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2005年06月12日
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今日はのんびり浅草にいってました。

ということで、昨日の続きです。
1578年脳出血で倒れた上杉謙信公がなくなる前に元直江実綱の妻であり(とある事件にまきこまれご主人は殺されてしまってます、ご主人は元家老)景勝公の子3代目定勝公の乳母であるお船の方が、謙信公の遺言として景勝公へ相続するように言われた旨を公表し、景勝公を有利に導き、また、景勝公の母であり長尾政景の正室にして謙信公の姉である仙洞院は、景勝公の第一の家来である樋口与六(このあと、直江実綱の未亡人へ婿入りし、直江兼続となる)に家中の取りまとめを依頼し、樋口与六はその期待に答え、上杉家である直接の血筋である景勝公擁立を訴えたうえ、上杉謙信の莫大な遺産を家臣にくばり、また、ライバルである景虎公をバックアップする武田勝頼公に上野領の一部割譲と、黄金1万両、そして武田信玄の5女である菊姫と景勝公の婚姻をすすめ、ついに景虎公を自害に追い込み、武田勝頼と和睦することにも成功した。そのご、武田家が滅ぶと、高野山に亡命していた武田信玄6男の武田信清を上杉家に向かえ、重臣として用いた。
また、景勝公の命により樋口与六はお船の方と結婚、直江兼続として景勝公のために生涯働く。特に関が原の合戦の結果上杉家が減封されたあと米沢の開拓・整備に心を砕き、上杉家の存続に貢献した。しかし、直江兼続は子供をもうけるもみな早世しており、お船の方と話し合いの上、養子をとらず、米沢のためすべての領地を上杉家に返上し、直江家は断絶したそうです。
そして、春日山林泉寺には、菊姫の墓のほか、仙洞院、直江兼続とお船の方、武田信清のお墓があります。また、上杉鷹山公の側室お豊のかたのお墓もありました。
じっくりお参りしたあと、お庭へ、、、
ということで、本日も長くなっちゃったので、また明日^^;





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最終更新日  2005年06月13日 05時33分29秒
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