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もっちん4476さんComments
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中国の資料は「日本書紀」(720年成立)よりも古い記述を含み、信頼性が高い。
「三国志」魏書東夷伝・弁辰諸国条の「弥烏邪馬」が任那の前身とする説がある。
「宋書」では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記される。その後の「南斉書」も併記を踏襲している。
「梁書」は、「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。
525年前後の状況を記載した「梁職貢図」百済条は、百済南方の諸小国を挙げているが、すでに任那の記載はない。
これらのことから、任那は三国時代(220年~280年)の「弁辰」に替わって、宋代(420年~479年)にはすでに成立しており、450年頃、加羅が任那から分立した。任那は、梁代(502年~557年)に、特に525年以前に新羅に滅ぼされた。任那の故地に関する記憶は唐の高宗(649年~683年)の時代まで残っていた。
