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サッカーのドイツ王者バイエルン・ミュンヘンとJリーグ浦和レッズの親善試合は31日、埼玉スタジアムで行われ、浦和が1-0で競り勝った。 浦和は若手中心で臨んだ後半43分、岡野の右センタリングを黒部が頭で合わせて決勝点を奪った。バイエルンはワールドカップ(W杯)3位のドイツ代表4人が先発するなど、ベストに近い布陣で押し気味に試合を進めたが、2週間後のシーズン開幕に向けた調整過程のため、後半に疲れが出て失速した。
2006.07.31
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日本サッカー協会は30日、U21(21歳以下)日本代表候補の強化合宿にDF森下俊(20)=磐田=、MF城後寿(20)=福岡=、MF高柳一誠(19)=広島=を追加招集したと発表した。
2006.07.30
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写真 いまだに何をやるかわからない中、オシムジャパンがいよいよ週明けからスタートする。しかし、その周囲では不思議なことばかりが…。 就任以来の朗報といえば「通訳問題」がなんとか解決したことだけ。日本代表監督就任のきっかけにもなった「オシム語録」だが、就任してから通訳が不在。オシム監督の母国語である「ボスニア・クロアチア語が完璧(かんぺき)に話せる人を希望したからです」(協会関係者)という。 トルシエ時代はダバディ氏、ジーコ監督には来日以来15年間ともにした鈴木国弘氏が通訳を務めてきた。両氏は通訳以上の影武者という役割が大。そこで日本サッカー協会はオシム監督が推薦した通訳ではなく、あえて「日本人通訳探し」に奔走してなんとか、みつかった。しかし、その力量は未知数だ。 また、ズラリと顔をそろえたオシムジャパンの日本人コーチもオシム監督に対しては「?」の毎日。ある代表コーチは「どの選手をみてこい、なんて指示は一切ない。オシム監督が理想の選手像を語ってわれわれが探し出す。選考基準なんてないですから。コーチ同士が携帯電話で連絡を取り合う毎日です」と苦笑い。これでは天下のサッカー日本代表コーチ陣というより、オシム校長から「夏休みの宿題」を出された生徒たちといったところだ。 最も不思議なのは、オシム監督の「査定機関」がないこと。30日の評議員会で承認されて8月1日からスタートする第3次川淵内閣でも「日本代表GM」は置かないことが決まっている。他国では技術委員会が代表監督の査定機関なのだが「われわれはサポート機関」(田嶋幸三委員長)の一点張り。誰も自分のことを「クビ」にできないとオシム監督が知ったら、こんなに楽な代表監督は世界でもあり得ないと思うだろう。 注目の初戦は8月9日。オシム監督の本当の実力を見極めるのは、そこからでも決して遅くはない。
2006.07.29
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[ 防衛施設庁は28日、NHKが放送したサッカー・ワールドカップの特集番組を自宅でDVDに無断複製し、インターネットオークションで販売したとして、著作権法違反で略式起訴され、罰金刑を受けた同庁業務部労務管理課の男性職員(31)を停職5日の懲戒処分とした。
2006.07.28
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中国1-0北朝鮮(女子サッカーアジア杯=27日)――準決勝の中国対北朝鮮戦で、オフサイドの判定を巡り北朝鮮側が猛抗議。試合終了後、北朝鮮GKがレッドカードを受ける後味の悪い結末となった。 1点を追う北朝鮮が終了直前、ヘディングの浮き球を中国ゴールに押し込んだが、オフサイドの判定。これに北朝鮮側が抗議。試合終了後に、北朝鮮GKが主審に詰めより、手で押してレッドカードを受けると、GKはその後、警備員に囲まれて会場を後にする審判団を後ろからけろうとした。 主催者のアジアサッカー連盟(AFC)は「冷静なコメントが出来ない可能性が高い」として、北朝鮮監督の会見を中止。北朝鮮側への処分も検討するという。
2006.07.27
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【ローマ26日共同】サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)の不正問題で、同国サッカー協会規律委員会に重罰を科された4クラブは上訴審判決で処分を軽減された。しかし2部(同B)降格が覆らなかったユベントスは「不公平で受け入れられない」(コボリジリ会長)として引き下がる様子はなさそう。ACミラン以外は上訴を続ける見通しだ。 上訴審は不正問題の中心であるユベントスと、ほか3クラブの立場を明確に区別。ユベントスが“主犯”で、3クラブは不正を強いられたとの情状を認めた。 中でも、ACミランは欧州チャンピオンズリーグ予選の出場権が認められ、大方の予想を上回る“温情判決”を受けた。一方「われわれはユベントスが構築した腐敗システムの犠牲者だ」と主張したフィオレンティナとラツィオはセリエA残留を勝ち取ったが、それでも不服を示している。
2006.07.26
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日本サッカー協会は25日、2008年の北京五輪出場を目指すU―21(21歳以下)日本代表候補22人を発表した。 反町康治監督が21日に就任して初の選出で、MF本田圭(名古屋)、DF青山(清水)らJ1でプレーする選手に加え、大学生も2人選ばれた。シーズン開幕前のFW平山は、ヘラクレス(オランダ)での活動を優先させて選出されなかった。同時期にA3チャンピオンズカップを戦うG大阪と千葉、リーグ戦を行うJ2の所属選手も選考対象から外された。 選手は、31日に都内で身体検査を行った後、千葉県内で3日間の合宿。来月7日にアウエーで行うU―21中国代表との国際親善試合に向けた準備となるが、記者会見した反町監督は「調整ではなく、強化であり選抜。厳しい競争をして初めて青いユニホームを着ることができる」と、遠征メンバーは18人に絞り込む方針を示した。
2006.07.25
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2007年女子サッカー・ワールドカップ(W杯)予選を兼ねた女子アジア杯で、韓国代表は北朝鮮に0対1で惜しくも敗れ、W杯出場を逃した。1次リーグB組の最終戦は24日、豪州アデレードで開催された。韓国のリーグ成績は2勝2敗でB組3位にとどまり、決勝トーナメント出場はならなかった。
2006.07.24
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サッカー日本代表のオシム監督とU-21(21歳以下)日本代表の反町康治監督が23日、日産スタジアムでのJリーグ1部(J1)横浜M-福岡を一緒に視察し、意見交換を行った。 2人とも21日に契約を結んだばかり。日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長、フル代表の加藤好男GKコーチ、U-21代表の井原正巳コーチらを交えて観戦した。 反町監督は「オシム監督と話せたことが収穫」と満足そう。田嶋技術委員長は「一緒に見て、サッカー観を共有した方がいい。このような場をどんどん設けたい」と説明した。 オシム監督ら両代表のスタッフは24日にも東京都内で会談する。
2006.07.23
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前節首位の川崎は浦和に0-2で敗れて11試合ぶりの黒星を喫し、同30のまま。故障から復帰した田中達(中央)が前半に先制点を奪った3位の浦和は同29とした(22日、等々力)(時事通信社)22時06分更新
2006.07.22
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オシムジャパン誕生。会見を終えて握手するオシム日本代表監督(右)と川淵日本サッカー協会会長(中央)、反町U-21日本代表監督 日本サッカー協会は21日、東京都内の同協会で理事会を開き、日本代表の次期監督に、J1リーグ・ジェフ千葉の監督を務めていたイビチャ・オシム氏(65)(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身)が就任することを承認した。 都内の東京ドームホテルで行われた調印式で正式契約を結んだオシム氏は「代表チームを日本化しないといけない。初心に帰って日本らしいサッカーを」と抱負を語った。 単年契約で、次回のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会が行われる2010年まで更新される見込み。オシム氏は旧ユーゴスラビア代表監督として1990年のW杯イタリア大会で8強入りした実績がある。03年から千葉の監督に就任し、昨年、ナビスコカップを制した。今回読書感想文にオシムの言葉を書きます。笑
2006.07.21
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【パリ=若水浩】国際サッカー連盟(FIFA)は20日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝でフランス主将のジネディーヌ・ジダン(34)が、イタリアのマルコ・マテラッツィ(32)に頭突きして退場となった問題で、ジダンから事情聴取を行った上で、3試合の出場停止処分と7500スイスフラン(約70万円)の罰金を科したと発表した。 ただ、ジダンは現役引退を表明しており、出場停止は3日間の社会奉仕活動に変更された。 一方、ジダンに侮辱的な発言を行ったとされるマテラッツィにも2試合の出場停止処分と5000スイスフラン(約47万円)の罰金が科された。マテラッツィからも14日に事情聴取しているFIFAは、マテラッツィの発言について「人種差別的な性格はない」としている
2006.07.20
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新潟は前半12分、右からの折り返しをエジミウソンがねじ込み先制。後半25分にはシルビーニョが相手DF陣の足元を破るシュートで追加点を挙げた。浦和は不用意にボールを失う場面が目立ち、終盤の猛攻で1点返したが及ばなかった。
2006.07.19
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日本サッカー協会の任期満了に伴う役員改選で、川淵三郎会長(69)の再選が内定したことが18日分かった。任期は2年。21日の理事会、30日の評議員会を経て正式決定する。日本協会は会長と副会長は就任時の70歳定年制を敷いているため、川淵会長にとって3期目で最後の任期となる。 4人の副会長は小倉純二(67)野村尊敬(64)釜本邦茂(62)の現職3氏の再任と、次期Jリーグチェアマンに内定している鬼武健二(66)常務理事(Jリーグ専務理事)の昇格が確実な情勢となっている。 川淵会長は2002年7月に就任。組織改革や財政確立に取り組み、全寮制の中高一貫教育でエリート選手育成を図る「アカデミー福島」創設や女子サッカーの普及と強化に力を入れた。
2006.07.18
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写真 スコットランドプレミアリーグ・セルティックの日本代表MF中村俊輔(28)が15日、横浜市の日産フィールド小机で『中村俊輔サッカークリニック』を開校した。ドイツW杯の惨敗から再出発を期す俊輔は、約600人の児童にサッカーを指導。新生オシム・ジャパンでも俊輔流で中心選手に君臨し、2010年南アフリカW杯を目指すことを誓った。 〔写真:子供たちにシュートの見本を見せる俊輔。黄金の左足は、オシム・ジャパンでも輝く〕 南アでも10番を背負う。ドイツW杯の惨敗から帰国後、初めて公の場に姿を現した俊輔の表情と言葉は、強い決意に満ちていた。 「もちろん4年後も中心としてやりたい。4年後を考えて、このシーズンからできることをやっていきたい」 4年後のW杯は31歳で迎える。新生オシム・ジャパンは、すべてが未知数。若返りを含め、大幅なメンバー入れ替えも予想されるが、不動の指令塔として君臨することを宣言した。 「(オシム氏が率いた)千葉は見たことがない」とは言うものの、オシム監督の半生を描いた書籍『オシムの言葉』は熟読ずみ。文中で紹介される練習のエピソードをソラで言えるほど。おぼろげながら、新監督のイメージはできつつある。オシム監督が「走るサッカー」を標榜することも知っているが、俊輔流を曲げるつもりもない。 「その中で自分の色を出せるように。フィーゴもジダンもそうでしょ。ずっとクラブでやっていても、W杯の予選でやっぱり必要となる選手」。俊輔は、W杯予選で母国代表が苦戦する状況下で待望論から代表復帰したポルトガル代表FWフィーゴとフランス代表MFジダンの例を挙げた。 国内組を中心に始動するオシム・ジャパンで、仮にスタート時から代表入りしなくても、クラブでの活躍で実力を認めさせて中心に座る。「もちろん最初から(代表に)入ってるほうがいいけど。ていうか、入るけど」とも自信を示す。 「W杯はいい結果が出なかった。自分もいいパフォーマンスではなかった。でもこの経験を生かせば、2歩も3歩も前にいける」。炎天下で計4時間に及んだサッカー教室後、1時間の自主トレも敢行した。世界への挑戦は、まだこれから。南アで黄金の左足を響かせるその時まで終わらない
2006.07.16
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28分、先制のFKを決める中沢 サッカー・Jリーグ2006JOMOオールスター(15日・カシマスタジアム)――日本代表の中心選手を多くそろえたEASTが攻守に圧倒し、4―1で大勝した。 東西対抗としての通算成績は、EASTの5勝1分け6敗。MVPは攻守に奮闘した中沢(横浜M)。敢闘賞はパウリーニョ(京都)。最も印象的なプレーを見せた選手に贈られるMIP賞は、巻(千葉)が獲得した。 EASTは28分、中沢が自陣からドリブルで攻め込んで奪ったFKを自ら直接決めて先制。 小笠原(鹿島)、阿部(千葉)を中心に試合を支配し、62分には巻、71分、81分にはバレー(甲府)が連続ゴールを奪った。WESTは終了間際の87分に古橋(C大阪)が意地の1ゴールを返した。
2006.07.15
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サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会1次リーグF組で日本と対戦したクロアチアのズラトコ・クラニチャル監督が解任されたことが14日、分かった。ロイター電が伝えた。クロアチア協会の理事会で決定されたもので、1週間以内に次期監督が指名されるという。 同監督は2年前の欧州選手権後に就任し、W杯欧州予選では、スウェーデンなどを抑え、8組首位通過したが、本大会では1敗2分けでF組3位に終わり、期待を裏切っていた。
2006.07.14
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決勝で暴力行為による退場処分を受けたフランスのジダン選手に「母と姉にかかわることで、一度耳にしたら逃げ出したくなるような言葉を繰り返した」と挑発を非難されたイタリアのマテラッツィ選手は、13日付の地元紙で「彼の母を侮辱してはいない」と反論した上で、姉に関する発言をしたことは事実上認めた。 マテラッツィ選手は、12日夜にジダン選手がテレビ出演した後にコリエレ・デラ・セラ紙のインタビューに応じ「15歳で母を亡くした自分が、誰かの母を侮辱することはあり得ない」と主張。ただ、ジダン選手の姉については「(侮辱した対象者を)消去していけば(残るのは姉だけ)」と明かした。 また「テロリスト」と発言したと一部で報じられたことについては「政治、宗教、人種問題にかかわることは一切口にしていない」と強く否定した。 国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は、ジダンからW杯最優秀選手賞をはく奪する可能性を示唆している。マテラッツィ選手は「賛成できない。ジダンは賞に値するプレーをした」と話した。(了)
2006.07.13
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フランス代表のレイモン・ドメネク監督(54)が2年の契約延長に合意した。11日、フランス協会が公式ホームページ上で発表。9日のドイツW杯決勝でイタリアにPK戦の末に敗れたものの、チームを準優勝に導いた手腕が評価された。契約の詳細は近日中に行われる同協会首脳会議を経てから明らかにされる。
2006.07.12
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【パリ11日共同】サッカーのワールドカップ(W杯)決勝でフランスのジダン選手が退場になった問題で、フランス国内では11日、ジダン選手の暴力行為を許そうという論調が勢いを増している。 11日付のフランス・ソワール紙は「分かったよ、ジズー」と同選手を愛称で呼び掛ける見出しを掲げ、今回の暴力行為は母親に関する侮辱の言葉が引き金になったとの見方を紹介。「(ジダン選手の行為を)理解できなかった人がいるとしたら残念だ」と述べ、ジダン選手の肩を持った。 パリジャン紙は1面に「好きだよ、ジズー」との見出しを掲載。10日実施の世論調査で「ジダン選手の行為を許すか」との設問に61%が許すと答え、許さないと答えた人は27%にとどまったと伝えた。
2006.07.11
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サッカーW杯決勝のイタリア戦で、マテラッツィ(左)に頭突きを食らわすフランスのジダン(ロイター=共同) 【ベルリン10日共同】国際サッカー連盟(FIFA)は10日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の最優秀選手賞「ゴールデンボール賞」に、フランスのジダンが選ばれたと発表した。 ジダンはフランスの決勝進出に貢献したが、決勝の延長後半、イタリア選手に頭突きを見舞い、暴力行為で退場処分を受けた。既にこの試合限りでの現役引退を表明しており、これが最後の試合だった。 FIFAが選んだ候補選手10人の中から記者の投票で選ばれ、ジダンが最多の2012点を獲得した。投票は決勝終了後の9日いっぱいまで行われ、24年ぶりに優勝したイタリアのカンナバロ主将が1977点で2位、イタリアのピルロが715点で3位だった。 同賞は1982年大会から始まり、98年はロナウド(ブラジル)、前回大会の2002年ではGKのカーン(ドイツ)が獲得するなどジダンを含めて3大会連続で準優勝チームから選ばれた。マテラッツィがジダンに何か言ったのはいけないと思うが、頭突きをするなんて失望しました。
2006.07.10
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サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会は9日(現地時間)、決勝戦をベルリンで行い、6大会ぶり4度目の優勝を狙うイタリアと、2大会ぶり2度目の優勝を目指すフランスが対戦する。 イタリアは“カテナチオ(かんぬきの意)”と呼ばれる伝統の守備力が健在だ。ここまでわずか1失点で、それもオウンゴールによるもの。大会中にセンターバックのネスタを負傷で欠きながら、主将カンナバーロ、GKブッフォンの活躍で鉄壁の守りを誇っている。特に今大会は試合終盤でのゴールが多く、疲労がピークの中で勝利をもぎ取りに行く精神力はすさまじく強い。リッピ監督のさい配も当たっており、ジラルディーノ、デルピエロ、インザーギとベンチに控える選手もタレントぞろいだ。 一方のフランスは、大会序盤こそ得点力不足で苦しんだが、攻守のかなめビエイラを中心にチームの形を作り始め、グループリーグを2位で通過。1トップのアンリのそばでジダンが自由に動く形がフィットすると、スペイン、ブラジル、ポルトガルと次々に強豪を撃破し、守備をベースにした戦い方で決勝まで上り詰めた。今大会で現役引退を表明しているジダンにとっては、いよいよ最後の試合となる。フランスの復活をかけるとともに、一時代のフィナーレを飾る。 イタリア対フランスは、ユーロ2000(欧州選手権)決勝カードの再現となる。そのときはイタリアが先制したが、ロスタイムにフランスのビルトールが劇的な同点ゴール。さらに延長戦でトレゼゲがゴールデンゴールを決め、フランスが優勝した。今回の対戦で栄冠を手にするのは果たしてどちらか。
2006.07.09
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FIFAテクニカル・スタディ・グループは、ドイツのルーカス・ポドルスキに新人選手垂涎のジレット・ベストヤングプレーヤー賞を授けることを決定した。才能ある6人に絞られた候補のショートリストからケルンのストライカーがFIFAワールドカップの初代ジレットベストヤングプレーヤー賞の受賞者に選ばれた。 ドイツは自国開催で興奮するFIFAワールドカップを実に楽しんだ。大会前には確信をもって予想する人は少なかったが、準決勝まで到達した。選手たちが怒涛の攻撃に進むのを見るのは喜びであった。開催国チームのこの成功は、多くを脅威の2人のストライカー、ミロスラフ・クローゼとルーカス・ポドルスキに負っている。年少のパートナー、ポドルスキは21才で、ジレットベストヤングプレーヤー賞の40人の候補者の1人であった。ユルゲン・クリンスマン監督の先発ラインナップの1人である「プリンス・ポルディ」はすでに代表として31試合に出場、15ゴールを挙げている。この年齢の選手にしては印象的な記録である。今回のFIFAワールドカップでのポドルスキは、プレッシャーにも強いことを何回も証明した。「彼は3ゴールを挙げただけでなく、ドイツ攻撃の要でもありました」とFIFAテクニカル・スタディ・グループを率いるホルガー・オジェックは語った。「彼はミロスラフ・クローゼとの優れた意志伝達を示し、この2選手は非常に効果的なパートナーシップを形成しました。2人合わせてドイツの11ゴールのうち8ゴールを挙げました」。 3つのゴールと限界のないエネルギーポーランド生まれのドイツ人は恐らく彼の最大の見せ場を、決勝トーナメントの初戦スウェーデンとの試合でのパフォーマンスで作った。疲れ知らずにフロントを走り回ったプレーの上にゴールを加えた。準々決勝でのアルゼンチン戦では、この若者は再び死力を尽くした。バイエルン・ミュンヘンのフォワードは極めて接戦であったこの試合で真骨頂を発揮した。とりわけPK戦で冷静に決めたゴールにそれが表れた。グループリーグのエクアドル戦でのゴールも含め、ポドルスキは現在3ゴールを記録しており、ポルトガルとの3位決定戦でそれを伸ばすことを狙っている。若さがここまで来るのにいくつかのチャンスをものにする助けになったかもしれないが、「ポルディ」は疑いなく21才にしては素晴らしい成熟振りを見せている。しかし、彼の最も素晴らしい資質は限界のないエネルギーと成功への飽くなき探究心だろう。「ほかに考慮したのは出場時間です」とオジェックはつけ加えた。「彼は全試合で先発し、交代したのはスウェーデン戦で2点入ったときとポーランド戦の終盤だけでした」。本当に、統計上も彼が開催国の快進撃に著しい貢献をしたことを示している。ブロンドの髪のストライカーは563分間で、3つのゴール、21のシュートに15のファウルを引き出した。「我々の選択は厳然たる事実に基づくもので選手が特定の大会で示すパーフォーマンスによるものです。この場合はそれがワールドカップなのです」。そしてオジェックは結論付けた。「ポドルスキにはまだ学ぶことがたくさんあります。しかし明らかに彼の前途は洋々です」。
2006.07.07
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拡大写真【ポルトガル・フランス】前半33分、フランス・ジダンがPKを決め雄たけびを上げる=ミュンヘンW杯競技場で5日、森田剛史写す 【ミュンヘン(ドイツ)辻中祐子】サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会は5日(日本時間6日)、準決勝の残る1試合が行われ、フランスが1-0でポルトガルを降し、地元開催で初優勝した98年大会以来2大会ぶり2回目の決勝進出を果たした。フランスは9日(同10日)にベルリンで行われる決勝でイタリアと対戦する。 ともにベストメンバーに近い布陣。フランスは前半33分、ゴール前でアンリが倒されて得たPKをジダンが落ち着いて決め先制。個人技を生かしたポルトガルの猛攻を粘り強い守備でしのいで逃げ切った。 ポルトガルは同国史上初の決勝進出を逃し、ブラジル代表を率いた02年日韓大会から続けていたスコラリ監督のW杯連勝は「12」で止まった。ポルトガルは8日(同9日)にシュツットガルトである3位決定戦で開催国ドイツと対戦する。 ○フランス1ー0ポルトガル● フランスが前半にPKで挙げた1点を守り切った。序盤、ポルトガルはロナルドの縦突破やサイドバックのミゲルの攻撃参加からチャンスを作ったが、フランスは最終ラインとボランチがバランスを保った組織的な守備で得点を許さなかった。フランスは前半33分、アンリがカルバリョに倒されて得たPKをジダンがゴール左隅に冷静に決めて先制。後半に入ってもポルトガルは、攻撃の起点となるはずのデコが下がった位置でのプレーを強いられ、得点につながる配球ができなかった。後半33分にはロナルドのFKをGKがはじいたこぼれ球をフィーゴが詰めきれず、絶好の同点機を逸したのも響いた。 ▽フランス・ドメネク監督 難しい試合だったが、決勝に進出できたことを誇りに思う。この舞台を目標にしてきた。我々は控えを含めてチームとして同じ目標に向かって戦っている。 ◇先制してから鉄壁の守りで逃げ切る…フランス フランスの守りは鉄壁だ。準々決勝はブラジル、この日はポルトガルと個人技にたけた2カ国を連続して無得点に封じた。ドメネク監督は「チームとして戦った結果だ」と話した。 4バックの布陣で、中央のセンターバック(CB)は181センチのガラスと185センチのチュラム。その前の守備的MFに運動量豊富なマケレレと、193センチと大型のビエラがいる。この4人の強固なブロックが中央突破を阻む。相手がサイドからクロスで活路を見出そうとすれば、両CBがはじいて守備的MFがこぼれ球を拾ってしまう。 FWからのプレスも献身的だ。「選手は犠牲をいとわない」とドメネク監督が話したように、お手本のように組織化されている。 戦い方も徹底していた。前半33分にジダンのPKによるゴールで先制してからは、あえて攻めなかった。ボールを奪っても敵陣に攻めるのはアンリ、ジダンらせいぜい4人まで。常とう的な戦い方なら得点するために攻め手の枚数を増やす。サイドや守備的MFまで参加すれば、敵陣で攻めにかかわるのは6~8人にまで増えるのが普通だ。 しかし、この日のフランスは逆。両サイドを含めた6~8人が守りに専念した。これなら、ほころびようがない。白いユニホームをまとったフランスの選手たちが、どうにも付け入るスキのない白い壁となって立ちふさがっていた。 98年W杯フランス大会、00年欧州選手権の優勝時は、細かいパスをつないで攻めでも魅せるチームだった。この日のシュートは5本に終わり、見た目の華やかさはなくなった。初戦の無得点引き分けに始まり、1次リーグ2位通過という重い足取りだったにもかかわらず、準決勝まで6試合を戦って2失点のみ。大会を通じて勝ちパターンを確立してきたのは強みだ。ドメネク監督は「決勝で勝ちたい」と話した。【小坂大】 ◇リリアン・チュラム=フランスDF(34歳)…引退から復帰、堅守支える ジダンとともに母国復活に導いた。98年フランス大会、02年日韓大会でDFの中心として活躍したが、04年欧州選手権後に代表からの引退を表明した。「情熱を失っていた」という。その間、代表チームは不振にあえいだ。今大会の欧州予選4組で勝ち点が伸びなかった昨年、窮状を訴えるドメネク監督の説得と、ジダンからも声をかけられて復帰を決意した。 185センチの長身と身体能力を生かして、相手の攻撃をはね返す。全身バネのようだった、かつてと比べればキレは影をひそめているが、その分、経験に基づく危機察知力が高くなった。 この日、ポルトガルのロナルドが徹底的に繰り返し送り込んできた左サイドからのクロスを、ことごとくはね返す。今回も間違いなくフランスの堅守を支える一人だ。 カリブ海に浮かぶフランス領のグアドループ島出身。9歳でパリに渡り、18歳でフランスリーグのモナコ入りし、代表には94年から招集された。この日で出場した国際Aマッチは120試合になる。フランス大会に続く自身2度目のW杯決勝を「子どものころから夢だった。とても魅力的だ」と喜びを隠さなかった。【小坂大】 ◇捨て身の反撃実らず…ポルトガル 4分と表示された後半ロスタイムも、すでに2分が過ぎていた。ポルトガルはCKを得ると、GKリカルドがスコラリ監督の制止を振り切ってフランスのゴール前に上がっていった。だが、全員で仕掛けた捨て身の反撃も実らなかった。最後のロナルドの突破も、オフサイドを取られて万事休す。初の決勝進出を目指したポルトガルの挑戦が終わった。 均衡は、あっけない形で崩れた。 前半33分、カルバリョがペナルティーエリア内でアンリの右足を引っ掛け、PKを与えた。けるのはジダン。準々決勝イングランド戦のPK戦で4本中3本を止めたリカルドでも、防げなかった。ボールは右手先をかすめていた。読みは当たっていただけに、リカルドは髪をかきむしって悔しがった。 スコラリ監督は試合後、判定に不満を隠さなかった。「フランスのPKは妥当な判定だった。だが、主審はロナウドへのファウルを見逃した」。PKで1点を失った直後の前半37分、ロナルドがペナルティーエリア内で相手選手ともつれて倒れたが、笛は鳴らなかった。ビデオ再生を見る限り、ロナルドは自分から倒れたようにも見えたが、熱くなった指揮官は「主審が試合を壊した」とまくしたてた。 スコラリ監督は4年前の日韓大会で母国ブラジルを率いて優勝した。今大会は、史上初となる監督としての2大会連続制覇がかかっていたが、それは夢と消えた。W杯無敗記録も12試合で止まった。何よりも、息子のように接していた選手たちを、決勝に連れていくことができなかった無念さが、言葉の端々ににじんでいた。 「夢が終わって寂しいが、明日からは気持ちを切り替える。3位になるという新しい夢に向かう」。最後は自分に言い聞かせるかのように語った。【安間徹】 ◇ロナルド(ポルトガルFW・21歳)…若きストライカー「夢が終わった」 速いドリブルでゴール前へと突進した。絶妙なヒールパスで相手の裏をかいた。この日のロナルドの動きは、さえわたっていた。しかし、どうしても肝心のゴールが決まらない。 後半33分、自らがタックルを受けて得たゴール正面でのFK。フランスGKバルテズには予想外の切れ味鋭い変化だったらしく、大きく前にはじいた。ボールはフィーゴの目の前に飛んだが、頼みのベテランもそれを決めきれなかった。終了間際にも怒とうの攻めでシュートを放つが、GKにはじかれた。がむしゃらに戦った若きストライカーは、最後は疲れ切った表情となっていた。 「夢が終わった。試合の主導権は握っていたのに、決勝に進出するという目標を果たせなかった」。さすがに、声は小さかった。 スタンドからは、ボールを持つだけで大きなブーイングを浴びた。準々決勝のイングランド戦、同じ英・プレミアリーグのマンチェスターユナイテッドでプレーする同僚のルーニーを退場させるよう審判にアピールしたと英国メディアなどで報道された。大衆紙は「国外追放-こいつを二度とイングランドに入れるな」と過激な見出しを連ねた。 しかし、そんな非難も気にせず、33歳のベテラン・フィーゴや27歳の中堅・デコらとピッチを走り回った。「チームは団結していたが、ただ、チャンスを生かしきれなかった」。“兄”たちに守られ、時に助けながら見せたスピードあふれるプレーは、敗れはしたが強い印象を残した。【辻中祐子】 ○…ポルトガルのエース・パウレタにとっては苦しい大会だった。この日も1トップとして先発したが、好機らしい好機も作れず。前半10分には右サイドを巧みなドリブルで突破したフィーゴからのクロスに、タイミングよくゴール前へ入ることができなかった。その後も周囲との動きが合わず、後半23分にベンチへ。「もちろん今は意気消沈している。勝つためにすべてのことをしたのだが……」と話した。 ○…前半33分にジダンが決めたPKを引き出す反則を誘ったフランスのアンリは「この結果は、もう忘れて、決勝に備えなければならない」と前を見据えた。1トップのアンリは、ボールを預けられて攻撃の起点となる存在だけに、厳しいマークを受け続けていた。しかし、粘り強くボールをキープ。これ奏功し、焦ったポルトガルDFカルバリョが苦し紛れのプレーから足を掛けて倒してしまい、PKを得た。 ○…出場停止が明け、2試合ぶりで先発したポルトガルのMFデコ。攻撃の起点になった場面は再三あったが、ゴールにつなげることはできなかった。1次リーグ最初の試合をけがのために欠場するなど、チームとしてはこの日が大会6試合目だが、デコ自身は3試合目。「今はとにかく悲しい。先制された後、相手は守りを固めてきて厳しくなった」。ボールは保持しながらも、攻めあぐねてしまったことを悔やんでいた。
2006.07.06
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5日に行われるワールドカップ(W杯)ドイツ大会の準決勝、ポルトガルとの戦いを控えて、フランスの宿舎近くにあるハーメルンには報道陣が押し寄せている。世界中からやって来たジャーナリストが、開幕から苦しい戦いを続けてきたフランスがなぜベスト4に残り、優勝候補の筆頭に上げられるまでになったかを理解しようとしているのだ。DFテュラムは、この点に関して興味深い考察を示している。――フランスがW杯の準決勝まで進出したのは驚きですか?「驚きはむしろ、ピッチ内におけるチームの動きだ。つまり、ポジションを素早く切り替えてブロックで戦う能力だ。そういったプレーを経験した者が多ければそれほど難しくないが、フランス代表に経験者は少ない。それが驚きなんだ」――フランスは守りがとても堅いですね「1998年大会では“フランス相手に得点するのは難しい”と言われていた。今回の大会でも同じだ。簡単には打ち崩せないよ。勝つチームは常に守りが堅い。相手にスペースを与えないんだ」――準々決勝のブラジル戦におけるジダンのプレーをどう見ますか「驚きはないよ。いつものジダンのプレーだった。あんなに見事なプレーを見せられると、“引退した方がいい選手はほかにたくさんいるのに”“ジダンはまだ引退しない方がいいのに”なんて思ってしまうね」――ポルトガルをどう見ますか「守備が非常に良いチームだ。その点ではフランスと少し似ているね。ブラジル戦よりも厳しい戦いになるだろう」――荒れた試合になると思いますか「そうは思わない。もちろん、勝てば決勝に進めるから、お互い譲らない試合になるだろう。でも試合は良い雰囲気で進められると思っている」――最も厳しい戦いが始まるということですか「そうだ。最も厳しい戦いが始まる。ブラジルを倒してからというもの、フランスは“決勝に残る”と言われている。今日まで僕たちを支えてきた謙虚さが失われれば、事態はもっと難しくなるだろう。僕たちは準決勝で敗退するためにW杯に来たんじゃない」――このW杯が終わった後、代表としてのキャリアを続けるかどうか、ここで公式に発表してもらえませんか?「今のところはW杯を存分に味わっている。とても楽しんでいるよ。終わったら、フランス代表のためにも、僕は引退しなくてはね。もうこの年だし」――1年前の代表復帰には慎重でしたね「そうだね。僕は命じられた通り代表戦に出て、それからクラブに戻ったんだ。その後、マルティニク島でコスタリカ戦があった(2005年9月)。あのときは僕の合流が遅れてしまったから、初めて会うメンバーたちと話をするようにしていた。チームは健全だと思ったね。フランスがこれほどの結果を出せたことに驚く人もいるけれど、そうなったのはチームに謙虚さがあるからだよ」――つまりどういうことですか「ブロック戦術、これがキーになるのは分かっている。このチームでは、選手がお互いを尊敬している。連帯感があるんだ。チームによっては、周囲の役に立とうとする努力をしない選手もいる。でも、僕たちはこのW杯で「団結し、少しずつ道を切り開いていこう」と決めたんだ。開幕当初は、2002年大会のトラウマと無意識の恐れがあった。グループリーグを勝ち抜いた後、僕たちは束縛から自由になったんだ。そしてついに自分たちのレベルに見合ったプレーができるようになった。僕たちには、素晴らしい能力があるんだ。頭の中にね」――ブロックで戦う能力ですが、実行するのは非常に難しいですね。戦術としてもろいものですか?「どんな戦術ももろいものだ。だからこそ難しく、美しいんだ。失点したりゴールを挙げたりする10分の間に、戦術なんて崩れてしまう。そんなことは分かっているよ」――あのアンティーユ諸島(マルティニク島)でのコスタリカ戦ですが、その前にはチームに対して疑念を抱いていましたか?「チームがどんな様子か見る時間なんて、僕にはなかったんだ。アンティーユでは雰囲気が全然違っていた。僕も少しリラックスできたよ。僕にはちょっと厳しい面もあるからね」――ユーロ(欧州選手権)2004の代表チームに良い思い出はないのですか?「あのときは、予選で苦しんだ。試合内容を思い返すと、規律のなさがチームを支配していた。時にはめちゃくちゃなプレーもあった。あれはチームじゃなかったね。時間を無駄にすることになる。ある年齢をすぎると、時間を無駄にはしたくなくなるものだ」――その点から見ると、ドメネク監督はチームの団結に重要な役割を果たしたのですか?「監督の働きもあるが、まずは選手に考える力があるか、という話だ。監督が何時間もしゃべったところで、選手がしっかりと受けとめなければ何にもならない。いまのフランスは、選手がチームのために利己主義を捨てられるんだ」――それはどういうことですか?「僕たちは過去の失敗から学んできた。偉大なチームとは、つまり利己主義を捨てられる選手の集団だ。サッカー選手はみんな我が強いから、難しいことだよ。理解するのは簡単でも、チームに自分を合わせるのは難しいときがある。利己主義を捨てるというのは、“しっかり働いて普段以上の力を出す”ことだ。みんなが利己主義を捨てれば、全員のレベルがそれだけ上がる。いろいろあったけど、今は代表に復帰してよかったと思う。いつも前向きでいられるからね」――ドメネク監督との関係は険悪だということですが「どこからそんな話が出ているのか分からないね。監督とは、何の問題もなかったよ。代表に復帰するかなり前に、監督が僕に会いに来て“チームに戻って来てほしい”と言ったんだ。僕は“代表引退は熟考した末のことだ”と答えた。すると監督はこう言った。“君が望まなくとも、私は君を代表に選ぶことができる”と。 僕はふざけて“本人の意志に反して代表に戻すのは絶対良くない”と答えた。でも監督は重ねてこう言った。“よく考えてみてくれ。私は責任を果たさなければならないんだ”とね。こうして彼は責任を果たし、僕を復帰させた。僕には監督と争う気力がなかった。でも、フランスチームに貢献するのは納得がいかなかった。 僕はよくこう言ったものだ。“もし僕がチームの中で悪さをしたらどうなるんだ”ってね。僕のことを信頼してくれていると思うしかなかった。僕の意志に反して復帰させたのは、強い信頼の表れだったんだ。だから、監督を非難することなんてしなかったよ」――今では監督に感謝していますか?「まだ感謝はしていない。もう少し待たないとね」
2006.07.05
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人生は旅であり 旅は人生である~1985年12月1日 - 2006年6月22日~ 俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃はボールを蹴ることに夢中になり必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍らにあった。 この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。 五輪代表、日本代表へも招聘され世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。 サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。 もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。 半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。 何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。 サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。 プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。 そして、思った。 どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。 サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。 最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。 俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…ちょっと自信がなかった。 けれどみんなからのmailをすべて読んで俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。 最後にこれだけは伝えたい。 これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。 みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。 そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。 新しい旅はこれから始まる。 今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。 これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。 “ありがとう” これは中田選手が引退を表明した文です。29歳。まだまだ中田選手なら動けると思う。時期日本代表監督 オシム氏の描く 走るサッカー には必要不可欠だと思う。ショックで何も言葉が出てきません。
2006.07.04
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~1985年12月1日 - 2006年6月22日~ 俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃はボールを蹴ることに夢中になり必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍らにあった。 この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。 五輪代表、日本代表へも招聘され世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。 サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。 もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。 半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。 何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。 サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。 プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。 そして、思った。 どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。 サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。 最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。 俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…ちょっと自信がなかった。 けれどみんなからのmailをすべて読んで俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。 最後にこれだけは伝えたい。 これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。 みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。 そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。 新しい旅はこれから始まる。 今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。 これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。 “ありがとう”
2006.07.04
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地元開催の1998年フランス大会で優勝し、2年後の欧州選手権も制覇したころが、チームとしての絶頂期だった。その後、2002年日韓大会では優勝候補にあげられながら、1勝もできずにグループリーグ敗退。今回の予選突破も苦難の連続だった。 フランスのこの8年間の振幅の大きさは、ベテランから若手に切り替えるタイミングを逸したことが原因だ。代表から引退していたジダン、マケレレ、テュラムが復帰していなければ、フランスの3大会連続出場はなかっただろう。 エースのジダンは、期間中34歳になる。この大舞台で、しかも夏の暑さの中、90分間続けてプレーできるエネルギーが残っているだろうか。1歳若いマケレレは、ジダンよりさらに多くの仕事をこなさなければならない。中盤の底にポジションを取り黙々と仕事をこなす地味な役柄だが、豊富な運動量でカバーするハードな役目はマケレレにしかできない。あまりに負担が多くなり、マケレレのスタミナが切れてしまうと、防御ネットに穴が開いたように相手の攻撃の流れを止めることができなくなる。 フォーメーションは4‐4‐2。中盤をジダン、マケレレ、そして32歳のビルトール、29歳のビエラで構成するが、この要となるMFの平均年齢が高いことで、スピード不足が懸念される。今回のチームは、8年前の優勝時のパフォーマンスから、はるかに遠いレベルとなるだろう。 2トップのアンリとトレゼゲはそれぞれ選手としてピークに達してはいるが、所属するクラブチームと代表チームでの活躍が比例しないのが悩み。代表になると、なかなかイメージ通りのプレーができず、ゴールを決められない。 フランスは停滞している。それは世代交代の失敗ばかりでなく、ドメニク監督の優柔不断な指導も少なからず影響している。選手との信頼関係が必ずしも万全ではなく、またバルデスとクペという実力が伯仲するGKのどちらをレギュラーとして起用するのか、いまだに結論を先延ばしにしており、チームを精神的に安定させていないことも選手の感情を悪くしている。ユーモアのセンスに欠け、選手選考が不自然で、振る舞いも風変わり。監督の動作1つで期間中にチームが空中分解する可能性が否定できないほど、危険水域に達している。 選手はほとんどが移民、もしくは移民2世である。気質の異なる選手を束ねるのは大変な苦労だが、強豪国の名にかけても前回の二の舞だけは避けたいところだ。
2006.07.03
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1986年のメキシコ大会、1998年のフランス大会決勝に続いて、フランス代表はワールドカップ(W杯)でブラジルを下した。7月1日にフランクフルトで行われた準々決勝、フランスは後半12分のアンリの決勝ゴールを守り切って1-0で勝利し、新たな歴史を作った。ドメネク監督率いるフランスは、不安だらけだったグループリーグから一変し、前回大会優勝の王者ブラジルをねじ伏せた。次の準決勝、ポルドガル戦でまたフランス全土が沸き立つことになる。2度目の優勝へ、その夢は続く。 こんなときはあらゆる称賛を言い尽くすか、言葉にならないかのどちらかである。ブラジルを下したこの瞬間においては、ただ沈黙を守り勝利の喜びに浸っていたい。「素晴らしい、やった、信じられない」 これらの言葉は後にとっておこう。この日のフランス代表の活躍を見ると、もしかしたらシャンゼリゼ通りに繰り出して、一晩中シャンパンを開け、クラクションを鳴らしたあの感動を、もう一度味わえるかもしれないからだ。フランスの準決勝進出は1958年、1982年、1986年、1998年に続いて今回で5度目。唯一の目的は、7月9日にベルリンで優勝トロフィーを掲げ、ユニホームに2個目の星の刺しゅうを縫ってもらうことだ。“ジズー”(ジダンの愛称)とその仲間たちが試合の後「アイ・ウィル・サバイブ」を歌い出したから、1998年のリメークだというわけではない。試合内容が素晴らしかったのだ。アンリのゴールは、この試合を通じてほぼ完ぺきの域に達していたチームプレーのご褒美だった。ドメネク監督は2004年8月就任以来、初めて11人の先発メンバーを固定でき、スペイン戦で機能したシステムが、世界のどの強豪チームにも通じることを証明した。 ほんの2週間前、誰がこのことを予想できたであろうか。ドメネク監督だろうか。もちろん監督はチームと自分を信じて戦い続けてきた。スペイン戦の勝利で確信したに違いない。また代表選手の体調管理を担うロベール・デュベルヌ氏も、試合ごとに選手のフィジカルを高める調整をしてきた功労者だ。確かにフランス代表のフィジカルの強さは今の勝負強さの鍵になっている。グループリーグ初戦のスイス戦の時とは、まるで違うチームのようだ。あの6月13日が今となっては遠い昔のことのように思える。 90分以上に及ぶプレスに耐えるためには、体とメンタルを最高にフレッシュな状態にしておくこと。ただそれだけではない。あらゆる技術を駆使してチャンスを演出したジダン、皇帝のようにゴール前に立ちふさがるテュラム、決断力のバルテズ、中盤のロードローラーであるビエイラとマケレレのデュオ、こうした素晴らしい個々の能力が結集してブラジルを下したのだ。ブラジルの天敵はフランス、といってもいいかもしれない。W杯でここのところ3戦3勝なのだから。 序盤はひやりとした場面があった。前半4分、ブラジルはゴール前25メートルでジュニーニョのFK。アドリアーノに代わって先発出場したリヨンの要ジュニーニョのFKの脅威は、フランスの誰もが知っている。ジュニーニョは直接狙ったが、壁に阻まれゴールの外に。続くCKでは、バルテズがパンチングでクリアし、ディフェンス陣をほっとさせた。 前半を通じてブラジルはフランスを脅威と思わなかったに違いない。ブラジルはできるだけ早くゴールを決めて試合の流れを作ることに懸命だった。だがビエイラとマケレレが、ジダン、リベリー、マルーダの強力なバックアップも受けて中盤の支配を譲らなかった。スペイン戦のときのように高めにブロックを作り、フランス優勢の試合を進めることができた。 スペイン戦ではどちらかというとボールを相手に支配されていた展開だったが、この試合では個々に競り勝ってボールを奪い、つないでいた印象を受ける。相手はロナウジーニョ、カカ、ロナウドと世界的なビックプレイヤーだが、彼らは引き気味にプレーし、フランスを脅かすようなトリオの攻撃は、結局見られなかった。前半が終わり、カフー、ジュアン、ロナウドに警告。前半終了間際には、ゴール前に走り込んできたビエイラに、ジュアンが後方から猛烈なタックルを浴びせた。 後半に入るとすぐ、ビエイラにゴールチャンスがやって来た。後半1分、ジダンのクロスにヘディングで合わせたが、ボールはゴールの外に。後半8分にはマルーダのFKをビエイラがヘッドでアンリに流したが判定はオフサイド。だがその4分後の後半12分、カフーのマルーダに対する反則から得たFKを、ジダンが蹴り、ファーポストに走り込んできたアンリがボレーシュート。ジダンからのアシストによる得点が、ブラジル戦の決勝ゴールとなった。 だがフランスは得点に歓喜することなく、あくまでも冷静にプレーを続行する。試合時間は残り30分以上もあり、誰もがブラジルの猛攻を予想していた。フランスのゴール前は、ブラジルの“爆撃”にさらされることを予想していた。だが、結局何も変わらなかった。シシーニョ、アドリアーノ、ロビーニョの投入も何も変えなかった。後半44分、ゴール前のFKでロナウジーニョが直接狙うが、ゴールポストの上に外れる。後半ロスタイム、ペナルティーエリア手前からロナウドがシュートするが、バルテズが横っ飛びでセーブした。 優勝した8年前の感動が、今よみがえる。
2006.07.02
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開催国のプライドを全うしたセービングが、ベスト4に導いた。ドイツの正GKレーマンが、PK戦で4本中2本を止める活躍で、ドイツに勝利をもたらした。 W杯5戦目にして、初めてリードを許す格好となったが、味方FWの爆発力を信じ、「早い段階でPK戦になると覚悟していた」とレーマン。 前大会で最優秀選手賞を獲得したGKカーンとの比較が、常につきまとっていた。カーンとの関係に質問が及ぶたび「そこに注目するより試合に集中したい」と、雑音を振り払ってきた。 PK戦前、ピッチに座り込んで集中力を高めていると、そのカーンから話しかけられた。2人の間でがっちりと交わされた固い握手が、レーマンに落ち着きを与えた。 先攻のドイツがミスなくPKを決める中、先制ゴールを許した2人目アジャラの蹴ったボールをがっちりとつかんで止めた。そして相手4人目カンビアッソ。キックの前に体を揺らして威嚇、ボールを弾き出した。飛ぶ方向は研ぎ澄まされた読みで、すべてズバリと当てた。 所属するプレミアリーグのアーセナルでは「クレージー・イエンス」の異名をとる。神懸かったような好セーブの連発が、カーンを押しのけての正GK獲得につながった。過去大会でもPK戦無敗のドイツの伝統を守り、前大会決勝で敗れた雪辱を誓う正GKは、「まるで決勝戦のようだったが、まだ次がある。準備しなければ」と気を引き締めた。今日はフランス 対 スペインです。絶対アンリが決めて勝ちます!!!頑張れフランス!!!アンリ!!!
2006.07.01
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