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今日の日中、
スーパーで買い物している最中に、
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自我に死んでいる自分のイメージが、
約2秒くらい来た、
で、その時の体/心の軽さが半端なかったので、
続けて、イメージしようと思ったが、できなかった、あれはナンだったんだろう??
その筋の人の話によると、
確かに、 死んでいるって楽みたい、
(肉体の死じゃないからね、アシカラズ、)すべての欲/苛立ち/自己中心から解放されている状態、
一度、経験すると、やめられないらしい、
しかし、一方で、
死にたくない自分がいる、どうやら、これが、
”死”の邪魔をしている節がある、
昨日は、十字架やら、灰を持ってきて、
死のイメージを自分にももたらそうと思ったが、
ドーも決定力に欠ける、なんとなく、わいてくるのだが、
いかんせん続かない、
しかし、日中来たアノわずかな時間の体の軽さは、
いまだに忘れられない、
で、自分で言っといてナンだが、
こと(手続き)は既に終わっているのであり、

あとはこちらの受け入れ体勢(適用)だけだ、
具体的にどのような適用方法が効果的か、
で、浮かんできたのが、
今年亡くなった父の亡骸、
(亡骸のイメージはチョッとあれなんで、棺おけで、)
これはね、自分にとって、
とてもリアルなわけよ、3/22の深夜、運ばれてきた遺体と、
4日間過ごしたわけで、別に気持ち悪くはなかったが、
死体のイメージはチョー現実的、この亡骸を自分に置き換えると、
や、
よりも、
ずっと、リアリスティックだ、
そして、実際、
この(自分の)亡骸(棺おけ)を思い浮かべながら、
取り組むとコーなった、*以下はサンプルだが、内容は自分の体験と同じ、
(サタンがまた、しょうもない架空の場面を、
自分の心に吹き込んでくる、)例えば、怒りが収まらない架空の場面、
相手は年下の後輩で、
彼いわく、
「なんで、あんたはいつもダメなんだ、」
と生意気にちゃちをつけてくる、架空ではあるが、
自我(古い自分)はただちに反応、
怒りに震えて、「ナンだこのやろう、」と殴りかかる、 という場面が心に出る、架空ではあるが、
血圧は上がり、筋肉は緊張する、
ここで、死んだ自分を思い出すとコーなる、「なんで、あんたはいつもダメなんだ、」
と生意気にちゃちをつけてくる年下の後輩に向かい、オレいわく、
「悪いな、オレ、とっくに死んでんのよ、」
「死人に口なし、」改め、
「死人に聞く耳なし、」

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