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もっちん4476さんComments
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暗殺される日の朝、福島県令山吉盛典に対し、「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後身に譲り、発展を待つ時期だ。」と将来の構想を語ったという(「済世遺言」)。
大久保は、西南戦争で西郷と薩摩を征伐した張本人として、西郷贔屓の鹿児島では嫌われ、近年まで地元への納骨すら避けられていた。現在、鹿児島市には大久保の銅像があるが、これは西南戦争百周年に際して東京から「なぜ鹿児島に大久保の銅像がないのか」と言われて、渋々作ったとされる説がある。
・雅号:甲東
・座右の銘:「為政清明」、「堅忍不抜」
・身長:178cm、体重:65kg。血液型はO型。

安政4年(1857年)に薩摩藩士早崎七郎右衛門の次女・満寿子と結婚。満寿子との間にには、長男大久保利和(貴族院議員)・次男牧野伸顕(内大臣)・三男大久保利武(大阪府知事)・五男石原雄熊・長女芳子が生まれた。芳子は後の外務大臣伊集院彦吉に嫁いだ。大久保には妻の外におゆう(杉浦勇)という愛妾が居り、おゆうとの間に四男大久保俊夫(海軍少尉)・六男大久保駿熊・七男大久保七熊(農学者)・八男大久保利賢(横浜正金銀行頭取)を儲けた。
孫の大久保利謙は日本近代史家で東大名誉教授。もう一人の孫大久保利春は丸紅専務で、ロッキード事件に際しては贈賄側の一人として逮捕・起訴され有罪判決を受けた。「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。
曾孫に吉田健一(作家)、大久保利晃(放射線影響研究所理事長、前産業医科大学長)、玄孫に寛仁親王妃信子、牧野力(通産事務次官)、麻生太郎(内閣総理大臣)、武見敬三(元参議院議員)。

大久保氏
明確ではないが藤原氏末流を称している。家紋は三つ藤巴。戦国時代末に京都から薩摩に移るというが、系図は貞享年間に市来郷川上に中宿(城下に籍を残したまま他郷へ移住すること)した仲兵衛より始まる。
官位及び栄典の履歴
・明治元年閏4月21日(1868年6月11日):従四位(辞退)
・明治2年6月2日(1869年7月10日):従三位、永世賞典禄1,800石
・明治10年(1877年)11月2日:勲一等旭日大授章
・明治11年(1878年)5月15日:贈正二位右大臣
・明治17年(1884年)7月7日:継嗣利和が侯爵に叙爵される。
・明治34年(1901年)5月22日:贈従一位
