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もっちん4476さんComments
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1862年4月23日(文久2年)に発生した薩摩藩尊皇派等の粛清事件。
1866年3月8日(慶応2年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。
文久2年の寺田屋事件は江戸時代末期の京都郊外の伏見(現・京都府京都市伏見区)の旅館・寺田屋で、薩摩藩尊皇派が薩摩藩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって粛清された事件である。
当時、幕政改革の混乱や、異国船の来航による対外的緊張など政治的混乱が起こると、幕府は秩序維持のため体政委任論に依存して朝廷権威を政治利用した結果、朝廷の権威が復興した。また、幕府が諸外国と条約を結び、鎖国体制を解いて開国を行うと、攘夷論と結合して尊王攘夷となり、幕政批判や倒幕運動へ展開された。

一方、薩摩藩では1858年に28代当主島津斉彬が死去し、遺言により久光の長男忠義が藩主に就くと、藩主の実父として久光の政治的影響力が増大し、藩政の実権を掌握した。そのような状況の中、1862年に薩摩藩の島津久光が兵を率いて上洛すると、尊皇派の期待を一身に背負ったが、久光には倒幕の意志はなく、公武合体運動推進を目的としたため、このことに不満を持った薩摩藩の過激派、有馬新七らは、同じく薩摩藩の尊皇派の志士、真木和泉・田中河内介らと共謀して関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸を襲撃することを決定し、伏見の旅館・寺田屋に集まった。
