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もっちん4476さんComments
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空海は、平安時代初期の僧。「弘法大師」の名(諡号、醍醐天皇、921年贈)で知られる、真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお、まなとも)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)とともに、旧来のいわゆる奈良仏教から新しい平安仏教が転換していく流れの劈頭に位置し、中国から真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。
宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきの あたいたぎみ)、母は阿刀氏、幼名は真魚。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、正確な誕生日は不明である。
延暦18年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅である阿刀大足について論語、孝教、史伝、文章等を学んだ。
延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明教道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書等を学んだと伝えられる。

延暦12年(793年)、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったという。御蔵洞(高知県室戸市)で修行をしている時、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたといわれている。その間、空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある(「聾瞽指帰(ろうごしいき)」を著して俗世の教えが真実でないことを示した。この時期より入唐までの空海の足取りは資料が少なく断片的で不明な点が多い。しかし吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山林修行を重ねると共に、幅広く仏教思想を学んだことは想像に難くない。「大日経」を初めとする密教教典に出会ったのもこの頃と考えられている。さらに中国語や梵字・悉曇などにも手を伸ばした形跡もある。
ところでこの時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かったことはよく知られるところである。「三教指帰」の序文には、空海が阿波の大瀧岳や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたこと、明星が来影するという形で行が成就したこと、が記されている。求聞持法を空海に伝えた一紗門とは、旧来の通説では勤操とされていたが、現在では大安寺の戒名明ではないかと云われている。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した「釈摩訶衍論」の請来者である。
