これが早速、お弟子さんたちのネタになりました。
この度、師匠の米朝が人間国宝に認定されまして、今日の会場みたいに階段をあがらなアカンとか下りなアカンいうことになったらホンマ騒動ですねん。もしも足滑らして怪我でもされたら、横についてる私らは、「国宝損壊罪」いうことでエライ罪になりそうで・・。
この『桂米朝 私の履歴書 』(日本経済新聞社)は、米朝師匠の、「上方落語の復興に努め、古典の発掘、後継者の育成」に取り組まれてきた軌跡を自ら記された本です。
米朝師匠の本ではなんと言っても『落語と私』(文春文庫)が名著の誉れ高いものです。ポプラ社から刊行されたこの本は、中学・高校生向けに書かれた落語の入門書なのですが、「落語という、単純なようで複雑な要素を持った、ちょっととらえどころのない芸の全貌を知る上で、中高校生むきに書かれたこの本以上に明快なものに、残念ながらお目にかかったことがない」(文春文庫あとがき 矢野誠一)という本です。
無趣味であると称し、唯一の趣味は落語に関する本の収集と研究、そして噺の復活と言い切る米朝師匠の足跡を辿ると、「初めて」ということに多くぶち当たります。
「能狂言、歌舞伎、文楽から舞踊、演劇、大衆芸能まで間口の広さが特徴の一つ」という『上方風流』(かみがたぶり)の発刊、そして雑誌刊行と並行しての勉強会がまずあげられます。
「上方落語」という言葉になじみがなく、「『土方(どかた)落語』ってなんですか?」という質問まで飛び出したという東京での独演会の成功と、関東と関西でのホール落語の成功という快挙は、上方落語を「全国区」に押し上げました。
テレビではいくつもの番組を持って師匠自身の活躍の場を広げるだけではなく、古い芸人さんたちにも出演の場を確保して芸の復活と後継者育成にも尽力をされています。
昭和四十九年(1974年)には、株式会社米朝事務所を設立、独演会、テレビ出演、出版、レコードの発売など多岐にわたる活動をスムーズにこなしていかれるようにもなります。
弟子たちも発表の場、勉強の場を得て米朝一門だけではなく上方落語そのものが復活し、生き生きと活動するようになりました。その証拠となるのが、繁昌亭の大入りでしょう。
舞台正面にかかっている「楽」の字、米朝師匠の揮毫になるものですが師匠自身、感無量であったことと思います。
師匠の噺を高座でうかがうわけにはいきませんが、テープで、CDで、またビデオでと、名演に接することはいつでもできます。
私にとっての「名人」、それはやはり米朝師匠です。
例によって、小ネタをひとつだけ。ラジオ番組「題名のない番組」で、リスナーの投稿。
「障子破れてさんがあり」
お後がよろしいようで・・。
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