全68件 (68件中 1-50件目)
自分の中の思考をもっと単純化したいなと思ってます。バカになろうとかそんなんじゃなくてでして。あらゆる場面、機会で使われる似たような言葉を、一つの自分の言葉にしてしまうというか。シンプルにするというか、味気なくするというか。たとえば。。「学習」と「催眠」とか。一緒にしてしまう。まぁ、キチンと言葉を作ってしまうのじゃなくて、あくまで「感じ」のうえで。。そんで、その味気ない言葉のうえに「味気」を乗っけていくような「感じ」で。。○自分の外に対しては逆にもっと「味気」あるようにしていきたいなと。言葉、身体、その場の雰囲気とか全部利用して相手に浴びせかけるような「感じ」で。。。同じ内容を違う言葉、手振りで表現し倒すというか。それで行ってみようかと。
2007年03月19日
コメント(0)
結構誤解されそうな言い方なんですけども。「できないことはできない。いや、むしろしない。」自分のできる1つ1つの事を組み合わせてやっていけばいいかな。分かること、できることだけでまずは「形」をつくる。そうすれば分からなかったことも垣間見えるかも。地味なように見えてそれが一番、近道なんじゃないかなって、そう思います。
2007年03月19日
コメント(0)
最近というかここ数年、「ボーっ」としきれない部分があって。集中も仕切れず、「ボーっ」ともし切れずみたいな、中途半端な感じ。それが、なんか今日できるようになったみたい。周りと溶けこんでいくような、それでいて広がっていくような、そんな感じ。ここ数日、身体意識自体のこと結構考えてたもんで。なんか、自然とわかるもんだな。。○「ボーっ」と仕切れなかった原因というのが多分「身体意識に対する誤解」というか変な思い込みというか。カラダに意識!カラダに意識!というあまりに、外との世界を遮断してしまってたような。DS図の矢印って基本的にカラダの内から外に向かっているんだけど。逆だったのかなぁなんてそんな事思った。床に寝そべってたときなんだけど、カラダの外側の部分の布団とか枕とかも感じられて、そのことでまたカラダも一層感じられるような。そんな感じでした。
2006年12月07日
コメント(0)
自分で書いてて何だけど、さっきのエントリの「言葉」と「イメージ」の分離ってのはなんか重要っぽい。なんか高岡さんが「身体意識」と「身体感覚」の違いを強く強調するのと同じようにこの2つってのは、細かいけど大切なことだと思う。バチッ!と大きな事をするにはちゃんと細かい部分というか前提というかそんなものを正確にしておいたほうがいいなと。○なんというか、PQブロガーさんの中で上手い具合に問題中毒の解消が進んでたり、面白いこと書くなぁって人って、ロジカル面で強そうな感じで。。なんか、その辺まだ足りないとこがあるかもね。自分は。でもコンプレックス自体はもうそんなに無くなってきてるからあとは、邁進するのみです。
2006年12月04日
コメント(0)
「ひらめき」が忘れやすいのはなんでなんだろうと。。「ああっ!!」ってかんじで何か凄い事を思いついたり認識できたような気がするんだけど。そのまま何もしないでいると何を思いついたのか忘れてしまったり。。ひどい時には思いついたことすら忘れてしまってたり。○なんか「夢」のようなもんなんですかね。寝ている時の。夢もすぐ忘れてしまうし。。無意識にあった情報が顕在意識にふと顔を出したみたいな感じかな。○んで、やっぱ忘れてしまってはもったいないからメモするんですね。紙にだったり、携帯にだったり。書いてる最中にも忘れたり、あやふやになってしまわないようにササッ!って書きたいわけんなだけど。。無いんですね。。言葉が。。的確に表現できる言葉が見つからないことが多い。だから、後々そのメモを見直しても、「あれ?こんな事言いたかったんだけ?なんか、もっと凄い事だったようなきがするんだけど。。」って感じになる。まぁ、自分の語彙の少なさもあったり、ひらめいた量が多分多すぎたり。寝てるときの夢の内容ってのは1秒にも満たない間に見ているらしいですけど。一瞬のひらめきってのも言葉にするとかなり多いんじゃないかと。そもそも、ひらめきって自分には無かった考えがポッと浮き出てきたもんだからそれを的確に言い表わす言葉はなかなか無いというか。。○そんな感じで自分は言葉に対してなんか否定的な感覚というか限界があるんじゃないかみたいな考えがずっとあったんだけど、なんか最近は逆に言葉ってスゲエな!って思いも少し出始めてる。言葉がないとそのひらめきはその瞬間だけのものになってしまうし。。言葉を繰り返すことでその感覚はその度思い出せるし。なんか、ヒトが言葉を使うようになったのは記憶するためなんじゃないかって、そんなこと考えたり。とにかく、言葉ってのはイメージを伝えるための手段なんだなってことが強く実感できた。「イメージ」と「言葉」は違う。似ているようでも違う。
2006年12月04日
コメント(0)
PQってのは「自分そのもの」なんじゃないかってふと思った。別の言い方をすれば「生きることそのもの」っていうか。○長い間、このブログには書き込みはしなかったけど、その間も個人的にPQ的な日記をつけてたりしてて。。PQ開発をやめたわけではないです。たぶん、PQ開発を終えるのは死んだときかなって。そう思う。何十年後、「PQ開発って何だっけ?」って感じでそれを忘れてしまっても、自分のこと、他人のこと、人生全体を深く掘り下げながら真剣に生きていれば、たぶん、それPQ開発なんだろうと、そんな感じです。○PQ開発をしてるって事は、誰にも言ったことは無くて。別にそれを他人に言うかどうかで悩んでるわけでもないんだけど。実は、自分ひとりでも「PQ開発をしてます!」って思うことがなんか力んでる感じで不自然なような。。今このエントリを書いてて、「何でわざわざこんなの書いてるんだ?」とかかすかに思い始めてて、、まぁ、せっかく書いたから投稿するけど。。○「ブログを書かなきゃPQ開発をやってる感じがしない!」って思いが以前はあったけど、最近はそうでも無くなってきたかな。その反面、ブログに書くことの意味というか良さってのも多分あるな、って。その「意味とか良さ」ってのはまだはっきりと言葉には出来ないけど。。○そんな感じで「PQ開発」って言葉の定義がすこし変わった感じです。最近。
2006年12月03日
コメント(0)
「脚の内側を使え!鍛えよう!」ってメッセージは、「脚の外側ばかり使って歩いてる人達」に向けたメッセージであったのかも。脚の内側ばかり気を取られて、内転筋あたりが結構硬かったです。。外側にもっと意識を向けると結構いい感じ。股関節の意識も結構クリアーに。。結局、「内外両方うまくつかう」ってのが理想的な歩き方なんじゃ。。とか思ってしまうけど。。PQ開発をやって身体意識その他が普通の人と変わってくると、、本、雑誌とかで書かれている事に対して、「どういう人に向けて書かれたメッセージなのか?」って考えさせられる事が多い。。まぁ、どんなことに対してもそうなんだけど、「この人はどういう考え方をベースにして話してるんだ?」って事を常に気にしておかないとなぁ。すぐに思い込まされてしまう。。
2006年08月20日
コメント(1)
高岡英夫本に、「中丹田の鍛え方」とか書いてて。「指で胸骨あたりを突っつけ!」「胸を揉め!」みたいな感じで。「そんなんでホンマに鍛えられるんかよ!?」って思う。。。自分の意識がドコにあるのかっていえば「頭」かなぁって。今のところ。西洋人の意識が胸にあったり、侍の意識がハラにあったとか。。そんなわけで今日、面白半分かつ真剣に「自分の意識は胸にある」「ハラにある」って感じでやってみて。。結構大変です。胸に意識もっていくと肋骨が勝手に膨らんだり縮んだり。。ハラにもっていくと脚が勝手に動いたり。。頭では制御できないというか、なんというか。。。自分は四六時中「頭」に意識を乗っけて生きているわけだけど、四六時中「胸」とか「ハラ」で生きている人もいるんだなあって考えるとなんか、人間の多彩さとか個性とか。そんなんを感じます。。あと、やっぱエネルギーってのが必要だなぁと。指先で胸をこつくんじゃなくて、「俺は胸で生きるんだ!」って強烈に思い込むくらいの勢いとか気合とか。踏み込みがちょっと足りなかったのかな。
2006年08月20日
コメント(0)
中谷美紀の「砂の果実」を突然聞きたくなって。You Tubeで検索してたんですね。そしたら「STRANGE PARADISE」って曲見つけて。。そのPV見たら、、、もう、ヤバイんですね。キレイっつーかなんつーか。可愛いとかキレイとか言うと失礼なくらいいいんですね。なんて表現していいのかよくわからんので保留しときます。。中谷さんは女で僕は男で。性別は違ってるけども、なんか変な感じですけど、「ああいうふうな感じになりたいなあ」って。んー、どんな感じやねん!って思われそうですけど、「ああいう風な感じ」としかまだいえないなあ。(僕の見たPVは最近消されちゃったみたいです。↑のMステはピンクな感じですけどPVは薄いブルーのイメージでクールな感じです。。)
2006年07月14日
コメント(0)
狙って得たものの続きは無い。何書いてんだ、俺。
2006年07月09日
コメント(0)
「いやなもの反射」のエントリをよんで。結構こころあたりあります。嫌な人にあったりした後とか、出ますね。ゲップ。なんとなくですが、「出したほうがいい!」って思ったので、積極的に出してました。最初はなんか出し切れなくて気持ち悪かったのですが、最近は結構キレイに。「グエぇー!」って。。思ったのは、今まで、そういう嫌なことがあっても無意識、あるいは意識的にストップさせてたんだなあって。ゲップって、かなり行儀悪い行為だし。「身体の声に耳を傾ける」って意識がないと素直にはゲップなんて出せないよな。って。あと、今日初めてまぶしくてクシャミしました。迷信だと思ってたんですけどね。最近難しいこととか、考えたりしてなかったんですけど、やっぱ、変わっていくもんですね。身体に意識を向けていると。
2006年07月09日
コメント(0)
曖昧で悪いんだけど。「目的」があって「手段」があって。「原因」と「結果」みたいな。。人生において、大きな目的があって、それを実現するための手段があって、、そんな感じで突き進めたらいいんだけど。どうも。。。生涯変わらない目的なんて持てないような、そんな感じが最近します。ただただ、無数の手段を通じて目的を探していくような。目的を探すことが、目的みたいな。。それは、僕が1番嫌う、「何も考えないで、流されて、最後につじつまを合わせるだけの人生」とは、見た目にはあんまり変わらなくて。自分でも少し不安だけど。でもやっぱ、そんな人生とは一線を画してると思える自分の人生にしていきたいな。と思う。
2006年07月09日
コメント(1)
自分のブログを見たら1ヶ月以上書き込みしてないことに気づいて結構驚いた。最初は、なんか面倒くさくて書いてなっかたら、書くことも忘れてしまった感じで。それで、また「書くべきか」「考えるべきか」って感じで悩みかけたけど。「まぁ、どうでもいいや」って感じで。書きたい時に書く。書きたくないときは書かない。それがベストかと。
2006年07月09日
コメント(0)
きのうのエントリの続きで。これまで僕は「らせんのイメージ」ってのを凄く大事にしてきたのだけど、「らせん」って、イメージするもんじゃなくて「結果」なんだなぁって。イメージするのはは「一直線」そんな気がする。背骨だけの動物だったらその「一直線」のイメージは実現できるかもしれないけど。でも、人間には長い腕があって、長い脚があるから、どうしてもその動きは「らせん」に制限されてしまう。っていうか。○「らせん」の動きを目指すのなら、「らせん」をイメージするのじゃなくて。まず「一直線」をイメージしてみる。それだと、どうしても無理が出きたりする。肩甲骨が邪魔になったり、骨盤が邪魔だと思ったり。でも、それは人間の構造上仕方が無いから、できるだけ、邪魔にならないようなポジションにおいたり、楽な使い方をしてみたり。「こんなもんいらないんだけど、あるもんはしょうがないからなんとかうまくつかうかぁ」ってかんじで。結果、「らせん」になると思う。○その課程で問題になるのが、「どれがどうしょうも無い部分で、どれがなんとかなる部分なのか」ってこと。どれが肩甲骨で、どれが肩のコリなのか?○まぁ、今の僕の生活は間違いなく肩の凝りで確定なんですけど。カラダの方は順調なんだけど、生活の方がちょっと問題で。他人から見たらいい感じなんだろうけど、自分はね。ちょっと。鏡で見たらいいんだけど、カラダの感覚は…って感じ。○まぁ、絶対何とかする。
2006年06月07日
コメント(0)
自分の感覚以上に、見た目の姿勢がいいことを発見!自分ではやや猫背気味かなぁって思ってたんだけど、ふと鏡を見てみたら意外にスーッと伸びるような感じ。たぶん、肩甲骨がより後ろ側に、下の方に移動してきたのかなって思う。背骨の曲線の描き方はそんなに変わって無いんだけど、肩甲骨の位置が変わったことによって見た目の背筋がのびたのかな。
2006年06月07日
コメント(0)
肩甲骨が小さくなればなぁ、なんて思うことがある。小さくなることなんてないんだけど、なんというか、、邪魔というか。「ウザイ」って言うのが一番しっくりくるかなあ。肩甲骨だけじゃなくて、他の骨も。極端にいうと、背骨と末端の部分があればいいというか。背骨と足裏と手と頭。それ以外の部分は邪魔って考えるようにしたら。。意外と上手にカラダが動いてくれるというか、無駄がないというか。邪魔だからこそ効率よく動かそうって意識が自然に出てくると思う。背骨と末端があって、あとはイメージするだけってかんじ。肩甲骨の動きが大切だからといってそこを意識するのは意外に間違いじゃないかなあ。「意識する」のではなくて「意識される」大切なことだと思われるから覚えておこっかな。
2006年06月06日
コメント(0)
運がいい人とか、ツキがいい人。とかっていたりするけど。結局それって、その結果に対しての原因がわからないだけなんじゃないかって、最近思う。運がいいとかそういう言い方で終わらせてしまうのは、自分の理解を超えて諦めているだけなんじゃないかと。説明できないからそう言ってるだけでちゃんとした理由ある。○おぼろげに感じていることは、何というか、「時を見る力」って言ったらいいのかな?1秒先のことから10年、20年先のことまで見通すだけの力、タイミングを測る力。それが、運とかツキにつながっていくんじゃないかなって。そう感じた。
2006年06月04日
コメント(1)
前のエントリで背骨を長く感じられるようになった。って書いたけど。それってこのブログの、「仕事とか遊びに一体感を持てるようになった」って事と関係してるような。頚椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨。この背骨が正しく把握できて連動させることと、生活の中のあらゆる行動を、トレーニング状態にしていく事。ってのは、相互関係にありそうだなって。背骨ひとつひとつを動かせつようになるのは凄いことだけど、単独で動くことにはそんなに意味は無いのかなあって。そう思いました。
2006年06月03日
コメント(0)
今まで自分が思ってたよりも背骨は長いもんだと気づきました。いや、「長いと思った方がカラダがうまく動いてる感じ」って書いたほうがいいかも上は、頚椎の1番。これまで、背骨といったら胸椎の1番くらいまで。って思い込んでました。1番下は尾骨。これまでは仙腸間接あたりが1番下だと。そう思ってました。背骨を長く意識できたほうが全身の動きがスムーズになる感じ。○思ったんだけど。結構、そういった誤解って多いよなあ、僕は。思い込みが激しいというか。全身の骨格図には、「正しい股関節の位置」「背骨の数、長さ」「アゴの間接」とかは、書いてるんですけどね。目の前に答えがあるのに見つけられない。これは、カラダのことに限らなくてほかの全部のことにいえそうでして。素直に、そのまま受け取ることを無意識のうちに拒んでるような。○このエントリを書きながら思ったんだけど、視点が足りないのかな。僕は。「この人だったらどうするだろう?」「以前の自分ならこうしたかな?」多角的に見るって事が苦手かも。PQ開発を初めて、自分の視点とか、世界観とか変わって、その視点に自信は持っていて。間違ったもんじゃないと思うけど。やっぱ、人間1人の視点とか世界観ってのは大きいものじゃないなあって、少し思う。○「自分の視点」が「他人の視点」に飲み込まれるってのはナシだけど。「自分の視点」が飲まれることなく「他人の視点」と共存できる。ってのが、いいかな。○今の自分は。多分、「PQ開発人生」ってのにかなり飲み込まれてるような気がする。それでいて、「PQ開発人生」ってのをそのまま見れていない、そんな気がする。そのまま見るためには、似たようなことでも、他人から見たら同じような事でも、「PQ開発人生」とは違った視点が自分には欲しい。いくら、「PQ開発人生」がすげえ世界観をもっていて完璧だとしても。飲み込まれた状態で一生を過ごすのは、ちょっといただけない。今の僕にとって、「PQ人生」は、飲み込む」価値があるものだと思う。○「PQ開発」を飲んで、飲んで、飲んで。。。体内で消化して。排泄物となって出た後の自分が楽しみだ。
2006年06月03日
コメント(0)
ここ2,3日で思い始めたことなんだけど。PQ人の2割くらいしかいないPQブロガーになって、その中でもわりと日記書いたりするほうで、他の人からみたら熱心なPQ人かもしれないけど、実は、結構半信半疑なところがあったんですね。たまに、「ん?これでいいのか?」って、思いがよぎったりして。○けど、最近そんな感じではないです。PQ開発がなぜいいのか?って問いに、自分なりの仮説を持てたような気がして。○「ただ普通に生活する事があらゆることの最高のトレーニングになる状態」にもっていく力。これが、自分にとってのPQかなぁ。と。似たことは先に倉本さんとか、いろんな人が書いてたとおもうけど、自分で考えた先にこの答えがあったのがうれしいというか何というか。○これまでの自分の生活を振り返ると、「仕事」は「仕事」「遊び」は「遊び」とか、そういう区別をしすぎていたのかなぁって。そう思う。「仕事」をしている自分と、「遊んでいる」自分が全く別人だから、遊びで得たスキルとか知識は、仕事で生かせないし、その逆もあったり。「ただ普通に生活する事が最高のトレーニングになる状態」とは、かけ離れていたと思う。その、状態になることを阻害するものを探すのが重要だと。。○去年くらいかな。会社の結構年の離れた先輩と話をしていて、学生の頃の部活動の話になったのですね。その先輩は息子さんがいて、厳しめの運動部に入ってるのですけど。「若い頃の頑張りで得た精神とか、自信は一生ものだからな」とかそんな話になって。まぁ、そうかもしれないよなぁ。とか思ってたのですけど。その人のいろんな話を聞いてると、「ただ我慢する」とか「がむしゃらに頑張る」とか。あらゆることにそんな精神で向かってたらしんどいだろ。って、PQ開発を始めてから思えるようになったのですけど。そういうありがちな部活動その他で得た精神とかは、その部活動ではうまくいくかもしれないけど、他の生活に活かすには無駄が多すぎるというかかっこ悪いというか。○地球には存在しないくらい巨大な組織である、自分のカラダを隅々まで開発することは、それだけで、大変だと思う。カラダってのは、正しいことをすれば良化するし、悪いことをすれば悪化する。ほんと、正直だと思う。↑に書いた部活動の組織よりも数万倍も複雑で巨大でありながら、その上、精密でごまかしのきかない、自分のカラダを最高の状態に持っていくということは、地味なようで、実はすんげえ事なんじゃないなと思う。○「ただ普通に生活する事が最高のトレーニングになる状態」で、「地球には存在しないくらい巨大な組織である、自分のカラダを隅々まで開発すること」ってのは、、うん、すげえわ。○このエントリを自分で読み返したら、「なんか、全部倉本さんのブログにあったかなぁ」ってことばっかだけど。自分のコトバで発することができたのは、進歩だとおもった。
2006年06月02日
コメント(0)
アゴの間接ってのは、耳の穴の横らへんまできてるんだなぁ。びっくりした。
2006年05月31日
コメント(0)
カラダ対話をしていて、今まで自分の気づかなかった部分とか発見したとき、「お前、誰よ?」って、(心の中で)声かけてやるといい感じ。最近、自分と自分のカラダの関係を考えていて、昨日、「社長と社員の関係」がいいなあって思ってたのですけど。人のカラダを実際の会社に例えるとすると、、もう、地球には存在しないくらい巨大な組織なんじゃないかって。んで、そんな巨大な会社(自分のカラダ)の社長(意識)が、日本の関西の大阪の営業所の社員(足首のなんか細かい骨たちのひとつ)とかに会ったときに何て思うかなあって考えたら、「お前誰よ?」って、思うのが自然かなあ。腸腰筋とか前鋸筋とか、いかにもデキルって噂の社員にあったら、なんか、ワクワクしたりできるけど。足首とか手首の細かい骨とか、なんかどんな働きをしているのかイマイチわかんない社員を見つけても「まぁ、そこにあるんだな」って感じで。後々、その働きがいかに大切かってのもわかるかも知れないけど、やっぱ、最初は「お前、誰よ?」だと思う。無理に最初から、「お前、目立たないけど大切だぞ!」って言うのも変だし。人によって、無い筋肉とかあるみたいなんで。「お前、誰よ?」って、感じのフラットな具合でカラダとの付き合いを始めたらいいと思った。
2006年05月31日
コメント(2)
倉本さんのPQ紹介文。●「アナタのカラダ」を、「一つの会社」のように見立てると、アナタは「社長さん」です。「社長」であるアナタのやることは、「あなたの細胞の一つ一つ=社員さんたち」が、毎日イキイキと働ける環境を整えることです。「自分が頑張る」のではなくて、「自分の中身に頑張ってもらう」生き方。●「自分が頑張る」のではなくて、「自分の中身に頑張ってもらう」生き方。これが、今すごく重要なような。
2006年05月30日
コメント(4)
って、たまに仕事終わりに思うことがあります。まぁ、寝てるほうがマシな仕事なんてやってるのが駄目なのですが…なんか、言い訳っぽく自分を正当化するよりはずっといいかな。僕も、前はそうだったから。
2006年05月30日
コメント(0)
声を出しているとき。これまで、喉だけが響いてる感じだったけど、なんだか最近は胸骨の辺りとか、口の中も響いてる感じ。なんか、無理なく声を出せてると思う。
2006年05月28日
コメント(2)
なんか、、歌詞のワンフレーズをタイトルにするのって恥ずかしいなあ。ちょっと。でも、なんかそんな感じで。今まで、「自分がそうだから、相手も同じだ」って勝手な思い込みがいろいろ僕を邪魔してきたのかなって思う。「自分を相手が同じだから一緒にいられるんだ。」って考え方を無意識にしていたのかな。ずっと。だから、このタイトルのワンフレーズがかなり強烈に響きました。「え!?うそ!?そんな考え方あるの?!」って。倉本さんのこのブログの頃、僕は、「なんか、もう日本人だろうがなんだろうが他人はみんな外国人だと思ってしまえ!」「見下すんでも無く、見上げるでもなく、徹底的に他人は他人だ!」とか思ってて。同じ日本語で同じ言葉でも、人によってその言葉に対するイメージは異なると思うし。それにいちいち付き合ってたらやってられないよなぁ。って。(今までやってきたけど)これは、、多分僕にとってこれからの課題かな。多分世界が変わるかと、、、、徹底できたら。
2006年05月27日
コメント(0)
最近、人の長所が見れるようになってきたかなぁ。僕がPQ開発を始めるきっかけになった1つに「自意識の完全な独立自尊」の欠如。ってのがあったと思います。人の意見に流されやすかったのですね。しかも言ってる内容次第じゃなくて、「勢い」とか「権威」に異常なほど弱い。そんな僕にとっては、無理にでも「他人に対する見下し感」ってのが必要で。最初はかなりしんどかったです。今まで他人をそんな感じに見たこと無かったもんだから。それで慣れてないから、不器用でして。他人に対して、全肯定か全否定かの二者択一みたいになってしまって。そんな状態が、2ヶ月以上はあったのですけど。最近は、長所も見れるようになったかな。同じ人の中でも、「こいつ、最悪だなぁ。死んでしまえ!」って部分と「ここは、凄いなあ。尊敬できる。見習いたい。」って部分が共存できるようになったというか。まだ完全じゃないけど、、うん。悪くない流れかな。
2006年05月27日
コメント(0)
以前ほどではないけど相変わらず、川本真琴聞いてて。最近、プロモーションビデオ見たのですね。「1/2」って曲のやつなんですけど。なんか。。かなり凄い動きしてるような気がします。肩甲骨とその付近の胸椎が別の動きをしてるような、そんな印象。たぶん、みんなが知ってるのは小屋の上の椅子に座ってる部分だと思います。僕がスゲェ!って思ったのは別の部分です。
2006年05月24日
コメント(0)
耳。を意識し始めてから1週間たつけど。耳が少し良くなったような気がします。i-podで音楽を聴いてても以前よりボリューム下げても大丈夫だし、人との会話の中でも理解力が上がったような気もするし。自分の耳を触ってて気づいたのは、「左右の軟骨の硬さが違う」って事。いや、その前に耳に硬い、軟らかいなんて事があるなんて知らなかったし、軟骨が動くなんてのも知りませんでした。今のとこ、左耳の方が軟らかいなあ。引き続き、耳を意識していこうかな。
2006年05月24日
コメント(0)
今日なんか、めっちゃ暑くて。汗かいて、家かえって、飯食って、風呂入って、で、風呂上りに冷たいシャワー浴びる習慣があります。今日気付いたのは、そのシャワーを、「頭で感じてる」のか「カラダで感じてる」のかって事で。これまでは、おそらく「頭」で感じてました。冷たい水を浴びて、「アーッッ!!」とか言って。一口目のビールみたいに後頭部でその快感を味わって。そんな感じだったけど。ふと、今日は。その冷たさを、そのまま、「カラダ」で味わってみた。水があたってる部分に集中するって事。「冷たさ」をそのまま、ごまかすことなく感じようとしてるわけだから、ホントに冷たい!「頭」で感覚を味わってるときは、「感覚」を後頭部まで自分で「おいでおいで」自分でって誘ってるのだけど。「カラダ」で感覚を味わってるときは、その「感覚」自らが上り詰めてくる!そんな感じ。んで、ふと思ったのは。たぶん、ストレスに対して僕はガードする事しかできなかったのかなって。だから、前のエントリで書いたみたいに胸骨は硬くなっていったのだろうし。理想なのは、ストレスに対してただ頑なにブロックするだけじゃなくて。柔軟にカラダで受け取って、それを流すも受け取る事もできるような、、そんなイメージで行きたいなあ。
2006年05月22日
コメント(0)
夜中ふと起きると、頭の重みとかで自分の腕の血管を圧迫して、痺れてしまってるときありますよね。完全に感覚無くて、まさに他人の腕。みたいで。しばらくすると、痺れが始まって凄く痛くなりますけど。この感覚。大事かもしれない。普段何気なく流れている血液だけど。0(麻痺)の状態から流れると、こんなに痛いのか!って。自分の頭じゃ処理できないくらいの血液と血管があると思うとすげえ!って思う。
2006年05月22日
コメント(0)
胸骨が変わるということは、自分にとって一大イベントじゃないかなって思ってます。肩甲骨の位置がよくなってからなんですけど、薄々感じ始めてるのが、胸骨の硬さです。その上、その固さが喉まで伝染しているような感じまで。以前から思っていたのですが、カラダの前と後ろって密接に関係しあってるような気がします。バランスを取り合ってるような感じ。今回も、肩甲骨の位置が良くなったからこそ、胸骨の硬さがわかったというか。たぶん、この硬さの原因というのは、言いたいことを我慢してきたり、言われたことを飲み込んできた結果なんだろうなって思う。今までずっとそうだったので。。だから、多分、胸骨だな。これを何とかしていこうかな。
2006年05月22日
コメント(2)
首は、胸椎の6,7番位から生えている。って、意識をもって過ごしていたのですが結構いい感じ。なんと!最近、首が立ってきました。首の角度ってだいぶ前からの悩みだったのですね。PQを始める前から、解消法を模索してきたのですが全然かわらなくて。勘ですけど、首が立ってきた原因として考えられるのは。。●棒の足●↑に書いた首の生え際●いい感じの肩甲骨の置き場所。●これらの身体的なアプローチと絡んで、気持ちが楽になったこと。かな。
2006年05月22日
コメント(0)
最近、急に英語喋り出したり、口が勝手に喋りだしたりしてる人もいるみたいで。なんかPQすげぇ!ってかんじです。僕は、人前でそんなことはまだ起こったりしないんですけども。1人でいる時とか。凄いことではないんだけど、、たまに感情がドガッ!って出るときがあります。「え!?俺こんなに汚い笑い方してたっけ!?」とか「あぁ、今泣いてるよなぁ」って感じで。風呂場の鏡の前に座ってたりすると、「俺こんな顔するんかよ!?」ってくらいヤバイ顔してたり、なんか、今まで隠してた感情とかたまってたのかなあ。多分、、今までは泣くにしろ、笑うにしろ何か「理由」ってのを頭で理解してないといけないような癖があったのだと思う。社会的に見ておかしなタイミングだと許されないし、たとえ一人で誰も見てなくても。それに、多分自分にとっては認めたくない感情だったのだと思う。泣きたい気持ちとか、他人を嘲笑うような感情とか。自分では見たくなかったけど、確かにあったんだなって。思いました。
2006年05月20日
コメント(0)
肩甲骨の下半分の意識っていうのが今まで薄かったんだなと感じてます。今まで肩甲骨の上半分を肩甲骨と思っていたというか。意外に下の部分まであったのだなあ。。「究極の身体」の133ページに載ってた指先から肩までの骨格図を見て、「ああ、これで腕なんだなぁ」と思った次の日くらいから意識が変わりはじめ出して。肩甲骨が胸椎の12番くらいに置かれているような、そんな感覚です。エネオスのキャラクターが今イチローなんですけど、この写真で背番号「51」の「5」の右上部分あたり。この部分あたりを見てると、理想的だなあって感じる。肩甲骨が完全にはがれているような、そう見える。今まで凄い人を見てもそれがどう凄いのかって全然説明できなかったんだけど。「見る目」ってのもそろそろ磨かれてきそうな予感です。
2006年05月20日
コメント(0)
地蔵盆つながりで思い出した!「大切なことは全て上が決める」って意識なんですけど。結構早い時期に体験していたんだなあって思い出しました。これも幼稚園かそこらで。公文式にいってたんですね。そこで、僕の親と先生が、多分教育方針とかそんな感じの話だろうとは思うけども話してて。普通の子供だったらハナからそんな話に興味ないだろうけど。僕は「なんか、この話がわかったら凄く頭がよくなりそうだ」って感じで聞いてみたんですね。うん。ここまでは凄いんですね。。けど、わかるわけがないんですね。そんな話。幼児なもんで。で。変に悟ってしまったんだとおもいます。「難しいことは大人が決めるんだなあ」って。それ以来、上の人間が決めたことには自分の思ってることを封じてきて。友人が先生とかに対して憤慨していても、「怒っても仕方ないよ」って言ったりして。嫌味なのか皮肉なのか「大人だよなあ」なんていわれても、密かに嬉しかったりしてて。。。そのことのツケが最近出てきてるよなあ。「自分で考える」って事のさじ加減って物がイマイチわかってないんだと思う。他人に協力してもらえばいいものでも自分ひとりでやろうとして失敗したり、逆に、完全に人の意見に流されてしまったり。。当面の課題だな。これ。
2006年05月17日
コメント(0)
まず結論(仮説)があって。後は、それを証明するだけの作業というか。大学生のころからそんな考えあったけど。最近は完全にそんな感じだな。
2006年05月17日
コメント(0)
けっこう前に、病人のように過ごすのもいいかもしれないなって書いてたことがあって。体調が悪い時に無理に動くとしんどいなあって話で。こんな風に意識して動くのもいいかもって思ったのですが。。体調がいい!思える時にこんな風に動くと。。逆にしんどいような。そんな感じ。思ったんだけど。。たとえば。。「会社から帰る」ってひとつの事柄にしても、「早く帰る」って事だけが無無理ってわけじゃなくて。「遅くまで仕事する」って事が必ずしも無理って事でもなくて。ケースバイケースだなって。(この言葉凄い便利というか反則のような気もする)感じたのは。。自分にとっての、「無理」「無無理」ってのをまだまだ「社会的な基準」に従わせていたんだなぁと。「無理」「無無理」を判断するのはやっぱり自分の体なのかなって。頭で考えることに無理があるんじゃないかと。そんな気がします。
2006年05月17日
コメント(0)
手の5本の骨ってのは、手首のすぐ近くから生えていたんだな。思っているよりも。触ってて気づいた。手ってのは、背骨とか骨盤とかに比べて常時触ってても別に他人に怪しまれたりしないし、いくらでも触っていて平気な部位だとおもうんだけど。意外と意識が通っていなかったんだな。そういえば、高岡本の例えとかで「背骨は、手に比べて意識が薄い」って記述をどこかで読んだんだけれども、なんというかこの記述を「手ってのは、みんな意識が通ってるもので特に意識しなくても大丈夫だろ」って変な捉え方をしていたと思う。全然大丈夫じゃなかったな。
2006年05月17日
コメント(0)
僕は。。かなり音痴です。幼稚園のころからそんな苦手意識があったかな。地蔵盆で子供カラオケ大会があって。僕は親に無理やり出されたんだけど、みんなの前で歌うのが嫌というよりも、歌そのものが下手だから嫌だったな。それ以来ずっとです。このことは今日、耳のことを考えててふと思ったことなんだけど。これからテーマになってきそうな部位ってのが耳で。僕にとってはまだまだ未開拓な部位なんですね。風呂に入っても耳洗わない人生送ってきましたからね。そのことに気づいたのが最近で。耳を。もっと耳の意識がはっきりすれば。今まで見えなかった(聴こえてなかった)ことに気づくこともできるかな。
2006年05月17日
コメント(0)
僕のブログの書き込みをざっとみてみたんだけど。。自分オリジナルなんてあんまりないなぁ。って。殆ど受け売りだなぁ。。って。でも、自分で書いたことは今確かに自分の考えになってるんだな。自分の言葉で書いたことによって自分のものになるというか。大切なのは受け取った言葉をどう自分なりに書きなおしたり、翻訳する作業なのかな。書き手、話し手はイメージを言葉に置き換えて伝えるけども。受け手は言葉通りに受け取っても、同じイメージは見えないんだと思う。話し手と受け手は他人だから。だから、自分なりに解釈して書き直すってのは大事かもしれない。で、その書き込みがみんな見えるブログってのは思ってるよりもいいもんかもしれない。
2006年05月15日
コメント(0)
彼女の家からの帰り。田舎の駅のホーム。赤くて丸い月。遮断機の音。↑今日1日で僕が1番いいなあって思ったシチュエーションなんだけど。今日の昼、彼女の家に行くときにバンプの「車輪の歌」を聞いてて。何げない歌詞の連続なんだけど、情景が鮮明に浮かんできて。凄くいいなぁ。憧れました。ここからはちょっと変な話だけど。今日僕がみた風景を、もし藤原さんが詞にした。としたら。凄くいい感じになるんだろうなぁ。とか思ってたら少し悔しい気になってきました。こういう風景とか感覚って他人に話してもうまく伝わらなくて。「ふーん…」で終わってしまうことも多くて。だから言っても無駄だし。とか思ってあきらめていたんだけど。でも、最近考えてた「コトバ不足」が原因だったのかなって。もっとエレガントに伝えることもできるかなぁ。って。今日は、バンプの藤原さんに憧れて、嫉妬してって感じの日でした。
2006年05月14日
コメント(0)
って言葉に弱かったんじゃないなぁ。実際に他人に言われたのじゃなくて。自分で自分に言ってたような。まあ、その原因は周りの雰囲気とか無言の圧力とかだろうけど。そんなもんは今、どうでもよくて。「自分の今の状態」と「自分の理想」の間にギャップがあってはいけないって思ってたような。自分の理想まで縛られてる時点で負けてるよなあって思いました。
2006年05月14日
コメント(0)
最近、「川本真琴」ばっかりきいてます。先週ラジオでたまたま聞いて。それからすぐにTUTAYA行って。暇があればきいてます。彼女の歌ばっかり聞いてる自分って以前ならありえなかったのだけど、今ならありえるというか。ipodで聞いてるから自分しかわからないのだけど。最初は少し恥ずかしい感じがして。特に「擬音語を含めた歌詞」とかなんですけど。慣れてしまえば逆にかなり気持ちいい!って感じがします。。それで彼女の事をネットで見ていたのですが、詞についてこんなこと言ってるらしいんですね。「詞って言葉じゃないですか。そして言葉って、元を正せば誰かに習ったものだと思うんですよ。だから、自分のものであって、自分のものじゃないっていうか。だから書こうとか言葉にしようとか思わないと、基本的には出てこないみたい。 といっても、その言葉の前には、やっぱり気持ちがあって。 それが私にとっては、いちばん確実で信じられるものなんですよね。誰に習ったわけでもない、自分だけのものだから。で、 詞は、そいう確実にある気持ちに、いちばん合う言葉を選んだもの。その気持ちに合う言葉はどれかな、って。それだけなんですよ。詞って。自分ではそんなに気にして書いてないし、あんま勉強とかもしてないから、放っておくとあぁなっちゃう、 という。そしたら、なんとなく、それが川本っぽいねって言われるようになってしまって。ラッキーっす(笑)。」って。2ちゃんねるに貼ってたやつなんですけど。なんか凄い単純だけど、凄い大事な事言ってるなあって。PQ開発をはじめて、「気持ちの部分」ってのは敏感になったり、増えたりしたと思うんだけど。。それに言葉を合わせる事の難しさってのを最近痛感するというか。僕の文章って「なんか」とか「感じた」とか「というか」とか曖昧なフレーズ多いんですよね。最近、それがあんまり好きでない感じです。自分でも気付いてて、今もそのフレーズ使いながら書いていて。落ち着かないんですよね。曖昧な言葉を使わないと。無理をすれば矯正できるとは思うけど、なんかそれは違うなあって。もっと言葉を覚えたいなあ。曖昧なイメージをうまく伝えられる言葉のバリエーションがもっとほしい。
2006年05月13日
コメント(1)
昨日の会社帰りの電車のなかでアゴ付近のカラダ対話をこっそりしていて、そのときは何も感じなかったのですけど。就寝前、ボケーっとしていたら口がグワァー!って勝手に開いてきて。右のアゴ間接が「バキッ!」って音を鳴りました。これまでもこんな感覚はあったのですけど、怖くて必死に意識で抑えてました。昨日は、なんとなくそのままにしていたのですが。で、アゴなんですけが。以前よりも口が大きく開くようになってました。左右のアゴ間接がバランスよく動くようになったます。不思議な体験なんだけど。当たり前というか、起こるべくして起こったというか。そんな自然さもあって。そんな印象をもってる自分に少し驚きです。
2006年05月13日
コメント(1)
歩いているときのことなんですけども。今まで頭を固定しすぎていたかなあって思うとこがあって。足が地面につくのと同じぐらいのタイミングで頭も少し傾いていく感じ。その方が足からきた振動が逃げていくかんじで気持ちいいです。
2006年05月10日
コメント(0)
自分で自分のことを考えることってホントに難しいなあって最近よく考えます。なんか自分で考えたつもりになっていたけど、実は他人の言葉におぼれているのじゃないかなって。そのことにうすうす気付いていたけど無い事にしていたんだなって思います。実はですね。そのことに気付いてから1度PQ開発、辞めてしまおうかなって考えたりもしていました。倉本さんの言葉におぼれていただけじゃないかって。。だから1から自分で考えてみようかなって思ったりして。PQ開発で得た方法論とかも自分で組みなおして1人でやっていこうかなって。そうするとですね。これがほんとに難しい。自分で考えることの難しさを実感してしまいました。ほんとに難しい。苦しいし、孤独だし、不安だし、自分が情けないようなきがするし。けど。けど、「でも、これが!これこそPQ開発なんじゃないか!?」って。PQ開発ってものをですね、なめていたというか甘く見ていたというか、そんな自分がいることに気付きました。今の僕の感覚からいうと、もっともっと「これまで認識していたPQ開発」から精神的に独立することが必要だなと。確かに今僕は「PQ開発」をしているけど、「PQ開発をしている自分」が好きなんじゃなくて、「自分そのもの」が好きになれるような感じになりたい。ほんと今、「自分のやっていること」に名前がいらないくらいの自由さで生きて行きたい。それくらいの覚悟じゃないと、自分の本音を出せないような。そんな気分です。
2006年05月10日
コメント(1)
久しぶりに日記つけます。毎日何か書こうかと思えばかけるくらいの気づきとかはあったのだけど、どうも書く気になれなくて。僕にとってブログを書くということは結構エネルギーが必要みたいです。気づいたのですが、ブログに書くことによって自分に足跡になって確認できたりして便利なのですが、反面その内容にとらわれてしまってるのでは、、と。逆に全く書かないのも問題だと思っていて。書いて捉われたが故に気づく事も多かったり。足跡に残しつつ捉われること無く、気づきを増やすことができればベストなんですが。今思っているのは、ブログに書くタイミング、内容って大事だなってことです。ブログに書いてでも残したい気づきもあれば、本来は書かなくてもよくて自分の身体のどこかにしみこませておけばいいなって感じの気づきとか。同じ内容でも今書かなきゃ駄目だ!って感じのとか。そういうのを大事にしようかなと思います。
2006年05月06日
コメント(2)
倉本さんに初トラックバックしてみます。確かにPQ開発を始めてからキマグレっぽい感覚が多くなってるような気がします。昔は就活の筆記試験で「人から信頼される人になりたい」とか書いてた人なんですけど(笑今日、朝起きたらすごくだるくて「今日は1日家でごろごろしていようかなあ」とか思ってたのですけど、今日1日を振り返ったら全然1日ごろごろしていなかったんですね。外に出て買い物して、本読んで、部屋の掃除して、歩きまわって、ブログ書いて。部屋の掃除なんてもう1ヶ月くらいしようしようと思っていたけど面倒くさくてできてなかったのですけど。なんか「ああ、今が掃除できるタイミングだ!今しかない!」ってかんじで。何で今日だったのかはわからないですけど。デートでも彼女と会うまではノープランだったりするのだけど、終わって振り返ってみたら結構あれもやってこれもやってって感じになってたりする。仕事だとまだそこまで自由にはやれていないんですが。他人に「信頼」されるやり方とPQ的に「終わって形になるまで何やってるかよくわかんない」やり方って対極ですもんね。この問題近いうちに僕の課題になるんじゃないかなって気がしてます。倉本さんの遅筆っぽいところは、何というか「昔のドラクエの発売日」みたいな感覚で見てます。「あぁ、また遅れてる(笑」って感じで。凄く楽しみですけどね。
2006年04月08日
コメント(1)
今まで「みぞおち中心の動き」っていうと下半身のここばかり意識がいってたのだけど上半身にもそんなのがあるのじゃないかって運転していて思いました。右腕でハンドルを左に切るときはこれまで肩で腕を動かしたりしていたのですがあるときからみぞおちあたり、右の肋骨下部がふわぁーって膨らむ感じで。まだ横隔膜ははっきり意識できていないのですが腕の動きと横隔膜の動き(呼吸)って結構関係ありそうって感じました。これを意識できてからハンドルさばきがかなりスムースに。大げさにいうと中国拳法の手の捌き方みたいなかんじです。僕の今までの問題って結構上半身がらみのものが多かったような気がしてるのでこの気づきがいいきっかけになればいいなあ。
2006年04月08日
コメント(0)
全68件 (68件中 1-50件目)