『アティアティハンから派生した同種の祭りは、1月中に各地、各島にある。ちなみに、カリボから北西へ30kmのイバハイIbajayには同名のAti-Atihan in Ibayayがあり、本家はこつちと主張しているそうだ。しかし、商業ベースにのって大規模かつ華々しく行われるカリボのアティアテハンが相手では、歴史的な真偽は二の次。知名度で完敗しているのが現実だ。祭りの期間がカリボの1週遅れというのも分が悪い。 セブ島ではシノロ・サント・ニーニヨ・デ・セブSinulog Santo Nino de Cebu〈通称シノロ〉と呼ばれる。期間はカリボと同じ、1月第3週と重なるが、なにしろサント・ニーニヨの本尊を擁する土地。サント・ニーニョ信仰団体Cofrodio del Santo Ninoが最初に組織されたのがセブで、ここから各地にサント・ニーニヨ信仰は波及していった。その結果カリボの祭りと結びついて現在のアティアティハンが生まれたわけだ。観光地セブだけに、シノロの熱狂ぶりも相当過激だ。 さて、イロイロのディナギャンも、かってはAti-Atihan in Iroiroと呼ばれていた。 ラム・セクションの人数はグループの規模に比例して多いから、100人単位のグループが発っする音量となるとまるで雷鳴のようだ。 とにかく本番1週間前から町は徐々に熱っぽさを増し、ドラムの轟きが町全体を日1日と強く覆っていく。 しかし、人びとのエネルギーが完全に爆発するのは、なんといってもコンテストが終了する日曜の午後だ。競技チームのよく訓練された、激しく色鮮やかな踊りは、つかの問のショーにすぎなかった ことを実感させられる。つまり、その華麗なショーに酔いしれていたすべての観客が、コンテスト終了と同時に、彼ら自身か路上に繰り出して踊り出すのだ。その群集の密度と、彼らか発散する異様な熱気は、すごいという他に言いようがない。路上の踊りの輪を、傍観していることも難しい。“一緒に踊れ”とひっぱり込まれ、“ぐっと干せよ”と強い酒を飲まされる。こうして、人びとの集合離散が町中に繰り返される。Dinagyang=Merry makingと命名したパシフイコ・スタリオのセンスは、やはり作家のものだと納得する。そして午後6時、街頭から、いっさいのドラムの音が唐突に消える。音出し禁止の時刻なのだ。あちこちでカセットのディスコ・サウンドに乗って踊る小さなグループはあるにせよ、とにかくこれか熱狂のディナギヤンの、いさぎよい終焉なのである。』
仕事で行き詰まった。周りのチームが、レポートを細かく書いているのに対して、フロールの記録は実にあっさりしていた。橋の状態は、「Good」または「re-bar exposed several part」とそんな調子である。私は悔やんだ、フロールは、女だから緻密かと思っていたが、全く駄目であった。 ほかのチームのシニアは、表現力が豊であった。悔やんでも仕方がなかったが、私の持ち前の正義感と内容の遅れに対して悩みがつのった。