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今日は、横浜でも結構暑かったです。いよいよ夏ですね・・・ 夏のメンズ・ファッション、ほとんどリゾート・モードですが、バン・ジャケットからご紹介しましょう。 この感じは、ごく当たり前に着こなせそうでしょう。57歳おやじも、着れそうです。いかがでしょうか。 朝夕の空気はまだ少しひんやりと冷たい海辺での休日。着心地のソフトなVANのプリントTシャツの上に、リラックス感のあるアンコンタイプのジャケットやシャツ感覚では羽織れるシャツジャケットをあわせて。そして、こんな感じですかね。いかがでしょうか。 今シーズンのテーマカラーのひとつ、ホワイト。凛とした清潔感のあるホワイトをアクティブなシーンにこそ取り入れるが大人のコーディネイト。ブルーとあわせれば爽やかなマリーンイメージに、アースカラーとあわせれば清潔感のあるシックなアウトドアシーンを演出します。 ですって・・・ いつか時間ができたら読もうと思っていたあの本を時間を気にせず読み耽ることができるのも、楽しく贅沢なリゾートタイム。想像力を豊かにすれば、最もリラクシング&ラグジュアリーな中にいながら、かつての骨太な男たちの冒険も、リッチなセレブたちが過ごしたリゾートの夜も、気軽に追体験できるだろう。ホテルのテラス、海沿いのカフェでそんなゆったりとした時間を過ごすなら、ラフなコットンスーツもよく似合う。 なんですよ・・・ 冒険心をもって難易度の高いコースにも果敢に立ち向かうチャレンジャー。VAN がイメージするゴルフスタイルです。普段はできないチャレンジもリゾートシーンなら楽しみながら レッツトライ!! 来週の日曜日は、久しぶりのゴルフです。スコアはともかく、ファッションはこんなんで・・・
2007年05月23日
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髭剃りと言えば、あっしたちにとってはほぼ毎日の習慣となっているものです。髭を毎日剃るようになって、早くも40年近くの歳月が流れています。そうなると、髭剃りの良し悪しは、その一日を決めると言っても過言ではありません。あっしの場合、平日の毎朝は時間が無いので、電気シェーバー(これはこれでこだわりのブラウン)で間に合わせる的な髭剃りをしています。しかし、時間に余裕のある日曜日の夜は、風呂に入って髭を剃るようにしているのです。つい最近、わが家の風呂場で発見(わが家の誰が購入したかは不明)、脅威の髭剃りです。その名は、『ジレット フュージョン5+1(ファイブワン)』です。ジレットの宣伝によると、こんな風に紹介しています。ジレット ジャパンは、米国で2006年2月発売当初から爆発的な人気を博している次世代のシェービングシステム『ジレット フュージョン 5+1』(税込み希望小売価格1,470円)を2006年8月下旬から日本全国で発売開始します。フュージョンは、世界初の5枚刃を採用。密接に並んだ5枚刃で肌への圧力の分散を助け、ひりつきの少ない、肌にやさしいシェービングを実現します。さらに、替刃の裏側に装着されたピンポイントトリマーにより、あご、鼻下、もみあげといった剃りにくい部分もしっかりと仕上げることができます。 こんな髭剃りです。これが本当によく剃れるのです。値段が1470円もする品物ですが、本当に驚きます。髭剃りといえば、刃が一枚で当たり前だったのですが、それが二枚刃になって驚いたのは大昔のこと。今では、三枚、四枚刃があり、そして五枚刃なのです。本当に、スムーズによく剃れます。顔中傷だらけ、血だらけにして、悪戦苦闘していたあの時代がウソのようです。本当に驚く商品なので、ご紹介まで・・・
2007年05月20日
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お出かけ記の続きです。 名古屋の宿泊先、トラスティ・ホテルを出て、東片端ランプから高速にのります。都心の道路にしては珍しい、真っ直ぐな道を進みます。小牧JCTを経て、中央高速に入ります。多治見や瑞浪を通りすぎ、恵那峡SAで小休止です。 この写真は、恵那峡SAの中に滝があった(たいして珍しいほどの滝ではないが・・・)をパチリです。 恵那山トンネルは8650メートルあるんですかね、本当に長かったです。初めて通過しましたです・・・ 飯田の街、駒ヶ根。そして遠くに高遠が見えるなんて言っていたら、もう岡谷JCTです。長野道へ入ると、ここからは通いなれた松本の家への道となります。 母の一周忌と納骨を終え、その日のうちに松本を立って、下部温泉へ向いました。中央道の双葉JCTから中部横断道へ入ります。増穂ICまで開通しているのですが、その先もバイパスが出来ていて、鰍沢まであっという間に着きます。富士川に沿って走り、身延線の下部温泉駅にほど近い「梅ぞ乃」に泊りました。 外見は大したことありませんが、落着いた、いい旅館です。離れの間を予約したので、温泉も、 部屋も本当によかったです。ときどき、2両しかない身延線が駅を出るときの音が聞こえるだけ、静かな宿でのひと時でした。
2007年05月16日
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今回のツアー。横浜の家から出て、東名で名古屋へ。名古屋市内あちこち見て回って、翌朝、中央高速で長野・松本へ。法事を済ませて、帰りがてら、中央高速から南アルプス市を抜けて、山梨の下部温泉で泊り。今朝、国道52号線を下って静岡・清水へ。清水から東名に乗って、家に戻ってくる行程を取りました。高速道路は、速度メーターで110キロ止り。 走行距離は、約960キロ。平均燃費は14.8キロ/Lでした。これだけ、高速道路を使ったからかも知れません。レガシィB4のカタログ燃費は14.0キロ/Lですから、これを上回りました。 (ハイオクでなくレギュラーもあって)メデタシ、めでたし、のご報告です・・・ 因みに、横浜市内の道路ばかり走っていると、だいたい燃費は9.6キロ/Lですかね。燃費は、クルマの一つの特性にしか過ぎません しかし、これからの時代 必ずや、燃費がクルマ生活の大きな意味をもつ、そんな時代になると思います 経済性もありますが、そればかりでなく、本質は地球環境へのこだわりです そのことの、こだわりは子から孫へ、引継がれていくと思います
2007年05月14日
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母の一周忌もあり、次男坊の名古屋勤めを激励することもあり、ヨメと二人で名古屋から松本を回ってきました。まずは、朝五時に家を出て、東名を走り、名古屋へ入りました。新車のナビに不慣れなもんで、日進ジャンクションから名古屋瀬戸道路へ入ってしまい、長久手に迷い込んだりしましたが、何とかたどり着きました名古屋の徳川園・徳川美術館です。 新緑が美しい季節です。十時の開門前に着きましたが、親切な駐車場係のおじさんに助けられ、中へ入りました。徳川美術館は、一年半ぶりです。前回は、源氏物語絵巻を見に来ました。今回は、尾張の殿様展が開かれていました。尾張の殿様とは、尾張・徳川家のことです。ヨメは、こうした展示モノが大好きなので、時間をかけて、じっくり見回っていました。あっしは、大して興味があるわけでもないので、駆け足であっという間に見終り、コーヒーショップで高いコーヒーを飲みました。 そして、徳川園のお庭も一年半ぶりです。一年半という時間は、それほど長くありません。あっそうだ、こんなところだった、と思い出している間に見終りました。昼過ぎ、名古屋に一人で来ている次男坊と落ち合いました。名古屋生活、一か月半になろうとするのに、名古屋城へいったことがないという、次男坊。それじゃ、「尾張名古屋は城で持つ」、名古屋城へ行きました。このコトバですが、Wikipediaによると、伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称される名城である。天守に取り付けられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。城地は織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の故地で、この城はのちの名古屋城二の丸の位置にあったとされる。 名古屋城です。名古屋の象徴、お城へ来たことの無い次男坊、結構喜んでいました。天守閣の一番高いところへ登りました。「あっちが、おいらの居るビルだ・・・」、名古屋駅の方向を指差す次男坊。 名古屋も、新しいビルがどんどん建っています。このお城、実に内も外もリッパですが、同じWikipediaによると、昭和20年(1945年)5月14日の名古屋空襲の際、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などに焼夷弾の直撃を受けて大火災を起こし焼失してしまった。 戦後、三の丸を除く城址は、北東にあった低湿地跡と併せ名城公園とされ、戦災を免れた3つの櫓と3つの門、二の丸庭園の一部が現存する。一部の堀が埋め立てられるなど改変も受けているが、土塁・堀・門の桝形などは三の丸を含めて比較的よく残る。天守も昭和34年(1959年)に再建されて、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなっている。
2007年05月14日
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前回に続いて、「懐かしい 横浜の写真」を続けます。写真は、横浜市の横浜壁紙から拝借しています。今回は、1961年の横浜です。 お解かりになりますか。手前が山下埠頭で、右側が大桟橋から現在の赤レンガ倉庫方面へ続くあたりです。中央の下側が、山下公園、海岸通で、マリンタワーが工事中のようです。氷川丸は見当たりません(実は、この年、マリンタワーが開業し、氷川丸が係留されています)。中央に市庁舎が見えますが、関内のあたりに、高いビルはほとんどありません。それどころか、こんなに空き地があったのかと、驚かされます。左側の川は中村川で、現在は首都高速道路が通っています。この中村川と中央左上から右下に流れる大岡川、この二つの川に挟まれたデルタ地帯、これが横浜の中心部になります。ここは、かって海、入り江であったのですが、江戸時代に吉田勘兵衛さんという人が埋立て事業を行い、吉田新田としたデルタ地帯であります。写真の上のほうは、南区から港南区や保土ヶ谷区あたりが映っています。しかし、46年前の横浜です。今の横浜を知る人たちには、この写真、どこの街って、きっとオドロキでしょう・・・明日の朝から、旅に出ます。名古屋から松本を回って、下部温泉で泊まってくる予定です。帰ったら、報告します・・・
2007年05月11日
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この写真は、横浜市の横浜壁紙から拝借しています。キャプションは、1966年頃撮影。夕照橋。金沢八景「野島夕照」から名づけられました。画面奥に写る小高い山に見えるのが野島山。 あっしは、1949年生まれですから、このとき16・7歳。高校生の頃の写真です。この頃、歩いてあるいは自転車で、この橋を幾度も渡りました。野島は、小さい頃からのあっしの遊び場でした。釣りしたり、泳いだり、野球をしたり、野島山から夕陽を眺め続けたり、青春の思い出は尽きません。ハッキリ言って、懐かしい写真です。 夕照橋は、京浜急行「追浜」駅側から野島という島へ通じる橋です。右側に映っているバスは京浜急行バスです。追浜から金沢八景駅へ運行されていました。この橋は、架け替えられて、新しくなった頃の風景であるはずです。 本当は、41年後、つまり現在の写真を並べるとよいのでしょうが。さほど、変わっていないかも知れません。野島は、そういう場所なのです。そうですよね、ご近所のみなさま・・・ ってんで、昔の金沢八景。幕末の浮世絵師 歌川広重が描いた「野島夕照」を貼り付けてみました。説明は「海をへだてて房総を望む景勝地野島の漁村の夕なぎの情景 静まり返った海辺を屋形舟がすべるように出て行き、時がゆっくり流れていく」実は、この近くに市境があって、追浜は横須賀市になります。横浜の最南端に位置する、金沢区の野島。横浜のおすすめスポットです。
2007年05月09日
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ゴールデンウィークに一度くらい映画観ましょうよ、ってヨメが言うもんで。観てきました「バベル」です。うーむ、映画は愉しむもの。と決めているもんで、観終わって、やや重たい空気が夫婦の間に流れた映画でした。一般的な紹介文は、モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、ブラッド・ピット、役所広司らが演じるキャラクターが、それぞれの国で、異なる事件から一つの真実に導かれていく衝撃のヒューマンドラマ。『アモーレス・ペロス』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、言語、人種、国などを超え、完成度の高い物語を作り上げた。名だたる実力派俳優たちが名演を見せる中、孤独な少女を演じ、海外のさまざまな賞に名前を連ねる菊地凛子の存在感のある演技に、目がくぎ付けになる。「世界スケールのヒューマンドラマ」ですし、大人の役を演ずるブラピ、菊地凛子の存在感にも驚きます。映像点滅問題が話題となった映画でもあります。 あっしとしては、見終わって、重たい空気の中で、「不条理」と「心が通わない」現代社会を描いた作品である、と強く感じています。人々が、予期せぬ出来事に見舞われ、しかも望まぬ事態に追い込まれていく・・・ 不条理としか言いようの無い事実。それが現代社会なのでしょう。Wikipediaによれば、バベルとは旧約聖書の創世記第11章にある町の名。町の人々は天まで届くバベルの塔を建てようとしたが神はそれを快く思わず、人々に別々の言葉を話させるようにした。その結果人々は統制がとれずばらばらになり、全世界に散っていった。映画ではこれを背景として、「言葉が通じない」「心が通じない」世界における人間をストーリーの行間から浮き上がらせていく。
2007年05月05日
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朝日新聞の「どらく」に松任谷正隆の文章「甘酸っぱいバンジョーの響き」が載っていました。 今回はカレッジフォークの話。「懐かしいねえ」この響き。バイタリスとコッパンとステンレスの櫛(くし)と、そしてフォークギターである。 そうそう、ボタンダウンのシャツを忘れちゃいけない。こんなファッションがもっともおしゃれに見えたのは60年代はじめ。いやなかばだったか・・・。巷(ちまた)にはフーテナニーと呼ばれるコンサートがよく見かけられた。火をつけたのは誰だったんだろう。ブラザースフォアかPPMかそれともキングストントリオか。古い78回転のSP版もかかる電蓄で聴いたブラザースフォアが僕の覚えている限り最初のフォークである。曲はグリーンスリーブス。そんなに良いとは思わなかったけれど、とりあえずクラスメートが貸してくれたので聴いた。そうそう、当時の東芝のレーベルには盤が赤く透き通ったものが多くて、音そのものよりもそっちのほうが印象的だったかもしれない。 レコードを僕に貸した友人は僕とバンドを組むのが目的だった。ギターも持たない僕に白羽の矢を立てるなんて、なんと先見の明のあるやつだったんだろう(!?)・・・。 で、まんまと僕はフォークギターを買いに新宿の帝都無線だったか・・・に走り、ホタカのギターを手に入れた。結構高かった。2万円ちょっとしたと思う。帝都無線に並んでいるホタカのギターの群れの中に何本かホダカというのがあって、つまりTとDの違いがあるのだけれど、それがどういう意味なんだかこの歳になるまでわからずじまいである。誰か知っている人がいたら教えてください。 ギターを手に入れてからは特訓である。指の皮が何度もむけた。むけてむけて硬くなるほどいいといわれて、むきになって何度もむいた。もちろん硬いほうがいいわけなんてわけはないのであるが。そして最初に取り組んだのがブラザースフォア・・・ではなくキングストントリオだった。「ルーベンジェームス号の遭難」だったかな。声変わりしたての声で歌を歌うのは非常に照れくさかったけれど、何度かやっているうちに妙に慣れて、次第に楽しく思えるようになった。当時の価値観で言えば、キングストントリオに似ていれば似ているほど偉(えら)い、というわけで自然にファッションもそっちにシフトしていった。 あのころの1年は今の10年くらいの密度で、だから1年のうちにそれこそいろいろなことが変化していった。レコードを自分で買うようになって、電蓄を叔父に作りかえてもらって、それこそ宝物を磨くようにレコードを磨(みが)いた。それでもスピーカーから「ちりちり」というノイズが聞こえ始めると無性に悲しくなったものである。そんなある日、ビートルズが武道館に来るけど行かないか、と友人に誘われた。ビートルズ・・・。東と西くらい違う格好に傾倒していた僕がビートルズに興味を持つわけもなく、そっけなく断ったのが今になって悔しい。 僕のキングストントリオ熱はどんどん加速をし、バンジョーも手に入れ、ついには先輩をだまくらかしてマーチンのギターを永久貸与させるにいたった。お金持ちの先輩がいたものである。というか、人のいい先輩と言ったらいいのか。週に1度はうちか友人宅で大声で練習をする。ビートルズのコピーバンドだったらそんなに簡単に誰かの家で、とはいくまい。お金もかかる。しかしフォークは親さえ我慢が出来ればどこでも練習が出来たのがメリットだった。 で、僕の記憶ははそこまでだ。そこからはなぜかプロの道を目指した違う音楽生活が始まったからだ。コピーは恥、みたいな妙な意識が生まれ、それがキングストントリオを僕の深い心のおくにしまいこんだ。数年前、アマチュアのイベントにキングストントリオのメンバーの一人であるジョンスチュワートが特別参加するので来ないか、と当時のバンド仲間に誘われ、なぜだかふらふらとついていった。会場に入ると、いい年こいたおっさんたちが恥ずかしいくらいキングストントリオの格好をして恥ずかしいくらい声を真似(まね)て歌っている。次々に出てくるバンドすべてがそうだった。このとき感じた嫌悪感ともつかない不思議な感覚は今でも説明が出来ない。自分が目指していた道の先にはこんな世界もあったのである。危ないところだった、と胸をなでおろした。しばらくアマチュアのバンドが続いた後にジョンスチュワートが出てきた。こんなに年とったのか、と思わず悲しくなった。3-4曲歌ったと記憶しているが、その時間はさすがに僕の時間も止まった。なぜか、と言われても、これまた説明不可能だ。 その後、僕はネットでいろいろと調べ、キングストントリオに関するものをずいぶん買った。DVDもかなりいろいろなものが出ていてびっくりした。そして極めつけは60万円もするバンジョーだ。キングストントリオが、いや、ジョンスチュワートが使っていたという同型のモデルのレプリカ。そんなものを買ってどうする、と自分に言いたい。ポロポロと鳴らしながら昔を思うとき、なんだか甘酸っぱいものがこみ上げてくる。あの時代に戻りたいとは思わないが、ちょっと立ち寄ることが出来るなら立ち寄ってみたいものだ。
2007年05月03日
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