如安

如安

2006年05月21日
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演奏会が近づき、今までがそうであった演奏会への追い込み。台風の後の生ぬるい無風のような、無気力でけが続く。これ悪魔の仕業なり。
この作品は、脚本も音楽も傲慢かもしれないが良くできていると思う。もったいない話である。

軽い障碍を持つ人と久しぶりの会話を楽しんだ。ほんの1時間ほどだったが、DTMの伴奏を聴いてもらい、へたな歌で歌って聞かせた。
劇中さいごの場面で歌われる
   『われら神の子』(トーアン・カタリナの二重唱)
    われら神の子 身は遠く離るとも
    われら神の子 永遠の命のよろこびを
    心はひとつ心はひとつ  アーメン(心はひとつ)
アニュスデイに似ているね、とすぐに言う。そう、アニュスデイだよ。

    神よ人間の愚かな業をお赦しください
    我らを・・・迫害している・・・
    人間の罪をも・・・お赦しください・・・
    信頼は希望 希望は信頼 全ては愛
いつも祈っているという「信徳唱・望徳唱・愛徳唱」をうれしそうに唱えだした。
『信徳唱』真理の源なる天主、主は誤りなき御者にましますが故に、我は主が公教会に垂れて、我らに諭し給える教えを、ことごとく信じ奉る。
『望徳唱』恵みの源なる天主、主は約束を違えざる御者にましますが故に、救世主イエズス・キリストの御功徳によりて、その御約束の如く、我に終りなき命と、これを得べき聖寵とを、必ず与え給わんことを望み奉る。
『愛徳唱』愛の源なる天主、主は限りなく愛すべき御者にましますが故に、我、心を尽し力を尽して、深く主を愛し奉る。また主を愛するが為に、人をも我が身の如く愛せんことを努め奉る。

中学をあと一年で卒業。今後の不安の中での訪問だった。
劇中で教会を表現する手段として使われる音楽にグレゴリアンの「Pangelingua」を使う。洗足式の時の歌だね、と嬉しそうに歌いだした。こうして一緒に歌う機会のないだけに本当に嬉しかったです。
主の晩餐の、ウビカリタスを歌い、聖体奉還式のところのパンジェリングア。ふさわしいと決めた曲だけに、分かってもらえてうれしかった。





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Last updated  2006年05月21日 05時36分11秒
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