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もっちん4476さんComments
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「邪馬台国」の正確な読みは不明。一般的に「やまたいこく」と言われるが、とりあえずの日本語読みである。
帯方郡から邪馬台国までの道程にも「連続説」と、榎一雄氏の「放射説」がある。連続説とは、魏志倭人伝に記述されている方角や距離に従って比定していく読み方で、帯方郡を出発後、狗邪韓国・対馬国・一支国を経て北部九州に上陸し、末魯国・伊都国・不弥国・投馬国・邪馬台国までを順にたどる。一方の放射説は、伊都国までは連続読みと同じだが、その先は伊都国から奴国、伊都国から不弥国、伊都国から投馬国、伊都国から邪馬台国というふうに、伊都国を起点にする読み方である。

「まぼろしの邪馬台国」の著者で邪馬台国ブームを巻き起こした宮崎康平は、道程に関して「古代の海岸線は現代と異なることを想定しなければならない」と指摘し学会に一石を投じた。しかし、古代の海岸線を元に考察しても、大勢は変わらないと考えられている。
邪馬台国の比定地については、「魏志倭人伝」に書かれている方角表記や距離表記をその通りにたどると、日本列島のはるか南方の海中になるため、様々な解釈がなされてきた。古くは「日本書紀」の編者により邪馬台国と大和朝廷、卑弥呼と神功皇后は同一であるとされ、南北朝時代の北畠親房らも同様の主張をしてきた。江戸時代には、新井白石や本居宣長らが比定地や行程などに関する独自の説を発表した。明治時代に入って論争が始まり、多数の説が提唱されてきた。

これらは「邪馬台国論争」などとも呼ばれている。邪馬台国の所在地については日本国内どころか世界各地までにもその地を求める論者がいるが、学界の主流は「畿内説」と「九州説」の二説に大きく分かれていた。九州説の一つに、邪馬台国が移動したとする「東遷説」もある。もともとは学者間の論争であったが、「まぼろしの邪馬台国」によって邪馬台国論争は日本人一般にまで波及した。邪馬台国所在地論争は、この二大説の対立が中心となっている。
