行政書士徒然日記

行政書士徒然日記

PR

×

Calendar

Favorite Blog

自分の言葉に責任を New! もっちん4476さん

素盞嗚(スサノオ)… 素盞嗚さん
*Sowing Seeds In H… Sakura_sakuさん
桜と向日葵と秋桜に… はあちゃん0408さん
風に吹かれて 唯我独尊7さん

Comments

きゅうりやのばんちゃん @ Re:病気入院(11/16) きょう、足跡を見つけました。 うれしか…
kotona♪ @ あけましておめでとうございます タケルさん、早く良くなってくださいね♪ …
総徳 @ 謹賀新年 明けましておめでとうございます まだ…
総徳 @ え! 大丈夫? なんだ、なんだ! 緊急入院ですか! …
Mrs. Linda @ Re:病気入院(11/16) 暫く更新がないのでどうなさっているのか…

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

タケル0127

タケル0127

Freepage List

2008.09.30
XML
カテゴリ: 歴史

200px-Hojo_Masako.jpg

 北条政子(保元2年(1157年)~嘉禄元年7月11日(1225年8月16日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は源頼家、源実朝、大姫、三幡姫。兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局など。

 伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所(みだいどころ)と呼ばれる。夫の死後は出家し、尼御台(あまみだい)と称された。法名を安養院と呼称した。頼朝の跡を継ぎ鎌倉幕府の将軍となった嫡男頼家、次男実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として擁立された幼い藤原頼経の後見となって幕府の事実上の実権を握り、俗に尼将軍と称された。

 なお、「政子」の名は健保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それ以前は何という名であったかは不明。

画像 005.jpg

 政子は伊豆国の豪族北条時政の長女として生まれた。伊豆の在庁官人であった父時政は、平治の乱で敗れ伊豆に流されていた源頼朝の監視役であったが、時政が大番役のため在京中で留守の間に政子は頼朝と恋仲になってしまう。

 この頃の政子と頼朝に関する史料はないが、「曾我物語」によると二人の馴れ初めとして「夢買い」の話がある。政子の妹(後に頼朝の弟・阿野全成の妻となる阿波局)が日月を掌につかむ奇妙な夢を見た。妹がその夢について政子に話すと、政子はそれは禍をもたらす夢であるので、自分に売るように勧めた。不吉な夢を売ると禍が転嫁するという考え方があった。妹は政子に夢を売り、政子は代に小袖を与えた。政子は吉夢と知って妹の夢を買ったのである。吉夢の通りに政子は後に天下を治める頼朝と結ばれた、とある。

画像 021.jpg

 治承元年(1177年)、頼朝と政子の関係を知った時政は平氏一門への聞こえを恐れ、政子を伊豆目代の山木兼隆と結婚させようとした。山木兼隆は元は流人だったが、平氏の一族であり、平氏政権の成立とともに目代となり伊豆での平氏の代官となっていた。政子は山木の邸へ輿入れさせられようとするが、屋敷を抜け出した政子は山を一つ越え、頼朝の元へ走ったという。二人は伊豆山権現(伊豆山神社)に匿われた。政子が21歳のときである。伊豆山は僧兵の力が強く目代の山木も手を出せなかったという。

 この時のことについて、後年、源義経の愛妾の静御前が頼朝の怒りを受けたときに、頼朝を宥めるべく政子が語った言葉で「暗夜をさ迷い、雨をしのいで貴方の所にまいりました」と述べている。政子は、まもなく長女・大姫を出産する。時政も2人の結婚を認め、北条氏は頼朝の重要な後援者となる。

画像 019.jpg






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.09.30 08:15:21 コメント(4) | コメントを書く
[歴史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: