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もっちん4476さんComments
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天子社の狛犬
始皇帝は生まれつきあまり体が丈夫ではなく、統一したころから不老不死を求めて、方士を傍に近づけるようになった。特に有名なのは徐福である。2度目の巡遊の途中、斉に立ち寄り、徐福に東にあるという蓬莱の国へ行き、仙人を連れてくるようにと命じた。この蓬莱は日本の事を指していると言われ、日本各地に徐福の最期の地といわれる場所がいくつもある(徐福伝説)。
徐福にせよ他の方士にせよ、最初から不老不死などできるとは思っていなかったと思われ、かつて人材を見極めることに驚異的な鋭さ見せた始皇帝も晩年にはこのような人物によいように騙されていた。方士以外でも、始皇帝は悪名高い趙高なども身辺に近づけるようになった。始皇帝は咸陽周辺の数百の宮殿を復道・甬道でつなぎ、あまり表に出ず、趙高などを通して命じることが増えた。

庭のムラサキシキブ
ある時に方士が持ってきた預言書に「秦を滅ぼすものは胡なり」と書かれているのを真に受けて、蒙恬に30万の兵を与えて胡(異民族)を討たせて安心している(この胡は異民族の事ではなく、2世皇帝の胡亥の事だと後に言われた)。
元より体が強くなかった始皇帝は、方士が飲ませた薬(水銀という説がある)でさらに体を悪くしと思われる。紀元前210年に5度目の巡遊を行い、みずから海へ出て大魚を射殺したが、その直後に発病。咸陽へ帰れないまま、巡遊の途中で死去した。死去したことは趙高によって巡遊の旅が終わるまで隠され、始皇帝の遺体を乗せた車が死臭で臭うことになると、趙高が始皇帝の車の後ろに魚の干物を乗せた車を走らせ、必死に始皇帝の死を隠した。
始皇帝は長子の扶蘇を跡継ぎとする遺言を趙高に渡していたが、扶蘇が二世皇帝になることで自らの身が危なくなることを恐れた趙高と李斯が結託して、胡亥が跡継ぎとなる遺言を捏造した。始皇帝が死んだ翌年には陳勝・呉広の乱が起き、秦は滅亡へと転がり落ちていく。
始皇帝の子孫は、二世皇帝の胡亥の権力を脅かすとして趙高らによりあらぬ罪を着せられて胡亥以外の子孫のほとんどが処刑され、また、胡亥死後に秦王となった子嬰も秦を下した項羽によって処刑されて、根絶やしにされた。

枯木