行政書士徒然日記

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kotona♪ @ あけましておめでとうございます タケルさん、早く良くなってくださいね♪ …
総徳 @ 謹賀新年 明けましておめでとうございます まだ…
総徳 @ え! 大丈夫? なんだ、なんだ! 緊急入院ですか! …
Mrs. Linda @ Re:病気入院(11/16) 暫く更新がないのでどうなさっているのか…

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タケル0127

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2009.07.17
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カテゴリ: 歴史

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 聖徳太子にまつわる伝説

 豊聡耳

 ある時、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上がった、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。この故事に因み、これ以降皇子は豊聡耳とも呼ばれるようになった。しかし実際には、10人が太子に順番に相談し、そして10人全ての話を聞いた後にそれぞれに的確な助言を残した、つまり記憶力が優れていた、という説が有力である。

 「上宮聖徳法王帝説」、「聖徳太子伝暦」では8人であり、それゆえ厩戸豊聡八耳皇子と呼ばれるとしている。「日本書紀」と「日本現報善悪霊異記」では10人である。また「聖徳太子伝暦」には11歳の時に子供36人の話を同時に聞き取れたと記されている。

 一方「豊かな耳を持つ」=「人の話を聞き分けて理解することに優れている」=「頭がよい」という意味で豊聡耳という名が付けられてから上記の逸話が後付けされたとする説もある。

 なお一説には、豊臣秀吉の本姓である「豊臣」はこの「豊聡耳」から付けられたと言われる。

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 兼知未然

 「日本書紀」には「兼知未然(兼ねて未然を知ろしめす、兼ねて未だ然らざるを知らしめす)」とある。この記述は後世に「未来記(日本国未来記、聖徳太子による予言)」の存在が噂される一因となった。「平家物語」巻第八に「聖徳太子未来記にも、けふのことこそゆかしけれ」とある。また、「太平記」巻六「正成天王寺の未来記披見の事」には楠木正成が未来記を実見し、後醍醐天皇の復帰とその親政を読み取る様が記されている。これらの記述からも未来記の名が当時良く知られていたことがうかがわれる。しかし、過去に未来記が実在した証拠が無く、物語中の架空の書か風聞の域を出ないものと言われている。江戸時代に、人心を惑わす偽書であるとして幕府により禁書とされ、編纂者の潮音らが処罰された「先代旧事本紀大成経」にある「未然本記」も未来記を模したものとみることができる。

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 四天王寺

 蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、蘇我氏側である聖徳太子は戦いに勝利すれば、寺院を建てると四天王に誓願を立てた。見事勝利したので、摂津国難波に日本最古の官寺として四天王寺(大坂市天王寺区)を建てた。

 南嶽慧思の生まれ変り

 「南嶽慧思後身説(慧思禅師後身説)」と呼ばれる説。聖徳太子は天台宗開祖の天台智義の師の南嶽慧思の生まれ変わりであるとする。「四天王寺障子伝(=「七代記)」、「上宮皇太子菩薩伝」、「聖徳太子伝暦」などに記述がある。

 中国でも、「南嶽慧思後身説」は知られており鑑真渡日の動機となったとする説もある。

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Last updated  2009.07.17 12:20:13 コメント(2) | コメントを書く
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