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大雪にも困りますが風邪で寝込んだ後のぎっくり腰にも困りました。家事と仕事に加えて認知症の義母の介護があるからです。(都会に住む娘の応援を頼もうか?) 社長に弱音を吐くと結婚して仕事もある娘に迷惑はかけられない。自分たちで頑張ろう...たとえ母親でも下の世話までできるの?そんな心配は無用でした社長は何でもしてくれました。ほぼ全快した今もずいぶん協力してくれます。(そんなこと当たり前)と言ってしまえばそれまでですが熟年になり舅、姑、の下の世話などできない、したくないと離婚する夫婦もあるようですが、夫からの何かあれば下の世話でもなんでもするから...その一言があれば離婚しないで済む夫婦は多いのではないかと思うのですが?年老いてゆく親の晩年をどんなにつらくても子として見届ける義務のようなものを感じる今日この頃です。私も嫁ですから義母の愚痴や悪口も、たまには吐き出しますが社長の孝行のお手伝いをしているのだと思えば気は楽です。
2012年02月05日
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社長が(軽トラックの中で100円玉を落としてノウそれで探していたら、以前なくしてとうとう見つからなかった水協の帽子が座席の下から出てきてノウこんなところにおったのか!かわいそうにノウ)と言うそこまではふむふむと聞いていたが洗濯をして欲しいと言うので呆れた。え~っ!新しい帽子があるのに!見つけた帽子は社長の汗や汚れなどで小汚いことこの上ない。一度も洗濯などしたことない。洗濯しても無駄だと思い(諦めて15日の“どんど焼き”でお焚き上げでもすれば)と進言したが(そんなこと言わず頼むしノウ大事な帽子だ。洗濯してくれっチャ)と泣き付かれてしまった。なぜそんなに執着するのか、よくよく尋ねると(今の帽子は大きすぎる。あの帽子は自分の頭にぴったりのだ)と(頭が小さいのに見栄を張って大きいのを買うからだ)と一くさり言うだけ言ってしぶしぶ洗濯をしたが、社長同様、頑固な帽子の汚れも思うように落ちない聞けば(結婚前から愛用しているようだ)と言うあ~30年近くも愛用しているのか…(T_T)そんな社長のお宝の帽子でもお宝鑑定団にでも出したらブーイングの嵐で“そんな物見せるなら金を出せ”と言われるに違いない"^_^"
2011年01月13日
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昨日大阪で田中奈浦子さんとの試合があった。前日の土曜に娘にメールを送るとまもなく電話がかかった。計量はパスしたから大丈夫。田中さんはとても感じの良い方だったと。そのことを社長に告げると「俺はのー、試合は勝っても負けてもどっちでもいいワ。お互い怪我さえしなければノウ…」私もまったく同じ気持です。試合のたびにいつも同じことをお互い思っています。応援にはいけませんでしたが兄弟と娘の友人が応援に行ってくれました。その夜は関西に住む次男のアパートに皆で泊まることに。看護婦をしている友人が付き添ってくれるのでとてもありがたいです。幸い3-0の判定で娘は勝利しましたが、ともかくお互い怪我がないのがなによりです。娘は弟のアパートに行くのは初めてです。今晩、弟の生活ぶりとか試合のこととかいろいろ聞いてみようかな。娘と長男、次男三者三様の意見が聞けたら面白いな…
2010年05月17日
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何かと面白い話題を提供してくれる次男。2月の春休みの時ことだが、忘れないうちに思い出しながらUPしてみよう。先生と約束があつたので学校へ行こうとアパートの自転車置き場へ行った時、自転車がなくなっていたので慌てたと言う。最近、自転車の鍵の部分が錆びてきて、鍵をはずしたりするのができにくい、早く対処すれば良いものをそのままにしておいたのがまずかったようだ。無論名前はフルネームでしっかり書いてあるし、盗難予防の為の登録もしてある。管理人さんに相談したが、(警察に届けてもなかなか動いてくれそうもないし、恐らくどこかに乗り捨ててなかなか見つからないだろう…)それで困って電話をかけてきた。(自分が一番悪いのは重々承知している。だが自転車がなくては生活に困る。かといって新品の自転車を買うには一万円はかかる。僕には大金だ)と仕方ないので(自転車の代金は出すから購入するように)と言う急ぎ自転車を購入し学校へ行って驚いた。春休みなので自転車置き場はまばら。?見たことがあるような…自分の名が書いた自転車がある。しかも鍵はご丁寧に抜いてある。(とんでもないやつがいる。信じられない!)次男はかくかくしかじか…事務局へ行き相談した。事務局でもこのような相談は初めて対処に困り(ともかく自転車の見張りをして自転車泥棒を連れてくるように)とのことエーっ!怖い!どなたか一緒に見張りをお願いできませんか?し~ん…だれも返事がない仕方がないので一人で見張りをすることに退屈なので電話をかけてきたどのくらい相手をしたことか…寒くてやってられない。校舎の中から見張ることにしたがそれでも寒い!しかもヤンキーみたいなやつだったらどうしよう…自分は身体も小さいし、弱いし、喧嘩になったら負けるのは分かりきっている。大切な身体を傷つけるのはいやだ!まつたく迷惑なやつだ…ぶつぶつ人が自転車に近づく度にいちいち報告が入る。怖かったのだろう。見張りすること数時間夕方になりまた電話が入る。(寒いし、時間がもったいない!ばかばかしくなってきた!やりたいことがいっぱいあるのに、こんなことで時間を潰すのはもったいない!もうあきらめた!2台の自転車は必要ないし、名前が書いてあるので知らん顔できない、自転車を欲しがっていた連れがいるからそいつにくれてやることにする)と数分後次男からの電話が、あ”~犯人が分かった。連れで学校のどこかにいるとのこと、いつもは自転車を借りる時、声をかけるのに今日は声をかけなかったのだとかしかも、鍵がそのままなので、たまに無断で借りていたのだとか(知らぬは次男ばかりなりと…)友人は(申し訳ない、代金は弁償するから)と事務局へ行きまたしてもかくかくしかじか…説明すると大爆笑の渦に…(メッチャ恥ずかしい。散々自転車泥棒の悪口を言ったんだよ…)夜友人と食事をしてホッとしたようだ。犯人が友人で(*^_^*)※結局友人にとっても新品の自転車の代金は大金なので、古い自転車を5千円で買い取ることになったそうです。
2010年04月29日
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きれい好きな次男だが昨年の暮れあたりから(ごきぶりがでる)とこぼす様になった。忙しいのと、我が家ではごきぶりがでなくなったこともあり、その都度餌がなければごきぶりはでないもっときれいにして気をつければよい雪が降っているから作れない今作るとしもやけが悪化する…などと昨今の大物政治家のように、その都度のらりくらりと適当な言い訳を考えては次男の要望を適当にあしらってきたが、もう限界観念して作ることになった。4月に入りまもなく次男が(部屋の近くの住人が引っ越しをするらしく片づけをしている。ドアが開いているので何気にのぞくとメッチャ汚い。ここがゴキブリの巣窟に違いない)と言ってきたなるほど、その部屋のゴキブリが気分転換を兼ねて時々次男の部屋へやってくるのか…住人がいなくなれば、その部屋のゴキブリ達が大挙して次男の部屋へ押しかけてくるかもそうなれば大変。早く団子を送れと言う訳だ。ところがいざ送ろうかとなったら(出来立てのほやほやの団子は間違えて食べると大変だし、急がなくて良いから十分乾燥して、荷物を送るついでの時よい、それから団子は2個あれば十分。余分に送らなくて良いから)と言うので困った大量のできた団子を何とかしようと娘に電話した。娘が前のアパートに越した時、その前の住人が余程の無精者だったらしく(ゴキブリの大群に襲われて殺される!)と言ったかどうかは定かではないが可愛い娘のために急ぎごきぶり団子を作り、事なきを得た経緯がある。ところが娘は(今はもうゴキブリはでないからいらない)と言うでは長男はどうか?前に長男の家に泊まった時大物のゴキブリが我が物顔で徘徊していて卒倒しそうになったことがある。ところが長男曰く(団子はいらない!)(ゴキブリなど大した悪さをする訳ではないし、ほっとけばよい)(第一いやなら手で叩き潰せば済むことだ)とさすが長男たくましい!(^^)!同じ兄弟でも随分違う、二人とも確かに私が産んだに違いないのに…(*^_^*)さて残った団子をどうするか必要ないが一応今後の用心のためにそこら辺に適当にばら撒けば、義母が誤って食べる可能性がある庭には亀がいるし…困ったノウさしずめ社長なら(ありがてのう、なんもかんもありがてぇノウ)ポンポンと両手を叩いてハイおしまいとなるだろうナ私どうしたらいいの…(T_T)
2010年04月27日
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次男が友人から(君の親は随分厳しいのだろうね)と言われるそうである。無論(そんなことはない!)と否定するそうだがなかなか信じてもらえないそうである。次男によると友人がそのように思う根拠に心当たりがあるという。次男は脱いだ履物をきちんと揃えるが、友人の家に行った時でも、友人が多く集う時など気がつけば彼らの靴もきちんと揃えるのだとか。次男は3人兄弟のなかでもきれい好きなので部屋の掃除もマメにやるようだ。友人から部屋がきれいだと感心されることもよくあるそうだ。週に一度は冷蔵庫を動かして、冷蔵庫の下の拭き掃除もするとか言っていた。うへ~私もそこまでしないよぉ~誰かが訪ねて来る時に慌てて念入りに掃除をするくらいの適当さだし。私などは次男の爪の垢でも煎じて飲まないといかん!特にそのように教育した覚えはないので、社長に何か心当たりはないか?と聞いてみた。(ふ~む…そう言えば履物を揃えると悪いことは起きないと言ったことがある)となるほど、たぶんそれだと私たちは納得した。強く言い聞かせるより、言葉のちょっとした工夫で身につくことがあるのですね。娘よおまえも今日のブログを読んで弟を手本にしておくれ(T_T)
2010年04月24日
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今日念願の朱鷺を見ました。好天に恵まれて、愛車を洗浄し丁寧にワックスをかけいざ出発!出かけたのは2時半過ぎ3時半近く、田で餌を啄ばむ姿がどうも鷺と違う安物の双眼鏡でもしっかり確認できましたよ。頭が赤く、首から背の半分くらいまで灰色の羽色でした。やはり鷺とは随分違い少しふっくらしている。忙しそうに夢中で餌を食べていました。あんなに夢中で食べていて、テンなどの動物が近づいたらどうする!と心配するくらいに。それに比べると鷺などは一、二度餌を食べたと思うとボーっとして物思いにふけっているような、いかにも細い身体で(細くて貧相だと言ったら社長に、その言い方かわいそう!と言われたのでちょっと訂正)哀愁を帯びているような姿に思えてしまう。そのように思うのは私だけで、鷺なりにあたりを警戒しているのかも?朱鷺のお陰で佐渡の鳥類は餌には困らないだろうなどと余計なことを考えてしまった。ともかく念願の朱鷺を見つけて嬉しい1日でした。次回は大空を舞う美しい朱鷺と出会えたらいいな。
2010年04月04日
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今では佐渡と言えば朱鷺というくらい有名になったので、一目みようと時々朱鷺を求めてドライブをする。社長は数回「朱鷺らしき鳥が空を飛ぶのを見たことがある」と嬉しそうに話すのだが私に至っては皆無。ある時、社長とドライブをしていて社長が(あ!朱鷺だ!)と叫ぶのでその方角に車を走らせた。運よく近くの畑に舞い降りたので観察すると白鷺だったりする。思わず(なーんだ鷺か!・・・)と私がつぶやけば(そんなこと言って鷺に悪いよ。きれいな鳥じゃないか。都会では見られないよ。これがホントのサギでした)などと訳の解らない事をいって慰めてくれる。そんなことがあって先日ついに双眼鏡を買った。とりあえず安くて使いやすいものを買い、さっそく社長と嬉しがって観察をする。今日の夕方買い物をするついでにドライブをしていると雄の雉を2羽見つけた。雄の雉はきれいなのですぐに分かる。行きと帰りに2度も見かけて少しうれしくなった。その直後3羽の白い鳥が空を飛ぶのを見たので急ぎ双眼鏡を取り出し観察するが遠過ぎてよく分からない。(しまった!安物など買ったばかりに…)それでも少し朱色がかった色を感じたので私は朱鷺だと確信する。白鷺ならば3羽の群れで飛ぶことはあまりないように思うから。それと飛ぶ方向が朱鷺がねぐらにしている山の方だったから。案の定ねぐら近くへ行くと観察員らしい方が二人、何やら話しながら観察をしていた。しかも見るからに立派な双眼鏡。私はもう少し高くても良いから感度の良い双眼鏡が欲しくなった。朱鷺のお陰で佐渡では双眼鏡を買う人が増えたのではないか…そのように思いつつ、今度こそしっかり空を舞う朱鷺を見たく思います。
2010年04月03日
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彼岸の入りの18日はおじいちゃんの命日だった。最近従業員のKさんの体調が悪く、少人数で仕事をする我が家も忙しかった。お墓参りも、命日らしいことも何もできなかったので、昨日お墓参りに行きおじいちゃんの好きな牡丹餅を作りお供えした。昨日はおばあちゃんが2週間のショートステイから帰宅予定だったので臨時休業にした。夜、社長は今月上旬築地市場の研修旅行にいつた慰労会が寿司屋で行われる為お土産にお寿司を買ってくるから夜は二人で寿司が好きだつた親父の供養をしよう…夕食は軽めにするように…約束する…2次会は絶対いかないから…牡丹餅はおばあちゃんも大好きで、夕食の時(美味しい、美味しい)と何度も言って牡丹餅5個も平らげた。9時前に約束どおり社長が帰宅。本当に2次会行かないのか?と言われたが「今日は愛妻に御寿司を持ち帰るのが私の使命です!」ときっぱり断ったんだと(笑)そう言われると悪友?達は何も言えなかったと二人で御寿司を食べた後社長も牡丹餅を食べたいと言い出した。「美味しい!おふくろが5個食べたのも納得する…」こんなに喜ばれるなら、明日のお中日にも牡丹餅を作ろうかな…
2010年03月20日
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昨日娘の試合が後楽園ホールでありました。対戦相手の上田千穂さんは博多協栄所属で以前福岡で試合をした相手。結果はドロー。お互い持てる力を出し切った試合だったと思います。デザイン系の大学に通う次男が春休みになり、スランプの為、気分転換を兼ねて帰省していたので皆で応援に行きました。次男は初めての姉ちゃんの試合にすごい!姉ちゃんは頑張っている!自分のやりたいことをきちんとやっている!と素直に感激と尊敬の気持を話してくれていました。昨日は娘の勧めもあり東京に住む長男もいっしょに娘のアパートで泊まることに。兄弟3人が集うのは数年ぶりのことです。長男と次男は漫画家を目指しているので再会した時からずーっと絵の話しに花が咲いていました。食事中もそれに娘が加わり和気藹々と楽しいひとときでした。主人と私は最終の新幹線で帰宅。朝一のカーフェリーで我が家に。今日は次男の希望で映画を観るとか。家でのこと次男が帰省中は以前と変らないおしゃべりがありました。話し出すと止まらないのに(自分は無口だ)と(笑)。早めの誕生会で私たちに感謝の言葉を語ってくれたこと。誕生会に食べたいものは?と尋ねた時(白粥とお母さんのコロッケが食べたい)…白粥に卵をかけて食べるのが夢だったと…主人も私も今度の誕生会は一生忘れないでしょう(*^_^*)
2010年03月13日
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娘は負けてしまいましたが良く戦ったと思います。勝負の世界ですから仕方のないことです。相手の柴田さんは娘より背も高く、アマチュアチャンピオンの経歴もあり世界ランカーです。結果は残念ですが母として娘の頑張る姿を見れたことは幸せです。ダメージもさはどではないようなのでほっとしています。応援してくださった方々に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
2009年11月14日
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明日後楽園ホールで野口智代の試合があります。相手は柴田直子さん。アマチュア時代のチャンピオンでもあり、世界ランカーでとても強いそうです。娘はまだまだ実績がないのに心配ですがともかく怪我が無い様祈るだけです。今回初めて応援に行くことにしました。おばあちゃんは介護施設で見てもらうことにしました。おばあちゃんにとってもお泊りは初体験です。しっかり娘の試合を見てきます。いつもコメントくださる方、応援してくださる方皆さんどうもありがとう。心からお礼申し上げます。
2009年11月11日
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8日の福岡でのボクシングの試合は2-1の判定で負けてしまいました。娘は負けた気がしないと残念そうでしたが、一応敵地ですのでがんばったと思います。試合後相手の方からいただいた花束をもつてにっこり笑っている写メールが届きました。元気そうですので安心しました。ビデオを撮ってもらつたので後日送るとのこと。楽しみです。
2009年06月10日
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早いもので日記を中断してから2年近くなったのね。気まぐれ日記とは私にぴったり!昨年次男が一浪して美術系の大学へ入学したので、我が家はますます平均年齢が上がってしまいました。娘は昨年5月、本格的に女子プロボクサーとしてデビューしました。プロですから名前を公表しますね。以前は郷岬(ごうみさき)のリングネームでしたが野口智代でリングに上がっています。今日は九電記念体育館で試合の予定です。東京から友人が3名とジムの会長が応援方々付き添ってくれるそうです。ありがたいことです。私は娘の試合は怖くて見れません。いつも自宅で応援です。娘のために応援する会もできました。地元の皆さんありがとうございます。私はいつも娘の無事を確認してからビデオを見ます。長男は黒部の太陽の携帯コミックを描きました。仕事をもらえるのはとてもうれしいです。本人共々感謝しています。
2009年06月08日
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昨日、従業員のKさんからバケツいっぱいのトビウオをいただいた。すぐにご近所に配り、残りは昼食にお刺身で食べ、夕食はから揚げにと重宝した。夕食にトビウオのから揚げを食べている時、義母の「これなあに?」が始まった。社長は「来たぞ!来た!来た!」と言うとすかさず「これはトビウオだよ。美味しいだろ?Kさんからもらったよ」と説明する。ものの数秒もすると義母はしげしげとから揚げを眺め、ひっくり返しては「これなあに?何の魚?」と訊いて来る。社長は「トビ!トビ!トビ……」数秒もしないうちに、おばあちゃんの「これなあに?」が始まるのを察してか「トビ、トビトビ…」数秒しては「トビ、トビ…」を連呼して義母に質問の隙を与えない。たぶん社長は100回以上はトビ、トビ、トビ…と言ったのではないか思わず私は「やかましいのう!今夜の夢に、トビがうようよ出て、うなされるよ…」と口走ってしまつたがそれでもなお社長は「トビ、トビ、トビ…」と連呼する。「さあ、これだけ言えば覚えただろう。これはトビだよ」と止めをさす。義母は「そんなにトビ、トビと言って顎が疲れんか?」と呆れて言うが数秒もしないうちに「これなあに?何の魚?」と質問されて「やっぱり言うたか(~_~;)これはトビウオだよ…」とやれやれ夢にトビウオがでなくて良かったよ"^_^"
2007年07月07日
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2年くらい前になると思うが、雪が解けて春の気配を感じ始めた頃、ベランダの植木鉢に小さな芽が出てきた。どんな花が咲くのだろうか?私は洗濯物を干しに、あるいは取り込みに行くたび、その小さな芽が気になってたいそう大切に育てていた。それは、3月が過ぎ、4月も過ぎすくすくと元気に育ち、60センチくらいにまで成長した。ところが、待てど暮らせど花らしい花を咲かせる気配がまつたくない。不思議に思い始めた頃、工場の傍の草むらで同じ植物を見つけ、ただの葉っぱしかない雑草だったと分かりがっかりした。あ~せっかく楽しみに育てたのに…今では笑い話だが今年もまた同じようなことをしているのかもしれない。春からず~つとベランダのコンテナに居座り続ける植物がある。今回のは成長が遅かった。(前回の時とは違うぞ!)と思い、今でもそのまま育てているが、まだ花をつける気配が無い。先日のこと、出先から帰り、ふと隣の駐車場を見ると、似たような雑草があり、しばし呆然と眺めていた。(どうした?)と尋ねる社長に、かくかくしかじか…心配になってきた…観察を続ける私に後ろで、「かわいそう!またやったのか?」そう言いながらへらへらと笑う社長の顔が浮かんで悔しかった。今朝もその植物を見、隣の駐車場を覗き、(今度こそ…)と思うのだが、似ているのが気にかかる。
2007年06月30日
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義母は時々若い頃の記憶がでてくる。最近よくでてくるのは若い頃奉公していたお屋敷のご主人様の名前。「xxの旦那様はどうなさってる?」と。社長は「何十年と一緒に暮らしているがお袋が奉公していた旦那様の名前を初めて聞いた!」と感激していた。ただxxの旦那様がでる都度「ここは佐渡だよ」と懇切丁寧に教えるのだが「へ~佐渡?私、佐渡におるの?ここはどこ?…」まるで漫才でも聞いているような会話が飛び交う。いつぞやは義母の食事の片づけをしている私に「ま~奥様にそんなことをさせて申し訳アリマセン…」などと言われて、(嫁の私も奥様に昇格したか…)と可笑しかった。またある時は入浴中の社長のことを「ま~旦那様、元気がええノウ。85は過ぎとるのに…」と私は「そうだねえ…」相槌をうつ。お風呂から出た社長を見て「マア~この人は旦那様と違う。家のお父さんだが…」と気づく。万事がこのような具合である。義母の言うことを否定しないで、気づくのを待つ。義母の気に入らないことをしたら、「マア~申し訳ありませんでした」とすぐに言う。ともかく(ありがたい、ありがとう)の天国言葉?を使う。それが認知症の義母と上手く付き合う極意かな?と思う今日この頃であります。
2007年06月23日
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1週間後に来ると言っていたはずの長男が(これから帰る)と突然電話があった。え~っ!話が違う!(夕食はご飯と味噌汁があればいいから食べさせて…)だと!それはまあいいが、あさってには帰るから一応なんとか正月らしきものは食べさせんと!ご飯は1人前あるし、急ぎ彼の好きな豆腐とワカメの味噌汁と、昆布巻き、黒豆の煮物、酢の物、いかとんびの焼き物などあり合わせのものを用意した。それでも社長はお寿司を食べさせたいのだと…まったくご長男様にやさしいね"^_^"今夜10時に佐渡汽船到着の予定。夕食と言うより夜食。さあ今夜は忙しい!
2007年01月10日
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長男は煮しめが大好き。それで、いつも年の瀬には煮しめをどっさり作りこんで、長男の帰省に備えていた。今回は(お正月には帰れない)と知りつつ、ひょっとして?との思いからいつもよりは 少なめにしたつもりだが…やはり帰れないとあきらめて、正月早々長男に煮しめと餅などを送った。ところが少なめに作ったつもりの煮しめがなかなか終わらない。3日前にようやく食べ終えた。と言うことは、何日煮しめが食卓に上ったことか…ゲンナリ…長男がいる時には、彼は夕食に食べ、お風呂上りにも煮しめを食べていた。あらよあらよ…と言う間に煮しめは無くなったものだが…さしずめ長男に「お前のお品書きは何か?」と訪ねればおそらく「母上様の煮しめかな?…」と答えてくれるに違いないと勝手に思い込んでいる。笑その長男、“来週帰省するから”と言うてくれるのはありがたいのだが、当分の間は煮しめはごめんこうむりたい。
2007年01月09日
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師走の忙しい時は、“亭主元気で留守がいい”と似た感情で、長男も長女も(忙しいからお正月は帰省できない)と言われ、(しめた!お正月はのんびりできる)と内心喜んだが…大晦日から今日まで、どうも張り合いがない。本当に忙しいのか?と長男に電話をすれば、(今、仕事中、年末年始休む人が多いので、自分が代わって仕事に出ているのだ)と……そうか家族と過ごすため休暇をとった人のために役に立っているのだと、喜んでやろう…娘は?と言えばボクシングの練習メニューをこなさんといけないとかで…そうか一応プロなんだし、がんばらんとね…次男は何度も兄ちゃん、姉ちゃんに電話していた。(お正月過ぎたら来れる?)と。今夜も電話するとか言っていた。 年末に訪れた取引先が、「ホームページを開いているが迷惑メールには困る」という話をしていた。毎日50件くらいは来ると言う。その中には注文のメールもあるので、一括して削除する訳にもいかないとか。私はホームページを開こうと、パソコン教室に通っているが、その話を聞いてゲンナリしてしまった。1件の迷惑メールでさえゲンナリする方なので毎日たくさんの迷惑メールが来るとなるとその削除に費やす時間、と精神衛生の均衡を保つ気苦労など、真にもって耐え難しなり!やはり従来どおり、アナログ方式で行くしかないのか、それとも何か良い方法は無いか…お客様も自分も楽しめる方法を考えなくてはね。
2007年01月03日
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社長が高橋信次さんの“悪霊”1、2を買った。高橋さんの本はすでに何冊かあり、とても良いことが書いてあると、時々その内容を教えてくれる。社長読む人。私聞く人。今回の“悪霊”はついはまった。昨夜は夢中で読んで、気がつくと午前1時近く。この本は私も読む人。もう少しで終わる…突然次男がやってきて漫画の“ワンピース”の話を始める。彼の話は長い!実に長い!本人は手短に話している気だが、何しろストーリー、登場人物などを事細かに話し出すものだからたまらない。1時間などすぐに経つ。(お願い止めて!今は聞く耳もたん!悪霊読みたい!…)心で何度つぶやいたことか。時々(ねぇ、ちゃんと聞いてる?…)確認するのよね彼は…目は本を読み、耳はワンピースのストリーを聞き、口は相槌を打つ。私の首から上は忙しい。あ~~読んだ気がしない。「もう晩いし寝よう。話は次回に聞く。ワンピースもいいけど、“悪霊”もおもしろいし良いことが書いてあるから読むように…」と悪霊の1冊を渡して急ぎ布団に駆け込んだ。次男に悪いことしたかなぁ…(~_~;)
2006年11月06日
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帰宅して撮影した金北山午後小木港へ荷物を出しに行きました。3時過ぎ出発。久しぶりの小木港は随分静かだなと思いました。帰り西三川の夕日がとてもきれいなので感激。トップに掲載しました。帰宅は5時過ぎ。あたりはすっかり暗くなつていました。
2006年11月03日
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10月28日の日記で目養と書いてしまいましたが、黙養の誤りでした。社長から指摘されて、(恥ずかしいから28日の日記は削除するよう)言われましたが、コメントいただいた方に申し訳ありませんし、私の反省のために訂正させていただきます。社長談…確か安岡正篤さんの本にあったような…という訳でさっそく調べました。心気は同時に心臓の気である。活力である。思慮を少なくし安らかにすることが養心の秘訣である。必要も無いのにベラベラ喋舌ることはその人間を最も浅薄にする。黙養と言う言葉がある通り、神気を養うには、くだらぬお喋舌はせぬことだ…“安岡正篤一日一言”より確かに黙養でした。訂正します。ところで肝心の社長は黙養できたか?賑やかな叔母さんたちに囲まれて相槌ぐらい打たないと…長男も長女も無口なんだし、せっかく佐渡からきてるのに自分くらい喋らんと…てな具合で、あとはご想像におまかせします。(^<^)
2006年11月02日
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東京の親戚に不幸があり、今朝の船で、社長は通夜葬儀出席の為出かけた。昨夜から社長は(今回は私の実家の○○君を見習って目養で行く!)と盛んに言っている。私の甥のことを(寡黙で余計なおしゃべりをしない。それだけで徳を積んでいる)と泣きたくなるような褒め言葉だ。ついでに亡き母のことまで褒めてくれた。身内のことを良く言われるのは悪い気がしない。有難いことだ。(こう見えても昔はよく無口だといわれたものだが(実際は違う!)最近は他人を楽しませようとおしゃべりが過ぎる。だから今回は目養で行くのだ)と目養の意味を広辞苑で調べたが出ていない。社長の言葉を要約すると、おしゃべりは余計な気を出す。言葉を慎み、口数を少なくすることは徳を養い、身体を養うことにつながるのだと。なるほど、それで口の代わりに目で…と言うことか。納得しました。m(__)m目養は黙養の誤りです。訂正します
2006年10月28日
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15日に行われたいっき祭りで展示された絵のうちの1点です。20代の頃の油絵です。仏像の絵が好きなのでよく描いていましたが、今は畏れ多くて描けなくなりました。
2006年10月18日
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昨日は“いっき祭り”の日。“いっき祭り”とは北一輝と百姓一揆をかけ合わせてつけられた祭りの名で、できてから数年しか経ていない。どんな祭りかといえば、地域の商店会、有志が中心に炉辺焼き、地元の名物、特産品、加盟店の自慢の品、あるいは個人の趣味の作品、地域の歴史ある写真、文献などの展示もある楽しいイベント。勿論鬼太鼓も。今年は天候にも恵まれて、にぎやかでしたよ。私は近所に昔の家のつくりが残されている家があり、そこで抹茶を出すので手伝いを頼まれた。抹茶と小ぶりの茶饅頭1個がセットで200円。茶饅頭は町内のお菓子やさんがこの日のためにだけ作ったもの。その名も“いっき饅頭。琴の演奏などもあり、200個用意したお饅頭も完売。普段、抹茶や琴など縁のない方も気さくに来てくれて楽しんでもらった。私も縁のない一人なのだが、洗い物やお茶を運ぶ係り、時々は呼び込み?なども手伝った。絵も5点出して欲しいと頼まれたので、?十年前の作品も含めて提供した。残念なことに忙しくて、自分の絵の展示されている家に見に行くこともできなかった。小林正観さんは(頼まれごとは断ってはいけない。できるだけ引き受けなさい)と著書の中で言っている。なぜなら今できそうなことを頼むのであって、できそうもないことは頼まないのだから。頼まれたことを一生懸命こなしていくとやがて、その人が生まれた目的というか使命のようなものが見えてくると。字が下手だから、絵が下手だから断るというのは、謙虚ではなく、驕りだと...だから私は絵に自信がないとか、こんな絵で...などと思わず快く引き受けたのだが...社長から、(5点しかないのに○○○○の絵画展と表に書いてあった)と聞いて“しまった!それは勘弁して欲しかった(^_^;)”と思ったが後の祭りであった
2006年10月16日
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今日の市民運動会は雨なので小学校の体育館で行われた。内容がだいぶ簡略されたが、我が町内は人手不足で私のような運動音痴も借り出された。狭い会場に大勢の人で、昼食の時など、国会の牛歩戦術のようにのろのろと移動することに。私より年配の人が、聖火リレー(ペットボトルを逆さにして、バスケットボールを載せて走るのだけどほとんどの人は歩いてました)に出ていた。なぜ私に声がかからないのだろう?不思議に思っていたら、年齢制限で若い?私はパスされたようだ。あ~でもそれってひどいよ~(T_T) それに出ると言うことは歳がばれちゃうじゃないの!結局私の出番は玉入れだけだったけど、体育の日が変わってから雨が多いなあ。
2006年10月08日
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夢の中で、なぜか分からないけどM姉さんの耳掃除をしていた。片方を終え、もう片方の耳掃除をしようと見てみると、耳の中からはみ出すほど大きな耳垢が、しかもそれがたくあんのしっぽみたいで、「わーすごい!」驚いて、けたけた笑っていた。それがだんだん大きな笑い声となり、ついに夢の中で本当に声を出して笑っていた。傍にいた社長は、私が寝ているにもかかわらず、大声でけたけた笑っているものだからかなり驚いたようだ。「おいおいどうした!そんなに笑って」 自分でも可笑しくて自分の笑い声と社長の声にに気がついて目が覚めた。それで気になって、今朝M姉さんに「何か変わったことは無いか?」と電話した。幸い「何も無いよ?」ということで安心したが、“たくあんの尻尾みたいな大きな耳垢が…”とは言えず、世間話だけで電話を切った。
2006年10月07日
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うっかりしていたけど、今日は十五夜なのね。あいにくの雨だけど、どうしよう…いつもなら工場の傍のすすきをとり、梨やぶどう、お饅頭、などを窓際に並べていい月だノウ…などと風流を楽しむのだけどさてどうしよう…次回の晴れを待つことにしようか、それとも暦のとおり雨天決行としようか名月は逃げまい!マアとりあえず少しの晴れ間があればすすきをとって…ただいま試行錯誤中
2006年10月06日
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高三の次男が帰宅すると「明日は遠足だからね。弁当もいるしね。頼むよ~」「え~っ遠足!高校でも一応遠足と言うのか…」次男の高校は社長と長男も卒業しているけど遠足と言えば、ドンテン山の登山を指したがどうもそうではないらしい。行き先はどこか?と訊ねれば「え~どこだっけ?確か羽茂の…竹細工…」自信がないらしくだんだんと小声になっていくやれやれ困ったもんだ。彼は万事がこの調子で今まで来ている。今まではそれでいい!でもこれからどうする!もっとしっかり!何度そんな言葉をつぶやいたことか…
2006年10月05日
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あ~随分久しぶりの日記でまごまご…お盆にまで遡るけど興毅と言う名の亀がやってきた帰省した娘が、公園の草取りをしていて保護したのだと言う小さくて怪我をしていたので見かねて自分が飼う事にしたのだと亀田興毅から名前を拝借して興毅とつけたのだと野生の亀は夜行性なので夜暗くなつてからでないと食べないし、人が見てると食べないとうんうん分かる、わかるよ~帰省すると3日くらいは留守になるので、ペットボトルを半分にして、水を少し入れてその中に入れて、興毅は電車を乗り継いで板橋からやってきた「ついでに我が家で面倒を見て欲しい」と娘が言う勿論いいよ~ご苦労して佐渡までやって来たんだノウ電車は混んでいたし、さぞ疲れたであろうメスの亀だったとしても興毅か…どちらにしても腕白そうだノウさっそく家の小亀と合流興毅は他の小亀より随分と小さいし甲羅もしなびている。餌をとるのが大変だったのでしょうか?今まで大きなトラブルもなく何とか慣れてきたようだただ、未だに甲羅干し以外は孤独を愛しているし、餌も離れた場所で食べている。ただ、すごいのは掴んだ餌はとられないようにして、ほかの亀が横取りするのは許さない。とられそうになるとすばやく食べる。さすが野生だけあるわ!乳母日傘で育った家の亀とは格が違うね!
2006年09月13日
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らっきょは我が家のクサガメの名前。現在ベランダで飼っている5匹の小亀の中でで一番小さい。朝、水槽から出し、夕方餌の時間までベランダで放し飼いにしている。夕方外出したので、亀に餌をやるのを忘れていた。夕食の時、庭の石臼の親亀、(太郎女史が餌を欲しそうにしている)と社長に言われあ!と思い急いで太郎女史に餌をやるとベランダへ直行した。案の定小亀はベランダをうろうろしていた。私が行くと、のそのそと近づいてきた。一番遠くにいた“らっきょ”が一目散に走ってきた。亀が一目散に走るというのは信じられないだろうが、その言い方は今日の”らっきょ”にはぴったりの表現。私は亀が走るのを初めて見た。私目掛けて一目散に走って来たのだ。ビデオに撮り公開したいくらいだった。夕食の時その話題で盛り上がった。私は嬉しくてたまらない。「らっきょが一目散に走って来た。可愛かった」と何度も話した。
2006年06月27日
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姉からメロンが届いた。さっそくご馳走になる。お~この上品な甘さ!感激!このメロンはスーパーのメロンと違い、木で熟して食べごろを見計らい出荷したメロン。作る人のこだわりを感じる。法事で実家へ帰った時、姉さんが同じ人が作った無農薬のイチゴを食べさせてくれた。ミツバチをたくさん飼い、受粉させていると聞いた。温室栽培は大変な仕事らしい。まして、作り手にこだわりがあればなおさらのこと。たくさんのイチゴがあり、(無農薬だから洗わなくてもいいのだ)と、新鮮なものはそのままいただいて、その他のものは姉さんがジャムにして、お土産に一瓶持たせてくれた。勿論洗う必要の無い安全で美味しいイチゴ。ジャムは美味しくてアッと言う間になくなった。残念なことに後継者がいなくて来年はメロンを送れるか分からないと言う。とても残念だ。こんなにいい仕事をしているのに。 以前、夏になると美味しい巨砲も送ってくれた。その巨砲を作っている人は後継者がいるのに、アパートを作るためせっかくのぶどう農園をやめてしまうと聞いた。たくさんのぶどうの木を切ってしまったことだろう。以来ぶどうは届かない。届かないのは勿論寂しいが、ぶどうの木がかわいそうでしかたがない。美味しい実をつけるために、家族共にぶどうの木だってがんばったであろうに。今度はメロンか…さみしい~よ。やっぱり食べたいよ~(T_T)
2006年06月25日
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娘が(レーズンパンよりチョコチップパンがいい)と言うので作ってみた。最初はえーっ?と思ったけどなるほど、もちもちと、ふんわりと、適度に甘くておやつ感覚で食べられる。最近は好評なのでおやつ代わりに作ることが多くなった。それと砂糖を使わず蜂蜜を入れるのも健康的でなかなか良い。体にも良さそうだし、蜂蜜は防腐剤の役目もあるようなので、カビの防止にも良いのではと思うが…なにかいただいたりすると、お礼にあげたりするとたいそう喜ばれる。長男にも早速作って送ることにした。最近は食パンを作る時にも砂糖の代わりに蜂蜜を使う。手作りパンを作る方、是非蜂蜜で試してみてください。(常識でしたらm(__)m)
2006年06月17日
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大木には神様が宿ると聞いたことがある。3週間前、社長が小木の佐渡汽船に荷物を出すために行った時。お昼近くで、仕事のやりくりをして慌てて行った。その帰り睡魔に襲われ危険を感じ、どうしようもなく、道路脇に車を止め、暫し眠りについた。時間にして数分のことだが、熟睡して目を覚ますと、目前に大木があり、思わず手を合わせたという。お陰さまで事故に合わなかった。ありがたいと。そして、数日前小林正観さんの宇宙方程式研究を読んでいた社長がとても興味深いことを教えてくれた。(社長読む人、私聞く人) 小林さんが若い頃一人で八ヶ岳へ登った時のこと。高校時代友人と登った経験もあり、軽装で気軽に登った帰り、霧にまかれ、あたり一面濃霧のため視界が分からず時間は流れ、(もはやこれまで)とあきらめかけた時、ある超能力者が言った言葉を思い出した。(本当に困った時近くに樹木があつたら一番大きな樹木に手を合わせてお願いしなさい…)そして、一心不乱にお祈りしたところ周りを埋め尽くしていた霧が晴れ里の家が見え無事下山することができたという。 社長はあの時、大木に手を合わせたのは間違いではなかったと確信したという。それから話は変わるけど南太平洋のある部族の大木倒し。のこぎりや斧を持たない彼らは通行の邪魔になる、大きな木があったりするとどうしてその木を倒すか?村の部族全員がその木を取り囲んで、ののしり、悪態の限りをつき、怒気を浴びせるのだとか。するとその木は1週間、2週間して葉が落ち枯れていき1ヶ月もすると生気を失い倒れるのだと。思わず息子も私も笑ったけど、言葉にはすごい力があるのですね。小林正観の不思議な世界。まだまだたくさんありそうですよ。
2006年06月16日
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プロボクサーとなった娘がエキシビジョン参加する後楽園ホールでの試合が30日にあった。男子の試合の中で特別に組まれた、勝敗のつかない女子の公開スパーリングだった。それでも、初めてのことなので長男に応援に行ってもらった。「両親に代わりしっかり応援するのだぞ」そう言ったのだが…ところが娘はヘッドギアーをつけていたのと、リングネームを知らされていなかった長男は妹がどちらか分からず見ていたとか。あ”~ぁ思わずため息が出る。パンフレットには妹の本名が載っていたのに、リングネームで紹介したから分からんかったのだと…(妹の体系とか分からないかねぇ…)少ししかやらなかったけど、ほぼ互角だったとか。後で娘に聞いたら、相手は階級が上だし、経験者なので良い試合だったとか。兄ちゃんにも試合の後声をかけてもらったと嬉しそうだった。ところでその長男、試合の後の抽選で海外旅行が当たったとほくそ笑んでいた。あは~どっか抜けてるけど、転んでもただ起きない長男らしいワ。"^_^"娘のリングネームは郷岬(ごう みさき)です。どこかでその名をみかけたら(怪我をlしないよう頑張って!)そう祈ってくれたらうれしいな。(*^。^*)
2006年06月01日
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先週土曜に両親の法事のため愛知の実家へ帰った。実家という言い方は合っているのか解らないが、姉夫婦が両親と暮らしてくれたので今となっては姉夫婦の家というのが正確な言い方なのかな?ともかくありがたい。実家とか親元、里帰り、と言える家があるのは嬉しいし、両親亡き今もつい実家…などと気軽に口に出てしまう。嫁いでしみじみ解ったのだが、実家とは、分家した人たちの心の拠所だということ。たくさんの責任もあるけれど、家を守るということは尊いことなのだと思う。母が生前、佐渡もいいけど、生まれ故郷の天草へ行きたいと言っていた。きっと、元気なうちに故郷へ帰り、両親の墓参りなどしたかったであろう。親と暮らし、看取る、そしてこれからの自分…母が亡くなってからそのことを改めて考えることが多くなった。
2006年05月13日
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我が家のおてんば娘が4月15日プロボクシングのライセンスの試験を受け合格しました。リングネームは検討中。どうせならかっこいい名前にして欲しいのだけど、どうも期待をうらぎりそうで…5月30日の後楽園ホールで行われる男子の試合のメインイベントの前のエクジビションゲームに出る予定だとか。ヘッドギアーをつけて2回戦だけ。ショーなので勝敗はつかないそうです。この日は4回戦ボーイばかりの試合が多数組まれているようです。(友人知人多数来てくれるよ)と話していましたが。怪我の無いように祈るばかりです。
2006年04月27日
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野菜売りのおばさんから水仙を買った。150円だった。近頃は、ドライブをしていると、土手、民家の庭、畑、あるいは田舎道などでかわいい水仙の花をみかける。冷蔵庫の、イシガメのお墓の傍にも水仙が咲いているがまだ蕾。花を咲かすにはまだ数日かかりそう。 150円で買った水仙を玄関とトイレに飾った。トイレに入るとおや?小さな虫が水仙の花と花の間に浮かんでいた。まるでそこだけ無重力のように。よくよく見るとアリのような小さな蜘蛛。私の目には見えないが蜘蛛の巣があるようだ。日に日に小さな蜘蛛の行動範囲は拡大している。(こんなところに一生懸命蜘蛛の巣を張っても餌は飛んでこないよ。)その蜘蛛がけなげに思い水換えをするのも遠慮した。あれから1週間近くなり水仙も少ししょぼくれてきた。昨日からあの蜘蛛の姿が見えない。やはり空腹で参ったのか?いよいよ新しい花と換えようか…今日1日そのままにして明日はきっときれいな花と換えるぞ!
2006年04月24日
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久しぶりにドンテンへ行った。途中ふきのとうがたくさんあったので摘んできました。ドンテンは今日が山開きのようで、草もちをついて、きていた人にふるまっていました。よもぎの香りがなんとも言えず、またつきたてのお餅はやわらかく美味しいのでお代わりして食べました。ごま、きなこ、あんころもちの3種。お餅が大きいので私はごまとあんころもちの二つを食べました。社長はごまときなこ。どれも美味しかったですよ。夕食にふきのとうの天ぷらと味噌炒めを食べ、春の苦味を味わいました。義母はなんども「これなあに?」と訪ねます。その度に「ふきのとうだよ」と答えるのですが5回くらい訪ねられた時社長は「紙に書こうか?」と言うのですが義母はそんなこと書かんでもわかるっチャと言いながら「これなあに?」と聞いてきます。“博士の愛した数式”という本で、脳に障害を持った博士の記憶が80分しかもたないそうですがせめて、夕食の間だけでも“ふきのとう”覚えて欲しいなと苦笑いでした。
2006年04月23日
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かれこれ3週間近くなるかな?庭の石臼の中で冬眠していたイシガメのしんちゃんだけが水に浮くようになったので気がかりだった。しんちゃんはベン、太郎女子より活発なので、もう冬眠から覚めるのか?それにしたもまだ寒いのに…石臼から出すとしんちゃんは目を閉じたまま動かない。まだ寒いから冬眠から覚めないんだ…冬眠の間に太ったのかな?少しふっくらしていた。まさか?…次男が臭い!臭う!という。しんちゃんは冬眠できずに死んでしまった。それでも生き返るかもしれない。そんな気がして水槽にきれいな水をはりその中に入れた。翌日社長が「臭っているよ。かわいそうだから早く生めるように」言った。私は諦めて次男と冷蔵庫の植木の近くに穴を掘りしんちゃんの墓を作った。庭にはしんちゃんの忘れ形見の卵がある。もう少し暖かくなったら掘り出してみよう。イシガメのベンと太郎女子はまだ石臼の中で冬眠中。こちらは暖かい日は頭を出したり、水中で少しだけ動いているから大丈夫。この冬はとても寒かったのでしんちゃんはそれに負けたのかもしれない。今日ようやくしんちゃんのことを書く気になりました。しんちゃんの思い出我が家に来た頃は臆病で?持ち上げるとオシッコをしました。ふるえていたように思います。慣れてくると、餌やりに庭へ行くと近づいてきました。おとなしいベンや太郎女子に比べるとかなり活発に動きます。油断すると素足にサンダル履きの私のかかとを餌と間違えて?カプッと食べようとしました。あれは痛かったしいきなりなのでびっくりしました。なにしろ後ろからそろ~りと近づくのですから気がつきません。画像は元気だったころのしんちゃんです。石臼の中でくつろいでいます。
2006年04月19日
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今日耳鼻科へ行った。最近お医者さんと仲良くしすぎるのでは?と気になるが耳の調子が悪いので致し方ない。幸い私の耳は軟膏を塗れば治る程度のものだった。待合室で順番を待っていると、身障者の青年とおそらく学園の先生と思われる若い女性がやってきた。二人は私と向き合って目の前に腰掛けた。その青年は屈託の無い笑顔を振る舞い、随分機嫌がよさそうだった。若い先生に、まるで母親に甘えるように寄り添ってなにやら話しかけていた。しばらくして、私がうつむいている時ぷーと大きな音がした。…?先生らしき若い女性が「今のは誰ですか?」青年はぷーと言う音に負けないくらい大きな声で「はい!私です!」と返事をした。私はそのやりとりが可笑しくて顔だけで笑っていた。先生も私と顔を合わせ、お互い顔だけが笑っている。青年は相変わらずにこにこと機嫌がよい。そのうち青年はペンとメモ用紙をとりだし、取りとめの無い落書きを始めた。その様子を見守る若い先生とその青年の純粋さが印象に残る。診察を終えて帰る時には二人の姿はなかった。私の傍でこの日記をのぞきこんでいる社長がぷーと大きな音を出した。すかさず彼は「はい!今のは私です!」アハハ…今度は大きな声で笑ったよ
2006年04月17日
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夢の中で、お汁粉が食べたくなった私は小豆を煮て、黒砂糖も入れ、美味しそうなお汁粉を作りうきうきしていた。すると社長が(旨そうだな。餅を入れて食べたい)と言う。(じゃスーパーへ買いに行こう)と私が言えば社長は(スーパーで買う餅は美味しくないからイヤだ)と…しかたがないから彼岸の団子の粉があるからと、餅の変わりにだんごをつくることになった。一生懸命粉を捏ねて丸めて蒸し器でふかした。ふたを開けると真っ白な団子が湯気まで上げて出来上がった。ワーッ美味しそう。と言ったところで、社長に(オイオイ、そろそろ起きたらどうか?)言われて目が覚めた。あ”-せっかくのお汁粉が、団子が…しかも夢とはいえ一所懸命団子を捏ねたせいかどうも肩が凝っている。社長は(夢の中でわがまま言うたんだノウ。それで肩が凝ったのか?お世話だったノウ。)と小豆と団子、湯気…久しぶりに天然色の夢。美味しそうだったなあ。どうせなら食べたところで起こして欲しかった。
2006年04月14日
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チャングムの誓いを見ていたときのことある時、チョゴサングンがでると社長がつぶやいた。「私の母を思い出す」と。そういえば私も妙に懐かしい気がしたのは、母に似ているからなのだと納得した。面長で額が狭く、浅黒い顔。母は大柄だった。いつも似ていると思っていたとか。以来毎回言われた。「実家のお母さんが出てる」と姉にそのことを伝えた時姉も母を思い出しながら見ていたようだ。眉間に皺を寄せて話すところ、膝の悪いところまでそっくりだと言っていた。あ~そうだった。自転車に乗れない母はいつもテクテク歩いていた。仕事場、買い物…膝の使いすぎで痛めたと母が言っていたのを思い出した。ありがたいことに最後までボケなかった。どうしたらボケずにすむか…時折母の人生を振り返り、思い出している。5月に母の3回忌と父の17回忌がある。母は私の夢には出てこない。たまには登場して欲しいのだが…実家に帰ったら晩年の母の様子をまた詳しく聞いてみよう。法事に呼んでくれて実家の姉さん夫婦に感謝する。
2006年04月05日
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新聞購読料3,007円。某新聞のおじさんが集金に来た。3,010円をだすとおじさんは「そりゃそりゃ…」意味不明の言葉を言って領収書だけ置いてそのまま出て行った。(…おつりは?)たまにあるのね。このおじさん。たかが3円されど3円。会社の経費で落としているから1円でも残が合わないと困るではないか…しかも客はこちら。このおじさん何か勘違いしてない?かといって追いかけて3円くださいと言うのはちょっと…細かいのがない時、3,100円だすと「いいよ」といって100円返してくれることもあるが私としてはきちんとして欲しいのね。サービスはサービス。支払いは支払い。その辺の区別がいいかげんなのね。時と場合なのよ。このおじさん、あとで残高が合わなくて困らなくないかな?
2006年04月02日
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皮膚科にまだ通っている治療のことでは情けない話がある簡単な手当てを、普通ではありえない間違いの手当てをして先生と看護婦さんに失笑されたりした。社長からも「お前そんなことしていたの?アハハ…」なんてねどんな勘違いか恥ずかしいから書けないけどともかくまだ皮膚科へ通院している。そのことは置いといてある時の皮膚科で“殿中でござる”ということがあった。待合室にいると高校生の男子が制服姿でやってきた。以前から気になっていたのだが、高校男子でズボンをこれ以上下げたらどーする!というくらいズボンを下げている生徒がいる。雨降りなどズボンの裾が地面を這っていて濡れて気持ち悪くないか?心配になるくらい。その男子もズボンがすこぶる長い。彼は靴を脱いでスリッパを履いたが、ずるずると長いズボンの裾をよくも踏まないものだと感心した。ズボンを限界まで下げてその挙句ズボンの裾をほどいている。上着の下からはシャツとセーターがはみだしていたし。私はここまで近くで観察したことが無いので、しばらく目が点になったが、じろじろ見てはいけないと思い頭はうつむいて目だけはこっそりそのズボンの裾に釘付けだった。厚顔無恥の顔で、あのズボンの裾を踏んづけてみようか?きっとえらい騒ぎになるだろうな?我が家の次男より凄みがありそうだし…やはり怖いな…忠臣蔵の松の廊下の(殿中でござる…)を想像したそのことを社長に話す時うっかり“忠臣蔵の陣中でござる”と言ったものだから社長は大笑いその後で「おかあさん(私のこと”^_^”)だって若い頃ミニスカート履いたでしょ?他人のこと言わないの。それがかっこいいと思っているのだから…」なるほど人それぞれということか。以来ズボンの裾の長い高校生を見かけると(殿中でござる…)と心の中でつぶやいてしまう
2006年03月28日
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10日ほど前湯たんぽで低温火傷をして皮膚科に通っている。黒くなつた部分は皮膚が死んでいる。そのうちケロイド状になり盛り上がってくるとか。うっうつ…(ToT) かわいそうな足お風呂上りに手当てをしていると社長がのぞきこんで「気の毒だノウ、かわいそうだノウ、痛そうだノウ」と慰めてくれるのだが、どうも顔がへらへらと笑っているような気がしてならない。私の僻みか、思い過ごしか?火傷のところを「じーっと見ると、足に目があるみたい。気持ち悪ぅ~」と言われた。自分でもそう思っていただけに、社長に言われるとなぜか気分ワル~。先日は皮膚科の先生にピンセットで黒い皮膚を、つんつんとつつかれながら「痛い?」と聞かれた。「痛いです!」と言うのにピンセットと鋏で無理やり剥がされた。その日は半分だけで終わった。金曜にまた皮膚科へ行く。残りの半分をまた剥がされるのか…うっうつ…今のうちに泣いとこ(ToT)/~~~
2006年03月08日
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今月になり、娘が帰省、その1週間後に長男が帰省しました。忙しいのでもう少し後に帰ってはどうか…どうせなら同じ日に帰れば?と申しましたが親ににて言い出したら聞く耳もたず?帰ってきました。帰ったと思いきや、仕事だ、アルバイトだとものの3日もいたかどうか…ああ、やはり親心。たまの帰省なので何か食べたいものは?土産はなにがいいか?忙しいのにあれこれ世話を焼いてばかり。まったく疲れるワイ。とは言うもののやはり良いもんだね。久しぶりの親子の対面は。勿論義母との対面も良かったですよ。義母などは「よう来たノウ」と言いながら娘が帰るときには「あんたのお母さん呼んできて」と私がいそいそと義母のところへ「ハイハイ何の御用で?…」そう言えば、義母は「マア!この人は家のお母さんだが。あんたのお母さんを呼んできなさい」などと言いまして娘と思わず苦笑い。長男の帰省の時は長男が来たことをたいそう喜んでいましたが、念のため「この人は誰かわかる?」義母に聞いてみました。…いつも出てくる名がなかなかでない。「長男だよ。おばあちゃんが元気でいるか見に来たよ」そこでようやく思い出した。ああそうだった…と長男は少し悲しそうだった。何も言わなかったけど。おばあちゃんが忘れないよう時々顔を見せるように言うと彼はうなずいていた。真に申し訳ありません。管理人多忙につきしばらくの間日記を休みます。コメントいただいた方、お礼の訪問等できないこともありますのでお許しください。
2006年02月23日
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義父が健在だった頃、よく義母が言っていたっけ「とうちゃんのサルマタ…」と私はこのサルマタという言葉が、佐渡の義母の年代の人だけが言う特別な言葉だとばかり思っていた。最近義母が使わなくなったのですっかり忘れていた。先日スーパーの衣料品売り場で、社長の肌着を見ていたら、大きな字で(申又)と書いてあったパンツを見つけて妙に感激してしまった。らくだ色の大きなパンツ。間違いない。義父が履いていたのと同じ。最近社長は体質が変わって(トランクスのゴムのあたりが気になる)とか言うので二人して、ああだ、こうだ言いながら探していた矢先のこと。これなら、パンツのゴムを取り替えられるしいいね…冗談半分に言ってみた。彼は2~3歩引いたのが解った。…恥ずかしくて温泉に行けない、旅行にも行けない…絶対いやだ!と顔までが言っていた。(愛用している人に悪いよ…)家に帰り、念のため広辞苑で調べてみた。あった!猿股とは男子が腰や股をおおう短いももひき…ああ~間違いない標準語だったのね…さるまた、サルマタ、猿股、申又…懐かしい言葉でも婦人ものには使いたくない言葉。
2006年02月09日
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娘がいた頃からよく一品勝負と言われたけど、今日の夕食は冷蔵庫の残り物で一品勝負にでました。いただいた白菜がたくさんあるのでそれを利用したのと、冷蔵庫にあるちまちました?残り物と使って酢豚風にしました。材料は、鳥もも肉、海老、白菜の白い部分、筍、人参、玉葱、木耳、きゅうり、ニンニク、生姜。酢豚を作る要領で作ります。ニンニクは細めに切り炒めてそのまま使いました。4人分にしては沢山作りました。下の料理はこれも沢山いただいた白菜を使いロール白菜にしたものです。これは昨日の画像です。トロトロ煮込んだ白菜が美味しいです。これらの料理で白菜はほぼ1個使いました。
2006年01月29日
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