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仕事が徐々に忙しくなってきたそういえば 去年も 9月からは 2週間に一日のペースでしか休めなかったなあ仕事は なんでも大変だ仕事がらみの 面白話 あるには あるその昔、 アパレルの営業をしてたころ 販売応援というものが あり 大手スーパーとかが 新規オープンや 改装オープンってことになるとメーカーの担当者が駆り出されお店まで 売り子の応援にそれは 秋田にある 大手スーパーに 応援においらが駆り出された時のこと婦人服の売り場に立っているとかなり 田舎から出てこられたような いでたちの おばあさんが右手に 黒いロングコートをもって おいらに話しかけてくる しかーし これがすざまじい 秋田弁で 主語も述語はおろか 単語さえも解読不能完全な外国語と化し なにを 言われているのか さっぱりわからないそれでも いろいろ 話しかけてこられるので「 そうですね・・」「 あ、はい・・」「そうです・・・」 とか こんな感じでそんな 相槌をうって ごまかしていると急に プイっと 怒って 去られてしまった何が起きたのか わからず ぼーっと してると近くにいた 優しそうな おばさんと目が合いおいらが 手を広げ ???? 的な まなざしを向けるとおばさんは・・・あなた、どこの人? とおいらは「今日は応援で ここらの人間じゃないんすよ・・・」とおばさんは 道理でと・・・的な微笑みで おいらに今の おばあさんは あなたに「 この コートは 私には派手ですか? 」 「このコートは こんな年寄りには 似あわないよね?」と、 激しい秋田弁で おいらに聞いたのだとその問いに対し おいらは 「そうですね・・」の連発でそりゃ、 気も悪いはなあ・・・・・いい加減な 相槌は 危ない 危ないそうかと、思うととある 都内の お店に 応援に行った時試着室を 定期的に カーテンを直したりしてると値札と 下げ札が ちぎられ下に万引き というか さも自分の服のように着ていったようだそうかと 思うと な、な、 なんと ピンクの パンティー が 落ちてたなんてこともあるでも 最高に 驚いたのが靴もないのに カーテンがしまっていて声かけながら あけるとしょ しょ 食用ガエル???じゃ なくて 大盛りの ウンコこれには たまげたここで すんのかい?? と 突っ込むしかない恐るべし 試着室なのだでも、実は 1番 自分の 笑いの 壺を 突いたのは紳士靴 売り場に 休憩時間に 自分の靴見にいったら いっぱい並べられた 靴の中にボロボロの履き古した 黒い皮靴が・・・・明らかに 自分が今まで履いてきた靴を並べ 代わりに新品を 履いて帰ったと思うがこれって 有りかも・・・・・悪いことと思いながらも プット 噴き出して しまう 自分がいたのだ
2009.08.25
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今日もあつい日曜の上海の夕方相変わらずの ゴロゴロと雷が うるさい今日は 髪を切りに いつもの床屋というか 美容院というか上海に住み出してからは 散髪といえば この店と決めていてマスター(そんな風には絶対呼ばれてないが・・・)にも すっかり顔なじみの 変な日本人のお客でこの小さな店では まぎれもなく 唯一の日本人客というか外国人客はまちがいないおいらが住んでいるのは 上海でも郊外だがこの美容院は まだ更にそこから郊外に車で15分走り店にはイスは 4つで 従業員もマスターと奥さんと奥さんの妹の3人しかいないこのマスター 中国人にしては珍しく 口数が少なく髪を後ろで束ね なかなか渋いしなにより腕も確かで しかも安い 今日もしっかりカットしてもらい 10元(140円)日本では ありえねー 値段なのだそういえば 日本でも 45歳くらいまでは かたくなに床屋しか行かなかった前に日記に書いた カーリーヘアーにした時は別としてしかし、ある日 いつもの床屋が混んでいて初めて、隣町の行ったことのない床屋行った時のことそこはチェーン店で まあまあ大きな床屋さんで、髪をカットする前に ここでは鬚を剃ってくれるようだがリクライニングを倒され 髭剃りが始まる まさにその時すぐ隣の 椅子に おじいさんの お客さんがきて 座ったおいらには シェービングクリームがたっぷり塗られまだ 若い床屋のお兄ちゃんが マスクをはめて剃らんとするのだがまず、どうも、このお兄ちゃんが 妙で 怪しい息遣いが荒く 悩ましく 要は カマっぽい・・・いや まぎれもなく カマと断定できうる オーラ全開なのだしかも、それだけに とどまらず隣に座った爺さんがドリフターズのコントで 志村けんさんが 演じる 爺さん そのものの ような 爺さんで店の兄ちゃんが おじさん髭はそりますね? と 言うと「 あ、 あ、 あんだって??」店員さんが さらに 続け耳の横はどこまで 剃りますか? と言うと「 あ、 あ、あんた 耳まで剃ったら、ものが聞こえんぞ」と、もう おいらは自分の髭剃りどころでなく震える笑いをこらえるのに必死でしかも、こっちは こっちで オカマちゃんの カミソリが迫ってくるし髭剃りが 終わるまでの この体中が震える笑いをこらえながらオカマちゃんのの悩ましい息遣いを 浴びながら 鬚を剃られる時間はもう、拷問のような 時間でそれは 髪切りは 美容院と決め床屋と名のつく店には 行かないようするのだと決めさせた ある夏の出来事だった
2009.08.23
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言葉が通じないというのは不便 このうえないそろそろ 美人で やさしい 中国語の家庭教師でも雇おうかな・・・・しかし 通じないなら 通じないで ストレス解消法があり実はこれは 相当前のことだが 仕事で アメリカに初めて行った時のことだがそれは ある会社の研修ツアーに 当時おいらが勤めていた会社から唯一おいらだけが参加し、いろんな会社の人とで一団となりあちこち視察するものでそこで、仲良くなったHさんと みつけた悪い遊びがある言葉が通じないことを いいことに無愛想な アメリカ人の店員のおばさんとか いるとでかい声で 「 この おばはん 顔もひどいが 性格まで ひでーぞ・・・」とか、面と向かって とても言えないことそれも くだらないことばかり 言いまくり これって 悪いこととは思いながらも 結構 ストレス解消になるそんな癖をつけたまま 成田空港に帰りつきすっかり意気投合したHさんと成田エクスプレスで 都内へ戻るとき4人がけの 座席で たまたま乗り合わせた 西洋人の男の人まじめそうな銀縁メガネ で 半袖のカッターシャツから出た太い腕は ジャングルのような剛毛旅行の時の癖は ぬけず Hさんと「 こいつ 毛深いよなあ・・・ 蚊も 抜け出せないぞ 」 と いつもの調子で通じないことを いいことに と、と、と、ところがあろうことか その西洋人が「 チ・ヨ・ッ・ト・ イ・イ・デ・ス・カ 」 と まあまあの日本語で話し かけてきておまけに その真面目そうな 風貌のくせに何をいいだすかと おもいきや「 キ・セ・ル シ・マ・ス・カ ?」「 ワ・タ・シ・ キ・セ・ル・ノ ヤ・リ・カ・タ ベ・ン・キ・ョ・ウ シ・テ・キ・マ・シ・タ」と、いって 東京まで行くといいながら 150円と かかれた 切符をうれしそうに おいらたちに 見せ ウインクするのだ「 おまえ 誰やねん 」 こういう時は 大阪弁で つっこむ しかないさすが 成田エクスプレスいろんな 外人には ことかかない
2009.08.22
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最近 頭の生え際の右側が 乏しくなった気がする あくまで 気がするだけ 認めたくはない まあ、遺伝系統をたどると とっくに もっと禿げていてもいいのだから 贅沢はいわないが しかし 弟は フサフサで 同じ系統でも あてにならない パーマとかを かけていた 昔がなつかしい 昔 松山千春さんが パーマをかけたのが 致命的になったと 何かの記事で読み 納得した 記憶がある おいらの髪型遍歴は 高校までは 丸坊主 大学時代は その反動もあり とにかく長髪にあこがれ 伸ばしまくり ただ 床屋や美容院に行く金は 食費か酒代にとって代わり 邪魔なので 前髪のみ 自分で切る 横と後ろは伸び放題 ある時、レンタカーのお客送迎のバイトで ミニバスみたいなの運転してたとき 夏休みで 家族連れが乗ってきて 小さい子が お母さんに 小声で 「 ママ、あの運転手の人 原始人みたい・・・」と 耳うちしていたのが 聞こえ、落ち込んだものだ 本人は ニールヤング気取りだったのに 俺は はじめ人間ギャートルズかと 一人つっこみを いれた また、あるとき 連れと 銭湯にいき 早風呂のおいらは 先に 外で涼みがてら 待っていて 赤いジャージ着て 長く伸びた髪を 手ぐしでとかし うつむいて座っていたら 酔っぱらった じいさんが 「 おう ねちゃん 彼氏待ちけ?」 と からかってきた おいらは ひげ面で髪を かきあげ 「 違うでえ・・・」と 太い声で じいさん 腰ぬかしかけ、持ってた桶をおとしかけていた 長髪が何より よかったのは 好きな 女の子の使っている シャンプーを とある 筋から 聞きだし 同じ シャンプーを買い それで洗い 髪を振ると 「 あー あの子の香りや・・・」 (変態との声がしてきたので この辺で・・・・) 初めての パーマは忘れもしない 桑名正博さんが セクシャルバイオレットで クリスタルキングが 大都会で ブラウン管に出だして カーリーヘア を なびかせていたころ 「 あんな髪型 一度はしてみてー 」 予感的に 顔のでかい おいらには ??? でも ひょっとして かっちょいいかも?? という あわい期待を胸に 美容院に 美容院のお姉さんに 震える声で か、か、カーリーヘアーにと告げ たんたんと お姉さんは 髪を丸めていき おかまみたいなやつが 頭にかぶされ 待つ 待つ ・・・・ もう おいらの頭の中では 桑名正博のイメージが 勝手に膨らみ 早く おかまをはずして みせてくれい・・・モード全開 おかまが外され 髪を巻いたローラーみたいなのが外されていく すべて はずれたのが早いか お姉さんの 「 ぷっ・・・」 と 吹き出す声が早いか 鏡に映るのは 桑名正博でなく 寅さんの 男はつらいよ にでていた 佐藤我次郎 しかも、伸ばしていたつもりでも カーリーにするには 髪がまだ短く 肩までないと さまにならない カーリーヘアーが 巻いた後では 耳の少し下までしか なくなり できそこないの おばさんのような 髪型になった おいらは 一晩 誰にも会わないように過ごし 翌日 隣の町の 美容院まで せっかくかけた カーリーを おとしにいった 一生の中で たった一晩の みじかーい カーリーヘアーでいれた 時間であった もう、かけることない いや かけれない カーリーヘアーなのに
2009.08.04
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日本も梅雨が長引いているようだが 上海も同じ様相だやっぱ夏は夏らしく これに限る今日は ついに ズボンがちと きつくなったのでズボンを買いに街にユニクロも本格的に進出 そこそこの広い売り場で 日本と出てる商品も変わらない値段も日本円換算でほぼ同じ まずまずの客の入りユニクロでなく ディッキーズで1本 いつものより1インチ大きいのを購入早く 痩せないと 着る服が・・・・・学生時代は こんなおいらでも まずまず しまった いい体で なにしろ 絶対的に金がない そこへきて例えば 大きな買い物(ラジカセとか エフェクターとか)買うには 食費を切り詰めるしかなく おのずと しまった体にはなるしかし、そんなころは ダイエットなどという言葉も ましてやメタボなどという言葉もあろうはずもなく ましてや 食べ盛りいかに 安く満腹にするか 常に それしかない頃だ当時、おいらが 編み出したのは1. 「 気分だけ焼肉作戦 」 焼き肉のタレ のみ買い 肉は高くて買えないので 野菜のみ買い 肉の代わりは しいたけで タレが焼肉のタレなので 焼き肉たべた気になり ごまかしていた2・ 「 パンの耳作戦 」 下宿の近くのパン屋さんの前に パンの耳が 大きなビニール袋にたんまり入り 50円で売っていて レトルトのボンカレーを買ってきて 温め どんぶりにあけて このパンの耳を つけて食べる これで2日はしのげた3・「 カレーうどんで2度おいしい作戦」 学食の昼食や、外食の晩飯で、よく使った作戦 カレーうどんと ライスを注文 先に うどんのみ食べ あとでライスに残った カレーうどんの汁をかけカレーライスに かなりしゃびしゃびだが 満腹は約束できる4・「王将 ライス(大)のみ作戦」 下宿の近所の駅前の、餃子の王将には、お世話になった 当時は餃子1皿サービスのサービス券があり、金がなくなると その券を握りしめ ライス(大)のみ注文し、そのサービス券をだし 餃子とライスのみで・・・ 最初は恥ずかしかったが 慣れとは恐ろしいもので すぐに平気になり、あろうことか、ごはん 多めでとか 言えたりもするようになる金がなくなると だいたいこの4つの作戦を慣行し空腹を満たしていたのだ太って 痩せたいなどと いう時代が来ることなんかあの頃 想像すらしなかったどんなに 馬鹿食いしても 太らず吸収できた新陳代謝のよい肉体に なんとか 戻れないかと ぽっこり 丸みを帯びてきた おなかを眺め 思うのであった
2009.08.02
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まだまだ お腹は 本調子でなく・・・・ 日にち薬かな毎朝 出勤は 車で職場の仲間を途中 途中で拾い3人ほど乗せてくるのだがお腹痛い関連で 急にもようした時の話をあれこれしながら中国では もし 田舎などで もようしたら 傘を使い傘に身を隠し ことを済ますとのこと傘か・・・・ そういう手があったかさすが中国4000年の歴史 考えたなおぬし・・・・的な私も昔から腸が弱く 急な 便意で いろいろ苦労はしたが以前日本で会社勤めの頃 朝 出勤するのに 自分の運転の車で大体決まって1時間かかる急な 便意には ガソリンスタンドか トイレのある公園くらいしかことを すませれる場所はなかったそのころは コンビニにも使わしてくれるトイレもない頃その日 私は 急激に 猛烈な 便意に襲われよく使っていた ガソリンスタンドも 公園も かなり そこからは先でとても 持ちそうもない・・・・・・通勤路は 割と前半戦は 田舎の田畑も多いのどかな風景の道後半戦は次第に 都会に近づいていき 町の風景前半にもようしたので 私は 思い切ってというか やむにやまれず人影のない 少し 小高くなった 畑の横に車を止めもう こうなったら 野でするしかない と 覚悟を決め小高くなった畑に駆け上がり回りを軽く確認 ちょうど ころ合いよく 山芋かなにかの大きい 葉っぱに 身までは隠せないが 尻くらいなら隠せるこのとき 先の中国人が教えてくれた 傘があれば より完璧であったろう初めてだったが 野でする開放感は なかなか だなー と感慨に浸る私の目に 飛び込んだのは ななめ前方にかなり腰の曲がった小さなお婆さん 誰もいないと思ったがどうやら 芋の葉に隠れて 見えなかっただけかもしれない約1分ほど 御互いに 沈黙の時が流れ しばらくするとお婆さん 怒るでもなく 笑うでもなく 少ししゃがれた声で 「 埋めてけ・・・」私は 「 あ、はい ・・・」と 力なく パンツをはくのも忘れ返事を返すのがやっとであった
2009.07.13
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その昔 ちんけな商社勤めのころ アイキャン ストップ ロンリネス ~ クレームが止まらない~ なんて、替え歌 歌って トラブルを誤魔化していたが 昨日から アイキャン ストップ ロンリネス ~ 腹痛が止まらない~ そうなのだ 上海に 住みだして1年3か月 その前も 月一ペースで出張できていて 初めて 食あたりで 腹痛と下痢で 昨日の朝から ノックアウトで したがって更新も遅れてしまった 今朝は 市販の薬では ラチがあかないので 医者に行き 点滴をしてもらった 朝、出すもの出していったので つくなり 大便を検便と言われたが いくら がんばっても 昨日から 何度も何度も行って ネタ切れで 血液検査のみ 血液検査も 手出せといわれ 有無も言わず 指先をつま楊枝のような もので 一刺し タラーっと流れた 血を採取され なにかにつけ 日本とは やり方が違うのだ 今日は日曜日とあってか 医者は いかにも 少し前に医大 出ました みたいな 女医さんが 2人で 一度に向い合わせた 机で それぞれ患者を 同時に診察していく 私は 職場の同僚につきあってもらいだが 最初先生は いろいろ聞いてくるが わからずに ポカンとしていると 先生は 「 おまえ やる気あんのか ?? なめてんのか??」 みたいに まくしたててくる 同僚が説明すると なんで こんなとこに しかも日曜に 日本人のおっさん くんねん・・・ みたいに 納得した ご様子であった しかし 実をいうと 過去には この腹痛どころの騒ぎではない 猛烈な食あたりに やられたことがある それは 当時勤めていた 職場で 後輩のN君と 私で インドネシアの バンドンに 出張した時のことで 帰国日までは なにもなく 順調にスケジュールを消化していたが 帰国の日 バンドン空港に着いたころ 便意をもようし その時は まだ 腹痛もなく 夕方に したくなるなんて 今日は珍しいなあ・・・ 程度であった しかし 飛行機に乗り込むやいなや 腹から背中にかけて 槍で 突かれたような激しい痛みが襲ってきた しかも 隣のN君はというと 額に油汗 もしや??? そうなのだ 二人同時に発病したのだ このころは 直行便がなく 夜遅くにシンガポール空港に着き 5時間ほど時間をつぶし 乗り換えて 日本に飛ぶのだ 私とN君は シンガポール空港の 待ち会い室の隅のイスに横たわり まだ 症状が多少軽い私が 診療所を探すも 夜遅すぎてクローズ 5時間の間 N君と二人で うー とか ひー とか 唸りながら 数分おきに 襲う激痛と 1時間おきに 襲う 便意に 耐えていた 日本の空港について すぐ 診察室に行き 検便 連絡があるまで 家から一歩も外には出ないようにと言われ 翌日 家に電話がかかり 「 ご安心ください 特に伝染病的な菌は確認できませんでした」 と、保健所のお姉さんは明るい声で 私は 「すいません 連れのものも大丈夫でしたか??」と 尋ねると お姉さんは急にマジな声に変わり 「 赤痢菌がみつかり 隔離入院となります・・・・」 ま、ま、まじかよ 私はすぐ N君の家に電話 「 保健所から 何人も家にきて廻り消毒されて もう 大騒ぎっすよ・・」
2009.07.12
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久々 学生時代のことでも以前一度 心霊現象をお芝居でした 先輩の話は綴ったがとにかく 当時は 笑いを求めていたし おもしろいことをいつも探していたあとは ほんと大人げない 今どき子供もしないような悪戯ばかりしていた今 思えば ほんと罪つくりで 御叱りを受けるものばかりだがすでに 時効ということで 御許しいただきたい手軽なものは 授業の講義のとき わざと知らない人の隣に座りとなりの人がトイレとかいってるうちに筆箱とか メガネケースとかを 両面テープで机に貼り付け自分は席を替え 少し上段の位置(大学の大教室は階段状で後ろほど高くなっている)から それに気づくまでのリアクションを仲間と見届けるのだ、筆箱が動かないのに気づいた時に 怒りの表情を取る人 プット噴き出す人まったく無表情な人 リアクションは様々で その人の性格がよくわかるあと、おもしろかったのは デパートまで仲間で行き時計売り場に行き 手分けして 商品を見るふりをして同じ時間に すべての目覚まし時計をセットしていったん売り場を離れ その時を待ち もの影から その様子を見るのだ午後3時 売り場の ありとあらゆる 目ざまし時計が一斉に鳴り出すお客さんはもとより 店員さん となりの メガネ売り場の人や文具売り場の人まで 飛んできて 大騒ぎなのだ当時は 今ほど こういった事で 爆弾だとかというのでなくみな どちらかというと 笑いながら だれが こんなバカなことしたのだみたいな ほのぼのとした 感じではあったあとは 悪戯というより ひとを驚かすものでこのデパートのエレベータ エレベーターガールもいなかったので我々は 2階から数人で乗り込み 1階のボタンを押す全員で エレベータの中で 逆立ちをするのだ お客さんが待つ 1階について エレベータが ぱっと 開くと中の我々が 全員 逆立ちしていてお客さんたちは これまた いろいろで 心底びっくりする人軽蔑の眼でにらむ人 笑い出す人 完全無視の人いろんなリアクションがあるのだこれ以外も いっぱい いろんな悪戯したが今日は時間がないので また次回ってことで 失礼します
2009.07.02
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昨日は午後から 梅雨らしい まとまった 雨ついに 今日は 午後から手術・・・・3つ 怖いものを上げろと言われれば 迷わず即答できる1・高いところ2・ヘビ3・病院(特に歯医者)背中のちょっとした脂肪のかたまり 切るだけで大袈裟な・・・・そういえば 以前 よその奥様がたに この脂肪のかたまり 夏のTシャツ越しに気付かれたとき その奥様が いうには うちの旦那もできていたんだけど 旦那も そりゃ 切るのに もう 大騒ぎほんと 男はだらしない・・・・と 吐き捨てられたそりゃ 奥様方は 出産という 大仕事を経験してるのでこんな 脂肪のかたまり 切るくらい 出産に比べりゃ 屁のツッパリにもなりゃせんは という 感じなのである女学生のころは 虫も殺さぬような 顔をして歳を重ねれば 何殺すかわからんくらいの 変わりよう クワバラ クワバラしかし 女性というのは その気にさせると 乗りがいいというか 勝手にその気になるんも 確か私の 体験(いかがわしくはないので 殿方は期待せずに)で小学生の時 各班に分かれ なにか 催しもの か 出し物を会で披露せねばならないと いう 課題が 各班に出された我が班の男子は 私以外は 超ガリ勉君 約1名 まったくリアクションゼロ 無駄口ゼロの まるで空気・・ 君約1名絵はかなり うまいが 幼児的な馬鹿さが抜けきらない 幼稚君1名女子は3名だが クラスでも 活発 アーンド まずまず かわいい的な 粒ぞろいが偶然揃っていた女子3名は こういう場合 他の男子3名には 無理と即座に判断し私に 「 何 すんのよ・・・・ どうするのよ・・・・」 と 攻撃開始 私は しょうがねーな せっかく 美形揃いだから 「 俺 プロデューサ んで お前ら3人 歌手のグループ 歌え!!・・・」女子は 「えー うそー、信じらんない・・・」とか いいつつ まんざらでもないモード 全開誰の 何を 唄わせたか 記憶が定かでない・・・ フィンガー5か うんーー 思い出せないただ 歌う3人に 私は 偉そうに 軽い振り付けや 歌唱指導こういうこと やらせたら 我ながら 小学生にしては 天才的にうまかったし女子達も こういうふうに 指導されながら歌うことが 新鮮であったようだ「 さびの 伸ばすとこ そろってないよ・・・」「 もっと 感情入れて 歌詞が伝わらないよ・・・」「 そこは 御互い 目と目を合わせて 微笑むと さまになるよ・・・」とかもう、 敏腕プロデュサーのごとき不思議なことに 女子3人は 反発するどころかいえば いうほど 目を輝かせ こうかな・・・・ こうですか・・・・しまいには 私がなにか 言うと 「解りました・・・」 と 敬語で答えるまでになる完全に 新人歌手グループと 敏腕プロデュサーの 力関係的構図に ・・・・完全に 彼女たちは 自分が歌手になった気に 錯覚し私を プロデューサーか ディレクターと 錯覚しているのだこんとき ほんと 女子はその気になると 恐ろしいと 身をもって体験したのだしかも、会が終わると 速効で現実に戻り敬語どころか アホ 馬鹿呼ばわりで いつもの 立場に逆戻りほんと 女子は恐ろしいのです高いところ と ヘビ と 病院の 次に 怖いのは・・・・ いや 一番はやっぱ 女子か ?????
2009.06.30
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どんな忙しても 毎日更新 それが夜でも継続は力なり・・・・久々帰国すれば 超多忙いたしかたあるめいなんの因果か 初レコーディング初日の今日マイケルジャクソンの訃報が時を同じくして届く・・・?? また偉大な エンターテイメントが去った 英語もダンスもわからん私でも マイケルの歌やダンスはイカシテいた ご冥福をお祈りするしかない レコーディングのネタはまとめてするとして 今日家に戻り TVをつけると夏歌特集で 昭和 平成の アーチストがいっぱい出ていた 夏は 大好きな季節 夏休み スイカ 盆踊り 花火 キャンプとか とにかく イベントや 楽しい行事 目白押し的な雰囲気だけでも 他の季節よりも わくわく感いっぱいで 私みたいな 単純 お祭り男的 女子との出会い満載季節期待男は 心騒ぐのはいたしかたあるめい そういう意味では 中国の男女はどないやろ・・・ そういう わくわく的な行事はあるのやろうか・・・・ 中国から離れりゃ 離れたで 気になる 第二の祖国 そういえば 夏休み 思い出すのは ちょうど 盆踊りが学校のグランドで大々的に行われる日 前々から 連れたちと約束していたのだが そんなときに限って 親戚が我が家に来る しかも、美人4姉妹で名だたる いとこのお姉さんが来るという 私は 美人4姉妹の親 つまりおばさんの 末の妹 つまり 我が母に なんで 今日に 来るのよ・・・・ と 文句タラタラ 私は そうはいっても 年に一度の盆踊り大会に 行かないわけには行かず この日のために 買い込んだ紺と白のチェックの半袖のボタンダウンと それにまったく合わない坊主頭で 盆踊りを堪能した もう家に辿りつく頃は 夜も更け 夕食も共にできない 美人4姉妹のいとこのお姉さんたちとも 話もできないまま 家ついた時 玄関はまだ私が帰していないにも関わらす 施錠され 入れず どっか あいてるとこ ねーべかと 物色 「 そうや おいらの部屋があるべさ・・・・ 」 カーテンなどない おいらの部屋 しかし 覗き見ると あろうことか 美人4姉妹が たこ部屋的に おいらの部屋で 寝ておみえだ しかーも 4人とも カットソーのワンピースみたいな 寝巻き姿で 股は全開 おけつ丸出し状態 私はなぜか なぜか もう一度 なぜか ・・・興奮するのでなく どんな美人でも 寝れゃ・・・ おばはんのようやなと へんな 感想を持ち やっぱ 神は 親戚には 安易に 発情せんように したるんやろ・・・ と そんな へんな 納得をする へんなガキであり 今でも お互い歳を重ねた 美人4姉妹と飲むと この 私の体験話をおかずに 楽しく飲める 親戚って 何かと面倒なことあるけど 同じ血をわけあってる なんとも言えない 同志的な 感覚があって 他人と飲むのとまた違う 不思議な酒で これが たまのことだと 結構いいものなんだな お互い カッコつけても 化粧しても ガキの頃から知ってるから 気兼ねなし でも 逆に 一番最初に触れる 身近な異性 このアンニュイな感じも よいんだな これが
2009.06.26
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今日は 久々の日本帰国これから 浦東空港に帰国といえば 飛行機この 飛行機のネタも 大したネタでないがあるちゃあ ある今は亡き 親父は 粋な 親父で私が小学生のころ弟と私に 飛行機を体験させるため当時 名古屋に住んでいたが名古屋空港(当時は小牧空港)から 羽田空港まで 飛行機で飛び新幹線で 当日 東京から名古屋まで帰るという飛行機に子供を乗せるためだけに そんなことをしてくれた人だった素晴らしき 親父なのだもちろん 我が家が特別裕福であろうはずもない親父もお袋も末っ子同誌の結婚で、 親父は普通のサラリーマンでお袋も 当時はよく家で内職をやっていた 記憶がおぼろげながらあるのだ親父は 私のギターも質屋で買い 名鉄電車の中を 裸でギターを抱えて 帰ってきたくらいやから 変わりもんといえば 変わりもんかもしれないしかしその時の 飛行機の感想は 残念ながら ほとんど残っていない逆に 残っているのは 初めて 一人で 乗ったときの ことだ初めて 飛行機に一人で乗ったのは この名古屋 羽田のフライトから時は過ぎ 大学生のころ家族は私以外は 札幌転勤で みな 札幌の社宅で住み弟も 札幌の高校に進学していた私は 京都で大学生活を送り はじめての 夏休み 故郷ではないが家族の待つ 札幌に帰省することになった私的には 夜行汽車でのんびり帰りたかったが バイトで時間もなく飛行機をその時は選択した初めて 一人の飛行機 乗り方も なーんもわからんしかし そこは天下の 全日空 大したもんで 親切丁寧に サービス行き届き過ぎ的モードで機内まで スイスイだわ私が犯した 唯一の失態は私は 子供のころから 一言多いのだ 言わなきゃいいことまで 言ってしまうその日も たまたま 座った席が悪かった主翼のすぐ横の窓側の席まるで 背中がシートに張り付くような 離陸の感触を楽しみ安定飛行に入って 間もないころ 不気味な揺れがすぐさま ただいま 気流の悪い所を通過しています と アナウンス私は何気に 窓の外を見ると 主翼の羽が 気流にあおられたわむとういうか ぐぅあん ぐぅあん と そう 波打っている私は 直観的に この飛行機 ふ 、ふ、不良品やが・・・・ 私は 見てはいけないものを見た人のごとく 急激に心が 揺れ始めこのことを 言うべきか否かしかし このことを 言わないがために もし 不測の事態になれば一生後悔するんでは・・・・・・・私は 手のひらにかいた汗をズボンで拭い天井にある スチュワーデスの呼び出し ボタンを 思い切って押したしばらくして 満面の笑みを浮かべた スチュワーデスのお姉さん登場私は 意を決し 「 あ、あ、あの・・・・ は は 羽が たわんで これって 羽 や や 、やばいっすよね・・・・」しかし 私の期待するリアクションは なし すっちーは 落ち着いた声で「 大丈夫ですよ 御客様 くらいの たわみは想定内で 逆にたわむから安全で 飛行には なんの 影響もありませんから・・・・」回りの乗客からも 私が 質問している時点で かすかな 笑い声せっかく すごいことを見つけ 報告して ほめてもらいたかったモードがマンガの 顔の縦筋 の 感じこれ以来働きだし仕事で使うまで 飛行機に乗ろうとしなかった 私であったでは 行ってきます
2009.06.23
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雷雨で おしめりのあった 昨日 の 上海 今朝は また どよーんとした 蒸し暑い朝だ 休日を有意義にと 更新 更新 さて何のネタが ええじゃろか 歌の話にしようかとも 思いきや 昨日 アコギネタやったから たまには趣向を変え ちと 下品系の話なぞと ・・・・・ 私 幼少のころより 腸が あまり強くなく いわゆる ウ☆コ ネタには ことかかない ですが やはり 不愉快に思われる方も おいでで 極力 下世話な下品ネタは 封印するべきだが 逆に 月一くらいで 織り込めないと ネタが なくなるのも事実 昨日 以前アコギ関連散策で たまたまみつけ気にいった 素晴らしい 充実のHP(中年街角歌い人)作られている いちろう さんからも 初のカキコいただき ネタを待つとのこと ご要望に すぐ 答えない手はあるめい てな わけで 今日は まずは ソフトなやつから 日曜日でもあるんで ご勘弁いただき 披露させていただこう 時は 学生のころ ほんといろんなバイトをやったよなー これも ネタになる話も多いので おいおい綴りますが たとえば さわりだけだと コンサートローディのバイト ミュージシャンの裏の素顔 これなんか 読みたくなるっしょ 今日の話は 日雇いバイトの王道 交通量調査 たまたま 連れに誘われ ギャラがいいというので 深夜 しかも 高速道路 この条件下での 交通量調査 場所は 正直 はっきり思い出せないが 大阪 吹田あたりかと おぼろげに 覚えている そこそこに寒い季節で そこは深夜 高速道路 風も強く なかなかのハードコンディション 食べざかりの 年ごろ 夜中に突入するや 腹は減りっぱなし バイト業者の差し入れか 仲間の誰かに買いに行かせたか 覚えはないが テイクアウトの牛丼が 届く うまいのなんの あっという間に たいらげ しばらく バイト続行 しかし 普段は寝てる時間 しかも 普段は食べない時間 しかも 夜中にハードな牛丼 食べた後は またお腹は冷える みるみる もようして おなかが ギュル ギュル 額に 脂汗 すぐにでも 排泄したい モード 大全開 どないすんのや・・・・・ トイレなど 近くにあろうはずもない もう こうなると 交通量もくそも関係ないのだ この バイト話を持ちかけた 横にいる K君(車持参)に 「 トイレまで 車 頼むわ 」 一番近い サービスエリアまで ところが 私は もう かなり 限界到達点は近づいている 一刻を争う 人のいい K君 は 「 あと10分や・・・」 「 あと5分や・・・・・」 励ましてくれる そして サービスエリアの看板と灯りが見えた時 恥も 外聞もない という言葉を 自分で自分に送り 車の中で 時間短縮の為に ジーパンは脱ぎ 駐車場に 着くやいなや ダッシュできる 体制を 整えていた ただ いでたちとしては いささか????で 上半身は 黒い革ジャンでバッチリ決めていて 下半身は 縦縞の 下着のトランクス 1枚 足元は 膝まで ある ウエスタンブーツ (浜省の影響 大) この いでたちで 真夜中3時頃の サービスエリアの駐車場 車が停車するなり 目指す トイレに向かい 「 ダアー 」 っと 駆け出す 私 さすがに この時間 人影もまばら だからこそ わたしも この 思いきった 作戦が 慣行できたのだ しかーし そうは 甘くないのが 世の中だ 私は 目ざす トイレに目を奪われ 足元を見ていなかった 約 30m走り あと半分で トイレだという 地点に あろうことか 車どめのポールが 何本もあり そのポールと ポールの間に 銀のチェーンが 張られていたのだ 私は そのチェーンに気づく はずももない ウエスタンブーツごと 足を引っ掛け 思い切り 前のめりに コケタ のだ その 瞬間 どこかから かすかな 笑い声がしたことは 確か しかし 私には 強い強い 意志と なすべき 目的があるのだ 血がにじむ ひざで なんとか トイレに駆け込み 事なきを得た この 経験をしてからというもの 私は 自分自に 教訓を与えたのだ 「 我慢できなくなる前に 野でしろ ! ! 」 そして なんとか 今日まで来ている しかし 野でしたら したらで 事件は起きる この一件 は 後日 お届けする機会があればするが 冒頭 こういう 下世話な下品ネタ は 生理的に 嫌いな 方も おみえになるので 強いリクエストがない限りは 披露しないつもりで いるのだ
2009.06.21
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今日も上海は よい天気 だが 青空とまで 晴れきれない雨が降らないだけ ましだ今日の予報は 31℃上海の雨降りの夕方など タクシーも ほとんど空車がなく移動するのも 大変で これが 週末の 金曜ともなると もっとひどい昨日に続き音楽ネタか 次回するよと 予告してた 急性アル中ネタの続きか んー どうすっかそういえば、 初めて自ら 興味を持った見ず知らずの人のブログに書き込みをしたら温かい返信をいただき 恐縮したとこだアコギ つながりであぜ丸さんと いちろうさん私のなど 及びもつかない 魅力満載の 装備満載 の充実したHPでPCに弱い 私からすると どないしたら こんなんできん の ? ?的な尊敬に値する 感じだま、その分 ネタで 充実感をだすしか あるめいここんとこ 音楽関連の話が続いていたので ひと休みするかな 今日も朝 5k のジョキングをしながら インドネシアでの赤痢ネタとか 上海での 歯医者ネタとか いろいろ 構想をめぐらせていたが 今日は 以前 予告した 急性アルコール中毒その2でも 綴ってみよう 以前、何日か前のブログで 私自身が 大学時代 急性アル中になった話はしたが今日の話は 私でなく 私の会社勤め当時 後輩であった 若者の話ださんざん 自分がやらかした時 廻りの知り合いに迷惑かけたり見ず知らずの たまたま通り かかった方で 善意の方の車まで汚した 天罰か人生は 回り 回る のごとく私が 今度は 急性アル中になった 若者の面倒を みることになるそれは、若者Mが 新入社員として 当時 私が勤めていた会社に 私の後輩として 同じ課に配属になったことから 始まる物語である若者Mの代は 採用者も多く 女子社員も含め 数人が 同期入社となった当時は今と違い 世の中も 会社も まだ少しは元気がありおそらく 5月のころかと 思うがだれともなく 新入社員歓迎飲み会 を 企画し その日はやってきたよく 利用していた 親父さんとも馴染みの店が 1次会の場所に選ばれたここしばらく 30人以上の宴会から ご無沙汰であった 我々は若者たちの歓迎も兼ね 今日は 飲むぜ! 騒ぐぜ! モード全開で女性の新入社員も花を添え いい感じで 宴は 進んでいったのだ久しぶりも手伝ってか やがて 少しづつ 宴は 荒れ模様となりあちこちで 「 俺の酒が飲めないのか!」 攻撃を 新人君たちにする奴や 鍋のふたに 酒をつぎ イッキ イッキと 飲ます奴やらあちこちで 怒涛の 飲まし攻撃が繰り広げられていた若者Mは 酒量が ある一線を越えた時に おそらく スイッチが入ったのか自ら 日本酒の徳利を 何本も抱え あっちにいっては 乾杯しこっちにいっては 乾杯し しまいには 徳利をラッパ飲みで飲み干しては 徳利を さかさまに振っては 親指の グー ポーズ を 何度も繰り返すそうこうしているうちに2度めのスイッチが 若者Mに入り今度は 店の外に 靴もはかずに 飛び出し近くに ある 靴屋 さんに 走りこみ 店の人に 「 靴売るのも 大変ですね 御苦労さん・・・・! 」 とわけのわからないことを口走り また 走りだしまた その靴屋に 再乱入したりとかなり 危険な状態になっていくのである気がつけば 他の新入社員君たちはすでに 自分の服を ゲ○で汚し 店の前の 電柱も汚しその介抱を している間 今度は 若者Mが危険な状態だと 駆けつけてみると若者Mは アスファルトに くの字に 寝込み すでに 意識モウロウ状態 他の新入社員君たちは出すものを出しスッキリし 意識はあり みなで 若者Mを取り囲む私以外の 先輩社員や上司たちは とっとと すでに退散して人のいい S君と Kさんと 私と 新人君達以外は もういなく残ったメンバーで 若者の背中をさすったりホースの水で 店の前や 電柱を 流して掃除する 親父さんの手伝いやらしていた時モウロウとして くの字に 寝ていた若者Mが ついに 動きを 見せ 右手で口を押さえ 左手で肛門を押さえ小刻みに震え出したのであるこれは 危険と察知し まずこの店の近くにある 会社の社員寮に住む新人君の部屋に運ぼうとしたが震えはおさまらず ついに 生まれて 初めての119番通報 以外に 冷静に かけている自分に感心しながら夜もふけているんで サイレンは鳴らさずにきてください などとお願いしたりしたのだしかーし 5分もたたないうちに けたたましく ぴぽーぴぽーとサイレンが聞こえまだ新車の装いの 救急車が 到着手際よく 隊員の人が ストレッチャーを出し「 誰が こんなに 飲ましたんですか・・?」 と怪訝そうに 尋ねるが 残っているメンバーの中ではどうみても 私が 最長年長者なのはあきらかで隊員さんは ジろっと 私に目線をくれるのだが私は 小声で 「 勝手に 自分で 飲んだだけやのに・・」と語尾に近づくほど フェードアウトする声で 答えるだけであった生まれて2度目の救急車乗車 一度目は自分がこの若者状態で記憶はないが最新式の救急車はすごい 道が凸凹して 揺れても患者の寝る ベッドは揺れない 仕掛けになっていて隊員の人が 病院につくまで いろいろ説明してくれるのだ私は 「 へー すごいっすね・・・」 とか相槌を調子よく うち 快適な 救急車の旅を楽しんだのだが病院に着くなり 今度は 白衣に黒いメガネの先生が 二コリともせずに「万が一があるので すぐ ご家族の方に ご連絡してください」と重たく 静かに まるで 白い巨塔の 田宮次郎のようにいうのだ「 ま、ま、まじかよ・・・ どないしよう・・・???」しかし 時間はすでに 午前1時若者の家に 電話するも 見事に 誰も出もしない先生とは 対象的に やさしい看護婦さんが大丈夫 心配しないでください と いってくれ随分 救われたのだもう遅いので あとから 駆け付けた 新人君たちは家に帰し最後まで 付き合うといってくれた 人のいいS君としばらく 青白い 顔で 寝息をてる 若者の寝顔を見ていたきっと 俺も あの頃 こうして 先輩たちに 見られながら寝てたんだろうな・・・・と 回り回る 人生は・・・ ってな 感じを体感した 夜であった
2009.06.18
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