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もっちん4476さんComments
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雄略天皇は、丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)に葬られた。大阪府羽曳野市島泉にある高鷲丸山古墳(円墳・径76メートル・島泉丸山古墳とも)平塚古墳(方墳・辺50メートル)に比定されている。近年一部の考古学者が、同県松原市西大塚と羽曳野市南恵我之荘に亘る河内大塚山古墳(前方後円墳・全長335メートル)とする説があるが、陵墓参考地のために詳細な調査がなされておらず不明確な点があるものの、埴輪の存在が明らかでないなどの特徴から、前方後円墳終末期のものであるとの説が強く、そうすると雄略の崩年と築造年代に数十年の開きがあり妥当なものではない。
「古事記」によると、顕宗天皇の父(市辺押磐皇子)の仇討ちをすべく、意祢命(後の仁賢天皇)自ら雄略天皇陵の墳丘を小規模ながら破壊した、とある。「書紀」にも顕宗が陵破壊を提案したとあるが、皇太子億計がこれを諌めて思い止らせたとする。


