行政書士徒然日記

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総徳 @ 謹賀新年 明けましておめでとうございます まだ…
総徳 @ え! 大丈夫? なんだ、なんだ! 緊急入院ですか! …
Mrs. Linda @ Re:病気入院(11/16) 暫く更新がないのでどうなさっているのか…

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タケル0127

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2009.03.31
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カテゴリ: 歴史

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地方の物部氏

 また、下総国匝瑳郡に本拠を持つ物部匝瑳連の祖先伝承に、布都久留の子で木蓮子のの弟の物部小事が坂東に進出したというものがある。これについては常陸国信太郎との関連を指摘する説があり、香取神宮と物部氏の関連も指摘されている。

 古代尾張の東部に物部氏の集落があり、現在は物部神社と、武器庫であったと伝えられる高牟神社が残っている。石見国の一の宮「物部神社」(島根県大田市)は、部民設置説以外に出雲勢力に対する鎮めとして創建されたとする説もあり、社家の金子家は「石見国造」と呼ばれ、この地の物部氏の長とされた。戦前は社家華族として男爵に列している。

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 物部守屋(生年不詳-用明天皇2年(587年)7月)は飛鳥時代の大連(有力豪族)で、物部尾輿の子。母は弓削氏の女阿佐姫。

 物部氏は有力な軍事氏族である。物部氏は日本に伝来した仏教に対しては強硬な排仏派で、祟仏派の蘇我氏と対立した。

 敏達天皇元年(572年)、敏達天皇の即位に伴い、守屋は大連に任じられた。

 敏達天皇14年(585年)、病になった大臣・蘇我馬子は敏達天皇に奏上して仏法を信奉する許可を求めた。天皇はこれを許可したが、この頃から疫病が流行しだした。物部守屋と中臣勝海(中臣氏は神祇を祀る氏族)は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたと奏上し、これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を海に投げ込ませ、馬子や司馬達等(しばたのたちと)ら仏法信者を面罵した上で、達等の娘善信尼、およびその弟子の恵善尼・禅蔵尼ら3人の尼を捕えて、衣をはぎとって全裸にして、海石榴市(つばいち、奈良県桜井市)の駅舎へ連行し、群衆の面前で鞭打った。

 疫病は更にはげしくなり、天皇も病に伏した。馬子は自らの病が癒えず、再び仏法の許可を奏上した。天皇は馬子に限り許した。馬子は三尼を崇拝し、寺を営んだ。

 ほどなくして、天皇は崩御した。殯宮で葬儀が行われ、馬子は佩刀して誄言(しのびごと)を奉った。守屋は「猟箭がつきたった雀鳥のようだ」と笑った。守屋が身を震わせて誄言を奉ると、馬子は「鈴をつければよく鳴るであろう」と笑った。

 敏達天皇の次には馬子の推す用明天皇(欽明天皇の子、母は馬子の妹)が即位した。守屋は敏達天皇の異母弟・穴穂部皇子と結んだ。

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 用明天皇元年(586年)、穴穂部皇子は炊屋姫(敏達天皇の后)を犯そうと欲して殯宮に押し入ろうとしたが、三輪逆(みわのさかう)に阻まれた。怨んだ穴穂部皇子は守屋に命じて三輪逆を殺させた。馬子は「天下の乱は遠からず来るであろう」と嘆いた。守屋は「汝のような小臣の知る事にあらず」と答えた。

 用明天皇2年4月2日(587年)、用明天皇は病になり、三宝(仏法)を信奉したいと欲し、群臣に議するよう詔した。守屋と中臣勝海は「国神に背いて他神を敬うなど、聞いたことがない」と反対した。馬子は「詔を奉ずるべき」とし、穴穂部皇子に豊国法師をつれて来させた。守屋は睨みつけて大いに怒った。史(書記)の毛屎が守屋に群臣たちが守屋の帰路を断とうとしていると告げた。守屋は朝廷を去り、別業のある阿都(河内国)へ退き、味方を募った。

 排仏派の中臣勝海は彦人皇子と竹田皇子(馬子派の皇子)の像を作り呪詛した。しかし、やがて彦人皇子の邸へ行き帰服を誓った(自派に形勢不利と考えたとも、彦人皇子と馬子の関係が上手くいっておらず彦人皇子を擁した自派政権の確立を策したとも言われている)が、その帰路、舎人迹見赤壽が中臣勝海を斬った。

 守屋は物部八坂、大市造小坂、漆部造兄を馬子のもとへ遣わし「群臣が我を殺そうと謀っているので、阿都へ退いた」と伝えた。

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Last updated  2009.03.31 06:51:36 コメント(4) | コメントを書く
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