『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』 ( フィリップ・ K ・ディック ) は、ハリソン・フォードとルトガー・ハウアーが出演した映画「ブレード・ランナー」 (1982 年製作 ) の原作とされているが、力点の置き方も筋も原作とはかなり異なっている。
第三次世界大戦 ( 核戦争 ) が終了し、地上には放射能を含んだ灰がふりそそいでいる。作品が書かれたのが 1968 年、時代設定は 1992 年となっている。
動物も大半が絶滅したと見えて、本物の生き物を持っていることがステータスシンボルとなっている。逃亡して地球にやってきたアンドロイド ( 映画ではレプリカント ) を抹殺するのが主人公リックの仕事で、映画で「ブレードランナー」と言われている彼の仕事は、「バウンティ・ハンター ( 賞金稼ぎ ) 」と実もふたもない書き方がされている。
リックはいずれは本物の羊を飼いたいと思っているが、今は本物そっくりに作られた「電気羊」を飼うしかない。
本物そっくりと言えば、タイレル社が作っているアンドロイドもどんどん性能が向上してきて、人間と見分けがつかなくなってきている。確かに彼らの寿命は 5 年と設定されてはいるのだが、なぜこんなにも見分けがつかないアンドロイドを作るのか ?
もちろん区別をするための方法は作られている。一問一答形式の情緒を測定するための機器で、普通人間ならこう答えるだろうと考えられている答えから有意にずれるとアンドロイドと認定される。
しかし、同じ賞金稼ぎで、アンドロイドに対して極度の憎悪を持っている男が現れる。リックはこいつはアンドロイドではないかと疑うが彼はそうではない。
最新型のアンドロイドはほとんど人間と見分けがつかない外見をしている。後半でリックは一人のアンドロイドとベッドを共にする ( これは「違法」とされているのだが ) 。
そんなアンドロイドをレーザー銃で抹殺することに対して何のためらいも持たない彼に対してリックは自分の方がおかしくなっているのかと混乱をきたす。
サイエンス・フィクションであるが、倫理と哲学を内蔵している作品であり、現在進行形で起きている AI
の「進化」についても考えるきっかけを持っている。
「ユーラシアグループ」が定期的に公表している「人類滅亡の原因」の中に「 AI 」が「気候変動」「核戦争」などと並んではいるようになったのがもう数年前。
GPT
を使うという方向で議論が進んでいるようだが、 6
月号の『世界』で、片山善博氏が、「大臣の国会答弁とは本来は大臣自らの考えと言葉で行うべきである。ところが、多くの大臣はそれができないので、やむなく官僚たちが答弁作成を代行しているのが実態である。・・西村大臣の発言に違和感を覚えるのは、例えていえば学生に課せられた論文について、それが代行作成されるのを当たり前のこととしたうえで、その代行作成者の労力軽減のためにチャット GPT
を活用したらどうかと仕向けているようにしか聞こえないからである。・・大臣にはその職責に必要な資質と知見を備えた人が任命されるべきである」。 P67~68
。
スマホの開発にあたった技術者が自分の子どもにはスマホを持たせないという冗談みたいな話を聞いたことがある。
スマホ、そして AI が人間に何を与えるかと同等に「人間から何を奪うか」を考えた方がいいかもしれない。
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