全41件 (41件中 1-41件目)
1
今日のドライブはすっごく怖かった。はじめて「引き返そうかな」と思ったくらい。よくニュースやテレビ番組で車がスピンしてしまっている映像があるけどそれが至るところで観られた。昨日の夜から降り始めた雪 朝6時に家を出たのでまだ除雪が間に合わず高速道路も40マイル程度の徐行運転。その中でも追い抜かそうとする車がいてそれが事故の原因みたい。トレーラー同士もぶつかっていた。同じ進行方向なのに2台が対面でぶつかっていたりもしていた。いつもなら2時間ちょっとでつくところが3時間かかってしまったし。それでも無事にスキースクールに到着すると懐かしい顔が待っていた。Mくんが8歳のときから通っているadoptive ski school。最近はMくんだけが行くので私は知らない人も多くなってしまったけどそれでも懐かしい人も沢山。Mくんはインストラクターの息子(そして彼も今はインストラクター)と楽しそうに話をしたりコーチに忘れ物をしたのが発覚して怒られたりしていた。それでも「学校」「家庭」以外でも自分の居場所を見つけているMくん、今日の君はちょっとお兄ちゃんだったよ。なんか私の保護のもとから1歩も2歩も出てしまったんだね。こんな日が来るなんて生まれたときは思わなかったけど実際に巣立とうとしているM君を見るとさびしい、、気持ち。子離れなんて出来るのかな
January 16, 2006
コメント(85)
昨日からテレビでsnow stormが来る!と大騒ぎをしていたもののあけてみれば雪まじりの雨の一日でした。でも早々と学校はsnow dayで休校。長男Mくんは3日から6日まで4日間学校を休む事になっていたので1日減っただけでも大儲け!宿題やテストの量が半端じゃないから。Mくんからは26日以降今まで2回電話があったのみ。「すっごいいい雪だよ」そりゃそうでしょ!天下のコロラドだもの。昨日にはuta州 park cityに移動して試合がある(はず)(天気予報は雨)どうなったかな。2回目の電話のとき父親がいきなり「Mよりも遅い人って居る?」と聞いていた。どうやら居るらしい。どんな試合なのか話を聞くのが楽しみ。パラリンピックチームの人たちも参加しているはず。その選手sit skiの3人は皆Mくんの知り合い。19歳の男の子 21歳の女の子そして44歳の男の人。44歳の彼 chris youngは前回のパラリンピックで優勝した人。彼は同じスキー場でスキーをしているので会えば気軽に一緒に滑って教えてくれる。前回のパラリンピックの優勝のあと金メダルを見せてくれてそのときにスキーの事で聞きたいことがあったのでメールアドレスを聞いたらxx2006@xxxxというアドレスで「これって何?」と聞くと「2006年にも出て金メダルを取りたいんだ」って。すごいなあ。その上もっと彼のすごいところは19歳の男の子tylerはすっごくすっごく早い。タイム自信はchris youngよりも早いけど大きな大会になるとやっぱり経験がものをいい去年の大きな試合ではtylerが2回くらい優勝してchris youngが4回くらい優勝していた。でも本当に背後にtylerが居るってヒタヒタと感じていると思う。それでも「有終の美を飾って負ける前に引退」とかって少しも考えていないところ。それが私には一番すごいなあって思う。今年のworld cupは日本と韓国。Mくんもいつか world cupに参加できる日が来るのかな。楽しみ。
January 4, 2006
コメント(7)
長男Mくん 昨日26日にコロラドへと旅立ちました。26日から1月2日までコロラド州winter parkでトレーニングキャンプ。その後チームの皆と車でユタ州park cityへと移動して3日から5日まで試合。6日にボストンに戻ってきます。スキーとモノスキーそして自分の荷物3個。私と父親そして妹きーちゃんがゲートまで見送り。前はゲートまで誰だも入れたけど9-11のおかげで「ゲートまで入れます」チケットをもらってはいる。荷物を預けるときも セキュリティーチェックのときも全て「ゲートまで入れます」チケットを見せる。それでも誰もMくん一人がコロラドへ行く事に驚きを表さない。普通。本当にただの搭乗者。車椅子の東洋人の17歳の子供がスキーを持って乗り換えをして一人でコロラドに行く。これってびっくりする事だよね、、きっと。でも皆普通。当たり前の搭乗手続き。「毎日電話しなさいよ」という声を背に飛行機へと乗り込んでいきました。シーズン開始!怪我だけはしないでね。そして出来ればいい成績を残してね。
December 28, 2005
コメント(2)
17日(土曜日)にパーティーをひらきました。ボストン近郊に住んでいるspecial needsの子供を持つ家族を対象に、、。specialneedの子供がいる家族だけでなくその関係者も含めてのパーティーでとっても楽しかった。7家族 大人12人 子供15人 犬2匹。4時から始まって8時過ぎまで子供たちの楽しそうな笑い声と素敵な音楽の会でした。美味しいご飯もデザートも沢山あって。兄弟にspecial needsの子が居ない子供も何の違和感もなくspecial needsの子供がいる空間にいて 親が楽しそうだから子供もリラックスできていたみたい。こんな空間が出来たら嬉しいなってずっと思っていたからすっごく嬉しかった。犬も子供たちに沢山可愛がってもらって沢山食べ物をもらって嬉しそうだったし。バイオリンを弾くお父さんが2人ジャズピアノが弾けるビジネススクールのお父さんが1人バイオリンを弾く子供が一人ピアノを弾く子供が一人 皆嬉しそうに弾いていました。子供たちは人のまえで弾く事になにも抵抗がなく「弾きたい!」「聴いて!」ととても積極的でこのまま大きくなっていってねって心から願いました。あとは24日近所の友達の家のクリスマス会とクリスマスイブミサを残すのみ。そして25日 クリスマスツリーのしたに今から沢山おいてあるプレゼントをあける!!子供も大人も楽しみ。こんな風に毎日を楽しめる事に心から感謝しています。http://www.asahi.com/edu/column/ikuji/TKY200512150164.htmlここに出てくるフランシスコみたいに感謝の気持ちを忘れずにクリスマスを迎えたい。
December 20, 2005
コメント(2)
今朝から雪がふって 8-10インチ積もるといわれていたので、、子供たちは 早くからおきてテレビに釘付け。朝の時点で雪が沢山降っていたり 除雪が間に合わなかったりすると snow dayとなって学校がお休みになります。そのテロップが abc順にテレビのニュースの下のほうで流れるのです。ちょうどテレビをつけたときには c,,,,うちのまちは bから始まるんじゃない!!!ってことは延々をまたなきゃダメなのね、、ってみんなで見ていたら 名前が出ない、、、、。ということは学校があり!大急ぎで用意して雪のなか出て行きました。ちょうどみんなの学校が終わるころに吹雪のようになってそのうえ 雷まで、、。稲光もあって なんなんだ!って感じでした。街のいたるところに滑って進まなくなった車や 横をむいて止まっている車もあって坂や交差点のまわりは大渋滞でした。子供たちと同じころに私も家にもどって 雪かきタイム。結構この仕事好き!我が家は4年くらい前に 雪かき機を買ってあるのでスコップは最後の仕上げだけ。すご~~い勢いで雪を道にとばして歩道と車庫のまわり Mくんの通るところをきれいにして出来上がり。降っている雪と とばした雪で雪まみれにはなるけど楽しかった。
December 10, 2005
コメント(8)
学校から帰ってきたM君の話。Mくんの高校には「labb」と言うスペシャルニードの子供たちが通うクラスがある。そこの生徒は中程度の障害かな。もう少し重くなると専門の学校へ もっと重くなると寮のついた学校へ通う というステップがある。このlabbの生徒の一人 車椅子使用の生徒が上手に話せたり書いたり出来ないのでそのために ラップトップのコンピューターをひざの上に乗せて学校の中を移動中に(学校の中!!)後ろから来た人(生徒だと思われる)にいきなり 袋かコーンを被せられコンピューターをとられてしまった という事。なんてこと!!それを聞いていた妹は「そうだよ。i-podもとられるから学校に監視カメラが着くんだよ」って。平和だ、、平和だ と思っていた街の高校にもこんな事がおきているなんて。その車椅子の少年、今頃怖くて車椅子をひとりで漕げなくなっていないかなって心配。怒った。
December 5, 2005
コメント(6)
Thanks giving もおわり街はいっせいに「クリスマス」モードです。1日には 街のクリスマスツリーの点灯式もあり また近所の家で「街で一番高い木」にもクリスマスのライトがともりました。我が家もクリスマスツリーを買いに行ってきました。毎年買っては捨てなければならないツリー。とっても気が引けるんだけどでもあの「生木」の匂いと雰囲気にまけて買って居ます。以前は車で1時間ほど北上したところにある「ツリーの牧場」のようなところで「christmas tree cutting」にも行きました。小高い丘に植えられたクリスマスツリーの中から好きなものを選び借りたのこぎりのようなもので切り そりのようなものに乗せてえっちらおっちら車まで運んだこともありました。最近は面倒になって街のライオンズクラブで「日ごろのご愛顧に応えて」買わせてもらっています。Mくんがスキーに行ったり どこかに行ったりしてお金が必要なときにはこのライオンズクラブに手紙を書き(私ではなくM君が!もちろん。)300ドルとか500ドル程度の寄付を貰います。その後はMくんがもらったお金でどのような事をしたのか 報告をしたりしています。なので、、少しでもお返しを と最近はここで買うようにしています。今年もあっという間に12月。スキーのシーズンだね。もう去年あたりから自分で色々と調整をしているMくん。見ていると歯がゆく「もっと早くしなさいよ。予約、、遅すぎ」とかって思うけど少しずつ親離れをしていっているんだね、楽しいスキーシーズンでありますように。
December 5, 2005
コメント(0)
今日はMくんの弟の誕生日。お祝いに大好きなお寿司を食べに行きました。もう 雪がちらほらと降っているここ数日。すっかり冬のようです。そして after thanks givingのセールにも行ってきました。弟は誕生日プレゼントにバスケットのフープを買ってもらいMくんはスキーのジャケットを買いにいったんだけど気に入ったものがなくて(あっても高い!)また後日ということになりました。thanks giving dayには我が家でパーティー。計6家族 大人13名 子供19名で楽しいひと時でした。本当、、楽しかった。30パウンドもあるターキーも骨のみを残すだけであとは皆のおなかの中に入ってしまいました。こうやって異国で 親戚でもない人たちと 本来ならば親戚で集まるときに集まって ある時は「親戚が近くに居ない中で子供たちが育つのってどうなんだろう」って思ったりもするけど でもこうやって集まる友達が居るって幸せなんだなって心から思いました。M君が大きくなってもこんな日々が続くといいなあと心から願います。
November 27, 2005
コメント(12)
日本人社会は狭い。特にこのような 海外だと本当に狭い。知らないところで 知り合いの知り合いがいたり。それはそれでとっても楽しかった。日本人社会はせまくて嫌!って言う友達に「なんで?楽しいじゃない。色々なところで繋がっていて」って本当に心からそう思って言っていた。もっと色々な人と知り合いたかった。でも、、ここのところ凹んでる。どうやったら浮上できるかな。
November 22, 2005
コメント(8)
Boston Special Needs 主催 第二回お茶会 0月0日0曜日 ベルモントの自宅にてBostonSpecialNeeds主催第二回お茶会をひらきます。BostonSpecialNeedsは special needsのお子さんを持つ家族のサポートグループです。様々なイベントを通して 情報を交換したり新しい知り合いを増やして行っています。 お子さんの言葉が遅くて心配しているお母さん(お父さん)、成長が遅くて心配しているお母さん(お父さん)この昼食会に参加なさいませんか。 私たちは 教育の専門家でもセラピストでも医療関係者でもありません。 皆さんたちが今心配している時期を少しだけ先に通った親たちです。だから「そんな心配なら私もした、その時はこうしてみた、、。」「ここに相談してみたら?私の場合にはこうだった、、。」という体験をシェアーすることが出来ます。もちろん 現役のspecial needsのご家族のかたも大歓迎です。また 障害児教育 障害児に関連することに関心をお持ちの方も是非お問い合わせください。そして 今回の日程には合わないけれども チャンスがあったら、、と言う方も是非ご連絡ください。次回からお知らせをさせていただきます。 当日は少しはやめの昼食も用意しますのでお気軽にどうぞ。もちろんお子さん連れでの参加もウェルカムです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこんなのを考えている。今まで来た人にお昼を持ち寄ってもらって、、どうかな。少しでも新しい人が来てくれるといいなあ。
November 21, 2005
コメント(2)
今日 BostonSpecialNeeds主催のパン講習会が無事に終了。お昼すぎには おいしい食パンとメロンパンの匂いに包まれて楽しいおしゃべりに花が咲いた。新しい人も1名来てくれて こうやって少しずつ輪が広がっていく。うれしい、、、12月には子供たちも含めてクリスマス会をしよう。楽しくなりそう。
November 18, 2005
コメント(4)
少しずつ 骨格が見え始めてきたこの企画。もともとは ボストン近郊にいる障害児の親の集まりを作ろうと思ったことから始まった。きっかけは「手作り好きな人」とか「スキーが好きな人」とか そんなことのひとつとして 障害児の親 というのを捕らえてみたかった。親だから 何かをしよう、こう生きよう というのではなく 障害児という家族の一員が 外へ出るひとつのきっかけになってくれればいいなあって。あとは忘れられないひとつの風景。日本語学校に行っていたとき 子供たちは授業中。幼稚園児が遊ぶ中庭で あきらかに 小学生くらいの男の子がひとり幼稚園児の中にまじって一人で遊んでいた。幼稚園児が移動し その子だけになった中庭で一人で居たその子とそれを見ていたお母さんの顔。違うクラスの幼稚園児が来て 移動しなくてはならなくなった時抵抗するその子をひっぱっていったお母さんの背中。声をかけたかった。「うちの子も障害を持っているんですよ」って。でもかけられなかった。声をかけないで って背中にあったような気がしたから。そして、、、その子に障害があるのかどうか あるって思ったけどそれを言葉に出したとき もしそのお母さんがまだ受容していなかったらどうだろう って思わず考えた。その時に「障害児の親」が 障害児が家族に居ることが当たり前の人たちと笑ったり 怒ったり 困ったり 何かほっとできる場所を作りたいと思った。少しずつ 足元から固めて行きたい。だって あっという間の17年だったし あっと言う間のアメリカでの日々だったから 忘れないうちに何かの役に立ちたい。私がボストンに来たとき そんな集まりがあったら参加していただろうなって思えるそんな場所を作りたい。
November 14, 2005
コメント(4)
明日は学校がお休み。veterans dayだそうで、、でも thanks giving day, independence day ,christmas, new yearのように全国的な休みではないので大半の会社は通常営業。なので、、、次女のデーケアーもあり。月曜日は通院のためお休みしたし 水曜日もあまりにも咳がひどかったのでMくんの病院に一緒にいったし、、で今週は1回も行ってない。(もともと週3回なんだけど)なので 是非ともに明日は行っていただきたい。今日のM君はやけにご機嫌。どうしたんだ????父親に「ガールフレンドでも出来たか」とつっこまれていた。妹は「おにいちゃんにガールフレンドが出来るといいって本当に思うよ」っていつも言っている。学校での様子をつぶさに教えてくれる我が家のFBI。朗報がきかれるといいね。子供が小さいころは「明日 お休みか、、何をしよう」と気が重かったけど今は「やった~~~!明日はゆっくり寝られる」って思う。もっとも次女様のおかげで 6時おきなんだけど、、それでも「起きなくちゃ」っていう緊張感がないから夜もゆったりと出来る。友達が以前に作ったーー 待ちわびて 親が踊るよ 新学期言いえて妙だよね。
November 11, 2005
コメント(0)
Boston Special Needs主催 パン講習会ーーBostonSpecialNeedsは special needsの子供のいる家族を対象にしたサポートグループです。10月末に1回目のお茶会を催しました。2回目のイベントとして以下のようなパン講習会を行います。美味しいパンを作りながら情報交換をしつつ互いの親睦を深めたいと思っています。Special needsのお子さんがいらっしゃるご家族または障害児教育,障害児に関連することに関心をお持ちの方、携わっている方で参加ご希望の方はぜひ ご連絡をください。 講習会1 (食パンとメロンパン)日時 11月17日(木曜日) 午前9時半から1時半ごろまで場所 費用 $25.00持ち物 筆記用具 持ち帰りようの容器定員 4名程度 講習会2 (菓子パン)日時 11月28日(月曜日) 午前9時半から1時半まで場所 費用 $25.00持ち物 筆記用具 持ち帰るようの容器定員 4名程度もちろんお子様連れも大歓迎です。 ーーーーー3回目 4回目の企画も考え付いちゃった。どうして やらなければならないことはなかなか出来なくて やりたいことはこんなにもテキパキと出来てしまうんだろう。Mくんのこといえないな、、
November 10, 2005
コメント(0)
Mくんは1年に数回この病院で検査をしたり診察を受けたり 時には手術を受けたりしている。この病院 私は好きだ。言葉がわからない ということを差し引いても嫌な気分になったことがない。まず、、、医者が白衣のポケットに手を突っ込んでいない。(あくまでも私たちが居た 1996年までの日本と比較して)そして 研修医を立ち会わせる場合には 必ず私と本人に「この人は00 と言って私のもとで今 勉強をしています。もしあなたさえ良かったらこの部屋に一緒にいさせてもらって見せてもらってもいいですか」と承諾をとってくれる。日本に居たとき M君ではなかったけど カーテン1枚となりでもちろん声も丸聞こえ、様子もほとんど見えてしまう隣のベッドに小さな男の子がいた。そこに6~7人の研修医がいきなりやってきて、中には白衣も着ず自分のかばんをドサとベッドの上に置いた人もいるくらい、、、その人たちが行き成り寝ていた少年を上から囲むように見たものだから少年は泣き出し、、、当たり前だよね!また 私がM君の妹 弟を妊娠していたとき 超音波を見ながら横にいた若い医者が「へえ、spina befidaか」って。英語で病名を言えば判らないって思って、あからさまに超音波を覗き込んでいた。そんな思い出があるので 病院や医師にはあまりいい感情を持っていなかったけど、、今はそんな思いをする訳でもなく気持ちよく病院から戻って来る。その上 患者が診察室に来るのではなくまず 看護婦が患者をいくつもある診察室に入れそこで体重や血圧など一般的なチェックをし その診察室に医師が入ってくる。「今日の具合はどう?」と握手を求めながら。きっと言葉が全てわかれば嫌な思いもするんだろうな、、と 言葉が不自由な自分に感謝をしつつ、それでもやっぱりこの病院好きだな と思った。
November 10, 2005
コメント(0)
M君の態度が悪い。satのスコアが悪いので 今回のスコアは記録に残さないで下さい という手紙を郵送しなくてはならないらしい。その封筒と切手をもらいに来たときの態度に私はぶちきれた。M君へ怒っている間に次女が転んで鼻血を出していた。その上 長女は学校の書類にサインをしろ だの 次男は明日は学校が半日で終わるから00のところへ遊びに行っていいか だの、、、もう!!それでも楽しく夕食を食べられたのは、、、M君のおかげ?それとも私の忘却力のおかげ????
November 9, 2005
コメント(0)
昨日は快晴。近所の家では皆 家の前の落ち葉掃きをしていた。あまりにもいいお天気だったし 5ヶ月の赤ちゃんが遊びに来てくれることになっていたので我が家は「明日にしようね」と先延ばしにしてしまった。朝 起きてみると霧雨が降っていた。ってことは落ちた葉っぱは重くなっているんだよね。午後には雨もやみ このままでは我が家の前だけ落ち葉がたまっているのでそれも困ると家族総出で落ち葉掃き。掃いても掃いも次から次へと上から葉っぱが落ちてくる。もう~~~と怒りながらも葉っぱを巨大な 落ち葉専用の袋に5袋+巨大なゴミ箱に2箱集めて終了。少しはきれいになったかな。M君の車椅子を作ってくれる ボブ ホールという人が居る。彼は自分自身も車椅子使用者で奥さんもそう。彼はボストンマラソンのwheelchair部門も担当し役員もやっている。そのため毎年ボストンマラソンのフィニッシュライン(ランナーがゴールし表彰される場所。チケットがないと入れない)のチケットを我が家にくれたりする。It`s a small worldで 彼の小学校の時の体育の先生がM君の小学校の(学校自体は違う)体育の先生だったり 近所の自転車やさんに車椅子のタイヤの空気を入れにいったところ「いい車椅子メーカーがあるよ」と教えてくれたのが彼のところだったり 犬のお散歩に行く公園が一緒だったり、、と何かとご縁のある彼と我が家。去年 今年と同じように落ち葉掃きをしていると彼の車がとまって「Sちゃん(Mくんの妹)居る?アルバイトしない?」と。よくよく話をきいてみると 共に車椅子使用のボブの家でも同じように落ち葉がたまってしまっていて 落ち葉掃きの業者さんがくるまで奥さんが「家の前だけ汚い」とボブに怒りをぶつけるのでとりあえず落ち葉掃きに来てくれないか という事だった。う~~~ん、どこの世界も奥さんのほうが強くて奥さんの方が怖いんだな。車椅子であろうが なかろうが アメリカ人であろうが なかろうが 結局は同じなんだ、、って微笑ましかったのを思い出した。
November 7, 2005
コメント(4)
明日はいよいよ日本で言う共通一次のような試験の日。といっても一発勝負ではなく数回のチャンスがありその中で一番よいスコアーを大学へレポートできる。学校からかえってまずはいつもの「お昼ね」をして夕食前に起きてきたMくん。「友達は12月のsatを受けるのにどうしてぼくは11月から受けなくちゃいけないんだ」とノタマウ。一月に1回 受けられるこのテスト、、、って事はたくさん受ければたくさんチャンスがあるのに、、。先月は 何の準備もしていないから と申し込んであったのに受けなかった。で、、もちろん私の怒りが爆発。部屋にすごすごと戻ったM君。電話帳のようにあつい練習問題集を一応はベッドの上でひらき 耳にはi-pod、、お勉強をしていた、、、、、、ようかな?部屋から出てきて一言「まま、、明日お菓子を持っていっていいみたい。何かある?」君の人生 未開発すぎ!
November 5, 2005
コメント(2)
M君の通う学校には asian clubというものがある。アジア人のグループ。いつもはそんなに活動をしてはいないけど 年に一度 asian nightという大きなイベントをする。それが3月。去年もM君はダンスを踊った。今年もそうするみたい。大人は何も介入していないこの集まり。自然にアジア人だから当たり前に車椅子のM君もダンスをする。なんか 改めて考えてみるとすっごい事のような気がする。
November 4, 2005
コメント(0)
信じられないことに先週末 ボストンに初雪が降った。モールに買い物に行こうとしたら降り始めて、買い物が終わってもまだ降っていた。1996年にアメリカに来て以来一番はやい初雪じゃないかな。今年の冬はどんな天候になるんだろう。寒すぎるのも嫌だけど暖冬もちょっとなあ、、。今年 Mくんはスキーをどうするんだろう。ずっと new hampshire州 waterville valleyというところでモノスキーをしている。そこには adoptive ski schoolというプログラムがあり 車椅子使用者ようのスキープログラムのみならず 盲目 自閉症 ダウン症 どのような障害にも対応できるようになっている。私も次女が生まれるまではそこで ボランティアでスキーを教えていた。教えるまでに毎年講習会があり 40時間のレッスンをとったとに初めてスタッフとしてボランティア登録が出来る。その講習のなかで「どのような障害があったらこのプログラムでは講習が受けられないのですか」という質問があった。その時のスタッフの答えは「息をしている人ならば どんな障害があろうと滑らせることが出来る」というものだった。本当かな、、とその時は思ったけど 本当だった。ある日オフィスに行き 今日の担当は誰だろうと名前が書かれているボードを見てみると今までに見たことのない名前の人だった。どんな人なの?と思いまっていると その人には8人のボランティアがつくことが判った。で、、その日のスキーヤーが登場。彼は 30歳前の体格の立派な人で交通事故で脊椎損傷となり首から下がまったく動かない。動くのは目のみ。瞬きでyes noを伝える。その彼がその日のスキーヤーだった。自分でバランスをとることの出来ない彼は バイスキーと言う2本のスキーの上に座るバケットが付きまた両脇に羽のように倒れないように小さなスキーがついたものにまず事務所の中で乗り込む。そのときにこのバイスキーは 車輪のついたボードのうえに乗せてあり彼が乗り込み身体を固定したあと そのままボードを押してゲレンデまで移動した。オフィスがあるのはゲレンデの一番した。そこからリフト乗り場まではスノーモービルでバイスキーに乗った彼をひっぱっていく。もちろん後ろからスタッフが支えて。リフト乗り場まで行くとバイスキーの高さを付属のバーによって少し高くしリフトの座席と同じくらいまでにしておく。リフト乗り場では もちろん列に並ぶことなくすぐさま乗り込めるところまで移動。リフト乗り場のお兄ちゃんも手伝ってくれて一度リフトをとめて彼とバイスキー そして両脇にスタッフがのりリフトを再び動かしてもらう。上までつくとまたリフトをとめてもらい リフトから降りる。彼は体重があるので通常は一人でテダー(後ろから引っ張る)するのだが今回は3人でテダーする。彼がすべり始めると彼の前に一人 横に一人づつ そして後ろから2人のスタッフが彼に他のスキーヤーがぶつかってこないようにブロックをしながら一緒に滑り始める。 体温に気を使いながらこの日は午前中いっぱい 4回リフトにのりスキーを楽しんだ。「本当に息をしていればスキー出来ちゃうんだ!」と改めて adoptive ski programの凄さを目の当たりにした出来事だった。
November 3, 2005
コメント(0)
彼をなめちゃいけない、、勉強しているかも、、と書いて見に行ってみたら家に帰って食事をしてその15分後には寝ていた。
October 28, 2005
コメント(4)
M君のバスは朝 7時15分ごろに来る。これは車椅子用のリフトがついているバスで通常のスクールバスではない。そのためか時間が遅れがち。去年なんて13回も遅刻してそのたびに私は「バスが遅かった。彼が悪いんじゃない」と電話をし バス会社 学校 タウンへともっと早くにバスを来させてほしいと交渉してきた。バス会社は、、「遅刻してないはず」と言うけど確かに遅刻していた。長いバトルの末 結局彼らは高校が始まるのは7時50分だと思っていた といい、、(本当は7時35分)その正確な時間がわかったあともバスは時間通り来なかった。そこで 学校 タウンへ交渉は変更。「もし他のタウンのように通常のスクールバスに車椅子ようのリフトがついていたら彼はスペシャルのバンを使わないで学校に行かれるはず。それが無く またタウンが契約しているバン会社がきちんと運転手を時間通りに来させない。彼は車椅子だから学校についてからもバスの乗り降りも時間がかかるし 7時20分以降高校のまわりは大渋滞をするのだから家に15分には必ず来させて欲しい」と交渉。で、、、今年 少しはましになったかな、、でも 先週2回ほど遅れてきたので また去年のようにずるずると遅れられては困る、、とバス会社に連絡し 「去年は13回も遅れた。今年はそうならないようにして欲しいし この遅刻回数は学校でも Big problemとして考えている」と連絡すると「わかった、、でもバスに乗らないときには15分に電話をしてこないで 7時前にかけてきて」と訳のわからないことを言い始めた。ようは、、自分に非があるのは判っているけど はい、、判りました とは言いたくないようで その日にバスに乗らない という連絡をもっと早くしない貴方たちも悪いところがある といいたかったみたい。でも、、「どうして 15分に断りの電話をしているか判るの?15分より遅くなったら私が送っていくからその時点で来なかったから断っているんだよ」--彼が寝坊をしていることも多々なんだけど、、そこは伏せてーーと言い また「今この電話をしているのは バスを時間通りに来させて欲しい ということで 15分に電話をするか しないかは別の問題でしょ。」!!私の勝利でした。私の英語は このように学校や病院など困ったときには降って沸いたようにでてくるけど、、、目的のわからない会話(所謂世間話)は駄目、、。スイッチ オン オフでまったく頭が拒絶できちゃうのである意味便利かも。と、、前書きが長くなったけど(再び怒りがわいてきたからね)彼は今日 7時35分から授業があり放課後 エイジアン倶楽部で来年の2月にあるパフォーマンスで行うダンスの練習がありその後 試験のための講習会で、、、学校を出たのが8時35分。13時間も学校にいた、、長い長い一日だったようで、、今は明日の試験のための勉強をしている、、らしい。本人も自覚するくらいひどい成績のようで、、まあ 成績が悪いから勉強しなくちゃ って思うようになっただけでも進歩かな。なんて、、大学のことを考えたら言ってられないんだけど 小さなステップを大切にしなくちゃね。
October 28, 2005
コメント(0)
今日 初めてこのボストン近郊でspecial needsの子供を持つ親の集まり(お茶会)を我が家でひらいてみた。どんな人が来てくれるだろう、、ってちょっと心配だったけどとっても穏やかで楽しい会だった。音楽療法の先生も来てくれて彼女はさすがにセラピストだけあって人の話を聞くのが上手いなあ と感心した。じっくりと親のおしゃべりを聞いてくれていた。10時すぎから1時すぎまで、、ランチを挟んでの会でした。また集まりたいな。今度のテーマはどうしよう、、と今から楽しみが増えました。
October 28, 2005
コメント(0)
ーーーーーーーーーーーまたまた御知らせを出してみた。今のところ 参加表明は4名。1名もこないかなって思っていたから嬉しい。菓子パン作り お菓子作りの得意な友達に6人分の菓子パン(お昼ようの惣菜パン)とケーキを30ドルで注文しておいた。それもまた楽しみ。そう、、この会の目標を今日電話でこの音楽療法士さんと話していてはっきりと自分のなかで見つけた。「handicapが無いことがdisadvantageになるサークル」handicapがあれば誰でも無条件に参加できるのに、、handicapがないばっかりに 参加したくても、、参加するには「ちょっと考えさせてください」って言われちゃって、、でも入りたい!って皆に思われるようなサークルさ!とっても強気にいっちゃいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー再度の御知らせです。SpecialNeds のお子さんの居るご家庭を対象に10月27日 木曜日 Belmont にてオープンハウスを行います。時間 午前の部 10時ごろから12時ごろまで 午後の部 2時ごろから5時ごろまで気軽に参加していただけるお茶会です。お子様連れでも どのような形での参加も可能です。是非いらしてください。午前の部には 音楽療法士の00さんも参加予定です。今後この会では special needsのお子さんを対象に「音と楽しむ」プログラムを考えております。00さんが書かれたものをコピーします。 参考までにどうぞ。聴覚障害のある子供と音楽療法 - 日本の聴覚障害を持つ子供のために何が出来るか 全国の聾学校の在学者は2001年現在、ピーク時の半数以下の約一万千人になりました。少子化の影響に加えて補聴器の発達により、全聾、難聴の子供でも普通小、中学校に進学できるようになったためです。 厚生省の掲げる、障害者が社会にとけこんで暮らす“ノーマライゼーション”の実現が進んでいる現われといえるでしょう。1994年に、新しいタイプの補聴器「人工内耳」(じんこうないじ)が健康保険に組み込まれました。内耳に微小の電極を挿入し音を電気信号に変換、聴神経に直接電気刺激を伝える不可逆的な手術を乳児期に行い、特別な訓練をする事により、従来の補聴器では聴力を取り戻しえない先天性聾の子供が、音を聞きとり、会話ができるようになります。もっとも、2001年12月現在、全国にいる約二千人の人工内耳装用者のうち、乳幼児期からの装用者は数えるほどです。また、全聾で生まれた子供が聴覚を取り戻し言葉を話せるようになるためには、専門家による特別な訓練、および子供と家族の心理的サポート体制が不可欠であり、残念ながらそれが整備されている保育園は現在ほとんどないのが現状なのです。これに対し、私が音楽療法のインターン生として働いたニューヨーク州ブルックリンの先天性聾専門の幼稚園では、95%の児童が人工内耳を装用しており、一クラス約10名の子供に対して2人の学級担当の他、作業療法士、臨床心理士、スピーチセラピストそして音楽療法士などの専門家が協力して、多方面から子供達とその家族をサポートする体制が敷かれていました。全聾の子供は、親と言葉でコミュニケーションがとれないがために、子供の健全な成長に不可欠な親子の相互理解に欠きます。また、音が聞こえないがゆえに、周りで起こっている状況を十分把握できず、常に精神的に不安な状態にあります。その親は、子供に十分愛情を伝えられない事へのフラストレーションと、普通聴覚を持つ他の兄弟との関係に悩みを抱えている。この様な家族環境は、子供の言葉の発達の速さにも影響します。この点において、様々な専門家たちによる家族のサポート体制は非常に重要な意味合いを持つのです。そのなかで、私が専門とする音楽療法のユニークなのは、全聾の子供達が劣等感を感じる事のなく音の存在に気づき、言葉を学び、他者と意思疎通できるようになる環境を提供できることです。音のない世界に生まれてきた子供達が、音のある世界との関係に自信を持ち、言葉や音を使って自己表現する事を確実に手助けしていくことができます。2002年の新学習指導要項では、障害児学校は父母への教育相談を行うなど、地域障害児センター的なものと位置付けられているが、障害児と家族の様々なニーズに専門家を使って応える体制はまだ十分に整っていない。しかし、現在約17000名の作業療法士、8338名の臨床心理士、5587名言語聴覚士、338名の音楽療法士を抱える我が国においては、アメリカのような層の厚いホリスティックな教育カリキュラムを組む下地はあると私は考えています。障害児の社会参加と自立への道を開いていくために、専門家の一人として、他の分野の専門家と手を組み、子供達のより健やかな成長に必要な環境を作り出していきたい、と考えています。
October 24, 2005
コメント(1)
まったく!!何度このトラブルで電話をしたことだろう。アメリカの保険のシステム。M君がchildrens hospitalにいく場合(彼の場合にはchildrens hospitalでしか診てもらえない事が多々ある)M君の主治医に0月0日 00病院00科00ドクターに会いに行くと紹介状をその都度書いてもらいそれを 保険会社に送ってもらう→大体この時点でドクターから紹介状を書くセクションへうまく受け渡しが出来ない00病院にいき診察を受ける00病院が保険会社に請求する保険会社は全ての書類 手続きが揃っている場合 請求額をある程度払う。(保険会社が払わなかった残りの額は自分達で払う)だけど、、、最初のステップが大体つまづくので00病院から 保険会社から書類の不備によりお金を支払えない と連絡があった という手紙が送られてきて それをもとに保険会社に何の書類が不備であったのか電話をし(これで最低1時間) その次に主治医のところに電話をしこれこれを出して欲しいと電話をする。今日来た手紙は 7月に診察してもらった分の書類が不備だということ。でもこれは 9月に一度手紙がきてその時点で主治医のオフィスに不備の旨連絡したところ 手続きをすると言われた。でも、、、手続きしてなかった。その上これは3ヶ月以上前のものなので今更さかのぼれない とノタマウ。ここで怒り爆発!!主治医には 紹介状を書いて欲しい旨直接言ってある。その上で 00病院に行ったのに紹介状が行ってなかった。それを9月の時点でそちらに連絡したのに何もしなかった。それなのに 今更3ヶ月以上前のものはもうどうしようもないなどとはおかしすぎる。私達は何もミスしていないのに 500ドル以上支払わなくてもいいものに支払うなんて納得できない!!爆発してみたら、、、おねえちゃんが「ちょっとまってて、、」と紹介状を書くセクションに連絡してくれたけどメッセージを残しただけ、、。「連絡つき次第電話するから」というから「じゃあ連絡がなかったら月曜日にまた電話するから あなたの名前を教えて!」というと「水曜日までまって、」と。。。これのために費やした時間は2時間。そして精神的労力は計り知れず、、、。やっぱり日本の保険制度はいい と毎回バトルしながら思うのです。。。
October 22, 2005
コメント(4)
College fairなるものに行ってみた。夜の7時から9時。8時すぎに行ってみると学校の周り中に車が駐車してある。あれあれ、、と焦っていってみると想像とおり体育館の中に沢山の机が置かれてそこに各学校からスタッフが来ていてパンフレットを配ったり生徒たちからの質問に答えたりしている。M君お目当ての学校 4校のうちあったのは2校。+これもいいかな、、という1校計3校のパンフレットをもらい質問する。まあ それらしきところを選んだんだけど もちろん全ての学校が wheelchair accessable.中でも1校は 100%車椅子対応だそうでそれを胸はって説明してくれていた。キャンパス内を移動するバスも寮も全て車椅子で困らないそうです。となると、、あとはM君のお勉強次第ってことですね。頑張ってね。M君。当のM君 その場では神妙な顔をしていたけど、、説明が勉強へとは結びつかないみたい。今日は楽しそうな顔をして 明日の日本人学校の文化祭で売るクレープに入れるピーチを切っていました。M君の父親曰くーー日本だったら車椅子の子は説明会なんかで門前払いかそれに近いと思うよ。だから、、有難いねーーここのところ経済的に大変な我が家、、私は「日本に帰ったほうがお金の面では楽だし、、ここらが限界なのかな」って思っていたけど この一言でもう少し頑張ってみよう と思いました。
October 22, 2005
コメント(0)
山のようなゴミが。前回 地下の工事を始める前に捨てたはずなのに、、工事が終わって明日 荷物をガレージと屋根裏から地下の新しい部屋へと運ぶために荷物をまとめてみると、、またまたゴミが。えっちらおっちら働き蟻のように運ぶ。明日は週に一度のゴミの日。夕方から各家の前に大きなゴミ箱が並び始める。普通のゴミだって多いのに今は落ち葉も捨てなきゃならないし、、その上工事ででたゴミ、今回の片付けで出たゴミ、、家の前の歩道一列のゴミ。まったく、、どこから出てきたんだろう。明日はM君 SATの講習会。明後日も。そして明後日は高校の体育館で カレッジフェアーなるものが開かれるそうだ。体育館に色々な学校のブースが出てきっと説明とかしてもらえるんだろうな。本当はM君が行った方がとっても「言葉が通じて」いいんだろうけど講習会なら仕方ない。私がパンフレットをもらってこよう。
October 19, 2005
コメント(2)
先日も書いたようにようやく地下のリノベーション 改修工事が終わった。まだ少しは工事が残っているけれども、、ようやく地下が使える様になった。このアメリカでは当たり前のように遅れる工事、、どのくらいかっていうか キッチンの工事を思い出してみた。1--キッチンの工事をしたい と知り合いが頼んだ大工さんに見積もりを出してもらう。その他に5件くらい見積もりを出してもらったけど彼が一番安かったし、、何よりも彼は 本業が「牧師」なのでだましはしないだろう(こちらでは工事半ばにしてお金の持ち逃げが多く 前金 途中で数回 最後に と支払を分割します。日本もそうなのかな、、)と彼に決定する。2--彼(ミスターG)曰く 拡張する部分の基礎工事が終われば6週間で工事を終えることが出来る3--住んでいる町に工事に申請書を出す4--なんと、、敷地に対して家が斜めに建っているので隣の家との距離が短いため通常の許可は下りない。このような場合には スペシャルパーミットという特別な許可を申請する。5--山のような書類をそろえ 何度もタウンのオフィスに行ってようやくスペシャルパーミットの申請をする。6--月に一度 それも4件しか論議されない公聴会でどうしてスペシャルパーミットが必要なのか説明をするために、、、予約をいれたところ3ヵ月後になる この時点ですでに工事をはじめる とサインしてから半年。7--公聴会に出席し M君の車椅子用のランプ(スロープ)を作るためにキッチンを拡張する と説明する。あっという間に公聴会は終わり許可がおりる。8--キッチンの一部を壊すまえに チェックしてもらうと塗料に「鉛」が含まれていた。これは 1970年以前に建てられた家のほとんごが鉛入りのペイントを使っていたため、、仕方の無いこと。ちなみに我が家は築140年です。5歳以下の子供が居る家では鉛入りのペイントを使うことは今ではもう禁止されているので 鉛除去の業者にたのんで壁を壊してもらう。その業者が来る前と来た後に1回ずつ 「鉛測定やさん」がきて身体に害がない分量の鉛が空気中にあるかどうかをチェックする。9--ようやくキッチンの壁がこわされ外の基礎工事が終わる10--ここまででまた半年。あっというまに冬になり工事は一時中断。頼んでおいたキッチンのキャビネットも全て届き地下に放置される。この冬 キッチンの一部はブルーシートで覆われただけ、、氷点下の日をこれで過ごす。ちなみに次女は0歳!キッチンからキャビネット シンク がなくなって半年以上。ガスレンジとリビングにおかれたテーブルで毎日どうにや食事を作る。水は大きな入れ物にはいって1ドル50セントくらいのものを、、毎週山のように買う。11--ようやく春になり工事再開。と、、思ったら牧師のミスターGが宣教のために南米へいき工事がまた中断。12--工事再開。といっても、、1日にどれだけ進んでいるのか。ゆっくりゆっくりと進む。雨が降れば休み 夏の暑い日にも休み 風の強い日にも休む。いきない2週間くらい来ないかと思えば 電気やがやるのを待っている、水道やが来るのをまっている、、、などなど13--秋もすぎようやくクリスマス前にどうにかキッチンを使えるようになる。工事の契約をしたときにはお腹の中に居もしなかった次女が2歳目前にしてようやく工事終了。忍耐を覚えた毎日だった。
October 18, 2005
コメント(2)
家の地下をきれいにして部屋とバスルームを作った。家族6人に対してトイレが1つだったから、、朝はそれはそれはすごい奪い合いだった。M君に一番優先権があったんだけど、、それに対するブーイングもあっていずれ人に貸したり転売するときにも必要だし って事で思い切って工事を開始したのが 2月。6月末には終わるって言っていたのに終わったのは今日。8ヶ月かかっっちゃった。でもね、、去年終わったキッチンの工事は2年!まったくキッチンがない状態で半年以上すごしたんだけど、、今となってはどう毎日を過ごしていたのか判らない。何はともあれ 工事が終わってよかった よかった。新しい地下のトイレは 車椅子のM君が使う1階のトイレよりも広くて、、あれ!反対だよね とは一瞬思ったけどね。荷物を少しずつ移動して来週にはちゃんとした地下の部屋を完成したいな。これで お嬢様の部屋も綺麗になるのかな。明日 M君はテスト。日本でいう共通一次のようなもの。チャンスは数回あって その中で一番いい成績のものが大学を決める要素になり 大学も子供を選ぶ要素になる。ずっと雨続きだった今週。明日の後半からはよいお天気になるとか。M君のこれからも 晴れだといいね。
October 15, 2005
コメント(2)
日本から母が来た。M君とは同じ干支。辰年。小さいころ M君は自分が辰年 という事をえらく気に入っておりおばあちゃんも同じ干支だとわかったとき、、、「おばあちゃん 御願いだから辰年やめて」と御願いしたほど。沢山のお土産と子供達にお小遣いを持ってきてくれた。さっそく各々もらったお小遣いを持ってモールへ。M君は先日から欲しかったパンツを購入。44ドルーー半額の20ドルは自分で払い残りは私が支払った。洋服を気にかけるようになったんだね、、。そして昨日本当なら sat(アメリカの共通一次のようなもの)を受けるはずだったのに「まだ勉強が足りないから」と受けなかったM君。その後も勉強している様子など何もないんだけど、、。お小遣いをもらった昨日 さっそくいちぶ返却していただきました。オンラインで申し込んだから受けようが受けまいがもう引き落とされているんだから、、。やさしい私は80ドルの試験料の1/4の20ドルで手を打ってあげたよ。ま、、来月頑張ってくれ!これから2週間 皆で思いっきり美味しいおばあちゃんの手料理を楽しもうね。
October 10, 2005
コメント(4)
みんな来てくれるかな。こんなのを企画してみたんだけど、、。ーーーーーーーーーーーーーーーーーボストン近郊のspecial needsのお子さんを持つ家族のサポートグループ主催 第1回 お茶会。SpecialNeds のお子さんの居るご家庭を対象に10月28日 木曜日 Belmont にてオープンハウスを行います。時間 午前の部 10時ごろから12時ごろまで午後の部 2時ごろから5時ごろまでこの間 また前後でしたら いついらして下さってもいつお帰り下さっても結構です。(お時間に余裕のあるかたは簡単なお昼も用意してありますのでゆっくりなさってください。) お子さん連れ または親ごさんのみ 兄弟も一緒 ペットも一緒 どのような形での参加でもウエルカムです。どんなにお子さんが愚図っても はしゃいでも 泣いても 怒っても 楽しんでも、、、皆がリラックスできるオープンハウスです。 お茶を飲みに来てくださるだけでも 知らないことを聞いてみようかな と思ってきて下さっても ちょっと近くだから はたまたちょっと足を伸ばしてみようかな と思って来てくださってもウエルカムです。Special educationの事 病院の事 などに限らず 「special needsの子供を持つ家族」をきっかけに新しい知り合いをみつけてみませんか。 そして日ごろのバタバタから解放されて少しだけゆっくりとお茶を飲み おしゃべりをしてみませんか。場所については 以下のメールアドレスまでお問い合わせください。メーリングリストも作りました。その中でも情報交換していきたいと思っています。興味がおありのかたは 上記のアドレスまでメールでお問い合わせください。 このboston special needsでは 今後も定期的にお茶会をひらいたり 季節を楽しめるイベントや様々な行事を計画していこうと思っております。興味をお持ちの方は お気軽にお問い合わせください。
October 7, 2005
コメント(0)
アメリカに居ると 外食に行く時 「車椅子で行かれるかな」と心配をしなくて済む。町中いたるところにある ダンキンドーナッツには必ず車椅子用のトイレがある。トイレは幅がゆったりし 手すりがあるのみ。すごい設備があるわけではなく。すごい設備が整ったトイレが1室あるよりも 幅がゆったりとしたトイレが10室あったほうがよっぽど安心して外出できる。もちろん ハンディキャップ用の駐車場もある。先日レストランに行ったときも車椅子の彼が一緒にテーブルにつこうとしてもウェイトレスさんは動じない。「椅子 どかす?」って聞くのみ。そんな普通がいい。だから皆車椅子で出かける。だからどんどん車椅子が普通になっていく。慣れだもの、、、あんなもの。2歳の妹だって生まれた時から目にしている車椅子をもう乗って自分でこげる。もう何年も一緒にいる犬達も車椅子に驚いたりほえたりしない。でも街ですれ違って車椅子に吼える犬も居る。そりゃあ慣れてないものね。見慣れなきゃ驚いちゃうよね。M君が小学生だったころ 近所のショッピングモールに友達と行った。その友達がM君に「ちょっと車椅子貸して!」って言って車椅子でモールを一回りしてきた。そして一言「あーー楽ちんだった。あーー楽しかった。皆ドアもあけてくれるしね」って。車椅子1日体験をしてどれだけ不便なのか理解しましょう って言うのとは違うなあ と心底思った。まだまだ車椅子のままアクセスできない駅もある。お店もある。 トイレもある。家もある。でも、、、「普通」に近くなっている。街に車椅子の少年がいる風景が、、、。
October 5, 2005
コメント(0)
昨日の日記にも書いたけど 大分寒くなってきたボストン。そろそろスキーの準備を始めなくちゃ。セールをさがして少しずつ揃えなくちゃ我が家のお財布は干からびちゃう。今日犬の散歩をしていたら 妹Sちゃんのサッカー友達のお父さんにあった。彼は 電動車椅子の簡単版、スクーターのようなものにのっている。サッカーの応援にいつも来ているのでよく会うし 一台しかない場合うちか彼の車が必ず ハンディキャップ用の駐車場に停まっている。散歩を中断しちょっと彼と立ち話。話はどこからかM君のスキーの話になった。「どこでスキーをしているの?」ーーWaterville valleyか loonかな。時々コロラドにも行くけど、、「僕はSenapeeだよ」そんな話から始まってスキーをすることもそうだけどそこでM君が色々な人と知り合ったり 2年生から始めたスキーが自分の特技となりつつある今なかなか他人よりも秀でたところがないM君にとってスキーは自分が「得意」と思えそう口に出せる重要なものであることまで話していた。M君が8年生のときに書いた詩にスキーを題材としたものがあってそこでは風を切る爽快感や楽しさとともに 雪の上では自分が車椅子であるということがマイナスにはならない だからとってもいい というようなものだった。そうだよね。アメリカだからって全部がバリアフリーであるわけがなく車椅子ではいかれないこと、出来ないことがあるものね。本当にスキーに出会ってよかった と心から思った。彼が所属しているスキーの団体のホームページに スキーレッスンをとった子供の親のエッセーが載っていた。そこには「ここに来れば 電話で怒ることもないし 窓口でこんなはずじゃなかった!と怒り心頭になることもない。全てが障害を持った子供を中心に考えられているから」ってあった。日本より障害者に対して教育 施設 公共交通機関など全てに対して進んでいるといわれているアメリカでもやはり親は子供のために色々と「戦っている」んだ。アメリカ人でもそうなんだ。と思えたエッセーだったな。日本もアメリカもともにいいところも悪いところもある。両方を認めて 知って その上でM君には自分で何ができるのか やりたいのかゆっくりと考えて行って欲しいな。父親が「M君は素早く考えたり行動したりはしないけれども 着実だ。大きなタンクローリーは曲がるのに時間も場所もかかるけど ゆっくり曲がればきちんと進む」と訳のわからない解釈をしていたけど、、そうなって欲しいな。それには 私が「早く!もう!!」って言わないようにしなくちゃね。
October 3, 2005
コメント(4)
マサチューセッツ州にはMCASという 小学校から高校まで一定の学年で受ける共通テストのようなものがある。たしか、、4年生ごろから始まって最初は隔年で高学年になるにつれて毎年だったような、、気がする。(記憶が曖昧)テスト後 忘れたころに通知がきて 各自がとったスコアーとそれが学校のなかでどのくらいの位置なのか、地区では?州では?とわかるようになっている。これが導入されたときは 「先生がきちんと教えているかどうか いわば先生の評価のため」という説明だったけど、、いつのまにやらそんなのはどこに行ったのか。MCASのスコアーが高い学区は家が売れ その街自体が裕福になっていく。10年生でMCASにパスしないと (それまではパスしなくてもいいらしい、、)再テストを受けさせられ最悪高校を卒業できないか その前に自主的に退学していくようだ。そんな賛否両論のMCAS。我が家の場合親にとっては、、よくシステムや重要性を理解していないのでただのテストのようなものだったけど 子供達にとっては結構シビアな問題だったらしい。今日 M君の10年生の時の結果が出た。英語と数学 2教科・パスでした。おめでとう!!スコアも英語は良かったし、数学も充分な成績でした。二分脊椎によりシャントの手術をしているM君は 理数系が得意でなく 物事をきちんと整理整頓できない という事らしくそれにたいしてサポートをしてもらっている。障害を持っている子供達は学校にあがる学年になると各々 IEP(Individual Education Program)というサービスを受ける。2年毎に見直しのシステムがあり毎年どのようなサポートが必要なのか親と先生 専門の先生が集まってミーティングをひらく。M君の場合には 毎日最後の時間を Learning Centerというところに行きそのときに困っていることの手助けを受けたり授業で判らないところを教えてもらったりしている。(らしい、、、)そんなM君だったので 数学がある程度の成績をとれた という事はびっくりでした。最初は いつものようなスコアが送られてきたのだと思ったけど手紙が入っていて熟読してみると(私ではなく父親が) パスしていること、奨学金を受けられる範疇であることが書いてあった。奨学金といってもきっと「受けられる」人は沢山いるだろうが 家の経済状態や日常の成績も関係してくるので、、特に後者でひっかかっちゃうだろうな。でも、、おめでとう。これで少し大学に近づいたね。M君が生まれたのが昨日のように思えるけれども もう17年もたっているんだね。高校最後の1年は出来ればコロラドに行きたい と言っているM君。もしそうなったら一緒に暮らせるのも1年弱。焦ってしまう。どうしよう、、、。手が離れて欲しいような 寂しいような。待って!待って!って最近はM君を追いかけているような気がする。小さい時 車椅子がこげなくて 坂道なんかは涙を流して「待ってーーー」って言っていたのに 今では私の方が「待って!」だね。朝晩 めっきり冷え込むようになったボストン。もうすぐ雪の季節だね。今年も沢山スキーをするのかな。毎週 往復4時間 片道2時間のスキー場までのドライブが始まる。これも、、あと1シーズンになるのかも知れないと思うと感慨深いな。2年生の時から始めたモノスキー。スキーだけじゃなくて色々な出会いや大切な経験をさせてもらっている。M君よりも私のほうがそうかも知れない。ありがとね、、M君。アメリカ人のように自分の感情をストレートに出せない日本人の私はここで君にお礼を言うね。
October 2, 2005
コメント(0)
今年もバスケットボールのシーズンが始まった。ほぼ毎週 約40分ほどかけて水曜日の夜に練習まで送っていく。その間 家に帰ることも出来ず 末妹と一緒にマクドナルドに行ったりして時間をつぶした。M君の所属しているチームは、、、、大会に出れば1回勝てればいいかな、、って感じのチーム。M君は?って言うと 私も妹Sちゃんも彼にボールが渡ると内心「あーーあ」って思っちゃう。以前に見た ニューヨークのチームはすごかった。本当に早くて 皆凄い勢いでぶつかって行ったり壁に激突したり、、「男のスポーツ」って感じだったね。それでも「行きたい」って言われれば送って行かない訳には、、いかないでしょう。楽しんでね。久しぶりにあった 車椅子友達のアダムくん。彼とはM君が2年生 アダムくんが3年生の時からの友人。なんと、、、彼は片道1時間半以上かかる海沿いの街から今日は友達を乗せて自分で運転してきた。なんか、、、感慨深いよ。あのアダムくんが運転してくるなんて。後ろがへっこんでライトが壊れているのはご愛嬌だよね。アダム君 2年生のときにお母さんが運転する車の 生まれて3ヶ月の弟と乗っていて正面衝突されて脊髄を損傷してしまった。それ以降車椅子の生活。おかあさんは手術のかいあって すこしだけ足をひきずる程度。3ヶ月だった弟は脳挫傷で、、、右半身に麻痺が残り知的発達にも偏りがある。 アダムくんのお姉さんを友達の家に送っていった帰りみち 赤信号でとまっていたところに正面から対向車がつっこんできた。離婚したあと 再婚し男の子が生まれたばかりだったアダム君ファミリーにとっては 信じられない出来事だった。お姉さんは「自分が友達の家に行かなければ、、、自分が送ってって言わなければ、、」ってすっごく後悔したらしく 高校生になっても友達の家にすら泊りがけで出かけられないほとのトラウマになってしまった。その後 妹も生まれ 6人家族となり 離婚の危機を乗り越えて今は幸せな家庭を築いているアダムくんのお母さんは本当に素敵な人。人の痛みがわかり とても一生懸命私の英語も聞いてくれる。頼めば5時間かかるようなところでも向かえにきてくれるだろうな。きっと、、何時間かかろうと来てくれるだろうな って思える人。あの 小さかったアダム君が車の運転か、、。Mくんもパーミットはとったけどまだまだ実技の練習はこれから。どんどん皆大きくなっていってしまうんだね。
September 29, 2005
コメント(4)
レッドソックス 1勝1敗。ヤンキース 1敗。同一首位。よし!頑張れ!!M君 今日は一度家に戻ってきてからハイスクールのサッカーの試合を観に行った。友達が出ているらしい。このところ毎週のように行っている。ある日 M君の弟の友達の母親から聞かれたことがあったっけ、、「M君は 弟T君や妹Sちゃんが沢山スポーツをしていることについてどう思っているの?」って、、。そんな事考えたこともなかった。もう何年も前のことなのでその時 なんて応えたのか覚えてないけどなんて応えたんだろうな。M君にはM君の好きな世界 進みたい世界が出来つつある今なら「自分も好きなことしているから、、特に何か思うって事はないと思うよ」って答えられると思う。そういえば こんな話もあったっけ、、妹Sちゃんのサッカーの試合を見学していたアメリカに来たての頃M君の話になって 初めて会う父兄だったので一応の説明をした。二分脊椎で車椅子を使っていること 年齢のことなどなど、、一連の説明をした後にその 父親が言った事は、、「で、、M君の得意はスポーツはなんなの?」びっくりしたよ。日本じゃあ車椅子の少年がスポーツをするなんて というか一握りの人しかスポーツをしていなかったから、、あまりにも自然に聞かれてびっくり! 頭が筋肉の人って発想がすごいなって感動すらしてしまった。今は冬になると毎週末モノスキーをしに行くM君。M君が産まれて障害があるって判った時 スキーが大好きだった私は「あーー、これで家族でスキーに行く って言う夢は無くなったな」ってすっごくがっかりしたっけ。その後アメリカに来て最初は上手にバランスをとれなくて泣いていたM君のモノスキーがある程度上達して家族で山頂から最後の一本 を滑った時に見た夕焼けと雪に覆われた山々の景色は忘れないだろうな 一生。今は一緒に滑っても(滑ってもらっても!?)常に「まってーーーー!」と言い続けている私。悔しいけど とっても嬉しいな。
September 28, 2005
コメント(0)
ペートリオッツが勝って。これで負けたら2試合連続だもの、、。絶対に優勝できなくなってしまう。頑張れ ペートリオッツ。夕食の後 家族そろってテレビ観戦。もう皆大きくなってきたので皆で同じ番組をみることが少なくなってしまったからこれも貴重なひと時。今日 M君は髪の毛を染めた。先週1回染めたけどアメリカのヘアダイだったので黒髪の方がかってしまい彼の思っていたような色にはならなかったらしい。昨日日本のヘアダイを購入し今日さっそく友達に染めてもらっていた。ちょっと茶髪の車椅子アジア人誕生。
September 26, 2005
コメント(0)
今週 M君はとてもいい子だ。というのも 妹が爆発したから。自分から言われなくても 末妹の面倒を進んでみたり 犬の散歩や掃除 ゴミだしをしている。朝だってちゃんと起きて学校にサッサと行く。もともと彼は歳の離れた末妹をとても可愛がる。お風呂も入れるし 食事も食べさせる。おしめだった換えるし ひざに乗せて車椅子で散歩までしてあげちゃう。この末妹 2歳のくせにすでに車椅子を操れる。これって 障害児の兄弟の特権だね。いつまでこの 蜜月の関係が続くか、、。あと2年でM君は家をでて行く(はず。。)そうしたら二人の関係はどうなっていくのかな。楽しみのようで不安なようで。これから先 どんどん一緒に暮らす家族が少なくなっていくんだね。specialneedsの親のサークルでひとつの活動を思いついた。来月実現できるかな。出来るといいなあ。小さな一歩を踏み出したいな。
September 24, 2005
コメント(0)
最近M君の妹の態度が良くない。ダンダンダンって階段を降りてきてシャワーをあびてあっと言う間に学校へ行く。学校から戻ってくるとチャットとテレビ。あまりのことに今日「態度が良くない」と怒ってしまった。すると、、彼女が泣きながら自分の悩みを話し始めた。アメリカで暮らすアメリカ人以外が感じる「自分は何人なんだろう」という思い、スポーツをしているので時間がなく今まですごく仲の良かった友達が他の子と仲良くなり始めて焦っていること、皆が思っている自分は本当の自分じゃなく でも本当の自分は皆が好きになんかならない自分だと思っていることなどなど、、、M君のことを考えるとこのアメリカで妹弟が育ったことはよかったのだろうと思うし彼の教育環境は 生活環境は比べ物にならないほどに選択肢があった。でも彼女たちにはどうだったんだろう。これは M君に関係なくこのアメリカで生活すると決めた親の問題ではあるけれども、、、彼女の悩みを聞いていて こんなに深く考えているんだ 荒れている態度の裏には自分でもコントロールできない自分の思いがあるんだと 判った。彼女の重い思いは私にも思い。これなら 荒れた態度のままで居てもらった方が楽だったなどとも思ってしまった。M君は自分は何人なんだろう という思いのほかに 障害者と健常者という社会の中で自分を見つけていく、、そんな思いをどう自分の中で折り合いをつけて行くのだろう、つけて行くのだろう と考えさせられた夕方だった。
September 22, 2005
コメント(0)
M君あてに2通のダイレクトメールが来た。1通は U.S.Armyからの勧誘。中には U.S.Citizen--Legal resident--Neitherとチェックするところがある。って、、事はグリーンカードも市民権も持っていないM君でも志願できるんだ。 これでもし志願を却下されたら「障害」がネックになったってことだよね。この「今」のアメリカでそれをしたら大変でしょう。裁判になるよね、、、。って事は入隊させるってことなのかな、、。どんな部署につくんだろう。どういう風に昇級していくんだろう。もともと障害があるけど veterans(軍隊にいて怪我をして障害者になった人)のサービスは受けられるのかな。などなど 不思議がいっぱい。M君 今問い合わせると 「Get more info.Get a free personalized dog tag」だよ!問い合わせてみたら、、。もう1通は New York Law Schoolから Disability employment law and policyの講演会の御知らせ。英語じゃなかったらなあ、、、ニューヨークまで行くんだけどな。残念。英語だもん 行っても収穫はパンフレット って事になりかねないから。 講演者は ada法が出来た1990年に アメリカ合衆国側の弁護士だった人みたい。 聞いてみたかったのになあ。M君 私の代わりに聞いてきてよ。って言うかあなたの問題じゃない。明日 目の付くところにこのダイレクトメール2通 置いておこう。
September 21, 2005
コメント(0)
今日からブログと bostonspecialneedsのメーリングリストを開始。重い腰をよっこらしょっと上げて頑張ろう。長かった夏休みも終わって新学期。無事に1週間が過ぎようとしている。子供達もみな元気に学校へ行き昼間少しだけ静かな時間が出来て来た。小学校2年生でこのアメリカに来たM君も11年生。あっと言う間の毎日だったような 長かった日々のような、、。今までのこと少しずつ思い出しながら彼と一緒に今まで体験し知りえた事をまとめて行こうと思っている。どうなるかな、、。
September 20, 2005
コメント(3)
全41件 (41件中 1-41件目)
1