諏訪湖のほとり(山岡弘道ノート)

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July 3, 2005
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私は、少年の頃から有島武郎の情死事件には少なからずショックを受け、そのこともあって、彼の作品を読もうという気にはなれなかった。加えて彼がクリスチャンであることを知ってからは何か割り切れないものが募った。

与謝野寛は、第一次「明星」時代、武郎の弟、画家有島生馬を通じて彼と知り合いになったが、学習院出の地主の息子と肌が合わず、深い付き合いはなかった。
一方晶子は、生馬に絵を習っていた時期に武郎と親しくなり、お互いの本や手紙を交換するようになった。

当時文壇の寵児であった武郎は、妻を亡くして以来独身であったので、女性の人気は凄まじく、晶子は「まるで光源氏のようですね。」と冗談を言ったほどであった。晶子は武郎から四、五十通の手紙を受け、中には殆ど恋文のようなものまであったという。

婦人公論の女性記者、波多野秋子は、美貌と聡明さで鳴らしていたが、彼女が武郎に近づいてからは、武郎は秋子の虜となり、晶子への情熱は薄れていった。

大正12年6月6日、武郎と秋子は突然失踪し、軽井沢にある武郎の義兄の別荘で、1ヶ月後の7月7日、心中しているのが発見された。

晶子は、武郎とのやり取りの中で、本当に心をゆるしていたのは、秋子ではなく自分だと思っていたようである。鉄幹の目や大量の仕事、子供の世話等がなければ、武郎へ走っていたかもしれない・・・。晶子生涯唯一の危機であった。

「君(武郎)亡くて悲しというをすこし超え苦しといはば人怪しまん」(晶子)
関東大震災の2ヶ月前である。






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最終更新日  July 3, 2005 05:04:44 PM
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