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もっちん4476さんComments
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1.武田親族衆
信玄の兄弟・親族らが中心、「甲斐国志」には「国主の兄弟から出て一家を立てた」者とされる。このため一条家など、別姓もありえる。また、木曽氏のような婚姻関係の結果親族衆に含まれる場合も含まれる。
2.譜代家臣団
基本的には甲斐一国当時から武田家に仕えていた家を中心とした家臣団。ただし、春日虎綱(高坂昌信)のように武田信玄の代に侍大将に抜擢された家なども含まれるため、代々仕えていたと言う点が基準となるわけではない。逆に甲州に領地を持っていながら譜代と扱われていない例もある。
3.外様家臣団
同時代には外様と言う表現は使われていないが、現代では便宜的にこのように言われる。1及び2に含まれない家臣団。当時は諏訪衆・上野衆と言った地域名、あるいは真田衆と言った領主名で呼ばれていた。武田海軍である海賊衆もここに含まれる。
4.その他(地域武士団)
武川衆のように甲斐国内に存在した集団でありながら、親族とも譜代とも判別し辛いのみならず、武田氏に服属していたのか同盟関係に近かったのかの判断が困難なグループがある。多くは中世の本家分家的な関係を基礎としており、一定地域での独自色の強い集団であった。これらの集団と武田氏との関係の研究は現在も続けられている。

現代ではこのように分けられる例が多い。しかし、「壬午起請文」では譜代家臣団の中に入るべき人物が「武田親族衆」とされている部分もある。これらについて服部治則は「非血縁分家」と言う表現で武田家との関係の深度によるものではないかとしている。
職制は行政面と軍政面で分けられる。行政面では「職」と呼ばれる役職を頂点にした機関が存在した。ただし、武田氏は中央集権的な制度はなかったため、在地領主(いわゆる国人)の領地に対しては直接指示を下せるわけではなかった。特に穴山・小山田両氏の領地は国人領主と言えるほどの独自性を維持している。信玄の初期は国人による集団指導体制の議長的な役割が強く、知行制による家臣団が確立されているのは治世も後半の事である。
構造的には原則として以下のようになっていたとされる。ただし、任命されていた人物の 名が記されていない場合もあり、完全なシステムとしてこのように運営されていたわけではないようである。また、領地の拡大や知行制の浸透に伴い、これらの制度も変遷を行った様子が伺える。

・行政
・職・・・行政面での最高責任者。二人任命されていたので両職とも呼ばれる。
・公事奉行・・・公事と訴訟を担当する。ただし、この公事奉行が全ての裁判を審議したわけではなく、下部で収まらなかった訴訟を審議した。
・勘定奉行・・・財政担当官。
・蔵前衆・・・地方代官。同時に御料所と呼ばれる武田氏直轄地の管理を行った。
・侍大将・・・出陣・警護の任務に当たる。
・足軽隊将・・・検使として侍隊将の補佐を勤める旗本隊将と、領地境界の番手警備を行う加勢隊将に別れる。
・浪人頭・・・諸国からの浪人を統率する。
