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2013年10月28日
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カテゴリ: ミニストリー

これは、とある方に、

なぜ、自分達が今、西宮から移って、
この実家(横浜)にいるかを説明するために、
これまでの出来合いの資料で、準備した文章、

引用するのは、2011年4月にヨメさんが書いた、
芦屋教会の週報の記事だけど、

最初、少しその背景を解説してから、始める、


+ヨメさんの証 家に帰りなさい 」を添付します。

少しだけ背景を補足します。

 2011年3月12&22に父母は亡くなりましたが、その前年2010年から、私たち夫婦は決断を迫られていました。

 ヨメさんのご両親(田無市)も危うくなってきて、2011年1月に、横浜の実家付近に引越しをしようと決断することになります。

 2011年2月になると、事態はさらに急転。母が市大病院に入院。

 ここで急遽、家の父の面倒を見るため、実家への同居に切り替えます。

 引越しと、両住居(横浜・西宮)の整理が始まります。

 自分たちの持ち物(西宮)は半分以上破棄しました、(実家に入らなかったのです)。

 続いて3月4日、今度は父が入院。

 さらに母が大震災(3/11)の深夜に召天。

 母の葬儀を営みつつ、家財を整理する中、その10日後、3/22深夜、父が召天。

 震災の影響も含めほとんどパニックでした。

 この時、体重は62k-->53kまで減りました。

 福島原発も不安となる中、西宮に戻ろうと思っていた矢先の父の葬儀の早朝(3/26)、枕元に現れたのは父母でした。



家に帰りなさい
2011年4月17日

 今年、私たち夫婦は高齢となった双方の両親のために、双方の実家がある横浜に帰ることを決めました。どちらの母親も、このところ骨折を繰り返して自由に歩くことができなくなり、共に80歳を越えた父たちが、母たちの世話をしていましたが、それも限界に来ていたからです。

 そのことに先立って、私は主からみ言葉をもらいました。

家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい。(ルカ 8:39)

 悪霊を追い出してもらった人が、イエス様のお供をしたいと願い出た時に、イエス様が言われた言葉です。できればずっと風の教会の近くに住み風の教会で礼拝したいと思っていた私に、「横浜へ帰りなさい」と主が語って下さったのだと受けとめました。

 しかし、引越しを決めて夫の実家の近くに家を探そうと動き出したとたん、私たちを取り巻く状況がめまぐるしく変わり始めました。2月末に夫の母が倒れて入院し、その5日後に夫の父が入院、そして手術となりました。

 最悪の場合二人とも寝たきりになる可能性も出てきたために、同居することに決め家を片付けていると、あの東北関東大震災の日に義母の容態が急変して亡くなり、その葬儀の日に義父の容態も悪化し一週間後に義父もまた天へ帰ってしまいました。

 交通がまひし、スーパーの棚が空になり、計画停電や厳しい状況に置かれている福島原発のニュースを聞いて、「こんな時期に西宮から引越しをする必要はないのではないか」と言い出したのは夫でした。

 夫が一番恐れていたのは福島原発でした。「もし爆発すれば、東北、関東一帯はチェルノブイリのように人が住めない状態になる。そんな所に住んで爆発に巻き込まれたくない」と言うのです。

 夫はインターネットで国内外のメディアが原発問題をどう報じているのか調べたり、識者たちが何を言っているか調べ、できたら関東に住む人たちも避難した方がよいという意見に同調していました。

 でも、まだ私の両親の介護の問題が残っていたために、引っ越すことをやめるとは言い出しづらかったようです。

 一方、私はというと、不思議なことに、「『家に帰りなさい』と主が言われたのだから横浜に住む」という思いが私の中にしっかりと存在していました。

 しばらくの間、ことあるごとに「恐いなぁ。引っ越したくないなぁ」と言う夫と、夫を無視して引越しの準備を進める私との間に、目に見えない戦いが続きましたが、義父の葬儀の前夜、とうとう私の方が折れました。

 そもそも、同居することに決めた横浜の家は夫の実家だし、介護が目的であったのに介護を必要とする夫の両親はもういません。それに、「家に帰りなさい」という言葉をもらったのは、夫ではなく私なのです。私の両親の世話は、私が一人で西宮と横浜を往復すればいいと心に決め、「もう引越ししないであなたは西宮にいていいから」と私は夫に言いました。

 すると、夫はいかにもほっとした様子で、「じゃあ、引越しはさっそくキャンセルしよう」と言いました。

 ところが、その晩、といっても明け方近く、天に帰った両親が笑顔で夫に現れて言ったそうです。

 「横浜の家に住みなさい。原発はイエス様が守ってくださいます」と。

 夫の両親はキリストを信じてはいませんでした。ことに義父はあるお寺の檀家で、先祖代々のお墓を守ることに必死でした。だから義父は、夫が20代の頃にキリストを信じ、洗礼を受けたと知ると激怒しました。

 そんな両親の口から「イエス様が守ってくださいます」という言葉が出てきたことに、夫は度肝を抜かれたと言います。そして、夫も横浜に引越しをすると心に決めました。        (2011/3/30 関西地区リーダー)


自分で文章を作っていて、
改めて、当時を思い出した、

西宮に戻ろうとしていたのに、
なぜ、この実家にいるのか、

「福島はイエス様が守ってくださる、
安心して、ここに住みなさい、」

父の葬儀(2011/3/26)の早朝に語られた、
父母のこの言葉がすべてだった、

イヤ、ホント、


参考)
父の亡骸の上にいる父と母、今日は父の葬儀






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最終更新日  2013年10月28日 23時51分52秒
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