、「宮部みゆき作品への想いが端々からにじみ出るようなサイトですね」との過分のお言葉に恐縮しております。 ところでみけさんのブログ内で「宮部みゆき」をキーワードにして検索をかけましたら、「孤宿の人」以外にさらに「日暮らし」、「震える岩―霊験お初捕物控」、「天狗風―霊験お初捕物控〈2〉」の3作品についてのコメントも表示されました。 これら宮部みゆきの時代小説についてのコメントを大いに共感しながら拝読させてもらいました。特に原作からの印象深い箇所の引用とそれに対する適切なコメントが抜群にお上手で、これらの作品を再度味わい楽しむことができたような気持ちになりました。 ところで、それらの引用文のなかに、「天狗風」に登場する同心の倉田主水がそのこころの傷を語るなかで、「都合の悪いこと、見たくないもの、聞きたくないことを不思議話の中に押し込めて、自分にも世間にも嘘をつき通す」と述べている箇所もありましたが、この言葉からすぐに『孤宿の人』の加賀様に対する世間の風評が連想されました。『孤宿の人』の場合、「都合の悪いこと、見たくないもの、聞きたくないことを不思議話の中に押し込め」ることによって、そこから生まれる流言飛語に人々は翻弄され、ついには大惨事を引き起こしてしまうのですね。 私たちは、生きていくなかでつぎつぎと「都合の悪いこと、見たくないもの、聞きたくないこと」を目の当りにし、また自らそれらのものを生み出しています。それだけに、それらのものとどう向き合うのか、大変難しいことであり、またそれが人生だといっても過言ではないですね。 ところで、みけさんのハンドルネームは「みけねこ」さんとした方がいいのでしょうか。私の飼い犬のポロも気にしておりますので、もしよろしければ正式のハンドルネームを教えていただけれはありがたいと思います。
2005年08月15日
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楽天ブログでトラックバックを試してみましたが、楽天以外のブログでもトラックバックすることは可能なようです。 それで、googleの検索エンジンで「孤宿の人」をキーワードにして検索をかけてヒットしたみけさんの「みけねこ日記 ~映画と、本と、美味しいものと♪」http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20050725 にトラックバックすることにしました。 みけさんは『孤宿の人』について、「ぼんくら」シリーズに「勝るとも劣らない、代表作といっていいと思う」とされ、さらに「現代物も含めた個人的ベストは『火車』と『理由』だけど、それらに近いレベルの、ズン、ズンとくる読み応えがあった」とも評価されていますが、私もこの『孤宿の人』は宮部の代表作の一つになることは間違いないと確信しています。 さて、このみけさんの優れたコメントを私のHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub5.htmに転載させてもらいたいとお願いしましたところ、幸いにしてみけさんから承諾していただくことができました。本当にありがとうございました。それで早速「我らが隣人の宮部さん」に転載手続きをさせてもらいました。もし問題がございましたら、いつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思います。
2005年08月14日
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やまもものトラックバックの試運転で分かったことなんですが、私がトラックバックしたブログの6つの記事のURLはそれらの「トラックバックURL」として表示されているURLとは違っているんですね。例えば、glassageさんの「曇りときには晴れ」に載っている『孤宿の人』の記事を読むためには、アドレスとしてhttp://plaza.rakuten.co.jp/glassage/diary/200508090001/を入力しなければなりませんが、同記事の「トラックバックURL」は http://tb.plaza.rakuten.co.jp/glassage/diary/200508090001/ となっています。トラックバック用にはhttp://の後にtbが付けられており、そこだけが実際のアドレスと違っているのですね。 それで、トラックバックさせていただいた6つのブログ記事に対しまして敬意を表して実際のアドレスを下に入力させていただくことにいたします。glassageさんの「曇りときには晴れ」http://plaza.rakuten.co.jp/glassage/diary/200508090001/ ぺるっちmyloveさんの「ぺるっち日記」http://plaza.rakuten.co.jp/perle/diary/200507060000/ kenkengさんの「けんとkenkeng」 http://plaza.rakuten.co.jp/himemame7/diary/200507030000/Re-kaさんの「やっぱり本が好き♪」http://plaza.rakuten.co.jp/niko2town/diary/200507190000/miky-momoさんの「life is journey」http://plaza.rakuten.co.jp/journy/diary/200507180000/ ランラン7446さんの「Ran Garden」http://plaza.rakuten.co.jp/rangarden/diary/200507240000/ また、さらに新たに『孤宿の人』についての記事があるつぎの4つのブログにもトラックバックさせてもらいました。いがぐり602さんの「いがぐりの読んだ本」http://plaza.rakuten.co.jp/igaguri602/diary/200508110000/ ひまkoさんの「** ひまつぶし ** 」http://plaza.rakuten.co.jp/himadane/diary/200507140000/ ぷちてん525さんの「ぷち てんてん」http://plaza.rakuten.co.jp/simpletenten2003/diary/200507130000/がーママさんの「あひるとひよこたちの部屋http://plaza.rakuten.co.jp/gaagaapiyopiyo/diary/200508130000/ 以上のブログの記事には『孤宿の人』についての素敵なコメントが載せられており、大変参考になりました。これからもよろしくお願いいたします。
2005年08月13日
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やまもものトラックバック試運転はそれなりに成功したようです。 逆リンクしたい3つのブログの記事の下に付されている「トラックバックURL」を私のブログの「トラックバック試運転」の記事原稿の下に表示された「相手先のトラックバックURL」にペーストして「登録する」をクリックした後、それぞれのブログに再アクセスしましたら、確かに該当記事に対し私の送った記事が表題「トラックバックの試運転」と私のブログ名「 ポンコツ山のタヌキの便り」入りで送信されており、それらの記事表題やブログ名をクリックしますと私自身のブログの記事にバックすることができました。 それで楽天ブログでのトラックバックの方法を私なりにまとめますと次のようになるようです。(1)目的のブログの記事の「トラックバックURL」に表示されているURLをコピー(2)自分のブログで記事原稿を書く(3)その原稿下の「相手先のトラックバックURL」に目的のブログからコピーしておいたURLをペースト それでは、また『孤宿の人』について書かれたつぎの3つの記事に新たにトラックバックしてみます。Re-kaさんの「やっぱり本が好き♪」http://tb.plaza.rakuten.co.jp/niko2town/diary/200507190000/miky-momoさんの「life is journey」http://tb.plaza.rakuten.co.jp/journy/diary/200507180000/ ランラン7446さんの「Ran Garden」http://tb.plaza.rakuten.co.jp/rangarden/diary/200507240000/ トラックバックされたブログの運営者の方たち、勝手に申し訳ありません。でも、『孤宿の人』の同じ読者ということでお許しください。今後ともどうかよろしくお願いいたします。
2005年08月13日
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私は5年前からホームページを運営しているのですが、最近になって検索エンジンにキーワードを入力してヒットするページのなかにブログが急速に増大していることに気がつきました。 このブログの最近における急速な増大の背景には、ホームページ開設は技術的にいろいろ面倒なことがありそうだと躊躇していた人々が、このブログだととても簡単に開設できるということで飛びついたことがあると思います。しかし、これまでのホームページ運営者の中にも新たにブログの開設をする人が結構たくさんいます。そうしますと、ブログにはこれまでのホームページにはない利点があるのかもしれません。 それで、私もブログを始めることにしたのですが、ブログの世界では西も東も分からず途方にくれるばかりで、開店休業状態を続けてきました。しかし、お盆休みに入り、ブログならでは特徴をいろいろ調べてみようと思い、まずトラックバックを試みることにしました。 なお、トラックバックについて、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』はつぎのように説明しています。「トラックバックはブログの主要機能の一つで、逆リンクを作る機能である。 (中略) 自分のブログの記事を書く時、他人のブログの記事を参照し、自分の記事から他人の記事にリンクすることはHTMLによるサイト作成でもできる。このトラックバック機能を利用すると、他人の記事に自分の記事へのリンクをすることができるようになる。 トラックバックは、ブログで使われることが主であるが、ブログ以外にもWikiやニュースサイト、掲示板でも利用されることもある。 この機能を利用するためには、自分のウェブサイトがトラックバックを送信でき、且つ他人のウェブサイトがトラックバックを受信できる必要がある。」 このトラックバックについての説明を読んでもまだ充分には分からないのですが、それでもいままで私が自分のホームページで利用していた他サイトへのリンクができるだけでなく、他の人が運営しているブログの記事から自分のブログの記事に逆リンクさせることもできるようですね。なんだかえらく強引で相手に失礼な気もしますが、ここは実験ということでお許し願って、宮部みゆきの『孤宿の人』についてコメントが書かれているつぎの3つのブログにトラックバックさせてもらうことにしました。トラックバック対象glassageさんの「曇りときには晴れ」http://tb.plaza.rakuten.co.jp/glassage/diary/200508090001/ ぺるっちmyloveさんの「ぺるっち日記」http://tb.plaza.rakuten.co.jp/perle/diary/200507060000/ kenkengさんの「けんとkenkeng」 http://tb.plaza.rakuten.co.jp/himemame7/diary/200507030000/ さて、どうなりますことやら、このトラックバックの効果が楽しみ(不安)です。
2005年08月13日
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昨日(7月30日)は、私の住んでいる鹿児島市内では夜中からずっと雷が繰り返しピカピカ、ゴロゴロ、ドッカーンと鳴り響き、雨もザアザア降り続いていました。そんな雷雨のお昼過ぎ、近所の雑貨屋さんから電話がかかってきて、「お宅のポロによく似た柴犬がいまここにいますよ」との連絡をもらいました。w(゜o゜*)w ポロは、4年前に他界した私の母がとても可愛がっていた柴犬で、2年前から我が家に引き取って飼っています(http://homepage1.nifty.com/yamamomo/poro.htm)。庭に木の柵を作って放し飼いにしているのですが、いままで柵から逃げ出したことはありませんでした。しかし、電話をもらって心配になり、慌てて庭中を見回りましたが、なんとどこにも見つかりません。うわー、大変だ、雷に驚いて柵の隙間から逃げ出したのだろうということで、大雨の中、雑貨屋さんに妻と一緒にすっ飛んで行きましたら、ずぶ濡れの柴犬が保護されていて、私たちを見て尻尾を振って近づいて来ました。ヾ(´ε`;)ゝ それで、やまももは無事に飼い犬を連れ戻すことができましたとさ、メデタシ、メデタシ。(*'∇')/゜.:*【祝】*:.゜\('∇'*) で終わったとそのときは思ったのですが、現実はそう甘いものではありませんでした。 なんとなんと脱走の快感をおぼえたのか、今日31日の早朝に新聞を取りに庭に出ましたら、昨日補強した木の柵の一部が上に持ち上げられて折れており、その下からポロが体をもぐり込ませて脱走していました。 近所を探し回りましたら、K家の玄関のところに座り込んでいました。このK家の奥さんには前にずっとポロの散歩をお願いしたことがあり、いまもとても可愛がってもらっています。 ポロを連れ戻してから、その後ずっと柵の補強作業で汗をかいていましたが、ポンコツタ山のタヌキ状態の私には非常にキツイお仕事でした。(;´ρ`) ヘトー
2005年07月31日
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みなさん、初めまして、やまももと申します。 私は宮部みゆき作品のファンで、HP「私の宮部みゆき論」を運営しています。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub1.htm 最近、宮部みゆきの新作『孤宿の人』についてのコメントを書きましたので、もし興味がございましたらご覧いただきたいと思います。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/newpage10.htm ところで、今朝、家で購読している毎日新聞を開きましたら、宮部みゆきへのインタビュー記事が載っていて、彼女が新刊『孤宿の人』についていろいろ語っていました。 同記事の冒頭でこの『孤宿の人』について、「舞台は讃岐国丸亀藩を想定した丸海藩。初めて江戸を飛び出した。さらに、市井の善き人々の哀歓漂う作風を離れ、『今までと違ったことをやりたい』と新境地に挑んだ異色作だ」と書いてありました。 確かに、宮部みゆきはこの時代小説において、作品の舞台を讃岐の丸海藩に設定し、さらにその丸海藩による自藩存続のための理不尽で非人間的な行為を克明に描き出しており、社会派時代ミステリー的な色合いが濃厚です。宮部みゆき自身、その「新境地に挑んだ」点について、同インタビューでつぎのようにも語っています。「偉い役人や金持ちの町人より、名もなく毎日懸命に働いてお足を稼ぐ庶民の方が、一番正しく、温かい。これまで私はそう書いてきました。今回のように、善良な庶民がどんどん死んだり、不幸になったりする話を書いたことはなかったのです。でも、封建制度の江戸時代には、どんなに心の温かい庶民も権力に対しては無力であり、割を食ったり、犠牲にならなければならないことが多かった。そこを一度、しっかり書きたいと思い続けていました」 この『孤宿の人』では、丸海藩で様々な殺人事件が起こり、登場人物たちはその殺人事件の裏に隠された謎の解明しょうと探索を開始しており、確かに時代ミステリー仕立てになっているのですが、自藩に起こった醜聞や紛争を幕府に知られることを恐れた丸海藩によって事件はことごとく隠蔽されてしまい、読者は「謎解き」の爽快さを味わうことはできません。そのことについても、宮部みゆきは毎日新聞の同インタビューでつぎのように述べています。「藩の上層部は事の真相を全部知っている。それを知りえない人が、謎と感じて推理し、調べて行き詰まり、予測がついても自分の命が危ないので深追いしない。私はミステリー作家ですから、探偵役には胸のすくような活躍をさせたい。けれども、今回の主人公たちはそんな力はなく、強い思いが届かない、いじましい人々なんです」 このような権力による陰湿な真実の隠蔽工作が描かれているところにも、松本清張に代表される社会派ミステリー的色彩が濃厚なような気がいたします。 しかし、九歳の少女のほうと幕府の元高官であった加賀様との心の交流を描いた部分には宮部みゆきならではのハートウォーミングな雰囲気が大いに漂い、思わず読者はほろりとさせられることでしょうね。みなさん、初めまして、やまももと申します。 私は宮部みゆき作品のファンで、HP「私の宮部みゆき論」を運営しています。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub1.htm 最近、宮部みゆきの新作『孤宿の人』についてのコメントを書きましたので、もし興味がございましたらご覧いただきたいと思います。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/newpage10.htm ところで、今朝、家で購読している毎日新聞を開きましたら、宮部みゆきへのインタビュー記事が載っていて、彼女が新刊『孤宿の人』についていろいろ語っていました。 同記事の冒頭でこの『孤宿の人』について、「舞台は讃岐国丸亀藩を想定した丸海藩。初めて江戸を飛び出した。さらに、市井の善き人々の哀歓漂う作風を離れ、『今までと違ったことをやりたい』と新境地に挑んだ異色作だ」と書いてありました。 確かに、宮部みゆきはこの時代小説において、作品の舞台を讃岐の丸海藩に設定し、さらにその丸海藩による自藩存続のための理不尽で非人間的な行為を克明に描き出しており、社会派時代ミステリー的な色合いが濃厚です。宮部みゆき自身、その「新境地に挑んだ」点について、同インタビューでつぎのようにも語っています。「偉い役人や金持ちの町人より、名もなく毎日懸命に働いてお足を稼ぐ庶民の方が、一番正しく、温かい。これまで私はそう書いてきました。今回のように、善良な庶民がどんどん死んだり、不幸になったりする話を書いたことはなかったのです。でも、封建制度の江戸時代には、どんなに心の温かい庶民も権力に対しては無力であり、割を食ったり、犠牲にならなければならないことが多かった。そこを一度、しっかり書きたいと思い続けていました」 この『孤宿の人』では、丸海藩で様々な殺人事件が起こり、登場人物たちはその殺人事件の裏に隠された謎の解明しょうと探索を開始しており、確かに時代ミステリー仕立てになっているのですが、自藩に起こった醜聞や紛争を幕府に知られることを恐れた丸海藩によって事件はことごとく隠蔽されてしまい、読者は「謎解き」の爽快さを味わうことはできません。そのことについても、宮部みゆきは毎日新聞の同インタビューでつぎのように述べています。「藩の上層部は事の真相を全部知っている。それを知りえない人が、謎と感じて推理し、調べて行き詰まり、予測がついても自分の命が危ないので深追いしない。私はミステリー作家ですから、探偵役には胸のすくような活躍をさせたい。けれども、今回の主人公たちはそんな力はなく、強い思いが届かない、いじましい人々なんです」 このような権力による陰湿な真実の隠蔽工作が描かれているところにも、松本清張に代表される社会派ミステリー的色彩が濃厚なような気がいたします。 しかし、九歳の少女のほうと幕府の元高官であった加賀様との心の交流を描いた部分には宮部みゆきならではのハートウォーミングな雰囲気が大いに漂い、思わず読者はほろりとさせられることでしょうね。テクノラティプロフィールテクノラティプロフィール
2005年07月18日
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